新体制となった「北工学園」

 理事を大幅に入れ替え、理事長に元道副知事の磯田憲一氏を迎えて「学校法人北工学園」が新体制となった。経営を新体制にバトンタッチした新谷建設㈱は長年の重荷を下ろした。

札幌校は閉校
 60年代70年代はどんどん公共事業が増えていった。北海道建設業界のトップだった伊藤組土建の伊藤義郎氏が新谷建設の新谷泰治氏に「建設技能者を育てる学校が必要だ」と説いて、新谷氏が設立したのが学校法人北工学園。1972(昭和47)年に設立認可され、その後、福祉、自動車教習、情報処理と、時代に合わせて学科を拡大・転換させていった。
 98年には札幌に進出し「札幌福祉医療専門学校」を開校したが、今から振り返ると、それがつまづきのもととなった。旭川と違って競争が激しく苦戦が続き、何とか軌道に乗せようとさまざまに取り組み投資も行った。そのための資金を親会社の新谷建設が北工に貸し付け、また北工が金融機関から借り入れる際に新谷建設が保証していた。そういった貸し付け・保証が滞留し大きな金額となった。
 新谷建設は16年5月期で64億円の売上高を計上したものの24億円もの損失処理を行っている。また北洋銀行が新谷建設に資本金と資本準備金合わせて16億円もの巨額出資を行って、経済界の話題となったが、それらは北工学園が抱えてしまった大きな債務の〝解消策〟だった。
 学校法人再建のために札幌福祉医療は閉校し、北工学園モータースクール(旭川市東鷹栖)は今年3月に経営を分離した。

世界に通用する人材
 そして今春、学校法人の大半の理事を入れ替え、4月29日に開いた理事会で、30年以上にわたり理事長を務めた新谷建設社長の新谷龍一郎氏(66、旭川商工会議所会頭)が退任し、新理事長に元北海道副知事の磯田憲一氏(73)を選出した。
 新理事長の磯田氏は旭川市出身。1967年に道庁入りし、上川支庁長などを経験した後、2年間副知事を務めた。退任後、自治体が新生児に木製椅子を贈る「君の椅子プロジェクト」を発案したことで知られる。現在、北海道農業企業化研究所理事長、北海道文化財団理事長などを務める。
 理事会後に開かれた会見で磯田氏は「この学校に入る子どもたちは10代後半から20代初め。彼らにこの豊かな環境のもとで人生の進路を模索してもらいたい。東川町の人材育成ということではなく少子社会の日本で重要な役割を果たせる、また世界に通用する人材育成の拠点としたい。介護、保育を志す子供たちが〝東川で勉強したい〟と思える学校にしたい」と抱負を語った。

東川町中心の運営
 旭川福祉専門学校は、幼稚園教諭免許と保育士資格を目指す「こども学科」(修業2年間)、介護福祉士を養成する「介護福祉科」(同)、薬学検定や医療事務資格の「医学福祉学科」(同)、それに外国人が日本語を学ぶ「日本語学科」(1年6ヵ月と2年の2コース)の4学科がある。4学科の定員は合わせて550人だが、少子化の影響で近年は福祉系学科を中心に定員割れが続いている。
 親会社である新谷建設の経営にまで影響を及ぼした学校法人の不振の主因は、この少子化─福祉系学科の定員割れだが、一方で、日本語学科の実績は高く評価されている。東川町は自治体運営では全国初の日本語学校を2015年に開校し、以後は新設の日本語学校が短期留学生を、旭川福祉専門学校が長期留学生を受け入れる形に住み分けされている。
 東川町は人口の減らない町として注目されているが、福祉専門学校の日本語学科の貢献は大きい。そのた学校法人の経営悪化を町としても放置しておくことはできなかったというのが実情で、新谷建設から東川町を中心とする運営にかわって生まれたのが今回の新体制。会見には新谷龍一郎社長と松岡市郎町長も出席しがっちり握手を交わし新体制移行を祝った。

学校法人と町連携
 松岡町長は「北工学園は、新谷市造さん、泰治さん、龍一郎さんと3代の社長さんに後継され、各地で卒業生が頑張っている。町に活力を与えてくれる学校でした」と感謝の言葉を述べ、「この学校があるから世界で活躍するプロフェッショナルを育成できる、介護の人材もここで育成できる。町の誇りです」と続けた。
 この後、新谷社長も「学園は昭和47年の設立から、1万2000名の卒業生を輩出し、卒業生は全道の建設会社、福祉施設で中心的役割を担い活躍しています。半世紀も経営者が変わらず時代のニーズに対応できていたのかどうか。これからは新しい体制で優秀な人材を送り出していってください」とあいさつした。

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この続きは月刊北海道経済2018年7月号でお読み下さい。