佐々木隆博 盤石の勝利

 7月末に野党の協力が成立することが確定した時点で、佐々木隆博氏の優位は誰の目にも明らかだった。そこに降って湧いた希望の党の結党と民進党衆院議員の合流、そして立憲民主党の結党。激動の中でも佐々木陣営ではこれまで通り組織が機能し、共産党をはじめとする他党の協力も得て、終わってみれば今津寛氏に2万票以上の差をつける危なげない勝ちっぷりだった。(文中敬称略)

手探りの中で選挙活動スタート
 9月29日に行われた佐々木の事務所開きは、当時の民進党代表・前原誠司が希望の党への事実上の合流を提案し、了承された民進の両院議員総会の2日後。民進党道連代表として事前に打診を受けていた佐々木は、すでに野党協力の体制が道内のほとんどの選挙区で整いつつあったことから、民進党からの出馬を目指すすべての候補が希望の党に合流できること、自公候補と「1対1」で戦う構図が維持されることを条件として、合流に賛同した。とはいえ、29日の時点でまだ状況は流動的で、手さぐり状態の中で正式な選挙戦への準備を整えるかたちになった。事務所開きでマイクを握った選対幹部の言葉にも、先行きへの不透明感がにじみ出ていた。
 ところが、同じく29日に東京で行われた記者会見で、希望の党の小池百合子代表が、一部の民進党の立候補予定者を「排除いたします」と明言したことで、それまで好意的だった希望の党への世論が一変し、追い風は瞬く間に強い向かい風に変わった。多くの候補が希望への合流を取りやめ、枝野幸男を中心とする立憲民主党の結党の動きに加わった。一連の交渉や準備を終えて、佐々木が記者会見を開いて自身も立憲民主党の候補として出馬すると発表したのは10月3日夕方のこと。その背後のポスターには、「民進党」のロゴの上から急造した「立憲民主党」のシールが貼られていた。

希望候補優先で決断 立憲民主に参加
 民進党道連で代表を務めていた佐々木は、自分の選挙のことだけでなく、地盤も知名度も資金も足りないなかで立候補の準備を進めていた他の選挙区の新人候補にも配慮しなければならなかった。このためすべての候補の合流を条件にしたわけだが、道4区に希望の党の政治塾に参加していた人物が擁立されることが決まり、もともと民進党公認で出馬する予定だった元職が希望の党から公認を得られないことが明確になった以上、希望の党から出馬する理由もなくなった。
 民進党には、憲法改正に前向きな国会議員もいれば、護憲を信条とし、格差縮小を主張する議員もいる。佐々木は典型的な後者で、先の民進党代表選では同様のスタンスを取る枝野の推薦人に名を連ねた。こうした状況を考えれば、もともと佐々木が、改憲を主張する小池の下で選挙は戦うとは考えにくかったし、仮にそうなっていたら、従来の主張とのズレを今津陣営に鋭く攻撃されていたはずだ。そもそも、佐々木が希望に加われば、自民、希望、共産が入り乱れた道2区のように野党協力が崩壊するのは確実であり、前回と同様の激戦になるのは避けられなかった。

三井あき子人脈で経済界にも切り込み
 慌ただしい中でスタートしたとはいえ、公示以降はこれまでの佐々木の選挙を支えてきたいわゆる三軸(党、労組、農民連盟)プラス後援会が滞りなく機能した。別稿の通り、立憲民主党と共産党、社民党、新社会党、緑の党、そして市民団体「6区市民の会」との協力関係も期待通りの効果を発揮した。
 民進党系の道議や市議も、選挙戦を支えた。中でも注目を集めたのが道議の三井あき子だ。前回の道議選で木村峰行がまさかの落選に終わったことから、現在、旭川選出の民進党系道議は三井だけ。選挙戦終盤、その三井が佐々木候補の息子を伴い、かねてから懇意にしている経済人の自宅を訪ねた。
 「私は今津さんの長年の友人。三井さんのことも若いころからよく知っているが、これまでの国会議員選挙で三井さんからこのように支持を頼まれたことはないので驚いた」。木村が広い人脈を持つ労組を通じた運動を展開したのに対し、労組色が比較的薄い三井は、新たな試みとして、今津に近い経済人への切り込みを図ったようだ。
 そして10月22日の投開票。選挙事務所に詰めかけた支持者たちの表情は、マスコミ報道などで佐々木の優勢を確信していたためか、表情は一律に明るかった。民放が次々と「佐々木当確」を報じたものの、選対幹部らはテレビに映し出されたNHKからの当確を辛抱強く待った。しかし、支持者を遅くまで事務所に引き留めておくわけにはいかないとの判断で、NHKの当確を待たずに、付近のホテルで待機していた佐々木と家族を呼んだ。
 登壇した佐々木はダルマに目を入れたあと、「初めての取り組みとして野党がしっかり連携した。後援会、三軸、5党の皆さん、選挙期間中に駆け寄ってくださった皆さんの思いを選挙戦で感じた。こうして今日、みんな揃って、この日を迎えることができたのも、みなさんのおかげです。明日から国会でしっかりと戦いたい」と語った。花束を手渡されたものの、いつも苦労をかけているとして、すぐに夫人にその花束を手渡した。
 結果的には佐々木が今津に2万2461票の差をつけて「V4」を成し遂げた。佐々木対今津の直接対決は09年、12年、14年、そして今回17年の4回あるが、これで佐々木の3勝1敗となった(初出馬の05年は金田英行に勝利)。
 地域別に2人の候補の得票数を分析すれば、6区内にある4つの市のうち、佐々木は大票田の旭川市で約1万5000票勝ち、自衛隊員の多い名寄市で負けたものの、士別市、富良野市でも勝った。町や村でも概ね有利に戦いを進め、昨年夏の台風被害からの復興活動に今津が力を入れた南富良野町でも佐々木が勝った。佐々木が負けたのは、愛別町、上富良野町、中富良野町、下川町、中川町、幌加内町だが、多くの町では僅差の負けにとどまり、町村部全体では約4200票、佐々木が上回った。
 選挙期間中、今津の選挙活動に関わった旭川市の経済界は「与党議員がこの地域から消えれば大変なことになる」と「警鐘」を鳴らした。当選後、佐々木はこうした主張に「まっとうな政策なら与野党関係なく実現するはず」と反論した。そもそも公共事業で潤う一部の業界を除けば、与党議員が存在することの利点やアベノミクスの具体的な効果を6区の有権者の多くが実感できていないことが、佐々木の勝利につながったとも考えられる。

安井吉典以来の「政党副代表」
 選挙戦の期間中には立憲民主党で佐々木が副代表・総務委員長に就任したことが発表された。枝野代表ら6人からなる執行役員にも名を連ねている。この地域から選出された政治家として、政党でここまで高い地位を占めるのは1977年から社会党の副代表を務めた安井吉典以来のことだ。民進党では組織委員長を努める傍ら、国会では主に農業に取り組んできた佐々木だが、今回の選挙では同じく農業に明るい新人の神谷裕が道10区から出馬、比例復活を果たしたことから、協力して道内の農業が抱える課題に取り組む一方、党の中でも指導力を発揮することが予測される。
 一方で、今回の選挙で自公連立与党が3分の2の議席を確保したのも事実。立憲民主党は野党第一党として他の野党とともに強大な与党勢力と対峙する方針だが、維新などスタンスがまったく異なる野党もあり、佐々木を含む立憲の幹部は苦労を強いられそうだ。
 なお、佐々木は現在68歳。あと3年で、佐々木秀典が隆博に地盤を譲ったときの年齢、71歳に達する。西川将人旭川市長の今後と絡んで佐々木が次の衆議院選挙に出馬するかどうかが早くも注目を集めているが、佐々木自身は(次の選挙のことは)「まったく考えていない」とだけ語り、そうした憶測に釘を刺す。

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この記事は月刊北海道経済2017年12月号に掲載されています。