「天人閣」事業譲渡で再生なるか

 東川町天人峡の温泉ホテル「天人閣」が、首都圏を中心にビジネスホテルなどを展開する㈱カラーズインターナショナル(本社東京、松本義弘社長)に事業を譲渡した。創業118年の歴史を誇る老舗旅館だったが、ここ10年ほどは民事再生、事業譲渡などで経営基盤が揺らいでいた。地元東川町でも先行きに懸念を示す行政、観光関係者らが多かったが、譲渡を受けたカラーズ社では今秋から10億円超を投じて建物の改修を行う方針を示すなど、再建への期待感が膨らんでいる。

名声がた落ち 惨憺たる10年前
 1897(明治30)年から温泉地として開発され、旭川の奥座敷として発展してきた天人峡温泉。その代表格が天人閣。長年にわたり旭川の老舗企業「明治屋」が別会社の㈱天人閣を設立して経営にあたってきた。峡谷を流れる忠別川の氾濫による流失、2度の火災を経て、現在の温泉旅館が建てられたのが1964(昭和39)年5月。
 その後78(昭和53)年6月に増築され、8階建て、延べ約9300平方㍍の大型温泉施設として道内外の観光客や旭川市民の一泊宴会などに利用され、旅行代理店からの信頼も厚く、天人峡に天人閣ありと全国に名を馳せてきた。
 その名声に陰りが見えてきたのは十数年前から。とりわけ2007年7月に、天人閣館内で宿泊客も使用する飲料水を、建物の下を流れる沢の水を汲み上げて使っていた(水道法違反)ことが判明し、保健所から厳しい指導を受け18日間の自主休業を迫られたあたりから急降下が始まった。
 その5ヵ月前にも同様の違反が発覚しており、度重なる悪質行為に天人閣経営陣の資質が問われ、営業停止が明けてもエージェント(旅行代理店)からの信用はガタ落ちとなり、ツアー客の送り込みも敬遠されがちとなった。夏場の書き入れ時に集客が18日間も途絶え、しかも再開後も不調が長く続けば、いかなる老舗旅館といえども打撃は大きすぎた。
 また、このことは社会的には表面化しなかったが、実は天人閣では1960年代から80年代にかけて実に21年間も浄化槽に溜まった糞尿を忠別川に放流していた事実があった。問題が表面化する前に浄化槽を取り替え正しい状態に戻したが、名の通った人気旅館という顔の裏で、違反行為に無頓着という体質は長く続いていたのである。
 さらに天人閣では宿泊利用者数の極端な水増しをはかり、その架空売り上げを信用の根拠とし、ノンバンクから数回にわたる融資を受けるという詐欺まがいの行為も発覚し、経営の台所はたちまち火の車となってしまった。
 2008年当時、約3億円にものぼる金融機関からの借金、数千万円にも及ぶ取引業者への未払い、さらに各種税金、負担金の滞納、そのうえ従業員給料や退職金未払い問題を抱え、天人閣はもはや自力では打つ手のない状況に陥っていた。

ここ10年は波乱の推移
 その後1~2年間、天人閣はあわただしい変遷をたどった。09年12月には民事再生手続きのもとで、それまで経営権を握っていた旭川の名門・佐藤家の佐藤清司会長、佐藤祐司社長親子が退陣し、新たに旭川や留萌でホテルなどの宿泊関連施設を手がけていた企業に引き継がれた。
 しかし、佐藤家の経営時代に隠されていた多額の債務が重荷になり、やむなく民事再生を諦め自己破産の道をたどることになった。当時明らかになった負債は8億4000万円という多額なものだった。
 自己破産の処理をする経過の中でスポンサー企業として名乗りをあげたのが登別に本社を持つ企業グループで、同社は新たに天人閣のある東川町に本社を置く㈱松山温泉を設立し、旅館建物や営業権を5000万円で取得し、天人閣で宿泊担当として勤務していた藤田幸雄氏を社長に据えて老舗旅館の再生に乗り出した。これが11年4月のことだった。
 その後の天人閣は東川の観光行政も経営内容をつかみかねる状態が続き、旭川市民からも「天人閣はどうなっている?」という声が上がっていた。経営面では詳細不明の部分が多く、㈱松山温泉となってから「藤田社長を中心に積極的な営業戦略やサービス体制の見直し、拡充を進めることで客足は徐々に回復している」(東京商工リサーチ)との調査報告があったのが唯一の情報だった。
 しかしその年の夏には東川町が集中豪雨に襲われ、天人峡温泉に通じる道路が遮断され、天人閣も道路復旧まで休業を余儀なくされるなど、業績に影響が及ぶ事態となり、また東日本大震災で観光客の減少も重なり、かつての好調時にはほど遠い状況が続いていた。

表紙1807
この続きは月刊北海道経済2018年7月号でお読み下さい。

永山一番通歩道にバリケードの怪

 旭川市内の市道「永山一番通」の歩道に市がバリケードを設置し、歩行者や自転車の通行を妨げている場所がある。工事中というわけでもないのに、なぜ歩道の大半をふさぐ姿でバリケードが置かれているのか。奇妙な光景と映るそこには、10年計画の都市計画事業に伴う、地権者との用地買収交渉にまつわる複雑な事情があった。

個人情報がからむことなので…
 永山一番通(通称永山一番線)は、そのうちの約2・7㌔区間が「せせらぎ公園」として整備されているため「永山せせらぎ通り」とも呼ばれている。その沿線にある永山7条10丁目のクリニックの玄関前に、市が6基のバリケードを設置したのは今年の雪解けの頃だった。
 写真のように、歩道幅の4分の3ほどが通行止めになっており、人や自転車は、狭くなった幅1㍍ほどの歩道をすり抜けなければならない状況にある。通行量はさほど多くはないが、いかにも不便そうで景観上も違和感は避けられない。
 さらに写真を見ると分かるように、この歩道上にはクリニックの建物の玄関につながるスロープとガレージ(自転車置き場)がせり出している。これが歩道上の障害物となっており、バリケードにはその存在を知らせ通行者に注意を促す意味があるようだ。
 いったいなぜ、このようなことになっているのか。旭川市土木部の道路管理課へ問い合わせると、時間をおいて用地課から連絡があり、「(バリケードを置いているのは)まだ地主との移転交渉が完了しておらず、安全性を考えてのこと」という説明。
 記者が「歩道整備事業は終了しているのに、なぜそこだけ交渉が遅れているのか、その経緯を聞きたい」と言うと「個人情報が絡むことなので話せない」との返答。

表紙1807
この続きは月刊北海道経済2018年7月号でお読み下さい。

介護保険料 旭川市も月6000円超え

 介護保険料の増額が止まらない。3年ごとの見直しでこの4月、道内7割以上の自治体で基準月額保険料を引き上げた。旭川市も6.1%、金額にして355円のアップで6190円となった。「年金は減っているのに、これ以上何を切り詰めればいいのか…」と高齢者から悲鳴が…。

18年で2倍強
 かつて、親の介護は家族で行うのが当然と考えられてきた。しかし高齢化が進むにつれ介護を必要とする高齢者が急増したことで、介護する家族の負担を軽減し高齢者の介護を社会全体で支えようという考え方で2000年にスタートしたのが介護保険制度。
 介護保険が適用されるためには被保険者となる必要があり、被保険者は65歳以上が第一号。原因を問わずに要介護認定または要介護支援を受けたときに介護サービスを受けることができる。40歳~64歳までの医療保険加入者は第二号で、加齢に伴う疾病が原因で要介護認定を受けた時にサービスを受けることができる。
 65歳以上の介護保険は、市区町村や広域連合が運営しており、保険料は介護サービスに必要な費用の見通しなどをもとに自治体が3年ごとに見直す。2000年のスタート時点で旭川市の「基準月額」は3117円だった。
 その後の推移は左の図に示したように、3年後に3650円となり、その後4309円、4650円と増額。そして12年には一気に1000円余りアップして5679円となり、前回15年の見直しでは5835円。そして今回ついに、6000円の大台、6190円となった。制度スタートから18年で倍となったわけだ。

年金は下がり…
 旭川市内の高齢者からは「負担が重過ぎる」と悲鳴が上がっている。
 「年金が下がっていて、家賃や食費、光熱費や薬代など毎月の支払いが多くほとんど残らない。このうえ何を切り詰めて高額な介護保険料を払っていけばいいのか。高齢者の負担を減らす仕組みにしてほしい」(70代男性)「そもそも高すぎるのに6000円をオーバーするなんて納得できない」(70代女性)「18年で保険料が2倍強になるというのはいかがなものか。しかも介護サービスを受ける際の自己負担割合も高くなっている。制度自体に問題があるとしか思えない」(60代男性)
 新年度入りして食料品や外食などで値上げが相次いでいるだけに、年金生活の高齢者にとっては厳し過ぎる介護保険増額だ。

表紙1806
この続きは月刊北海道経済2018年6月号でお読み下さい。

LCCタイガーエア台北便搭乗記

 11月の完成に向けて建設が進む旭川空港の国際線ターミナルビル。しかし、現在海外から旭川空港に乗り入れている定期便はLCCの台湾タイガーエアによる週2往復(火曜日・土曜日運航)だけだ。記者がゴールデンウィークの連休を利用してタイガー便に搭乗し、「唯一の国際定期便」の現状を探った。

利用者の大半は台湾人ツアー客
 「航空便の維持や便数増加のためには、旭川市民による積極的な利用が不可欠だ」─過去、繰り返されてきた言葉だ。実際、初めての国際定期便として韓国アシアナ航空が旭川─仁川間で就航した際には、民間の有志が「アシアナ友の会」を結成して、実際に韓国へのツアーを企画するなどしてきた。
 現在運航されているタイガーエアの旭川─台北(桃園)便についてはどうなのか。結論から言えば、旭川市民が応援のため利用できる余地は少ない。記者はタイガーエアのウェブサイトを利用して3月13日に予約を入れたが、その時点で「残り席わずか」だった。利用者の大部分は台湾の旅行会社が企画したツアーに参加した台湾人。日本人による利用はほとんど見込まず、ネットを通じた日本での販売枠もわずかしか確保していないとみられる。

食事持ち込み禁止
 台湾行きの便に搭乗したのは5月1日。離陸する前から、現在の空港ビルの片隅にある国際線搭乗口の前には、台湾人観光客が集合し、台湾語と北京語が飛び交っていた。出国検査を通った先には免税店があるのだが、彼らは搭乗直前まで土産物の購入に忙しい。この時点で空気はもう台湾と変わらない。
 往路は12時10分発。機内はほぼ満席だった。台湾の旅行会社はこの時期、「今年最後の桜が楽しめる」との触れ込みで北海道旅行を販売している。記者の隣に座った人に話しかけると、家族数人で団体旅行に参加、函館空港から入国し、4泊5日の旅行を存分に楽しんだと教えてくれた。
 LCCは前後の座席の間隔が通常の航空会社と比較して狭い。身長170㌢の記者が腰をぴったり背もたれに付けた状態で座席に腰掛けると、膝と前の座席の間には数㌢の間隔があり、それほど窮屈には感じなかった。しかし、背もたれを倒している人はほとんどいなかった。
 離陸後まもなく機内食の配膳が始まった。タイガー便の機内食は座席予約と同時に購入しておくのが基本なシステムで、メニューは「排骨飯」(揚げた豚スペアリブをライスに載せた台湾の庶民料理)など台湾の大衆料理を基本に機内食用にアレンジしたもの。機内でも注文はできるが、値段は320元(約1150円)と、台北市内の食堂の価格100元(360円)の3倍以上に達する。なお、タイガーエアでは機内への食事の持ち込みを禁じているので注意が必要だ。
 これがタイガーエアだけの特徴なのか、ほかのLCCとも共通しているのかは不明だが、飛行中の機内は記者が過去に経験したことがないほどにぎやかだった。家族連れの旅行客が話し続けていることに加え、男女のキャビンアテンダントによる免税品の販売が非常に積極的だった。少しでも手が空くとクルーがワゴンを押して通路を往復。機内放送でも「ただいま15%引きセールを実施中です。桃園空港の免税品店よりお得です」と繰り返していた。航空運賃を安く設定している分、物販を通じた売り上げの確保が不可欠なのだろう。
 記者の近くに座っていた女性は手を挙げてクルーを呼び、カタログを指さして韓国製化粧品を注文した。クルーは「申し訳ありませんが売り切れです。でも(別のページの化粧品を指さして)こちらも人気ですよ。うちの会社の女性CAはみんなこれ使ってます」とまくし立てた。そんなセールストークが成立するのかと記者は疑問に思ったが、女性は2つ購入していたから、効果はあったようだ。
 桃園空港到着は現地時間15時50分。空港MRT(鉄道)に乗って台北駅に移動し、夕方5時までに台北市街に入った。夕食を台北市内で楽しむにはちょうどいい時間設定の便だ。昨年、空港MRTが開通するまではバスやタクシーを利用しなければならず、また空港と台北の間の高速道路がしばしば渋滞するため、台北への到着時間が計算しにくかったのだが、空港MRTの登場でアクセスは大幅に改善した。

帰国便は朝6時発
 問題は4日後の帰りの便。桃園空港から旭川空港に向けての便は朝6時15分に出発、11時10分に到着する。空港MRTは始発が6時だから利用できず、台北市内から空港までは約1000元を払ってタクシーを利用するか、台北駅の北側にあるバスステーションから深夜・早朝も出発している空港バスを利用するしかない。日本人観光客はホテルにタクシーの手配を依頼しておくのが安全だろう。なお、エネルギッシュな台湾人も朝6時台の飛行機は辛いのか、機内では旅行客も添乗員も眠る人がほとんど。機内販売のワゴンも一度やってきただけだった。
 記者が支払った航空運賃は往復で6万1648円。これはゴールデンウィークに合わせて高めに設定された料金で、5月中旬には往復4万2662円に設定されていた。この値段で海外に行けるとすれば手頃な料金であることは確かだが、問題はやはり帰りの便の時間設定。出国のみ便利な旭川発のタイガー便を利用し、帰国の際には時間的に便利な他の航空会社の新千歳着の便を活用するのも一つの方法かもしれない。
 旭川空港では現在、国際線ビルの建設が進むが、タイガーエアの運航が確定しているのは10月末まで。その先は未定だ。同社はまだ旭川空港に搭乗券の発行に必要な機器などを持ち込んでおらず、普通のプリンタで印刷した簡便な搭乗券を乗客に渡していることからも、「本気度」には疑問符がつく。同じ台湾のエバー航空は9月15~10月14日の季節運航を予定しているものの、こちらも以前のような通年運航を復活させるメドは立っていない。
 海外の航空会社が、たとえ搭乗率が高水準を維持しているとしても、道内・国内の他の空港のほうが多くの利用が見込めるとなればすぐに路線を見直すことは、過去の実例が証明済みだ。現時点で唯一の国際便である旭川─台北便の維持または増加を願いたいが、購入できる座席が少ないこともあり、旭川市民にできることはほとんどない。

表紙1806
この記事は月刊北海道経済2018年6月号に掲載されています。

藤田観光ワシントンH、ついに旭川撤退へ

 藤田観光ワシントンホテル旭川(旭川市宮下通7丁目)が4月19日、今年9月末に営業を終了することを発表した。建物や施設の老朽化が進む一方、駅前で相次ぎホテルが開業、または今後の開業が予想され、営業継続は難しいと判断した。旭川駅から見れば買物公園を挟んで左右の建物が空き家となる異常な事態はいつまで続くのか─。

異例のネーミング
 藤田観光ワシントンホテル旭川は1990年のオープン。藤田観光系のホテルは名称を地名+「ワシントンホテル」としているが、旭川の場合はヨシタケグループが先行して旭川ワシントンホテル(現スマイルホテル旭川)を開業していたことから、この名称とした。旭川駅を降りてすぐという絶好の立地条件を活かして、これまで多くの観光客やビジネス客を集めてきた。
 藤田観光は全国41ヵ所(提携ホテル含む)でホテルを経営しているが、全体で見れば経営は良好だ。連結ベースの売上高(2017年12月期)は700億円で前年比2・7%増加、経常利益は20億円余りで同20・6%の増加だった。にも関わらず旭川撤退を決めた最大の理由は、周辺での相次ぐホテルのオープン。目の前にあった旭川ターミナルホテルに代わってJRイン旭川が登場、駅の東口に近い一角ではツルハビルディングの建設が進んでおり、2~7階にビジネスホテル形態の「ワイズ・ホテル」が7月にもオープンする。ここ数年の状況を見ても、宮下通8丁目の旧アサヒビル跡地では16年3月にルートイングランド旭川駅前が、その半年前には宮下通10丁目でホテルラッソグランデ旭川(現ホテルWBFグランデ旭川)がオープンしている。
 さらに気になるのが駅前に広がる大きな空きビル、空き地の行方。旧西武B館を購入した前田住設はかねてから国際的なブランドのホテルをこの敷地に導入する意向を明らかにしているほか、A館の跡地を購入したツルハホールディングスも、旭川市にホテルを含む複合商業施設建設の構想を伝えたと言われている。以上の動きはすべて旭川駅から徒歩圏内で起きており、他の小規模な宿泊施設の存在も考えあわせれば、このエリアで宿泊客の奪い合いが一段と激化するのは必至の情勢だ。

表紙1806
この続きは月刊北海道経済2018年6月号でお読み下さい。

固定資産税データで空き家対策

 約2万3000軒が「蓄積」し、少子高齢化の結果、今後も増加が確実な旭川市内の空き家。放置しておけば都市環境に悪影響を及ぼすのは確実だが、土地と建物の所有者が認知症などで判断能力を失ったり、相続で所有権が分散したりすることが空き家対策を困難にしている。不動産業界は空き家の活用促進のため市が握る固定資産税関係のデータの活用を希望しているが、旭川市は今のところ他の自治体と比較して慎重だ。

子の世代が流出
 昨年12月5日、旭川市西地区にある築40年の木造2階建てアパートが行政代執行によって強制撤去された。老朽化が進み、モルタルの壁が落ちるなどして、市には周辺住民から苦情が寄せられていた。しかし、この工事にかかった費用は380万円で、市が立て替えた。
 取り壊しの費用を考えれば、こうした強制撤去は倒壊の恐れがあるなど例外的な事例でのみ有効な手法。一般的には、使われていない住宅を市場で転売し、建物を取り壊して土地を再活用、または住宅をリフォームして再活用するのが空き家を減らす現実的な手法なのだが、時代の変化のためにそれが難しくなっている。
 まずは年齢別構成の変化。旭川市の人口が緩やかな減少を続けていることはよく知られているが、年齢別の変化に注目すれば、よりダイナミックな動きが生じている。今年4月1日と20年前(1998年3月末)を比較すれば、60歳以上が61%も増加したのに対して、20~59歳の人は25%も減少している。これは、高齢化と少子化だけでなく、家庭の主要な働き手であるはずの世代が市外に流出したことを意味している。昔なら、父と母が建てた住まいを子の世代、とくに長男が継承して住む、または取り壊して立て直すという流れがあったが、子が旭川市内にいなければ、年老いた親はいつかは子の住むまちに移り住むか、市内の施設に入るしかない。いずれにせよ旭川市内の住まいは必要なくなり、空き家増加の要因となる。
 もう一つの要因が高齢化。所有者が認知症などで判断能力を失い、不動産の処分をできないまま売るタイミングを逸してしまう人が増えた。
 認知症の人が所有する不動産を家族などが売却するには、家族、司法書士、弁護士などを成年後見人に立てた上で、家庭裁判所に「居住用不動産処分許可の申立」を行う必要がある。ただし、家裁が所有者本人のためになると判断しなければ、売却は認められない。
 そもそも、空き家を誰が所有しているのかがわからないケースもある。最後の相続から長い歳月が経っていたり、相続手続きが行われていないことがあるためだ。

表紙1806
この続きは月刊北海道経済2018年6月号でお読み下さい。

旭東高「アドミッション・ポリシー研究」が奏功

道内屈指の進学校として知られる旭川東高。毎年、東大、京大、早慶など難関大に多くの合格者を輩出しているが、今年の受験では7クラス編成になった2005年以降で最多となる158人が国公立大に現役で合格するという好結果を残した。3年前に導入した「アドミッション・ポリシー研究」の成果だ。

 旭川東高は18年大学受験でも好実績を残した。特筆すべきは現役生の国公立大合格者数。ここ数年、右肩上がりで増加傾向にあり、15年は127人、16年131人、17年145人と推移していたが、今春は158人になり、7クラス編成が導入された2005年度以降で最多となった。
 難関大学にも多くの合格者を出した。北大の合格者数は昨年よりも減少したが、道内5位にランキング。難関の医学部にも現役1人、既卒2人が合格した。東京大は現役1人、既卒1人が合格し、東北大5人、一橋大1人、筑波大5人、大阪大1人が合格。難関私立大では、早稲田11人、慶応4人、上智1人、国際基督教大1人の合格者を輩出し、地域ナンバー1高校としての底力を見せつけた。
 同校の快進撃は、15年度に導入を始めた「アドミッション・ポリシー研究(以下AP研究)」の成果だ。アドミッション・ポリシーとは、大学の入学者受け入れ方針のこと。自校の特色や教育理念などに基づき、どのような学生像を求めるかを示したものだ。たとえば旭川医大の場合は、「医師、看護職者としての適性とともに地域社会への関心を持ち、自らが問題を見つけ、解決する意欲と行動力を持つ学生」としている。
 東高では、1、2年次の「総合的な学習の時間」でAP研究を導入。1年次では、北海道大学、東京大学、京都大学のアドミッション・ポリシーを読み、各大学が求めている人物像や、大学の社会的責務などについて生徒同士が意見交換をして理解を深める。2年次では、自分が志望する大学のアドミッション・ポリシーを調べ、グループワークを通じて理解をし、志望校への思いをあらたにし、受験勉強に弾みをつける。
 今春の卒業生が入学した年に導入し、その成果が今年度の実績として確実に現れた様子。進路指導部部長の松井恵一教諭は次のように話す。
 「社会情勢が変動し、社会が大学に対して求める人物像も変化しています。大学は目的意識を持った学生を求めるようになり、それに対応すべくAP研究を導入しました。当校では以前から全国各地の大学を受験する傾向がありましたが、今年は学生たちが自ら様々な大学について調べ、明確な意思をもってより全国に目を広げて志望校を選びました。以前のような偏差値競争ではなく、将来、自分がどうやって社会に貢献できるのかを視野に入れ、進路を選ぶ学生も多く見られました」
 同校のAP研究は他の高校のモデルケースとなっており、進路指導の一環として導入する高校が次第に増えてきている。道北随一の進学校は実績だけではなく、独自の教育方針でも注目を集めている。

表紙1805
この記事は月刊北海道経済2018年5月号に掲載されています。

上川神社祭3条通露店を取りやめ

 短い旭川の夏を彩るイベントの一つが上川神社祭。この期間中、神輿を見たことがない市民はいても、一度も露店を見たことのない市民はいないはずだ。ところが夏の到来を前に、今年1月に実行委員会が、3条通での露店の廃止を決定した。スタッフの高齢化が最大の原因だが、露店側は同じ期間中、市内の他の場所での開催を目指すとしている。

800㍍に300店余
 毎年7月20日から22日にかけて開催される「上川神社祭」。本誌ではこれまで、神幸式(みこしパレード)のあり方に関する記事を何度か掲載してきた。その神幸式と並ぶイベントが「露店」。多くの市民にとっては、この露店こそがお祭りの主役かもしれない。
 護国神社祭で多くの露店が常磐公園内に並ぶのに対し、上川神社祭では古くから3条本通りの中央橋通りから大雪通まで(13丁目~18丁目)まで約800㍍の区間に300余りの露店が軒を連ねてきた。
 悪天候にさえならなければ、期間中、会場は多くの人で賑わう。浴衣姿の男女も多い。フランクフルト、焼きそば、おでん、わたあめなど、祭りだからこそ食べたくなるフードを頬張りながら歩く人も。「型抜き」は祭りの日しか体験できない特別な時間だ。
 ところが、少なくとも3条通では、今年の夏から露店が出ないことになった。地元住民で作る実行委員会は関係者に配布した文章の中で、以下のように説明している。
 「毎年7月20日~22日に開催されております上川神社祭の露店出店の件でございますが、約50年前に誘致され現在に至りますが、時代の変化に伴い市中心部での開催が難しくなってきておりました。十数年前よりいっそう厳しい状況となっておりましたが、3条通りの沿線の皆様のご理解とご協力により、続けてこられました。実行委員会でも改革などに努力、苦慮しておりましたが、実行委員会の高齢化も伴い、どうにも展望が見えなくなり、露店の出店の廃止策をとらざるをえないこととなり、実行委員会で何度か協議を重ね、昨年9月には大成地区の各町内会長にお集まりいただき説明会を開催し、同11月には露店側の役員との協議を行い、結果、平成30年1月に今年度より3条通りでの『上川神社祭の露店出店」を廃止する確約が成立いたしました」
 これまで露店設置のため奔走してきた実行委員会委員長の宮口幸治さんは、寂しさを表情に浮かべながらも、長年の懸案が解決したことでほっとした様子だ。

迷惑駐車も発生
 もともと上川神社に向かう参道で行われていた臨時露店が3条通に場所を移したのは今から約50年前のこと。以来、大成地区市民委員会と銀座商店街振興組合から構成される実行委員会が運営にあたってきた。
 実行委の仕事は多岐に渡る。道路通行止めに関する警察との交渉、警備員の手配、ごみ処理、露店関係者が備品を載せてやってくるトラックの駐車場所の確保…。かつては大成地区にも多くの若者が住んでおり、また露店の開催で地域の商店街全体が潤ったことから、多くの人が協力した。ところが、時代とともに祭りを囲む環境が変化し、開催は年ごとに困難になっていったという。

表紙1805
この続きは月刊北海道経済2018年5月号でお読み下さい。