近文国立療養所跡地の再開発構想

旭川市近文町25丁目にある国立療養所跡地(8281坪)の再開発構想がようやく現実化しようとしている。旭川市が3年ほど前に計画し、現在は停滞している地域コミュニティーセンター(コミセン)建設を進めるために、プロポーザル方式の公募を行い土地をいったん民間業者へ売却してコミセンをリースバックする形で市が賃借し、残りを宅地分譲するといった内容だ。

広大な土地
 2015年、旭川市はこの地に地域コミセンを建設する計画を立てたが、広大な土地のため残りをどのように活用するのか迷った挙句、計画を放置したままにしていた。ところが18年11月ごろ、旭川市内のあるデベロッパーから、地域コミセン建設に使用する以外の土地(約8000坪)を宅地分譲に充てる案が市に提示された。市としても地域コミセン建設を掲げてから3年もの月日が経過し、その間前進がなかったことから、この提案を有効な手段と判断して協議を進めている。

旭川新道方向から見た国立療養所跡地
 たたし、いくら計画が遅れているとはいえ、市有地である上に、これだけ広大な土地を任意で売却することはできない。そのため、協議が進む中でプロポーザル型の公募を近々、実施する可能性がある。
 国立療養所跡地は、敷地面積が2万7328・7平方㍍(8281坪)と広大で、スタルヒン球場の約2万5000平方㍍よりも広い。1938年、市立旭川療養所が設置され、50年に結核専門機関の国立療養所(国療)となった。その後、国療が市内花咲町にある国立道北病院(現旭川医療センター)に統合され移転したため、77年には同病院の筋ジストロフィー病棟「近文荘」となり、89年9月まで利用された。しかし、近文荘も花咲町の同病院に統合され、94年3月には建物も解体され現在に至っている。
 旭川市は2003年、旭川市土地開発公社を通じて国から約2億2000万円でこの土地を取得した。13年11月、同公社が解散したため市が買い戻した経緯がある。その後、旭川市教育委員会が埋蔵文化財の試掘調査を行ったが、市は廃棄物などの埋蔵物がないかの調査は行っていない。
 市は一時、この場所でアイヌ文化の伝承館や総合的なアイヌ研究推進センターなどの施設計画を考えていたが実現には至らなかった。そうこうしているうちに、公共遊休地として冬季間、雪堆積場に使われるだけで実質使い道がない状況が続いていた。雪堆積場は12月から翌年の6月辺りまで使用されるため、近くの住民の間で「他の地区より地表の温度が低く家庭菜園に悪影響があるのではないか」などという声もあった。

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現地ルポ 富良野が第2のニセコに?

 数年前から富良野市の一部地区の地価が高騰している。富良野スキー場の麓、北の峰町が不動産投資の舞台で、中国人を筆頭に海外の投資家が殺到して土地の買収が加速している。今では坪あたり10万円はするという高騰ぶりだ。道内では、ニセコ地区が10年ほど前から海外の投資家の手で土地が買い漁られ坪100万円を超えるフィーバー振りだが、富良野も〝第二のニセコ〟になるのではないかと不動産業者の間で注目を浴びている。

ニセコの次はフラノ?
 十数年前、道内で人気のスキー場の一つに過ぎなかったニセコ地区は、海外の投資家の手で土地が買い漁られ、今や坪当たり100万円を超える高値で売買が行われている。札幌のある不動産業者は「ニセコ地区の中心部にある倶知安町比羅夫(ヒラフ)では、坪当たり140万円の値がついているところもある」と説明する。
 ここ数年は、海外の富裕層向けに毎年のようにホテルやリゾートマンション、コンドミニアムなどが建設され、あまりの混雑振りに道路を拡幅しなければならない事態に陥っている。その道路拡幅も、土地が高騰しているためなかなか進まないようで、地元民は急激な変貌に戸惑いを隠せないようだ。
 やや飽和状態とも思えるニセコ地区のバブル景気だが、同地区と同じく道内でも有数のスキーリゾート地、富良野に今、海外投資家の熱い視線が集まっている。その兆しが見えたのは5年ほど前。記者は当時、札幌のあるデベロッパーから北の峰町の富良野プリンスホテル近くで、オーストラリア人が約3000坪の土地を購入したという情報を得て現地を取材したことがある。
 地元のある不動産業者は記者の取材に、「その情報は正しいが、すぐに何か建設するといった話は聞いていない」と説明した。この業者は当時、北の峰町で戸建て住宅規模のペンションやコテージを中国人の投資から数件依頼されていた。その程度の規模であれば、観光地として世界的にも有名な富良野だけにたいして驚かなかったが、2017年ごろから大規模な土地の買収の動きが加速していた。

市営公園を挟んだ大規模開発
 富良野方面の情報にも詳しい旭川市内のデベロッパーから北の峰町の情報が寄せられたのは18年10月。「北の峰町から山部へ抜ける道道沿いで、市営の朝日ヶ丘総合都市公園と道路を挟んだ北側の斜面に整地されたところがある。面積は5000坪以上あり、中を走る道路も2本できている」という。
 早速現地に足を運んでみたが、デベロッパーが言った通り、敷地内に2本の道路が入り、富良野プリンスホテルに向かって段々畑状に整地が完了していた。
 土地の境界がはっきりしないため、土地の登記を取るのに手間取り、噂にある「中国人の投資家が買収した」という根拠は探れなかった。ただし、旭川市のデベロッパーらの話をまとめると、「中国資本の手で土地を買収し、中国の富裕層向けにコンドミニアムを建設する。戸数はわからないがほぼ予約済みという話だ」と語る。
 中国人同士の契約となれば、ほとんど情報は伝わってこないが、旭川の別の不動産業者は「噂が先行している。まだ手付かずの状態のはずだが…」と首を傾げる。とはいっても、雑種地だった土地がこれだけきれいに整地されていれば、雪解け以降に建物が建築されてもおかしくはない。

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さようなら「堂前宝くじ店」

 高額の当たりくじが出ることで知られる「堂前宝くじ店」が19年3月に閉店することが決まり、旭川市民の間で驚きが広がっている。幸運の女神・輝子さん(89)を中心に家族で仲良く経営していた堂前一家、名物売場に一体何が起きたのだろうか。

名物売場
 「この度、当店は平成31年3月を以ちまして閉店とすることになりました。長年のご愛顧大変ありがとうございました 堂前宝くじ店」
 短い文章が書かれた白い看板が堂前宝くじ店の店頭に掲げられたのは11月下旬のこと。看板は売場窓口の近くに控えめにひっそりと掲げられていたため、よもや閉店の知らせだと気づく人はそう多くはなかった。年末の挨拶に訪れた記者も実は看板に気付かず、長男・聡さん(67)の妻、星子さんから閉店することを知らされた時には驚きを隠せなかった。
 堂前宝くじ店は、旭川市民なら知らない人はいない有名店だ。高額当たりくじの全国ランキングで13位にランクインしたことがある名店で、市内だけではなく道内各地から宝くじファンが足を運び、観光バスで日帰りでのツアーが組まれるなど、ちょっとした観光スポットにもなっている。
 昭和26年にたばこ組合の勧めでわずか30枚の宝くじを販売した小さなたばこ店が、2年目にして1等くじ100万円を出したことが、堂前伝説の始まり。「高額のくじがよく当たる」 と、その名は一気に広がった。

7億円の当たりくじ
 当時はコーヒー1杯が30円でラーメン1杯35円。国家公務員の大卒初任給が7650円という時代。100万円がいかに大金であるかは想像に難くない。
 第2期高度成長期を迎えた昭和40年代になると一攫千金を夢見て宝くじ人気が一段と高まり、同店には長蛇の列ができるようになった。人気がピークを迎えたのは同51年。本州では宝くじを買い求める人が売場に殺到して死者が出るほどの騒ぎとなり、同店でも発売初日には早朝から約5000人という長蛇の列ができ、年末の風物詩となった。
 この頃から毎年のように1等くじを出し続けるようになり、旭川や道内のみならず全国にもその名が知られるようになった。その〝戦績〟は実に見事。左の表は平成以降の1億円以上の当選実績を記したものだが、平成10年と16年の2カ年を除き、2年から21年まで毎年1億円以上の高額くじを出し続けてきたのだから驚きだ。26年には1等と前後賞合わせて7億円の当たりくじを出すという奇跡ともいえる快挙を成し遂げた。
 同店は家族経営で、宝くじファンから〝幸運の女神〟と呼ばれている堂前輝子さん(89)をはじめ、平成30年3月に亡くなった輝子さんの夫の嗣延さん(享年94)、長男の聡さん(67)と妻の星子さん、長女のみゆきさんが仲良く経営をしてきた。
 市民からは「堂前さん」と呼ばれて親しまれ、高額当選が出ると常連客はまるで自分のことのように祝福。当たりくじが出ない年もあったが、そんな時には多くの市民が「今度は出るから大丈夫」と声をかけて励ました。
 ここ3年は高額の当たりくじは出ていないものの、もちろん今も人気は健在。大安ともなると長い行列ができ、観光バスに乗って宝くじファンが訪れる。

感謝の気持ちで一杯
 そんな人気店がどうして急に閉店することになったのだろうか。
 実は閉店の計画は数年前からあったそうで、宝くじ販売の仕事を実務面で支えてきた嗣延さんの体調が優れず平成30年3月に亡くなったこともあり、家族で相談して店を閉じることにしたという。
 長女のみゆきさんは次のように話す。「両親が高齢になり、数年前からは兄夫婦と私の3人で仕事をしてきましたが、相当しんどいものでした。みずほ銀行から箱詰めで送られてくる宝くじを手作業でバラと連番に分ける作業は20日間かかり、年末ジャンボともなると準備期間も入れると1カ月以上、一日も休みが取れないほどです。
 私たち兄弟もだんだんと年齢があがり、後継者がいないこともあり、思い切って平成の終わりとともに店を閉じることに決めました。閉店を知ったお客様からお声をかけて頂いたり、中にはお手紙を下さる方もいます」。
 輝子さんは耳が少し遠くなったそうだが、心身ともに健康で、体調はとても良さそうだ。70年近い宝くじ人生を振り返り、「本当にいろいろな出会いがあり、お客様に感謝の気持ちしかありません」と笑顔で話す。
 エピソードは枚挙にいとまがない。4200円の当たりくじを換金に立ち寄った人がたまたま手にしていたハズレくじの中に5000万円の当選くじが入っていたり、倒産寸前で幸運にも1000万円を当て、輝子さんも一緒になって万歳をしたこと、高額くじを当てた老夫婦が店の前で抱き合って大喜びしたことなど、様々な人生模様が繰り広げられてきた。
 高額当選の場合、金額の大きさに呆然となってしまう人が多いため、落ち着いてもらうために自宅に招き入れ、みゆきさんが淹れた温かい緑茶でもてなしてきた。
 そのため、「堂前さんでは高額くじを当てるとお茶を入れてもらえるらしい」という〝噂〟が広まり、一時期は宝くじを購入する際に「当ててお茶を飲みに来ます!」と高らかに宣言する人が相次いだ。中には本当に高額くじを当てた関東に住む男性が、わざわざお茶を飲ませてもらうために訪れたという。
 「高額くじを当てた男性が当選証書を手に、『お茶を飲ませて貰いに来ました』と突然来店しました。地元の売場で宝くじを購入したそうですが、誰かに当選証書を見せたくて仕方なかったけれど、地元で噂が広まると困るので母に見せるために旭川に来たそうです。お茶を飲んでもらうと、当選金で家を新築したことなど母とひとしきり話をして、その足で帰っていきました」(みゆきさん)
 ちなみに、なぜ堂前さんがこんなに〝当たる〟
のか。その理由について輝子さんは以前から「私たち家族にも全くわからない」と口にしていたが、今回の取材でも「ゲンを担いだり、神棚に手を合わせることもしてきませんでした。どうして高額くじが出たのか今だにわかりません」と話す。
 1等前後賞合わせて10億円が当たる年末ジャンボ宝くじは12月21日までの販売とあって、多くの宝くじファンが同店を訪れている。中には一攫千金を狙って9500枚も購入した人もいたそうだ。
 名所の幸運にあやかりたいという願いだけではなく、堂前さんに有終の美を飾ってもらうためにも年末ジャンボで高額の当たりくじが出て欲しい、そう願いながら買い慣れた売場に並ぶ人も少なくないのではないだろうか。宝くじの名所の閉店は惜しまれるばかりだ。

表紙1901
この記事は月刊北海道経済2019年01月号に掲載されています。