人手不足に拍車かける 「介護離職」

 家族の介護や看護を理由に仕事を辞める「介護離職」が社会問題となっているが、旭川でも介護離職者は増加の一途をたどり、この5年間で倍増という勢い。管理職や経験豊かなベテランなど企業の中核を担う人材の離職も多く、ただでさえ慢性的な人手不足にあえぐ市内の企業にとって大きな打撃となっている。

全国で9万9千人
 家族の介護や看護を理由に仕事を辞める「介護離職」が社会問題となって久しい。総務省が昨年8月に公表した「平成29年(2018年)就業構造基本調査」によると、2017年に介護や看護を理由に離職した人は、全国で年間9万9千人。そのうち、ほぼ8割を占めたのが女性で7万5000人、男性は2万4000人となった。年齢別では、50歳代が最も多く37%。これに60歳代(30%)、40歳代(18%)が続いた。安倍政権では2020年代の初めまでに介護離職者ゼロを目指しているが、実現にはほど遠い状況だ。
 介護離職が一向に減らない背景には少子高齢化が挙げられる。
 高齢化は急速に進み、総人口に占める70歳以上の割合は18年9月の時点で前年の0・8ポイント増の20・7%。少子化にも拍車がかかり、17年の出生数は、統計を開始した1899年以降最少の94万6060人となった。
 加えて、晩婚化によって育児と親の介護が重なる「ダブルケア」が増えたことや、少子化や非婚化によって、家族の中で介護を分担できる人が減っていることも影響している。
 旭川でも介護離職の解消は喫緊(きっきん)の課題だ。
 先の平成29年就業構造基本調査では、人口30万人以上の都市については個別にデータが示されているが、旭川の介護離職者の数は1200人。これは2012年10月から17年9月までの5年間の介護離職者総数となっている。ちなみに、前回の平成24年のこの調査では、総数は600人となっており、実に倍増した計算となる。
 全国の傾向と同様に、離職は男性よりも女性が圧倒的に多く、1200人の離職者のうち、女性が8割以上を占めて1000人となり、男性は200人となった。

高齢の両親を介護
 厚労省が発表している「仕事と介護の両立に関する労働者アンケート調査」によると、介護離職の理由として最も多いのが、職場での仕事と介護の両立の難しさで、男女ともに6割以上が回答。続いて多いのが、介護する本人の心身の健康状態が悪化したこと。これに、本人が介護を専念することを望んだことが続く。
 中には、親が介護サービスの利用を拒んだために自宅で介護をしていたが、仕事との両立に限界を感じて離職するケースもある。高齢の両親を長年にわたって介護してきた旭川在住のAさん(60代女性)もそんな一人だ。
 独身のAさんは三人姉弟の長女で、弟と妹が独立した後も両親と暮らしてきた。市内の企業で事務職員として働き、年をとった両親の身の回りの世話もするようになった。
 本格的な介護が始まったのは4年前のこと。当時84歳だった母親が認知症を発症したことで生活スタイルが一変した。
 毎朝5時に起床して両親の3食分の食事を用意。主食や副菜にラップをかけて、メモを貼って冷蔵庫に入れてから出勤し、仕事を終えると直帰して両親の世話をして足浴もさせた。母親よりも3歳年上だった父親は家事が苦手だったが、Aさんが家を留守にする時には母親を見守ってくれた。
 しかし、母親は認知症に加えて足腰が急速に弱り、移動するときにはAさんの介添えが必要となった。デイサービスを利用することで、仕事と介護を何とか両立させようと考えたが、父母ともにデイサービスに通うことを嫌がったために、一人で介護を続けるしかなかった。
 時間的にも体力的にもギリギリの状態で仕事と介護の両立を2年続けたが、両親の老化が進む中で離職を選択するしかなくなった。17年春に市内の企業を退職した。

表紙1902
この記事は月刊北海道経済2019年02月号に掲載されています。

波紋広がる緑が丘ポプラ並木伐採問題

 街路樹が多く、住民に親しまれ、観光資源にもなっている旭川市緑が丘地区の緑地帯。しかし、一方では、落ち葉や枝折れ、見通しの悪さによる交通障害などが悩みの種になっているのも事実だ。そんな中、神楽岡地区との境界にある緩衝樹林帯(全長750㍍、緑が丘3条1丁目)で樹木調査の結果、ポプラ等の並木64本に倒木の危険性が高いことが判明。旭川市は1月下旬ごろにも伐採を計画しているが、1路線で一度に64本という数は異例の多さで、住民や環境保護団体関係者らの間で波紋が広がっている。

ポプラ62本とドロノキ2本 「伐採が必要」判定
 旭川市では1924(大正13)年から街路樹を植栽。64(昭和39)年に「シンボル並木をつくる運動」、70年には「緑化大作戦」が展開され、現在、約4万本の街路樹が市内各所に植えられている。その一方で街路樹は、交通分離や視線誘導といった交通安全機能も併せ持っている。
 そして街路樹の倒木や枝折れによる被害を未然に防ぐため昨年6月から2ヵ月、市は市内15路線で樹木調査を実施。今回、問題になっている緑が丘3条1丁目の緩衝樹林帯(全長750㍍)でも調査が行われ、市からの委託を受けた樹木医が、国土交通省国土技術政策総合研究所策定の「街路樹倒伏対策の手引き」に基づき、ポプラ63本、ドロノキ47本を診断した。
 その結果、外観診断によって、葉の生育状況が悪く病害が見られ、倒木等の危険性が高いと判定されたのがポプラ16本。詳細診断が必要となったのが94本で、幹に腐朽や空洞化が認められ、倒伏・枝折れにつながる恐れがあると診断されたのが、そのうちの48本だ。最終的には、外観診断で危険性が高かった16本に加え、詳細診断で倒伏・枝折れが懸念される48本、合わせて64本(ポプラ62本、ドロノキ2本)について「伐採が必要」と樹木医が判定。これらの危険木調査費は約350万円で、伐採費は約1400万円を見込んでいる。
 一般的にポプラの寿命は80~100年程度とされるが、今回、伐採の必要を指摘されたのは、いずれも樹齢50~70年。これまでは5年ごとに市が剪定を行い、維持管理してきたはずだが、劣化の原因としては「周辺の土壌が粘土質であることが関係している可能性もある」と管理者の旭川市土木事業所はとらえる。

過去にない数
 2012年度から14年度にかけて中央橋通に植えられたニセアカシアを調査した際には、276本のうち104本が倒木の危険性が高いと判定されて伐採の対象となったが、今回の緑が丘のケースは、1路線での調査本数に対する伐採割合としては過去にない異例の多さだという。危険木と判定された樹木の中には、高さ約20㍍のものもあり、近隣に住宅があることから、倒木等が生じた場合、非常に大きな被害が出ると考えられる。これまで大きな事故の報告はないが、「台風時などは枝折れが発生し、沿線住民から不安を訴える声も寄せられている」と旭川市土木事業所は説明する。
 旭川市内では、強風による倒木の実例もある。2015年4月に緑町の私有地でマツ、同年10月には6区大通り中央緑地帯でマツ、南6条川沿いでヤナギがそれぞれ倒れている。16年にも豊岡地区で強風でヤナギが倒れたが、この時は伐採判定が出て対策を検討している間の出来事だった。16年11月には宮前で降雪によるナナカマドの倒木、市役所本庁舎前でプラタナスの枝折れが確認されている。

表紙1902
この続きは月刊北海道経済2019年2月号でお読み下さい。

カムイスキーリンクス周辺再開発、水資源がネック?

道内有数のスキー場、カムイスキーリンクス(神居町西丘)周辺の土地を買い占めている中国資本と旭川市内の業者がいる。ニセコバブルが他の道内地域にも波及していることをにらみ、早い時期から買収をはじめ再開発もしくは転売を狙っている。ところが、買収した地区の一部に開発が難しいとされる水資源保全地域が絡んでいることや、国のある機関の施設に隣接していることなど、業者にとって厄介な問題が浮上している。

ニセコバブルが上川管内にも波及
 中国資本と旭川の地元不動産会社が買い占めた土地は、雪質が良く道内でも有数のスキー場と評価されている旭川市神居町西丘にあるカムイスキーリンクス周辺。同スキー場でリフトの起点となるセンターハウスから、山の頂上を眺めて右側に広がる山林や田畑がある一帯。
 両社が買収した土地の総面積は、取材の中で全てを把握できたわけではないが、「数十㌶にも及ぶ広大な面積だ」(市のある幹部)。その一部の地番から登記簿を取り、見えてきたのが中国資本の泰基㈱(札幌市、李薪社長)と、荒井建設グループの不動産業者、アライ地所㈱(旭川市、荒井保明社長)。
アライ地所は、2013年7月から昨年3月末までカムイスキーリンクスを指定管理者として運営管理していた企業だったが、同スキー場はこの冬から旭川市ら周辺6町などで結成された大雪カムイミンタラ地域連合DMOが指定管理者となった。アライ地所にしてみれば、5年間運営管理していたカムイスキーリンクに隣接した土地を買収したわけで、大雪DMOに指定管理者を奪われなければ、総合的にこの地区一帯を再開発できたはずだ。
 一方、中国資本の泰基は、富良野市北の峰町の土地の一部を造成した企業だ。市営朝日ヶ丘総合都市公園と道路を挟んである土地に2本の道路を通して、階段状に造成した土地へコンドミニアムを建設する予定になっている。
 富良野市の不動産に詳しい旭川市内のあるデベロッパーは、次のように泰基の動きを分析する。
 「泰基は2016年の夏ごろ、カムイスキーリンクス周辺の土地を買収している。北の峰町の土地を買収した(手付金しか支払われていないという情報もある)のはその後になるが、開発は北の峰町の方が先になるはずだ。ところが昨年9月、中国人と思われる同社の富長林社長が突然辞任して、登記上では中国本土に住居を構える李薪氏が社長に就任している。その理由は、富氏が李氏に法人を売却したのか、何か別の理由で辞めさせられたのか。ともあれ先行きに不安を感じさせる動きだ」

表紙1902
この続きは月刊北海道経済2019年2月号でお読み下さい。

近文国立療養所跡地の再開発構想

旭川市近文町25丁目にある国立療養所跡地(8281坪)の再開発構想がようやく現実化しようとしている。旭川市が3年ほど前に計画し、現在は停滞している地域コミュニティーセンター(コミセン)建設を進めるために、プロポーザル方式の公募を行い土地をいったん民間業者へ売却してコミセンをリースバックする形で市が賃借し、残りを宅地分譲するといった内容だ。

広大な土地
 2015年、旭川市はこの地に地域コミセンを建設する計画を立てたが、広大な土地のため残りをどのように活用するのか迷った挙句、計画を放置したままにしていた。ところが18年11月ごろ、旭川市内のあるデベロッパーから、地域コミセン建設に使用する以外の土地(約8000坪)を宅地分譲に充てる案が市に提示された。市としても地域コミセン建設を掲げてから3年もの月日が経過し、その間前進がなかったことから、この提案を有効な手段と判断して協議を進めている。

旭川新道方向から見た国立療養所跡地
 たたし、いくら計画が遅れているとはいえ、市有地である上に、これだけ広大な土地を任意で売却することはできない。そのため、協議が進む中でプロポーザル型の公募を近々、実施する可能性がある。
 国立療養所跡地は、敷地面積が2万7328・7平方㍍(8281坪)と広大で、スタルヒン球場の約2万5000平方㍍よりも広い。1938年、市立旭川療養所が設置され、50年に結核専門機関の国立療養所(国療)となった。その後、国療が市内花咲町にある国立道北病院(現旭川医療センター)に統合され移転したため、77年には同病院の筋ジストロフィー病棟「近文荘」となり、89年9月まで利用された。しかし、近文荘も花咲町の同病院に統合され、94年3月には建物も解体され現在に至っている。
 旭川市は2003年、旭川市土地開発公社を通じて国から約2億2000万円でこの土地を取得した。13年11月、同公社が解散したため市が買い戻した経緯がある。その後、旭川市教育委員会が埋蔵文化財の試掘調査を行ったが、市は廃棄物などの埋蔵物がないかの調査は行っていない。
 市は一時、この場所でアイヌ文化の伝承館や総合的なアイヌ研究推進センターなどの施設計画を考えていたが実現には至らなかった。そうこうしているうちに、公共遊休地として冬季間、雪堆積場に使われるだけで実質使い道がない状況が続いていた。雪堆積場は12月から翌年の6月辺りまで使用されるため、近くの住民の間で「他の地区より地表の温度が低く家庭菜園に悪影響があるのではないか」などという声もあった。

表紙1901
この続きは月刊北海道経済2019年1月号でお読み下さい。

現地ルポ 富良野が第2のニセコに?

 数年前から富良野市の一部地区の地価が高騰している。富良野スキー場の麓、北の峰町が不動産投資の舞台で、中国人を筆頭に海外の投資家が殺到して土地の買収が加速している。今では坪あたり10万円はするという高騰ぶりだ。道内では、ニセコ地区が10年ほど前から海外の投資家の手で土地が買い漁られ坪100万円を超えるフィーバー振りだが、富良野も〝第二のニセコ〟になるのではないかと不動産業者の間で注目を浴びている。

ニセコの次はフラノ?
 十数年前、道内で人気のスキー場の一つに過ぎなかったニセコ地区は、海外の投資家の手で土地が買い漁られ、今や坪当たり100万円を超える高値で売買が行われている。札幌のある不動産業者は「ニセコ地区の中心部にある倶知安町比羅夫(ヒラフ)では、坪当たり140万円の値がついているところもある」と説明する。
 ここ数年は、海外の富裕層向けに毎年のようにホテルやリゾートマンション、コンドミニアムなどが建設され、あまりの混雑振りに道路を拡幅しなければならない事態に陥っている。その道路拡幅も、土地が高騰しているためなかなか進まないようで、地元民は急激な変貌に戸惑いを隠せないようだ。
 やや飽和状態とも思えるニセコ地区のバブル景気だが、同地区と同じく道内でも有数のスキーリゾート地、富良野に今、海外投資家の熱い視線が集まっている。その兆しが見えたのは5年ほど前。記者は当時、札幌のあるデベロッパーから北の峰町の富良野プリンスホテル近くで、オーストラリア人が約3000坪の土地を購入したという情報を得て現地を取材したことがある。
 地元のある不動産業者は記者の取材に、「その情報は正しいが、すぐに何か建設するといった話は聞いていない」と説明した。この業者は当時、北の峰町で戸建て住宅規模のペンションやコテージを中国人の投資から数件依頼されていた。その程度の規模であれば、観光地として世界的にも有名な富良野だけにたいして驚かなかったが、2017年ごろから大規模な土地の買収の動きが加速していた。

市営公園を挟んだ大規模開発
 富良野方面の情報にも詳しい旭川市内のデベロッパーから北の峰町の情報が寄せられたのは18年10月。「北の峰町から山部へ抜ける道道沿いで、市営の朝日ヶ丘総合都市公園と道路を挟んだ北側の斜面に整地されたところがある。面積は5000坪以上あり、中を走る道路も2本できている」という。
 早速現地に足を運んでみたが、デベロッパーが言った通り、敷地内に2本の道路が入り、富良野プリンスホテルに向かって段々畑状に整地が完了していた。
 土地の境界がはっきりしないため、土地の登記を取るのに手間取り、噂にある「中国人の投資家が買収した」という根拠は探れなかった。ただし、旭川市のデベロッパーらの話をまとめると、「中国資本の手で土地を買収し、中国の富裕層向けにコンドミニアムを建設する。戸数はわからないがほぼ予約済みという話だ」と語る。
 中国人同士の契約となれば、ほとんど情報は伝わってこないが、旭川の別の不動産業者は「噂が先行している。まだ手付かずの状態のはずだが…」と首を傾げる。とはいっても、雑種地だった土地がこれだけきれいに整地されていれば、雪解け以降に建物が建築されてもおかしくはない。

表紙1901
この続きは月刊北海道経済2019年1月号でお読み下さい。

さようなら「堂前宝くじ店」

 高額の当たりくじが出ることで知られる「堂前宝くじ店」が19年3月に閉店することが決まり、旭川市民の間で驚きが広がっている。幸運の女神・輝子さん(89)を中心に家族で仲良く経営していた堂前一家、名物売場に一体何が起きたのだろうか。

名物売場
 「この度、当店は平成31年3月を以ちまして閉店とすることになりました。長年のご愛顧大変ありがとうございました 堂前宝くじ店」
 短い文章が書かれた白い看板が堂前宝くじ店の店頭に掲げられたのは11月下旬のこと。看板は売場窓口の近くに控えめにひっそりと掲げられていたため、よもや閉店の知らせだと気づく人はそう多くはなかった。年末の挨拶に訪れた記者も実は看板に気付かず、長男・聡さん(67)の妻、星子さんから閉店することを知らされた時には驚きを隠せなかった。
 堂前宝くじ店は、旭川市民なら知らない人はいない有名店だ。高額当たりくじの全国ランキングで13位にランクインしたことがある名店で、市内だけではなく道内各地から宝くじファンが足を運び、観光バスで日帰りでのツアーが組まれるなど、ちょっとした観光スポットにもなっている。
 昭和26年にたばこ組合の勧めでわずか30枚の宝くじを販売した小さなたばこ店が、2年目にして1等くじ100万円を出したことが、堂前伝説の始まり。「高額のくじがよく当たる」 と、その名は一気に広がった。

7億円の当たりくじ
 当時はコーヒー1杯が30円でラーメン1杯35円。国家公務員の大卒初任給が7650円という時代。100万円がいかに大金であるかは想像に難くない。
 第2期高度成長期を迎えた昭和40年代になると一攫千金を夢見て宝くじ人気が一段と高まり、同店には長蛇の列ができるようになった。人気がピークを迎えたのは同51年。本州では宝くじを買い求める人が売場に殺到して死者が出るほどの騒ぎとなり、同店でも発売初日には早朝から約5000人という長蛇の列ができ、年末の風物詩となった。
 この頃から毎年のように1等くじを出し続けるようになり、旭川や道内のみならず全国にもその名が知られるようになった。その〝戦績〟は実に見事。左の表は平成以降の1億円以上の当選実績を記したものだが、平成10年と16年の2カ年を除き、2年から21年まで毎年1億円以上の高額くじを出し続けてきたのだから驚きだ。26年には1等と前後賞合わせて7億円の当たりくじを出すという奇跡ともいえる快挙を成し遂げた。
 同店は家族経営で、宝くじファンから〝幸運の女神〟と呼ばれている堂前輝子さん(89)をはじめ、平成30年3月に亡くなった輝子さんの夫の嗣延さん(享年94)、長男の聡さん(67)と妻の星子さん、長女のみゆきさんが仲良く経営をしてきた。
 市民からは「堂前さん」と呼ばれて親しまれ、高額当選が出ると常連客はまるで自分のことのように祝福。当たりくじが出ない年もあったが、そんな時には多くの市民が「今度は出るから大丈夫」と声をかけて励ました。
 ここ3年は高額の当たりくじは出ていないものの、もちろん今も人気は健在。大安ともなると長い行列ができ、観光バスに乗って宝くじファンが訪れる。

感謝の気持ちで一杯
 そんな人気店がどうして急に閉店することになったのだろうか。
 実は閉店の計画は数年前からあったそうで、宝くじ販売の仕事を実務面で支えてきた嗣延さんの体調が優れず平成30年3月に亡くなったこともあり、家族で相談して店を閉じることにしたという。
 長女のみゆきさんは次のように話す。「両親が高齢になり、数年前からは兄夫婦と私の3人で仕事をしてきましたが、相当しんどいものでした。みずほ銀行から箱詰めで送られてくる宝くじを手作業でバラと連番に分ける作業は20日間かかり、年末ジャンボともなると準備期間も入れると1カ月以上、一日も休みが取れないほどです。
 私たち兄弟もだんだんと年齢があがり、後継者がいないこともあり、思い切って平成の終わりとともに店を閉じることに決めました。閉店を知ったお客様からお声をかけて頂いたり、中にはお手紙を下さる方もいます」。
 輝子さんは耳が少し遠くなったそうだが、心身ともに健康で、体調はとても良さそうだ。70年近い宝くじ人生を振り返り、「本当にいろいろな出会いがあり、お客様に感謝の気持ちしかありません」と笑顔で話す。
 エピソードは枚挙にいとまがない。4200円の当たりくじを換金に立ち寄った人がたまたま手にしていたハズレくじの中に5000万円の当選くじが入っていたり、倒産寸前で幸運にも1000万円を当て、輝子さんも一緒になって万歳をしたこと、高額くじを当てた老夫婦が店の前で抱き合って大喜びしたことなど、様々な人生模様が繰り広げられてきた。
 高額当選の場合、金額の大きさに呆然となってしまう人が多いため、落ち着いてもらうために自宅に招き入れ、みゆきさんが淹れた温かい緑茶でもてなしてきた。
 そのため、「堂前さんでは高額くじを当てるとお茶を入れてもらえるらしい」という〝噂〟が広まり、一時期は宝くじを購入する際に「当ててお茶を飲みに来ます!」と高らかに宣言する人が相次いだ。中には本当に高額くじを当てた関東に住む男性が、わざわざお茶を飲ませてもらうために訪れたという。
 「高額くじを当てた男性が当選証書を手に、『お茶を飲ませて貰いに来ました』と突然来店しました。地元の売場で宝くじを購入したそうですが、誰かに当選証書を見せたくて仕方なかったけれど、地元で噂が広まると困るので母に見せるために旭川に来たそうです。お茶を飲んでもらうと、当選金で家を新築したことなど母とひとしきり話をして、その足で帰っていきました」(みゆきさん)
 ちなみに、なぜ堂前さんがこんなに〝当たる〟
のか。その理由について輝子さんは以前から「私たち家族にも全くわからない」と口にしていたが、今回の取材でも「ゲンを担いだり、神棚に手を合わせることもしてきませんでした。どうして高額くじが出たのか今だにわかりません」と話す。
 1等前後賞合わせて10億円が当たる年末ジャンボ宝くじは12月21日までの販売とあって、多くの宝くじファンが同店を訪れている。中には一攫千金を狙って9500枚も購入した人もいたそうだ。
 名所の幸運にあやかりたいという願いだけではなく、堂前さんに有終の美を飾ってもらうためにも年末ジャンボで高額の当たりくじが出て欲しい、そう願いながら買い慣れた売場に並ぶ人も少なくないのではないだろうか。宝くじの名所の閉店は惜しまれるばかりだ。

表紙1901
この記事は月刊北海道経済2019年01月号に掲載されています。

幻の登山道の復活、有志が模索

 かつて旭川市東旭川町のペーパン(米飯)地区から旭川峠、絶景が広がる松仙園や沼の平を経て、旭岳に達する〝幻の登山道〟と呼ばれるコースがあった。今では足を踏み入れる人もほとんどなく、忘れ去られようとしているが、東旭川町の有志らが復活に向けた可能性を模索している。(文中敬称略)

旭川から旭岳に至る最短コース
 〝幻の登山道〟と呼ばれるこのコースは1933(昭和8)年、当時の東旭川村長の大見首太郎が、山本達男内務大臣宛てに登山道の開削を請願。東旭川の開拓者、小谷勝治・河野義助ほか複数の有志による踏み分け実地調査を経て、38年に上ぺーパンから沼の平まで14・5㌔にわたって開削された歩道のことだ。当時の案内記録には「大雪山登山新道東旭川口」(通称〝東旭川ペーパンルート〟)として紹介された。

かつて存在した松仙園のヒュッテ
 東旭川ペーパンルートは眺望にすぐれ、旭川市側から旭岳に至る最短のコースとされ、登山愛好者・天野市太郎(故人)が生前、「沼の平まで上がれば、そこはもう別世界。湿原の美しい風景が広がっている」と近親者に語っていたほどだ。途中、ウグイスやコマドリなどのさえずりを聞くこともできた。
 しかし、木道は傷んでおり、天野は「自然を壊さない程度に整備して、多くの人たちが楽しめるようになればうれしい。それが私の夢」とも語り、旭川から気軽に登ることのできる登山道の確保が、天野のライフワークだったと伝えられる。ペーパンダムから旭川峠に向かって3分の1ほど行った所には、天野にちなんで名づけた「あまの滝」と呼ばれる景勝地もある。
 やがて戦争が激しさを増すと、登山道の利用はいったん途絶えるが、戦後の復興に伴い、維持管理作業を東旭川の「明郷(明るい郷土)青年団」が請け負うと、再び登山熱の機運が高まっていく。
 大雪山国立公園をフィールドに54年に開かれた「第9回国民体育大会・山岳の部」で、天野が山岳競技の会場として層雲峡、天人峡、高原温泉とともにペーパンルートをコースに選ぶと、東旭川の住民は選手たちを迎え入れ大会の成功を願った。
 この時、遠藤雅就(現・ペーパン福島県人会長)は明郷青年団の仲間6人で早朝に出発し、松仙園、沼の平から永山岳を経て北鎮岳まで一気に登頂。遠藤は「ハードだった」と述懐するが、その日は松仙園のヒュッテ(山小屋)で宿泊。翌日には選手団が登ってくる中間地点で炭火をおこし、お茶のサービスで選手を激励している。
 国体をきっかけに、市民をはじめ登山愛好者らの間で旭岳への最短登山口として、東旭川ペーパンルートが知られるようになり、翌年には「神秘境大雪山へ」と銘打ち、登山会が実施された。この登山道を紹介する目的で東旭川村教育委員会が主催し、その後10回ほど続いている。

利用途絶え、分け入り困難
 ところで道が構想した「21世紀の森」開設計画には市内各地区が名乗りを上げ、東旭川地区も79年に誘致期成会を設立。大雪山国立公園を背景とする東旭川地区こそ最適とアピールし、3年後に誘致を実現させている。誘致後、同会は「旭川21世紀の森促進協力会」に模様替えし、83年には常任顧問の天野らの意向で再び登山会を復活させた。初回は180人が参加し、この登山会も10回まで実施(そのうち、雨天で2回中止)している。
 東旭川のペーパンダムから入るペーパンルートは、愛山米飯林道を旭川峠まで進み、第1ゲートを経て安足間林道に入り、第2ゲートを通って約6㌔進むと、その先への車の乗り入れはストップ。これら2つの林道には地面から石が突き出ていたり、激しい凹凸があって、マイカー登山は儘ならない。安足間林道は木材の搬出が少なく整備されておらず、通常はゲートが閉じられ、利用の申込みがあった際にのみ開放していた程度。そこで促進協力会は21世紀の森を充実させる一環として、市に林道の整備を要望したが、受け入れられなかった。こうしたことも要因になってか、やがて利用が途絶え、現在ではペーパンルートを通る人は皆無となり、まさに幻の登山道と化している。
 その一方で21世紀の森のキャンプ場は最近、本州方面からの中高年でにぎわいをみせている。キャンプ場から徒歩で30分ほど行くと中鶴根山(678㍍)の登山口があり、その先には整備された道が続き、頂上からは十勝岳や芦別岳が望める。だが、「地元住民としては、やはり大雪山の前に立ち、その雄大さを実感してほしい」と旭川兵村記念館(東旭川南1条6丁目)友の会。そこで同会のメンバーがこの9月中旬に試みたのが、幻の登山道への探索だ。
 現状を把握すべく、車の乗り入れができない場所から徒歩で入山すると、道なき道と思いきや、意外にも整地された林道が続く。途中にキャタピラの跡がみられ、車寄せのスペースも確保されていた。林道から垣間見えるペーパン川の流域には大量の土砂や流木が横たわり、川幅がやや広がった場所に現地調達の丸太を組んだ砂防ダムが2基。そして愛山渓温泉に向かう道路は今年7月に起きた水害で寸断され、年内は閉鎖を余儀なくされた。かつて絶景を誇った松仙園や沼の平に至るまでは、根曲がり竹が密生して分け入るのが困難という。

 「開発する価値はある」
 山岳アスリートたちにとって、大雪を縦走することは一つのステータス、ハイカーらにとっては、憧れの登山となっている。そのポピュラーなコースとして知られているのが、上川町の層雲峡黒岳からと東川町・勇駒別から登る2通りのコースだ。「私たちが調査した幻の登山道は、ちょうどその中間に位置し、松仙園や沼の平の絶景に突き当たる」と兵村記念館友の会の探索メンバー。
 沼の平とは、標高1300~1400㍍の森林限界とされる場所にある高層湿原のこと。広範囲にわたり、大沼や小沼、一の沼…六の沼といった多様な沼がみられ、沼の周辺には可憐な高山植物が自生している。松仙園は二の沼と三の沼の間にあり、一帯にアカエゾマツが群生していることから、それが松仙園の名の由来になっている。ここを訪れたことのある登山愛好者たちは「その凛々しい立ち姿と、風雪に耐え、ひたすら我慢を重ねる生き姿に感動する」と口をそろえる。「その姿を映すかのように点在する沼の数々は、全く日本画の世界。感動しないはずがない」とは兵村記念館の探索メンバーらの言。
 こうした一方で、監視体制がないため、高額で取り引きされるアカエゾの幼木が盗掘されている形跡が何十ヵ所も発覚しており、これらの実態を問題視する意見もある。
 それだけ松仙園の自然が魅力的な証しともいえるが、東旭川まちづくり推進協議会の石井征士は「先人たちが開いた登山道をこのまま幻に終わらせるのか、まちおこしのきっかけのため生き返らせるか。それは、私たちの知恵にかかっている」。
 石井は、ペーパンダムから旭川峠まで車で行くと20~30分で着き、「そこからの登山となると、そんなに難しい行程ではない」と説明する。
 兵村記念館の中谷良弘館長は「21世紀の森と関連づけ、ジオパーク構想のツアーコースとして活用できる」と期待。ペーパン福島県人会の会長を務める遠藤は「開発する価値はある」としながら、「これまで見聞し、培ってきた知識を提供できれば」と今後の取り組みの行方に思いを募らせている。

表紙1812
この記事は月刊北海道経済2018年12月号に掲載されています。

衰退進む旭川の地域経済、「主要産業」は公的年金

 経済界には景気状況の厳しさを肌で感じている人が多いはずだが、その傾向は数字にもはっきり現れている。平均所得に注目した前号の本誌記事に続き、今回は所得階級別の比率、そして主な収入源に注目する。一連の数字から明らかになったのは、地域経済が直面する厳しい現実だった─。

年収千万円超の比率、帯広が旭川上回る
 旭川市の平均課税所得は全国1741自治体の中で887位(2017年)─本誌が前号で伝えた数字だ。北海道のランキングは179自治体中114位。人口では道内2位、北海道・東北で4位という有力な都市ではあるが、住民の平均的な所得水準を比較すれば、音威子府や遠軽といった村・町を大きく下回っていることも明らかになった。
 しかし、これらの数字はあくまでも平均値。旭川、そして道内の主要な都市には、どれくらいの比率で高所得者と低所得者が住んでいるのかは、他の統計に注目しないと見えてこない。
 地域経済の厳しい現実を示す数字がある。「48・4%」─旭川市の約15万2000世帯のうち、年間収入が300万円以下の世帯が占める比率だ。総務省発表の「2013年住宅・土地統計調査」の結果にはこんな数字が出てくる。
 世帯収入階級別の比率に注目すれば、300万円以下は48・4%、300~500万円は27・0%、500~700万円は12・9%、700~1000万円は7・1%、1000万円以上は2・7%となっている(住宅・土地統計調査では1000~1500万円と1500万円以上を区別しているが、ここではまとめて算出)。
 この分布を帯広市と比較してみると、年収300万円以下の世帯の比率は大きく違わないが、1000万円以上が3・3%と、旭川市を0・6ポイント上回っている。高級住宅や飲食店の状況などから、帯広市を訪れた際に都市全体のリッチさを感じることがあるが、数字の上でもそれがはっきりと証明されている。ちなみに、札幌市ではこの比率が3・6%と、帯広市をさらに上回っている。札幌市の発展ぶりを考えれば、これは自然な数字といえるだろう。
 一方、収入300万円以下の世帯の比率はどうか。主な都市がいずれも45%以上であるのと比較して目立つのが、札幌市の40・1%、そして苫小牧の42・8%という比率の低さ。札幌市は「高収入世帯が多く低収入世帯が少ないまち」ということになる。
 しかし、札幌市でさえ、全国平均と比較すれば「高所得者の少ないまち」に分類される。全国平均に注目すれば、収入1000万円以上の世帯の比率は5・9%と、札幌市を2・3ポイントも上回っている。旭川市(2・7%)と全国平均の間には、倍以上の開きがある。日本の平均像と比較すれば、旭川には半分以下の金持ちしか住んでいないというのが現実だ。
 時系列を切り口に地域経済の変化を観察すれば、浮き上がってくるキーワードは「衰退」だ。5年前、2008年の「住宅・土地統計調査」で、旭川市の世帯収入階級別の比率は、300万円以下が43・9%、300~500万円が27・2%、500~700万円が18・5%、700~1000万円が8・2%、1000万円以上が3・1%だった。2013年の数字と比較すれば、300万円以下の世帯が約5ポイント増加し、他の階級が約1ポイントずつ減っている。
 この調査は5年ごとに行われており、2018年は10月1日に調査が始まった。高齢化が一段と進んでいることを考えれば、最新版では「300万円以下世帯」が半分を超えている可能性が大きい。

半数以上の世帯は公的年金が頼り
 収入の内訳にも、地域経済の厳しい現実は色濃く反映されている。総務省が行った「全国消費実態調査」(2014年)によれば、旭川で抽出調査の対象となった6462世帯のうち、主な収入が勤め先収入だった世帯の比率は36・3%で、公的年金・恩給の51・5%を大きく下回った。格差社会の象徴とも言える利子・配当金を主な収入とする世帯はわずか0・5%。高所得者層の象徴である「不労所得」に頼って生きている人が旭川市にはごくわずかしかいないことがわかる。
 こうした数字が示すのは、旭川市における主要な「産業」が農業やものづくり、サービス業ではなく、もはや「公的年金・恩給」だということだ。公的年金・恩給の原資は現役世代の納める年金保険料や税金であり、現役世代がいつまで耐えられるのか、現在の公的年金制度が維持できなくなったら地域経済はどうなってしまうのかと、行く末を心配せずにはいられない。
 この主な収入の内訳についても、顕著な地域差がある。札幌市で勤め先収入が主な収入だった世帯の比率は52・0%と全世帯の半分を超えており、公的年金・恩給の30・3%を大きく下回っている。
 この記事で紹介したのは、マクロ経済の状況を示す数字だが、その背景には、給料が減って公的年金に頼るようになった世帯、年収が500万円から300万円に減った世帯などの「実例」がある。いまは中間層にカテゴライズされ、この記事を他人事として読んでいる人の中にも、いつか「300万円以下世帯」に仲間入りする人がいるかもしれない。

表紙1812
この記事は月刊北海道経済2018年12月号に掲載されています。

道知事選候補に鈴木直道待望論

 高橋はるみ道知事(64)の去就が注目される中、来春の知事選候補として浮上しているのが夕張の〝星〟鈴木直道市長(37)に対する待望論。夕張市とは職員派遣等で旭川市も交流があるが、何より「旭川夕張会」を通じて親交を深めている。同会の中でも期待論は大きいが、その実現性はいかに。

菅官房長官も高く評価
 高橋知事の去就をめぐっては、その後援会で来夏の参院選道選挙区(改選数3)の自民党候補に推薦する動きが表面化。本人は現職の立場上、求心力を維持するため、進退表明はしていないが、自民党道連は、高橋氏や現職の伊達忠一参院議長(79)、岩本剛人道議(53)、中川賢一札幌市議、柿木克弘前道議(50)の5氏を軸に、擁立する2人を絞り込むことになった。高橋氏が周囲に5選不出馬の意向を伝えているとの報道もあるが、5選目の可能性も自民党関係者の間で指摘されている。
 来年は知事選と参院選が12年ぶりに同じ年に実施される。これら2つの選挙事情が複雑に絡み合うことにもなるが、仮に高橋氏が5選不出馬を決めた場合の知事選候補として、自民党内で浮上したのが夕張市長の鈴木氏だった。
 こうした中、鈴木氏が8月20日、自民党道連の吉川貴盛会長が官房長官の菅義偉氏を招いて開催した経済人らの会合で、道内自治体トップとしては秋元克広札幌市長と2人だけ呼ばれてあいさつ。同25日には、道連が将来の政治家養成を目的に開いた「HOKKAIDO政治塾」で講師を務めたため、「擁立に向けた動きではないのか」との憶測が一部の間で広がった。
 実際、吉川道連会長は鈴木氏を「イチオシ」で、菅官房長官は鈴木氏とは法政大2部の先輩・後輩の仲。「ともに〝苦労人〟ということもあり評価している」(自民党関係者)。ただ、「吉川会長が鈴木氏を推しているのは、高橋知事との確執があるためで、辞めさせたいようだ」(同)との穏やかではない見方もある。
 ちなみに、菅氏は幼少のころ、秋田県のイチゴ農家の長男として家事手伝いをしながら過ごした。高校卒業と同時に上京し、段ボール工場で入学資金を貯め、法政大に入学。政治の道を志し、小此木彦三郎氏の下で秘書を11年務めた。1996年衆院選で初当選を果たし、2012年に官房長官に就任して歴代最長在職記録を更新している。縦割りや前例踏襲になりがちな官僚に睨みを利かせる。朝晩100回の腹筋が、激務をこなす秘訣だとか。

道議会は「消極的」とも
 これに対して鈴木氏は、埼玉県生まれ。高校2年の時に両親の離婚により母子家庭で育つ。経済的苦境に陥り家計を助けるため、引越し業者や酒類の卸売センター等で肉体労働を中心に多くのアルバイトを経験。いったん大学進学を断念したものの、東京都庁に入庁する。その後も働きながら法政大の法学部に夜間通い、ボクシング部の主将も務め、地方自治を学んだ。
 そして2008年1月、猪瀬直樹東京都副知事(当時)の発案により〝助っ人〟として派遣されたのが夕張市。市役所での通常業務はもちろん、地域イベントへの協力、さらには住民のために除雪の手伝いも積極的に行った。10年11月には、夕張市長選への出馬を決意して都庁を退職。無所属で出馬して11年4月に4人が立候補した混戦を見事制し、30歳の若さで全国最年少市長に就任している。
 15年4月には無投票再選を果たし、同11月に日本メンズファッション協会が主催する「第44回ベストドレッサー賞」でベストドレッサー賞・政治部門を最年少で受賞。道内初の快挙でもあり、さらに注目を集めた。
 財政破たんから10年。その節目の17年3月には、財政再建と地域再生を両立する新たな財政再生計画を策定。総務大臣の同意を勝ち取り、財政再生団体からの実質的な脱却へ道筋をつけることにつながった。著書には「やらなきゃゼロ!」(岩波ジュニア新書)、「夕張再生市長 課題先進地で見た『人口減少ニッポン』を生き抜くヒント」(講談社)など話題作が多い。
 こうした活躍が際立ち、自民党本部や道連幹部、経済界の中にも鈴木氏を推す声はある。9月下旬には自民党選対委員会(委員長、角谷隆司道議)が、高橋5選を決議する会合を開こうとしたものの、あえなく「吉川道連会長に〝鎮圧〟された」(道連幹部)とみられている。
 一方で「鈴木氏が知事選に出れば、立憲民主の逢坂誠二衆議が立起する可能性が大きい」との見方もあり、自民党道議団からすれば「仮に、知事選に負ければ、12年間厳しい状況になるとして緊張感がある」(某自民党道議)。また、知事部局では「(鈴木氏が)37歳ということで、25人のトップリーダーとしては若すぎるのでは? 経験が不足している」ととらえる関係者もいる。道議会内の雰囲気としても、鈴木氏の知事就任に関しては、「消極的」との見方が多いという。
 夕張市職員労働組合は、鈴木市政2期7年の成長と課題を検証し3選出馬を要請。引き続き市政の舵取り役を鈴木氏に期待している。一方、鈴木氏に知事候補としての思いを抱く吉川道連会長は、10月2日発足した第4次安倍改造内閣に農水相として初入閣。これまで以上に大役を担うことになったが、知事選候補者選びについては「年内が勝負」と作業を急ぐ考え。はたして今後、鈴木氏が持ち前の情熱を注ぐことになるステージは、夕張市政になるのか、道政になるのか予断を許さない。
 旭川夕張会の副会長でもある旭川選出の東国幹道議は、「私の郷里でもある夕張市から知事候補が出るのは当然、歓迎するものの、議員会長として大所から考えながら合意形成を整える立場にあるゆえ慎重さは崩せない」。しかし、「JR石勝線夕張支線に関する廃止提案の決断や、夕張に対しての道内外へのPR等の発信力は大したもの」と評価している。
 鈴木氏とは時々一緒にラーメンをすする間柄でもあるが、そんな東道議にさえ鈴木氏は知事選については口を開かない。政治家の出処進退というのはそれだけデリケートな要素を多分に含むが、「旭川市とは職員派遣や旭川夕張会でもお世話になっており、これからも共に歩んでいきたい」。
 鈴木氏は東道議を通じて、本誌にこう語ってくれた。

表紙1811
この記事は月刊北海道経済2018年11月号に掲載されています。

旭川の個人所得は「中の下」

旭川市から東西南北にクルマを走らせれば、どの方向にも「田舎」が広がる。しかしその地域は、旭川市よりリッチかもしれない。統計を見る限り、上川でも道北でも道内でも、個人の平均所得がもっと多い自治体はいくらでもある。旭川市の順位の長期的な下落傾向も気になるところだ。

ついに全国3位
 「北海道第2の都市」は、旭川のキャッチフレーズの一つ。札幌との格差は拡大する一方だが、函館、釧路などの主要都市も苦戦していることから、2番目の地位は当面安泰。道北では文句なしに最大の都市だ。
 上川、留萌、宗谷管内、そして「道東」に組み込まれる網走管内を合わせた広大なエリアの中で、人口規模を比較すれば旭川市が34万211人でダントツの1位。北見市は11万8787人で、10万人台以上はこの2都市だけ。網走は3万6322人、稚内は3万4834人、名寄市、富良野市、紋別市、留萌市はいずれも2万人台であり、旭川市がこの地域ではガリバー的な存在であることがわかる(いずれも住民基本台帳、2018年1月時点)。
 しかし、それはあくまでも人口規模を比較したときの話。「1人あたり」をキーワードにすれば、まったく別の状況が見えてくる。
 総務省が毎年まとめている「平均課税対象所得」というデータがある。各個人の市町村民税の所得割の課税対象となった前年の所得金額を、課税対象者の人数で割った金額だ。この数字から、自治体別でみた収入の多寡が浮き彫りになってくる(東京都は23区の数字が個別で算出されており、他の地域は市町村別)。
 2017年版のデータによれば、全国1741自治体のなかで1位は東京都港区で、その額1115万円超。白金、六本木、麻布、赤坂、虎ノ門といった地域に高級マンション、豪邸、オフィスビル、繁華街が並ぶ港区なら、唯一の1000万円超えも意外ではない。2位は同じく東京都の千代田区で944万円余り。こちらも順当と言えるだろう。
 3位に入ったのは北海道宗谷管内の猿払村。その額は813万円以上で、東京都渋谷区、東京都中央区、兵庫県芦屋市、東京都文京区など、全国の著名な「金持ち自治体」を上回った。注目すべきは猿払村の近年の順位だ。2010年の76位から翌11年に18位へと急上昇。11位、25位、14年に5位に入り、翌15年に3位、一昨年は4位となったものの、1ケタ台には定着していた。17年の千代田区との差は130万円余り。今後猿払村が千代田区を抜く可能性もありそうだ。
 なぜ猿払村はこれほど経済が強いのか。全国最大の水揚げ高を誇る天然ホタテ漁が最大の強みだ。水揚げされたホタテの加工業も盛ん。本誌では数年前、猿払の海に面した高級住宅を取材したことがある。30代の若手漁師が建てたばかりの豪邸は建築費数千万円で、リビングは16帖。ダイニングキッチンは18帖で、天井の高さは4㍍だった。他にも猿払村の漁港に近いエリアには高級住宅が並んでいた。「潮風で外壁が侵食されやすいことから、10年も経たないうちに高級住宅を建て替えることも珍しくない」というエピソードが、この地域の経済力を物語る。
 猿払村を支える二大産業はホタテ漁と酪農。ランキングを見れば、畑作や酪農が主力の町や村がいくつも上位に食い込んでおり、猿払村は二枚看板を持っていると言えるだろう。
 道内2位、全国15位の遠軽町は海がなく、広大な牧草地が広がっているわけではないが、なぜ平均所得が多いのか。ある町民は強さの理由として渡辺組など有力な建設会社が複数あることを挙げる。ヤマハと取引している北見木材はピアノ業界ではよく知られた存在。ほかにも、自衛隊の基地の存在、そして旭川や北見から一定の距離があることから、消費が町内で完結することなどが影響しているようだ。

音威子府より下
 ひるがえって旭川市はどうか。2017年のランキングで旭川市は全国1741自治体の中で887位。ほぼ中間に位置しているものの、下から数えたほうが早い。道内179自治体のなかでも114位と、やはり「中の下」。道内ランキングの上位は軒並み漁業と酪農・畑作の強い町が独占している。上川管内では「北海道で一番小さな村」音威子府が24位(全国341位)に入ったのが最高だった。音威子府の人口は771人。旭川市の400分の1にも満たないが、1人あたりの平均所得では旭川市を上回っているのが現実だ。
 道内主要都市のランキングに注目すれば、札幌市は道内28位(全国372位)、帯広市は64位(570位)、室蘭市は76位(668位)、苫小牧市は84位(698位)、北見市は87位(722位)、函館市は104位(857位)で旭川市よりも上。旭川市を下回ったのは釧路市、岩見沢市、小樽市などだ。ランキングの下位は赤平市、芦別市、三笠市、夕張市、歌志内市といった旧産炭地によって占められている。
 道内のランキングの上位30自治体に入った「市」は、札幌市だけだった。猿払村をはじめ、真狩村、神恵内村、音威子府村、鶴居村などが上位30自治体に入るなど健闘が目立つ。村のほうが儲かるというよりも、十分な所得、税収がある村は周辺自治体との合併という道を選ぶ必要がないということだろう。
 都市部は先天的に不利な要素を抱えている。低所得者層は町村部では仕事を見つけにくく、パート仕事が比較的多い大都市部に流れる傾向が強いためだ。町村部での職探しが厳しくなるほど、都市部の平均所得を押し下げる役割を果たすことになる。

稲作より畑作・酪農
 ランキング上位に注目すれば、高収入の自治体に共通する特徴は「漁業、酪農、畑作」だ。とくに漁業は漁船だけでなく、魚の加工業、船舶、港湾設備の土木工事など幅広い裾野を持つ。「200カイリ前はもっと儲かった」と、昭和の留萌・宗谷・網走地方を知る経済人は振り返るが、漁業を主力産業とする地域は依然として強い。一方、農業については稲作が主力の地域の弱さが顕著だ。 旭川市近郊の自治体では、東神楽町の66位(580位)が最高、これに鷹栖町の97位(815位)、美瑛町の109位(871位)が続いている。比布、東川、愛別、当麻、上川の各町はいずれも旭川市を下回っている。
 気になるのは旭川の順位の低落傾向だ。1977年以降、5年ごとの数字に注目すれば、77年は436位、82年には420位だったものが、87年から順位を大きく下げ、92年818位、2002年861位、07年901位と低迷が続く。17年の887位という数字は一時よりも若干巻き返したといえる数字だが、それでも70~80年代には遠く及ばない。

巻き返し可能か?
 本誌は昨年10月号で、旭川地区(旭川中、旭川東の両税務署の担当エリア)の法人所得総額が2015年度、苫小牧地区に抜かれて道内5位に転落したと伝えた。上位4地区は札幌、帯広、函館、苫小牧。旭川地区はこれらの地区に、企業1社あたりの法人所得でも大きく差を付けられており、企業の収益で旭川が劣勢にあるのは明らか。本稿で示した課税所得データは、個人の懐事情についても同様の状況が発生していることを示している。
 全国でも道内でも「中の下」という旭川市民の所得の状況や、全国順位の下落傾向を見る限り、何らかの対策が必要となっていることは明らか。11月に行われる旭川市長選で、地域経済の巻き返し策が争点の一つとなり、候補者の間で真剣な議論が繰り広げられるかどうかに注目したい。

表紙1811
この記事は月刊北海道経済2018年11月号に掲載されています。