吉田学長に薬物依存症の疑い

 全国ニュースに「旭川医大」が連日登場している。パワハラ発言疑惑、医師派遣先病院からの「アドバイス料」約7000万円…。多くは吉田晃敏学長個人にまつわるものだ。さらに、本誌に寄せられた情報をもとに調査を進めたところ、旭川医大病院で吉田学長を患者とする向精神薬の処方箋が大量に発行されていた疑いが浮上した。担当した医師の多くが、吉田学長の「牙城」である眼科に所属している若手であることから判断して、学長本人が医師に圧力をかけて処方させた可能性もある。学長の飲酒問題はもはや医大関係者の多くが認めるところだが、同時に吉田学長は向精神薬の依存症にも陥っていたのではないか。大量の処方箋が誰の手でどのように発行されたのか、旭川医大病院や学長選考会議は本格的な調査を行う必要がある。

頻繁に向精神薬 適正量の4倍以上
 本誌の調査結果によれば、吉田晃敏旭川医科大学学長は、少なくとも2019年の秋ごろまで、旭川医科大学病院で患者として診察を受け、向精神薬の処方を受けていた。もうすぐ69歳となる吉田学長は「立派」な高齢者。体にさまざまなトラブルが生じて受診するのは自然なことだが、奇妙なことがある。
 本誌が注目したのは「ベンゾジアゼピン系向精神薬」にグループ分けされる2種類の薬。どちらも同様の仕組みで体に作用し、不眠症の治療薬として使われることが多い。以下、問題の2種類の薬をA、Bとするが、Aは超短時間型、Bが短時間型と、効果を発揮する時間に違いがある。
 薬品にはそれぞれ「最大内服量」が定められている。患者としては苦痛から脱するために多く服用したくなることもあるが、一定以上の量を摂取すると副作用が発生し、病気を治すどころか健康を害してしまう。A、Bについても最大内服量が定められており、メーカーが発行する添付文書、つまり薬品の取扱説明書に明記されている。この最大内服量の範囲内で処方するのは、医師にとっては常識中の常識だ。
 なぜかこの常識が、吉田学長に対しては守られなかった。2019年の7~10月、Aについては4.5倍。Bについても2倍近くが処方されていた。この状況についてある医師は、「吉田学長は依存症だったのだろう」との見方を示す。
 しかし、旭川医大病院では、こうした過剰投与に二重三重のチェックがかかる。まず、規定の量を上回る処方には、薬剤部から注意が入る。これは医療事故を防ぐのが目的。また、向精神薬のような依存症や中毒の恐れがある薬品については、一度に30日分を超える処方ができないしくみになっている。さらに、規定を上回る量の投薬を行っても患者の健康状態が改善するとは期待できないため、レセプト審査ではねられる。担当医からきちんと説明が行われない限り、この投薬については健康保険からの支払いが行われない。
 にも関わらず、二つの薬品の処方は続けられた。「30日」の制限は、「30日分」の処方箋を短期間のうちに何度も発行することで回避された。患者の「学長」という立場が影響したのだろうか。

後任眼科教授 突然退任の謎
 とくに注目すべきは、投与されたのが「ベンゾジアゼピン系」の向精神薬だということだ。ベンゾジアゼピン系は取り扱いが難しい薬。Aの添付文書の冒頭には「本剤の服用後に、もうろう状態、睡眠随伴症状(夢遊症状等)があらわれることがある。また、入眠までの、あるいは中途覚醒時の出来事を記憶していないことがあるので注意すること」と赤字で記載されている。さらに、「本剤に対する反応には個人差があり、また、もうろう状態、睡眠随伴症状(夢遊症状等)は用量依存的にあらわれるので、本剤を投与する場合には少量から投与を開始すること。やむを得ず増量する場合は観察を十分に行いながら慎重に投与すること。ただし、「最大内服量」を超えないこととし、症状の改善に伴って減量に努めること」とある。にもかかわらず、吉田学長には大量のAが処方されていた。添付文書の警告する通り、もうろう状態などの副作用が「用量依存的」にあらわれていた可能性があるし、こうしたリスクを、処方した医師が知らなかったはずはない。

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立ち上がった「旭川医大正常化求める会」

 全国的な注目を集めている旭川医科大学の混乱が新たな局面を迎えた。附属病院長の解任を言い渡され、その撤回を求めている古川博之教授を含む合計22人の教授・名誉教授を発起人とする「旭川医科大学の正常化を求める会」が立ち上げられたのだ。まだ教授会の過半数を占めるには至っていないが、今後、さらに勢力が拡大する可能性もある。

「大学をこのままにしておけない」
 2月1日午後、旭川市役所4階の市政記者クラブに、全国的な関心を反映して「密」が心配になるほど多くの記者やテレビ局のクルーが集まった。落ち着いた口調で語り始めたのは、旭川医大から病院長解任を通告された古川博之教授。処分撤回を求めるとともに、昨年11月の時点で吉田病院からの患者を旭川医大病院で受け入れる準備はできていたなどと主張した。
 記者会見に出席したのは古川氏一人。まったく孤独な戦いを強いられているようにも見えた。しかし、この時点で吉田学長に「ノー」を突き付ける動きは水面下で慎重に進められていた。多くの医大関係者は以前から心の奥底に学長への不信感を秘めていたようだ。1月下旬の時点で、ある教授は本誌にこう語っている。
 「吉田学長にはもう正常な判断力が残っていない。大学をこのままにしておいてはいけないという思いがある」

部下の生活にも大きな影響
 当初、この教授は迷っていた。その時点で、吉田学長に反旗を翻したところでトップ交代に追い込める確信はまるでなかった。反学長派が負けた場合、自分たちは旭川医科大学を追放される。そんな前歴を持つ人材に新しい活躍の場を与える研究機関はない。学者人生は終わり。家族の運命も激変する。

記者会見を開いた古川氏
 部下の将来ものしかかる。医局トップの教授が交代した医局に後任が部下と一緒に乗り込めば、前任者の下で研究していた人は他に働き口を探さなければならないかもしれない。
 旭川医大では近年、教授や、教授への出世を確実視されていた人物が突然大学を去る事態が相次いだ。中には金銭をめぐる不正など、本人の行状が原因のケースもあるが、吉田学長の不興を買って旭川にいられなくなった人物もいる。
 耳をふさぎ、自分の研究と日々の医療に没頭するという選択肢もあった。「騒動と距離を置き、吉田学長と関係を良好にしておいたほうが、自分の医局の予算と人員は増えるかもしれない。しかし、もう座視しているわけにはいかない」と、この教授は覚悟を決めた様子で本誌に心情を語った。

中立守った大学の役員
 反学長派にとり明るい兆しもある。吉田学長が記者会見を開き、古川病院長の解任を発表したのは1月26日のこと。古川氏が反論のため記者会見を開いたのは2月1日だった。同日には旭川医大で学長選考会議が開かれ、病院長解任が適切だったかどうかを調べる調査委員会を、外部有識者も交えて開くことが全会一致で決まった。早急な結論を避けた形だ。「学長選考会議は学長に近い人物で固められている。早々に学長の主張に沿った決定が行われる」との一部関係者の予想は外れた。
 調査委がどんな結論を出すのか予想するのは難しいが、ひとつ確かなのは、反学長派が仲間を増やすための時間的猶予を獲得したということだ。1月末の時点で片手にも満たなかった賛同者は急増し、2月10日に会の公式サイトが開かれた時点では発起人は古川氏を含む22人となっていた。教授会で過半数を占めるには至っていないが、学長選考会議も無視できない勢力にはなった(すべての発起人は横並びで、代表は決められていない)。
 なお、今回「正常化を求める会」に加わった現役教授の中には、かつて学長の手腕を高く評価していた人や、学長に評価されてポストを得た人も含まれているが、彼らもどうしても黙っているわけにはいかなくなったということだろう。そもそも、古川氏も1年前までは吉田学長と蜜月関係にあった。

さらなる賛同募る
 「正常化を求める会」は吉田学長の何を問題視しているのか。趣意書には、①新型コロナウイルス医療の中で起きた学長の不適切発言②古川病院長に対する不当な解任ならびにパワハラ③滝川市立病院からの勤務実態を伴わない不適切な収入④長期政権と大学の私物化、ガバナンスの崩壊、教職員に対するパワハラ、が列挙されている。
 趣意書は最後にこう呼びかけている。「私たち教職員は建学の精神に立ち返り、力を合わせて旭川医科大学をもう一度立て直さなければいけません。そのための第一歩は、現学長にただちに辞任していただくか、解任することです。本学を開学以来最大の危機から救い、再び自由で希望に満ちた大学にするため、今こそ皆で声を上げるべき時です。署名活動へのご協力をお願いいたします」
 旭川医大で積極的に吉田体制の継続を求めている人はいまや少数派。今回「決起」した人以外も、学長の怒りを買わないよう、様子見を決め込んでいる人が大半だ。今後、彼らが雪崩を打つように反学長派に加わる可能性もある。

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この記事は月刊北海道経済2021年03月号に掲載されています。

宿泊療養施設 「コートホテル旭川」の決断

 旭川における新型コロナウイルスとの戦いは今年に入って次第に落ち着きを見せてきているが、ピークだった昨年末は5つの基幹病院を中心に感染者の受け入れに悲鳴を上げた。そんな状況の中で社会貢献を第一義に考え、軽症者・無症状者の受け入れを行ったのがコートホテル旭川(市内1条通9丁目)。道内でも数少ない「宿泊療養施設」の状況を同ホテルに聞いてみた。

道からの強い要請を受け…
 旭川市内では昨年11月以降、慶友会吉田病院や旭川厚生病院、北海道療育園でクラスター(感染者集団)が発生。入院先の調整が追いつかず、自宅などで待機する軽症や無症状の感染者数が急増した。このため旭川市は軽・無症状者を受け入れる宿泊療養施設の開設を道に要請。
 その頃札幌では、アパホテル&リゾート札幌、東横イン札幌すすきの交差点、ホテルフォルツァ札幌駅前の3ホテルが宿泊療養施設として開設され、受け入れ可能人数は1270名程度になっていたが、旭川でも少なくとも100名程度の受け入れ先が求められた。
 旭川市の要請を受けた道の対応は昨年6月ごろから始まっていたようだ。道は委託業者を介して旭川市内のホテルに受け入れを打診していたが、11月に入り、旭川の医療体制がいよいよひっ迫し始めたことから、何としても宿泊療養施設の開設が急務となってきた。
 コートホテル旭川の酒井宇巳支配人によると、「昨年6月に一度、道から打診があって、その時は検討しますとお答えしていたのですが、11月13日には正式に要請があり、1週間後の21日にはさらに強い要請がありました。旭川が医療崩壊の危機にあるという状況を聞かされ、旭川のためになんとか受けてほしいと説得されましたので、東京の本社と相談して受け入れを決めました」
 この時、道が旭川市内の何ヵ所のホテルに要請したのかわからないが、コートホテル旭川が最もふさわしい施設と判断したようだ。しかし、宿泊療養施設になると、たとえ軽症、無症状と言っても感染者が入居してくることに変わりはない。退去後にどんなに完璧な消毒を施したとしても、後から使う人にしてみれば気持ちの良いものではない。
 旅行者が快適さを求めて宿泊先を選ぶとするなら、コロナ収束後の集客面など、その後のホテルの通常営業に何らかの影響が出ることも考慮しなければならない。道から強い要請を受けたコートホテル旭川にとっては迷いに迷った末の結論だったに違いない。

受け入れ準備はわずか4日間で
 コートホテル旭川はThe COURT㈱(東京都港区赤坂)が運営する全国16のホテルチェーンの最北端で、道内では旭川だけにある。JR旭川駅から徒歩2分という好立地で、ダブル・和室・ スイートなど7つのタイプの部屋を擁し、客室総数は114室。館内設備の充実と和洋バイキングの朝食が魅力になっていた。
 同ホテルは昨年、コロナ対策のため5月1日から7月18日まで臨時休業を余儀なくされた。再開後は従来のコロナ感染拡大抑止施策に加え、サーモカメラを導入するなど徹底した安全対策を実施し、旅行代理店からの評価も高かった。
 そんな同ホテルが、旭川市内におけるコロナ対策の窮状を鑑み、軽・無症状者の宿泊療養施設として全館を一括して提供する決断をしたのが昨年11月21日のこと。感染者の受け入れは4日後の25日から始まったが、この短期間に準備を進めるホテル側の苦労は並大抵のものではなかった。
 すでに25日以降の宿泊予約もかなりの数あったが、一件ずつ断りの連絡を入れ、同時に市内の他のホテルに協力を求め宿泊客の振り分けを行う作業にも時間がかかった。道や旭川市保健所の担当者との綿密な打ち合わせ、館内の整備などすべてが初めての経験で戸惑いも多かった。
 受け入れ可能人数は最大90名だが、旭川市内のほか上川管内他市町村からの送り込みも多く、昨年12月中旬のピーク時には満室で受け入れできなかったことが2日間あったという。同ホテルによれば今年1月19日までに延べ191名を受け入れてきたが、同時点での入室者は5名にまで沈静化している。

療養者と直接顔を合わせることはない
 宿泊療養施設となったホテルには、自宅療養が難しい軽症、無症状の感染者が集まってくる。療養期間中は個室があてがわれ、建物から外に出ることはもちろん、部屋から出ることも限定される。いわば籠城生活だ。
 そのためホテルのスタッフも、療養者が部屋の中でどういう生活をしているのかわからない。ホテルに早朝から夜10時までいる道の職員や夜間に常駐する看護師の指示で動いているだけで、入室者との接触は一切ない。さらに入室者自身も外部との通信(写真撮影、SNS投稿等)が制限されているため、部屋の中でどういう生活をしているのか一般にはなかなか伝わってこない。
 同ホテルの酒井支配人から話を聞ける機会があったので、いくつか質問してみた。
 ─療養者の食事はどうなっているのですか。
 「1日3回、道が委託した業者から弁当が搬入されます。それを一ヵ所に置いておくと、療養者が取りに来ます。部屋から出るのはその時だけだと思います」
 ─療養者が使用したものはどうしているのでしょうか。
 「シーツやタオルはホテルが使い捨てのものを用意します。使い終わったものはごみ袋に入れて部屋の中に置いたままにしてもらい、道の委託業者が回収します。一人の滞在期間はだいたい1週間ですが、退出後に消毒が入り、ホテルのスタッフがベッドメイクをします」
 ─療養者は部屋の中でどういう日々を過ごしているのでしょうか。
 「わかりません。部屋に持ち込めるものは限られていますので、本を読んだりテレビを見たりしているのだと思います。WiFiがつながっていますので、パソコンやスマホで気を紛らわせているのかもしれません。ホテルとしては朝8時と午後3時の2回、ラジオ体操の曲を流しています」
 ─ホテルスタッフの役割は何かありますか。
 「全館一括借り上げですので、建物の維持管理と館内アナウンスなどの業務だけです」

コートホテルの社会的使命感
 コロナ感染者療養のために全館を一括提供したコートホテル旭川。道との契約期間は一応3月末までとなっているが、状況次第ではさらに長引くことも考えられる。
 この間のホテルの収入は借り上げ料だけ、通常営業と比べ収支がどうなのかわからないが、案じられるのはコロナ収束後の風評被害。「感染者が使っていたホテル」などとの書き込みがネット上で広がる可能性もないわけではなく、同ホテルの決断には頭が下がる。
 しかし、同ホテルが感染者の受け入れを決めたのは企業としての社会的使命と責任感から。それだけに「旭川市民の方から『よく受け入れてくれた』と感謝の手紙をいただいた時には、やってよかったとうれし涙が出てきたほどです」(酒井支配人)と胸を詰まらせる。
 同ホテルチェーンでは旭川の後、新潟市内でも宿泊療養施設に提供しており、The COURT㈱の社会的使命に取り組む姿勢が見えてくる。コロナ収束後の同ホテルの健闘を祈りたい。

表紙2103
この記事は月刊北海道経済2021年03月号に掲載されています。

福井独立Lで活躍 今津辰吾選手

 2000年のシーズンから野球の独立リーグで活躍している旭川出身の今津辰吾さん(23)が年末年始の10日間、実家に里帰りしたのを機に話を聞いた。1年目にして福井ワイルドラプターズ(福井県)で打者としてクリーンナップを担い、チームは地区優勝を飾った。来シーズン後には旭川から久々にプロ野球選手誕生の可能性があるかもしれない。

トライアウト経て入団
 ──独立リーグは一般的なプロ野球とは違うのですね。
 今津 プロ野球はセ・パ12球団で日本野球機構(NPB)が運営しています。独立リーグはそれ以外の地域ごとに発足したチームの総称で、4月から10月のシーズン中は給料をもらって野球をやっていますから、一応はプロなんです。
現在活動中の独立リーグは、四国の4つの県で構成するアイランドリーグ、関西独立リーグ、そして北陸・信越5県と関東5県、東北1県、近畿1県を活動地域とするベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)があります。
 ──今津さんは昨年、大学野球からBCリーグの福井ワイルドラプターズに入団しましたが、どうやって入ることができたのですか。
 今津 入団に当たってはまず、BCリーグの球団関係者が全部集まっているところでトライアウトを受けました。そこで1次テスト、2次テストをクリアすればドラフトで選ばれることになります。
選んでもらうわけですから、自分でチームを選ぶことはできません。もちろんプロ野球のような契約金なんてありません。自分は運よく福井ワイルドラプターズが指名してくれたので入団することができました。

1年目からチームの主軸
 ──入団1年目の昨シーズンからレギュラーだったそうですね。チームの成績はどうだったのですか。
 今津 BCリーグは12球団あって、本来は6チームずつ分かれて試合をしているんですが、昨シーズンはコロナの影響もったので中、東、西の3地区に分かれて試合をし、自分らは西地区で、福井、石川、滋賀、富山の4チームでリーグ戦を戦いました。
チームの結果は23という連勝記録を作り、西地区で地区優勝できました。その後チャンピオンシップの大会に出ましたが、中地区代表の長野のチームと準決勝で当たって負けました。
BCリーグはいつもなら年間70試合するのですが、今期は6月から始まったため60試合くらいに減りました。でも勝率は8割を超えていたので、まずまずの成績だったと思います。
 ──今津さん個人の成績はどうでしたか。
 今津 ちょくちょくケガがあって2、3試合は出場していないですが、フルシーズンやり抜けたことはよかったと思っています。守備はショートもたまにやりましたが、主にセカンドで出ていました。打順は初めの頃は5番でしたが後半はずっと3番でした。
守備と打撃を比べると自分は打つ方が得意だと思っています。ホームランは5本とあまり打っていませんが、チームの中では一番でした。
 ──1年目で、チームの主軸だったのですね。
 今津 言われてみるとそういう感じだったかもしれません。しかしチームの成績が良かったのはあくまでもピッチャー陣が良かったからです。なにしろ150㌔のスピードで投げる投手が普通にいますので。
 ──いずれにしても満足できた1年だったのでは。
 今津 いやいやそんなことないです。まだまだです。

スカウトの前でアピールが大事
 ──シーズン中、普段はどんな生活をしているのですか。
 今津 デーゲームとナイターがあって、平日はお客さんが来やすいように基本はナイターです。そういう時は、午前中は何もすることがなくて、昼から早めに球場へ行って練習や調整を行い、夜に試合といった感じです。デーゲームの時は朝から練習を始め昼間に試合やって、後は帰って寝るという感じです。遊んでいる時間は全くないですね。
 ──食事はどうしているのですか。
 今津 寮もあるのですが自分はアパート住まいで、食事も自分で作ることが多いですね。大学時代から自炊生活だったので慣れています。
 ──独立リーグで活躍するとプロから誘われるようになるのですね。
 今津 試合をやっている時はいつもプロ野球のスカウトが球場に来ていますので、そこでアピールするという感じです。
毎年、独立リーグからプロ野球に行く人はいるのですが、育成選手が多いようですね。しかし基本的にはみんなプロ野球を目指していると思います。本州の人には独立リーグの存在がよく知られているので、プロへ行くか大学野球へ行くか社会人野球へ行くかという選択肢の中に独立リーグがあるようです。

来シーズンがラストチャンス
 ──プロ野球を目指すのならそろそろですね。
 今津 年齢的にも今年いっぱいじゃないでしょうか。常識的には社会人2年目くらいまでですから、来シーズンがラストという気持ちです。ダメだったらきっぱり野球をやめると思います。やめた後どうするかはその時考えます。今は何も考えていません。
 ──一人暮らしも5年ですが、寂しいとか辛いとか、そんな気持ちはないですか。
 今津 それは全然ないですね。でも、ずっと野球ばかりやっているので、結果が出ないときは辛いですね。遠征で遠くまで行って、打てないで帰ってくる時のバスの中は結構きついです。
 ──後輩の野球少年にかけてあげる言葉はありますか。
 今津 小さいときは楽しく野球をやっていればいいと思います。自分も子どものころは野球が楽しかったですよ。良い指導者に恵まれるとなお良いですね。

表紙2102
この記事は月刊北海道経済2021年02月号に掲載されています。

吉田学長「お前がやめろ」発言報道 で窮地

 旭川市民にとり幸いなことに、連日全国ニュースを騒がせていた旭川の新型コロナウイルス感染拡大は、医療従事者の懸命の努力が功を奏して、また完全に「鎮火」したわけではないものの、制圧に着実に近づいているように見える。と同時に、「感染者数」や「PCR検査」といった本筋の話ではないサイドストーリーへの関心が高まっている。昨年12月上旬に市民の注目を集めたのは「文春砲」、そして吉田晃敏旭川医大学長の「お前がやめろ」発言に関する報道だった。

文春の意外な標的
 「週刊文春の記者たちが旭川入りして取材している」との情報が旭川市内を駆け巡ったのは昨年12月中旬のこと。記者たちが照準を合わせているのは、その時点ではコロナウイルスが猛威を揮っていた吉田病院ではないかとの見方があったが、12月24日号の誌面に登場したのは吉田晃敏学長だった。「コロナをなくすためには、あの病院(吉田病院)が完全になくなるしかない」といった発言が生々しく紹介され、映像データもネットで公開された。酩酊が疑われる吉田学長の話しぶりも問題視された。
 その直後、旭川医大はマスコミ向けの発表のなかで「吉田病院の閉鎖などを望んだわけではない」と説明しながらも、「不適切な発言だった」ことを認め反省の姿勢も示した。吉田学長はこの報道の後、文科省に自発的に説明を行った模様。一時は騒々しかったネットの吉田学長批判は、新しい話題に関心が移るとすぐ下火になった。この時点では、吉田学長の受けた傷はもう広がらないというのが大方の見方だった。
 文春に続いて吉田学長に狙いを定めたのが、かつて旭川医大で助教授を務めた現在80歳の水元俊裕医師。12月28日、水元氏が道内の医師らとともに吉田学長解任を求める署名集めを始めることが報じられた。
 しかし、医大関係者や旭川医大のOBの間で、署名に賛同する動きは広がっていない。というのは水元氏と吉田学長、というよりも現在の旭川医大の執行部の間には「因縁」があるためだ。現在も旭川医大第2内科に籍を置く40代の医師が、2009年に医大実験室での爆発事故で有毒ガスを吸って後遺症が発症したとして、医大と指導者だった当時の講師を提訴し、現在も法廷での係争が続いている。水元氏がこの医師の父親であることは医大関係者の間では周知の事実。爆発事故の責任をめぐる司法の判断が確定していないこともあり、署名への支持は医療関係者の間では広がっていない。

反旗翻した身内
 ところが、次に吉田学長に矛先を向けたのは「身内」であるはずの旭川医科大学付属病院の古川博之病院長だった。新聞取材に応えるかたちで、11月8日、市内基幹病院間の協議で重病でない患者1人の受け入れに同病院として同意したが、吉田学長に報告すると許可を得られず、後日もう一度伝えたところ「受け入れてもいいが、その代わりお前がやめろ」と言われた、などと語ったのだ。
 古川病院長が複数の新聞の取材に応じ、上司である学長の問題発言を暴露したのだから、これは覚悟を決めた上での「反旗」とみられる。
 コロナ前まで、古川病院長は吉田学長に近い立場にいる人物だった。そもそも、古川病院長は肝臓移植の権威、藤堂省氏の部下として、共に米ピッツバーグ大学に勤務していた。やがて北海道大学医学部に教授として招かれた藤堂氏と共に来道し、「旭川医大にも肝移植を定着させたい」と考えた吉田学長の意向もあって旭川医大教授となった。結果的に肝移植は旭川医大に定着しなかったが、今年春に定年を迎える古川教授が附属病院病院長として勤務しているのも、吉田学長の方針に沿ったもの。その二人の関係が、吉田病院からの患者受け入れの是非をめぐってこじれてしまった。
 覚悟を決めて反旗を翻した古川病院長については、遅くとも今の任期が切れると同時に旭川医大病院を去るだろうとの観測がある。医療関係者の間では、古川氏が吉田病院に理事長として招かれるという情報さえ駆け巡っているが、どれだけ信ぴょう性があるのかは疑問だ。
 文春報道の直撃をかわしたかに見えた吉田学長は、解任要求署名の動きにも動じず、むしろリーダーシップを発揮してコロナ禍を乗り越えようと意気盛んだったが、今回ばかりは無傷ではいられないかもしれない。文科省の担当者が、吉田学長の古川病院長に対する発言をパワハラではないかと問題視し、旭川医大に説明を求めているためだ。文春の報道についても、記事掲載後に旭川医大が吉田学長名のコメントで行った説明は不十分だとして、月末までに改めて文書で説明するよう求めている。

北大学長解任との違い
 今後、旭川医大は当事者である吉田学長、古川病院長の主張も反映した報告書を作成して文科省に提出することになる。
 文科省が厳しい姿勢で旭川医大の問題に臨んででいる背景には、北海道大学の事例がある。
 北大では職員へのパワハラなど不適切な行為を理由に学長を務めていた名和豊春氏が調査委員会にかけられ、調査結果を受けて北大学長選考会議が文科省に解任を申し出た。文科省は昨年6月に、名和氏を解任した(名和氏は処分を不服として国と北大を提訴)。吉田学長の発言がパワハラだとすれば、何らかの処分が必要というわけだ。
 しかし、名和氏について調査委が指摘した問題行動は30件に達し、うち28件が文科省に事実と認められた。このため名和氏の一件と吉田学長の行為を単純に比較することはできないとの指摘もある。
 ある医大関係者は次のように説明する。「古川病院長が非常勤で勤務していた吉田病院にも配慮するのはわかる。しかし、旭川医大病院としても譲れない一線がある。吉田病院に配慮するなら、病院長を続けさせるわけにはいかないとの苦渋の決断を、吉田学長は下したのではないか。ただ、その言い方には問題があったのかもしれない」
 吉田学長の現在の4期目の任期は2019年7月から2023年6月末まで。学長就任は2007年のことだから、任期満了まで勤めれば16年、国立大学としては異例の超長期政権となる。再任回数に上限はなく、吉田学長は周囲に5期目への意欲も示していた。昨年、旭川医大では教授が相次いで不祥事で停職処分を受けたり解雇されるなどの事態が相次いだが、それでも学内に有力な対抗勢力が形成される気配はなく、5期目の可能性も十分にあった。
 しかし、病院長の反旗で状況は一変した。5期目に対して文科省が長すぎると難色を示すのは確実。今後の対応を誤れば、任期途中での退陣を余儀なくされる可能性さえ出てきた。

表紙2102
この記事は月刊北海道経済2021年02月号に掲載されています。

深川市立病院の深い闇

 深川市立病院の放射線技師・男性Aさん(47)が、職場におけるパワハラを理由に訓告処分を受け、その後、同病院の事務職への不当な異動を命じられた。この一件の背景には同病院放射線課職員による業者との癒着疑惑があったため、共産党議員が市議会で取り上げるほどの大きな問題となったが、追及を受けた行政側は逃げの一手で真摯な対応が見られなかったため、問題の全容解明は年明け後に引き継がれることになった。

怒りに燃えるベテラン議員
 深川市立病院放射線課の不可解な問題が表面化したのは昨年12月8日に開会した定例市議会の初日、北名照美議員(77)による一般質問からだった。北名議員は共産党深川市 委員長を務める一方で通算10期、市議に当選しているベテラン議員。議会では一人会派だが市民からの相談件数も多く、頼りがいのある議員として期待され、高齢にムチ打って活動している。
 その北名議員が今回の一連の問題の主人公ともいえる市立病院勤務の男性放射線技師Aさんから相談を受けたのは昨年11月。北名議員は、聞けば聞くほどAさんへの同情もさることながら、市立病院内で起きていた組織ぐるみの不当処分に怒りが込み上げてきた。
 北名議員が行った議会質問と本誌記者がAさんから直接聞いた話を総合すると問題の全容はおおよそ以下のようなことになる。

観戦チケット手配できますか?
 まず、一昨年の5月から6月にかけて、市立病院のネットワークシステムを使ったメールで診療放射線課のS課長と、病院の取引企業であるF電機営業本部のN氏との間で次のようなやり取りがあった。ことの発端となったのはこのメールの中身なのである。
【2019年5月24日12:18、F電機N様】
 日頃よりお世話になっています。深川市立病院放射線課のSです。
 以前、お持ちいただいた日本ハム戦につきまして、当スタッフが、観戦したいとのことですが、空き状況はどうでしょうか?7月20日㈯対ロッテです。
 可能でございましたら、2名から4名(ペアシート1席か2席)でお願いいたしたく連絡をさせていただきました。また、費用はかかりますでしょうか?
 大変お忙しいところ申し訳ありませんが、連絡をお願いいたします。

【2019年6月11日15:57 N 日ハム観戦について 深川市立病院診療放射線課 S様】
 いつもお世話になっております。F電機のNです。この度は回答が遅くなりまして申し訳ございませんでした。
 大変申し訳ございませんが、ご依頼いただきました7月20日㈯対ロッテ戦ですが、申し込みしていたのですが取れませんでした。
 費用につきましては無料にてチケット手配させていただきます。
 この度は対応できませんでしたが、別日にて予定がございましたら改めてご連絡いただければと思います。
 どうぞよろしくお願いいたします。

Aさんの告発で2人が訓告処分
 F電機は日ハムのオフィシャルスポンサー。観戦チケットの手配も比較的容易にできるのだろう。このメールのやり取りから判断できるのは、これが初めての〝お願い〟ではなさそうということと、「また、費用はかかりますでしょうか?」との言い回しには、以前にはタダでもらったことがあるとの含みも感じられる。
 今回はチケットの手配はできなったが、別の機会があれば「費用につきましては無料にてチケット手配させていただきます」とF電機が書き添えていることから想像すれば、案外こうしたことが常態化していたのではないかとも考えられる。
 チケット料金は一人2000円程度だとして、例えば4名でも1万円あればお釣りがくる。今時決して高額とは言えないが、金額の多い少ないではない。公的機関が取り引き業者とこういったやり取りをすること自体がすでに公務員の倫理規定に違反している行為なのである。
 野球観戦チケットの手配を業者に依頼した内容のメールは病院内の人なら簡単に見ることができる。放射線技師のAさんもこのメールのやり取りに気付いた。正義感の強いAさんは、プリンターで印刷していた〝証拠〟を見せ、病院の責任者である吉田博昭事務部長に会議の場で報告した。
 報告を受けた吉田事務長はその後、「関係職員及び利害関係者などすべての関係者から事情調査し、事実関係を十分確認したうえで、その結果に基づき厳正に対処した」(議会答弁より)という流れになり、業者とメールのやり取りをしていた放射線課のS課長とⅠ課長補佐の二人が訓告処分を受けることになった。
 訓告は国家公務員法や地方公務員法が定めている懲戒処分(免職・停職・減給・戒告)とは異なり、法律上の処罰にならない比較的軽い実務上の処分で、昇給や昇格には影響がない。公務員の中では最も軽い処分である。
 しかしどうやらこの時の内部措置が、告発者Aさんに対する組織的?な報復につながっていったように見受けられるのである。

パワハラで訓告 事務職への異動
 放射線課の課長と課長補佐が訓告処分を受けてから1年が過ぎたころの昨年9月24日、今度は告発者のAさんがいわれのない訓告処分を受けることになった。
 処分の理由は「部下にパワハラをはたらいた」とするもので、それと同時にAさんには市立病院内の事務職への異動が発令された。異動を命じたのは吉田事務長とT診療技術部長で、理由は「診療放射線課の職場環境を改善するため」であり、パワハラ問題とは切り分けて考えてほしいとも言われた。
 Aさんは1996年に診療放射線技師として市立病院に採用され、それから25年間、一貫して技師の業務を担ってきた。突然「事務職への異動を命じる」と言われても納得できる話ではない。
 強い衝撃と不安や不眠など精神的症状が発症したことから9月下旬には職場へ出られる状況でなくなり、10月1日の異動発令日からは3ヵ月間の療養休暇に入っている。
 Aさんは、自分が上司の公務員の倫理規定違反を告発したことにより職場の一部から反発を招き、思い当たることもないH主査とO技師へのパワハラを理由に訓告の処分を受け、同時に自分を追い込むために事務部への異動を命じた組織的な嫌がらせ、報復措置だと感じている。

業務上の注意がパワハラと認定
 実際、パワハラなどありえない。確かにAさんは勝気な性格であることは自分でも認めている。しかしそれは正義感の裏返しでもある。上司とはいえ、取引業者とプロ野球観戦チケットの〝おねだり〟をメールでやり取りしていたとすれば、目をつぶって見過ごすわけにはいかない。
 パワハラだと指摘された一件についても、業者との癒着疑惑で訓告を受けることになったS課長とⅠ課長補佐を擁護しようとしたH主査に対し、同主査が市立病院野球部監督時代に職員互助会からの補助金を2重帳簿を作ってごまかしているのではないかということを注意し「襟を正しなさい」と指導したことがハラスメントだとされたようで、とても納得できるものではない。
 もう一つ、パワハラと認定されたO技師補の件についても同じ。もともと自分に反感を持っていたと思われるO技師補が業務中に私語が多かったのを咎め、「業務態度を改めるように注意してほしい」と上職に相談したことが度々あった。しかし上職がO技師補を指導した様子もなく、逆にAさんによるO技師補へのパワハラということになってしまった。
 正義感や業務上の指導や注意が訓告、異動となってしまうようでは道理に合わない。客観的にどう見ても、市立病院がAさんに取った一連の行為は、組織的な内部告発者つぶしとしか考えようがない。

公平委員会にも労組にも見放され
 しかも、訓告処分にも事務部への異動にも納得できないAさんが10月7日に深川市公平委員会へ提出した異動の撤回を求める「措置請求書」や、パワハラ認定や異動の取り消しを求める「不服申立書」は、本人の事情聴取も行われないまま却下された。
 却下の理由については、異動については「任命権者の責任と権限において職員の定数や職務の内容、職員の経歴・能力等を総合的に考慮して行われた人事権の行使であり、給料の変更もなく、措置請求の対象とはならない」とあり、訓告処分については「法律上の権利義務関係に直接的に変動をもたらさない」として、一般的には解釈の難しい言い回しで、公平委員会の江下憲彰委員長から突き返された。
 地方公共団体の公平委員会は、職員の勤務条件に関する措置の要求や職員に対する不利益処分を審査し、必要な措置を講ずることを職務とする行政委員会で、あくまでも〝公平〟でなければならないのだが、申立人から一言も聴取しないで結論を出すことが、本当に公平委員会の名に値するものなのか。
 Aさんはまた、人事異動が不当なものだとして深川市職員労働組合にも文書で助けを求めている。同組合執行部がどういう議論をしたのかわからないが、11月2日付で届いた回答には「人事異動につきましては、市当局の管理運営事項となりますので、当組合が同意や承諾をする内容ではありません」とあり、およそ労働組合らしからぬ冷たい対応に徹している。
 どうやらAさんは、市立病院にも公平委員会にも労働組合にも見放された格好だ。

処置は適正に終了しているが非公表
 では、市の対応はどうなのか。12月8日の市議会一般質問における北名議員の質問と理事者側(市立病院)の答弁をかいつまんで紹介してみる。
 北名議員 放射線課と業者とのメールのやり取りについて、どのような調査をし、どのような処分をしたのか。
 吉田事務部長 野球のチケットをめぐる件についは、当院で適正に対応して処置を終了している。その内容についてはこれまでの市の取り扱いに準じ、非公表として取り扱わなければならないと考えているので、答弁は控えさせていただく。
 当院としては関係職員及び利害関係者などすべての関係者から事情調査し、事実関係を十分確認したうえで、その結果に基づき厳正に対処しているのでご理解いただきたい。この件については市長にも報告済みの案件となっている。
 北名議員 Aさんのハラスメントによる訓告処分、事務部門への異動についてはどのように判断したものなのか。
 吉田事務部長 パワハラについては個人のプライバシーや、これまでの市の取り扱いに準じ、非公表とさせていただきたい。
 異動に関しては、診療技術部から事務部への異動だが、職種の変更を伴うものではなく、また、一定期間の異動と考えているので問題はないものと判断している。その違法性についても複数の弁護士に確認をするなどして決定したもの。これまでも看護部から職種を変更せず、事務部へ異動し、その職種能力を活かし業務遂行している職員の例は多数あり、適正な人事と考えている。
 今回の異動については事務部門の人員が不足しており、医療職としての専門知識を必要とする事務的業務を担う人材が必要であったもので、技術部門が脆弱化しないよう必要に応じて他の機関より職員の派遣を受けるなどして診療に支障が生じないよう対応しているところだ。

かみついた共産・北名議員
 何もかも適正に処置しており、その内容については非公開とすると突っぱねた市立病院の責任者である吉田事務部長。早川雅典副市長も同様の発言をしている。
 Aさんから相談を受け義憤に燃えた北名議員は質問の冒頭で次のようにかみついている。
 ─深川市職員の公務員倫理に関する規則というのがあってそこには「職員は常に公私の別を明らかにし、いやしくもその職務や地位を自らが属する組織の私的利益のために用いてはならない」。そして禁止事項として「利害関係者から金銭物品、または不動産の贈与を受けてはならない」「利害関係者からまたは利害関係者の負担により無償で物品、または不動産の貸し付けを受けてはならない」。野球のチケットはまさにこの禁止事項そのものではないか。
 Aさんは、不正を指摘した、そのことに対する組織ぐるみの報復だと言っております。邪魔者は(消す)、誇りを持ってやってきた部署での仕事を奪う、そういうことではないかと言っており、私もそう考えます。こういうことが公務労働の現場で許されていいのか─
 そして再調査を求める北名議員に対しては「再調査については、われわれ内部で厳正に調査したが、改めて関与した職員から再度聞き取りをするなど、必要性があると認められれば対応していきたい」(吉田事務部長)と殊勝に答えるのが精いっぱいだった。
 しかし、事務部門への異動についてはあくまでも「職場環境の改善を図ることを通じて医療提供体制を確立し、住民の皆様に適切な医療を提供するために当院として判断した」と適正であったことを繰り返し述べるだけだった。

常任委員会で真相解明へ
 それにしても業者に野球チケットの購入を依頼し、明らかな公務員倫理規定に反した複数の職員が、訓告という甘い処分で終わったのはなぜなのか。
 早川雅典副市長は「野球観戦チケットにかかる案件は事業者や当該職員双方が、公務員倫理に反する行為であることに事前に気が付いており、実際にはチケットの授受は行われていない」と今回の件が〝未遂〟だったことが軽い処分の理由と答弁しているが、過去がどうだったかについては一切触れていない。
 9月下旬以降、自宅療養を続けるAさんは「私はハメられたようなもの。正々堂々とアクションを起こすつもりだが、審判がおかしい組織の中で戦うのだから、自分の精神が持つかどうか…」と複雑な表情で話している。
 一方、市議会の厚生文教常任委員会(定数7人)では昨年12月11日、Aさんに関わる一連の問題を所管事務調査に加えることを決議し、3月議会に向けて真相解明を急ぐ構えを見せている。
 同委員会のメンバーは委員長が松本雅祐氏(公明党)、副委員長が大前昭代氏(民主ク)、委員が北村薫氏(公正ク)、山本時雄氏(令和公明ク)、佐々木一夫氏(新政ク)、辻本智氏(一人会派)といった構成になっているが、Aさんに辛い思いを味あわせた労働組合と近い議員もいることから、真相解明にどれだけ真正面から取り組めるか。議会の良識が問われるところだ。

表紙2102
この記事は月刊北海道経済2021年02月号に掲載されています。

旭実高が挑む旧式コロナ復活

 高度経済成長時代、日本の自動車産業を代表する人気車種だったトヨタの「コロナ」。長年、野ざらしにされサビだらけとなった車両の復活プロジェクトに、この車種の誕生と同じ時期に創立し60周年を迎えた旭川実業高校のエンジニアサークルが挑むことになった。当時、コロナを量販した旭川トヨペットから技術指導を仰ぎながら、名車をよみがえらせる。

サビだらけのコロナ これ以上の教材はない
 現在、道内高校で唯一、自動車科を擁する旭川実業高校(相馬真吾校長)。
1960(昭和35)年の創立以来60年の歴史を刻んでいるが、その自動車実習工場に11月6日、無事搬入されたのがサビだらけのコロナだった。「えー、ウソでしょう?」「サビまくっててヤバイ感じ。けど、これはこれで味があっていいかも」「こんな状態だからこそ、新鮮といえば新鮮」…。
 エンジニアサークルの男子生徒たちはコロナを前に興味津々。目を輝かせながら、ボンネットを開けてエンジンルームをじっくり覗いたり、運転席に座りハンドルの感触を確かめたり。サビだけでなく、至る所にヘコミを見つけては「これなら直しがいがある」と苦笑する生徒の姿も。隅々にまで目を凝らして「これ以上、勉強になる教材はない」とメンバー全員が意気投合。その横で同科の青山亮介教諭が「私のわがままから始まったんです」とつぶやき、名車復活プロジェクトはこうして始まった。
 この3代目コロナは、1967年ごろ製造されたRT40型。三笠市内のある会社が所有していたが、使うあてがなく道路脇に野ざらしにされていた。ボディー全体サビだらけでヘコミが多くエンジンも全くかからない。
 だが、「自動車整備士を目指すエンジニアサークルの生徒たちにとっては、願ってもない教材になる」とコロナに目をつけたのが青山教諭。授業の実習では行えないだけに「わくわく、ドキドキ感が湧いてくる」とチャレンジに踏み切った。

10万㌔連続走行テスト 崖からの 落下にも耐える
 かつてトヨタが誇った〝伝説〟の3代目コロナ。先代の弱点を補強し改良版2R型エンジンを搭載して、東京五輪開幕直前の64年9月にデビューを果たした。発売後、開通したばかりの名神高速道路で「10万㌔連続走行テスト」を公開。最高速の140㌔もアピールしながら、日産が生み出した進化系のダットサン(ブルーバード)に挑み、「B・C戦争」と呼ばれた販売競争が加熱した。
 65年1月にはトップセラーの座を獲得。海外にも進出し、67年に8万台超が輸出されると、日本車の輸出台数の新記録を達成するほどの人気を集めた。以降、海外でも通用する初の乗用車として、68年に同じトヨタから登場した「カローラ」に首位を譲るまでコロナが独走。その性能と耐久性はファミリー層を中心に国内外で高く評価された。
 「崖の上から落としても壊れない、とPRしたテレビCMが話題を集め、高度経済成長期にトヨペットという会社をあそこまで大きくできたのは、コロナのおかげ。旭川トヨペットについても同様で、コロナ抜きに国産自動車は語れない」(旭川市内の自動車通)。そう語るほど自動車業界で一世を風靡した名車だ。

レストア作業は動画に 〝夏休み出勤〟あるかも
 RT40は教材としても魅力的だ。日本の自動車産業が飛躍的に成長した時代の車種ではあるが、現代の車種のように構造が複雑でなく、コンピュータ制御でもないため、自動車の基本的なしくみが学べる。このプロジェクトにあたっては、同科の川上訓弘教諭ほか旭川トヨペットのスタッフが「レストア」技術指導に携わっている。
 ちなみにレストアとは、老朽化などの理由により、劣化もしくは故障した物を修復し復活させること。青山教諭によると、「製造時期から年数がある程度経ったビンテージモデルなどを復活や保存したりすることを目的に修復・復元することなのです」。
 エンジニアサークルの伊藤優大君(3年)は、コロナを前に「車好きの絶滅危惧種。昔の車には顔から何まで味があった。卒業してからも2連休か3連休ぐらいあったら、手伝いに来ますよ」。そう言いながらコロナをじっくりと眺めていた。
 名車復活プロジェクトは2年ほどの時間をかけてレストア作業に取り組み、完成後には札幌モーターショーなどに出品し、旭川トヨペット本社に展示する予定だ。レストア作業の途中過程は動画配信サイト「ユーチューブ」同校公式チャンネルで配信。エンジニアサークルのメンバーは「どこまできれいに直せるか。〝夏休み出勤〟があるかも」と意欲満々だ。

表紙2101
この記事は月刊北海道経済2021年01月号に掲載されています。