西武B館を取得した前田住設の心意気!

 昨年9月末で閉店した西武旭川店のうち、宮下通に面したB館の土地と建物を地元の管工事業、㈱前田住設(永山10条3丁目、前田智広社長)が2月1日に正式に取得した。前田社長は、「駅前の一等地で旭川の顔となる場所。将来的には建物を解体して、旭川の活性化に繋がる新たな施設を創りたい」と抱負を語る。一方、1条通に面したA館は現在、建物の解体が進んでいるが、その跡地に地元企業を含め道内外の複数の企業が興味を示している。(記事は2月3日現在)

西武主導でA館売却
 昨年9月末に閉店した西武旭川店。2009年7月に閉店した丸井今井旭川店に続く撤退の結果、道北地区から百貨店が全てなくなった歴史的瞬間でもあった。丸井跡は閉店後2年余りが経過してから商業施設「フィール旭川」に生まれ変わり、現在も営業を続けている。経済界の関係者や市民の多くは、西武閉店後の建物が丸井今井同様、長期間空き家になってしまうのではないかとの不安を感じていた。
 ところが、そんな悲観的な見方をよそに、水面下ではA、B館がいずれも次の展開に向けて着実に歩み始めていた。
 まずはA館。西武は旭川店を閉店するに当たり、建物を解体してその跡地(西武が7割強を所有)を売却する方向で検討していた。その障壁になっていたのが、土地の所有者が西武以外に8者いたこと。詳しくは後述するが、西武はこれらの地権者と閉店前から接触して土地の取得に向けて積極的に動いていた。地権者の合意を経て建物の解体が閉店後まもなく決定したことでも、準備が周到に行われていたことがわかる。
西武がこれほどA館の処分を急いだのには訳がある。市民から親しまれてきた西武が突然、閉店を告げた昨年3月。惜しむ声が上がる中、「西武の一方的な閉店通達が、旭川の経済に悪影響を及ぼす」との見方が広がった。そうしたネガティブな見方を払拭するために西武は精力的に動いた。
 もう一つ、西武と丸井の間には大きな違いがある。丸井今井が経営悪化の結果、民事再生の手続きに入ったのに対して、西武はセブン&アイホールディングスの傘下に入り、全国的に見てもまだ再建道半ばとはいえ〝現役〟で営業している企業。債権者の顔色をうかがわなければならなかった丸井今井が旭川店の売却を決定するのに2年近くを要したのと対照的に、西武は自ら判断してわずか半年程度で解決することができた。
 それは、一時はセゾングループの中核企業として飛ぶ鳥を落とす勢いだった百貨店のプライドの証であると同時に、「40年以上も旭川の地で商売をさせてもらった」という感謝の気持ちの表れでもあったのかもしれない。

B館は建物を地権者に
 一方のB館については四十数年前、地権者が建物を建設し西武と賃貸契約を結んだ。その際、地権者らは西武から建設協力金(敷金)を受け取り、大手ゼネコンの熊谷組が建物を建設した。敷金は西武が撤退する時に地権者から返還されることになっていた。
 ところが、西武は旭川撤退にあたって、建物の原状回復をせず地権者へ返すこととなった。関係者によれば、「建物を解体して地権者へ更地の状態で返せば8億円の費用がかかる。そこで、地権者と協議した結果、地権者が預かっている13億円ともいわれている敷金から解体にかかる費用を差し引いた残り5億円だけを地権者から返してもらうことにした」という。
 これは西武と地権者両方にとって悪い話ではない。無駄な費用と時間を使ってまで更地にする必要もない。建物は築40年以上が経過しているとはいえ、その都度西武が改修を行い「今後も改修しなければいけない時は来るが、10年や20年は十分使用できる建物だ。それをあえて解体することもないだろう」(市内のある不動産業者)。

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この続きは月刊北海道経済2017年3月号でお読みください。
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