日本最北のミニシアター「ル・シネマキャトル」(東川)

 過度な商業主義や経済効率優先の物差しだけではかれない大手配給会社が取りこぼしがちな良質な映画を観たい層が道北・道東地域に一定数いる、そして自分も。なんとかならないか─。そんな思いをエンジンに上川管内東川町に移住してきた夫妻が町内に私費でミニシアター(大手映画配給会社に依存しない小規模の映画館)を開設した。国内最北のミニシアターで、東川町内をはじめ、近隣の旭川市・美瑛町・富良野市などあちこちからシネマファンが東川に足を運ぶ。「文化難民的な状況を解消したくて…」と始めたミニシアターは、観たい映画を…という潜在ニーズの貴重な受け皿となっている。

田んぼに囲まれたル・シネマキャトル
 北海道の屋根とも称される旭岳(2291m)をはじめとした表大雪の秀峰を仰ぎ見る田んぼに囲まれた自然豊かな空間に「ル・シネマキャトル」(東川町東4号北2番)は静かにたたずむ。木板を連ねた壁と小さな赤いドアが印象的だ。
 2020年に東川町に移住してきた齋藤裕樹さん(50)・妻の富士子さんがオープンさせた。夫妻は「中国茶とおかゆ 奥泉」を運営する。その敷地内に設けたのが「ル・シネマキャトル」である。
 それは裕樹さんの夢でもあった。映画が好きだった。「22歳ごろのとき映画の勉強をしようとフランスに行きました」。7年間ほど、帰国しては渡仏を繰り返す日々を過ごした。
 東京の映画会社でも働いた。「映画は総合芸術とも言われています。昔から芸術には興味がありましたから」
 裕樹さんは、好きな映画の一つに小津安二郎監督の「東京物語」(1953年製作)を挙げた。家族間の情愛を丹念に紡ぎ生を重ねることの機微を描いた名作である。「今村昌平の映画もいいですね」。今村は「楢山節考」(1983年製作)や「うなぎ」(1997年製作)で知られる。
 裕樹さんは新潟県出身、富士子さんは埼玉県の出身である。日本人も外国人も国籍の枠を越え互いに尊重しあい暮らしていく多文化共生をマチづくりの指針に掲げる東川に居を構え、夫妻は東川産のコメと大雪山連峰の雪解け水がはぐくむ水を使った〝心がまるくなるような〟おかゆと香り高い中国茶を提供し続ける。
 夫妻からは、丁寧にゆっくりと日々の暮らしを慈しむ様子がうかがわれた。そうした日々を重ねる中で、裕樹さんの胸奥には映画への思いが静かな通奏低音のように鳴っていた。

自主上映会企画 思わぬ手応え
 3年ほど前だろうか、「自主上映会をやってみようか、という気持ちが芽生えました」。やってみた。思わぬ反応に意を強くした。
 裕樹さんは、2025年までに、カンヌ国際映画祭でパルムドール賞に輝いたヴィム・ヴェンダース監督のロードムービー「パリ、テキサス」(1984年製作、西独・仏)や、カンヌ国際映画祭で審査員賞に輝いたアキ・カウリスマキ監督の「枯れ葉」(2023年製作、フィンランド)などの味わい深い佳品を選び10回ほど自主上映会を開く。
 地元の東川をはじめ、旭川・北見・美瑛・富良野・上川管内幌加内など道内各地からやって来たシネマファンがスクリーンを見つめた。
 「また、(上映会を)やってほしい」─。そんな声が相次いだ。「来られた人は『観たい映画があれば札幌まで車で行く』と言っていました。観たい人は努力を惜しまない。暮らす地域による文化的格差がある、と感じました。文化難民的な状況を解消したいと思いましたし、自分も観てみたい、そんな思いもあったでしょうか」。決めた。
 ミニシアターをやろう!

20席のミニシアター 木の温かみいっぱい
 インターネットで寄付を呼びかけるクラウドファンディングで得た500万円ほどの資金をベースに私費を投じ、昨夏に着工し、今年2月に完成した。
 「中国茶とおかゆ 奥泉」の敷地内に整えたミニシアターは20席で、「座席をゆったりと、とりました。一人ひとりが『居心地良い』と感じられる空間にしたかったんです」
 スクリーンは、およそ180インチで、天井は高く開放感がある。シューボックス型(靴箱のような長方形)のミニシアターは音響効果も高い。無機質の対極にあるかのような木の温かみがいっぱい感じられるミニシアターだ。
 2026年2月27日─。こけら落としで最初に上映したのは第53回カンヌ国際映画祭で監督賞に輝いたエドワード・ヤン監督の遺作「ヤンヤン夏の想い出」(2000年製作、台湾)と、ホウ・シャオシェン監督の「冬冬(トントン)の夏休み」(1884製作、台湾)だった。「『ヤンヤン夏の想い出』を僕はフランスで最初に観ました。ご自身のご家族と重ねあわせて観ていただければと思いました」。「冬冬(トントン)の夏休み」は、田舎の祖父母に預けられた都会に住む少年の夏休みを丹念に描いた作品として知られる。

1日2回上映がベース 週5日、水・木曜休館
 「ル・シネマキャトル」は、ひと月4作品をベースに週5日上映する。水・木曜日は休館となる。1日2回の上映がベースで、火曜日は1日3回となる。観覧料は一人1600円(税込み)で、年会費3000円で毎回1000円で楽しむことができる。
 4月は、ノルウェーの監督ヨアキム・トリアーの4作品を上映している。長らく音信不通だった父と姉妹の葛藤を描き、第78回カンヌ国際映画祭グランプリに輝いた「センチメンタル・バリュー」(2025年製作、ノルウェー)と、首都オスロを舞台に若者の孤独・挫折→再生や、30歳目前の女性の迷い─などの心模様を丹念に紡いだオスロ3部作(3作品)だ。
 オスロ第1作目の「リプライズ」(2006年製作、ノルウェー)は、作家を志す二人の青年を描いた作品で、ヨアキム・トリアーのデビュー作だ。第2作目の「オスロ、8月31日」(2011年製作、ノルウェー)は、薬物依存症で回復施設にいる男が許可を得て街へ戻る1日を描いた。
 第3作目「わたしは最悪。」(2021年製作、ノルウェー)は、恋愛・キャリア・自己像に揺れる30歳目前の女性のラブストーリーで、メディアからセンセーショナルとの熱いレビューが殺到した佳品だ。

スマホに触れない豊かな時間を……
 「東川町や近くの旭山動物園(旭川市)、美瑛など周辺観光のアクセントとして『ル・シネマキャトル』に来ていただければと思います」。裕樹さんはそう話し、旭岳をはじめ表大雪の有力な登山口へ向かうルート上にある立地の良さから、「天候悪化で登山を急きょ断念した際の代替アクティビティとしても利用していただければ」。
 「ル・シネマキャトル」を囲む田んぼは、もうすぐ田おこし・代かきが始まるだろう。晩春には幼苗が春風に揺れるさまを、夏には青々とした稲穂が天を突くようスッと立つ勇姿をシネマファンに見せてくれる。晩秋には深くこうべをたれた稲穂が織り成す一幅の絵画のような黄金の海原がシャリシャリと秋風に揺れ乾いたトレモロを奏でるだろう。
 東川の農の人が節くれだった指で描く一幅の絵画のような周辺の情景も「ル・シネマキャトル」の大きな魅力に違いない。
 映画を観る行為は、ときに過剰な刺激を享受するツールに堕してしまいがちなスマホをひととき手放す機会となる。
 生を重ねることの機微に気づかせ、誘われるゆるい笑いが尖りささくれた心を修復し心のひだをそっとなでるような─。そんな味わい深い映画を「ル・シネマキャトル」は上映していく。
 裕樹さんは言う。
 「(ほんとうの意味での)豊かさを感じてもらいたい」

この記事は月刊北海道経済2026年5月号に掲載されています。
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