〝幻の登山道〟復活への道筋

かつて昭和初期、大雪山が国立公園に指定された頃、旭川市のペーパン(米飯)地区から大雪山に直接登るコースをつくる計画があった。一時期、そのコースをたどる登山会も催され話題を集めたが、様々な要因に妨げられて、いつしか利用は途絶え、今では忘れ去られようとしている。途中、絶景が広がる「松仙園」や「沼の平」を経て大雪山に至る〝幻の登山道〟。しかし地元東旭川の有志たちが、登山道の復活に向けて一歩一歩、実現に道筋をつけている。(文中敬称略)

一躍脚光を浴びた国体
 この〝幻の登山道〟は1933(昭和8)年に、当時の東旭川村長、大見首太郎が国に請願して、東旭川の開拓者であった小谷勝治、河野義助らの有志による踏み分け実地調査を経て38年、上ぺーパンから沼の平まで14・5㌔にわたり開削された。当時の案内記録には「東旭川ペーパンルート」として紹介されている。
 開削された東旭川ペーパンルートは眺望にすぐれ、旭川市側から旭岳に至る最短のコースとされた。登山愛好者の天野市太郎(故人)が生前、「沼の平まで上がれば、そこはもう別世界。湿原の美しい風景が広がっている」と近親者らに語っていたとも伝わる。
 沼の平とは、標高1300~1400㍍の森林限界とされる場所にある高層湿原のこと。広範囲にわたり、大沼や小沼、一の沼…六の沼といった多様な沼があり、それらの沼の周辺には、可憐な高山植物が自生している。二の沼と三の沼の間に広がるのが松仙園で、その一帯にはアカエゾマツが群生しており、それが名前の由来になったという。
 やがて戦争が激しさを増し、いったん登山道の利用は途絶えるが、戦後の復興に伴い、その維持管理作業を東旭川の「明郷(明るい郷土)青年団」が請け負い、再び登山熱が高まる。大雪山国立公園をフィールドに1954年に開かれた第9回国民体育大会で競技会場に選ばれると、一躍脚光を浴びることにもなった。
 この時、東旭川の住民が選手団を歓迎し、ペーパン福島県人会長の遠藤雅就が明郷青年団の仲間6人で松仙園のヒュッテ(山小屋)に宿泊しながら炭火をおこし、選手団にお茶のサービスを施したことは、今でも東旭川地域で語り継がれている。
 そして国体を機に再び登山会が行われるようになったが、その後「21世紀の森」誘致を実現させた「旭川21世紀の森促進協力会」が21世紀の森を充実させる一環として、市に林道の整備を要望。しかし受け入れられなかったことも要因になってか、やがて利用が途絶え、現在ではペーパンルートを通る人はほとんどなく、まさに〝幻の登山道〟と化しているのが現状だ。

反響呼んだ特別展&散策
 そこで東旭川町にある旭川兵村記念館友の会のメンバーが昨年9月中旬に試みたのが、幻の登山道への探索。現状を把握すべく訪れたが、ペーパンルートの登山道は、荒れ放題で熊笹が鬱蒼と生い茂っていた。このときの探索メンバーでもある東旭川まちづくり推進協議会の石井征士は「先人たちが開いた登山道をこのまま幻に終わらせてしまうのか、町おこしのきっかけのため生き返らせるのか。それは、私たちの知恵にかかっている」と決意を固め、ペーパン福島県人会の遠藤会長は「開発する価値はある」と語り、その後の取り組みに思いを募らせた。
 登山愛好者にとって、大雪山を縦走することは一つのステータスであり、ある種の憧れ。ポピュラーな登山コースとして知られるのが、上川町の層雲峡黒岳からと、東川町の勇駒別から登る2通りのコース。「幻の登山道は、その中間に位置し、沼の平や松仙園の絶景が楽しめる格好のルート」(兵村記念館友の会の探索メンバー)。石井は、ペーパンダムから旭川峠まで車で行くと20~30分ほどで着き、「そこから登山すれば、そんなに難しい行程ではない」と説明する。
 東旭川の有志らがペーパンルート復活に向けた試みの第1弾として今年4月下旬から10月まで兵村記念館で開いたのが、特別展「大雪山 幻の登山道『ペーパンルート』」だった。その開催趣旨は、大雪山の麓に住む人々が登山道開設を試みた歴史を振り返り、復活を探る機会になればとの願いを込めたものだ。

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この続きは月刊北海道経済2019年12月号でお読み下さい。
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