旭川女性の子宮が危ない! 低すぎるワクチン接種率

「がん」と聞くと中高年の病気というイメージがあるが、若い女性の間で急激に増えているがんがある。子宮入口にがんが発生する「子宮頸がん」で、この原因となる「HPVウイルス」に旭川の20代女性の実に3割が感染しているというショッキングな実態が明らかとなった。しかし、依然としてがん検診の受診率は低く、医療関係者の間で懸念が広がっている。

性交渉で感染
 子宮がんには、「子宮体がん」と「子宮頸がん」がある。子宮体がんは、胎児が宿る体部内側の子宮内膜にがんが発生し、一方の子宮頸がんは、子宮頚部と呼ばれる子宮の入り口の部分に発生する。
 子宮頸がんの主な原因となっているのが、HPV(ヒトパピローマウイルス)への感染で、主に性交渉が経路となる。ウイルス自体は、性交渉の経験がある約8割の女性が50歳までに一度は感染すると言われているほどごくありふれたもので、多くの場合、感染しても症状のないうちに自然に排除される。しかし中には排除されずに体内に残るものもあり、長く感染が続くと前がん状態となり、さらに持続するとがんに進行してしまう。

HPV検査を導入
 子宮頸がんは若年層の間で急激に増えている。左頁のグラフは、国立がん研究センターが公表している子宮がん(子宮体がん・子宮頸がん)の年代ごとの発生率をまとめたもの。これを見ると、子宮頸がんの罹患は20代、30代が突出していることは一目瞭然で、子宮体がんの発生状況と比べ、若年層の罹患が極めて多いことが分かる。
 こうした状況の中、旭川市では昨年1月に子宮がん検診の内容を大幅に変更した。これまでは問診と子宮頸部の細胞診、また希望者には体部細胞診による検査を行っていたが、新しい検診では従来の検査に加えて、20歳から40歳代の希望者に対してHPV検査も行っている。検査では細胞診、HPV検査ともに子宮頸部の細胞をブラシや綿棒などでこすり取って採取するが、痛みを伴うことはなく短時間で終了する。
 旭川がん検診センターを含む旭川市内の各診療所と病院における子宮がん検診の受診者やHPV検査の受診者数などについて旭川市保健所がまとめたデータを見ると、18年1月から同年12月までの1年間に子宮がん検診を受診した人数は5588人。そのうち8割を超える4698人がHPV検査も併せて受けた。
 さらに、同期間におけるHPV陽性率をまとめたデータには、実にショッキングな実態が浮き彫りとなっている。HPVの陽性率を見ると20代と30代前半が極めて高く、特に「20~24歳」の陽性率は31.7%で、「25~29歳」は25.7%と突出している。平均すると、旭川の20代の実に3割がHPVに感染している計算だ。
 一体なぜ、旭川の若い女性の間でHPV感染が広がっているのだろうか。
 旭川産婦人科医会の前会長で、旭川市におけるHPV検査導入に尽力したみずうち産科婦人科(旭川市豊岡4条3丁目)の水内英充院長は次のように話す。
「ひと昔前よりも性体験の年齢が低くなっていることが理由として挙げられます。以前は子宮頸がんのピークは40歳以上でしたが、最近では30代にシフトしています。ある自治体の調査では、若年層のHPV感染率は20~25%程度でしたが、旭川がここまで高いとは予想していませんでした」。

低い健診率
 このように若い世代の感染率が高いものの、40代以降と比較すると、旭川の若い世代で子宮がん検診を積極的に受ける人はさほど多くはない。
 旭川市における17年度の子宮がん検診受診者数を見ると、20─24歳は429人、25─29歳が497人と少なく、30代になると緩やかに増えて30─34歳が1325人、35─39歳が1470人。ところが40代になると一気に増加し、40─44歳が2108人、45─49歳1897人という結果となっている。
 子宮頸がんは初期症状がなく、不正出血などの症状が現れた時にはすでに進行し、手術で子宮を全摘出しなくてはならないケースも少なくない怖い病気だ。水内院長は「妊娠年齢にある若い世代こそ子宮がん検診が必要」と警鐘を鳴らす。
 「最近の例では、不妊治療を希望されて受診した患者さんの子宮がん検診をしたところがんがかなり進行していて、全摘しなくてはならない段階にまできていました。そうなるともちろん妊娠は望めません。この患者さんは、当院を受診する1年ほど前に他の自治体でがん検診を受けて異常が見られなかったそうです。
 子宮がんの細胞診検査の精度は8、9割で、これにHPV検査を併用することでほぼ100%の診断を行うことが可能となります。初期の段階では、『円錐切除』という子宮の入口だけを円錐状に切除する手術を行いますが、この場合は妊娠が可能です。
 テレビ報道などの影響で、若い女性の間では乳がんへの関心が高まっていますが、実際には若い世代では乳がんよりも子宮がんにかかる例が多いのが実情です。子宮頸がんが若い人がかかる病気だということをもっと広く知ってもらい、若い世代、特に20歳代、30歳代の女性に検診を受けて欲しいと思います」
 前述のように感染した人が必ずがんに移行するわけではないが、将来的にがんに進行するリスクを抱えていることは否めない。しかし、HPV検査の結果が陽性だった場合、どうすれば良いのだろうか。市保健所では「多くの場合、身体の免疫機能によってウイルスは自然に排除されますが、検査を受けた医療機関の医師の指示に従って、定期的に検査を受けて欲しい」と呼びかける。
 旭川市の子宮がん検診は20歳以上の偶数年齢が対象で、頸部細胞診の費用は700円(国保の場合は300円)で、医師が必要と判断した場合の体部細胞診は500円(国保の場合は無料)。HPV検査は20歳から40歳代の偶数年齢の希望者が対象で費用は500円(国保の場合は300円)で受けられる。対象者はもちろん、特に20歳代と30歳代に積極的に受けてもらいたい。

※記事中の旭川市の数字は「現状値」として示したもの。

表紙1906
この記事は月刊北海道経済2019年06月号に掲載されています。

旭川医大で夏から網羅的遺伝子検査

 ほぼ2人に1人の確率で生涯のうちに患う病気ががん。誰でも家族や友人、同僚、または自分自身ががんと診断されたことがあるはずだ。いま、がんの治療が大きな変革期を迎えようとしている。多くの医師や患者が注目しているキーワードが「パネル検査」(網羅的がん遺伝子検査)だ。患者一人ひとりのがん細胞のなかの遺伝子に注目した新しい手法。まだ課題も多く残っているが、将来的にはがん治療を根本から変えるかもしれないこの新しい技術が、旭川医大にも導入されようとしている。

分子標的薬で進歩
 人体は数十兆個の細胞でできている。細胞にも寿命があり、次々と死んでいくが、一方で細胞分裂で新しい細胞が生まれていく。その際、設計図の役割を果たすのが、細胞核の中のDNAに記された遺伝子。細胞分裂では一つの細胞が2つに分かれるが、どちらも設計図通りに、分裂前と同じものが作られる。ところが、このしくみがうまく働かないことがある。遺伝子に何らかの原因で異常が発生し、増殖が止まらなくなるのが「がん」だ。
 人間の細胞の一つひとつには、膨大な遺伝子情報が記録されているが、すべての遺伝子の異常ががんの原因になるわけではない。傷ついたときにがんを促進する「がん遺伝子」と、通常はがんを抑制しているが、傷ついた時に抑制が効かなくなる「がん抑制遺伝子」は合計約600あると言われている。
 がんの基本的な治療法は、①外科的手術による切除②薬物治療③放射線治療の3つ。ほとんどの患者にはこれらのうち一つを適用するか、複数を組み合わせて治療が行われる。がん治療の現場では、「このような状況の患者に対しては、このような手順で治療を行うべき」という手順(標準治療)が確立されており、どの医師でも採用する治療法は基本的に同じだ。ただ、がんの診断や治療に役立つ新しい技術は次々と開発されており、標準治療も新技術を取り入れるかたちで年々進歩している。
 2000年ごろからがんの治療を進歩させたのが「分子標的治療薬」。がんの発生や増殖に関わるたんぱく質を「狙い撃ち」する分子標的治療薬は、それまでの抗がん剤よりも効果が高く、副作用が軽いなどの特徴があり、多くのがんについて分子標的治療薬が開発された。日本で最初に保険承認されたのは乳がん用のトラスツズマブ(2001年)。続いて肺がん治療薬のゲフィチニブが02年に承認された。他にも多くの分子標的治療薬ががん治療に活用されている(がんだけでなく関節リウマチなど他の病気にも分子標的治療薬が用いられている)。

遺伝子が効きを左右
 ところが、こうした薬は万能なわけではない。たとえばトラスツズマブが効果を発揮する乳がんは、がん細胞の中で「HER2」と呼ばれるがん遺伝子が異常に増幅しているタイプに限られる。この薬がHER2タンパクと結合してがん細胞の増殖を妨げるためだ。HER2遺伝子の状態は乳がんの治療と予後に大きく影響することから、すべての乳がん患者について検査が行われ、患部から取り出したがん細胞の免疫染色あるいは遺伝子検索からHER2遺伝子の増幅があるかいないか(陽性か陰性)を確かめ、トラスツズマブを使うかどうかが決定される。
 体の他の臓器のがんについても、多くの分子標的治療薬が開発されているが、同じ「がん」であってもがん細胞の遺伝子の状態によって「効く、効かない」が左右されるという共通点がある。つまり、がん細胞の遺伝子情報を調べることで、より効果的な治療方法を迅速に選択できる可能性がある。
 しかし、これまでのがん治療では、検査の対象となるがん遺伝子はごく一部で、しかも一度に一つの遺伝子しか調べることができなかった。
安く速く遺伝子解析
 世界で初めて遺伝子情報を読み取る技術を確立したのはイギリスのフレデリック・サンガー博士(1958年、80年のノーベル化学賞受賞)。その技術はサンガー法と呼ばれるが、大量の遺伝子情報を読み取るには長い時間がかかった。ちなみに人間の遺伝子情報を解読するヒトゲノム計画は1990年に始まり、約3万個(のちに約2万2000個に修正)の遺伝子を読み取るのに13年の歳月と27億ドルの費用を費やした。膨大な時間や費用がかかることから、当時、個々の患者の遺伝子情報を医療に活用するのは現実的ではなかった。
 その後、遺伝子情報を読み取る技術は急速に発展した。従来は長い鎖のような染色体を片方の端からもう一方の端に向けて順番に読んでいたが、断片化した上で、同時並行的に読み取ることができるようになった。ベンチャー企業が相次いでこの分野に参入して技術開発競争を繰り広げた結果、いまでは百ドルの資金と1日の時間があればゲノム解析の結果がわかるとさえ言われている。
 ここで話をがん治療に戻そう。前述した通り、がんの効果的な治療方法は、がん細胞の中でどのがん遺伝子が「悪さ」をしているかにより変わってくる。そして、一部のがん遺伝子は、複数の臓器でがんを引き起こすことが知られている。例えば乳がんに関わるHER2は、胃がんにも関わっている。EGFR遺伝子は肺がん、前立腺がん、腎がん、大腸がん、乳がんなど多くのがんに関与している。ということは、特定の遺伝子を狙って開発された分子標的治療薬が、複数の臓器のがんで効果を発揮する可能性があるということになる。
 この手法は、「個別化医療」とも呼ばれる。がん細胞のなかでどの遺伝子が変異しているかは患者一人ひとり異なり、あらかじめそれを調べた上で、どの薬を使うのか判断するためだ。

大量の遺伝子を一度に
 百数十~数百のがん遺伝子とがん抑制遺伝子の状況を一度に調べることで、がんの治療に役立てることを目指すのが、パネル検査(網羅的がん遺伝子検査)だ。国立がん研究センターは、日本人のがん細胞で変異が発生することの多い114の遺伝子を一度に調べることのできる「NCCオンコパネルシステム」を国内企業と協力して開発した。このシステムは昨年末に医療機器の承認を受け、並行して先進医療制度の下で運用が行われてきた。もうひとつ、米国企業が開発した「ファンデーションワン」も承認を受けた。これら2つのシステムを使った検査は、今年の6~7月にかけて保険適応になるとみられ、同時に医療機関でのパネル検査が始まる見通しだ。
 北海道では北大病院が全国11ヵ所の「がんゲノム医療中核拠点病院」の一つに指定され、北大病院の連携病院である旭川医科大学病院でも、正式名称は未定だが「がん遺伝子診療外来」が開設され、道北では唯一、パネル検査が6~7月から受けられるようになる予定。
 検査のあらましは以下の通り。がん患者から内視鏡などで摘出されたがん細胞は、研究機関に送られて、遺伝子の解析が行われる。その結果をもとに、北大・旭川医大の主治医、病理医、腫瘍内科医、遺伝カウンセリング室医師、臨床検査技師、薬剤師、看護師などが参加するエキスパートチームがテレビ会議で検討を行い、患者の治療方針を決定する。
 どんな人でもこの検査が受けられるわけではなく、以下の条件を満たす人だけが保険適応となる。第一に標準治療を受けたが、効果がなかったか、再発した人。または標準治療の確立されていない希少ながんの患者。第二に、全身の状態が「まったく問題なく活動できる」か「肉体的に激しい活動は制限されるが、歩行可能で、軽作業や座っての作業は行うことができる」という全身状態のよい患者。このため、がん患者のうち対象となる人の数はかなり限られてくると予想される。ただ、保険適応がなければ自費で検査を受けることも可能だ。自費の場合、検査の費用は数十万円台とみられる。
 しかし、パネル検査に対する過度の期待は禁物だ。検査結果から、患者のがんの主な原因となっているがん遺伝子がわかり、すでに開発されている分子標的治療薬が活用できるのは、検査を受けた人の1~2割にとどまるとみられる。残りの人についてはがんの主要な原因である遺伝子が見つからないか、その遺伝子を狙った薬が現時点では存在しない可能性が大きい。
 検査の結果、がんの主要な原因であるがん遺伝子が発見され、そのがん遺伝子を狙った分子標的治療薬が存在する場合は、それを使った治療が行われる。ただし、適応外(例えば、乳がん用の薬を他のがんの治療に使う場合)には自費診療となる。
 分子標的治療薬が存在しないケースについて有効な治療法を探るのは今後の課題だ。ただ、パネル検査でわかった個々の患者の遺伝子データはがんセンターの「がんゲノム情報管理センター」(C─CAT)に集積され、人工知能技術も活用して有効な薬剤、治療法の開発に役立てられることになっている。

DNAの品質維持
 旭川医大病院の腫瘍センター長の鳥本悦宏教授はパネル検査が医療現場に与える影響について、「インパクトは大きい。現在では治療法が見つからない患者に光明が射すかもしれない」と語る。
 当面はまず標準治療、効かない患者についてパネル検査という順番だが、鳥本教授は「時間をかけて効果を証明することができれば、標準治療より先にまず遺伝子を調べるようになるのではないか」と予想する。
 パネル検査に基づくがんの診断では、病理医が大きな役割を果たす。旭川医大病院病理部の谷野美智枝教授は語る。
 「遺伝子解析結果に基づく最善治療につなげるためには、『正確な病理組織診断』、『精度の高い遺伝子採取のための病理検体管理』などが必要になる」
 例えば検体を採取する際、がん細胞と正常な細胞が混ざってしまうのは避けられない。このため病理医が、検体のうちがん細胞の占める比率がどれくらいなのかを判定しなくてはならない。また、日本病理学会の調査で、従来は医療機関ごとにDNAの品質にばらつきがあることが明らかになった。このためパネル検査では、学会の定めた規程に厳密に従って病理医らが検体を管理し、DNAの品質を高いレベルで保つことが求められる。
 パネル検査で先行するのが米国だ。オバマ政権時代に「プレシジョン・メディシン」(遺伝子レベルの分析を伴う精密医療)が提唱され、研究に大きな進歩があった。日本はある意味「周回遅れ」の状態にあり、ようやく米国を追いかけてスタートすることになる。
 がんの治療は進歩を続けている。国立がん研究センターが4月9日に発表した10年生存率はすべての部位の平均で56.3%(2002~05年にがんと診断された人)。この比率は上昇傾向にあるものの、部位別では前立腺が95.7%、乳房が83.9%に達した一方で、肝臓が14.6%、膵臓が5.4%に低迷するなどばらつきが大きいことが鮮明になった。パネル検査の登場で、患者一人ひとりのがん細胞から取り出されたDNAが、比較的難しいがんの治療にヒントを与えてくれるかもしれない。

表紙1906
この記事は月刊北海道経済2019年06月号に掲載されています。

旭川駅前にタワマン計画浮上

 空き地、空き家が広がる旭川駅前。中でも再開発に向けた動きが見えなかった1条通7丁目、かつてファッションビルのエクスが営業していた区画で、タワーマンション構想が明らかになった。地元5社と本州の大手デベロッパーがチームを組む。大都市圏で大量に建設された「タワマン」は旭川にも登場するのか。行政が本気で支援するかどうかが焦点だ。

他の区画は動き始めたが…
 北海道第2の都市、旭川。いま、その駅前に広がっている風景は寂しい。駅から見て右側の旧西武旭川店B館は2年半前に閉店。建物を覆うように足場が組まれ、解体工事が始まった。左側に入っていた藤田観光ワシントンホテルも約半年前に閉館となった。仲通りを渡って1条側に行けば、右側の旧西武A館跡地では、ツルハが購入したもののまだ工事は始まっておらず、こちらも空き地のままだ。左側ではかつてエクスが営業していた建物の1階でツルハが営業しているものの、他のフロアーは空き家となっている。一等地だった駅前が、15年前のイオンモール旭川西店、4年前のイオンモール旭川駅前の開店で郊外、駅ナカに人の流れを奪われた結果だ。
 しかし、徐々に再開発、再利用に向けた動きは始まっている。旧西武B館での解体工事開始は、前田住設がビル新築に向けてカジを切った結果。まだ詳細は明らかになっていないものの、進出を希望する企業との交渉を行っている模様だ。
 旧藤田観光ワシントンホテルでは建物の内部を改修して、「ホテルウイングインターナショナル旭川駅前」が7月1日にオープンする予定。現在、準備を進めており、すでに専用サイトでの予約受付が始まっている。
 ツルハが取得した西武A館跡地については、別稿で伝えた通り、徐々にホテルを中核とする計画が明らかになりつつある。現場に動きは見えないが、水面下では着実に動いている様子だ。
 駅前の土地のうち、これまで動きがほとんど見えなかったのが、2014年3月までファッションビルとして営業していたエクスの建物だ。1階にツルハが入居し、買物客や従業員が出入りしているとはいえ、使用効率は低い。地域経済のためにも本格的な再開発が望まれるところだが、これまで噂は聞こえてきても、外部から具体的な動きをうかがうことはできなかった。

旭川市に計画を提出
 3月28日、この区画の土地所有者らが旭川市を訪れ、タワーマンションや商業施設の開発計画を明らかにし、協力を要請した。計画によれば、建物は地上25階建てで、3階または4階までの低層部分は商業施設として賃貸する。上層階のマンションの部屋構成は1LDKから4LDKまで合計110戸程度。最上階とその下の階は4LDKが中心、一部が3LDKとなるが、最上階の4LDKの場合、分譲価格は数千万円を見込む。旭川の集合住宅としては過去に例のない高価格帯となる。建設費用は70億円前後の見通し。
 前例がないといえば、長い間旭川市の商業活動の中心地だった4条以南の平和通買物公園に面した敷地に集合住宅が立つのも、これが初めてのケースとなる。現在、旭川で最もフロア数の多い建物は地上17階の星野リゾートOMO7旭川(旧旭川グランドホテル)と、同じく地上17階のホテルルートイングランド旭川駅前だが、1の7タワマンはこれを大幅に上回るランドマークとなる。
 現在、この敷地はトーエー企業(買物公園側)と旭川小型運輸(ローソン側)が大半を所有し、第一マルサン商事、盛永組、柴滝建築設計事務所が地上権を握っている。エクス時代には多数の関係者の間で複雑に入り組んでいた権利関係はほぼ整理がついた。これら主要なプレーヤー5社と組むのが、全国区の大手デベロッパーだ。エクスの灯が消えた後、再開発については複数のプランが検討されたものの、いずれも実現には至らなかった。豊富な経験を持つ大手デベロッパーの参加で、実現の可能性が高まった。
 タワーマンションの完成後は大手デベロッパーが中心となって販売する。主な売り込み先としては、市内の高齢者を中心とする富裕層、そして外国人を含む市外の富裕層を想定しているとみられる。道内ではニセコに続いて富良野でも外国資本の流入が注目を集めているだけに、このタワーマンションも投資先となる可能性がある。

注目される旭川市の出方
 このプロジェクトの成否を左右するのが、行政の出方だ。5社とデベロッパーは、プロジェクトについてまず旭川市から「優良建築物等整備事業」の採択を受け、市を通じて国土交通省に申請を提出し、市と国交省からの支援(補助金)を獲得することを目指している。民間資金だけでは採算が厳しく、一方で市も財政状況は厳しい。国からの支援は市と同額と決まっていることから、市が中心市街地活性化の観点からどこまで補助金をつけるかが今後の焦点になりそうだ。
 今後のスケジュールだが、正式な計画を市に提出した後、6月末までに国に計画を提出し、認可が下りれば設計を開始。約1年後の2020年に着工。2年の工事を経て、2022年完成を見込む。
 「旭川では高級なマンションが不足している。大手企業支店長クラスが住むのに適した物件が見つからない」との声は、十数年前からあった。中心部からやや離れた住宅街の一戸建てに住んでいた高齢者のなかにも、「冬の除雪や家のメンテナンスが大変なので集合住宅に入りたい」と感じる人が増えている。ここ数年で北彩都に複数のマンションが新たに登場。市役所付近でも本州大手による建設工事が現在進んでいるが、今回明らかになった1の7のタワマン構想はこうしたニーズに応えるマンションの「決定版」。中心市街地に及ぼす影響も含め、今後の行方が注目される。

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この記事は月刊北海道経済2019年06月号に掲載されています。

ルートインが富良野北の峰に土地取得

 全国大手のホテルチェーン、ルートインジャパン㈱(東京)は2月22日、富良野市北の峰町の北の峰環状線沿いの土地、約5000平方㍍を取得した。隣接する土地の取得も視野に入れ、2020年10月をメドに同社のリゾートホテルブランド「グランヴィリオホテル富良野」を開業する予定になっている。北の峰地区はワールドカップが開催された世界的にも有名な富良野スキー場があり、数年前から中国資本の参入を契機に次々土地が買い占められ、開発が進められようとしている。

躍進するルートイン
 本誌でもたびたび富良野市北の峰地区の再開発について伝えてきたが、今年2月22日、全国大手のホテルチェーン、ルートインジャパンが北の峰町から山部に向かう北の峰環状線沿いの土地、約5000平方㍍を取得した。さらに、隣接する土地の取得も視野に入れており、最大で1万平方㍍を超える土地にリゾートホテルやレストラン、従業員宿舎などを建設する計画がある。
 同社のホームページには、「今後のオープン情報一覧」と題したページに、「2020年10月、グランヴィリオ富良野、客室数202」と記されている。道内では、そのほかに函館(グランヴィリオ函館250室)や網走(ホテルルートイン網走180室)が、開業時期は明記していないが計画に入っている。
 同社のホテル形態は、ビジネスホテルの「ホテルルートイン」をはじめ、都市型の「アークホテル」、観光やリゾート向けの「ルートイングランティア」「グランヴィリオホテル」の4種類のタイプがある。同社は3月1日現在、海外を含め330施設(ホテル300、飲食店21、ゴルフ場5、温浴施設10、スキー場1)を運営している。直近の売上高(18年3月期)は1153億7200万円で、ここ数年はホテルの新築により増収となっている。今年1月には、ホテル300軒を達成した。

スキー場をメインにしたリゾートホテル
 今回、北の峰に計画しているのはリゾートタイプの「グランヴィリオ」。同形態は国内に6軒、海外に3軒運営しており、道内では幕別町で「十勝幕別温泉グランヴィリオ」1軒を運営している。コンセプトは、雄大な自然を背景にゴルフやハイキングなどのレジャーと、疲れた体を癒す天然温泉をセットにしたゆったりした空間。
 富良野の場合は、過去にワールドカップが開催され世界的に著名な富良野スキー場をメインに、温浴施設などを融合したリゾートホテルになりそうだ。この計画は、3年ほど前から温められていたが、ようやく土地を取得することができたことから動き始めた。建物の詳細は明らかになっていないが、雪解けを期に土地の造成が開始される見込み。
 旭川市内の同業他社のある幹部は、「ルートインのリゾートホテルの歴史は浅い。だが最近はこの形態に力を入れており、富良野は以前から狙っていた地区だ」と、ルートインの富良野に対する熱い思いを代弁する。

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平成に半減、旭川エリアのGS

 人口減少に伴う需要の落ち込みと後継者難、2010年の改正消防法も追い討ちをかけてGS(ガソリンスタンド)が減り続けている。旭川エリアでは平成年間で半減。鷹栖、比布など周辺5町が経産省の分類で「給油所過疎地」となっている。過疎が進む道北では今後「公営GS」も増えていきそうだ。(経産省などではSSと表記しているが、記事では従来どおりGS表記)

GS難民もうすぐ出現?
 旭川市豊岡に住む男性会社員からこんな意見が本誌に寄せられた。
 「人手不足から営業時間を短縮するガソリンスタンドが増えているのではないか。GSの数自体、年々減ってきている。本州の山間部では最寄りのスタンドまで10㌔以上というところは珍しくなく、給油するのに往復30分以上かかかるという話を聞くが、旭川エリアでも周辺の町では近い将来〝GS難民〟が出現しかねない。昨年10月の胆振東部地震ではブラックアウトで給油所の重要性が再認識された。国や道にはGSを減らさない政策をしっかり打ち出してもらいたい」。「仕事で帰宅が遅くなった際、残量が少なくなったガソリンを補給しようと、GSを探す場面が最近たびたびあった」という経験からの意見だ。

給油所過疎地
 資源エネルギー庁のデータによると、1994(平成6)年時点の全国のGSの数は6万ヵ所を超えていた。その後減り続け、2017年度末で3万747ヵ所と、23年間でほぼ半減となっている。
 広大な北海道では自動車は〝生活の足〟として不可欠な存在だが、全国の傾向と同様、GSは減り続けている。経産省北海道経済産業局のデータでは、2002年の道内GSの数は2572ヵ所だったが、次ページのグラフが示すように、12年に2000の大台を割り込み直近データの17年度末では1819ヵ所となっている。
 旭川ではどうか。
 旭川市と周辺町の業者で構成する「旭川地方石油販売業㈿」のエリアでは、1989(平成元)年に154ヵ所あったGSが2018年度末で67ヵ所にまで減っている。実際のGSの数は、組合に加盟していない業者のGSも加わるので、89年時点では約160ヵ所、18年度末では80ヵ所強と推測されるが、いずれにしても平成年間で旭川エリアのGSも半減している計算。
 GSが減り続ける要因の一つはガソリン需要の落ち込み。ハイブリッドなど燃費の良いエコカーが普及しEV車も登場し、また若者を中心とした自動車離れが進んでガソリン販売量は平成に入ってから減り続けている。
 過疎化と高齢化が急速に進む町村でとくに需要減が顕著となっている。経産省の推計では、ガソリンの平均販売量は、都市部のGS1ヵ所あたり月間530㌔㍑に対し過疎の町村は同34㌔㍑と都市部の10%にも満たないのが実情で、過疎地ほど給油所運営は厳しい。
 このため過疎地から次々にGSが消え、経産省はその実態を調査し17年3月末の集計で、自治体内に3ヵ所以下しかGSがないところを「給油所過疎地」として発表した。それによると、全国で給油所過疎地の数は302市町村。内訳は、給油所ゼロが12町村。1ヵ所だけが75町村、2ヵ所が101市町村、3ヵ所にとどまるのが114市町村となっている。
 旭川エリアでも、鷹栖町と比布町が2ヵ所の過疎地、東神楽町、愛別町、東川町が3ヵ所の過疎地に分類されている。

公営給油所
 市内GS経営者がこう話す。
 「6年前に占冠村トマムにあった地元石油販売会社のGSが閉店した。商圏人口が1000人以上でなければGSの営業は継続できないとされるが、トマム地区は過疎が進み定住人口が400人ほどになって、経営が立ちゆかなくなった。
 旭川近郊では愛別町が人口約2700人、比布町が約3700人。今は2ヵ所、3カ所の給油所があるが、人口減が加速すれば〝GSゼロ〟となりかねない」
 地域からGSが消えた占冠村トマムでは「給油所は絶対必要だ」との住民要望から、村は公営の営業形態で給油所を再開した。危険物取扱資格を持つ住民らで一般社団法人トマムスタンドを設立し、2017年秋から週3日、1日3時間の日時限定で営業を再開している。経営的には年間500万円程度の赤字で、その分を村が委託費として補填している。
 道内では伊達市大滝地区でも農協が運営していた地区唯一の給油所が2年前に撤退した。古い地下タンク更新に1000万円以上が必要なため事業継続を断念したものだが、伊達市は地区住民の利便性を考え、施設を無償で引き取り経産省から補助金を受けて地下タンクを更新。また、事務所や給油設備も更新して指定管理者制度で営業を再開させている。
 「公営給油所」は、旭川エリアの町にとっても他人事ではなくなっているのだ。

表紙1905
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赤岡副市長は旭大公立化の布石?!

 岡田政勝副市長退任による後継人事は、本命視された黒蕨真一総合政策部長、菅野直行地域振興部長、大家教正総務部長らを抑えて、赤岡昌弘教育長(写真)が昇格した。旭川大学公立化へ取り組む西川将人市長の〝布石人事〟と言われ、担当部署の総合政策部長も差し替えられた。

大家、黒蕨、菅野
 今回の人事は、来年12月まで任期がある岡田政勝副市長(66)が、体調不良を理由に今年3月末で辞任する意向を示したことで、通常の定期異動とは違う検討が必要になり行われた。つまり、いつもは部長職の異動と昇格がメインとなるが、今回は副市長という特別職人事を含めた新たな人員配置が求められた。
 また、同じ3月末で60歳の定年退職を迎えた大家教正・総務部長、石川秀世・防災安全部長、永田哲夫・地域保健担当部長の今後の処遇を含めた検討も必要となった。
 そんな状況の中、市役所内や議会内で、岡田副市長の後任「第一候補」としてささやかれたのが、大家総務部長。同じ定年退職組でも、石川防災安全部長は消防本部の職員、また永田部長は、臨時的に配置される担当部長だった。これに対し、大家総務部長は市役所全般にわたる幅広い知識を持っているほか、市政が抱える多くの課題も熟知している。退職者から副市長を選ぶとすれば大家部長しかいないという声が強かった。
 一方、現職部長の中で以前から議会内で「副市長候補」として名前が挙がっていたのが、黒蕨真一・総合政策部長(57)と菅野直行・地域振興部長(57)の〝室工コンビ〟だった。
 黒蕨部長は、西川市長が初当選を果たした時から秘書課長を務めていた市長の側近中の側近。環境部長や総合計画担当部長などを経て、筆頭部長の総合政策部長にまで上り詰めている。
 また、菅野部長も技術畑の出身ということで、土木部長、都市建築部長を経験した後、まちづくりの主要政策を担う地域振興部長に就任。部長としてはナンバー2の位置付けながら、旭川空港の活性化や国際化、そしてJR北海道の路線維持など市の将来に関わる重要施策を受け持っており、対外的に見ても重要なポストだ。「どちらが副市長になっても、重責をこなす力量を持っている」(議会筋)と高く評価されている。

表紙1905
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高砂が作る〝ネコ酒〟で世界市場開拓

 日本人でさえ若者には日本酒が強すぎる、重すぎるとして敬遠されがちなこの時代、日本酒で海外市場を本格的に開拓するには、もっと敷居が低い商品が必要なのではないか─こうしたアイディアに基づき㈱Kカンパニー(本社札幌)が開発、高砂酒造㈱が受託生産しているのが「ネコ酒」だ。すでにブラジル向けに本格的に輸出しているほか、欧州、アジア市場の開拓も目指している。

酒離れ進み国内シェアも低下
 日本酒ブームの盛り上がりを感じる機会が増えている。全国各地で関連イベントが開催され、ドラマやマンガの題材として登場することも多い。ネットを活用して、知る人ぞ知る銘酒を取り寄せて楽しんでいるマニアが読者の中にもいるかもしれない。
 ところが、いま日本酒業界は需要の減少という厳しい現実に直面している。かつて酒の王者だった日本酒は、いまではビール、発泡酒、ウイスキー、酎ハイ、ワインなどと並ぶジャンルの一つでしかない。
 国内で日本酒(清酒)を製造している事業者の数は1405(2016年10月、国税庁による調査)。10年前と比較して約300も減少した。すべての酒の国内消費量に占める清酒の比率は1989年の15・7%から、2016年には6・4%まで低下した。従来は低価格品だった焼酎の高級化が進み、一部の清酒ファンが焼酎に流れたことも影響している。しかも、同じ期間に酒離れが進んだ結果、酒全体の成人1人あたりの消費量は95・7㍑から80・9㍑まで減少している。
 国内需要の減少に対応して、日本酒業界は早くから「SAKE」の輸出に取り組んできた。道内の酒蔵も、海外市場の開拓を目指している。これまでにない新しい取り組みが、Kカンパニーの中嶋圭さんが中心となって進めている「ネコ酒」の海外市場での販売。中嶋さんは10年前から日本国内の酒蔵の海外市場進出を支援するコンサルティング業務を展開しているのだが、そのためのツールの一つが、自社ブランドの日本酒「ネコ酒」だ。
 ビンには猫をモチーフにした、従来の酒瓶のイメージとは一線を画したシンプルなイラストが描かれている。2016年にブラジルに16㌧を出荷。現地でビール用のガラス瓶に詰めて、代理店を通じてサンパウロ州、リオ州を中心とする地域で発売した。その後も1㌧単位でブラジル向け輸出を継続している。昨年からは酒質を高めた「ネコ酒プレミアム」を国内で製造・瓶詰して輸出。イギリス、シンガポール、マレーシア、台湾、タイでも市場開拓を目指している。

表紙1904
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上川小豆産地消滅の危機?

 本誌2月号記事「道産小豆不足 菓子業界を直撃」を読んだ小豆生産者から切実な声が寄せられた。上富良野町で40年以上にわたって小豆栽培を手掛けている60代の男性・Aさん。「富良野エリアでは、小豆から大豆に作付転換する農家が急激に増えており、このままでは〝上川小豆〟が消滅してしまう」と危機感を強めてのことだ。

台風が直撃
 本誌2月号では、道産小豆不足の現状と、旭川の菓子業界への影響について報じた。記事の内容をおさらいするとこうだ。
 国内で消費される小豆は、3分の2が国内産で、そのうち9割を北海道産が占める。2012年から15年まで豊作が続いたために在庫が膨らみ、需給調整のために作付け面積の削減が行われて、16年の作付面積は前年の約3割減となる1万6200㌶となった。
 しかし皮肉にもこの年、道内小豆の主要産地である十勝地方を台風が直撃。収穫量は前年比55%減の2万7100㌧にまで落ち込み、在庫過多の状況が一転、小豆不足が深刻となった。
 再び増産が進められ、翌年の17年には作付け面積は1万7900㌶にまで増えたものの収穫量はふるわず4万9800㌧。16年を除いて過去10年間で最も収穫量が少なかった09年の4万650㌧をかろうじて上回るにとどまった。さらに18年には初夏に低温と日照不足、長雨が続き、収穫量は前年を下回る見込みだ。
 ただでさえ在庫が不足しているところに、菓子業者や食品メーカーが在庫確保に奔走したことで品薄に拍車がかかり、道産小豆の価格は前年比2割近く高騰。全国の製餡や菓子メーカーでは十分な量を確保できず値上げに踏み切る店舗が相次ぎ、旭川市内でも老舗菓子店が一部商品を値上げし、人気商品の一時的な販売中止を検討するなど影響が広がっている。

生産者の高齢化
 上富良野の生産者・Aさんから電話を受けたのは3月号の発行から一週間後。「このままでは上川から小豆が無くなってしまう。産地を守るためにも周りの生産者に少しでも小豆を作ってもらう必要がある」という切実な声だった。
 Aさんの農園は上富良野から美瑛町白金に向かう道道353号沿いにある。小豆をはじめアスパラ、馬鈴薯、かぼちゃ、スイートコーンを栽培し、稲作も行っている。40年ほど前から小豆を栽培し、複数の品種を手がけていた時期もあったが、富良野エリアが三重県の老舗菓子店と小豆の契約栽培をしていたこともあり、現在は「しゅまり」に特化している。
 小豆は、他の農作物に比べて使用する肥料が少ない低コストの作物だが、作業には手間がかかる。上川地方では、5月から6月上旬にかけて播種し、発芽後は中耕除草機による作業を2度ほど行う。開花から収穫まで3度ほど防除が必要だ。
 完熟して葉が落ちるまで畑で育て、収穫時にはまずはビンカッターという機械で刈り取る作業が行われる。サヤが乾燥していると機械に当たってはじけてしまうため、朝露が残る早朝しか行うことができない。まさに時間との勝負だ。それからコンバインで刈りとった豆を集めて収穫するという流れで行われる。
 これに対し、大豆は刈り取りの作業をせずに汎用コンバインで収穫できる。また単価は小豆とほぼ同じで、国の保証もある。そのため、小豆から大豆に転換する生産者は後を絶たない。
 富良野エリアでも小豆の栽培をやめる生産者が相次ぎ、現在では最盛期の8割程度にまで減少したが、Aさんは、「小豆不足は農家の高齢化が根底にある」と語る。
 「農家の高齢化が進み、後継者がいない場合には離農せざるを得ない。離農者から畑を譲り受けた農家の耕地面積は必然的に大きくなるので、手間のかかる小豆ではなく、機械で効率よく作業が出来る大豆に転換する農家が増えている。これまでは小豆の価格が上がれば生産者も栽培したが、今は価格が4万円台と高騰しているが積極的に作ろうという人はいない」。
 さらに富良野エリアでは、3年ほど前に大手食品メーカーと契約栽培を始めたことで黒大豆の作付が一挙に広がり、小豆の作付面積の減少に拍車がかかった。

十勝の代替産地
 上川エリアは十勝に次ぐ小豆の産地だ。たびたび台風の被害に遭ってきた十勝に比べて、気候の変動が少なく、十勝が天候不順で不作にあえいだ年でも安定した量を収穫することができ、食品業界からは十勝のいわば〝代替産地〟として認識されてきた歴史がある。
 Aさんは上川エリアを小豆の主産地として存続させようと必死だ。そのためにも、昨年十勝で開催された生産者と和菓子業界の〝サミット〟のような場が効果的だと提案する。「小豆不足が続き、規模の小さな和菓子店が一度竈の火を消すと再起できないと思う。今のように組織に小豆を納めて終わりというのではなくて、生産者と菓子メーカーが交流する場を設け、生産者が自分たちが手がけた豆がどのような製品になり、消費者からどんな反響があるのか知ることで、小さな規模ならば作ってみようかということにもなる」。
 またAさんは、小豆栽培が産地の「地力」維持にもつながると訴える。「産地を維持するためには地力が大切になる。小麦や大豆ばかりでは地力が落ちるが、亜鉛を豊富に含む小豆は土中にミネラルなどを残して地力を高めてくれる。小豆を輪作に組み込み、畑の地力が落ちても復活するような形をとっていく必要がある」。
 富良野エリアでは幸い、今年度の小豆の作付けは少しだけ増える見通しだが、Aさんの地元上富良野では作付けが増加する見込みはない。Aさんは「十勝エリアで唯一作られていない品種が『しゅまり』。この品種を生産者に少しずつでも手がけてもらうことで、上川エリアで守っていきたい」と強く訴えた。

表紙1904
この記事は月刊北海道経済2019年04月号に掲載されています。

グリーンホテル 富良野土地7500坪取得

今や〝第二のニセコ〟と呼ばれている富良野市北の峰地区で、繊維卸、山室繊維㈱のグループ会社、㈱グリーンホテル(旭川市1条通6、山室淳三社長)が昨年11月、約2万5000平方㍍(7500坪)の農地(一部宅地)を取得した。同社では「まだ農地転用ができておらず使い道は未定」と説明するが、日に日に地価が高騰している注目の地区だけにその行方が注目されている。北の峰で不動産バブルの兆しが見えていることをきっかけに、上川管内一体の一大リゾート構想も再浮上している。

〝脱繊維〟を目指す山室繊維グループ
 グリーンホテルの親会社に当たる山室繊維は、低迷する繊維卸業から脱却するため、早くから全国チェーンの飲食店や書籍販売のフランチャイズ(FC)に加盟して、旭川市内を中心に店舗展開してきた。手始めに1986年、モスバーガーを旭川市内1号店としてオープンした。2000年代に入ると、02年にドトールコーヒー、06年にはブックネットワンと次々にオープンした。直近では15年11月、市内忠和にベビーフェイスプラネットをオープンした。これら繊維卸以外の売上高は全体の半分近くを占めるようになり、利益率も繊維卸部門より高い。
 新たな業態に進出して成功した山室繊維だが、グリーンホテルも一時期、旭川市内でホテルを経営していたものの、宿泊業から脱皮し不動産業を中心に変貌を遂げようとしている。その一つが今回の土地の取得だった。

「外国資本ばかりが買収するのはまずい」
 グリーンホテルが買収した土地は、富良野市北の峰町から同市山部方面へ走る道道沿いから富良野プリンスホテルの敷地に向かった一画。総面積は2万4927平方㍍(7554坪)で、地目は2万2228平方㍍が畑、残る2699平方㍍が宅地となっている。
 何らかの用途に再開発するとなれば、全体の約90%を占める畑を地目変更する必要がある。本誌1月号の現地ルポ「富良野が第2のニセコに」で指摘した㈱レックスコーポレーション(札幌市)が買収した約7000坪も土地の大半が畑で、同社では「転売する可能性もあるが、周りの状況を見ながら5年をメドに用途を考える」と、長期的な視野で再開発を検討している。これは簡単に農地を転用できない現状を指しており、比較的柔軟な姿勢を見せている富良野市、しかも再開発が進んでいる北の峰地区とはいえ、再開発の開始までには時間を要する。
 今回の主役、グリーンホテルの山室社長も、レックス社とよく似たコメントを残している。
 「周りの状況を見てみると、中国人など外国資本ばかりが土地を買い漁っている。それはまずいのではないかと考え取得した。決して転売が目的ではなく、ましてや誰かの代行として取得したわけではない」と前置きし、次のような見解を示す。
「地目がほとんど畑のため再開発をする場合は、地目変更が必要になる。すぐさま変更できるわけではないが、将来的にレストランなどの商業施設を考えている。需要があるといわれているホテルなどの宿泊施設は考えていない。地目変更ができなかった場合は、そのまま農地として活用することも考えている」

全国大手のホテルが狙っていた土地
 地目変更に時間がかかるという事情のために、グリーンホテルが取得する以前、別の企業がこの土地の取得を断念したという情報もある。この企業をよく知る旭川のある不動産業者は次のように解説してくれた。
 「具体的な企業名は言えないが、旭川市内でもホテルを運営している全国大手のホテル業者で、富良野にリゾートホテルを建設する計画があった。どちらかといえばビジネスホテルを主体にしていた企業だが、数年前にリゾート部門を新設してからは全国的にリゾートホテルを建設している。ところが、地目変更に時間がかかるため断念したようだ。その代わり、中富良野町に土地を物色しているようで、すでに取得したという情報も伝わっている」
 このホテル業者はそれほど富良野に執着していたようだが、その背景には富良野が道内有数のリゾート地として、ニセコに代わる人気の場所になるという期待感があるのかもしれない。

高騰する地価 「安い買物」
 グリーンホテルが取得した土地は、日に日に上昇している地価と比較すれば、相対的に〝割安〟だったようだ。地元の不動産業者は「地目が畑ということで、坪単価はせいぜい2〜3万円程度でなかったか。それでもグリーンホテルより前に取得を考えていたホテル業者よりも、総額で1000万円ほど高い金額で取得したようだ」と見ている。
 北の峰地区では、用途が幅広く好立地の土地であれば現在、坪当たり70万円という情報もある中で、地元では「地目変更に時間はかかるかもしれないが、急いで開発しないのであれば、安く取得できたのではないか」との声が囁かれている。
 ところで、北の峰地区は、現状でもう手一杯という情報もある。その理由として、同地区の山手側にある富良野スキー場や富良野プリンスホテルの敷地が一つの境目となり、それらの裾野に当たる土地が売買の対象になっていることが挙げられる。
 旭川のある不動産業者は、「その境目を外れると一気に価値が下がり、売買の対象にならない。ニセコも同様の動きだった」と解説する。
 ニセコ地区で一時期、坪当たり140万円という破格の値段が付いた土地は、同地区の比羅夫(ヒラフ)など限られた場所で、それ以外はたとえ交通の便が良い国道沿いの土地であっても「ひと山いくらといった価格にまで下がってしまう」(札幌市のデベロッパー)。

表紙1904
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平成の旭川「重大ニュース」 政治・選挙編

 今年4月30日。平成時代の終わりが近づいてきている。昭和から移り変わって30年余。あっという間の30年ではあったが、激動した世界同様、ここ旭川でも歴史に残しておきたい様々な出来事があった。本誌が記事でとらえてきた「重大ニュース」のうち、「政治・選挙編」をお届けする。

平成2年1月 旭川経済人会議 市長候補を公募
 平成2年1月15日付け北海道新聞朝刊に、新春のうかれ気分を吹き飛ばすショッキングな広告が掲載された。「二十世紀最後の10年─世界が変わる、東京が進む、札幌が走る」「さあ、みんなでエネルギッシュに旭川を変えよう」とうたい、紙面中央に大きな活字で「ぜひ市長になってもらいたい!そんな方を推薦ください」と呼びかける内容。旭川市の現状を憂いながらの「旭川市長候補の募集広告」だった。
 広告を出したのは、前年10月に発足していた「旭川経済人会議」。メンバーは9割が保守系の経済人だったため、秋には3選立起が確実視されていた坂東徹市長に保守陣営の一部が退陣要求をつきつけた形となり、この奇策は全国的なニュースにもなった。
 仕掛け人は革新系の各種選挙で参謀役だった優佳良織工芸館館長で当時43歳の木内和博。保守系にも太い人脈を持っていたため、木内の呼びかけに多くの企業人が集まってきた。
 「市長公募の新聞広告は旭川の恥だ」と手厳しい批判もあったが、そうした批判に木内は「自分たちが言わなければという仲間が一人集まり二人集まって話し合っているうちに、何かアクションを起こそうとなった。今までの市長というのは、保・革両陣営が決めた人を市民が見比べて決めるという枠組みの中で選ばれていた。そうした枠組みを超え、多くの市民が主張できる場をつくりたかった。旭川は黙っていると議論しない。市長候補公募の広告をドンと出して問題提起を行い、突破口をまず開いた」
 この時の公募では当時NHK旭川放送局長だった今基芳氏が複数の応募者の中から選ばれ選挙準備に入っていたが、途中で病気を理由にリタイヤしたため、急きょ木内が出馬することになった。
 戦いは実らなかったが旭川経済人会議の活動は続けられ、4年後の菅原功一市長誕生に大きな力を発揮した。保守陣営のねじれはその後しばらく続き、旭川の選挙史を大きく変えた。

平成3年4月 道議の議席獲得 共産萩原の奇跡
 平成に入って最初の旭川市道議選は「共産党候補が議席獲得」という衝撃的な出来事で幕を開けた。
 旭川の道議選は当時、定数6のうち自民党が3、社会党が2、公明党が1というのが指定席だった。共産党候補は毎回1人立起していたが、当選ラインの2万票前後には遥かに及ばない得票ばかりで、それまでは宮越弘一氏が12年前に集めた1万7千票余が最高だった。
 共産候補が当選ラインである1万8000票を取ることなどあり得ないとされていた状況の中で道北勤医協理事長の萩原信宏(当時50歳)は何と2万5千を超える票を集め、社会・公明の候補を抑え3位で当選を果たした。マスコミは「奇跡が起きた」と報じ、本誌も「共産党の怪物」と書いた。
 旭川における共産党の基礎票は1万2〜3千が限度。実に1万票以上も上乗せした要因は紛れもなく、日常の診療で多くの市民と触れ合っていた萩原氏の個人票だった。
 萩原はその後の選挙でも2万5千票前後の安定した票を獲得し、道議選における〝共産ワク〟を不動のものとし、3期12年後に真下紀子にバトンを渡した。さすがに真下の票は平成の怪物萩原の票には及ばないが、その後も安定した順位で当選回数を重ねてきている。

平成5年・6年 五十嵐広三 建設大臣・官房長官
 旭川市長を3期務めた五十嵐広三は2度の北海道知事選出馬を経て、中選挙区制時代の本道2区から衆議院議員に当選、5期目の時には細川護熙内閣で建設大臣(平成5年8月〜6年4月)、村山富市内閣で官房長官(平成6年6月〜7年8月)を務めた。
 五十嵐建設大臣は旭川(旧2区)選出の代議士としては石橋湛山内閣で労働大臣、池田勇人内閣で運輸大臣を務めた松浦周太郎、田中角栄内閣で運輸大臣を務めた佐々木秀世に次ぐ3人目の大臣に就任、引き続き自社さ連立政権では内閣官房長官にまでのぼり詰め、次の選挙には出馬せず「十分に燃焼し尽くした」と69歳であっさりと政界を引退した。
 国会進出時から「社会党が政権を取れば間違いなく大臣、総理大臣候補」と言われていたが、まさにその通りとなり、中央政界とは縁遠かった旭川市民にとっては保革の枠を超える感激的な一大事だった。
 旭川において長年の課題だった駅周辺開発に現実的な光を差し込ませたのが五十嵐建設大臣だった。駅周辺の広大な旧国鉄用地に転用の可能性が出てきた状況のなかで、旭川市に対し再開発の都市計画決定申請の提出を勧め、事業認可までの道筋をつけた。
 旭川市長として旭山動物園開園、買物公園造成、旭川医大誘致などなど、将来を見据えた数々の事業を実践した五十嵐が、建設大臣という立場を地元のために有効に活用した。五十嵐建設大臣が誕生していなければ、今日ここまで変貌した「北彩都」の姿は見られなかったかもしれない。

表紙1903
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