旭川市の「裏人事」 西川市長と加藤道議のパイプ役を配置

 「民主党が凋落する中で、自民党道政との太いパイプ作りが西川市政に必要だ」との声が、市役所、議会、そして市役所OBの間で渦巻いている。対応策として急浮上しているのが「道議会議長に就任した加藤礼一道議とのパイプ役の配置」。市役所内に 〝加藤番〟部長を置こうというものだが、すでに水面下でこの〝裏人事〟は進行している。

市長選で対決
西川市長は2006年、それまで衆院選、参院選を通じて挑戦し続けてきた国政への進出を方向転換し、市長選へと打って出た。それまでの選挙戦で知名度がアップしていたほか、前任の菅原功一市長に任期最終場面でさまざまな疑惑が浮上したことから、「クリーンな市政運営」を訴え、それが市民に支持された。
対抗馬となった加藤道議は、菅原市長が道議から市長へ転身したときに、市議から道議に鞍替え。つまり「菅原後継」として道議になったため〝菅原色〟を払拭できないまま市長選に突入。序盤は、市議・道議と政治経験の豊富な加藤道議が、政治経験のない西川氏より有利と見られたが、自民党の足並みの乱れのほか、「旭川出身の西川」に対し、「留萌出身の加藤」という微妙な市民感情も加わり、西川が千数百票差で初当選を飾った。
その後、加藤は道議に返り咲いた。市長選のしこりは少なからず残ったし、民主党を支持基盤とする西川市長とはその後もなにかと敵対関係にあるのが実情。市役所の幹部が加藤道議との関係修復に動いたこともあったようだが、目立った歩み寄りは見られていない。
それでも、民主党が国政で勢力を拡大し、自民党が〝傍流〟となっていた当時は、市政運営に大きな障害が出ることはなかった。
市民から多くの支持を得ている民主党をバックに、西川市長は選挙戦の公約でもあった市職員の法令遵守、いわゆる「コンプライアンス条例」を制定したほか、談合の噂が絶えなかった公共工事の入札を、従来の「指名競争」から「一般競争」へと変換を図ることで、公平性、透明性の確保へと舵を切った。また、市民との対話を重視し、市内各所で対話集会などを開催し、市政あるいは地域への住民要望を拾い集め、可能な限り実施する方向で対応した。これらの実績が評価されたのか、3年前の市長選では自民党候補を「ダブルスコア」で退ける圧勝。西川市政は順風満帆のなかで、再スタートを切ることになった。
市長人事で西川市長は、自民党を軸とする〝野党〟から、猛反撃を受けることになる。
副市長に抜てきしたのは、市職員組合の委員長出身で、民主党色を前面に打ち出したことが、自民党系市議などから〝総スカン〟を食うことになり、人事案件は撤回。西川市長の思惑は脆くも崩れ去った。

(この記事の続きは月刊北海道経済11月号でご覧ください)

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