2015旭川市議選 驚異の得票〝笠木神話〟

 笠木薫─選挙前から「強い」という予想はあったが、よもやこれほど強かったとは。2位当選の穴田貴洋を2470票も引き離し、自身最高の7161票を獲得して2期連続トップ当選の偉業を達成した。

 笠木は1999年4月の市議選に初挑戦。この時は3114票で40人中30番目の当選だった。旭川鉄道管理局勤務から社会党旭川総支部(後に社民党、民主党)の専従役員として12年間政党の仕事に就き、民主党支部幹事長代行の肩書で満を持しての出馬だったが、期待が大きかった割にはもの足りない結果だった。
 国鉄労組や政党の仕事で長年選挙戦を経験していた笠木は、初当選後は次回以降の戦いに向け足元を固める組織作りに力を入れた。現在笠木には自宅のある豊岡、出身地の東旭川のほか愛宕、千代田と4つの地区後援会が結成されているが、4地区以上に後援会がある市議は笠木と蝦名だけ。
笠木 2期目の選挙では1期目より2000票以上も上乗せし、5000票の大台を突破して2位当選。3期目はさらに上積みして6433票という記録的な大量得票。通常なら文句のないトップ当選のはずだったが、この時は、旭川市長選敗北の同情票が集まった安住太伸が8000票を超える奇跡的な得票で、またしても2位。
 そして4期目。取り過ぎた前回より若干落としたものの5902票を獲得して念願のトップ当選。2位の宮本儔に1680票の差を付け〝市議選の怪物〟との異名を不動のものにした。
 今回は民主党人気が低迷する逆風もあった。しかし強大な後援会組織を背景に、選挙通の事前予想でも「5000票クリアは間違いない」と見られていた。ある現職候補の選対では「日頃から後援会活動に取り組んでいないから、選挙の時にあわてるのだ。少しは笠木を見習え」と頼りない候補に活を入れる場面もあった。
 笠木は今回の市議選を前に、道議選立起に心が動いた時期がある。結局は、道議選で民主3人当選は無理という状況もあり「西川市政の3期目を支えるのが自分の仕事」と割り切り、道議立起を見送った。
 そのうっぷんが市議選にぶつけられたのか、2月中旬には他候補に先駆け連合後援会事務所を開設し、早々とあいさつ回り、個人演説会、お茶の間懇談会など、緻密なスケジュールを組んで動き始めた。
 強力な地盤とする豊岡地区では、有力な保守系新人候補が勢いよく割り込んできており、いかに自信あふれる笠木といえども危機感らしきものを持たざるを得なかった。民主推薦の新人女性候補に従来の支持組織を譲ったことも不安材料ではあった。
 しかし投票箱のふたを開けてみれば、なんと7000票突破の神がかり的な得票。危機感や不安材料も結果的には杞憂に終わる大勝利。1959年から3期連続トップ当選を果たした中島義光(故人)に次ぐ、2期連続トップ当選の勲章を胸にすることになった。
 偉業を遂げた夜の笠木のブログには「予想外の、びっくりする得票結果でした。本当に一生懸命に頑張ってくれたスタッフの皆さん、無理をしてお世話くださった方々の一票一票の積み上げの結果です。心から感謝します」と書きこまれているが、笠木の選挙強さはまさにこうした後援会スタッフの地道な努力から生み出されている。
 自宅に市政相談室を置き、日頃から市民と向き合う政治活動に力を入れ、一方で400名参加という旭川市最大規模のパークゴルフ大会を主催。また後援会会員との旅行会、町内会行事など、人とのふれあいを大事にする姿勢が選挙に強い〝笠木神話〟を作り出している。
 2期連続トップ当選の勢いで、4年後は待望の道議か?の声も聞かれるが、本人は「まったくの白紙です」とし、「西川市長や民主の仲間とともに、いい旭川づくりに4年間しっかり頑張ります」と繰り返すだけ。

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市議会最大会派の不安な船出

 4月26日の旭川市議会選挙実施を受けて、新しい市議会の会派構成が5月8日に決まった。これまで3会派に分かれていた自民党系の保守会派が40年振りに一本化し、所属議員は11人となり最大会派となった。自民党系の議員が市政運営にどう攻勢を強めるのかが注目されるが、「呉越同舟の会派。いつまで続くことやら……」とのクールな見方も周囲に強い。

自民党系、民主党系はどちらも10人
かつては定員が44だった旭川市の市議会議員選挙も、いまでは34と10人も削減され、市議会議員選挙は少数激戦となっている。
今回当選したのは、まず自民党系の新人では林祐作がただ一人。自民党の公認あるいは推薦を得て立候補し当選した現職は7人だった。今回から市議会では自民党系の議員が一本化する方向で話が進められていたことから、保守系無所属の園田洋司、杉山允孝の2人も自民党系の会派に所属するのは確実と見られていた。
このため、園田、杉山が合流することを想定して自民党系は10人と考えられていた。
一方の民主党では、新人としては東直人、品田登紀恵、高木啓尊の3人がそろって当選。東は旭川地区の民主党で幹事長を務めていた現職市議の佐々木邦男の後継だったほか、品田はJP(郵政)労組からの初めての当選。また高木は旭川市議会では珍しい4年間議長を務めた三井幸雄の後継として初当選を果たした。
また民主党の現職で公認・推薦の候補は6人いたが、すべて当選。ほかにも無所属ながら北電を地盤とする松田宏が前回と同じく民主党会派入りを希望。このため、民主党の会派も、自民党と同じく10人となった。
「10対10」の均衡を破ったのが上村有史だ。これまでは無所属だった上村は、今回から自民党系の会派に所属することになった。上村は本誌の取材に対し「新たな政治活動の場を考えてみたい」と話し、これまで自民党を離党した安住太伸や無所属の金谷美奈子と同じ会派に所属していたことに一定のけじめを付け、新たに自民党系の会派に所属することを明らかにした。

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2015道議選 下馬評覆し安住2位当選の勝因

 7人の道議選候補の中で、最も厳しい戦いを強いられていると見られた安住太伸。下馬評を覆す2位当選にはだれもが驚かされた。勝因分析は様々だが、「加藤・木村は安泰」との観測が追い風になったとの見方や、有力企業からの支援が奏功したとの見方が生じている。安住を拒んできた自民党のわだかまりも氷解したということか? 

azumi東夫人送り込み安住地盤切り崩し
 2位当選が決まり選挙事務所に駆けつけた安住は目を潤ませながら「みなさんに心から感謝いたします。期待にしっかり応えていけるよう全力で頑張っていくことを約束します」と、深々と頭を下げた。安住の涙は、選挙戦の厳しさを物語っていた。
 安住の道議選出馬は、昨年末の旭川市長選のかなり前から選挙関係者の間でささやかれていた。「安住が市長選に出馬しても、現職の西川将人には勝てない。ただ、市長選に出馬することで有権者に安住の存在感を改めて認識させ、そのまま道議選になだれ込む」(自民党関係者)との読みだった。  
 この予想の半分はあたった。市長選では出馬を見送り、自民党が担いだ東国幹と政策協定を結び、東を応援するという道を安住は選択したが、市長選が終わって2週間も経たない11月下旬、安住は市役所記者クラブで会見を開き、道議選への出馬を早々と表明した。
 市長選での東支援では、「見返りに道議選では東が安住を支援するという〝裏取引〟が交わされたのではないか」との観測が広がった。もっとも、両者はこの〝裏取引〟を全面的に否定。安住と東が選挙協力するのは市長選に限ったもので、それ以外の選挙にはまったく関係しないという主張だった。
 道議選出馬会見で安住は「支援者から政治家としての活動を期待する声が多かった。旭川のために働きたい」と語り、その後、東が再び自民党の公認候補として出馬することになった。安住と東の間に何らかの約束があったならば、この展開はあり得なかったのではないか。やはり選挙協力は、市長選に限ったものだったようだ。
 それを〝証明〟するかのように、道議選がスタートすると、東陣営は安住が住居を構え市議時代から地盤としている新旭川地区に東夫人を送り込み、あからさまな地域の切り崩し工作を行った。まさに「昨日の友は、今日の敵」というサバイバルな状況。自宅の窓の内側に、「東」のポスターを張り出し、外に向けてアピールする住民も出てきた。

有力企業の安住応援を黙認
 危機感を強めた安住は再び地域を固めるため、支援者宅を小まめに回り、支持を呼びかけた。地域の大型スーパーでの個人演説なども重ねたほか、全市的な票の掘り起こしに活動の輪を広げた。
 しかし個人演説会などに集まる人数は必ずしも多くはなかった。「安住苦戦!」と誰の目にも映り、公明の吉井透とともに当落線上という下馬評だった。
 しかし結果は、市長選で知名度を上げてトップ当選を果たした東に次いで、堂々の2位、2万3000票余りを獲得した。安住は本誌に「小さな組織やグループでの集会に顔を出し、その積み重ねで当選することができたと思う」と話し、大きな企業や組織的な票ではないと分析した。

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美瑛町長選 現職浜田、薄氷踏む勝利!

4月の統一地方選で、旭川市と周辺8町の中で唯一、首長選が行なわれた美瑛町。当選確実と見られていた現職の浜田哲(62)は、前町議で新人の森平真也(35)にわずか53票差まで迫られる薄氷を踏む勝利となった。「告示日直前まで選挙になるとは夢にも思わなかった」(浜田)の言葉通り、事前の準備を怠ったことが支持者から反感を買い、前々回と前回は2000票を超えた反浜田票に、森平はさらに1000票超を上乗せした。

首を洗って待っていた
午後9時17分、浜田の選挙事務所に入った開票結果(速報値)は、浜田3453票、森平3401票で、疑問票は37票だった。この時点で疑問票がすべて森平に回ったとしても15票差で浜田の当選が決まる。その5分後、午後9時25分に票は確定し、疑問票37票のうち1票だけが浜田に回り、浜田3454票、森平3401票となり、わずか53票差で浜田の当選が決まった。
浜田が選挙事務所に姿を見せたのはその5分後の午後9時30分。選挙事務所の玄関前につけた車から夫人と二人で降り立ち、うっすらと涙を浮かべ、緊張しきった顔で「首を洗って待っていた」と一言つぶやいた。
hamada 「投開票日当日、風呂につかり2度敗戦の弁を考えたが、思い直して当選の言葉を考えた」という浜田だったが、崖っぷちまで追い込まれた心境だった。
告示日の1日前、4月20日の午後2時30分、浜田の後援会事務所へ「森平が町長選に出馬する」という情報が届いた。「寝耳に水だった」(浜田後援会関係者)というが、浜田は年明け早々5期目を目指すと表明してから、無投票と高をくくり、4月に入ってもお茶懇開催や5期目へ向けた具体的な公約の発表などを行わなかった。「告示日にようやく選挙ポスターを貼った以外は何もしなかった」と、浜田は準備不足を反省する。
そのためか、選挙戦に突入し選挙カーから有権者へ手を振り、声を掛けても、「ほとんど反応がなかった」(浜田)。投開票日の3日前の4月23日、「負けるかもしれない」と感じた浜田は、24日に農村部、25日に中心部と必死になって回った。「何とかなるかもしれないと感じたのは、投開票日の朝だった」というが、落選もあり得ると腹をくくり、有権者の審判を待った。

直前の出馬表明が功を奏した?
一方、告示日の1日前に出馬を表明した森平は、選挙事務所を設置せず、夫人と2人で自転車に乗り町内を回っただけだった。森平は山口県出身で、大学は都内の青山学院大。学生時代、休暇を利用して町内の農家でアルバイトをしたことがきっかけで美瑛町に惚れこみ、JAびえいに就職した。農協での10年近い勤務経験と町議1期の実績で、町民から「できる人物」と評価されるようになってきた。
森平自身も「将来は町長を目指したい」と公言していた。町民の間では「4年後もしくは8年後には、町長選の有力候補になることは間違いない」と囁かれていたが、いきなりの出馬は浜田陣営以外の町民にも驚きだった。
町のある有力者は、「顔は町内に知れ渡っているが、何の地盤も持たず実力者の現職に立ち向かうのは時期尚早だ。もう1期町議を務め、しっかりと地盤を固めてからでも遅くはなかったはずだ」と、森平の出馬に疑問を投げかける。
一方で、森平の突然の出馬について、「用意周到な戦略だった」との見方を示す町民もいる。
「告示日の1ヵ月前、3月下旬には出馬の決意を固めていたはずだ。選挙用のポスターなどの準備が数日間でできるわけがなく、告示日前日に関係機関へ挨拶へ行った際に、『4月上旬に出馬を決意した』と言ったとの話も聞いている。ただし早くに決意を固めたといっても、町内を回りビラを配るような目立った行動はせず、裏で反浜田勢力としっかり連携していたはずだ」
この人物は、開票結果を次のように分析する。
「前々回、前回の町長選では、浜田への批判票は2269、2221とほぼ同数の票があった。今回投票率が前回より低かったにもかかわらず、2000を超える既存の批判票に1000以上も上乗せしたのは、何らかの大きな動きがあったからとしか考えられない」
浜田自身も「今回の選挙戦の主役は森平さんだった。我々はその舞台で脇役として踊らされているだけだった」と、まるで〝敗戦の弁〟のようなコメントを残した。

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美瑛の人気観光スポット 「青い池」が変色

水の青さと立ち枯れした木々が幻想的な雰囲気をかもし出し、全国的な人気を集めている美瑛町の観光スポット「青い池」。この池にちなんで誕生した「青い池 美瑛サイダー」や「青い池プリン」などの商品も話題を呼んでいる。しかし最近では、「池の底にドロがたまり色が変わってきている」という指摘や、「このままでは〝がっかり名所〟になってしまう」と懸念する声が上がっている。

火山対策の副産物
aoiike美瑛町には雄大に広がる十勝岳連峰を背景に、山の恵みを受けて生まれた神秘的な場所が多く存在する。「青い池」もその一つで、コバルトブルーに染まる水の色とカラマツ林が立ち枯れした姿が神秘的に映り、写真家などの間で口コミで広がり人気のスポットとなった。
一説によると、青い池を最初に作品として発表したのは上富良野町在住の写真家、高橋真澄さん(56)。1998年に出版した写真集「ブルーリバー」に収録されているが、当時は許可証がなければ立ち入りができなかった区域内で、一般的には隠れた場所とされていた。それが2010年から自由に見学が可能になり、たちまち全国的な人気を博すようになった。
この青い池にちなんだ商品も11年に「青い池 美瑛サイダー」、12年に「青い池プリン」が誕生したほか、「青い池 飲むゼリー」も登場。いずれも爽やかな青色をしたデザートとして広く親しまれ、一番人気は青い池美瑛サイダーだという。
青い池は88年12月に起きた十勝岳噴火の後、北海道開発局が火山砂防事業としてコンクリートブロックを積み上げて築いた堰堤に水がたまってできたもの。火山対策の〝副産物〟ともいえるが、ちょうど扇子を広げたような形になっている。
同局旭川開発建設部治水課によると、池の色が青く見えるのは、上流の白金温泉地区で湧出しているアルミニウムを含んだ水が美瑛川の水と混じり、小さな粒のコロイドが生成されるため。「これと太陽の光が衝突し、波長の短い青い光が散乱するため、青く見えると言われている」とメカニズムを説明する。

4年前の豪雨の影響?
天候などの条件が良ければコバルトブルーのような澄んだ青色に見え、条件が悪ければエメラルドグリーンに見えたりすることもある。しかし最近、町民の間で問題視されているのが、水の色の変化だ。池の底にドロなどが堆積し、水の青さが以前ほど鮮やかでなくなっているという。立ち枯れしたカラマツの木が倒れて池の中に堆積しているのも懸念材料。中には先行きを心配し「札幌の時計台や高知の播磨屋橋のように〝がっかり名所〟になりはしないか」と指摘する町民もいる。
こうした声に対して美瑛町経済文化振興課でも「元々底が見えるほどきれいだった池で、堆積物は気になる問題」としながら、「将来的には取り除かなければいけないかもしれず、開発局と協議する必要はある」と話している。

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