道内唯一〝人情芝居〟「常盤礼子一座」の終幕

 今日は東へ、明日は西へ。ドサ回りの花舞台に人情の花が咲く──。道内で唯一、祭り芝居の灯を長年ともし続けてきた旭川の「常盤礼子一座」。農村を中心に公演を続け、大衆演劇の伝統を守ってきたが、看板役者でもある座長の常盤礼子さん(本名=志賀艶子、85)が健康上の理由で引退を決めたため、85年に及んだ一座の歴史にピリオドを打つことになった。

〝北海の玉三郎〟
tokiwa 一座のメンバーと荷物をいっぱいに詰め込んだワゴン車が会場に到着。荷物を降ろすとさっそく舞台づくりを始め、女座長自らハシゴに上って金槌を握る。幕や照明、配線、スイッチボックスなどを配置して手際よく舞台を仕上げていく。
 楽屋は裸電球に照らされた、舞台の裏の廊下だ。役者たちは鏡と向き合い、念入りにドウランを塗り紅をつけ、やがて役の顔になりきる。礼子座長の「さぁ、行きましょう」との声を合図に木頭(きがしら)の乾いた音が響き渡る。「いよっ!礼子先生‼」と客席から声が上がり、にぎやかに幕が開く。
 常盤礼子一座は1930(昭和5)年に旗揚げ。戦後は映画やテレビなどに押され気味だったが、それでも大衆演劇の孤塁を守ってきた。旭川近郊をはじめ、函館、札幌方面、利尻・礼文島、樺太などの離島もあれば、稚内、釧路ほか、道内各地をくまなく巡演。神社や福祉施設、刑務所、公民館のステージを主な舞台に、人情味あふれる出し物を披露してきた。
 そんな一座の芝居行脚にスポットを当てた小説もある。芥川賞作家、高橋揆一郎氏の「祭り化粧」(1988年)がそれで、一座とともに楽屋で寝泊まりして書き上げたものだ。高橋氏はこのほか、常盤礼子一座を題材に新聞小説の「幟かかげて幾山河」も執筆している。
 志賀艶子さんは後志管内余市町出身。一座が旗揚げした年に生まれたというのも、不思議なめぐり合わせだ。芸の世界にあこがれて24歳の時、志賀太治郎(たじろう)さん率いる一座の門を叩くと同時に、その後妻となった。太治郎さんは一座の看板女優だった先妻・蘭子さんと死別しており、二人の間には5人の子供がいたばかりか、莫大な借金を抱えており、嫁入り当初から困難な生活を強いられた。

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この続きは月刊北海道経済2016年01月号でお読みください。