「天人閣」事業譲渡で再生なるか

 東川町天人峡の温泉ホテル「天人閣」が、首都圏を中心にビジネスホテルなどを展開する㈱カラーズインターナショナル(本社東京、松本義弘社長)に事業を譲渡した。創業118年の歴史を誇る老舗旅館だったが、ここ10年ほどは民事再生、事業譲渡などで経営基盤が揺らいでいた。地元東川町でも先行きに懸念を示す行政、観光関係者らが多かったが、譲渡を受けたカラーズ社では今秋から10億円超を投じて建物の改修を行う方針を示すなど、再建への期待感が膨らんでいる。

名声がた落ち 惨憺たる10年前
 1897(明治30)年から温泉地として開発され、旭川の奥座敷として発展してきた天人峡温泉。その代表格が天人閣。長年にわたり旭川の老舗企業「明治屋」が別会社の㈱天人閣を設立して経営にあたってきた。峡谷を流れる忠別川の氾濫による流失、2度の火災を経て、現在の温泉旅館が建てられたのが1964(昭和39)年5月。
 その後78(昭和53)年6月に増築され、8階建て、延べ約9300平方㍍の大型温泉施設として道内外の観光客や旭川市民の一泊宴会などに利用され、旅行代理店からの信頼も厚く、天人峡に天人閣ありと全国に名を馳せてきた。
 その名声に陰りが見えてきたのは十数年前から。とりわけ2007年7月に、天人閣館内で宿泊客も使用する飲料水を、建物の下を流れる沢の水を汲み上げて使っていた(水道法違反)ことが判明し、保健所から厳しい指導を受け18日間の自主休業を迫られたあたりから急降下が始まった。
 その5ヵ月前にも同様の違反が発覚しており、度重なる悪質行為に天人閣経営陣の資質が問われ、営業停止が明けてもエージェント(旅行代理店)からの信用はガタ落ちとなり、ツアー客の送り込みも敬遠されがちとなった。夏場の書き入れ時に集客が18日間も途絶え、しかも再開後も不調が長く続けば、いかなる老舗旅館といえども打撃は大きすぎた。
 また、このことは社会的には表面化しなかったが、実は天人閣では1960年代から80年代にかけて実に21年間も浄化槽に溜まった糞尿を忠別川に放流していた事実があった。問題が表面化する前に浄化槽を取り替え正しい状態に戻したが、名の通った人気旅館という顔の裏で、違反行為に無頓着という体質は長く続いていたのである。
 さらに天人閣では宿泊利用者数の極端な水増しをはかり、その架空売り上げを信用の根拠とし、ノンバンクから数回にわたる融資を受けるという詐欺まがいの行為も発覚し、経営の台所はたちまち火の車となってしまった。
 2008年当時、約3億円にものぼる金融機関からの借金、数千万円にも及ぶ取引業者への未払い、さらに各種税金、負担金の滞納、そのうえ従業員給料や退職金未払い問題を抱え、天人閣はもはや自力では打つ手のない状況に陥っていた。

ここ10年は波乱の推移
 その後1~2年間、天人閣はあわただしい変遷をたどった。09年12月には民事再生手続きのもとで、それまで経営権を握っていた旭川の名門・佐藤家の佐藤清司会長、佐藤祐司社長親子が退陣し、新たに旭川や留萌でホテルなどの宿泊関連施設を手がけていた企業に引き継がれた。
 しかし、佐藤家の経営時代に隠されていた多額の債務が重荷になり、やむなく民事再生を諦め自己破産の道をたどることになった。当時明らかになった負債は8億4000万円という多額なものだった。
 自己破産の処理をする経過の中でスポンサー企業として名乗りをあげたのが登別に本社を持つ企業グループで、同社は新たに天人閣のある東川町に本社を置く㈱松山温泉を設立し、旅館建物や営業権を5000万円で取得し、天人閣で宿泊担当として勤務していた藤田幸雄氏を社長に据えて老舗旅館の再生に乗り出した。これが11年4月のことだった。
 その後の天人閣は東川の観光行政も経営内容をつかみかねる状態が続き、旭川市民からも「天人閣はどうなっている?」という声が上がっていた。経営面では詳細不明の部分が多く、㈱松山温泉となってから「藤田社長を中心に積極的な営業戦略やサービス体制の見直し、拡充を進めることで客足は徐々に回復している」(東京商工リサーチ)との調査報告があったのが唯一の情報だった。
 しかしその年の夏には東川町が集中豪雨に襲われ、天人峡温泉に通じる道路が遮断され、天人閣も道路復旧まで休業を余儀なくされるなど、業績に影響が及ぶ事態となり、また東日本大震災で観光客の減少も重なり、かつての好調時にはほど遠い状況が続いていた。

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この続きは月刊北海道経済2018年7月号でお読み下さい。