上川建設業界に想定外の景気対策

 今年8月、道内を襲った連続台風(7・11・9号)は上川管内にも甚大な被害をもたらしたが、復旧には北海道上川総合振興局旭川建設管理部から応援要請を受けた旭川建設業協会が緊急対応。協会として初めて災害対策協力本部を設置し、総力戦で臨んだ。しかし、災害発生前から取り組んでいた工事も多く、現場を掛け持ちしなければならないばかりか、建設不況による人材不足も重なり、OBや大工職人まで駆り出して対応に追われている。

「瀬替」で切り替え
 この連続台風の影響で美瑛町では、河川の氾濫や用水路の決壊で土砂、泥水が農地に流入。来年の作付けができない圃場が多くみられ、そのうえ地盤が緩み、市民生活にも支障をきたした。
kamikawa 道道天人峡美瑛線では、忠別川の増水による道路の決壊が4ヵ所で発生。延べ約1㌔にわたり不通となり、天人峡温泉郷の宿泊客約90人が孤立する事態に見舞われ、旭川選出の今津寛衆議とともに視察に訪れた自民党幹事長の二階俊博氏は「これを激甚と呼ばずして何を激甚というのか」と惨状に驚いた。
 そして、この被災地の復旧作業にあたったのが、災害発生前から付近で橋梁工事を行っていた旭川市の老舗土木建設会社の廣野組と新島工業。両社とも「天災をそのまま放置するわけにはいかない」と橋梁工事などをいったんストップさせ、夜を徹して復旧作業にあたった。旭川では滅多に目にすることがないという32㌧級のブルドーザーで土砂を運び、高さ約3㍍、延長約400㍍の盛り土をつくり、「瀬替」と呼ばれる伝統的な土木工法で川の流れを切り替えた。
 使用した土砂は、砂利と岩砕を合わせた火山灰2万立方㍍、10㌧ダンプ4000台分にのぼった。災害復旧作業は時間との勝負。
いかにスピード感を持って被害を最小限に食い止めるかが腕の見せ所だが、
ダンプは数分おきに土砂を積んで現地へ。機動力を発揮し流出した箇所の盛り土、路盤層の作成、アスファルト舗装を行い、1ヵ月で開通にこぎ着けた。
 廣野組の中谷登社長は「これまで受け継がれ、経験で知りえた〝経験工学〟に基づき、水の流れを変えて道路を再構築し、車両の安全通行を確保することを最重要事項として取り組み、早期の復旧が可能となった。住民にも感謝され、私たち自身の励みにもなり、使命感を自覚することにもつながった」と話す。
 美瑛町白金にある砂防堰堤施設で、人気の観光スポットともなっている「青い池」でも、水が濁ったり、護岸・遊歩道が壊れるなどの被害があった。青い池では、近隣で砂防工事を請け負っていた旭川のタカハタ建設が対応。紅葉シーズンを迎える9月の大型連休を前に一般公開が再開された。地元町民は「今までより青くなったのでは」と喜んでいる。

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白紙撤回! 新市民文化会館構想

 今年5月に大改修から一転、建て替え計画が浮上した旭川市民文化会館だったが、市民や議会から批判が次々に噴出し、旭川市はあっさりと白紙撤回してしまった。場当たり的な対応に「建て替え構想はいったい何だったのか?」と市民はあ然とするばかり。

にぎわい創出
 大ホール、小ホールなど合わせて年間10万人以上の利用のある市民文化会館は、開館後40年以上が経過したため、屋上防水や外壁の劣化による雨漏りや配管設備の漏水などが発生。空調設備なども老朽化していた。また、ホールの座席のほか、壁や床などの内装材など建物全体の劣化が著しいのが実態。さらに車椅子への対応やエレベーターの装置など、現行のバリアフリー基準に不適合であるなど、利用者ニーズに応え切れていない。このため、市では2年前に2403万円の予算を付けて調査し「大規模改修基本計画書」を作成した。
bunka ところが一転、今年5月に公表された旭川市新庁舎建設計画骨子の中で、市民文化会館の建て替え案が急浮上したのだ。
 新庁舎建設計画骨子によると「開館から41年が経過し老朽化しているため、大規模改修に向けた作業を進めてきた。しかし、大規模改修した場合は多額の費用がかかることに加え、改修期間中は長期にわたって使用できなくなるため、市民の利便性が大きく低下することになる」としたうえで 
「『市民でにぎわい、親しまれるシビックセンター』の実現に向け、周辺施設と連携したにぎわいの創出を図っていくこととして行く」と言及。「そのためにも新庁舎と同じ敷地内で文化会館を建て替えて一体的に整備することにより、お互いの機能が図られ、さらなるにぎわいの向上が期待できる」とし、新庁舎と文化会館の二つを新築整備する方針を打ち出した。
 大規模改修から新築計画へと方向転換したことに、当然議会内から疑問の声が上がった。
 7月に開かれた市庁舎整備調査特別委で、小松あきら議員(共産)は、改修から新築への転換はどのような検討が行われた結果なのか質問。これに対し、担当する市教委の社会教育部は「2月に西川市長から新庁舎整備と市民文化会館の関係について整理・検討するよう指示があった」ことを明らかにしたうえで「社会教育部も構成員となっている(庁内の)新庁舎建設推進本部会議で5月末に策定した骨子の中で、文化会館については建て替えに向けて進めて行くという方向性で整理された」と市全体の総意で新築案が浮上した経緯を述べた。
 つまり、建て替えは市長からの指示、トップダウンで決まっていった可能性が大きく、市教委自らの判断ではない。独自に予算を持っていない市教委が自ら新築を提案することはありえない話で、市トップの判断で路線変更したと見るのが妥当だろう。

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新谷建設巨額増減資の〝理由〟

 北洋銀行が今春、旭川商工会議所の新谷龍一郎会頭が社長を務める新谷建設㈱(旭川市6条通3丁目)に対し、資本金と資本準備金合わせて16億円の巨額出資を行った。その分の増資を新谷建設は5月にそっくり減資。「増減資」は債務超過解消のスキーム(計画を伴う枠組み)となるのが通例で、経済界からは「債務超過の原因は何だったのか」と心配の声があがっている。

3月に増資して5月に減資
 今春4月の官報に、新谷建設の「資本金及び準備金の減少公告」が掲載された。文面はこうだ。
 当社は、資本金の額を八億円、資本準備金の額を八億円減少し、それぞれ五千万円、0円とすることにいたしました。
 なお、期中に増資を行い現在の資本金の額は八億五千万円、資本準備金の額は八億円となっております。
 この決定に対し異議のある債権者は、本公告掲載の翌日から一箇月以内にお申し出下さい。
平成二十八年四月八日
旭川市六条通三丁目右10号 
新谷建設株式会社 
代表取締役 新谷龍一郎

(この公告には併せて、貸借対照表の要旨が掲載された)

shinya 新谷建設のもともとの資本金は4000万円。公告で「期中に増資を行い」とあるが、実際、今年3月28日に8億1000万円を増資して8億5000万円とし、同時に8億円の資本準備金が積まれた。この増資分と資本準備金の合わせて16億円を減資しますと、官報の公告で伝えているのだ。
 その後、公告通り、5月16日付けで減資され、新谷建設の資本金は以前より1000万円だけ増え5000万円となっている。
 増資は、運転資金や設備資金、または新規事業に使う資金調達の手段だ。実施すれば資金繰りが楽になり財務基盤の強化につながる。また減資は、その目的のほとんどは累積赤字の補てんか節税である。
 また、増減資は、債務超過解消のスキームとされる。いったん増資し、繰越欠損金を資本金で埋めると、減資したときには欠損金は消えている。
 例えば、純資産・資本金1000万円のA社があったとして、この会社が500万円の繰越欠損金を抱えていたとする。その場合、500万円増資すると資本金は1500万円に増額され、続いて500万円を減資すると、資本金は元の1000万円に戻る。繰越欠損金は増資分で解消し、スッキリと帳簿上の見た目がよくなる。
 資本金が1218億円もあった大企業のシャープが、1億円にまで減資し税制上の優遇措置を受けて収益回復を図る奇策を打ち出したのは記憶に新しい。スケールは格段に違うが、資本金4000万円の新谷建設が、一挙に20倍強資本を増やし、また増資と同じ額の資本準備金も積み、それらをすぐに減資するというのは注目すべきニュースだ。

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台風被害で少年野球おはよう野球がピンチ

 8月後半に相次いで北海道に襲来した台風で、旭川の河川公園は次々と水没した。少年野球の〝メイン会場〟となる「旭西広場」の被害は甚大で、廃止も検討されている。社会人おはよう野球の「旭川大橋左岸広場」もクローズ状態。「来年の大会運営は大丈夫なのか」と、関係者に不安が広がっている。

20の公園が冠水
 川の街・旭川には、石狩川,忠別川、美瑛川の河川敷地を利用して42もの公園がある。総面積は約125㌶で、市民のやすらぎの場、交流の場として活用されており、また都市景観の向上にも一役買っている。
台風 その河川敷地公園42のうち20が、8月後半に相次いで北海道を襲った台風の影響で冠水した。
 石狩川と牛朱別川の合流地点付近から旭橋─新橋─旭西橋と下る両岸の増水・冠水がひときわ顕著だった。この区間の石狩川両岸には、噴水や花の広場があるフラワーランド(市立病院裏手、旭橋上流左岸広場)、池や噴水、遊具が完備しちびっ子が楽しむドリームランド(旭橋下流右岸広場)、テニスコートや野球場、サッカー場がある旭西広場などがあるが、激しい水流と上流から流れてきた流木の影響で、いずれも大きなダメージを受けた。
 また上流部の天人峡を襲った未曾有の豪雨の影響で美瑛川が増水。美瑛川と忠別川が合流して石狩川の本流となるエリアも水が暴れ、両神橋右岸広場、旭川大橋の上流下流の左右両岸の広場は水没した。

絶句する光景
 冠水・水没した中でもダメージが甚大なのが新橋と旭西橋の間に位置する旭西広場だ。ここにはサッカー場1面、野球場2面、テニスコート3面が整備されていた。
 2面の野球場ではシーズン中は毎日のように、社会人の朝野球(おはよう野球)や少年野球が行われている。
 社会人の朝野球の場合は1面ずつでそれぞれ1試合が行われるが、塁間23㍍とコンパクトですむ少年野球では、1面を2コマに、もう1面を4コマに、合わせて6コマにして試合が行われる。「6面とれるところは北海道ではおそらくここだけ。市内各方面からのアクセスが良く、クルマの駐車スペースも300台以上あり、各種大会を開催するのに絶好の場所」とは、旭川軟式野球連盟の景山賢事務局長。
 今年も旭西広場を会場に高円宮杯でシーズン入り。日専連旭川杯─スタルヒン杯─ホクレン杯と大会を消化して、旭川出身の技巧派投手・星野伸之杯の準備を進めていた。そこに台風が相次いで北海道を襲い各地で豪雨。旭川市街を流れる石狩川も増水し旭西広場には水と土砂と流木が押し寄せた。
 子どもたちの歓声が絶えなかったグラウンドが完全に水没した光景を目の当たりにした父母や少年野球の関係者は絶句した。水が引いた後の光景も、バックネットは破壊され、駐車場のアスファルトはめくれ上がり、保管してあったベースなどの備品は小屋ごと流れ去り、無残なもの。
 やむなく星野杯は会場を変更。花咲スポーツ公園にある2面、当麻町の球場横のグラウンド、それに永山西小学校のグラウンドを手配しての分散開催となった。

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どうなる西武「閉店後」

 9月30日のセレモニーで、1000人を超える観衆が別れを惜しんだ旭川西武。今後の建物と土地の利用に注目が集まる。A館(1条側)は西武の主導で来年10月完了を目指し年内にも解体作業に入る可能性が濃厚。一方、B館(宮下側)は当初の予定通り、来年1月末までに西武が建物の原状復帰を行い、地権者へ返還する。保証金を西武に返還できない地権者については、土地の権利を西武に譲渡することで解決を図る方向で交渉が進んでいる模様だ。

熱気に包まれた閉店セレモニー
 9月30日午後7時30分に閉店した西武旭川店。午後7時を回り、閉店まであとわずかになっても店内はバーゲン品を目当てにした買物客で賑わっていた。41年の歴史に幕を閉じる瞬間を見るため、閉店後に行われたセレモニーには1000人を超える〝観衆〟がA館出入り口前の買物公園通りを埋め尽くした。その翌日から館内を片付ける作業が続いているが、記者は水面下の動きも交え、西武旭川店の今後の活用をめぐる各方面の動きを追った…。
seibu-b まず、西武が土地の7割を所有するA館は、9月22日までに残り3割の土地を所有するA館の地権者へ建物の解体についての賛否を明らかにするよう求めていた。一部の地権者が反対の意向を示したが、条件付きで9月30日、建物を解体することが正式に決定した。
 すでに西武は解体業者から見積もりを取り、年内にも工事を開始して、来年10月をメドに完了する予定になっている。A館の解体に合わせて、宮下・1条仲通りをまたぐようにB館と繋がる二つの地上通路も解体する。仲通りの下をくぐる地下1階部分の通路も埋めることになりそうだ。
 解体費は地下を含めると約6億円(通路の解体費を除く)かかると見られているが、市内のある解体業者は「地下部分は解体費全体の4割、2億円を超える額になる。更地にした後すぐに新たな建物を建設するのであれば、地下部分の造作はその時に行えばいい。敢えて地下部分を解体しないほうが無駄な費用がかからない」と説明する。
 そうなると全体の6割、3億6000万円程度で解体することができる。通路の解体費(4000~5000万円)を含めても、約4億円に節約できる計算になる。
 解体費は、土地の7割の権利を持つ西武が全額支払うと地権者へ言っているようだが、解体業者へ依頼した見積り額は業者によってばらつきがあったようだ。
 解体作業については、西武が早くから業者に見積もりを取らせていたようで、解体業者は建物を建設した大手ゼネコンの熊谷組が有力と見られていた。ところが、「熊谷の見積もりは高すぎる」ということで、中堅ゼネコンの浅沼組(大阪市)に決定したようだ。
 浅沼組は、道内の解体業者へ見積もりを依頼し、「札幌と旭川の解体業者がJVを組み解体工事を請け負うことになった」(札幌のある解体業者)。

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道政・国政への登竜門、当落めぐる人間模様 旭川市議選の半世紀

 本誌創刊50周年の特別企画第3弾は「旭川市議選の半世紀」をお届けする。日本が戦後の混乱期から抜け出し、高度成長期が一服状態に入ってきた昭和40年代。ゆとりのある人たちの名誉職だった市議会議員は、次第に政界を目指す人たちの第一関門となってきた。この50年間には、市議会からスタートし道議会、国会へと進んだ人もいる。毀誉褒貶、毎回様々な話題を提供してくれた旭川市議選の50年を振り返ってみる。(文中敬称略)

4年間続いた「五十嵐効果」
 この選挙の4年前には社会党の五十嵐広三が市長に当選しており、革新市政になって初めての市議選だった。市長当選後に五十嵐は、自民党議員が社会党議員の2倍を占めていた市議会を指して「敵陣に落下傘で飛び降りていくようなもの」と評したが、それから4年後の市議選では自民党の当選者は13人、対する社会党は16人と第1党にのし上がり与野党が逆転、4年間の五十嵐効果が如実に現れた。
 議員定数は今より10人多い44人だったが、この時の選挙では実に69人もの候補者が出た。このうち自民の現職が6人落選、社会の新人が9人当選したが、自民の落選組の中には、それまで4期連続当選していた軍人上がりの尾崎義春や6期連続の前田重春といった大物も含まれていた。旭川市議会のイニシアチブは完全に社会党が握り、五十嵐革新市政を俄然、強固なものにした。
 また、この時の選挙では中島義光(自)が3期連続でトップ当選しており、この偉業はいまだに破られていない。さらに〝議会の暴れん坊〟と言われ、市理事者から恐れられた槙三郎が初当選しており、後に議長を務め53歳の若さで勇退した関根正次は25歳での初陣は飾れなかった。

election この年の選挙でも革新市政効果が社会党に勝利をもたらした。同日行われた市長選では五十嵐が自民党の切り札・森山元一を破って3選。市議選では社会党公認が15人当選と最大会派を堅持し、対する自民党は12人にとどまった。
 2人当選が精一杯のはずの共産党は、党勢拡大をねらって大胆にも4人を立起させたが、結果は片山鋭尚だけが当選、他の新人3人は共倒れに終わり、2議席から1議席に減らす結果となった。
 前回の初陣で跳ね返された関根正次は、中島義光の新旭川地区の地盤を引き継ぎ、今回は上位当選を飾った。三浦ヨシエ以降2期途絶えていた女性議員だったが、社会党の中村悦、神山昌子の2人が当選、市議会への女性進出の足掛かりとなった。
 トップ当選は民社系の大西正剛で、初の4千票突破。最多当選は福居精一の7期で、当時の最長不倒だった。福居は革新市政が始まった時から絶妙の政治バランスで2期8年議長を務めた人格者。議員最後となった7期目は、保守系で政治色のない会派の市民クラブの結成に努めた。

 五十嵐市長が知事選へ転出したため、前年11月17日に旭川市長選が行われ、後継の松本勇が超僅差で佐藤幹夫を退け、革新市政4期目に入った時期の市議選だった。市長選で651票差まで追い上げた保守勢力の余勢をかって、この時の選挙では与党の社会党が議席を二つ減らし、自民党が一つ伸ばした。
 共産党は前回と同じ4人を立起させる予定だったが、共倒れを招いた反省から告示直前に3名に減らし、結果、前々回の2議席に戻した。この時は、前年の市長選に併せて行われた市議の補欠選挙で敗れた泉真砂子が再挑戦し、共産候補としては今日までの最高得票で5位当選を果たした。
 立候補者は55人とそれまでの70人前後から一気に減少し、その後の少数激戦の先駆けとなった。そんな状況の中でトップ当選は東旭川で飛ぶ鳥を落とす勢いだった実業家の早勢忠夫。華々しい登場だったが期を追うごとに色あせていった。
 後に何かと凌ぎを削ることになる28歳の今津寛と30歳の菅原功一が初当選し、政界デビューを飾った記念すべき選挙でもあった。

 この時の選挙の最大の焦点は、社会党が全国でも初の完全地域割りを取り入れたことだった。知事選を戦うための布石として党旭川総支部が導入を検討、内部分裂を起こすほどの経緯もあったが、公認・推薦候補17人を地域に分けて戦った。その結果、候補者全員の得票数は前回より約9千票増え、それなりの効果を発揮したが、肝心の議席数は改選前より一つ減らした。
 トップ当選は市議を2期務めた後に全北海道教職員組合中央執行委員長に転じた菅野久光(のちに参議)の後がまとして立起した伊藤良。前評判通りの強さを見せつけた。また、上位10人中7人が新人候補だったが、その中には新時代の保守系会派を担っていくことになる鎌田勲、渡辺雅士、賀集一正らがいた。
 共産は初の3議席獲得を目指して片山鋭尚、泉真砂子、田辺八郎を立てたが、3期連続当選していた片山を落とすことになり、共産のみならず野党全体にとっても大きな痛手となった。
 この時の選挙戦から選挙カーにトラックを使うことが禁止され、小型のマイクロバスに切り替えられたため、候補者は自分の姿がよく見えるように窓から大きく身を乗り出して市内を駆け回るようになった。若い元気な候補者が窓のへりに腰を掛けて手を振る姿も見られ、市民の間では「アクション遊説」という言葉も生まれた。

 過去3回、新人がトップを取り、上位にも新人がズラリと居並ぶ選挙だったが、この時は上位15人中、新人は14位の山川覚たった1人という、現職優勢の状況を見せつけられた。とりわけ46位に沈んだ新人の馬場昭は、五十嵐広三(当時衆議)の腹心で、社会党の推薦を受け、選挙参謀に木内和博が付いていただけに敗戦は意外なものと受け止められた。
 また、当時人気だった新自由クラブ公認、社民党推薦で立起した福屋州治は、4年前の道議選で顔と名前を売っていた有望新人だったが、期待を裏切る得票で惨敗した。
 公明党が初めて4人当選を果たしたのもこの時の選挙。前回も4人立てたが結果は3人どまりで、1万2千票とされていた公明の基礎票では3人が安全圏と見られていただけに、4人当選は冒険が功を奏したものだった。公明はその12年後に5人を立起させるまでに党勢を拡大し、今日まで全員当選を続けている。
 トップ当選は、2期目は票を減らすというジンクスを打ち破り千票以上も伸ばした渡辺雅士。市議選では歴代最年少、34歳でのトップ当選。その後道議選に2度立起するなど永山の星として存在感を発揮していたが、4期目途中で惜しまれて病死した。
 川田正則後援会や建設業協会、旭川JCなどの支援を受け、山川覚が歴代最年少の27歳で初当選したのもこの時の選挙だった。将来は道議会、国会への道も開ける人材として期待されたが、2期目途中の33歳で早すぎる死を遂げた。

 この回の選挙の最大の話題は社会党公認の新人候補だった高原一記が6415票という、市議選史上の最高得票でトップ当選したことだった。2位の賀集一正と3位の岩崎正則が初の5千票突破という歴史的快挙を演じたものの、それを1300票以上上回る奇跡的得票で、札幌市を除く道内市議選の最高得票でもあった。
 高原は近文地区を地盤としていた佐藤勇(5期)の後継者としての出馬だったが、市役所勤務を経て五十嵐広三衆議の秘書となり、6年以上政治の世界に身を置き、さらに佐藤同様、父親が旧松岡木材出身ということで近文地区に残る松岡関係者の全面支援を得た。また五十嵐広三と歩む会の幹部だった新旭川の八重樫励が出馬しなかったことから、八重樫の票の半分を取り込んだことも大量得票につながった。
 社会党はこの時、上位15位中に9人を当選させ、公認した11人を全員当選させるという我が世の春を謳歌した。一方で自民党は15人を立起させたが、30位以下の下位当選が7人、しかも1人を落選させるという惨憺たる結果だった。
 実はこの選挙を前に、市議会の議員定数を44人から36人に減らそうという市民運動が持ち上がっていた。旭ヒューム管工業(現旭ダンケ)の山下弘社長や龍後設備の龍後廣幸社長ら自民党旭川支部の有力者が中心となって「旭川市政を明るくする会」を結成し、定数削減運動に立ち上がり、多くの支持を得ていた。
 この運動は結局、実現に至らぬまま選挙戦に入ってしまったが、数々の不祥事問題を抱えていた自民党候補者にとっては熱いお灸をすえられた結果となった。もしもこの時、定数が36人になっていたとすれば、さらに3人が落選していたことになる。
 落選した自民党候補者の中には5期目に挑戦していた大物議員の槙三郎もいた。槙は最下位当選の早勢忠夫と約100票差で次点に泣いた。しかし選挙終了後に早勢の家族が「替え玉投票事件」で逮捕され、道義的責任から議員辞職もありうるという微妙な空気になっていた。
 このため早勢が当選から3ヵ月以内に辞職すると、次点の槙が繰り上げ当選するということで早勢の動向が注目された。槙は、良くも悪くも議員能力が突出していたため他の議員から煙たがられる存在だったことから、議員間には早勢に対する辞職勧告、槙の繰り上げ当選に慎重感があった。
 結局早勢には辞職勧告決議がなされたが、早勢は辞職に応じなかった。落選した槙は、この時を最後に市議会から姿を消した。
 市議選史上最も少ない48人という候補者数だったが、話題の数は多く、上草義輝衆議の秘書を経験して政界に打って出、道議会議長にまで上り詰めることになる加藤礼一が33歳で市議に初当選し、太田俊一が市議会最高の8期、公明党が初めて5人の候補を立て全員当選、共産党も3人の候補を全員当選させたのもこの時の選挙だった。

 この時の選挙も新人が強かった。社会党推薦の三井章子、民社党の中島哲夫が1位、2位、社会党の三井幸雄が5位、公明党の安口了が10位に入った。いずれもその後の選挙でも高得票を獲得している。
 三井(章)は29歳という若い女性候補で、テレビの仕事もこなし、父親が保革に顔の利く弁護士という優位性をいかんなく発揮し、地区同盟議長、民社党総支部長の肩書で大量得票をねらった中島に競り勝った。
 社会党も民社党もまだまだ労働組合の力が充実していた時代であり、組合の支援を得た候補は強かった。新人で上位当選した5位の三井(幸)、11位の大河内英明も市職、北教組という強い見方があった。
 何かと新人が脚光を浴びた選挙戦だったが、一方では歯科医師会の推薦を受けた蒔田裕、代議士の兄(秀典)を持つ佐々木邦男、上草衆議の秘書蝦名信幸、津軽三味線で知名度の高かった菅野孝山と、前評判のよかった新人がバタバタと落選したのは意外ともいえる結果だった。
 告示直前に無名の鶴飼重男が立起し、一人で車を運転し、街頭演説しながら街中を流したが、結果は374票。しかしその不屈の魂は長く息づき、その後も市議に4度、市長に2度挑戦している。
 前回選挙で悲願の3人全員当選を実現した共産党が、この時は無謀?にも4人を立てた。回を重ねるごとに投票率が下がってきており、当選ラインも2500票程度にまで下がることが予想されていたが、共産の基礎票は1万ちょっと。
 きっちり4等分されれば全員当選も可能ではあったが、過去の事例からみても危険な賭けであった。結果は4人とも30位以下の下位当選で命拾いをした。
 公明は前回同様5人の候補を立て、今回も全員当選。議員定数が40人、36人と減ってきた現在まで、安定した5人当選が続いているのは立派の一言。この時新人で出た荒島仁は早々に道議へ転出した。関根正次(6期)、糸川一之(6期)、小柳勝人(8期)の議長経験者3人は、この期を限りに勇退しており、これが最後の戦いとなった。

 下落傾向にあった投票率が60%台を一気に割り込み57・84%にまで落ち込んだ低調な選挙戦だった。直前にあった道議選も61・98%と4年前から10ポイントも急落していたため、市議選でも同様の傾向が予想されていたが、それが現実のものとなった。
 特筆すべき話題の少ない選挙結果だったが、高原一記がトップを奪還したのは見事だった。高原は8年前に驚異的得票でトップ当選したが2期目には2600票も減らし、しかも任期途中には社会党や労働組合の取り組みに義憤を感じ、辞職して旭川市長選に立起した経緯もあっただけに、市議復帰を目指す3期目の得票数が注目されていた。結果は高原人気を再確認させられるトップ当選。以後高原は市議会で無所属を貫いた。
 後に道議となり、市長選を2度戦うことになる東国幹が27歳という史上最年少で市議初当選したのがこの時。30位の平凡な当選だったが4年後に早々と藤井猛の後継として道議に転出することになるとは誰にも想像できなかった。
 新人ではこのほか、関根正次の後継者として安田佳正が29歳で当選、会社(日刊旭川新聞)経営の経験があった園田洋司、前回初挑戦に失敗した65歳(初当選では最高齢)の蒔田裕と佐々木邦男、蝦名信幸が晴れて議席を獲得した。
 公明党は前回同様5人全員当選を果たしたが、共産党は4人中、新人の太田元美に票が回りすぎたためか、エースの佐々木卓也を次点で落とすことになった。選挙違反事件に巻き込まれ出馬できなくなった夫(竹内範輔)の代わりに出馬した竹内ツギ子が最下位で滑り込み、亡父(谷口肇)の遺産票を糧に初挑戦した谷口大朗が8位という上位で当選したことはちょっとした話題となった。
 また、新人園田が当選したことで、高原、杉山に加え旭川北高の同期生(11期)3人がそろい踏みしたことも珍しい事例として議会史に残ることになった。2度目の挑戦だった鶴飼重男は前回より500票近く増やしたが、それでも下から2番目だった。
 現在5期目の宮本儔はこの選挙から登場したが、初戦は敗退している。

 議員定数が44人から40人に削減されて初めての選挙だった。4人減の影響がどうでるか未知数な部分もあったが、当落の結果は意外と順当なものだった。
 トップを取ったのは中島哲夫。過去2回とも2位当選で、今回は本気でトップをねらう戦いだったが、ただ一人5千票を超える高得票で悲願を成就させた。
 2位、3位には新人の安住太伸と武田勇美が入った。新旭川地区から出た安住は中島義光、関根正次、安田佳正と引き継がれてきた強固な地盤を、安田が道議選へ打って出た穴を埋める格好で初挑戦し、大量得票を勝ち取った。西神楽の武田は重鎮の小沢仁良が勇退を引き延ばしたため、4年間待って立起したが、観光協会常務理事の仕事を通して市内満遍なく顔と名前を売っていたことからいきなり上位当選の栄光をつかんだ。
 4位に入った渡辺雅士は道議選に2度立起していたため8年ぶりの市議会復帰となった。当選回数は4期目と中堅どころだったが、浪人中を含め政治経験の長さと人懐こい人柄から、市議会のキーマンとして一目置かれる存在となった。任期途中で病死したのが惜しまれる。
 新人では北海タイムスの記者だった藤沢弘光が初当選。東鷹栖・末広を地盤にその後も順調に当選を重ねたが、最後はすっきりしない引退劇で政界から身を引いたのは残念だった。
 前回4人立起で1人を落とした共産党は、道議選で萩原信宏の2選を勝ち取った勢いからか、無謀とも思える5人を立てて戦った。結果は田辺八郎を落として全員当選はならなかったが、この時が新人の小松晃、能登谷繁を加えて共産党の4議席時代の幕開けだった。
 市議会における独特の存在感で3期目をねらった蒔田裕だったが、定数削減の最大の被害者とも言える形で次点に泣いた。定数が44のままであれば危なっかしいが当選はしていた。しかし間もなく吉報が入る。
 議長も経験した輝かしい実績で6期目の当選を果たした賀集一正が、公職選挙法に触れる行為をしていたとして警察の取り調べを受け、略式起訴が確定的になったため議員辞職に踏み切り、次点の蒔田が繰り上げ当選したのである。蒔田の喜び以上に賀集の潔さが光った一件だった。
 無所属の女性議員が当たり前という今日の状況を生み出す先駆けとなった市民活動家の久保厚子が初挑戦したのもこの時。僅差で惜しくも初陣は飾れなかったが、その後の市議会における女性旋風を予感させる選挙でもあった。

 前回選挙で議員定数が4人減り激戦となったが、今回はさらに4人減り36人。この〝狭き門〟を意識してか立起者数も過去最低の46人。基礎票を持たない新人には辛い選挙戦となった。
 トップ当選を狙うには5千票突破が最低条件だったが、この時は実に3人が5千票台に乗せた。折しも菅原功一市長と有力支援者をめぐる疑惑問題で市議会が揺れ動いていた時期であり、市民が議会へ寄せる関心も高まっていた。
 そんな中でトップを取ったのは2期目への挑戦だった安住太伸。安住は前回、新旭川地区で関根正次の地盤をそっくり引き継いだことが、新人ながら堂々の2位当選につながった。しかし今回は、本来関根の後継者で道議選に出るため市議選の地盤を明け渡していた安田佳正が戻ってきたため、地域が複雑な構図になっていた。しかし、そんな状況をものともせず安住はトップ当選、安田も21位当選と踏ん張った。
 2位に食い込んだのは笠木薫。初挑戦の前回は社会党の要職にあり、前評判も高かったが平凡な結果に終わっていた。4年間の後援会づくりが功を奏し、前回を2千票上回る高得票を獲得、その後の〝笠木伝説〟の幕開けとなった。3位の中島哲夫は〝強い候補〟の意地を見せつけた。
 女性候補が6人登場したのもこの選挙の注目点だった。公明の鷲塚紀子、共産の太田元美はともかく、前回惜敗した久保厚子に加え、山城えり子、金谷美奈子といった純粋無所属の市民活動家が名乗りを上げ、全員が中位で当選を飾った。政党の公認・推薦が当たり前だった市議選候補に新しい風を吹き込んだ選挙でもあった。
 ただ一人、前回選挙で市議に返り咲きながら任期途中で病死した渡辺雅士の夫人・渡辺美登里が事前の予想を裏切り、敗れ去った。夫の遺志を継ぎ、永山商工会のバックアップを受けた弔い合戦だったが、油断を生み、取りこぼした。
 前任期中に、菅原市政の与党にありながら「市長辞職」を迫って注目された武田勇美が、環境悪化の中、前回票を下回ったものの11位に食い込んだ。
 前回やっとの思いで4議席を獲得した共産党だったが、今回は出馬を4人に絞ったものの小松晃を落とし、再び3議席に後退。身代わりだった夫人を家庭へ戻し、市議に復帰していた竹内範輔は73歳の高齢が災いしたのか、あえなく落選、波乱に満ちた政界から姿を消した。

 西川将人が旭川市長になってから初めての市議選だった。与党の民主党としては何としても勢力を伸ばしたいところだったが、公認・推薦を含めて10人を立起させたものの8人にとどまった。
 トップ当選はまたしても安住太伸だった。安住はその5ヵ月前に市議を辞して市長選に挑み大敗を喫していたが、1万7500票余を獲得した余勢を駆って8千票を超える信じがたい大量得票だった。しかし地盤の新旭川では安田佳正陣営との確執も生まれ、そのためか安田は35位というきわどい当選に甘んじた。
 安住が奇跡的な得票だったため、6400票越えで通常なら楽々トップを取っていたはずの笠木薫が2位に落ちた。上位当選が当たり前だった中島哲夫も4位という自身にとっては不本意な成績で最後の市議選を終えた。
 この回の最年少当選は29歳の上村有史。知名度もなく、有力な後援者がいるわけでもなく、家族や仲間が頼りの選挙だったが、街づくりに賭ける意欲や行動力が若い世代を中心に受け入れられ天晴れな当選。地盤・看板・カバンが肝心とされる選挙のあり方を変えるものでもあった。
 太田俊一・小柳勝人が持っていた8期当選に近づく7期当選を果たしたのが鎌田勲と杉山允孝。鎌田は途中で道議選に転じたため1期を棒に振ったが、それがなければ先人の偉業に並んでいた。杉山はその4年後、8年後も当選し、現在は連続9期に及んでいる。
 永山の中心部(東地区)から出ていた渡辺雅英が勇退したが、その後継者として出馬した高橋徹と渡辺雅士の流れをくむ松田卓也がそろって落選したため、永山は地域代表の議員が不在となってしまった。またこの時の選挙では、3期連続当選しながらその後は落選中だった泉守が「勝っても負けてもこれが最後」と挑んだが惨敗し、63歳で長年の政治生活にピリオドを打つことになった。
 女性候補が過去最多の7人となったが、最下位で滑り込んだ村岡篤子を含め全員が当選、市議会における女性議員の割合が約20%に達した。村岡は告示近くに大河内英明の後継者として北教組をバックに立起したが、同組合にはかつて伊藤良、大河内と二人を当選させた勢いはなく、ギリギリの当選だった。その村岡は議会体質が合わなかったためか1期限りで辞めることになった。
 5回目の挑戦だった鶴飼重男は、初出馬の374票からコツコツと毎回票の上積みを図り、前回は1769票まで伸ばしていたが、今回はそれより100票ほど減らしたため、たった一人の戦いに限界を感じたのか、この選挙を最後に戦いの舞台を降りた。市長選にも2度立起しており、惜しまれる声も聞かれた。

表紙1611
この続きは月刊北海道経済2016年11月号でお読みください。

改修から一転して建て替え 新市民文化会館の〝不可解〟

 新市庁舎建設に組み入れる格好で大改修から一転、建て替え計画が浮上した旭川市民文化会館。巨額な事業費などを巡って市議会の論戦の的となっているが……

bunka基本設計で凍結
 大ホール、小ホールなど合わせて年間16万人以上の利用がある市民文化会館は、開館後40年以上が経過したため、屋上防水や外壁の劣化による雨漏りや配管設備の漏水などが発生。空調施設なども老朽化していた。また、ホールの座席のほか、壁や床などの内装材など建物全体の劣化が著しいのが実態。さらに車椅子への対応やエレベーターの設置など、現行のバリアフリー基準に不適合であるなど、利用者ニーズに応え切れていない部分が多々ある。このため、旭川市では2年前、2403万円の予算を付けて調査し「大規模改修基本計画書」を策定した。
 それによると、大規模な改修計画の一環として、耐震基準を満たしていない箇所の改修、建物の屋上防水、外壁の改修、トイレの増設などが盛り込まれた。ほかにも、ホール客席に車椅子対応席を新たに整備するほか、ロッカースペースの新設、授乳室など乳幼児を受け入れるために必要な機能の拡充、トイレの洋式化なども追加された。
 これらの改修にかかわる経費を市では約24億円と試算した。しかし再度、老朽化した設備の改修や利便性を考えたエレベータの増設などを考慮して工事費を算出したところ35億円にまで膨らむことが明らかになった。さらに耐震改修に関わる追加費用や建設資材の高騰などもあり、再度検討することを決めた。
 その結果、基本計画・基本設計を策定した後は、実施設計へと移行する〝常道〟を外れ、今年度に予定していた実施設計を行わず、当面は修繕で延命化を進める方針に転換した。
 ところが、今年5月末に市がまとめた「新庁舎建設基本計画骨子」の中で市民文化会館建て替えの方針が打ち出された。
 2403万円かけて基本設計を行った事業を、一時保留とするのならまだしも、基本設計を反故にして建て替えるというのは乱暴な話だ。

表紙1611
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