クマ騒動に揺れる突哨山

 旭川市と比布町にまたがる突哨山とその周辺でヒグマの姿や痕跡が相次いで目撃されている。ヒグマの生態に詳しいもりねっと北海道の山本牧代表の話では少なくとも2頭のヒグマがいるそうで、「高速道路が障壁となって山に帰れないのではないか」。山にはエサとなる山菜や木の実などが豊富にあるため、関係者の間では「このまま棲みついてしまうのではないか」との懸念が広がっている。

高速道路を横断
 突哨山は、旭川市と比布町の境界に位置する標高239㍍、総面積225㌶の丘陵。古くはトッショ山と呼ばれ、アイヌ語のトゥ ッ ソ(突き出る・ところ)が語源と考えられている。
 ミズナラなどの広葉樹林の雑木林に覆われ、約1700種の生物が生息。早春にはカタクリやエゾエンゴサクが咲き誇り、国内最大級のカタクリの群生地として知られている。ゴルフ場開発の話が浮上したこともあったが、自然環境保全を目的に2000年に旭川市と比布町が都市緑地(公園)として取得。遊歩道が整備されていて、一般開放されている。
 最初のヒグマ目撃情報は5月1日。高速道路(東鷹栖5線21号)を北側から南側に向かって横断する姿が目撃され、「クマがフェンスを超えていった」とNEXCOに通報があった。
 翌日2日に遊歩道が閉鎖され、旭川市が比布町、猟友会、突哨山運営協議会、指定管理者のNPO法人もりねっと(旭川)などと合同調査をしたものの痕跡が確認できず3日には閉鎖解除された。
 ところが6日午前8時、突哨山北部に位置する「ぴぴの路」の入口で散歩中の人がヒグマを目撃して町役場に通報。これを受けて遊歩道は全面閉鎖され、同日の夕方の合同調査では「扇の沢」で足跡が確認された。
 この日以降も、ヒグマの姿や痕跡の目撃は続いている。

  • 5月7日 扇の沢歩道付近で足跡を確認。
  • 同月8日 北3線4号の水田で足跡を確認。
  • 同月9日 水田から約200㍍南の雪捨て場で足跡を発見
  • 同月15日 民家に近い道道(比布町北4線)で道路脇に立っていた小型のヒグマを目撃。付近で道道から北に向かう踏み跡を発見。
  • 同月18〜20日 比布町北4線5号付近の人家や堆肥センターがある付近で目撃。
  • 同月28日 東山の牧場で牧草ロールがヒグマに破られていたのを発見

 6月6日現在も、村上山公園口、扇の沢口、カタクリ広場口、突哨山口の4つの登山口は閉鎖されたまま。合同調査は週に1度のペースで実施され、旭川市では看板を設置し、突哨山付近の町内会や施設、学校などに注意喚起し、近隣の住民に対しては暗い時間帯の山林への出入りを控えることや、生ごみや野菜のクズ、有機肥料などヒグマの餌になるものを戸外に置かないことなどを呼びかけている。
 また他の団体と連携して複数のセンサーカメラを設置し、ヒグマが人間に危害を及ぼしたり、農作物を荒らすなどのリスクの高い個体かどうかを判断するためにその動向を観察中だ。
 比布町では、18日から20日にかけて相次いで目撃された北4線5号の堆肥上付近に箱ワナを仕掛けた。

若グマと中型のクマ 
 もりねっと北海道の代表で、「ヒグマの会」副会長を務める山本牧氏によると、現状では少なくても2頭のヒグマが突哨山と周辺に侵入しているという。足跡などから判断して、1頭は母グマと別れたばかりの1歳半の若グマで、もう1頭は中型サイズのクマと推測されている。
 若グマは、突哨山の向かいに位置する鬼斗牛山付近を生息地とし、高速道路を渡って突哨山に入り込んだものの、道路に阻まれて戻れなくなっている様子。
 一方の中型のクマは、鬼斗牛山から跨線橋を渡って侵入し、堆肥センター周辺をウロウロしている様子。比布町が仕掛けた箱ワナには、ヒグマの足跡が付いていたという。
 山本代表は「若グマは何らかの理由で母グマとはぐれて迷い込んだ可能性が高い。本来の生息地に戻るには高速道路が障壁となり、2・5㍍のフェンスを越えるか、道道のアンダーパスなど6カ所ほどの狭い道路を通過するしかない。今後も餌の多い扇の沢から公園北部に位置する比布サイドの民地にかけて徘徊が続く可能性がある。一方の中型のクマは、地元の人も気づかないような細い橋を渡って往来していたのではないか」と説明する。
 人に積極的に近づくような行動は今のところ見られず、牧草ロールが破られる被害があったものの、農作物が荒らされたり、人を襲うなどの被害は起きていない。しかし、日中に道路や民家のすぐ横を通過するなど警戒心が薄く、予想外の行動をとる可能性は否定できないようだ。

男山も急きょ閉園
 今回のクマ騒動で、突哨山で予定されていた行事などが中止。公園の東側に位置し、旭川の酒造メーカー・男山が所有する男山自然公園も臨時閉園となった。
 男山自然公園の敷地面積は32㌶に及び、多くの植物が群生。園内はゆっくりと散策ができるように全長1500㍍の遊歩道が整備されている。毎年4月中旬から5月上旬にかけて一般開放され、多くの市民や観光客で賑わう観光スポットだ。
 同社によると、目撃情報を受けて2日夕方に急きょ閉園を決定した。今年は6日までの営業予定だったがカタクリの花の最盛期が過ぎていたこともあって決断。来場者に対応するために職員が現地に待機して説明を行ったという。「お客様の安全を第一に考えて閉鎖の決断をしました。公園ゲートの前にはアジアからのお客様もいて、事情を説明して何とか理解してもらいました。この時期に閉園をしたのは公園をオープンさせてから初めてでした。せっかく足を運んでくださった皆さまにご迷惑をおかけしてしまいました」

人を恐れないヒグマ
 道内では、旭川以外でもヒグマの目撃が相次いでいる。札幌市では今年に入って南区を中心に目撃されており、4月に4件、5月は20件の目撃情報が市に寄せられた。利尻島では生息していないとされていたヒグマの足跡や糞が見つかり、警戒態勢が続いている。
 なぜヒグマの目撃が続くのか。その生態に詳しい人は、 「道が1990年に駆除を中止したことで生態数が増加している。野生動物との共存という考えが広がり、また高齢化でハンターが減り追われることがなくなったため、人間の怖さを知らないヒグマが増えたのでは」と説明する。
 今回の突哨山でのクマ騒動も、人を恐れないヒグマが従来の生息地を離れ、車が往来する高速道路を渡って向かいの山に侵入するという、いわば「現代的」な出来事と言える。
 行政と猟友会、もりねっとなどによる合同調査が引き続き行われているが解決の見通しは立っておらず、遊歩道の閉鎖がいつ解除されるかは分からない。もりねっと山本代表は「従来の生息地に戻れず、木の実などの餌がある突哨山に棲みつく可能性もある」と懸念する。
 従来ならばこの季節は、公園にはバイケイソウなどの花が咲き誇り、訪れた人たちを楽しませている。〝ヒグマ騒動〟がひと段落し、散策を楽しむ人たちでにぎわう平和な山に戻るのは一体いつになるのだろうか。

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この記事は月刊北海道経済2018年7月号に掲載されています。

新体制となった「北工学園」

 理事を大幅に入れ替え、理事長に元道副知事の磯田憲一氏を迎えて「学校法人北工学園」が新体制となった。経営を新体制にバトンタッチした新谷建設㈱は長年の重荷を下ろした。

札幌校は閉校
 60年代70年代はどんどん公共事業が増えていった。北海道建設業界のトップだった伊藤組土建の伊藤義郎氏が新谷建設の新谷泰治氏に「建設技能者を育てる学校が必要だ」と説いて、新谷氏が設立したのが学校法人北工学園。1972(昭和47)年に設立認可され、その後、福祉、自動車教習、情報処理と、時代に合わせて学科を拡大・転換させていった。
 98年には札幌に進出し「札幌福祉医療専門学校」を開校したが、今から振り返ると、それがつまづきのもととなった。旭川と違って競争が激しく苦戦が続き、何とか軌道に乗せようとさまざまに取り組み投資も行った。そのための資金を親会社の新谷建設が北工に貸し付け、また北工が金融機関から借り入れる際に新谷建設が保証していた。そういった貸し付け・保証が滞留し大きな金額となった。
 新谷建設は16年5月期で64億円の売上高を計上したものの24億円もの損失処理を行っている。また北洋銀行が新谷建設に資本金と資本準備金合わせて16億円もの巨額出資を行って、経済界の話題となったが、それらは北工学園が抱えてしまった大きな債務の〝解消策〟だった。
 学校法人再建のために札幌福祉医療は閉校し、北工学園モータースクール(旭川市東鷹栖)は今年3月に経営を分離した。

世界に通用する人材
 そして今春、学校法人の大半の理事を入れ替え、4月29日に開いた理事会で、30年以上にわたり理事長を務めた新谷建設社長の新谷龍一郎氏(66、旭川商工会議所会頭)が退任し、新理事長に元北海道副知事の磯田憲一氏(73)を選出した。
 新理事長の磯田氏は旭川市出身。1967年に道庁入りし、上川支庁長などを経験した後、2年間副知事を務めた。退任後、自治体が新生児に木製椅子を贈る「君の椅子プロジェクト」を発案したことで知られる。現在、北海道農業企業化研究所理事長、北海道文化財団理事長などを務める。
 理事会後に開かれた会見で磯田氏は「この学校に入る子どもたちは10代後半から20代初め。彼らにこの豊かな環境のもとで人生の進路を模索してもらいたい。東川町の人材育成ということではなく少子社会の日本で重要な役割を果たせる、また世界に通用する人材育成の拠点としたい。介護、保育を志す子供たちが〝東川で勉強したい〟と思える学校にしたい」と抱負を語った。

東川町中心の運営
 旭川福祉専門学校は、幼稚園教諭免許と保育士資格を目指す「こども学科」(修業2年間)、介護福祉士を養成する「介護福祉科」(同)、薬学検定や医療事務資格の「医学福祉学科」(同)、それに外国人が日本語を学ぶ「日本語学科」(1年6ヵ月と2年の2コース)の4学科がある。4学科の定員は合わせて550人だが、少子化の影響で近年は福祉系学科を中心に定員割れが続いている。
 親会社である新谷建設の経営にまで影響を及ぼした学校法人の不振の主因は、この少子化─福祉系学科の定員割れだが、一方で、日本語学科の実績は高く評価されている。東川町は自治体運営では全国初の日本語学校を2015年に開校し、以後は新設の日本語学校が短期留学生を、旭川福祉専門学校が長期留学生を受け入れる形に住み分けされている。
 東川町は人口の減らない町として注目されているが、福祉専門学校の日本語学科の貢献は大きい。そのた学校法人の経営悪化を町としても放置しておくことはできなかったというのが実情で、新谷建設から東川町を中心とする運営にかわって生まれたのが今回の新体制。会見には新谷龍一郎社長と松岡市郎町長も出席しがっちり握手を交わし新体制移行を祝った。

学校法人と町連携
 松岡町長は「北工学園は、新谷市造さん、泰治さん、龍一郎さんと3代の社長さんに後継され、各地で卒業生が頑張っている。町に活力を与えてくれる学校でした」と感謝の言葉を述べ、「この学校があるから世界で活躍するプロフェッショナルを育成できる、介護の人材もここで育成できる。町の誇りです」と続けた。
 この後、新谷社長も「学園は昭和47年の設立から、1万2000名の卒業生を輩出し、卒業生は全道の建設会社、福祉施設で中心的役割を担い活躍しています。半世紀も経営者が変わらず時代のニーズに対応できていたのかどうか。これからは新しい体制で優秀な人材を送り出していってください」とあいさつした。

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この続きは月刊北海道経済2018年7月号でお読み下さい。

「天人閣」事業譲渡で再生なるか

 東川町天人峡の温泉ホテル「天人閣」が、首都圏を中心にビジネスホテルなどを展開する㈱カラーズインターナショナル(本社東京、松本義弘社長)に事業を譲渡した。創業118年の歴史を誇る老舗旅館だったが、ここ10年ほどは民事再生、事業譲渡などで経営基盤が揺らいでいた。地元東川町でも先行きに懸念を示す行政、観光関係者らが多かったが、譲渡を受けたカラーズ社では今秋から10億円超を投じて建物の改修を行う方針を示すなど、再建への期待感が膨らんでいる。

名声がた落ち 惨憺たる10年前
 1897(明治30)年から温泉地として開発され、旭川の奥座敷として発展してきた天人峡温泉。その代表格が天人閣。長年にわたり旭川の老舗企業「明治屋」が別会社の㈱天人閣を設立して経営にあたってきた。峡谷を流れる忠別川の氾濫による流失、2度の火災を経て、現在の温泉旅館が建てられたのが1964(昭和39)年5月。
 その後78(昭和53)年6月に増築され、8階建て、延べ約9300平方㍍の大型温泉施設として道内外の観光客や旭川市民の一泊宴会などに利用され、旅行代理店からの信頼も厚く、天人峡に天人閣ありと全国に名を馳せてきた。
 その名声に陰りが見えてきたのは十数年前から。とりわけ2007年7月に、天人閣館内で宿泊客も使用する飲料水を、建物の下を流れる沢の水を汲み上げて使っていた(水道法違反)ことが判明し、保健所から厳しい指導を受け18日間の自主休業を迫られたあたりから急降下が始まった。
 その5ヵ月前にも同様の違反が発覚しており、度重なる悪質行為に天人閣経営陣の資質が問われ、営業停止が明けてもエージェント(旅行代理店)からの信用はガタ落ちとなり、ツアー客の送り込みも敬遠されがちとなった。夏場の書き入れ時に集客が18日間も途絶え、しかも再開後も不調が長く続けば、いかなる老舗旅館といえども打撃は大きすぎた。
 また、このことは社会的には表面化しなかったが、実は天人閣では1960年代から80年代にかけて実に21年間も浄化槽に溜まった糞尿を忠別川に放流していた事実があった。問題が表面化する前に浄化槽を取り替え正しい状態に戻したが、名の通った人気旅館という顔の裏で、違反行為に無頓着という体質は長く続いていたのである。
 さらに天人閣では宿泊利用者数の極端な水増しをはかり、その架空売り上げを信用の根拠とし、ノンバンクから数回にわたる融資を受けるという詐欺まがいの行為も発覚し、経営の台所はたちまち火の車となってしまった。
 2008年当時、約3億円にものぼる金融機関からの借金、数千万円にも及ぶ取引業者への未払い、さらに各種税金、負担金の滞納、そのうえ従業員給料や退職金未払い問題を抱え、天人閣はもはや自力では打つ手のない状況に陥っていた。

ここ10年は波乱の推移
 その後1~2年間、天人閣はあわただしい変遷をたどった。09年12月には民事再生手続きのもとで、それまで経営権を握っていた旭川の名門・佐藤家の佐藤清司会長、佐藤祐司社長親子が退陣し、新たに旭川や留萌でホテルなどの宿泊関連施設を手がけていた企業に引き継がれた。
 しかし、佐藤家の経営時代に隠されていた多額の債務が重荷になり、やむなく民事再生を諦め自己破産の道をたどることになった。当時明らかになった負債は8億4000万円という多額なものだった。
 自己破産の処理をする経過の中でスポンサー企業として名乗りをあげたのが登別に本社を持つ企業グループで、同社は新たに天人閣のある東川町に本社を置く㈱松山温泉を設立し、旅館建物や営業権を5000万円で取得し、天人閣で宿泊担当として勤務していた藤田幸雄氏を社長に据えて老舗旅館の再生に乗り出した。これが11年4月のことだった。
 その後の天人閣は東川の観光行政も経営内容をつかみかねる状態が続き、旭川市民からも「天人閣はどうなっている?」という声が上がっていた。経営面では詳細不明の部分が多く、㈱松山温泉となってから「藤田社長を中心に積極的な営業戦略やサービス体制の見直し、拡充を進めることで客足は徐々に回復している」(東京商工リサーチ)との調査報告があったのが唯一の情報だった。
 しかしその年の夏には東川町が集中豪雨に襲われ、天人峡温泉に通じる道路が遮断され、天人閣も道路復旧まで休業を余儀なくされるなど、業績に影響が及ぶ事態となり、また東日本大震災で観光客の減少も重なり、かつての好調時にはほど遠い状況が続いていた。

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永山一番通歩道にバリケードの怪

 旭川市内の市道「永山一番通」の歩道に市がバリケードを設置し、歩行者や自転車の通行を妨げている場所がある。工事中というわけでもないのに、なぜ歩道の大半をふさぐ姿でバリケードが置かれているのか。奇妙な光景と映るそこには、10年計画の都市計画事業に伴う、地権者との用地買収交渉にまつわる複雑な事情があった。

個人情報がからむことなので…
 永山一番通(通称永山一番線)は、そのうちの約2・7㌔区間が「せせらぎ公園」として整備されているため「永山せせらぎ通り」とも呼ばれている。その沿線にある永山7条10丁目のクリニックの玄関前に、市が6基のバリケードを設置したのは今年の雪解けの頃だった。
 写真のように、歩道幅の4分の3ほどが通行止めになっており、人や自転車は、狭くなった幅1㍍ほどの歩道をすり抜けなければならない状況にある。通行量はさほど多くはないが、いかにも不便そうで景観上も違和感は避けられない。
 さらに写真を見ると分かるように、この歩道上にはクリニックの建物の玄関につながるスロープとガレージ(自転車置き場)がせり出している。これが歩道上の障害物となっており、バリケードにはその存在を知らせ通行者に注意を促す意味があるようだ。
 いったいなぜ、このようなことになっているのか。旭川市土木部の道路管理課へ問い合わせると、時間をおいて用地課から連絡があり、「(バリケードを置いているのは)まだ地主との移転交渉が完了しておらず、安全性を考えてのこと」という説明。
 記者が「歩道整備事業は終了しているのに、なぜそこだけ交渉が遅れているのか、その経緯を聞きたい」と言うと「個人情報が絡むことなので話せない」との返答。

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