旭川メモリアルCC 東京の企業に業務委託

 旭川の老舗ゴルフ場、旭川メモリアルカントリークラブを運営する㈱旭川メモリアルカントリークラブ(神居町、橘井真理子・棒手雅人共同代表、以下メモリアルCC)は6月1日、㈱ゴルフレボリューション(東京、通称ゴルレボ)へ、ゴルフ場のコース管理などの業務を委託した。高砂酒造㈱が所有し2002年12月に破たんしたメモリアルCCは、その後旭実グループなど市内企業5社へ譲渡されたものの、年々業績は悪化していた。今後は、ゴルレボへの売却を視野に協議し、早ければ今シーズン中にもオーナーチェンジする。

「地元企業で救済」不能に
 1992年9月に開業したメモリアルCCは、市内大手の酒造業、高砂酒造が所有する山林を開発して建設された。ちょうどバブルがはじけた時期に開業したため、苦しい経営が続いた。会員から集めた預託金返還問題が足かせとなり、2002年12月、民事再生法適用申請をして、譲渡先を模索した。オーナーだった高砂酒造も、経営の悪化を理由に04年6月に民事再生法適用を申請し、日本清酒㈱(札幌市)の傘下に下った。
 メモリアルCCは民事再生適用後1年を経て、「何とか地元で救済したい」という意気込みから手を挙げた旭実グループなど旭川市内の5社が経営権を取得した。その際、高砂酒造が出資していた約4億5000万円を含む資本金4億9000万円全額を減資し欠損の返済に、北洋銀行からの借入残高10億円は約90%カットして再出発した。
 さらに当時の小檜山享社長ら役員全員を退任させ、新たに4500万円の第三者割当増資を行った。代表には、旭実グループの橘井一実社長が就任した。
 ところが、長引く不況の影響もあり、その後の業績は予想を大きく下回るものだった。採算分岐点と見ていた入場者数2万3000人は1万2~3000人にとどまり、経費節減に努めたものの年間2000万円から3000万円をつぎ込まなければ収支がトントンにならない状況が続いていた。
 棒手社長は、「ピーク時は3万人近い入場者で賑わっていた。高砂から経営権を譲渡した時ですら2万1000人ほどの数だった。それが今では1万人を少し上回る程度で、とても運営を続けていく状態ではない」と肩を落とす。
 そこで、昨年夏ごろ旭実グループと関係があるコンサルタント会社に依頼して売却先を探し始めた。今年に入り、コンサル経由で全国でゴルフ場の運営管理を受託するなど豊富なノウハウを持つゴルレボが浮上した。棒手社長は「先方がシーズン開幕前に現地を訪れ、まずは常勤1人、非常勤1人を派遣してもらうことになった。総支配人には先方の津田渉氏に就任してもらったが、他のゴルフ場も兼務していることから同氏の業務の6割をメモリアルに注いでもらうことになる」と説明する。
 ゴルレボは、ゴルフに関連するナビゲーションシステムの開発を目的に設立された企業で、現在は国内6ヵ所のゴルフ場(1ヵ所は自社所有)の運営管理を行っている。ほかにも、ゴルフスクールの運営やゴルフ用品の製造販売など手広くゴルフ関連の事業を展開してる。メモリアルCCにゴルファーを呼び寄せるノウハウは持っており、再生に自信を覗かせている。今後は両社が提示した条件でどこまで歩み寄れるかにかかっている。
 両社の条件とは、ゴルレボに現会員をそっくり引き継いでもらうこと。その代りとして、メモリアルCCは残っている金融債務約1億円を全て処理することを求められている。
 これら条件について棒手社長は「当社がこのまま運営を続ければ、毎年数千万円を補填していかなけらばならない。旭実グループの年商は10億円ほどで、年数千万円単位の補填は正直、厳しい条件だ」としながらも、ゴルレボが提示している条件に沿った売却を前向きに検討している。

表紙1707
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管内戸建て住宅2.6%増

2016年度(16年4月~17年3月)の上川管内ハウスメーカー実績は、戸建て住宅が前年比2.6%、共同住宅で同2.2%の増加となった。低金利や金融機関の貸し出し条件が緩和されたことが追い風になったようだ。今年度も引き続き増加が見込まれているが、19年4月に実施される予定の消費税増税をにらみ、ハウスメーカー各社は新築以外にリフォームやリノベーションといった改装に重点を置く動きも見せている。

石山工務店が8年連続のトップ
ハウスメーカー別で見ると、トップは8年連続で石山工務店。前年の81棟からさらに3棟を上積みして84棟となった。2位以下は、ミサワホーム北海道59棟(前年同)、北海道セキスイハイム49棟(同10棟増)、家計画41棟(同8棟減)、一条工務店40棟(同11棟増)と続く。
上位5社は、一条工務店を除き前年度と同じ顔ぶれ。急増した一条工務店は、昨年度に29棟となり初のベストテン入りを果たし、さらに棟数を一気に伸ばした。旭川への進出は12年で、わずか5年でベスト5に入るまで棟数を伸ばしてきた。
同じ道外大手のタマホームは、対照的に足踏み状態。一条工務店より1年早く旭川に進出したが15棟と低迷している。両社の違いを市内のあるハウスメーカー幹部は、「価格的にはタマホームの方が安い。ただ、一条工務店は品質の高さで評価が高い。安さだけでは旭川の市場は開拓できない」と分析する。

戸建て共同ともに今年も堅調
種類別に見ると、戸建て住宅と共同住宅はいずれも2%台の増加と、15年度と比べ持ち直している。棟数は戸建て住宅が1125棟と、ここ5年間の中で13年度(1310棟)、12年度(1227棟)に次いで多い。共同住宅は238棟と、ここ5年間では最も多く前年度の減少から一転して増加した。戸建て住宅と共同住宅はともに、13年度から続いていた減少がストップした。
持ち直した理由として挙げられるのは、低金利と、企業が投資を差し控える中で金融機関の貸出先が先細り、個人向けの融資条件が緩和されたことと見られている。
今年度はまだ始まったばかりだが、「昨年度の状態をキープしている。戸建て住宅は、若干だが前年度より増加する可能性が高い。共同住宅も、新築に引き合いがあり前年を上回る可能性が高い」と悪い材料は見当たらないようだ。
ただ、いったん見送られた消費税増税が、19年4月に実施される可能性がある。消費税増税は17年4月に実施される予定だったが、19年に先送りされることになり、昨年度は駆け込み需要が起きなかった。
一方で今の景気動向を見ると、国民が敏感に反応する消費税増税はふたたび見送られる可能性もある。年度内に行われる可能性が指摘される衆議院選挙の動向如何でどうなるかは不透明だ。
ただし、日銀の低金利政策が続く中で、持ち家を購入したいと希望する人たちにとって有利な状況が今後もしばらく続くことは間違いない。

家族構成の変化で進むリフォーム
ところで、少子高齢化が進む中、住宅事情も様変わりしてきた。地方から都会へ人の流れが加速し、地方都市の人口減少が止まらない。これまで大人数で暮らした家族が両親2人だけになり、要らなくなった部屋が増え無駄な光熱費が家計を圧迫する。そのため、2階部分を閉じて1階部分だけで暮らしている住宅もあると言われるが、抜本的な対策として家を売却して便利なマンションに引っ越すことや、建物の老朽化を機に2階建てから平屋にリフォームしたいという問い合わせが増えている。
建物の改修が増えていることに伴い、ハウスメーカー各社もそのニーズを取り込もうとしのぎを削っている。業界で早くからリフォームやリノベーションを手かげてきた市内の大手ハウスメーカ幹部は、「今や激戦状態になっているが、改修に関してはこれまでどれだけ新築の棟数をこなしてきたかが重要だ。さらに、所有者がどのような住宅を求め、改修にかかる予算など業者がどこまで所有者に寄り添えるのかも大事だ」と語る。

人口減少に対応
一方、道外からの移住を希望する富裕層をターゲットにした営業を強化しているハウスメーカーもある。ある業者の幹部は「数も大事だが、質を重視した注文建築は単価が高く利益も大きい。移住を希望する人たちは、老後を自然豊かな環境でゆったりした時間を過ごしたいと考えている。細かい注文も多いが、お金をかけることにあまり抵抗感はない。昨年7000万円を超える住宅を建てた実績もある。市内の企画住宅3棟分の価格だ」と胸を張る。
このハウスメーカーは、様々な交友関係や資材メーカーからの情報などで良質の顧客を開拓している。「一度気に入ってもらえれば、口コミで広まる可能性もある。35万都市の旭川とその周辺は、大自然に囲まれいろんなスポーツも楽しめ、普段の生活にも不自由しない便利さもある。何度か移住を希望する人たちを連れて案内したが、だれもが環境の良さをほめてくれた」と今後の注文に自信を覗かせる。
将来的に旭川やその周辺はさらに人口が減少する。建築する棟数を競うより、周りの環境のよさを味方にした住宅を進めていくのも一つの手ではないか。人を呼べる魅力が旭川にはゴロゴロ転がっていることをもっと外に発信するべきだ。

表紙1707
この記事は月刊北海道経済2017年7月号に掲載されています。

検討続く近文のコミュニティー施設

 20年以上も空き地になっている旭川市近文町25丁目の旧国立療養所道北病院近文荘跡に、市が地域のコミュニティー施設を建設する計画が持ち上がったのは3年ほど前。当初計画では今年度中にも供用を開始できるはずだったが、現在はまだ「施設の規模や機能を検討中」(市民生活部地域まちづくり課)という状況で、オープン予定も定まっていない。地域住民は早い時期の利用を期待しながらも「時間はかかっても、魅力ある施設にしてほしい」としている。

変遷たどった空き地
 近文地域コミュニティー施設の建設が予定されている旧国立療養所跡地は約2万7300平方㍍(約8280坪)の空き地で、スタルヒン球場の敷地面積約2万5000平方㍍よりも広い。
 この土地は、そもそもは1938年に市立旭川療養所が設置され、50年に国立旭川療養所(国療)となり結核専門機関として道北の医療の重要な役割を果たした。その後国療が花咲町の国立道北病院(現国立病院機構旭川医療センター)に統合され移転したため、77年には同病院の進行性筋委縮病(者)病棟「近文荘」となり89年9月まで利用された。しかしこの病棟も花咲町の病院に統合され、94年3月には解体の運命をたどり、以来跡地は現在に至るまで手つかず状態が続いている。
 「近文荘」が解体され、国は早い時期から旭川市に対し跡地の購入を勧めていたが、市は財政難を理由に躊躇していた。しかし02年に市がアイヌ文化の伝承館と総合的な研究推進センター施設を骨子とする「旭川版イオル(アイヌの伝統的生活空間)構想」をまとめたことから、翌年、施設の建設予定地として市に代わって旭川市土地開発公社が先行取得することになった。
 ところが、05年7月に国の基本構想がまとめられ、イオルの機能として自然環境を基盤とした自然素材の活用を重視する方針が示されたことから、施設等については既存施設を積極的に活用する方向へ転換したため、新しい施設を建てる必要がなくなり、先行取得した広大な土地も使い道がなくなってしまった。
 その後この土地は、土地開発公社が解散することになったため市が約2億2000万円で買い戻し、以来、公共遊休地として冬場の雪堆積場に使われるだけの空き地になってしまっていた。

施設の中身検討中 オープン日も未定
 広大な遊休地のある近文町25丁目には、町内会が集会等に利用している民家を改修した古い建物があり、4町内の高齢者憩いの家としても使われている。老朽化し設備も不十分だったため、かなり以前から住民が集う新しい施設がほしいという声が市民委員会を通して市に要望として上げられていた。
 旭川市は近年、核家族化や少子高齢化が進む中、地域コミュニティーが希薄となる様々課題を抱えているが、住民相互のつながりや住民主体の活動を促進支援するための拠点として「地域活動センター」の設置計画を進めてきている。
 近文地区は04年4月にイオンモール旭川西が開店してから大きな変貌を遂げ、いまや都市計画上も注目される地域になっている。国道12号バイパス旭川新道や道央道旭川鷹栖ICにも近く、交通の利便性も高い。市が、地域の要望を受け住民活動を支援する施設を考えたのも納得がいく。
 2年前には施設の建設に向け調査費をつけ、すぐにでも基本設計に入るかに見えたが、その後やや状況が変わってきた。
 当初市は、その頃オープンした末広地域活動センターのような一般的なコミュニティー施設を考えていたが、本来この土地はアイヌ文化振興事業用地として取得した経緯もあることから、施設建設にあたっては何らかの形でその構想の一端でも取り込みたいと考えるようになったようだ。
 市では「2年前の段階では施設の大枠のラインは決まっていましたが、地域住民の要望もあって規模や機能を検討し直すことになりました。今は、コミュニティー的な機能のほかに、例えば体育館はどうだろう、アイヌ文化の伝承・発信的な機能はどうだろうと考えているところで、まだ具体化はしていません。建設に向けて今後のスケジュールを明らかにできる段階ではありません」(市民生活部地域まちづくり課)としており、地域待望の施設の全貌が明らかになるのはもう少し先のことになるようだ。
 長年にわたって空き地状態が続いているこの土地については、地域から「樹木もあり、草が生い茂ると見通しも悪くなり、夜は特に防犯面からも危険な感じがする」といった声や、「雪堆積場は6月まで薄汚れた雪が残っていて見苦しい」との苦情も聞こえてくる。
 旭川新道に接し、道央道インターチェンジにも近い利便性の高い、歴史性のある土地だけに、地域だけでなく市民全体が利用できるような、できる限りの有効活用を望みたい。

表紙1706
この記事は月刊北海道経済2017年6月号に掲載されています。

文化会館契約延長は妥当か?

 改修・建て替えの構想が浮上したために1年の空白期間が設けられていた旭川市民文化会館の舞台装置操作業務。改修も建て替えもしないことになったため、過去2年間同業務を請け負った業者との間で急きょ契約を変更したが、同業他社からは「十分に情報が公開されていない」と反発する声が上がっている。

欠かせない「裏方」
 ライブ、演劇、講演会…。固定型の客席とステージを備えた施設としては道北で最大規模を誇る旭川市民文化会館。6月の大ホールのスケジュール表には「ゴスペラーズ」「北島ファミリー」「三山ひろし」「内山玲子バレエスタジオ」「旭川青年大学」などの名前が並び、この会場がこの地域の文化にとり欠かせない舞台であることがわかる。
 このような会場を運営するには、主役である出演者と、出演者を客席から見つめ、拍手と歓声を送る観客のほか、運営を支える「裏方」が必要だ。裏方の中心的な存在が、「市民文化会館舞台設備操作等業務」の請負業者。業務仕様書によれば、その内容は会館の舞台・照明・音響設備の操作、これらの機器の操作に関する使用者(行事の主催者など)との事前・当日の打ち合わせや助言、機器の点検や整備など多岐にわたる。
 市民文化会館、そして旭川市公会堂はいずれも市民の共有財産だが、専門性の高いこれらの業務は、市の職員にはこなせない。このため2つの会場を管理する旭川市の社会教育部文化振興課では、公募型プロポーザルを実施して舞台設備操作等業務を請け負う民間業者の選定を定期的に行ってきた。大雪クリスタルホールについては、別に業者選定が行われている。
 前回、公募型プロポーザルが決着したのは2015年1月のこと。選定されたのは㈲サウンド企画だった。同社は市内のこの業界では最も長い歴史をもつ企業で、見積合せによる随意契約、指名競争入札が行われてた時代から一貫して市からの受注に成功している。唯一の例外は、旭川シティネットワーク(FMリベール)に契約を奪われた2009年度だ。2013~14年には初めて公募型プロポーザルが行われたが、この際にもサウンド企画が最も高い評価を得た。
文化会館は2年だけ
 市は14年、翌年4月から舞台設備操作などの業務を請け負う業者を選定するにあたって、それまで2年間だった契約期間を3年間に延長することを決めた。
 ただし、実際に契約期間が延ばされるのは対象となる2つの会場のうち公会堂だけ。市が作成したプロポーザル実施要領には、こんな一文がある。
 「ただし、平成29(2017)年4月1日から平成30(18)年3月31日までは、改修工事に伴い旭川市民文化会館が閉館予定のため対象外」
 この実施要項が作成された時点では、旭川市民文化会館を改修または建て替える構想があった。開業から40年以上が経過し、外壁や屋上の劣化が進んだことから雨漏りや配管からの水漏れが発生。車椅子への対応やエレベーターの設置などの面でバリアフリー基準に適合していない部分も多い。2014年には2403万円の予算を付けて調査し、大規模改修基本計画書も策定している。計画通り進めば、2017年度は市民文化会館を休館し、35億円をかけて改修を行うことになった。その後、建設資材の高騰や耐震改修の追加などで、工費の膨張が確実になった。結局、2016年度に予定していた実施設計は行われず、当面は修繕で会館の延命を図ることになった。
 そこで突如浮上したのが、市民文化会館の建て替え構想だ。昨年5月末に市がまとめた「新庁舎建設基本計画骨子」の中で、本庁舎を建て替えたあと、現在の本庁舎跡地に新しい市民文化会館を立てることが盛り込まれたのだ。結局、こうした唐突な方針の変更が市議会の反発を受けたことから、市民文化会館建て替えの方針は年末までに正式に撤回された。
 すったもんだの末、市民文化会館を休館する必要はなくなった。しかし、サウンド企画と結んだ契約からは、2017年度の市民文化会館が除外されている。新たに業者を選定するか、契約を変更しなければならない。このため旭川市は、約2年前にサウンド企画と結んだ契約を変更するかたちで、同年度の市民文化会館の業務について契約を結び直した。これに伴い契約金額は当初の税込み約1億2600万円から、約1億4859万円へと2259万円増額された。

遅れた情報公開
 市民文化会館の契約延長をあとで知った民間企業からは、疑問の声が上がる。「工事や設備の納品を伴わない2000万円以上の契約といえば、かなりの規模。1社だけとの交渉で決めてしまうことが適切なのかどうか…」
 以前は随意契約が珍しくなかった市と民間企業の取引だが、度重なる不正から透明化を求める声が上がり、一般競争入札が中心になった。舞台設備操作等業務は単純な価格競争に適さないことから、応募者側が一定価格の範囲内で運営内容について提案を行い、その優劣を競う公募型プロポーザル方式が採用されることになった。2年前に業者選定が行われていた際も、この方式を通じて透明性が確保されていた。
 ところが、2017年度の市民文化会館の操作業務については業者選定を行わず、それまでの2年間の業者との契約を延長し、金額を上乗せして行うことを、教育長が裁量で決定した。もともとの契約に「市は必要のあるとき、業務の内容を変更することができる。業務委託料、履行期間を変更する必要があるときは双方協議して決める」との趣旨の一文が盛り込まれていたことも、契約変更という判断の根拠になったと思われる。
 その判断自体は、著しく不当だとは言えない。市民文化会館について3年間、新たに業者の選定を行えば公会堂との間にズレが生じるし、わずか1年間のために公募型プロポーザルを実施すれば業者側も市も手間がかかりすぎるためだ。
 しかし、契約変更で対応するという判断が適切なものだとすれば、市は堂々と市民に公表してから契約を変更するべきだった。新しい履行期間、業務委託料を盛り込んだ契約が発効したのは新年度の始まった4月1日。ところが、社会教育文化振興課のウェブページでそれが公表されたのは、本誌が取材を申し込んだ4月25日の夜になってからだった。同課では「公表を失念していたのは申し訳ない」と説明するが、これでは同業他社が疑心暗鬼になるのもやむを得ない。
 適正な業者選定には情報公開が不可欠だ。市民文化会館をめぐる契約の変更は、透明化という意味で反省材料を残したと言えそうだ。

表紙1706
この記事は月刊北海道経済2017年6月号に掲載されています。

道内初! 当麻町に小水力発電

 太陽光や風力、地熱など自然の力を利用した再生可能エネルギー政策の一環として注目を集める「小水力発電」。今年6月、道内で初めてとなる小水力発電所が当麻町(最大出力139㌔㍗)で発電を開始する。これにより、当麻町と旭川市永山地区にまたがる約600戸の農家がその恩恵を受ける。老朽化した農業用水路を整備するだけでなく、小水力発電に適した条件がそろえば今後、道内の他の地域にも小水力発電が広がる可能性もある。なお、来年度には南富良野町でも同様の施設(同166㌔㍗)が発電を開始する予定だ。

水路が老朽化 改修が必要に
 国土交通省が進める小水力発電は、農村地帯に張り巡らされている農業用水路を利用する。農業用水路は、農産物を生産する基盤としてだけでなく、洪水を防ぐための貯水や地域の排水、地下水涵養に寄与している。
 ただ、水門の開閉などに必要な電力の値上がりや、施設の老朽化などで維持管理費が増加しているため、施設の適正な管理が年々、難しくなっている。用水路の管理運営費は農家から徴収する賦課金で賄なっているが、農家の数が年々減少していることから、農家1戸当りの負担が重くなっているという事情もある。
 小水力発電が供用される当麻・永山地区における農業用水は、以下のような現状になっている。同地区は、国営当麻永山土地改良事業として1968年から79年にかけて整備されたが、それから約30年が経過して施設の老朽化と凍害によるコンクリートのひび割れ、水路側壁の傾きなどが発生し、農業用水の安定供給に支障をきたしていた。また、野菜類の栽培の増加や良質の米を生産するための水管理の必要性から、新たな水需要が生じ取水量を見直す時期に来ていた。
 ところが、全国的には農業用水路の持つ新たな可能性が大きな注目を集めている。北海道と本州の大都市圏を除いて、小水力発電の設置が進んでいるためだ。

全国で注目集める
 小水力発電とは、巨大なダムや発電所を必要とする一般的な水力発電のミニチュア版。その「舞台」として利用されるのが農業用水路だ。農業用水は地形の傾斜を利用して、高いところから低いところに向かって水を流している。ほとんどの場所で水はゆっくりと流れているが、崖や河岸段丘などに差し掛かり、水が急速に流れ落ちる場所がある。水が持っていた「位置エネルギー」が「運動エネルギー」に変わるわけだが、従来はほとんど利用されることのないままエネルギーが無駄になっていた。
 従来の水力発電よりもかなり小さく、効率の高い機器を利用して水の運動エネルギーを電力に変えるのが「小水力発電」だ。
 小水力発電の魅力は「エネルギーの地産地消」を実現できるということ。一般的に電力は発電する場所と需要地が離れているため、その間を結ぶ送電線や鉄塔が大量に必要となり、災害で送電設備が被害を受ければ、発電所が無傷でも電力が止まってしまう。送電途中のロスも無視できない。小水力発電は規模が小さいため、大都会の電力需要を賄うことはできないが、小規模な農村にとっては有力な選択肢となる。もちろん、いったん設備が出来てしまえば二酸化炭素を排出しないという長所もある。
 国交省では、2016年までに全国の約1000の地域で小水力発電の導入を進めてきた。ところが、道内では冬場の低温と降雪量の多さに加え、雪解けの5月上旬から農作物の収穫が始まり水を流す必要がなくなる8月下旬までしか用水路を利用することがないため、費用対効果の面で、小水力発電の効果が得にくいと考えられていた。
 しかし、取水期間を4月から11月まで延長すれば発電設備設置の効果が得られる。技術面では、施設を委託運営する土地改良区の技術向上も設置を後押しした。

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旭川市医師会会長選、山下氏3票差で4選

 旭川市医師会は4月22日、任期満了を迎えた役員選挙を実施したが、会長は4期8年ぶりの選挙戦となり、4期目を目指した山下裕久氏(72)=山下内科循環器科クリニック院長=が、初挑戦の林宏一氏(70)=東旭川宏生会林医院院長=にわずか3票というきわどい差をつけ当選した。副会長3名、理事15名、監事2名、裁定委員7名の選挙はいずれも無投票で決まった。

山下氏、林氏ともに「自薦」で立候補
 山下氏にとっては初めての選挙戦だった。元会長で5期10年務めた増田一雄氏(故人)の事実上の後継者として2011年に立起、対抗馬が現れなかったため無投票で初当選し、その後2回の選挙も戦わずして当選を重ねた。
 今回も任期満了の時期を迎えながら、誰も戦いを挑んでくる気配はなかった。早くから4期目に意欲を燃やし、山下氏自身も、また会員らも「会長選挙は今回も無競争」と踏んでいた。
 選挙の立候補締め切りは4月8日で、その17日前から届け出は始まっていたが、早々に山下氏と、山下氏が推薦人となった副会長や理事候補者が名乗りを上げたものの、その他の会長・理事候補はなかなか現れなかった。
 そのまま締め切りを迎えるかに見えたが、3日前の4月5日になって林氏が会長選挙への立候補を届け出た。立候補する場合は通常、会長も理事も推薦人をつけることが多いが、林氏は〝自薦〟だった。
 また、会長選挙に出る際は「自分にはこれだけの支援者がついている」ということをアピールするため、会長候補が推薦人になって副会長や理事の候補者を立てることが一般的なのだが、林氏は誰も推薦しなかった。(しなかったではなく、できなかった?)
 林氏は旭川市医師会では、増田会長時代を中心に3期6年間の理事経験があり、また4年前からは北海道医師会常任理事として、医師会活動に熱心に取り組んできた。
 今回、4期目を目指そうとしていた山下氏につては「医療・介護制度への認識が不足。独断と偏見で個人の価値観に固執している」(林氏の立候補声明文より)として早い時期から〝会長交代〟を考えていたようだが、山下会長の安定政権が続く状況の中では〝山下降ろし〟の協力者を募る作戦の実行は難しかった。
 伝えられるところ、会長選への立起を心に決めた林氏は、自分が推薦人となって副会長候補にも一人立てようとしたが、意中の人に断られて断念。結局、孤軍奮闘の頂上決戦で戦いを挑むことになった。

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道北勤医協元理事長・萩原信宏氏の新たな挑戦

 42年前に医療法人「道北勤労者医療協会」(道北勤医協)を創立し、初代理事長を務めた萩原信宏氏(77)が3月31日付で道北勤医協を退職した。民主的医療運動の先頭に立ち、道北の医療変革を進めながら、共産党の北海道議会議員として12年間、政治の舞台でも活躍した。これからは個人で、旭川市内の銀座商店街のビル内に、患者の話に耳を傾ける診療所を開設し、医療活動を続けるとともに、自らが中心となって設立した「あさひかわ福祉生活協同組合」(福祉生協)の活動にも積極的に取り組んでいくという。萩原氏の新しいスタートが楽しみだ。

銀座商店街で居場所づくり
 萩原氏が計画する診療所は今年6月1日の開院を目指す。場所は市内3条15丁目銀座センタービル(銀ビル)の2階。
 1967年に建てられた銀ビルは地上8階、地下1階。かつては結婚式場や展望回転レストランがあり、賑わいを見せた。ビルが面する銀座商店街も「市民の台所」と呼ばれ、日中は買い物客であふれかえり、地域住民の憩いの場ともなっていた。しかし今、銀ビルも銀座商店街も次第にその面影を失いつつある。
 「今年に入ってから銀ビルの安井徹社長といろいろ話をしているのですが、私が2階に内科の診療所を開設し、1階の空きスペースには人々が集えるサロンのようなものを作る。それによって人が集まることができ、銀座商店街の賑わいづくり、若者やお年寄りの居場所づくりに貢献できるのではないかと考えています」(萩原氏)
 萩原氏が勤医協から離れ、新しい人生のスタート場所に空きビル化した銀ビルを選んだのは、こうした街づくりへの思いがあったからのようだ。診療所の名称を「銀座通内科クリニック」と決めたのも、庶民のまち銀座通商店街を意識したものと思われる。
 これに対し、銀ビルの安井社長も萩原氏の考えに共鳴し、協力的な姿勢をみせる。
 「私にも、銀座通商店街に託児所や宅老所のようなものがあればいいという思いは以前からありました。萩原先生が考える〝居場所づくり〟を具体化していくことには、いろいろな難しさもあるかと思いますが、先生の夢の構想には協力していきたい」。
 この先、銀ビル、銀座商店街が〝医療〟と〝居場所〟という新しい発想で、少しずつでも生まれ変わっていく姿を見るのが楽しみだ。

一切の援助なく旭川で拠点づくり
 市民に期待感を持たせてくれる「銀座通内科クリニック」の開院を前に、42年前に自らが立ち上げた道北勤医協に一区切りつけた萩原氏のこれまでの奮闘の歴史を振り返ってみる。
 帯広市出身。鍼灸師で障害もあった父親が、患者の病気を治してあげたいと頑張っていた姿を見て育ち、医者を志して北海道大学医学部に入学。
 学生時代は学生運動に身を投じたため留年も経験したが、卒業後に就職したのは「働くひとびとの医療機関」として設立されていた札幌の北海道勤労者医療協会。医学生時代から、市民のための医療機関を作りたいという理想を持っていたが、その思いが「命の平等」を掲げた勤医協の理念と重なっていた。
 北海道勤医協に勤めて10年経った頃、民主的医療運動を道内各地に広めようという機運が高まり、旭川医大が開校していた道内第2の都市旭川に新たな拠点「道北勤医協」を設けることになり、その使命を担う医師として35歳の萩原氏に白羽の矢が立った。
 当時のことを萩原氏は「道北医勤医協・旭川医院物語」(12年1月刊)で次のように綴っている。
「(北海道勤医協の方針は)萩原以外は、人も出さない、金も出さない、そして金も貸さない、すべては現地で調達してやれというもの」
 「約10年勤務しての退職金が100万円ほど。医師免許を持っていれば銀行はお金を貸してくれると思っていたが、それほど簡単なものではなかった。北海道勤医協が保証人になれば、何も問題なく融資を受けることができたのだが、それも頑なに断られる。そのようなことで、多くの支持者から資金的援助を得て診療所建設に向かうことになる。それも(旭川に来て)1年もかけずに」

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建て替えられる旭川肢体不自由児総合療育センター

 春光台にある「道立旭川肢体不自由児総合療育センター」が建て替えられることになった。改築費は46億円で、今年11月に着工し2年後の2019年7月に完成する予定だ。老朽施設を何とかしてという父母や関係者の切実な要望が通じ、久方ぶりの道のビッグプロジェクトが実現。6期目の公約に掲げていた加藤礼一道議も尽力した。

道北、道東がエリア
 北海道立旭川肢体不自由児総合療育センター(旭川市春光台2の1)は、手足または身体に運動機能の障害がある18歳以下の児童や発達障害の子どもたちを受け入れる医療型の障害児入所施設。先天性の障害のほか、事故などで障害を負った児童が入院あるいはショートスティ、そして通院治療でリハビリなども行っている。
 道内では、同様の施設として札幌に愛称「コドモックル」の施設があり、道央、道南を中心に児童を受け入れている。旭川の施設は、道東、道北のエリアを主体に児童を受け入れている。つまり、同じような施設は道内では2カ所しかなく、非常に貴重な存在だ。
 現在、旭川の施設では遠くは稚内、根室などの児童を受け入れており、またエリア内の市町村や関係団体が行う療育相談などに職員を派遣するなど、肢体不自由児療育の拠点施設として、多角的な役割を果たしている。

1962年開設
 開設許可が下りたのは1962年。すぐに施設建設に取りかかりこの年の12月に「北海道立旭川整肢学院」として、現在地に創立された。翌63年からは児童の受け入れを開始し、事業がスタートしている。
 その後、70年に母親などとともに入院する「母子入院部門」が開設された。当時は入所希望者が増加傾向にあったため、76年には全面改築。82年には現在の「北海道立旭川肢体不自由児総合療育センター」と改称している。これに合わせ、入院部門だけではなく、外来診療部門も開設した。
 これにより、旭川市内および近郊の障害児が通院する試行も開始。98年からは正式に通院が可能になったほか、治療を受けた後、隣接する旭川養護学校に通学することもできるようになった。
現在入所しているのは40人で、母子入院は出入りがあるため5~10組。職員は約100人で、看護師が最も多く約45人。次いで、小児科、整形外科の医師が5人、そのほか作業療法士、言語聴覚士、保育士、レントゲン技師、検査技師、薬剤師などが常勤している。

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この続きは月刊北海道経済2017年5月号でお読みください。