石垣電材進出に旭川電材業界の〝戦々恐々〟

 パナソニックの連結子会社で優良企業の石垣電材㈱(本社・札幌)がこの7月、旭川秋月2の2に営業所を開設した。突然の旭川進出で、旭川市内に3社あるパナソニック代理店の電材卸しだけでなく、シェアを競う東芝、三菱系の代理店も戦々恐々となっている。

突然の進出
 家電メーカーのパナソニック、東芝、三菱は「電材」の分野でもシェア争いを続けている。「電材」とは、電気に関係する材料のことで、身近なところではコンセントや照明器具、スイッチ。さらにはコンセントの裏側、電線、ケーブル類やそれを保護する管、配電盤、アンテナ、太陽光パネルなどなど幅広い。
 旭川には電材卸しが6社あって、それぞれパナソニックか東芝、三菱のいずれかの代理店となって電気工事業者に資材を販売している。
 6社ともに業績は安定し堅実経営を続けているが、そこに今夏、札幌の有力卸しが〝参入〟してきた。札幌市中央区北6西13に本社を置く石垣電材㈱で、滝川にあった営業所を閉めて7月2日に旭川市秋月に旭川営業所を開設したのだ。地元旭川の〝電材業界〟にとっては予期せぬ道内大手の進出だった。
 電材業界関係者によると「旭川市内にはパナソニックの代理店となっている電材卸しが3社ある。今年5月1日に石垣電材の社長と取締役営業部長が連れだってこの3社をまわり、その時の話で旭川営業所開設が明らかになった」という。石垣電材進出のウワサは事前になく、旭川の電材業界にとっては〝寝耳に水〟だった。

空知エリア限定
 関係者に聞いた話を総合すると、石垣電材の社長と取締役営業部長はパナソニック代理店3社に次のような話をしたようである。
 「滝川営業所が入っている建物が改修されることになり、転居を迫られた。滝川市内や深川市内で移転先を探したが、営業所立地に適した賃貸物件がなかった。そうした事情から滝川営業所を閉鎖し旭川への営業所開設となった。旭川に営業所を移したが、営業活動は、これまでに引き続き空知エリアの顧客であり、営業所の人員も増やす考えはない」。既存の旭川の市場は荒さないという、紳士的な説明だったといわれる。
 滝川営業所の家主は末廣屋電機㈱で、年間売上額29億円を超える空知エリアの有力企業。もともとはパナソニックの代理店として電材卸しも行っていたが数年前に電材卸しから撤退し、石垣電材がその分野を引き継いで滝川に営業所を開設したという経緯。
 滝川営業所が入っていた末廣屋電機の建物は耐震問題で改修が必要になり、退去を申し出られたのは事実のようである。しかし、人口減が続いているとはいえ、滝川市は4万人が住む市であり、移転先に適した賃貸物件がなかったというのはにわかには信じられない話である。空知エリアを管轄とする滝川営業所機能を旭川に移し、営業活動はこれまでの範囲にとどめるというのも、すんなりとは受け止められない説明である。旭川から滝川や深川へ打ち合わせのたびに行き来するのでは時間も経費も大きなロスになる。

全道制覇の一環 
 石垣電材は、札幌に本社と物流センターを構えるほか、函館に支店を開設し、小樽と釧路、室蘭などに営業所を置く。その地区のパナソニック代理店の経営不振、あるいは電材卸し部門からの撤退などのたびに取引先を引き継ぎ小樽、釧路などへ出先を開設してきた。 同社の年間売上高は150億円を超えるが、順次全道展開を推し進めて売上高を伸ばしてきたわけだ。
 〝未進出地〟は、旭川、帯広、北見エリアで、その未進出地の一つである旭川エリアへの旭川営業所開設は全道制覇の一環ということになる。旭川の後は北見、そして帯広。そうなれば全道制覇は完了する。
 旭川地区の〝電材市場〟では、東芝が優位で、パナソニックは東芝の後塵を拝する格好。「営業活動を空知エリアに限るとしているが、それは開設当初の話で、やがては、旭川市内だけでなく士別、名寄、富良野と道北一円に営業攻勢をかけるのは間違いない。第一の目標に掲げているのはシェアを拡大しトップとなることで、東芝や三菱系の代理店との競争が激化する」(電材業界関係者)。

パナ同士の競合も
 さらに「旭川エリアで営業攻勢をかければ身内である3社のパナソニック代理店ともバッティングするのは避けられないが、パナ代理店との競合も厭わないだろう」とも付け加える。ライバル関係にある電材卸しだけでなく〝身内〟の電材卸しも加わったガチンコ勝負となると見るのだ。 
 電材業界にとっての今年の大規模事業は旭川市発注の武道館などで、相変わらず公共工事が主体で、民間の建築工事は少ない。最近の民間建築工事で大きかったのはケーズデンキやホーマックだったが、建築本体受注が市外大手ということで付帯する電気設備工事も市外業者。電材も札幌の業者が納品し、旭川の電材卸しに恩恵はなかった。
 石垣電材はパナソニックが97・8%の株式を所有するパナの連結子会社であり、直系の電材卸し。前述したように売上高は150億円を超え、市内の電材卸し6社を合わせたほどの企業規模を誇る。石垣電材進出で始まる競争は、地元資本の6社にとって厳しいものになりそうだ。

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この記事は月刊北海道経済2018年10月号に掲載されています。

全日空の産みの親、中野勝義物語

 1945年8月。第二次世界大戦の終結から程なくして、旧大日本飛行協会(東京・芝田村町)跡の瓦礫の山にたたずむ一人の男がいた。旭川市(東旭川村)出身で〝空に生き、空に殉じた男〟中野勝義(写真)。後に全日空の前身となる日本ヘリコプター輸送㈱を、美土路昌一(全日空初代社長)とともに設立した民間航空の先駆者だ。「ケタ外れの社員」と美土路に呼ばしめた、その破天荒な偉人が刻んだ足跡は多彩なエピソードに彩られている。(敬称略)

東高でのあだ名は「村長」
 東旭川村で1904(明治37)年に屯田兵の三男として生まれた中野は、旧旭川尋常高等小学校時代から優秀な成績で、愛情と正義感が強く特異な存在だった。良くも悪くもボス的な存在で、周囲が彼を自然に持ち上げた。その行動は教師らの注目の的となり、しばしば話題にのぼった。
 学校の児童劇では楠木正成・正行父子の「湊川の別れ」やカチカチ山の童話など、教科書に出てくる内容が主にストーリーとなっていたが、中野はどの劇でも主役に選ばれた。中野と少年時代をともにした加藤精一は、寄稿誌「中野勝義の追憶」(中野勝義追憶録刊行会編)の中で「彼の企画センス、独創的な演出力は、すでにこの頃から芽生えていた。どうしたら見せ場をアピールできるか、セリフや演技には少年らしい頭を使って、場内を沸かせた」と語っている。
 東旭川地区は、中野が少年のころ、水質が悪く鉄分を含み飲料水としてあまり適さなかったため150㍍離れた井戸への水汲みと水運びの仕事が、中野少年の日課になった。成人してからは山葡萄やコクワの実で酒を作る名人となったが、山葡萄やコクワの実に親しんだのも少年時代からだった。
 15歳を過ぎた中野は、「見事な発育ぶりで、腕自慢の彼は、よく級友に力こぶをふくらませて、『米の一俵や二俵かつげなくて男といえるか』と小鼻をふくらませ楽々と俵を持ち上げた」(加藤)。
 旧制旭川中学校(現・旭川東高校)に入学し、付いたあだ名が「村長」。
義に厚く親分肌で、ズボンのポケットに両手を突っ込んで胸をそらし悠々と歩く姿は、村長然としていたようだ。相手を威圧するのではなく、いつも微笑みをたたえていたという。
 後に「空の軍神」と呼ばれる加藤建夫とは同期生だった。シベリヤ事変でいち早く偵察飛行に出征したことでも知られた海軍少佐の赤石久吉が、同校を訪れ、飛行機の話をした際には、とりわけ中野と加藤が熱心に聞き入ったと伝えられる。

「神風号」でロンドンへ
 旭川中学校を卒業すると一時、旭川米飯第一小学校の代用教員となったが、当時ネガティブな内容の歌詞で人気を集めていた流行歌「船頭小唄(枯れすすき)」を教えて辞職を余儀なくされたことは、さすがの中野も苦い経験になったようだ。
 だが、その後、法政大学に進むと、他の大学にはない「航空研究会」を発足させ、時代の最先端を歩むことになる。学生ストライキを組織し暴れん坊ぶりを発揮したり、日本で初めての大学通信教育にも力を尽くした。
 卒業後、朝日新聞社に入ると、社内に「航空部」を創設、民間航空の発展に情熱を燃やす。美土路(全日空初代社長)は、中野について前出の寄稿誌の中で、こう回想する。「入社当時からガラガラ声で、野人そのままの風貌の上に毎日、大酒は飲む、乱酔はする。酔えば必ず先輩に議論を吹っかけ、さらには頭から罵倒するという誠にケタ外れの社員であった」。

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この続きは月刊北海道経済2018年10月号でお読み下さい。

旭川ラーメンの基礎 加藤ラーメンの低加水麺

 醤油味の「旭川ラーメン」は20年以上前から全国区の人気を誇る。それを支えているのが麺の加水率。この率の高い低いで製造コストが変わってくるが、「旭川ラーメン」はあえてコストのかかる低加水率の麺を採用している。この基本を作ったのは旭川の老舗製麺所㈱加藤ラーメン。低加水率麺と同社のこだわりから「旭川ラーメン」の魅力を再発見してみる。

麺の特徴決める粉と加水の比率
 全国のラーメン情報を発信する新横浜ラーメン博物館のホームぺージに掲載されている「旭川ラーメン」の項には次のような説明がある。
 「旭川ラーメンの基本は、加水率の低い縮れ麺に、トンコツと海産物(鯵の煮干し等)で取るスープ。(中略)麺の加水が少ない縮れ麺のため、スープの絡み、吸い込みがよく、麺とスープの一体感が味わえる。(後略)」
 旭川ラーメンの特徴をよく言い得ているが、少し説明を加えると、麺の太さは〝中細〟で、スープは豚骨と海産物の他、鶏ガラや野菜でダシを取ったWスープであるということ。
 旭川ラーメンの研究で知られる旭川大学経済学部の江口尚文教授によれば「W」とは海の素材と陸の素材の2種を使うという意味で、このどちらが欠けていても旭川ラーメンとは言えない。
 さて、旭川ラーメンの基本とされる「加水率の低い縮れ麺」だが、まずはこの加水率についてひも解いてみる。
 加水率とは簡単に言えば小麦粉に加える水の割合。水と言っても塩分を含んだ塩水だが、この量が多ければ多いほど〝水増し〟した生地が作れる。従って、同じ量の小麦粉を使っても加水率の高低によって出来上がる麺の量が変わってくる。
 一般的に加水率が高い麺(40〜50%程度)はツルツル、モチモチ感が強く、食感が柔らかくなる。もともと水分が多いのでスープが絡みにくく、麺がのびにくい。
 逆に加水率の低い麺(20〜30%程度)は水気が少ないので歯ごたえがあり、小麦粉の割合が多いので香りが強くなる。水分が少ないのでスープを吸収しやすくなり、麺がのびやすい。
 どちらも、好き好きだから優劣をつけることは避けるが、低加水率のラーメンの方が小麦粉をたくさん使い、製造コストも高くなることは確かだ。旭川ラーメンはこの低加水率の麺を使って全国区へ羽ばたいた。

70年前に生み出した旭川ラーメンの基礎
 低加水麺が旭川ラーメンの特徴というが、その原点が製麺会社の加藤ラーメン(旭川市4条21丁目右6号、加藤紀社長)にあることは紛れもない事実だ。同社は1947(昭和22)年7月創業。創業時から低加水率の麺を製造、普及させ、現在の「旭川ラーメン」の確立に大きな影響を与えてきた。
 加藤ラーメンの神髄を知りたいと同社を訪ね、低加水麺への執念、麺製造にかける情熱を3代目の加藤社長に聞いた。
 ─加藤の麺は代々、加水率を抑え、小麦の味や香りを大事にしていますね。
 私は3代目なので、正直、昔のことは全然わからないのですが、70年続く昔ながらの製法で作っていて、それは一切変えていません。だから今でも加水率は低い。
 札幌は加水率が36〜38%と高く40%くらいのところもあるようです。低加水の旭川でも一般的には30%か32%くらいでしょうか。うちは29%くらいですからかなり低い。
 小麦粉1袋が25キロで、それに対してかん水を何キロ入れるかで加水率が決まりますが、季節によっても、その日の湿度や温度でよってもかん水の量は変わります。
 朝工場に入ったら、職人の勘でまずミキサーを1回まわして、5分くらい経って粉が花咲くようになったら自分で触り、固さの確認を取りながら水の量を変え、その日の加水率を決めます。
 朝5時に回し始めても7時、8時になるとまた加水率が変わっていく。工場の中も気温が上がっていくので、粉の温度も変わってくる。小麦粉は1袋ずつ15段に積んでいるので、下と上では温度が違うからです。それも計算していかなければならない。だからうちの麺は自分では繊細な麺だと思っています。
 ─低加水率の麺の特徴は?あえてコストのかかる低加水麺にこだわるのはなぜですか。
 加藤 加水率の低い麺は固くて、引っ張ったら切れやすい。品質が一定でなければならないのでロスも多く出る。ロスを翌朝打つ時に使いまわししているところもあるかもしれませんが、うちではすべて廃棄しています。結構な量になります。
加水率を増やすと、延びて麺を多く作ることができますが、痛みやすい。それで防腐剤やアルコールを入れて日持ちするようにしている。加水率の低い麺は何も入っていないので管理が難しい。香りをかいでも小麦粉の香りしかしない。だからうちの麺はスーパーには一切置いていません。スーパーに置けるのはそれなりの添加物が入っているからだと思います。
 添加物を入れた麺は胃に悪いと思います。うちの麺は何も入っていないので消化が速い。どのくらい速いか、自分で食べて後で吐き、消化時間の実験したこともあります。それを何度もやったため入院する羽目になったこともあります。
 加水率を増やすと麺の量が多くなり、重くなります。その点うちの麺は軽い。軽いから同じグラム数でも麺が多いと言われます。
 また、うちの麺は加水率の関係もあり、ひと玉の卸値が他の工場より2円ぐらい高いかもしれません。しかし小麦粉の仕入れ値が高くなっても麺の値段はもう10年以上は上げていません。他では上げているようで、昔はうちより5円安かったところでも、今ではその差は1円あるかないかだと思います。でも、多少高くてもうちの麺に変えたいと言ってきたところもあります。
 ─低加水率と高加水率の麺では、スープとの関係も変わってくるようですね。
 うちの麺を使ったラーメンは、最初に飲んだスープの味が最後まで変わりません。他の麺だとスープがすっぱくなっていることがあります。それは麺の一本一本からアルコールや防腐剤が出ているためです。うちの麺は固くて余分なものが入っていないので、逆にまろやかにおいしくなっているとさえ言われます。
麺はただ作ればいいというものではありません。毎日毎日きちっと作っていけばお客さんも分かってくれる。安い麺、儲かる麺を作ろうとするのは逆発想です。コストがかかってもいいからいい麺をつくる。これが私の信念。「旭川ラーメン」の基礎を作った加藤ラーメンを、代々受け継いできた3代目の使命だと思っています。

かつて、加水率を巡る騒動もあった
 加藤ラーメンの2代目加藤明定氏から「麺は生きものだ。大事に扱え」と教えられた3代目の、麺に対する情熱をたっぷり聞いたが、麺をめぐるラーメン専門店の事情も少し紹介しておく。
 25年以上前、本誌が「旭川ラーメン大賞」を企画し、市内にラーメンブームが到来していた頃、ラーメン店をチェーン展開していた本部企業が、それまで使用していた製麺工場の麺を中止し、自社で新設した製麺工場の麺を使うことにした。
 自社工場を設けた理由は「多様化する消費者ニーズに応えらえる麺を作るため」ということだったが、実際のところは従来の加水率が低くコストのかかる麺をやめ、加水率の高い低コストの麺を作って一杯のラーメンの原価を下げるねらいがあったとされる。
 このため、低加水率の麺こそ旭川ラーメンだと主張する加盟店の半数近くがチェーンを脱退し、従来の製麺工場の麺を使い続けた。分裂したそのチェーンは現在、どちらも健闘を続けているが、これは低加水率が決め手となる旭川ラーメンの特徴をめぐる騒動でもあった。
 麺の加水率は人それぞれ好みが違う。低い加水率こそ麺の神髄と言えるものではないかもしれないが、「旭川ラーメン」が現在のような人気を維持できている理由の一つが「低加水率の麺」にあるとだけは言えるのではないか。

表紙1810
この記事は月刊北海道経済2018年10月号に掲載されています。