空港民営化で部品の1円売却続々

 旭川空港が完全民営化され、空港ビルと滑走路の管理・運営がHAP(北海道エアポート)に移管された。旭川市の財産である空港の備品も売却譲渡されたが、売却された34品のうち23品の価格は何と「1円」。取得価格が5000万円を超えるスノースィーパー(除雪車)などもあるが、なぜこんな破格の値段となったのだろうか?

34の物品売却
 道内にある新千歳のほか、旭川、帯広、函館、稚内、釧路、女満別の七空港は管理が、国・市・道と分かれていたが、これを新たに設立された民間会社が一括管理することで、観光客の誘致や滑走路の維持管理などで効率化を目指す。
 2年ほど前から本格的な検討が始まり、昨年10月には道が出資する第3セクター・北海道空港を主体とする新会社「北海道エアポート」(HAP)がこれら7空港を一括管理・運営することが決まった。
 これを受け、今年1月からは全7空港のターミナルビルの運営はHAPに移った。ただ、滑走路の維持管理は、専用の機材などが必要なため、段階的に行うことになっており、新千歳が最も早く6月1日からスタート。旭川は2番目で10月1日からの本格運営となった。残る5空港については来年3月からのスタートとなっている。
 乗降客が利用する旭川空港ビルについては、2017年秋から49億円をかけて国際線ターミナルビルやフードコートを増改築。国際線の待合室やロビーを2倍に広げ、年間50万人の受け入れが可能になっている。管理が新会社のHAPに移行しても支障はない。
 一方、滑走路の維持管理は、専用の各種機器、機材が必要になる。これまでは市が管理していたため、それらはすべて市が所有していたが、10月からはHAPが行うことになったため、同社に売却されることになっていた。
 それらのリストは7月下旬にHAP側から示され、市では8月下旬に仮契約を結んだ。そしてそれら34の物品を税込み価格1億5950万円で売却することを、9月10日に開会した第3回定例市議会に提案した。

3億円の消防車も
 議案によると34の物品の内訳は、空港用ホイールローダー3台、スノースイーパー8台、空港用ロータリー除雪車3台、除雪グレーダ2台、空港用除雪トラック4台、空港用化学消防車2台などと記載されているだけで、詳細については書かれていなかった。
 このため、議案審議のために設置された補正予算等審査特別委員会で、共産がその個別の内容と売却価格を示すよう資料を要求。すると、なんと23品目が「1円」となっていたことが明らかになった。

表紙2011
この続きは月刊北海道経済2020年11月号でお読み下さい。

藤本壮介氏 3つの計画が進行中

 東神楽町出身の世界的な建築家、藤本壮介氏が参加する3つの計画がいま、東神楽町と旭川市で進められている。いずれも既成概念を覆す建物となりそう。藤本氏が大阪・関西万博で重責を担うこともあり、この地域に注目が集まるきっかけとなりそうだ。

風景と共に弔う
 藤本壮介氏の傑作のリストに新しい作品が加わった。フランス南部、モンペリエの集合住宅「l’Arbre Blanc」。地上17階の建物からあらゆる方向にバルコニーが突き出し、名称が意味すうる「白い木」のようにも見える。
 現地の自治体は7年前に建築遺産となるタワーの建設を決定。コンペで選ばれた業者が藤本氏に協力を依頼。約3年の工事を経て昨年5月に竣工したこの建物の独特の外観は、「センセーショナル」と評された。
 藤本氏は東神楽町出身。1971年に生まれ、旭川東高を経て東京大学で建築を学んだ。現在では「日本の中堅建築家のトップ」との呼び声も高く、その名は世界でも有名だ。
 いま、その藤本氏が参加するプロジェクトが3つ、東神楽町と旭川市で進行している。第一に、東神楽町の町役場、図書館、診療所、文化ホール(新設)などを円形の回廊で連結する「複合施設」。回廊の外側には環状の並木も設けられる予定。
 2つ目は、東神楽町が東川町、美瑛町と形成する大雪葬祭場組合の大雪葬祭場整備事業。築40年間が経過した現在の施設を建て替える事業だ。施設の基本設計・実施設計について公募型プロポーザルの募集が行われ、その結果が8月28日に発表された。応募した3者の中から選ばれたのは㈱藤本壮介建築設計事務所(東京都)と㈱アイエイ研究所設計(旭川市)などの共同体だった。
 公開されている提案書によれば、藤本事務所などのチームは「建築ボリュームを最小限にし、各部屋の開口部から風土に根差した樹木や花々の大小の庭、眺望とプライバシーを守る伸びやかな丘が広がる。遠景には大雪山や十勝岳連峰など(中略)町のどこにいても見守ってくれる風景とともに弔う構成とする」デザインを提案した。
 提案書上の画像では、直線的な建物と、道路からの視線を遮る緩やかな丘が向き合っている。一昔前の「焼き場」の陰鬱な印象はない。葬祭場は2022年度の着工、翌年の稼働を予定している。

地球に優しい動物病院
 3つ目は、緑の森どうぶつ病院豊岡病院(豊岡5条5丁目)の建て替え。このプロジェクトで藤本氏はデザイン監修・設計指導の役割を担い、設計と施工は㈱橋本川島コーポレーションが担当する。
 緑の森どうぶつ病院の企画室長、本田リエ氏にとり、初めて知った藤本氏の作品「球泉洞休暇村バンガロー」(2008年)は衝撃的だった。「final wooden house」(最後の木造建築)と名付けられたその建物は350ミリ角の杉材を積み重ねた四角い建物。壁のところどころには角材が切り取られてできた開口部がある。内部にはイスにもベッドにもテーブルにも使える階段状の空間が広がる。開口部からは周囲の森や球磨川の流れが見える。
 「当時、東京では六本木ヒルズやお台場の欲望を満たす建物がもてはやされていました。快適を追求するのではない、『家とは何か』を問いかけるような藤本さんの作品を見たとき、涙が自然に流れました」
 現在は旭川市の旭神(センター病院)、大町、札幌市中央区に拠点を展開する緑の森どうぶつ病院だが、出発点となったのは1997年、他の獣医師からの「富沢獣医科病院」の事業継承だった。その後、「緑の森どうぶつ病院」に名称を変更。2003年に旭神病院がオープンしてから、豊岡の拠点は「豊岡病院」として診療を継続してきた。
 しかし、建物が老朽化したことから改築を決断。本田リエ氏は今年5月に藤本事務所に連絡を取り協力を要請。これまで交渉を重ね、藤本氏の参加が決定した。
 本田氏からは、開放感があり、犬と猫の診察室を別々にする、環境に優しい木造建築とするなどの要望が藤本氏サイドに伝えられた。一連の要望を受けて藤本事務所がまとめた案は独創的。まず目を引くのは道路に面した側に設けられた温室のような空間。木の枠にはガラスがはめ込まれているが、外からは建物内部が、内部からは外が見渡せる。この空間に待合室、受付、犬用診察室、猫用診察室などが設けられる。その奥の壁と屋根で囲まれた部分にはトイレ、X線室、スタッフルームなどがある。
 藤本作品の多くを特徴づけるのが、建物の内と外の関係性。建築物は内と外が明確に区別するのが一般的だが、藤本氏は開口部などを通じ両者を巧みに連続させてきた。「final wooden house」や大雪葬祭場の延長線上に、豊岡病院もあると言えそうだ。
 「私たちはいま、地球や社会にもやさしい動物病院を目指してSDGs(持続可能な開発目標)を推進しています。ペットたちが望む心地よい場所とは、コンクリート製でもビニール製でもないはず。新しい豊岡病院は、『どうぶつがどうぶつらしくある場所』を目指します」(本田リエ氏)
 新しい豊岡病院は現在の建物の解体後に着工。来年2月から3月にかけて完工する見通し(工事中も隣の建物で診療を継続する)。今後、詳細を詰めなければならない部分も残されており、設計変更の可能性もある。

丹下健三も担った重責
 今年7月、藤本氏は2025年大阪・関西万博の「会場デザインプロデューサー」に就任した。SNSを通じて「1970年大阪万博で丹下健三さんが務めた重責。人々の記憶に残るような新しい万博の風景を作り上げたいと思います」と抱負を語る。その藤本氏がほぼ同時並行で参加する3つのプロジェクトに、世界も注目している。

表紙2011
この記事は月刊北海道経済2021年11月号に掲載されています。

田舎の店の生命線・松屋食品の奮闘

 かつて日本の流通・物流に欠かせない一環だった問屋。流通の激変で地方の小規模な問屋は急減したが、松屋食品㈱(旭川市3条通11丁目、鈴木英之社長)は、道内各地の「田舎町」に散らばる小さな小売店に少しずつ商品を販売するビジネスで生き残った。スーパーのない町、コンビニに行けない人の買物を支える「ライフライン」だ。

早くから新顧客開拓
 オホーツク海に面した町にある小さな店に、不定期でワゴン車がやって来る。旭川から運転してきた男性らが車から下ろして店内に運んだのはインスタントラーメン、飲料、缶詰などの商品だが、数量はそれほど多くない。いま、このような店が新たに仕入れ先を探すのは不可能に近い。
 かつては問屋が並んでいた旭川市3条通11丁目の3・4仲通側に松屋食品はある。取り扱っている商品は缶詰、乾物、飲料など(生鮮食品や酒は扱っていない)。10年ほど前からは菓子もレパートリーに加わった。かつて、旭川市内にはこうした食品の問屋も、冒頭で紹介したような小規模な小売店も数多くあった。あらゆる分野で問屋が激減し、旭川市内を本拠とする小規模な食品問屋はほぼ松屋だけとなった(大手スーパーやコンビニなどと取引する大手問屋の出先は存在している)。
 一方、小さな小売店も旭川では激減。松屋食品がいまも存続しているのは、イトーヨーカドーが旭川に進出した1980年ころから流通のあり方が将来激変すると予測して、市外の小規模な小売店を新たな取引先として開拓してきた結果だ。

ばら売りに対応

左から二人目が鈴木社長
 松屋の従業員は鈴木英之社長のほか4人。社長を含む営業マンが方面別に分担して取引先を巡って注文を集め、その2日後にワゴン車による商品の配達が行われる(営業が配達することもある)。前日夕方、ワゴン車の荷室に積み込んだ荷物は取引先20~30店分。それが1日の配達で済むのだから、1店あたりの商品の数は多くない。
 通常の食品問屋はばら売りの手間を嫌い、1箱、1ダースといったまとまった数量でないと取り引きしてくれない。しかし、賞味期限への社会の目が厳しくなったこともあり、売れ残りは小売店の損につながる。わずかな数量から納品してくれる松屋食品は、小売店にとりありがたい存在だ。
 鈴木社長は最近、旭川市内に本拠を置く食品関連の問屋の社員から、こう持ち掛けられた。「富良野市内の某小売店に、うちではもう卸さないことになった。松屋さんが代わりに納品してくれないか」。スーパーやコンビニなどの小売店が大規模なチェーンを展開しているいま、納品はトラックで一度に大量に行うのが当たり前。個別の店舗ではなく、小売店側の物流拠点に納品することも多い。この問屋の立場から言えば、わずかな商品を納品するために数十キロもトラックを走らせるのは割に合わない。それなら多数の店に少しずつ納品している松屋食品に任せたほうがいいという判断だ。松屋食品から見ても、顧客が増える「Win─Win」の提案だった。鈴木社長はすぐに提案を受け入れ、富良野市内の小売店との取引を開始したという。

スーパーで仕入れ
 松屋食品の納品先は広い地域に散らばっている。西は日本海岸の浜益、南は岩見沢と江別の間あたり。東は紋別などオホーツク海沿岸、北は遠別。芦別・赤平・歌志内といった旧産炭地にも取引先が多い。こうした町の一部では中心部にスーパーが存在するが、取引先の多くは町の中心部からやや外れた地域にある。
 納品先の一つが空知管内歌志内市にある㈲マルサ酒井商店。昭和30年代、まだ炭鉱のまちが活気にあふれていたころから続くこの小さな店を、酒井雅勝さんは母親とともに営んでいる。現在、市内にある小売店は2つのセイコーマートと酒井商店だけ。スーパーや他の小売店はすべて閉店してしまった。
 かつては個人客を相手にしていた酒井商店だが、人口の減少で現在の売り上げの8割は市内の老人施設、病院、給食センターなどへの配達が占める。個人客は2割だけで、その半分は近所から歩いて来るお年寄り、残りの半分は電話で注文を受け、酒井さんが配達する。「経営が成り立っているのは施設向けの商売があるから」と、酒井さんは語る。
 昔は滝川や砂川の問屋から仕入れていたが、多くが廃業してしまった。

年金では足りない
 地方の小さな店の経営状態は、道北や北海道全体が直面する経済状態の苦境を象徴している。苦境の第一の原因は人口の減少。道北(上川・留萌・宗谷管内)の人口は平成元年の74万5000人から令和元年の59万8000人と、約2割減少した。とくに仕事や教育機会を求める若者の大都市圏への流出が顕著で、都会への転居が難しい高齢者の比率が高まっている。その中には車の運転が難しい人もおり、地域での買い物が不可能になれば、日常生活にも支障をきたす。
 鈴木社長は、地方の小規模小売店が経営を続けているのは、やめるにやめられないからだとみる。「自営業の人は国民年金。仕事をやめれば収入は1人5万円程度しかない。それでは生きられないから、わずかな収入のために店を続けている人もいるはず。昔は儲かった店でも、当時から老後に備えて蓄えていたところはまずない」。零細企業全体に共通する事情だが、借金を返す見通しが立たないため、やめたくてもやめられないという店も少なくないはずだ。
 同時に、小さな小売店の関係者や松屋食品の社員の心には、買物難民を出したくないという熱意がある。商品と一緒にそんな熱意を積み込んで、今日も松屋食品の車両は走り続ける。

表紙2011
この記事は月刊北海道経済2021年11月号に掲載されています。