ベストム東神楽増床、キーテナントに家具の長谷川

キーテナント決定まで1年半
2012年8月、東神楽町役場で、山本進町長と西條の西條敬弘社長が、土地を正式に売買したとして共同記者会見を開いた。そして、土地の取得から1年半が経過した今年2月中旬、ようやく増床部分のキーテントに、道内大手の家具・雑貨・インテリア小売業、長谷川産業㈱のグループ会社、ワールドホーム㈱に決定した。今後は、大店立地法などの手続を経て、3月中には正式契約が結ばれる予定になっている。
同社は、十勝を中心にホームセンターを数店舗運営しており、上川管内では富良野市に1店舗を構えているが、親会社の長谷川産業が運営する主力の「スイートデコレーション」と比較するとかなり規模は小さい。
この土地は一時、道内最大手の同業の㈱ニトリ(札幌市)に決まりかけたが、条件が折り合わず断念した経緯があった。「ニトリで決まると思っていたが、最後の詰めで西條側に誠意が足りなかった」(札幌のあるデベロッパー)と、振り出しに戻ってしまった。
その後は、全国大手の小売業などいくつか名前は挙がったが、売り場面積だけで5000坪近い広さを埋めることができる企業はなかなか現れなかった。それでも、建設に向けて準備は進められ、昨年11月11日に建築確認申請は許可が下りている。

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当麻でんすけすいか、30年の歴史を振り返る

 当麻町の名産で、道内を代表する高級果物として知られる「でんすけすいか」が誕生し、30年の時を刻んだ。「これを食べたら、ほかのスイカはもう食べられない」と絶賛する消費者も少なくない。しかし一方で、今後に向けた課題もある。これまで試行錯誤を重ねてきた30年におよぶ苦闘の軌跡から、食のブランドの未来像が見えてくる──。

過去最悪の被害の後に

「でんすけすいか」の栽培は、水田の減反政策が進み、将来に不安を募らせていた当麻農協青年部の有志15人が1984年、一村一品運動の全国的な高まりを受け、当麻町の新たな特産品として取り組んだものだ。

c 当麻町はその前年の10月6日、当時観測記録史上2番目に早い初雪に見舞われた。収穫直前の稲が、ほぼ100%なぎ倒されるという過去最悪の被害に、稲作農家は頭を抱えた。
コメと並ぶ収入源となって、水田地帯を手助けする存在になってほしいとの祈りにも似た思いから、名づけられた名前が「でんすけ(田助)」だった。菊川健一町長は「逆境にあっても一隅を照らす光を求め、入植以来築いてきた先人たちのスピリットを継承するもの。その象徴が『でんすけすいか』」だという。
このネーミングは同時に、〝デン助〟の愛称で戦後の浅草喜劇界やテレビで一世を風靡したコメディアン、大宮敏充さんにもちなんでいる。
生産者でつくる「当麻町そ菜研究会でんすけ部会」の初代部会長を務めた瀬川守さんの強力なリーダーシップのもと、初年度の総栽培面積は2㌶で、総売上高は1660万円。10㌃あたりの売上げは、コメを上回る80万円以上にのぼった。
でんすけすいかは、深緑色の皮に重さ6~8㌔ほどの大玉。シャリシャリした食感と、すっきりとした甘みが特徴で、元々、海外向けに開発された品種「タヒチ」の一つとされる。
当時、真っ黒な皮のスイカは日本では見られなかったが、ヨーロッパや中近東では一般的。糖度や食味がそれほど良くなかったことから、種苗メーカーの「㈱サカタのタネ」が約10年かけて改良に取り組んだ。
でんすけ部会の現在の舟山賢治部会長は「当時の青年部員がタヒチと出会ってから今日までの経緯は、奇跡の連続だったように思える。誰も挑戦したことのない黒皮スイカの栽培をはじめ、赤と黒の段ボールに1玉出荷という発想には、志の高さを感じる」と振り返る。

出荷停止の挫折も経験
ただ、食のブランドを確立するまでの苦労は並大抵ではなかった。当初は露地で栽培したがなかなか実がならず、収穫しても品質が悪かった。近年の異常気象に伴う栽培環境の変化に対応し、病害虫も予防するため、安定した栽培管理ができるハウス栽培へと段階的に移行。01年からは、ハウス栽培の面積のほうが多くなった。
生産者が強く意識したのは、ブランドイメージの構築だった。栽培をスタートさせた時点から「糖度11%以上」の基準を守り、基準に達していないスイカは容赦なく除外。中には、持ち込んだ収穫物の半数以上が「不合格」と判定され、持って帰る生産農家もいた。
でんすけすいかは89年に商標登録され、90年には年間の販売高が1億円を達成。91年になると赤と黒の象徴的なデザインを施した特製の段ボール箱にスイカを詰めて高級感を演出したが、同年には着果した後の大雨の影響でスイカの肉質に異変が生じ、出荷の停止を余儀なくされるという不運にも見舞われた。
不意を突かれた格好になったが、生産農家たちは「あのシャリシャリ感は他の品種では出せない」として、引き続き栽培技術の向上を目指した。年に数回、栽培講習会や現地研修会を開くなどして、栽培方法の研究に心血を注いだ。
でんすけ部会ではこれと並行して、一元集荷や共同選別、共同販売など、生産から販売までの体制を確立。一連の取り組みは、95年の「第1回ホクレン夢大賞」や、96年に「第9回北の生活産業デザインコンペティション」パッケージ部門金賞の受賞にもつながった。
00年には、他産地に先がけて共同育苗施設を稼働させた。全国にも例のない取り組みとして、JAが当麻町の生産者にでんすけスイカの苗を供給するシステムを構築すると生産にも弾みがつき、04年にはでんすけすいかの年間の販売高が2億円を突破。こうした一連の取り組みが高く評価され、06年には「第35回日本農業賞」(集団組織の部)で大賞に輝く。
08年の初競りでは旭川で過去最高の65万円の高額取引を記録。12年には、町と農協からの支援を受け、最新の高性能光センサー選果システムを導入して設備をさらに充実させた。
昨年は、一玉2500円近い単価がつき、町は「でんすけ羊かん」の試験販売をスタート。同年夏には、海外進出を視野に、札幌の卸売業者「札幌丸果青果㈱」を通じて、台湾に向けて試験販売も行っている。

ブランドを守るために
しかし、昨年の売上高は1億6280万円にとどまった。栽培戸数の減少が主な要因だ。ピーク時の02年には、町内で67戸が21㌶作付けしていたが、昨年の栽培戸数は40戸で作付面積は15㌶に縮小している。
これらの背景には、ブランドを守るために固持してきた栽培基準の厳しさや、1個あたりの重さが平均で8㌔になるスイカの収穫作業の辛さなどがある。でんすけ栽培の労苦の手間を避け、比較的容易な野菜の栽培などに取り組む農家も出てきている。
当初から30年間、でんすけすいかを作り続けている生産農家は8軒。でんすけ部会の舟山部会長の信念はゆるぎない。「栽培当初からの夢やロマン、技術が引き継がれ、苦難のときも、統一された基準を必死に守り抜いた結果が、現在の礎になっている」
その一方で、部会では知名度アップにも取り組んでいる。昨夏には町内のイベント「蟠龍(ばんりゅう)まつり」で試食会を初めて実施。札幌市内の小学校から農村体験を受け入れているのも、「でんすけ」がもっと親しまれてほしいとの願いからだ。
糖度などの数値が基準を下回るスイカについても、捨ててしまうのではなく、加工品としての活用を模索。栽培に関するリスクを軽減し、できるだけ多くの農家に栽培してもらえるよう工夫をこらしていく。
今後の明るい材料として、「当麻農業未来創造チーム」(長谷川新会長)の存在がある。農業者や生花店、建設業者など異業種を含む30~40代の男女13人で昨年7月に発足。そのメンバーには、でんすけすいかの生産者も名を連ねている。
このチームでは、茨城県で水田100㌶を誇る大規模経営を手がける農業生産法人や、「直売所甲子園」で全国優勝を果たした同県の農産物直売所「みずほの村市場」を視察。でんすけすいかを台湾に試験輸出した昨夏の経験をもとに、東南アジアや中東などへの視察も検討している。16年春までに、新たな営農モデルを具体的にまとめ、全国に発信していくつもりだという。
デン助こと、大宮敏充さんは、浅草の演芸界で風刺のきいたコントを繰り広げ、「俺にデンとまかせておけ」との決まり文句で人気をさらった。でんすけすいかの未来も、生産者たちから「俺たちにデンとまかせておけ」と胸を張る声が聞こえてきそうだ。

旭川の企業、高齢化と後継者難で休廃業急増

 旭川市の企業数減少が止まらない。直近3年足らずで670社が〟消滅〟した。倒産発生は記録的な減少が続いている一方で、経営者の高齢化や後継者難を理由に休業・廃業が急増しているためだ。

円滑化法の効果
道北地区の企業倒産(負債額1000万円以上)の集計が行われるようになったのは1971(昭和46)年から。好不況をダイレクトに反映して倒産件数は増減を繰り返してきたが、昨年度(2013年度)の件数は46件と、集計開始以来、最少となった。
b 倒産件数減少は、2009年に成立した金融円滑化法の〝効果〟。この法律が中小企業の資金繰りを支えてきた。13年3月に円滑化法が期限切れを迎えたため一転して倒産急増となるのではないかと懸念されたが、国の対応が奏功し、13年度は一層倒産が沈静化した。
東京商工リサーチ旭川支店のデータによると、円滑化法施行以後、直近4年の道北地区(奈井江以北~稚内)の年間倒産件数は、
・10年=60(35)
・11年=70(33)
・12年=64(40)
・13年=46(25)
となっている。カッコ内の数字は旭川市の企業の倒産件数で、4年計133件。平均すると年間33件。史上稀な倒産の少なさだ。

倒産の3~5倍
倒産はいわば企業の「死」だが、新しく設立される会社も数多い。
旭川市で誕生する企業は近年、年間150社強で推移している。民間信用調査機関が発表する倒産は負債額1000万円以上に限られており、ごく小規模な倒産も加えると実際には年間33件よりももっと多いと思われるが、それを計算に入れたとしても、新しく生まれる企業数が倒産企業をかなり上回っていることは間違いない。人口統計でいう「自然増減」と同じく企業にも自然増減を適用すれば、円滑化法施行以後は企業は自然増を続けてきたはず。
ところが、総務省が先月発表した「平成24年経済センサス~活動調査」と、その3年前に行われた「平成21年経済センサス~基礎調査」の中の旭川市の企業数を見ると、この間、大幅な減少となっている。

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ジャンボプール跡地で計画浮上「旭川ホースランド」

 旭川市神居町台場の元「旭川ジャンボプール」跡地に、複合施設「旭川ホースランド」(仮称)を建設する計画が水面下で進んでいる。場外馬券場をはじめ、乗馬体験施設、各種飲食店や物産コーナーを兼ね備えたもので、地元市民委員会では、かつて札幌方面からの旭川の〝玄関口〟として栄えた台場地区再生の起爆剤になればと期待の声が上がっている。

一大レジャースポット
かつて夏の行楽スポットとして市民に親しまれた「旭川ジャンボプール」。その建設構想が浮上したのは1982年、「海のない旭川に海をつくろう」との思いからだった。再選を目指した当時の坂東徹市長(故人)が、同年11月の市長選に公約の目玉として掲げたものでもある。
同じ時期に行われた北海道知事選では、革新の横路孝弘知事が旭川に「北の子供の国」構想を打ち出していたのに対し、保守が擁立した三上顕一郎氏は坂東市長とタッグを組んでジャンボプール構想を推した。
しかし、坂東市長は再選されたものの、三上氏は横路氏に敗れて落選。三上知事が誕生していれば、83年度の道の予算にジャンボプールの建設費が組み込まれるはずだったが、結局、計上されることはなかった。
それでも、この構想は、公約を何とか実現させようと意気込む坂東市長の熱意によって実を結ぶ。84年7月14日に晴れてオープン。北海道を代表するリゾート運営会社「加森観光㈱」の手によって、道立ではなく、民営で運営されることになった。総面積は2万平方㍍。波打ち際が全長60㍍で、当時としては道内最大規模を誇る造波プール、長さ35㍍と15㍍のスライダー(すべり台)プール、1周200㍍の流水プールとサイクルモノレールなどを設備した一大レジャースポットとして華々しく誕生した。
以来、18シーズン、旭川市民のみならず、道東、道北各地区から利用客がつめかけ、夏の人気レジャー施設として稼働。だが、営業期間が7月中旬から8月のお盆過ぎまでと短かかったことに加え、基本的には屋外施設だったため天候にも左右され、なかなか採算が取れなかった。学校やスポーツ団体、町内会の利用などの面で開拓しようと営業努力を重ねたが、しばしば冷夏に泣かされ、最終的には閉鎖に踏み切ることになった。

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自民党が新規党員ノルマ、試される今津の営業力

 自民党が来年4月の統一地方選に向け、同党の衆参国会議員に新規党員獲得のノルマを課したことが、党内関係者の間で波紋を広げている。党本部の総務会で正式に決定したもので、その最低ノルマは1000人。達成できなかった場合は「罰金」という異例のお触書きまで出され、今津寛代議士の〝営業力〟が試される。

不足分は1人2千円
2月18日に開かれた自民党の総務会では、衆参の国会議員にそれぞれ新規党員獲得のノルマとして最低千人が課せられることが決まった。来年末までにノルマが達成できなかった場合には、「罰金」として、不足した人数1人あたり2千円を党に納めさせるという初めての制度も導入されることになった。
たとえば、半分の500人しか新規獲得できなかった場合、100万円の罰金となる。しかし反対に、ノルマを大きく上回る成果を上げた議員には、党人事などで論功行賞を行う方針だという。
同党の党員数は現在、全国で約70万人。ピーク時の1991年には約547万人にのぼったが、97年以降、16年連続で減少の一途をたどっている。党では「党員の確保は党活動の基本」ととらえており、来年末までに120万人への大幅増を図る意向だ。
これまでにも党員増強運動は実施されてきた。2007年に女性をターゲットに実施した「党員大作戦」もその一つで、10年の「党員に関するプロジェクトチーム取りまとめ」では、国会議員や選挙区支部長の責任を明確化した。目標数に達しなかった場合の対処にまで言及したこともあったが、実践されることはなかった。
衆参のねじれが解消されたタイミングで、党としての足腰を強化することを目的に、新たに取り組むことになったのが、今回の「一二〇万党員獲得運動」だ。
この運動は文字どおり、全国で120万人、衆議院小選挙区ごとでは、職域党員を含めて4千人の党員獲得を、来年末までに達成することを目標として掲げている。

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西神楽の生産者団体、めん用小麦の試食会

 

地元畑作物のブランド化をめざす旭川市の西神楽畑作物輪作体系適正化推進協議会(金屋裕久会長)が主催して2月24日、西神楽地域で生産されたパン・中華めん用小麦「キタノカオリ」の試食懇談会がロワジールホテル旭川で開かれた。
a パン・中華めん用小麦の多くを外国産に依存している中にあって、西神楽地域では秋まき小麦の品種を「キタノカオリ」に全面転換し、昨秋から〝旭川初の地元産強力小麦〟として本格的に流通をスタートさせている。
試食懇談会では、8事業者がそれぞれ得意分野を生かしながら試食品を提供。かみしめるほどに小麦の味が堪能できる「旭川製麺」の生パスタをはじめ、この2月から商品化した「amie工房」のクッキー、「DAPAS」のイタリアの食事パン「チャバタ」などが人気を集めていた。
キタノカオリは、黄色みをおびた粉色や、粉自体が持つ甘み、すぐれた加工適性などが特徴。同協議会では今後、商品としての可能性や課題を検証していくという。