あなたも市議選に出てみませんか

市議会議員選挙で新人候補がなかなか出てこない理由の一つに「選挙にはお金がかかる」ことがあるのではないか。しかし候補者には様々な公的資金援助がある。これを知っておけば「よし、私も出てみようか」という気持ちになる人がいるかもしれない。近づく旭川市議選は今のところ定数(34人)をどうにか満たす程度の立起予定者しかいない。「市議選に出てみようか」と考えている人たちのために「候補者となるための手引き」を紹介する。これを読んで、あなたも立起してみませんか?

出馬は25歳以上 供託金は30万円
 旭川市議選に出馬するためには市内に3ヵ月以上在住し、投票日までに満25歳に達しているという、最低2つの条件を満たしていなければならない。これをクリアーできれば、年齢に上限はないし、身体的障害があっても大丈夫。
 ただし、何らかの刑の執行中の人や、公務員は現職のままでは立候補できないなどといった、いくつかの〝欠格事項〟もある。しかし一般的にはこれらに該当する人は少ないので、25歳以上の旭川市民なら誰でも候補者になれると考えてもいいだろう。
 立候補の届出を行うためには各種書類が必要となるが(後述する)、それ以前にまずは何を置いてもお金を用意しなければならない。いわゆる「供託金」と呼ばれるもので、市議選の場合は30万円(道議は60万円、市長は100万円)。
 この30万円は〝冷やかし立候補〟を自重させる意味合いを持つもので、旭川市議選の場合、有効投票者数を定数(34)で割り、その10分の1に満たない得票だと没収され、それを超えると返還される。例えば当日の有効投票者数が前回並みの約13万人だったとすれば、約380票以上取っていなければ没収される。ちなみに前回は40人の候補者全員が供託金を返還されている。
 さて、候補者となるためには選挙の告示日(午前8時半~午後5時)に文書で選挙管理委員会(選挙長)に届け出ることが必要。届出会場は前回の場合、午前9時半までは市民文化会館大会議室、それ以降は選管事務局。また、届出の前に午前7時40分から届出順位の抽選がある。
 届け出に必要な書類がいくつかあり、政党など政治団体の推薦(公認)を受けないで出馬する「本人届出」と、推薦などを受けて出馬する「推薦届出」とでは用意するものは若干違うが、どちらにも必ず必要なのは戸籍謄本(抄本)、宣誓書、経歴書、それに供託証明書。推薦届出の場合はこのほかに「所属党派証明書」などが必要となる。
 これらのことは事前に行われる候補者説明会で詳しく説明される。今回の市議選・道議選の説明会は2月26日開催が予定されている。

クルマ・ハガキ・ポスターは公費負担
 届出を済ませ立候補者になると、いわゆる選挙の7つ道具と言われる物品や書類を受け取る。選挙カーや拡声器の表示板、運動員の腕章、街頭演説用の標旗など選挙運動をする際に必ず携帯しなければならないもので、このほかハガキや新聞広告を出すときに必要な証明書などももらう。
 候補者が選挙運動を行う際には、その経費を公費で負担する仕組みもあり、例えば選挙カーを使った場合には告示後7日間の運動期間中に限り、1日につき1万5300円のクルマ代、7560円の燃料代、1万2500円の運転手代(合計24万7520円)が市から支払われることになる。
 また支持者などに出すハガキについても2000枚分(道議は8000枚)の郵送費用は公費負担で、金額にすると12万4000円。さらにポスター掲示板に貼る候補者ポスター制作費用も400枚分の52万800円を上限に市が負担してくれる。選挙カーの費用など合わせると、市は候補者1人につき89万円以上の負担をしていることになる。従って、例えば40人が立起したとすれば市にとっては3560万円以上の負担が伴うことになる。
 1回の選挙にはこれだけの公費負担があるということを、候補者も市民も知っておく必要があるだろう。中にはこれらの公費負担の権利を行使しないで選挙を行う候補者もおり、そうした心意気は大切にしたい。
 このほか選挙中に個人演説会などで使用する町内会館や公民館などの公営施設は、2日前までに選挙管理員会へ申し込めば、同一会場で火曜~土曜の4日間で1回だけは無料で借りられる。

新人は1年前からの準備が理想的だが…
 では、実際に立候補するためにはまず何をすればよいのか。自分自身で決意した人、周囲から薦められて決意した人など、立起に至るケースは様々あるだろうが、いずれにしてもまずやるべきことは、身近な範囲で理解者や協力者を増やす努力をすること。
 中には「誰の応援もいらない。自分ひとりでやってみる」という強い信念の人もいるだろうが、当選するのに2500票は必要とされる現在の市議選で、何ひとつ組織や地盤を持たない人が当選できる可能性はほとんどない。
 理想的なのは、選挙実施日の1年ほど前から準備を進めることだが、実際には新人の場合は過去の例をみても、半年前に決意表明すれば早い方で、年が明けて2~3ヵ月前からというケースが多いようだ。
 また、知名度の高い新人なら、地道な選挙運動を行わなくても、ムードや勢いだけで当選するということもあるが、無名の新人ではやはりしっかりした政策を持ち、組織づくりに努力していくことが肝心。
 質素に選挙運動を行っても200万円程度は必要とされる市議選。準備期間が長ければ長いほどその経費はかさむ。かつて市議選に銀行から借金して選挙に立ち、落選した後10年間も返済に苦労したという人もいる。
 しかしこれまでには、公費負担分だけで費用の大半を賄ったという候補者も多く、借家やプレハブを建てたりしないで、自宅を選挙事務所にして戦い、当選したというケースもないわけではない。
 市議会議員への門戸は、想像以上に開かれている。意欲のある人は4月21日投開票の市議選に立起してみてはいかが?今ならまだ間に合う。

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この記事は月刊北海道経済2019年03月号に掲載されています。

東川の田んぼからコーヒーの香り

 道外や海外から東川を訪れる動機は人によってさまざま。雄大な風景、温泉、スキー、日本語学習…。最近増えているのが「おいしいコーヒー豆が買いたくて」遠くから東川まで足を運ぶ人たちだ。「ヨシノリコーヒー」の向こうに広がるスペシャルティコーヒーの奥深い世界を、少しだけのぞいてみた。

東川に新しい魅力
 雄大な大雪山の風景、天人峡・旭岳の温泉、コメ、湧水…。人口約8000人の町なのに、東川町には魅力がいくつもある。約4年前、このまちに加わった新しい魅力が「コーヒー」だ。冬は厳しい寒さに包まれる東川に、もちろんコーヒー畑はないが、腕を高く評価される焙煎職人がいて、焙煎機がある。芳香を放つ豆を求めて、全国はもとより、海外からも客が訪れる。
 それが「ヨシノリコーヒー」(東川町北町12丁目11─1)。轡田芳範さん(48歳)、紗世さん(36歳)夫婦が、道道からやや入ったところに開いたビーンズ・ショップ(自家焙煎店)だ。冬には一面の雪景色となる農地に囲まれ、店内では黒い鋳物の焙煎機が存在感を放つ。店の奥には自宅のスペースを改造して設置したドリンクスペースが設けられており、景色を眺めながら煎れたてのコーヒーを味わうこともできる。
 記者が訪れた年末の夕方、芳範さんは若手のスタッフに手本を見せながら焙煎している最中だった。温度計を注視し、炉の内部で加熱された豆が立てる小さな音に耳を傾ける。内部の豆を少量抜き取って香りをチェックしながら、注意深く焙煎する。ここぞというタイミングで炉から豆を出し、撹拌しながら冷却する。余熱で焙煎が必要以上に進まないようにするためだ。
 焙煎機はドイツの老舗、プロバット社の商品。芳範さんは複数のメーカーの商品を試用してからこの機械を選んだ。大型で鋳鉄製であるため、温度が安定しているのが強み。値段は「高級自動車が1台買えるくらい」だという。
 焙煎が終わった豆でコーヒーを作り試飲する。このとき必要な技術が「カッピング」。あえて音を立てるようにして吸い込むことで、鼻腔内部にコーヒーの霧を広げて香りをチェックする。
 芳範さんが焙煎について強く心がけているのは、豆が秘めているポテンシャル(可能性)を殺さず、最大限に引き出すということ。「焙煎の腕で豆をもっと美味しくすることなんてできません」。

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人手不足に拍車かける 「介護離職」

 家族の介護や看護を理由に仕事を辞める「介護離職」が社会問題となっているが、旭川でも介護離職者は増加の一途をたどり、この5年間で倍増という勢い。管理職や経験豊かなベテランなど企業の中核を担う人材の離職も多く、ただでさえ慢性的な人手不足にあえぐ市内の企業にとって大きな打撃となっている。

全国で9万9千人
 家族の介護や看護を理由に仕事を辞める「介護離職」が社会問題となって久しい。総務省が昨年8月に公表した「平成29年(2018年)就業構造基本調査」によると、2017年に介護や看護を理由に離職した人は、全国で年間9万9千人。そのうち、ほぼ8割を占めたのが女性で7万5000人、男性は2万4000人となった。年齢別では、50歳代が最も多く37%。これに60歳代(30%)、40歳代(18%)が続いた。安倍政権では2020年代の初めまでに介護離職者ゼロを目指しているが、実現にはほど遠い状況だ。
 介護離職が一向に減らない背景には少子高齢化が挙げられる。
 高齢化は急速に進み、総人口に占める70歳以上の割合は18年9月の時点で前年の0・8ポイント増の20・7%。少子化にも拍車がかかり、17年の出生数は、統計を開始した1899年以降最少の94万6060人となった。
 加えて、晩婚化によって育児と親の介護が重なる「ダブルケア」が増えたことや、少子化や非婚化によって、家族の中で介護を分担できる人が減っていることも影響している。
 旭川でも介護離職の解消は喫緊(きっきん)の課題だ。
 先の平成29年就業構造基本調査では、人口30万人以上の都市については個別にデータが示されているが、旭川の介護離職者の数は1200人。これは2012年10月から17年9月までの5年間の介護離職者総数となっている。ちなみに、前回の平成24年のこの調査では、総数は600人となっており、実に倍増した計算となる。
 全国の傾向と同様に、離職は男性よりも女性が圧倒的に多く、1200人の離職者のうち、女性が8割以上を占めて1000人となり、男性は200人となった。

高齢の両親を介護
 厚労省が発表している「仕事と介護の両立に関する労働者アンケート調査」によると、介護離職の理由として最も多いのが、職場での仕事と介護の両立の難しさで、男女ともに6割以上が回答。続いて多いのが、介護する本人の心身の健康状態が悪化したこと。これに、本人が介護を専念することを望んだことが続く。
 中には、親が介護サービスの利用を拒んだために自宅で介護をしていたが、仕事との両立に限界を感じて離職するケースもある。高齢の両親を長年にわたって介護してきた旭川在住のAさん(60代女性)もそんな一人だ。
 独身のAさんは三人姉弟の長女で、弟と妹が独立した後も両親と暮らしてきた。市内の企業で事務職員として働き、年をとった両親の身の回りの世話もするようになった。
 本格的な介護が始まったのは4年前のこと。当時84歳だった母親が認知症を発症したことで生活スタイルが一変した。
 毎朝5時に起床して両親の3食分の食事を用意。主食や副菜にラップをかけて、メモを貼って冷蔵庫に入れてから出勤し、仕事を終えると直帰して両親の世話をして足浴もさせた。母親よりも3歳年上だった父親は家事が苦手だったが、Aさんが家を留守にする時には母親を見守ってくれた。
 しかし、母親は認知症に加えて足腰が急速に弱り、移動するときにはAさんの介添えが必要となった。デイサービスを利用することで、仕事と介護を何とか両立させようと考えたが、父母ともにデイサービスに通うことを嫌がったために、一人で介護を続けるしかなかった。
 時間的にも体力的にもギリギリの状態で仕事と介護の両立を2年続けたが、両親の老化が進む中で離職を選択するしかなくなった。17年春に市内の企業を退職した。

表紙1902
この記事は月刊北海道経済2019年02月号に掲載されています。

波紋広がる緑が丘ポプラ並木伐採問題

 街路樹が多く、住民に親しまれ、観光資源にもなっている旭川市緑が丘地区の緑地帯。しかし、一方では、落ち葉や枝折れ、見通しの悪さによる交通障害などが悩みの種になっているのも事実だ。そんな中、神楽岡地区との境界にある緩衝樹林帯(全長750㍍、緑が丘3条1丁目)で樹木調査の結果、ポプラ等の並木64本に倒木の危険性が高いことが判明。旭川市は1月下旬ごろにも伐採を計画しているが、1路線で一度に64本という数は異例の多さで、住民や環境保護団体関係者らの間で波紋が広がっている。

ポプラ62本とドロノキ2本 「伐採が必要」判定
 旭川市では1924(大正13)年から街路樹を植栽。64(昭和39)年に「シンボル並木をつくる運動」、70年には「緑化大作戦」が展開され、現在、約4万本の街路樹が市内各所に植えられている。その一方で街路樹は、交通分離や視線誘導といった交通安全機能も併せ持っている。
 そして街路樹の倒木や枝折れによる被害を未然に防ぐため昨年6月から2ヵ月、市は市内15路線で樹木調査を実施。今回、問題になっている緑が丘3条1丁目の緩衝樹林帯(全長750㍍)でも調査が行われ、市からの委託を受けた樹木医が、国土交通省国土技術政策総合研究所策定の「街路樹倒伏対策の手引き」に基づき、ポプラ63本、ドロノキ47本を診断した。
 その結果、外観診断によって、葉の生育状況が悪く病害が見られ、倒木等の危険性が高いと判定されたのがポプラ16本。詳細診断が必要となったのが94本で、幹に腐朽や空洞化が認められ、倒伏・枝折れにつながる恐れがあると診断されたのが、そのうちの48本だ。最終的には、外観診断で危険性が高かった16本に加え、詳細診断で倒伏・枝折れが懸念される48本、合わせて64本(ポプラ62本、ドロノキ2本)について「伐採が必要」と樹木医が判定。これらの危険木調査費は約350万円で、伐採費は約1400万円を見込んでいる。
 一般的にポプラの寿命は80~100年程度とされるが、今回、伐採の必要を指摘されたのは、いずれも樹齢50~70年。これまでは5年ごとに市が剪定を行い、維持管理してきたはずだが、劣化の原因としては「周辺の土壌が粘土質であることが関係している可能性もある」と管理者の旭川市土木事業所はとらえる。

過去にない数
 2012年度から14年度にかけて中央橋通に植えられたニセアカシアを調査した際には、276本のうち104本が倒木の危険性が高いと判定されて伐採の対象となったが、今回の緑が丘のケースは、1路線での調査本数に対する伐採割合としては過去にない異例の多さだという。危険木と判定された樹木の中には、高さ約20㍍のものもあり、近隣に住宅があることから、倒木等が生じた場合、非常に大きな被害が出ると考えられる。これまで大きな事故の報告はないが、「台風時などは枝折れが発生し、沿線住民から不安を訴える声も寄せられている」と旭川市土木事業所は説明する。
 旭川市内では、強風による倒木の実例もある。2015年4月に緑町の私有地でマツ、同年10月には6区大通り中央緑地帯でマツ、南6条川沿いでヤナギがそれぞれ倒れている。16年にも豊岡地区で強風でヤナギが倒れたが、この時は伐採判定が出て対策を検討している間の出来事だった。16年11月には宮前で降雪によるナナカマドの倒木、市役所本庁舎前でプラタナスの枝折れが確認されている。

表紙1902
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カムイスキーリンクス周辺再開発、水資源がネック?

道内有数のスキー場、カムイスキーリンクス(神居町西丘)周辺の土地を買い占めている中国資本と旭川市内の業者がいる。ニセコバブルが他の道内地域にも波及していることをにらみ、早い時期から買収をはじめ再開発もしくは転売を狙っている。ところが、買収した地区の一部に開発が難しいとされる水資源保全地域が絡んでいることや、国のある機関の施設に隣接していることなど、業者にとって厄介な問題が浮上している。

ニセコバブルが上川管内にも波及
 中国資本と旭川の地元不動産会社が買い占めた土地は、雪質が良く道内でも有数のスキー場と評価されている旭川市神居町西丘にあるカムイスキーリンクス周辺。同スキー場でリフトの起点となるセンターハウスから、山の頂上を眺めて右側に広がる山林や田畑がある一帯。
 両社が買収した土地の総面積は、取材の中で全てを把握できたわけではないが、「数十㌶にも及ぶ広大な面積だ」(市のある幹部)。その一部の地番から登記簿を取り、見えてきたのが中国資本の泰基㈱(札幌市、李薪社長)と、荒井建設グループの不動産業者、アライ地所㈱(旭川市、荒井保明社長)。
アライ地所は、2013年7月から昨年3月末までカムイスキーリンクスを指定管理者として運営管理していた企業だったが、同スキー場はこの冬から旭川市ら周辺6町などで結成された大雪カムイミンタラ地域連合DMOが指定管理者となった。アライ地所にしてみれば、5年間運営管理していたカムイスキーリンクに隣接した土地を買収したわけで、大雪DMOに指定管理者を奪われなければ、総合的にこの地区一帯を再開発できたはずだ。
 一方、中国資本の泰基は、富良野市北の峰町の土地の一部を造成した企業だ。市営朝日ヶ丘総合都市公園と道路を挟んである土地に2本の道路を通して、階段状に造成した土地へコンドミニアムを建設する予定になっている。
 富良野市の不動産に詳しい旭川市内のあるデベロッパーは、次のように泰基の動きを分析する。
 「泰基は2016年の夏ごろ、カムイスキーリンクス周辺の土地を買収している。北の峰町の土地を買収した(手付金しか支払われていないという情報もある)のはその後になるが、開発は北の峰町の方が先になるはずだ。ところが昨年9月、中国人と思われる同社の富長林社長が突然辞任して、登記上では中国本土に住居を構える李薪氏が社長に就任している。その理由は、富氏が李氏に法人を売却したのか、何か別の理由で辞めさせられたのか。ともあれ先行きに不安を感じさせる動きだ」

表紙1902
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近文国立療養所跡地の再開発構想

旭川市近文町25丁目にある国立療養所跡地(8281坪)の再開発構想がようやく現実化しようとしている。旭川市が3年ほど前に計画し、現在は停滞している地域コミュニティーセンター(コミセン)建設を進めるために、プロポーザル方式の公募を行い土地をいったん民間業者へ売却してコミセンをリースバックする形で市が賃借し、残りを宅地分譲するといった内容だ。

広大な土地
 2015年、旭川市はこの地に地域コミセンを建設する計画を立てたが、広大な土地のため残りをどのように活用するのか迷った挙句、計画を放置したままにしていた。ところが18年11月ごろ、旭川市内のあるデベロッパーから、地域コミセン建設に使用する以外の土地(約8000坪)を宅地分譲に充てる案が市に提示された。市としても地域コミセン建設を掲げてから3年もの月日が経過し、その間前進がなかったことから、この提案を有効な手段と判断して協議を進めている。

旭川新道方向から見た国立療養所跡地
 たたし、いくら計画が遅れているとはいえ、市有地である上に、これだけ広大な土地を任意で売却することはできない。そのため、協議が進む中でプロポーザル型の公募を近々、実施する可能性がある。
 国立療養所跡地は、敷地面積が2万7328・7平方㍍(8281坪)と広大で、スタルヒン球場の約2万5000平方㍍よりも広い。1938年、市立旭川療養所が設置され、50年に結核専門機関の国立療養所(国療)となった。その後、国療が市内花咲町にある国立道北病院(現旭川医療センター)に統合され移転したため、77年には同病院の筋ジストロフィー病棟「近文荘」となり、89年9月まで利用された。しかし、近文荘も花咲町の同病院に統合され、94年3月には建物も解体され現在に至っている。
 旭川市は2003年、旭川市土地開発公社を通じて国から約2億2000万円でこの土地を取得した。13年11月、同公社が解散したため市が買い戻した経緯がある。その後、旭川市教育委員会が埋蔵文化財の試掘調査を行ったが、市は廃棄物などの埋蔵物がないかの調査は行っていない。
 市は一時、この場所でアイヌ文化の伝承館や総合的なアイヌ研究推進センターなどの施設計画を考えていたが実現には至らなかった。そうこうしているうちに、公共遊休地として冬季間、雪堆積場に使われるだけで実質使い道がない状況が続いていた。雪堆積場は12月から翌年の6月辺りまで使用されるため、近くの住民の間で「他の地区より地表の温度が低く家庭菜園に悪影響があるのではないか」などという声もあった。

表紙1901
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現地ルポ 富良野が第2のニセコに?

 数年前から富良野市の一部地区の地価が高騰している。富良野スキー場の麓、北の峰町が不動産投資の舞台で、中国人を筆頭に海外の投資家が殺到して土地の買収が加速している。今では坪あたり10万円はするという高騰ぶりだ。道内では、ニセコ地区が10年ほど前から海外の投資家の手で土地が買い漁られ坪100万円を超えるフィーバー振りだが、富良野も〝第二のニセコ〟になるのではないかと不動産業者の間で注目を浴びている。

ニセコの次はフラノ?
 十数年前、道内で人気のスキー場の一つに過ぎなかったニセコ地区は、海外の投資家の手で土地が買い漁られ、今や坪当たり100万円を超える高値で売買が行われている。札幌のある不動産業者は「ニセコ地区の中心部にある倶知安町比羅夫(ヒラフ)では、坪当たり140万円の値がついているところもある」と説明する。
 ここ数年は、海外の富裕層向けに毎年のようにホテルやリゾートマンション、コンドミニアムなどが建設され、あまりの混雑振りに道路を拡幅しなければならない事態に陥っている。その道路拡幅も、土地が高騰しているためなかなか進まないようで、地元民は急激な変貌に戸惑いを隠せないようだ。
 やや飽和状態とも思えるニセコ地区のバブル景気だが、同地区と同じく道内でも有数のスキーリゾート地、富良野に今、海外投資家の熱い視線が集まっている。その兆しが見えたのは5年ほど前。記者は当時、札幌のあるデベロッパーから北の峰町の富良野プリンスホテル近くで、オーストラリア人が約3000坪の土地を購入したという情報を得て現地を取材したことがある。
 地元のある不動産業者は記者の取材に、「その情報は正しいが、すぐに何か建設するといった話は聞いていない」と説明した。この業者は当時、北の峰町で戸建て住宅規模のペンションやコテージを中国人の投資から数件依頼されていた。その程度の規模であれば、観光地として世界的にも有名な富良野だけにたいして驚かなかったが、2017年ごろから大規模な土地の買収の動きが加速していた。

市営公園を挟んだ大規模開発
 富良野方面の情報にも詳しい旭川市内のデベロッパーから北の峰町の情報が寄せられたのは18年10月。「北の峰町から山部へ抜ける道道沿いで、市営の朝日ヶ丘総合都市公園と道路を挟んだ北側の斜面に整地されたところがある。面積は5000坪以上あり、中を走る道路も2本できている」という。
 早速現地に足を運んでみたが、デベロッパーが言った通り、敷地内に2本の道路が入り、富良野プリンスホテルに向かって段々畑状に整地が完了していた。
 土地の境界がはっきりしないため、土地の登記を取るのに手間取り、噂にある「中国人の投資家が買収した」という根拠は探れなかった。ただし、旭川市のデベロッパーらの話をまとめると、「中国資本の手で土地を買収し、中国の富裕層向けにコンドミニアムを建設する。戸数はわからないがほぼ予約済みという話だ」と語る。
 中国人同士の契約となれば、ほとんど情報は伝わってこないが、旭川の別の不動産業者は「噂が先行している。まだ手付かずの状態のはずだが…」と首を傾げる。とはいっても、雑種地だった土地がこれだけきれいに整地されていれば、雪解け以降に建物が建築されてもおかしくはない。

表紙1901
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さようなら「堂前宝くじ店」

 高額の当たりくじが出ることで知られる「堂前宝くじ店」が19年3月に閉店することが決まり、旭川市民の間で驚きが広がっている。幸運の女神・輝子さん(89)を中心に家族で仲良く経営していた堂前一家、名物売場に一体何が起きたのだろうか。

名物売場
 「この度、当店は平成31年3月を以ちまして閉店とすることになりました。長年のご愛顧大変ありがとうございました 堂前宝くじ店」
 短い文章が書かれた白い看板が堂前宝くじ店の店頭に掲げられたのは11月下旬のこと。看板は売場窓口の近くに控えめにひっそりと掲げられていたため、よもや閉店の知らせだと気づく人はそう多くはなかった。年末の挨拶に訪れた記者も実は看板に気付かず、長男・聡さん(67)の妻、星子さんから閉店することを知らされた時には驚きを隠せなかった。
 堂前宝くじ店は、旭川市民なら知らない人はいない有名店だ。高額当たりくじの全国ランキングで13位にランクインしたことがある名店で、市内だけではなく道内各地から宝くじファンが足を運び、観光バスで日帰りでのツアーが組まれるなど、ちょっとした観光スポットにもなっている。
 昭和26年にたばこ組合の勧めでわずか30枚の宝くじを販売した小さなたばこ店が、2年目にして1等くじ100万円を出したことが、堂前伝説の始まり。「高額のくじがよく当たる」 と、その名は一気に広がった。

7億円の当たりくじ
 当時はコーヒー1杯が30円でラーメン1杯35円。国家公務員の大卒初任給が7650円という時代。100万円がいかに大金であるかは想像に難くない。
 第2期高度成長期を迎えた昭和40年代になると一攫千金を夢見て宝くじ人気が一段と高まり、同店には長蛇の列ができるようになった。人気がピークを迎えたのは同51年。本州では宝くじを買い求める人が売場に殺到して死者が出るほどの騒ぎとなり、同店でも発売初日には早朝から約5000人という長蛇の列ができ、年末の風物詩となった。
 この頃から毎年のように1等くじを出し続けるようになり、旭川や道内のみならず全国にもその名が知られるようになった。その〝戦績〟は実に見事。左の表は平成以降の1億円以上の当選実績を記したものだが、平成10年と16年の2カ年を除き、2年から21年まで毎年1億円以上の高額くじを出し続けてきたのだから驚きだ。26年には1等と前後賞合わせて7億円の当たりくじを出すという奇跡ともいえる快挙を成し遂げた。
 同店は家族経営で、宝くじファンから〝幸運の女神〟と呼ばれている堂前輝子さん(89)をはじめ、平成30年3月に亡くなった輝子さんの夫の嗣延さん(享年94)、長男の聡さん(67)と妻の星子さん、長女のみゆきさんが仲良く経営をしてきた。
 市民からは「堂前さん」と呼ばれて親しまれ、高額当選が出ると常連客はまるで自分のことのように祝福。当たりくじが出ない年もあったが、そんな時には多くの市民が「今度は出るから大丈夫」と声をかけて励ました。
 ここ3年は高額の当たりくじは出ていないものの、もちろん今も人気は健在。大安ともなると長い行列ができ、観光バスに乗って宝くじファンが訪れる。

感謝の気持ちで一杯
 そんな人気店がどうして急に閉店することになったのだろうか。
 実は閉店の計画は数年前からあったそうで、宝くじ販売の仕事を実務面で支えてきた嗣延さんの体調が優れず平成30年3月に亡くなったこともあり、家族で相談して店を閉じることにしたという。
 長女のみゆきさんは次のように話す。「両親が高齢になり、数年前からは兄夫婦と私の3人で仕事をしてきましたが、相当しんどいものでした。みずほ銀行から箱詰めで送られてくる宝くじを手作業でバラと連番に分ける作業は20日間かかり、年末ジャンボともなると準備期間も入れると1カ月以上、一日も休みが取れないほどです。
 私たち兄弟もだんだんと年齢があがり、後継者がいないこともあり、思い切って平成の終わりとともに店を閉じることに決めました。閉店を知ったお客様からお声をかけて頂いたり、中にはお手紙を下さる方もいます」。
 輝子さんは耳が少し遠くなったそうだが、心身ともに健康で、体調はとても良さそうだ。70年近い宝くじ人生を振り返り、「本当にいろいろな出会いがあり、お客様に感謝の気持ちしかありません」と笑顔で話す。
 エピソードは枚挙にいとまがない。4200円の当たりくじを換金に立ち寄った人がたまたま手にしていたハズレくじの中に5000万円の当選くじが入っていたり、倒産寸前で幸運にも1000万円を当て、輝子さんも一緒になって万歳をしたこと、高額くじを当てた老夫婦が店の前で抱き合って大喜びしたことなど、様々な人生模様が繰り広げられてきた。
 高額当選の場合、金額の大きさに呆然となってしまう人が多いため、落ち着いてもらうために自宅に招き入れ、みゆきさんが淹れた温かい緑茶でもてなしてきた。
 そのため、「堂前さんでは高額くじを当てるとお茶を入れてもらえるらしい」という〝噂〟が広まり、一時期は宝くじを購入する際に「当ててお茶を飲みに来ます!」と高らかに宣言する人が相次いだ。中には本当に高額くじを当てた関東に住む男性が、わざわざお茶を飲ませてもらうために訪れたという。
 「高額くじを当てた男性が当選証書を手に、『お茶を飲ませて貰いに来ました』と突然来店しました。地元の売場で宝くじを購入したそうですが、誰かに当選証書を見せたくて仕方なかったけれど、地元で噂が広まると困るので母に見せるために旭川に来たそうです。お茶を飲んでもらうと、当選金で家を新築したことなど母とひとしきり話をして、その足で帰っていきました」(みゆきさん)
 ちなみに、なぜ堂前さんがこんなに〝当たる〟
のか。その理由について輝子さんは以前から「私たち家族にも全くわからない」と口にしていたが、今回の取材でも「ゲンを担いだり、神棚に手を合わせることもしてきませんでした。どうして高額くじが出たのか今だにわかりません」と話す。
 1等前後賞合わせて10億円が当たる年末ジャンボ宝くじは12月21日までの販売とあって、多くの宝くじファンが同店を訪れている。中には一攫千金を狙って9500枚も購入した人もいたそうだ。
 名所の幸運にあやかりたいという願いだけではなく、堂前さんに有終の美を飾ってもらうためにも年末ジャンボで高額の当たりくじが出て欲しい、そう願いながら買い慣れた売場に並ぶ人も少なくないのではないだろうか。宝くじの名所の閉店は惜しまれるばかりだ。

表紙1901
この記事は月刊北海道経済2019年01月号に掲載されています。