道知事選候補に鈴木直道待望論

 高橋はるみ道知事(64)の去就が注目される中、来春の知事選候補として浮上しているのが夕張の〝星〟鈴木直道市長(37)に対する待望論。夕張市とは職員派遣等で旭川市も交流があるが、何より「旭川夕張会」を通じて親交を深めている。同会の中でも期待論は大きいが、その実現性はいかに。

菅官房長官も高く評価
 高橋知事の去就をめぐっては、その後援会で来夏の参院選道選挙区(改選数3)の自民党候補に推薦する動きが表面化。本人は現職の立場上、求心力を維持するため、進退表明はしていないが、自民党道連は、高橋氏や現職の伊達忠一参院議長(79)、岩本剛人道議(53)、中川賢一札幌市議、柿木克弘前道議(50)の5氏を軸に、擁立する2人を絞り込むことになった。高橋氏が周囲に5選不出馬の意向を伝えているとの報道もあるが、5選目の可能性も自民党関係者の間で指摘されている。
 来年は知事選と参院選が12年ぶりに同じ年に実施される。これら2つの選挙事情が複雑に絡み合うことにもなるが、仮に高橋氏が5選不出馬を決めた場合の知事選候補として、自民党内で浮上したのが夕張市長の鈴木氏だった。
 こうした中、鈴木氏が8月20日、自民党道連の吉川貴盛会長が官房長官の菅義偉氏を招いて開催した経済人らの会合で、道内自治体トップとしては秋元克広札幌市長と2人だけ呼ばれてあいさつ。同25日には、道連が将来の政治家養成を目的に開いた「HOKKAIDO政治塾」で講師を務めたため、「擁立に向けた動きではないのか」との憶測が一部の間で広がった。
 実際、吉川道連会長は鈴木氏を「イチオシ」で、菅官房長官は鈴木氏とは法政大2部の先輩・後輩の仲。「ともに〝苦労人〟ということもあり評価している」(自民党関係者)。ただ、「吉川会長が鈴木氏を推しているのは、高橋知事との確執があるためで、辞めさせたいようだ」(同)との穏やかではない見方もある。
 ちなみに、菅氏は幼少のころ、秋田県のイチゴ農家の長男として家事手伝いをしながら過ごした。高校卒業と同時に上京し、段ボール工場で入学資金を貯め、法政大に入学。政治の道を志し、小此木彦三郎氏の下で秘書を11年務めた。1996年衆院選で初当選を果たし、2012年に官房長官に就任して歴代最長在職記録を更新している。縦割りや前例踏襲になりがちな官僚に睨みを利かせる。朝晩100回の腹筋が、激務をこなす秘訣だとか。

道議会は「消極的」とも
 これに対して鈴木氏は、埼玉県生まれ。高校2年の時に両親の離婚により母子家庭で育つ。経済的苦境に陥り家計を助けるため、引越し業者や酒類の卸売センター等で肉体労働を中心に多くのアルバイトを経験。いったん大学進学を断念したものの、東京都庁に入庁する。その後も働きながら法政大の法学部に夜間通い、ボクシング部の主将も務め、地方自治を学んだ。
 そして2008年1月、猪瀬直樹東京都副知事(当時)の発案により〝助っ人〟として派遣されたのが夕張市。市役所での通常業務はもちろん、地域イベントへの協力、さらには住民のために除雪の手伝いも積極的に行った。10年11月には、夕張市長選への出馬を決意して都庁を退職。無所属で出馬して11年4月に4人が立候補した混戦を見事制し、30歳の若さで全国最年少市長に就任している。
 15年4月には無投票再選を果たし、同11月に日本メンズファッション協会が主催する「第44回ベストドレッサー賞」でベストドレッサー賞・政治部門を最年少で受賞。道内初の快挙でもあり、さらに注目を集めた。
 財政破たんから10年。その節目の17年3月には、財政再建と地域再生を両立する新たな財政再生計画を策定。総務大臣の同意を勝ち取り、財政再生団体からの実質的な脱却へ道筋をつけることにつながった。著書には「やらなきゃゼロ!」(岩波ジュニア新書)、「夕張再生市長 課題先進地で見た『人口減少ニッポン』を生き抜くヒント」(講談社)など話題作が多い。
 こうした活躍が際立ち、自民党本部や道連幹部、経済界の中にも鈴木氏を推す声はある。9月下旬には自民党選対委員会(委員長、角谷隆司道議)が、高橋5選を決議する会合を開こうとしたものの、あえなく「吉川道連会長に〝鎮圧〟された」(道連幹部)とみられている。
 一方で「鈴木氏が知事選に出れば、立憲民主の逢坂誠二衆議が立起する可能性が大きい」との見方もあり、自民党道議団からすれば「仮に、知事選に負ければ、12年間厳しい状況になるとして緊張感がある」(某自民党道議)。また、知事部局では「(鈴木氏が)37歳ということで、25人のトップリーダーとしては若すぎるのでは? 経験が不足している」ととらえる関係者もいる。道議会内の雰囲気としても、鈴木氏の知事就任に関しては、「消極的」との見方が多いという。
 夕張市職員労働組合は、鈴木市政2期7年の成長と課題を検証し3選出馬を要請。引き続き市政の舵取り役を鈴木氏に期待している。一方、鈴木氏に知事候補としての思いを抱く吉川道連会長は、10月2日発足した第4次安倍改造内閣に農水相として初入閣。これまで以上に大役を担うことになったが、知事選候補者選びについては「年内が勝負」と作業を急ぐ考え。はたして今後、鈴木氏が持ち前の情熱を注ぐことになるステージは、夕張市政になるのか、道政になるのか予断を許さない。
 旭川夕張会の副会長でもある旭川選出の東国幹道議は、「私の郷里でもある夕張市から知事候補が出るのは当然、歓迎するものの、議員会長として大所から考えながら合意形成を整える立場にあるゆえ慎重さは崩せない」。しかし、「JR石勝線夕張支線に関する廃止提案の決断や、夕張に対しての道内外へのPR等の発信力は大したもの」と評価している。
 鈴木氏とは時々一緒にラーメンをすする間柄でもあるが、そんな東道議にさえ鈴木氏は知事選については口を開かない。政治家の出処進退というのはそれだけデリケートな要素を多分に含むが、「旭川市とは職員派遣や旭川夕張会でもお世話になっており、これからも共に歩んでいきたい」。
 鈴木氏は東道議を通じて、本誌にこう語ってくれた。

表紙1811
この記事は月刊北海道経済2018年11月号に掲載されています。

旭川の個人所得は「中の下」

旭川市から東西南北にクルマを走らせれば、どの方向にも「田舎」が広がる。しかしその地域は、旭川市よりリッチかもしれない。統計を見る限り、上川でも道北でも道内でも、個人の平均所得がもっと多い自治体はいくらでもある。旭川市の順位の長期的な下落傾向も気になるところだ。

ついに全国3位
 「北海道第2の都市」は、旭川のキャッチフレーズの一つ。札幌との格差は拡大する一方だが、函館、釧路などの主要都市も苦戦していることから、2番目の地位は当面安泰。道北では文句なしに最大の都市だ。
 上川、留萌、宗谷管内、そして「道東」に組み込まれる網走管内を合わせた広大なエリアの中で、人口規模を比較すれば旭川市が34万211人でダントツの1位。北見市は11万8787人で、10万人台以上はこの2都市だけ。網走は3万6322人、稚内は3万4834人、名寄市、富良野市、紋別市、留萌市はいずれも2万人台であり、旭川市がこの地域ではガリバー的な存在であることがわかる(いずれも住民基本台帳、2018年1月時点)。
 しかし、それはあくまでも人口規模を比較したときの話。「1人あたり」をキーワードにすれば、まったく別の状況が見えてくる。
 総務省が毎年まとめている「平均課税対象所得」というデータがある。各個人の市町村民税の所得割の課税対象となった前年の所得金額を、課税対象者の人数で割った金額だ。この数字から、自治体別でみた収入の多寡が浮き彫りになってくる(東京都は23区の数字が個別で算出されており、他の地域は市町村別)。
 2017年版のデータによれば、全国1741自治体のなかで1位は東京都港区で、その額1115万円超。白金、六本木、麻布、赤坂、虎ノ門といった地域に高級マンション、豪邸、オフィスビル、繁華街が並ぶ港区なら、唯一の1000万円超えも意外ではない。2位は同じく東京都の千代田区で944万円余り。こちらも順当と言えるだろう。
 3位に入ったのは北海道宗谷管内の猿払村。その額は813万円以上で、東京都渋谷区、東京都中央区、兵庫県芦屋市、東京都文京区など、全国の著名な「金持ち自治体」を上回った。注目すべきは猿払村の近年の順位だ。2010年の76位から翌11年に18位へと急上昇。11位、25位、14年に5位に入り、翌15年に3位、一昨年は4位となったものの、1ケタ台には定着していた。17年の千代田区との差は130万円余り。今後猿払村が千代田区を抜く可能性もありそうだ。
 なぜ猿払村はこれほど経済が強いのか。全国最大の水揚げ高を誇る天然ホタテ漁が最大の強みだ。水揚げされたホタテの加工業も盛ん。本誌では数年前、猿払の海に面した高級住宅を取材したことがある。30代の若手漁師が建てたばかりの豪邸は建築費数千万円で、リビングは16帖。ダイニングキッチンは18帖で、天井の高さは4㍍だった。他にも猿払村の漁港に近いエリアには高級住宅が並んでいた。「潮風で外壁が侵食されやすいことから、10年も経たないうちに高級住宅を建て替えることも珍しくない」というエピソードが、この地域の経済力を物語る。
 猿払村を支える二大産業はホタテ漁と酪農。ランキングを見れば、畑作や酪農が主力の町や村がいくつも上位に食い込んでおり、猿払村は二枚看板を持っていると言えるだろう。
 道内2位、全国15位の遠軽町は海がなく、広大な牧草地が広がっているわけではないが、なぜ平均所得が多いのか。ある町民は強さの理由として渡辺組など有力な建設会社が複数あることを挙げる。ヤマハと取引している北見木材はピアノ業界ではよく知られた存在。ほかにも、自衛隊の基地の存在、そして旭川や北見から一定の距離があることから、消費が町内で完結することなどが影響しているようだ。

音威子府より下
 ひるがえって旭川市はどうか。2017年のランキングで旭川市は全国1741自治体の中で887位。ほぼ中間に位置しているものの、下から数えたほうが早い。道内179自治体のなかでも114位と、やはり「中の下」。道内ランキングの上位は軒並み漁業と酪農・畑作の強い町が独占している。上川管内では「北海道で一番小さな村」音威子府が24位(全国341位)に入ったのが最高だった。音威子府の人口は771人。旭川市の400分の1にも満たないが、1人あたりの平均所得では旭川市を上回っているのが現実だ。
 道内主要都市のランキングに注目すれば、札幌市は道内28位(全国372位)、帯広市は64位(570位)、室蘭市は76位(668位)、苫小牧市は84位(698位)、北見市は87位(722位)、函館市は104位(857位)で旭川市よりも上。旭川市を下回ったのは釧路市、岩見沢市、小樽市などだ。ランキングの下位は赤平市、芦別市、三笠市、夕張市、歌志内市といった旧産炭地によって占められている。
 道内のランキングの上位30自治体に入った「市」は、札幌市だけだった。猿払村をはじめ、真狩村、神恵内村、音威子府村、鶴居村などが上位30自治体に入るなど健闘が目立つ。村のほうが儲かるというよりも、十分な所得、税収がある村は周辺自治体との合併という道を選ぶ必要がないということだろう。
 都市部は先天的に不利な要素を抱えている。低所得者層は町村部では仕事を見つけにくく、パート仕事が比較的多い大都市部に流れる傾向が強いためだ。町村部での職探しが厳しくなるほど、都市部の平均所得を押し下げる役割を果たすことになる。

稲作より畑作・酪農
 ランキング上位に注目すれば、高収入の自治体に共通する特徴は「漁業、酪農、畑作」だ。とくに漁業は漁船だけでなく、魚の加工業、船舶、港湾設備の土木工事など幅広い裾野を持つ。「200カイリ前はもっと儲かった」と、昭和の留萌・宗谷・網走地方を知る経済人は振り返るが、漁業を主力産業とする地域は依然として強い。一方、農業については稲作が主力の地域の弱さが顕著だ。 旭川市近郊の自治体では、東神楽町の66位(580位)が最高、これに鷹栖町の97位(815位)、美瑛町の109位(871位)が続いている。比布、東川、愛別、当麻、上川の各町はいずれも旭川市を下回っている。
 気になるのは旭川の順位の低落傾向だ。1977年以降、5年ごとの数字に注目すれば、77年は436位、82年には420位だったものが、87年から順位を大きく下げ、92年818位、2002年861位、07年901位と低迷が続く。17年の887位という数字は一時よりも若干巻き返したといえる数字だが、それでも70~80年代には遠く及ばない。

巻き返し可能か?
 本誌は昨年10月号で、旭川地区(旭川中、旭川東の両税務署の担当エリア)の法人所得総額が2015年度、苫小牧地区に抜かれて道内5位に転落したと伝えた。上位4地区は札幌、帯広、函館、苫小牧。旭川地区はこれらの地区に、企業1社あたりの法人所得でも大きく差を付けられており、企業の収益で旭川が劣勢にあるのは明らか。本稿で示した課税所得データは、個人の懐事情についても同様の状況が発生していることを示している。
 全国でも道内でも「中の下」という旭川市民の所得の状況や、全国順位の下落傾向を見る限り、何らかの対策が必要となっていることは明らか。11月に行われる旭川市長選で、地域経済の巻き返し策が争点の一つとなり、候補者の間で真剣な議論が繰り広げられるかどうかに注目したい。

表紙1811
この記事は月刊北海道経済2018年11月号に掲載されています。

歴代旭川市長選を読み解く記事回想

 本誌「月刊北海道経済」は1966(昭和41)年11月に「月刊道北経済」として創刊号を発行した。現誌名に改題したのは1974(昭和49)年。創刊以来、政治・経済・文化と幅広い分野に及ぶ誌面づくりを行ってきたが、中でも「旭川市長選」の話題は、選挙戦を分かりやすく市民に伝えるものとして様々な反響を呼んできた。来月の600号発行にあたり、これまでの100号単位の区切りの誌面から「市長選ネタ」を拾い出し、来たる11月11日投開票の旭川市長選を読み解く参考としてもらえば幸いである。

100号-1977年4月号 革新市政16年の停滞吹っ飛ばせ
 記念すべき節目となった100号では、翌年11月に控えた旭川市長選に向けた話題の一つとして、自民党の道議会議員だった藤井猛氏が、それまで前例のなかった1万円という高額の会費でパーティーを開いたことを掲載している。このパーティーは今で言う政経パーティーなのだが、案内状では「事務所新築披露」をうたい、市内川端町4条9丁目に住宅兼用の事務所が完成したことを祝うという趣旨のものだった。
 集まったのは旭川政財界のそうそうたる顔ぶれの約650人。ニュー北海ホテルの一番広い凌雲の間が人いきれでムンムンする熱気だった。
 当時は、五十嵐広三氏からバトンを引き継いだ松本勇氏の革新市政で、連敗続きの自民党が松本氏の2期目の選挙に誰をぶつけるか、暗中模索の状態だった。記事ではこうした事情を踏まえたうえで次のような記述がみられる。
 「自民党道連の幹部クラスの間では『旭川は革新市長だが、これでよいのか。藤井君が立起し保守市政の座を確保する時期がきているのではないか』といったことがしばしば話題になっていると伝えられることから、政治関係者の間では『今回のパーティーは次期市長選出馬への反応打診ではないか』と勘ぐるスジも多い」
 記事では、藤井氏はこの点については「ノーコメント」であることも伝えているが、最後は次のように結んでいる。
 「何はともあれ、松本勇現市長の再出馬は決定的で、すでに後援会活動を展開している。一方自民党は保守市政奪還を叫びながらも、候補には小柳勝人市議会議長、森山元一病院長はじめ数人の名前が挙がっているものの、今なお決定打が出ていない矢先の華やかなパーティーだっただけに、自由な意見が飛び交っている」
 結局、この時の市長選は保守系の候補者選びがギリギリまでずれ込み、最終的には森山元一氏のひと声で、市議会副議長を務め、第10代市長・坂東幸太郎氏の息子でもある坂東徹(敬生園園長)が擁立されることになり、大方の予想を裏切り坂東氏が約4400票差で競り勝ち、奇跡の大逆転と言われた。
 100号に見る藤井氏のパーティー記事は、この頃の自民党の市長候補選びの混迷ぶりを物語るものとして興味深い。

200号-1985年8月号 敵に塩を送った旭川の保守陣営
 創刊19年目にあたる200号では、翌年11月の旭川市長選でV3を目指す保守陣営が受けた強烈な先制パンチの話題を取り上げている。
 100号発行時点からすでに8年以上が経っていたが、この時点での旭川市長は2期目の坂東徹氏。翌年に控える選挙では3期目への挑戦が当然視されていた。そんな時に、革新道政の旗手だった横路孝弘知事が旭川で政経パーティーを開き、2000人以上が集まった会場には旭川の経済界をはじめとする各界の大物がズラリ顔を見せたのである。
 このパーティーは道内初の政党政派を超えた政経パーティーとして早くから注目されていたが、発起人の中には明らかに保守系と見られる人たちも多く含まれ、あたかも旭川の保守全体が革新の横路知事に飲み込まれた格好だった。
 本誌は、「横路パーティーの大成功に焦りを見せる旭川保守陣営」とのタイトルで、政治家や経済人の誰が出席して誰が欠席したかを詳しく報じ、当日の会場の雰囲気もつぶさに伝えた。そして4ページに及ぶ記事は次のように結ばれている。
 「横路知事を励ます会は、旭川の革新陣営にとって確実に成功をおさめた。パーティー券の売り上げが1750万円にもなり、選挙資金の確保に実りがあったこともさることながら、保守陣営の大物を数人、発起人に加えたことが大きい。
(中略)
 端的に言えば旭川の保守陣営は敵に塩を送るようなことをしたわけであり、それが次の市長、道議、衆議などの各級選挙戦にどのような影響として現れるか。軽率な予測はできないが、何らかの弊害が出てくることは想像に難くない」
 結局、保守陣営にとっては心配や不安も徒労に終わり、翌年の市長選では坂東氏が、革新の星と言われた大敵・佐々木秀典氏を大差で退け3選を果たした。

300号-1993年12月号 市長選出馬前提の自民党支部長続投
 この号では「自民党旭川支部長の続投決めた(市長候補)菅原功一の注目される今後」という見出しの記事が3ページにわたって載っている。
 書き出しは「市長選、道議選、衆院選など各種選挙が微妙に絡み合って難航していた自民党旭川支部の支部長人事が、菅原功一氏(道議)の留任によって決着した。任期は再来年の3月末まで。これによって『自民党の看板が負担になり、菅原氏の市長選出馬はなくなった?』という見方もあるが、本人は『あくまでも来年5月までの続投』と話し、市長選出馬が視界から外れていないことを強調している」
 この当時は、次回の衆院選から選挙区制度が中選挙区から小選挙区比例代表制に変わることになっており、衆院選の候補予定者が支部長に就くための準備が進められていた。しかし自民党には今津寛、金田英行、上草義輝の3人がいたため、先を見越した支部長選びが難航していた。
 そこで、旭川支部長を1期(2年)務めていた菅原氏に続投を求める動きが出てきたのだが、このころ菅原氏は翌年11月の市長選を密かにねらっていたこともあり、市民党で戦う市長選に〝自民党〟の看板は邪魔になるとして、支部長続投には二の足を踏んでいた。やむなく引き受けることになった時点で『あくまでも来年5月までの続投』と周囲にくぎを刺したのはそのためだった。
 そして実際に菅原は翌年5月には支部長を辞任し、9月には革新系からも保守系からも市長候補の決定打を出せぬ状況を尻目に、市長選への出馬を決めた。結果その時の市長選は、保守分裂を覚悟のうえで助役の波岸裕光氏を担ぎ出し、さらに菅原、波岸両氏の立起に何の方針も立てられなかった社会党の姿を見て、市議の高原一記氏が革新候補として立起し、共産党の遠藤英徳氏を含めた4人による熾烈な選挙戦となったのである。
 旭川市長選の歴史に残る4人出馬の選挙戦は、本誌が菅原氏の自民党支部長続投を報じた1年前からすでに動き始めていたわけである。

400号-2002年4月号 市民アンケートで現職否定派が49%
 300号では市長選始まって以来の4人立起を報じたが、それから100号を発行する間に、菅原功一氏が2選を果たし、8ヵ月後には3選を目指して立起することが確実な情勢を迎えていた。
 本誌では独自の市民アンケート調査を行い、菅原市政7年間の評価や次期市長選への期待感などを聞いた。質問には「市長が交代することを望みますか」という項目もあったが、これについては49%が「適任者がいれば交代を望む」とし、26%が「交代を望む」と強い不満を示していた。
 菅原氏、波岸氏と自民党が分裂した7年前の選挙で保守亜流の菅原氏が勝ち上がり、その4年後の選挙では、自民・民主・公明による保革相乗り態勢が組まれ、強力な対抗馬も現れず菅原氏の信任投票のような選挙で2選を果たしていた。
 この間、菅原氏は自身の政治資金問題、市役所内のエコ・スポーツパーク疑惑、不退転の決意で臨んだものの頓挫した新信組設立構想、ずさん過ぎた江丹別ごみ処理場問題など一連のトラブルで、オール与党に近い体制を築いていながら決して順風満帆ではなかった。
 しかし、次期市長選へ向けての有力な対抗馬は現れず、本誌では「今のところ具体的市長候補の名前はゼロ。一部には、いたずらに名前を羅列しただけの報道も見られるが、世論を築くほどのものにはなっていない」と報じている。
 そして「市長選挙は、戦いが熾烈であればあるほどしこりが残り、街の発展を阻害するという意見もあるだろうが、選挙はまちに活力をもたらし、新しい風土と人材を生む。くれぐれも無競争、あるいは無競争同然の選挙にだけはしたくない」と結んでいる。
 そうした空気が実際の行動につながったのが、道議1期目だった東国幹氏の挑戦だった。当時34歳の若い東氏を担いだのは、保守系の若手グループだった。東氏は自民党籍を持つ道議だったが、自民党には相談らしい相談もなく一人で立ち上がったため、菅原氏3選に協力的な姿勢を見せていた自民党も困惑を隠せなかった。
 当時の今津寛自民党支部長は菅原・東両選挙事務所の出陣式に顔を出し、保守市政の資金団体だった希望都市21世紀市民の会の髙丸修会長(旭川商工会議所会頭)は〝さわらぬ神にたたりなし〟と、どちらの陣営にも関わらなかった。
 結果は稀に見る大接戦で、なんと227票差という市長選始まって以来の僅差で菅原氏が競り勝った。それから16年後の今回の市長選は、誰も出ないなら自分が出ると保守系若手グループの後押しを受けて立起を決めた今津寛介氏の姿と、当時の東氏の姿が重なって見える部分もある。

500号-2010年8月号 安住氏の再出馬でまたもや保守分裂
 西川氏が3選を目指す市長選まで残り5ヵ月のこの号では、前回の市長選に出馬するため自民党を離脱し無所属になっていた安住太伸氏が、再挑戦を視野に渡辺喜美氏の「みんなの党」から推薦を受けたことを報じた。安住氏は4年前の市長選初挑戦で敗れた後、翌年春には旭川市議に返り咲いていたが、「最大の目標は市長になること」と公言していた通り、5ヵ月前には市議を辞職し市長選の準備に入るなど、西川市長への挑戦を諦めなかった。
 この年の6月18日、安住氏は後援会事務所で開いた記者会見で「みんなの党の推薦はありがたく受けるが、いろいろな政党も含めた市民の代表を目指す立場から党籍を持つことは考えていない」と語っていた。
 選挙戦は当初、民間サイドが担ぎ出しを図ろうとしていた元旭山動物園園長の小菅正夫氏が強い意欲を見せながらも、なぜか急に出馬を取りやめる事態となり、候補見送りはメンツにかかわる問題とする自民党が告示1ヵ月前に党の役員でもあった経済人の佐々木通彦の擁立にこぎつけ、結局、西川氏、安住氏、佐々木氏の3人による選挙戦となり、保守票の2分化もあって盤石の西川氏が悠々と2選を果たした。
 みんなの党の党籍は持たないとしていた安住氏だったが、その3年後の参院選北海道選挙区にみんなの党公認で出馬し、落選はしたものの26万票以上集める健闘ぶりをみせ、その後は道議選に鞍替えし、保守新勢力を築きつつある。

いよいよ次号は600号
 さて、いよいよ次号は通巻600号。市長選の投開票が11月11日のため本誌の印刷日12日に合わせるためには制作時間がなく、選挙結果の詳報を載せるのは難しい。
 現在の情勢は立憲民主党と国民民主党の推薦を受けた西川氏が4選を目指し、自民党、新党大地の推薦を受けた今津寛介氏が挑む一騎打ちの構図。
 本誌が創刊した1966(昭和41)年11月は五十嵐広三市長の革新市政1期目の時代。その後2度の選挙戦を制し、それから松本勇氏、坂東徹氏、菅原功一氏、西川将人氏と5人の市長が誕生しているが、本誌はそのつど市長選と深い関わりをもって市民に様々な情報を発信し続けてきた。
 今号では100号の区切りごとに、その時点での市長選情報を紹介してきたが、それぞれを回想することで今回の市長選を読み解くヒントが得られたのではないかと思う。今後も本誌のご愛読をお願い致します。

表紙1811
この記事は月刊北海道経済2018年11月号に掲載されています。