転作交付金見直し 上川農業大打撃!

 昨年12月に農水省が方針を示したコメの転作助成金の見直し、厳格化で、北海道の農家が大慌てしている。とりわけ米どころ上川、空知では影響が大きく、農業関係者は将来への不安を隠しきれない。これまで年間2~300万円はあったとされる交付金がゼロになる可能性もあり、農業経営を極端に圧迫するばかりか、「究極的には農協の死活問題にも発展してく」と指摘する人もいる。いったい何がどうなっていくというのか─。

交付金の〝厳格化〟 つまるところ削減
 50年ほど前から始まったコメの生産調整は、初めはもっぱら稲作を休む「休耕」だったが、その後、コメ以外のものをつくる「転作」に重点が置かれるようになり、かつて田んぼだったところは畑となり、主に麦や大豆、飼料用作物、野菜などがつくられるようになっている。
 「転作」に伴う国からの助成は手厚く、さまざまな制度が設けられているが、その中でも代表的なのが「水田活用の直接支払交付金」(通称・水活)である。農業関係者以外は耳にする機会も少ない制度だが、高齢化する稲作農家にとっては農地を維持するための命綱のようなものでもあった。
 ところがこの「水活」の内容が来年度から大きく見直される方針が農林水産省から示されている。転作でつくる作物によって見直し幅は違ってくるが、一番深刻な打撃を受けるのが牧草をつくっている農家だという。農水省は、交付金の支払い条件を厳格化すると言っているが、厳格化とは交付金の削減を意味する。
 酪農業が多い北海道では飼料用作物である牧草の需要が多い。このため、コメからの転作を迫られた農家では、野菜類より比較的手軽に作れて販売先も安定している牧草づくりを始めた。稲作が主流の上川、空知管内では特にこうしたケースが多いのだという。

3万5000円がたったの1万円に
 では、転作農家の収入のよりどころとなっていた「水活」がどう厳格化されるというのか。農水省の案や各種報道によると、これまでは「水張りができない農地(あぜや用水路がない農地)は交付金の対象外」とされていた取り決めに、「今後5年間に一度も水張りが行われない農地は交付対象水田としない」という明確な条件が加えられる。
 「水張り」とは水稲の作付けを行うこと、つまりコメをつくるということなのだが、これから5年の間に〝水田〟で一度もコメをつくらなければ交付金は一切出さないということである。これまでも同様の趣旨ではあったが厳格なものではなく、あぜや用水路がなくなっていても牧草をつくってさえいれば交付金を受け取ることができた。ある種の温情的な〝見逃し〟だったのだろうが、明文化されてしまうとこれからはそういうわけにいかなくなる。
 実際、牧草をつくるようになってから必要のないあぜを取り壊したり用水路を使わなくなった農家は結構な数に及んでいるようだ。こうした農家にとっては、いまさらコメをつくれと言われても簡単に対応できるものではない。あぜや用水路が残っていたとしても、これまで牧草だけつくっていた農家にしてみれば、機械や設備も不十分で、コメづくりは容易なことではない。
 さらに、厳格化される「水活」では、牧草そのものがターゲットにされている。これまでは、毎年種をまかずとも5年~10年は収穫できていた再生能力の強い多年生牧草の場合、収穫さえしていれば交付金が出ていたが、これが「種をまかない年は単価を見直す」と変わってしまう。
 牧草の単価、つまり農家に入るお金は種をまいてもまかなくとも10アール(1反・300坪)あたり3万5000円だったが、これが、種をまかずに収穫だけする年は1万円と極端に下がってしまう。
 これまで3万5000円だったものがたったの1万円に。農地の規模によって違うが、多年生牧草をつくってきた農家にとって、この影響は限りなく大きい。

いまさら言われても手の打ちようがない

 農家の事情に詳しい人たちに話を聞くとこぞって、上川農業界の先行きを危ぶむ声が聞こえてくる。「5年に1度はコメをつくる、牧草は種をまかなければダメといっても、できる農家とできない農家が出てくる。できない農家は農業をやめなければならない」というのである。拾い集めた声を紹介すると……。
 「広い水田を持っていて水稲と転作作物をつくっているところは、ブロックを変えていくことで5年に1度はコメをつくるという条件をクリアできるだろうが、水稲を一切やめ、もっぱら転作作物をつくっているところは大変だ。しかもあぜも壊し、用水路もなくなっているところは手の打ちようもない」
 「牧草で3万5000円もらっていたのが1万円になると、とてもやっていけるものではない。3万5000円と言っても、種や肥料の仕入れ、刈り取り、土地改良区の賦課金(水利権)、農協の賦課金などの経費を払っていたら1万5000円くらいしか残らない。どうしても反(10アール)あたり2万円の経費はかかるのにそれが1万円となると、農家をやめるしかない」
 「稲作も転作もやらないとなると水田は荒れ、使い物にならなくなる。いざ売ろうとしても買ってくれるところもなく、たとえ売れたとしても安い値段しかつかない。農地の格が下がるわけで資産価値の問題も出てくる。農地を担保に取っている農協だって苦しくなるだろう。上川地域の中でも塩狩峠を越えた宗谷沿線は特に大変だと思う」誰に話を向けても、聞こえてくるのは嘆き節ばかりだ。

「見直し」を見直すことはできないのか
 そもそもこの転作交付金の見直しが政府案として出てきたのは昨年12月。農水大臣が国会で答弁したり、記者会見で「見直し」を言明している。ある農家の人は「政府内では昨年夏ごろから考えられていたことのようだが、われわれが知ったのは12月に入ってから。しかも今年から見直しが始まるという。一方的なうえに話が急すぎる」と戸惑いと怒りをあらわにする。
 今は、各地の農協で組合員との営農懇談会が開かれているところだが、農家が質問しても農協は何も答えられない状況のようだ。それもそのはず農協だって寝耳に水のような話なのである。
 国がすでに決めたこととはいえ、見直しをさらに見直すことはできないのか。問題の大きさに比べ、なぜか農業関係者の動きは鈍いような気がする。

表紙2203
この記事は月刊北海道経済2022年03月号に掲載されています。

副市長辞任の表氏「公約実現の道筋付けた」

 道新が「表、赤岡副市長退任へ」と伝えたのは1月30日の朝刊紙面でのこと。13年間にわたり副市長を務めた表憲章氏からは2月1日付けの退職届が提出され、そのまま市役所に姿を見せなくなった。予算案の編成は終わったが、市議会での審議はこれからというタイミングの辞任に衝撃が走った。花束贈呈も引き継ぎもない異例の状況だが、本人は本誌の電話取材に対し、辞任に至る経緯を粛々と説明する。

今津市長も「わかりました」
 2月1日以降、記者は詳しい経緯を聞くために表氏にくり返し連絡したが、反応はなし。表氏に近い人物には「しばらく誰の電話にも出ないのではないか」と言われたが、2月3日、記者の携帯電話が鳴った。以下は電話によるインタビューの内容だ。
 ─大変な騒ぎになっている。今津寛介市長と表氏の間で何があったのか。
 表 なにもない。昨年9月の市長選で当選した今津市長が初登庁した際、私は「辞めさせてください」と言って正式に辞表を出した。今津市長は「これは受け取れません。引き取ってください。これからも支えてください」と言ったので、私は「辞任の時期は、市長の指示に従います」と伝えた。
しかし、現在に至るまで私の辞任時期についていろいろ言われてきた。「あいつを早くやめさせろ」とある人物が言っているという話も耳に入っていた。とはいえ、12月から予算編成がある。今津市長にとり予算編成は初めて。公約を予算に溶け込ませて、市長の実現公約に協力しなければならないという思いがあった。市長には「こういう方針で予算を組み立てますから」と伝え、1月のうちに市長も交えて全公約を点検し、実施、調査費用をつけるなど、すべてやった。
 その作業が終わった1月末、今津市長から「3月末で辞めていただきたい」と言われた。私は「わかりました。やめます」と言った。私と赤岡副市長が次の定例会に臨めば、予算は私達が通したことになり、4月1日に新しい人事でスタートするのに、予算を通した私達がそこにいないのはまずいと思った。そこで「2月中に副市長を交代させて、2月21日からの議会に新しい副市長2人とともに臨まれてはどうですか」と市長に提案した。
 市長は「わかりました。そういう方向で検討してみます」と言った。その時点では副市長が2人同時に辞めるはずだったのだが、それから赤岡さんとシミュレーションしたところ、副市長2人が同時に交代し、後任に部長を2人昇格させるとすると、空いたポストに別の人を当て、さらにそのポストに…と、最低でも10人くらいを動かす必要が出ることがわかった。2月中にそんなことをするのは無理なので、まずは私が辞めて、今津市長が自ら選んだ副市長で定例会に臨んだというスタイルを見せ、3月には赤岡さんも交代、というかたちにしてはどうかと市長に提案した。市長は『それでいきましょう』と言い、2月1日に辞表を出した。市長からは「長い間、本当にありがとうございました」と言われた。

本誌報道への批判も
 ─「不信感」「不満」を抱いているとの新聞報道もあった。
 そんなことはない。私が辞めても、2月21日からの市議会第1回定例会の冒頭で副市長などの人事案を出せば通るはず。ただ、北海道経済が繰り返した(表氏の辞任説をめぐる)報道や、私をやめさせようとする周囲の動きにはうんざりしていた。市長から言われたのは「3月末まで」だったが、そういう声もある以上、そこまでいてはダメだと思った。それが私の判断だ。
 ─年度末まで残り、議会で予算案を通すのに協力してほしいという考えも市長にはあったはず。
 いま、予算について大きな争点はなく、予算を通す通さないといった対立も、不正疑惑もない。市議会で民主(・市民連合)が今津市長の公約実現性を問いただすかもしれないが、新しい事業を組み立てたり、調査費用をつけるなどして、公約についてはすべて着手している。赤岡さんが残るわけだし、次の副市長も出てくる。市職員は優秀なので、「大黒柱が抜けて屋根が落ちる」といった状況にはならない。
 ─自身の心の中には、辞任時期はあったのか。
 常識的には年末や年度末に辞めるものだが、年末に辞める状況にはなく、3月末には辞めるつもりで、親しい数人にはそう伝えていたが、3月末にやめるとしても、その通告は3月1日でいいはず。早めの通知には「念を押されているのか」と感じた。ただ、私は市長に対してなんの恨みもない。自ら選んだ副市長と一緒に市議会に臨むのも、リーダーシップの一つの「見せ方」だと思っている。

「28日は平行線」(市長)
 本誌は表氏辞任の経緯について今津寛介市長にも取材した。市長からは以下のような説明があった。
 「私から表さんに辞任について話をしたのは1月28日の夕方。『やめていただきたい』といった表現は使っていない。『人事の件でお話があります。若輩者が恐縮ですが予算の審議を終える3月いっぱいまでという事でご理解頂き、それまでお力添えをお願いしたい。新しい旭川を創るために、このまま表さんのお力に甘え続けるわけにはいかない』とお話をさせていただいた」
 なお、副市長の交代について、今津市長は「誰かに指示されたりアドバイスされたりしたわけでなく、旭川市政の将来を考えて自分で判断したもの」と強調する。
 予算を審議する市議会に新しい副市長2人とともに臨むべきとの提案が表氏からあったことを、今津市長は認めるが、その場で受け入れてはいないという。「そのような考え方は手法としてあるのは理解できなくはないが、大幅な人事になり、コロナ禍で現実的には難しいと思ったので、私はあくまでも3月まで何とかお力をお借りしたいという考えを伝えた。28日の話は平行線のまま終わったと認識している」
 まず表氏が辞めることにしたと伝えたところ、今津市長から「長い間ありがとうございました」との言葉があったとの表氏の説明も、今津市長の認識とは異なっている。「そのようなことは言っていない。31日にお話がしたいと言ったが、翌1日の朝に時間を取ると秘書課を通じて返答があり、会えなかった」。
 ただし、今津市長が表氏に感謝の気持ちを持っているのは確かだ。「4ヵ月という僅かな期間とはいえ、ご指導いただいたことに心から感謝している。また、私自身の未熟さゆえにこのような退職の形になり大変申し訳なく思っている。表副市長の仕事ぶりを間近で拝見することができたのは私の大きな財産。直接申し上げたことだが、想いを受け継ぎ次代の旭川のためにしっかり取り組んでいきたい」
 市長の言う通り「28日の話が平行線」だったとすれば、週末をはさんで31日朝には両者の間で辞任の時期についてもう一度話し合う余地が残っていたのかもしれない。だとしても30日の道新が「表、赤岡副市長退任へ」と報道した時点で、急ぎ足の辞任は事実上確定してしまった。
 なお、後任の人選に関する質問に、今津市長は「コロナ対応の真っただ中であり、予算審議もある。議会の先生方のご理解を頂き後任の選任を進めたい」とだけ回答。具体的な人選については触れなかった。
 本誌は赤岡副市長にも取材したが、市長と表氏の28日夕方の会話の内容は、その場にいたわけではないのでわからないとのことだった。

古本屋の夢 望み薄
 1月初旬、記者は自民党系市議に、副市長交代のタイミングについての見方を尋ねた。「それは表氏本人しかわからない。実績のある人だから、この日に辞めてくださいと周囲が言うべきではない。ただ、これは私見だが、本人から3月末には辞めるというのではないか」
 表氏本人も実際、そのつもりだった。今津市長からの提案も同じ3月末。両者の考えは一致していたはずだが、打診が早かったために、辞任も早まった。いずれにせよ、今津市長は後任の副市長とともに、予算案の成立に全力を挙げるしかないが、市議会の野党会派は納得しておらず、まずは表氏の辞任に至る経緯について明確に説明するよう求めている。
 表氏への電話によるインタビューの最後に、記者はもう一つ質問した。「今から10年以上前のことだが、表さんは私に『引退したら古本屋を開いて、中国の古典を読む生活をしたい』と語ったことがある。その夢は変わっていないのか」。表氏は答えた。「本だけは売れるくらいの量があるが、体力の問題もあり、無理ではないか」。
 おそらく古本屋の夢はかなわない。電話の声を聴く限り表氏は気力十分。次の表舞台をすぐに得るだろう。

表紙2203
この記事は月刊北海道経済2022年03月号に掲載されています。

学長選考会議議長が選挙活動か

 旭川医大のある教授が、公益通報制度に沿って、昨年11月に行われた学長選考についての問題行為について通報を行った模様。学長予定者に選ばれた西川祐司氏の正式就任のメドは立っていないが、西川氏を含む現在の大学執行部が対応を誤れば大学は「再スタート」でつまづきかねず、調査が行われるのかどうか、どんな結論に達するのかが注目される。(記事は2月5日現在)

最大勢力率いる
 複数の医大関係者から集めた情報を総合すれば、公益通報の対象になった行為は、学長選考会議で議長を務めている奥村利勝教授の、意向調査(投票)期間中のいわば「選挙活動」だとみられる。
 学長選考会議は大学関係者と行政や企業など学外の関係者からなる組織で、最も重要な役割は新しい学長の選出。現役の学長が不正行為や学長として不適切な行為を行った場合には、文科省に解任を申し出るというもう一つの重要な役割もある。
 選出に向けた手続きの正当性を担保するため、学長選考会議に中立公正であることが求められるのは言うまでもない。野球の審判がどちらかのチームをひいきすればゲームは成立せず、議員や首長の選挙で選挙管理員会が特定の人物に投票するよう呼びかければ、公正な選挙など不可能だ。こうした中立を破っても許されるのは、圧政国家におけるうわべだけの民主選挙か、昭和の女子プロレスの「悪徳レフェリー」くらいのものだろう。
 旭川医大では、副学長の西川祐司氏が学長選考会議の議長を務めており、吉田晃敏学長の職務を停止し、辞任届を出した吉田氏の解任申し出に向けた動きの中で中心的な役割を果たした。その後、西川氏が自ら後任の学長に名乗りを上げ、議長を辞任したのは当たり前の話。選考する側と選考される側を兼ねることはできないからだ。後任として学長選考会議の議長に選ばれたのが、奥村氏だった。
 奥村氏は内科学講座(病態代謝・消化器・血液腫瘍制御内科学分野)の教授。昔なら第三内科と呼ばれた領域のトップだ。吉田時代に進められた講座の再編の結果、「病態代謝・消化器・血液腫瘍制御内科学分野」は旭川医大の最大勢力となっている。
 学長選考に向けた投票が行われたのは昨年11月15日のことで、8~12日には不在者投票の期間も設けられた。その前から本誌には医大関係者から、奥村教授が「西川氏への投票を呼び掛けている」との情報が寄せられていた。このため本誌は旭川医大事務局を通じて以下の質問を送付した。
 「本誌には、奥村教授が学長選考会議委員を務めながら、内科系教職員からの集票を目指して活動を行っているとの情報が寄せられているが、学長選考会議の中立性の観点からみて問題があるのではないか」
 11月9日、事務局から回答があった。
「奥村教授へのご質問については、ご質問の前提の事実は確認できませんでした」
 11月15日の記者会見で奥村氏が議長として発表した投票結果は、165票を西川氏が獲得。151票の山本明美教授、45票の長谷部直幸名誉教授を上回って1位となった。投票結果判明後の学長選考会議では一部の出席者から、西川氏と山本氏の差が小さいことから決選投票を行うべきではないかとの意見も出たが、これは採用されず、投票の結果に沿って西川氏が学長予定者に決定した、と奥村氏は淡々と説明した。
 いまも学内の一部には、決選投票が行われなかったのはおかしいという声がある。しかし、決選投票しなければならないとの明確なルールはなく、学長選考会議の決定を誤りだと断定することはできない。また、「誰と誰が旭川医大の同期だから」といった癒着を指摘する声もあるが、旭川医大は規模が小さく、現在の大学幹部は多かれ少なかれ個人的なつながりで結ばれており、こうした関係を問題視することにも無理がある。
 が、学長選考会議のトップが中立を守っていなかったとすれば、まったく別次元の話だ。

有力証拠出るのか
 旭川医大の公益通報制度とは、どんなしくみなのだろうか。「国立大学法人旭川医科大学公益通報者保護規程」によれば、「公益通報者保護法に則り、本学に対する本学職員からの組織的又は個人的な法令違反行為等の事実が生じ、又は生じようとしている旨の通報若しくは相談に関する適正な処理の仕組みを定めることにより、不正行為の早期発見と是正を図るとともに、通報者又は相談者を保護することを目的とする」とある。通報者は問題の行為が組織的又は個人的な法令違反行為に該当すると考えているということだろう。
 この規程は、学長が予備調査を行って調査を実施するかどうか決定し、調査する場合には副学長のうち1人、教授から3人、事務局から1人などからなる調査委員会を設置すること、公益通報等がされた事項に関して協力を求められた者は、当該調査に協力しなければならないことなどが盛り込まれている。
 規程が定める調査委のメンバーを見れば、公益通報を受けて、松野丈夫学長職務職務代理や事務局が徹底的な調査に乗り出すとは考えにくい。が、公益通報に具体的な内容や証拠が含まれていれば、あるいは証言者が現れれば、調査委もなにもしないわけにはいかないのではないか。

西川学長就任はいつ?
 1月中旬、医大関係者から「公益通報が行われたらしい」との情報をつかんだ本誌は、通報者である可能性が高い教授に取材を申し込んだが、取材には応えられられないとだけ連絡があった。なお、誤解を避けるため記しておくが、本誌が通報者だと考えている人物は、学長選に立候補した長谷部名誉教授、山本教授ではない。
 1月下旬に本誌が取材した医大関係者は「奥村教授が学長選考会議議長でありながら西川氏への投票を呼び掛けているという話は、私も聞いていた。前回、投票で学長が選ばれたのは2007年(この時は吉田氏が初めて学長に選ばれた)。当時の学長選考会議は完全な中立を守ったと記憶している」と語る。
 組織である以上、新しい学長を選ぶ際に医局が投票権を持つ個々の教員の自主的な判断に完全に任せるとは考えにくい。医局トップが特定の人物を応援したとしても、批判はされないはずだ。しかし、学長選考という重要な手続きを進める立場にあった人物が、仮に、自らの指揮下にある人物に誰に投票すべきかを指示したり、集票活動に関わったりしたとすれば、学長選考の結果に一部の医大関係者が強い疑念を抱くのもやむを得ないのではないか。また、こうした疑念は本誌が1月号で紹介した投票直前に学内でまかれた怪文書や、教授会での「火のないところに煙は立たず」とのヤジに象徴される姿勢によって一段と深まっている。
 また本誌には、今回公益通報を行った可能性が高い教授が最近の教授会で一連の問題を指摘したところ、逆に激しい批判にさらされてしまい、大学の正常化のためには最後の手段を選ぶしかないと覚悟を決めて通報に至ったようだとの情報も寄せられている。
 「学長予定者」に選ばれてから3ヵ月近くが経っても、西川氏の肩書からは「予定者」が取れない。吉田氏の扱いを文部科学省が決めかねている現状では、そのメドも立たない(「日大理事長をめぐる騒動に忙殺されている文科省には、田舎の小さな医大にかまっているヒマなどないだろう」との見方もある)。
 が、調査の争点は吉田氏の自発的辞任を認めるか、解任するかであり、西川氏の学長就任は時間の問題だ。コロナへの対応以外にも、研究レベルの引き上げ、空席だらけとなっている教授の選考、予算の獲得など課題が山積している西川体制だが、公益通報への対応を間違えれば、もう一つ大きな課題を抱え込むことになる。

表紙2203
この記事は月刊北海道経済2022年03月号に掲載されています。

売上高ランキングで見る道北経済30年の盛衰

 高速道路(道央道)が北へ延伸され旭川鷹栖までつながって30年余り。期待された経済効果は小さく、逆に高速道路の負の作用「ストロー効果」で道北経済ははかり知れないダメージを受けた。30年前の本誌に掲載された「1991年道北企業売上高ランキング」の上位20社は次ページのとおりだが、流通激変で統合・合併、経営破綻が続き、この30年の間に実に20社中11社が経済界から退場した。いま直面する問題は人口減と少子高齢化。今後10年、20年を生き残るには企業の変革が必要だ。

卸し業退場
 91年の道北地区企業売上高トップは医薬品卸しのモロオだった。この年、初めてキョクイチ(当時の社名は旭一旭川地方卸売市場)を抜き1位となった。計上売上高は725億円。医療業界全般の伸びに伴い前年売上高を大幅に増額させた。
 その後もしばらくの間キョクイチとのトップ争いが続くが、86年に札幌中央店、88年に大谷地物流センターを開設し営業エリアを道央圏中心にシフト。2000年代に入ると札幌に本社機能を移し、創業の地旭川のオフィスは営業所となった。
 売上高3位、食品卸しの杉野商事もモロオと同様、88年にドライ物流の拠点を江別に開設した後、最大の仕入れ先であった雪印乳業の合併提案を受け入れ杉野雪印アクセスとなり、その後社名を日本アクセス北海道に変更した。
 20位までのランキングには入っていないが、旭川本社の眞鍋薬品もまた、道内医薬品卸し5社合併で誕生したパレオに参画した。
 個人営業からスタートし、道北・道東をカバーする社歴の長い優良な卸し業者は旭川に数多くあったが、90年代から2000年代にかけて本社機能移転、あるいは吸収・合併で次々に道北経済界から退場していったのだった。
 卸業退場の一番の要因は高速道路の延伸だ。

ストロー効果
 90年10月、高速道路が2車線で旭川鷹栖までつながった。その後4車線化工事が行われ2003年に全線4車線となった。
 経済界や市民からは「物の流れが一層、盛んになる。旭川は名実ともに道北の物流基地となる」「農業と観光を結びつけた街づくりを」と経済振興への期待を込めた意見が多数出た。一方で、「大手の進出、競争激化、顧客流出によって小売業を主に競争激化時代が始まる」との厳しい見方をする経済人もいた。
 結果は、「高速道路のストロー効果」により流通が激変し、卸売り業は再編の嵐、小売は大競争時代を迎えることとなった。
 ストロー効果とは高速道路の負の要素。開通によって、大都市圏(札幌圏)に直結する便利なアクセス手段を持つことで農産物などをすばやく輸送できるようになり、また企業誘致もしやすくなる反面、高速道路がストローのような役割を果たし、旭川の消費を札幌圏が吸い上げるというものだ。
 道央道整備が進んだ80年代後半(昭和時代末)から流通激変は始まっていたが、旭川鷹栖延伸以降、ストロー効果が働き、戦後培ってきた旭川の問屋機能─旭川にストックを確保し地方に商品を卸すシステム─そのものが必要でなくなった。
 薬品、食品を襲った荒波は繊維卸しにも波及し、16位、売上高150億円の東栄は2003年に民事再生法を申請。その2年後には松岡繊維が経営破たんし繊維卸しの凋落を印象付けた。

勝ち組合併
 小売業界でも淘汰・再編の嵐が吹き荒れる。業界激変を象徴するのが、ランキング8位の食品スーパー三島の破綻。士別、名寄地区で地盤を固め、旭川と北見に進出し業績を伸ばしたが、スーパーふじとの激しい商戦に破れ転落。店舗拡大を急ぎすぎたことが破綻の主因だが、90年代に入って大きく変貌した小売業の環境に三島が対応できなったことも業績を急速に悪化させた。
 旭川永山パワーズが代表するように、90年代以降、小売業が複合的にショッピングゾーンを形成するようになっていった。三島の地元である士別にはマックスバリュー、ツルハ、ホーマックの強力なゾーンが誕生した。
 三島が旭川で展開していた店舗は、スーパーラルズが引き継ぎ、そのラルズはアークスに商号変更し道内各地のスーパーを次々と傘下に収め、2004年にはスーパーふじも子会社となった。その後、ふじを存続会社として道北アークスが誕生。
 近年、キョクイチと売上高ランキングでしのぎを削り昨年も2位につけている道北アークスは勝ち組合併企業だ。ここ数年、売上高トップの日専連旭川も、大が小を飲み込む吸収合併の荒波を乗り越えた信販会社。


 30年でランキング上位の顔ぶれはガラリと変わった。流通変革で始まり、近年は人口減と少子高齢化が企業経営の壁となっている。
 30年前のトップ企業の売上高は725億円、20位で135億円。対して昨年トップは482億円、20位73億円。3割以上減額している。旭川を中心とする道北経済圏はそれだけ縮小したともいえる。
 アフターコロナを見据えて2022年以降の経済予測は楽観的なものも多いが、人口減から市場は縮小しており、道北企業の試練は続きそうだ。

表紙2202
この記事は月刊北海道経済2022年02月号に掲載されています。

旭川市廃棄物処分場 応募ゼロの背景

 2030年3月までに閉鎖されるごみ最終処分場(江丹別芳野)の移転・新設計画を進めている旭川市は、昨年10月11日から次期候補地の公募を行っていたが、締め切りの12月29日までに応募はなく、改めて市が独自に選定する作業に入っている。応募に意欲的だった西神楽地区も「もうしばらく様子を見る」との判断で応募を取りやめたが、その背景にはさらに壮大な地元の構想もあるようだ。

なぜ応募が一件もなかったのか?
 市が当初建設を予定していたコンパクトな覆蓋型(屋根付き)の埋め立て施設は、可燃ごみ焼却施設「近文清掃工場」の建て直しを断念して延命化策に切り替えたことから、焼却量の増加に伴う埋め立て量の減少が見込めなくなったため、より多くの容量を処理できるオープン型に変更せざるを得なくなった。

美瑛町にある「しらかば清掃センター」
 このため、候補地には予定の4倍の広さが必要となり、市は改めて建設予定地の選定をしなければならなくなった。そのために全国的にも例が少ない公募という形をとることになったのだが、結果は応募ゼロ。市にとって想定内だったのか想定外だったのかはなんとも言えないが、年明けから、2月上旬の候補地絞り込みを目標に粛々と選定作業に入っている。
 昨年、市が「一般廃棄物最終処分場建設候補地を募集しています」として市民に呼び掛けたチラシによると、応募できるのは①応募地の土地所有者②応募地の位置する市民委員会または町内会の長のどちらかに該当する人。
 そして応募の際には①旭川市内の土地②10万平方㍍(10㌶)から20万平方㍍(20㌶)③市街化区域以外に位置する土地④各種規制を受けていない土地⑤新処分場として土地利用及び売却することについて、土地所有者の同意またはその見込みがあること⑥応募の意向について、応募地の位置する市民委員会及び町内会に伝えていること─などの要件を満たしていることとしていた。
 この公募に踏み切る前、市内では西神楽地区のまちづくりに取り組むNPO法人が「ぜひ西神楽を最終処分場の候補地に」と市に要望書を提出する動きがあった。正式に公募することが決まった段階でも当然、名乗りを上げるものとみられていたが、なぜか応募には至らなかった。
 詳しい経緯はわからないが、市民委員会などから「もう少し様子を見よう」という声が上がり、とりあえず今回の公募には応じないことにしたようだ。同じく、隣接する神居地区でも応募の動きはあったが、こちらも今回は見合わせたようだ。

表紙2202
この続きは月刊北海道経済2022年02月号でお読み下さい。

旭川赤十字病院医療過誤裁判で和解

 いまから5年近く前に行われた副腎摘出手術が適切だったかどうかをめぐり旭川地裁で開かれていた裁判で、原告(患者の女性およびその母親)と、被告(旭川赤十字病院を経営する日本赤十字社と担当した医師)の間で12月24日に和解が成立した。被告が「遺憾の意」を示し、「解決金」として原告に合計4000万円を払うなどの内容。被告は医療ミスがあったと明確に認めたわけではないが、判決を待たずに多額の解決金を支払ったということは、事実上、医療行為に問題があったと認めたことになる。再発防止が重要なのはもちろんだが、注目すべきは、被告がこれまで他の患者にも不適切な診断を行い、健康上の被害が発生している可能性だ。

摘出手術の前提条件
 旭川赤十字病院で、問題の副腎摘出手術が行われたのは2017年3月のこと。当時22歳の女性は、原発性アルドステロン症と診断されていた。副腎に良性腫瘍ができてホルモンの一種、アルドステロンの分泌量が過剰になり、高血圧になってしまう病気だ。なお、副腎とは左右の腎臓の上にある三角形の小さな臓器。腎臓が尿の濾過を担っているのに対して、副腎は複数のホルモンを作っている。このうち人体に不可欠なナトリウムを蓄える働きがあるのがアルドステロン。このホルモンが分泌過剰になると塩分が大量に蓄えられるため高血圧になる。高血圧症の人の約5~10%は、原発性アルドステロン症だと言われている。
 治療のためには腹腔鏡を用いた副腎摘出手術が行われる。ただし、副腎は人体に欠かせない臓器であることから、手術ができるのは左右どちらかの副腎に異常があり、もう片方が正常な場合(片側性)に限られる。当然、摘出されるのは異常がある方の副腎だ。両方の副腎に異常がある場合(両側性)や、何らかの理由で手術ができない場合には摘出という選択肢は最初からなく、薬物投与など他の治療方法を探ることになる。
 原発性アルドステロン症の診断、そして左右の副腎のうちどちらに異常があるのかを調べるために行われるのが「副腎静脈サンプリング」。太ももの付け根から細長いカテーテルを差し込んで、副腎からの血液の出口となる副腎静脈までカテーテルの先端を送り込み、採血して検査する。患者の身体に一定の負担があり、気軽に何度も行えるものではないが、異常のある副腎を特定するためにはこの検査が不可欠だ。例えば腕の血管から採取した血液を調べれば、血中のアルドステロン濃度が正常なのか異常なのかはわかるが、左右どちらが異常なのかはわからない。
 原告の患者は旭川赤十字でこの検査を受け、担当医に説明を受けた。「おそらく左側の副腎に異常がある」。右側については数値が異常に低いレベルだった。「血液サンプルをうまく採取できなかった可能性があるが、おそらく採取できているでしょう」と医師。患者は医師を信頼して手術を受けることを決意して、左側の副腎が摘出された。
 なお、原告の母親は手術を受けることを決断した当時の経緯について、「医師から『手術をしなければ一生薬を服用しなければならず、妊娠もあきらめなければならない』と言われ、娘は怖かったが手術を受ける決心をした。医師に勧められたからこそ、健康になると信じて手術を受けた。決して『一か八か』で手術を受けたわけではない」と語っている。

表紙2202
この続きは月刊北海道経済2022年02月号でお読み下さい。

医大次期学長に西川副学長 怪文書の影響は?

 11月15日、旭川医科大学の次の学長に副学長の西川祐司氏が選ばれた。あとは文部科学省が、形式的にはいまも学長の座にある吉田晃敏氏の自発的辞任を認めるか、解任するかの判断を下しさえすれば、大学は新たな段階に向かって歩き出す。しかし選挙期間中には候補一人を狙った怪文書もまかれ、水面下で繰り広げられた駆け引きの激しさをうかがわせた。(記事は12月9日現在)

14票差で決着
 「大学の再生は吉田氏の影響力を完全に排除した上でのみ可能となる」─旭川医大の次期学長に選ばれた西川氏が12月1日に開かれた記者会見で語った言葉だ。吉田氏が辞意を表明したのは6月のこと。西川氏を議長(当時)とする学長選考会議は、辞任を認めず解任すべきとの考えを文部科学省に伝え、次の学長を決める手続きを進めた。意向調査(投票)が行われたのは11月15日。総投票数365票(うち無効4票)のうち、西川氏は165票を獲得。151票の山本明美教授、45票の長谷部直幸名誉教授を上回った。学長選考会議はこの結果を参考にしつつ、全会一致で西川氏を「次期学長予定者」に選んだ。
 しかし、この選考は100%円満なかたちで行われたわけではない。投票日直前には怪文書が医大内部でまかれた。
 問題の怪文書が見つかったのは期日前投票が行われていた11月9日と11日の2回。「学長選ニュースレター」との題名がついたA4サイズのプリントがコピーされて、医局と病院を結ぶ廊下や、附属病院の患者待合スペース、学内のトイレなどに置かれていた。作成者名の記載はない。
 「現在3人の候補が立候補していますが、気になる情報をお伝えします」との思わせぶりな書き出しで始まるこの文章は、名指しをしないまま3候補のうち一人について次のように指摘している。
 「『大学を良くする会』のメンバーでありながら、前学長が辞表を提出する前のまだ人事権があった時に、前学長から新しく副学長への任命を持ちかけられ、寝返ってその職を引き受けようとしたという事実をご存じでしょうか。この事は『大学を良くする会』のメンバーに失笑され、さすがに辞退したそうです。この候補によるガバナンスは前学長の傀儡にほかならず、新しい風にはなりえません」
 なお、文中にある「大学を良くする会」は「旭川医科大学の正常化を求める会」を指すと思われる。本誌では複数の関係者に話を聞いたが、この怪文書は故意か誤解があるのか、事実を歪曲して伝えている。怪文書の中で暗に批判されているのは明らかに3人の学長候補のうち山本氏だが、本誌が調べた限り、山本氏が〝吉田体制の一員として〟副学長を務めようとした事実はない。
ポスト吉田体制に協力
 時系列に沿って振り返れば、2021年6月末には多くの大学役員が任期切れを迎えることになっており、事務局が任命権者である吉田氏に対して、7月以降の新しい役員について人選を行うよう早くから要請していた。しかし、吉田氏にとってはそれどころではなく、どんな人物が役員になるのか、あるいは続投するのかは不明な状態だった。
 吉田氏が文部科学省に辞表を提出したのは6月15日のこと。学長職務代理は松野丈夫理事が務めることになったが、松野氏一人だけでは大学の運営は難しい。このため吉田氏は松野氏を補佐する副学長への就任を山本氏に打診した。関係者の証言を総合すれば、山本氏は、吉田氏ではなく松野氏をサポートして大学の立て直しを推進したいと考えて、いったんは就任を引き受けた。しかし周囲から、「就任を引き受ければ吉田氏がいまも人事権を握っていることの証になる」と忠告され、すぐに吉田氏に電話を入れて前言を撤回した。ポイントは、山本氏が協力したいと思った相手は、吉田氏ではなく松野氏だったということだ。
 西川氏も吉田学長に選ばれて副学長に就任し、7月1日には吉田学長の意向に沿うかたちで副学長に再任された(他に6人が再任、2人が新任)。だとすれば、前述した経緯で吉田氏から提案された副学長就任をいったん引き受けたことを理由に、山本氏は「新しい風になりえない」と断定するのはあまりに一方的だろう。
 なお、学内に怪文書をまかれた一件は大学としても放置することができず、防犯カメラの映像データから特定された人物に松野氏、平田哲副学長が連絡して12月1日に旭川医大へ呼び出した。この人物は怪文書をまいた事実を認めて陳謝し、山本氏にも電話で謝罪したという。

教授会で飛んだヤジ
 本誌は山本教授に直接取材を申し込んだが、大学融和の妨げになるので取材には応じられないとの連絡があった。怪文書が出回り、投票結果が僅差だったとはいえ、西川新体制に協力したいという山本教授の考えはいまも変わっていないようだ。
 しかし、これで一件落着、「ノーサイド」で一致団結し、旭川医大を立て直そうという空気にはなっていない。
 医大関係者によれば、怪文書と同じ内容を吹聴する人物は学内に以前からいた。12月8日に開かれた教授会では、山本氏を狙った怪文書について西川氏に見解をただす発言が出た。すかさず他の出席者から「火のない所に煙は立たず」とのヤジが飛んだ。まだその内容を信じている医大教授がいるということだ。
 医大内部からは「医大の教職員は、あんな怪文書に踊らされて投票行動を変えるほど愚かではない。むしろ怪文書が応援しようとした人物の票が減ったはず」との声も聞こえてくる。しかし、今なお怪文書の内容を信じている教授が少なからずいるとすれば、投票結果が影響を受けた可能性も否定できない。
 投票の結果が僅差だったことを考えれば、常識的にはその直後から融和のための働きかけが行われるべきなのだが、そうした動きはいまのところ見えてこない。市民としても「ポスト吉田」の旭川医大がどこに向かうのか心配な状況だ。

表紙2201
この記事は月刊北海道経済2022年01月号に掲載されています。

旭川医大吉田晃敏氏 本誌に激白50分間!

 旭川医大では次期学長予定者の選考が粛々と進んだが、形式的には吉田晃敏氏がいまも学長を務めている。これまで約半年間、ほぼ完全な沈黙を守ってきたその吉田氏が本誌の電話取材に応じた。これまで溜めてきた思いを吐き出すかのように、約50分間にわたり語った。(記事は12月9日現在)

半年ぶりの反応
 12月2日夜、記者の携帯電話が鳴った。画面に表示された発信者名は「吉田学長 旭川医大」。吉田氏は約半年前に辞意を表明して以来、沈黙を守ってきた。次期学長予定者に選ばれた西川祐司氏が記者会見を開いたのは前日のこと。記者はこの半年間、何度か吉田氏へのコンタクトを試みたが、反応はなかった。同日の昼に電話を入れてメッセージを残したものの、半ば諦めていたため、吉田氏からのコールバックには驚いた。
 「吉田ですが」
 元気な口調に記者は思わず尋ねた。
 「久しぶりです。お元気ですか」
 「元気ですよ。めちゃくちゃ元気です」
 記者は十数年前から何度も吉田氏に取材している。まず近況を尋ねようとしたのだが、吉田氏のほうから切り出した。
 「学長選考について聞きたいんじゃないの?」
 そこから50分間、吉田氏はおそらくこの半年間、心の中にためていたであろう思いを吐き出すように本誌に語り続けた。以下はその概要だ。
 ─学長選考の結果が出たがどう思うか。
 吉田 あの僅差で学長を決定してしまうのは無謀。上位2人の間で決選投票をすべきだった。再投票をしなかったのは民主主義的でない。周囲からは「なぜ決選投票しないのか」と尋ねられるが、私は学長選考会議の委員ではないのでしょうがない。
 西川氏は副学長だったが、あの人は基礎研究で顕微鏡を覗いていた人。学問の世界では秀でているかもしれないが、大学の経営者として、小さなことから大きなことまで手を打つ能力があるかは疑問だ(以下、西川氏について厳しい言葉が続いたが、学長選考会議で西川氏が果たした役割が評価に影響していると思われること、西川氏を副学長に選んだのが他ならぬ吉田氏であることから、詳しくは触れない)。
 私が学長を務めた15年間、いろいろなことがあった。巨額の赤字を出したこともあったし、情報システムをめぐる訴訟に負けたこともあった。しかし、どれも乗り越えて、経営を安定させた。それが学長の仕事。経営能力は研究能力とは別の話だ。
 ─西川氏の記者会見を見たか。
 テレビや新聞で見た。吉田体制をまったく否定していた。これでは民主党と自民党の間で起きたような「政権交代」ではなく、従来のあり方をすべて否定する革命のようなものだ。

「地域医療に関わる」
 ─本誌を含め、多くの人が吉田氏に連絡を取ろうとしたが、反応がなかった。個人の近況を教えてほしい。孤立していたのではないか。
 とんでもない。大学教授、経済界、政界、多くの人がいまも支えてくれている。旭川医大の学長は15年間もやったのだからもう満足。これからは地域医療に関わりたい。眼科だけでなく、医療全体の話。いま地域医療は大きな課題を抱えている。具体的構想は近日中に明らかにする。
 ─酒や睡眠薬の問題は克服したのか。
 (笑って)辞表を出したらストレスが無くなったので酒は飲まなくなった。学長に選ばれた瞬間から15年間、強いストレスにさらされてきた。後任の学長も同じだと思う。
 ─注目を集めることが多かったが実は孤独だったのでは。
 もちろん孤独。学長に華やかさなんてなにもない。
 ─いまも時々キャンパスに姿を見せているとのことだが。
 私は辞表を提出したが、受理されていないからまだ学長。私の考えで迎えた「国際医療人枠」の学生の今後を考えないといけないし、また私個人の仕事もあるので、時々は大学に行っている。
 ─文部科学省の調査には応じているのか。
 もちろん応じている。「旭川医大はどうあるべきか」といった文科省の問いに答えている。私は「中央直結型」。学長になる前から東京の研究者や学者と関係を築いてきた。これから医大を率いていく人たちにこうした人脈がどれだけ大切なのかわかっているのか。
 ─北大医学部を含む他の大学との統合の可能性についてはどう思うか。
 正直に言えば、北大学長を名和豊春氏が務めていた頃(編集注=2017~2018年在任)、統合に向けて音頭を取るよう依頼されたことがある。私も賛成したが、まずは北大医学部と旭川医大にそれぞれどんな得意分野があるのか見極める必要があると考えていた。
また、私は八竹学長時代、他大学との統合に向けた交渉を任されており、北見工大には何度も通った。結局実現しなかったのは「旭川と北見では離れすぎている」との反対論のためだが、いま北見工大、帯広畜大、小樽商大が一つの国立大学法人を設立して統合しようとしている。当時の反対論はナンセンスだった。
 ─吉田氏も統合には反対だったはずだが。
 それは、首脳部で検討した結果、大学としては統合に反対ということになったから。文科省にもそう伝えたが、私は好条件なら合併もありうると考えている。

「独立」への関心薄れ
 吉田氏の一連の発言の中で最も注目すべきは、他大学との合併に反対ではなかったという点だろう。記者が医大の関係者や、医大を卒業した開業医に話を聞いても、統合やむなしと考える人が多く、強く反対する人は少数派。過去数年間に行われた医局再編で、かつて所属した医局が消滅した医師の中には、その時点で母校の今後への関心が薄れた人もいる。西川体制のもとで存在価値を示せなければ、旭川医大が北大医学部または北見工大など3校連合との統合に進む可能性もある。
 電話取材の最後に、吉田氏は念を押した。「ぼくはまだ終わっていない。これははっきり書いておいてくれよ」

表紙2201
この記事は月刊北海道経済2022年01月号に掲載されています。

医科大学あるのに旭川の〝精神科〟なぜ不足?

 ストレスフルな現代社会では、誰でも統合失調症、気分障害など精神的な病気のリスクを抱えている。ところが旭川市内では精神病の治療機関が他の道内都市と比べて不足しており、受診するまでに時間がかかることもある。その一因が精神科医の供給源となるはずの旭川医大の研究体制。本号が書店に並ぶころ、旭川医大では新しい学長が決まるが、新しい精神医学講座教授の人選も大切な仕事になる。

帯広苫小牧下回る
 旭川市内の精神障がい者の数は7854人。病類で分ければ統合失調症がこのうち2279人、気分障害(うつ病、そう病、双極性障害)が2527人に達する(2019年度)。コロナがまだ上陸していなかったこの年の旭川市内におけるインフルエンザの感染者数5470人と比較すれば、精神的な病気が市民にとり「身近な」問題であることがわかる。ちなみに、同年のうちに新たに報告のあった精神障がい者の数は、合計1034人。このうち統合失調症が132人、気分障害は296人だった。
 ところが、旭川ではこうした精神的な不調に対応する医療機関や医師の数が不足している。タウンページ2021年版(掲載データは同年2月現在)で旭川市内の病院・医院から「精神科」のジャンルに掲載されているものを探すと、その数は9ヵ所(近隣市町村の医療機関除く)。道内のほぼ同じ規模の都市と比較すれば、函館は8ヵ所、帯広市内は7ヵ所、苫小牧市は7ヵ所。これら4都市のなかで人口10万人あたりの精神科の数は旭川が2・7で最低、帯広の4・2に遠く及ばない。本誌は過去に何度か、個人や企業の平均所得で旭川がこれらの都市に追い抜かれたと報じてきたが、精神医療でも旭川は立ち遅れているようだ。
 ある市民が、旭川市内における精神医療機関の不足を物語るエピソードを紹介してくれた。「2年ほど前のことになるが、知人が精神的な不調に見舞われ、死にたいという衝動に駆られるようになった。すぐ精神科の受診を薦めたが、結局受診できたのは2週間経ってからだった。電話では、それまでは予約が入っているので来ても診ることができないと言われた。幸い、その知人はピンチを乗り切りいまも元気で暮らしているが、希死観念があっても順番待ちしなければならないのかと驚いた」
 基幹病院も精神科は手薄だ。旭川医大附属病院、市立旭川病院には精神科があるが、旭川赤十字病院と旭川厚生病院の精神科は休診中となっている。(独法)国立病院機構旭川医療センターには精神科がない。このうち厚生病院のウェブページには「医師不在のため休診中」と記されている。
 旭川は「医師のまち」と呼ばれる。旭川医大が附属病院で医療サービスを提供するだけでなく、旭川市内や道北・道東一円に対する医師の供給源となっている。他の地域よりも有利な位置にいるはずの旭川で、なぜ精神医療機関が不足しているのか。「その一因」と市内の医師が指摘するのが、旭川医科大学精神医学講座の研究体制だ。

前任は睡眠の専門家
 この講座では精神医学のエキスパートを多数養成しているのだが、一口に精神医学といってもその守備範囲は広い。現在、この講座は教授が不在なのだが、2020年度末まで講座を率いた元教授は睡眠障害の専門家だった。附属病院には道内唯一の「睡眠クリニック」も設けられている。講座の業績一覧を見ても、睡眠関連のものが目立つ。眠らない人は一人もいないから、この研究には学術的な意義があったのだろうが、問題はストレスフルな現代社会では、統合失調症、気分障害、そして高齢化社会で深刻化する認知症に対する医療サービスのニーズのほうがはるかに大きいということだった。
 では、いま精神医学講座はどうなっているのか。教授不在となり、昨年11月には後任教授の公募が行われた。ところが、当時は吉田晃敏学長が学内人事について絶対的な権限を握っており、(学長が興味を持たない分野を除き)学長のお気に入りになることが教授就任の第一条件だった。コロナとパワハラ問題で教授選考どころではなくなり、公募に応じた人がいたにもかかわらず新教授は選ばれなかった。医大関係者は「学長には何度も人選手続きを進めるよう進言したが聞き入れられなかった」と語る。
 その後、学長にからむ問題が進展したことから、仕切り直しで教授の公募が行われ、10月29日に公募が締め切られた。今後選考手続きが行われ、来年2月1日に新教授が着任する予定。今回の再公募を告知する文書の冒頭には、前回はなかった「超高齢社会における認知症対策やがん緩和医療等の社会ニーズに応えるための精神科領域の診療及び研究を指導し…」との文言が加えられている。社会ニーズに向き合う必要性を旭川医大としても認識しているということだろう。

中心街で増加の兆し
 なお、旭川医大では基礎研究部門の重要な一環であり、感染症の流行で注目が集まる微生物学講座でも教授不在の状態が続いている。精神医学講座と同様、微生物学講座でも昨年公募が行われたが、その後の選考手続きは進んでいなかった。こちらの講座についても仕切り直しで新しい教授の再公募が行われることになっている。
 旭川市内の中心部では今年、複数の精神科クリニックが誕生した。実は前述した人口あたりの比率は現時点ではやや高まっている。いまや統合失調症、気分障害といった心の病気は特別なものではなく、自身や家族が患う可能性は誰でもある。内科や耳鼻科と同様、気軽に受診できる環境を整えるためにも、精神医療機関の増加が待たれる。

表紙2112
この記事は月刊北海道経済2021年12月号に掲載されています。

衆院選道6区 勝利呼んだ東の農協対策

 候補者個人よりも、与党か野党かで投票先を決める政党選挙の色合いが強かった今回の衆院選道6区では、自民党公認の東国幹氏が圧勝した。この自民党の大勝利は、昭和の自民3派の時代から懸案とされてきた、旭川における「保守一本化」の課題に取り組む作業の総仕上げとも映るものだった。元来、保守勢力が根を張ってきた旭川だが、その根からようやく1本の太い〝幹〟が顔をのぞかせてきた。自民党の東氏が立憲民主党の西川将人氏を予想以上の大差で振り切った「東西決戦」を振り返ってみる。

自民勝利の結果は士別・旭川から伝染
 10月31日夜、投票箱のふたが閉まる午後8時を待っていたかのように全国の大手報道機関は、競って東の「当確」を打ち出した。もちろんまだ開票作業は何一つ進んでいない。それでも〝結果〟を予想できるのは緻密な取材・調査活動の賜物と敬意を表すところだが、陣営の動きを見て情勢をつかむことぐらいしかできない弱小の地元雑誌の見立てでも、この6区の新人対決の情勢を判断し優劣をつけることは難しいことではなかった。まずは得票結果から。

東 国幹(53) 128,670
西川 将人(52) 93,403
斉藤 忠行(30) 9,776

 自民公認の東は、立憲民主公認の西川に3万5000票以上の差をつけ振り切った。選挙区内有権者の約7割が集中する旭川だけで見ても、その差は約2万6000票で、得票数はほぼ6対4の割合だった。
 ひと月ほど前に行われた自民・今津寛介、立憲・笠木薫による旭川市長選でも、自民の今津は立憲の笠木に2万8000票以上の差をつけて勝利しており、この時も6対4の割合だった。また、旭川市長選より2週間早かった士別市長選でも自民の渡辺英次が立憲の松ヶ平哲幸を破り、得票の割合は渡辺5・5、松ヶ平4・5だった。
 この時期、伝染という言葉は不適切かもしれないが、今年9月に上川管内で行われた二つの市長選の結果がそのまま衆院6区の選挙戦に伝染したかのようにも感じられる。そしてその伝染はかなり高い確率で予知できた。それは、過去の選挙データによって示される歴史の波というか、人心のバイオリズムである。
 士別も旭川も6区も新人同士の戦いで、有権者が投票先を決める判断材料は少ない。いったいどの波に乗ればよいのか、それを判断する基準は自民か立憲かの二者択一しかなく、今回は自民が勝つ順番だった。それは地方選挙でよく見られる〝流れ〟のようなものである。

「いじめ問題」軽くみていた?
 政策を戦わすことが基本であるはずの選挙戦に、政策とは違った〝道具〟が使われていた。一番目立ったのは旭川市におけるいじめ問題を取り上げた西川候補への追及。この問題1点に絞って立候補したNHK党の斉藤忠行が街頭演説やSNSで前旭川市長の辞職を〝投げ出し〟と批判するのはわかるが、東陣営でも政策を訴えるのと同じくらいの時間を使い「いじめ問題の早期真相解明を」と今津寛介新旭川市長とともに訴え続けたのは紛れもなく西川批判ととれるものだった。
 確かに西川前市長には、追及される要素はある。しかし西川がこの問題に対して無策だったわけでもなく、市長として当たり前のことはやっていた。ただ、第三者委員会の調査の結論が出る前に市政を離れることになったのは、時機としてまずかった。旭川大学公立化、優佳良織工芸館に目が向きすぎたこともあって、社会問題になっていた女子中学生のいじめ問題を軽くみていたのかもしれない。
 他候補からの投げ出し批判が選挙結果にどう影響を与えたのか何とも言えないが、先の旭川市長選でNHKが行った出口調査では「いじめ問題も投票に考慮したか」を尋ねたところ、「大いに考慮した」が37%、「ある程度考慮した」が39%あったといい、実に7割を超える有権者が投票する際の判断材料の一つとしていたようだ。
 5週間前の市長選では西川の後継者となった笠木が、西川の残していったいじめ問題未解決という逆風にさらされていたことは明らかだが、衆院選でもその流れがより勢いを増して続いていたと言えるのではないか。選挙中の西川は「国において教育界のあり方、学校現場のあり方、教員の採用の問題など様々な面で検証し、改善していく」と抵抗するだけで精一杯の様子だった。
 敗北が決まった夜、西川選対本部長の佐々木隆博は「政策以外の選挙戦になったことが残念だった」と悔しさをにじませていた。

選挙巧者の東 農協対策が奏功
 東の大勝利にはいくつかの要因が考えられるが、冒頭にも書いた候補自身の要素もさることながら、政党を選ぶ「政党選挙」であったことの効果が大きかった。また、大票田旭川における保守一本化の実現、さらに今津時代にはあまり頼りがいのなかった選挙区管内23市町村の農協を完全に押えたことも計り知れない実利となった。
 上川管内の主要産業である農業。その農家関係者を束ねる農協は、革新系の農家組織とは異なる関係にあるものの、選挙戦では絶大な力を持つ存在となる。昨年8月から6区の自民党候補者となった東が最も力を入れて手掛けたのが農協の取り込み。ふらの農協組合長で上川地区13農協の束ね役でもある植﨑博行を連合後援会長に担ぎ上げた効果は結果を見れば明らかである。
 東のターゲットは初め、現職の衆議で周囲に「次もやる」と漏らしていた佐々木隆博だった。道議から国政転出をねらう東にとっては、長年にわたり農家との信頼関係を築いていた佐々木の牙城を切り崩すことが勝利を得るための必要条件でもあった。
 「佐々木さんはいい人だけど、野党だからね」という農民感情に、東は巧みに食い込んだ。途中で相手候補は都会派の西川に代わったが、西川が農協に入り込む余地はすでに残ってなかった。立憲民主が党農労の3軸の一つとして挙げる〝農〟の組織力も管内に張り巡らされた農協組織には及ばなかった。植﨑連合後援会長が唱える「上川管内から与党の代議士を」の声は農家はもちろん経済界からの共感も呼んだ。
 選挙中には「日が昇る東と日が沈む西、あなたはどちらを選びますか」といった東西決戦を茶化したようなフレーズも見かけたが、結局のところ、道議選3連続トップ当選の選挙巧者の東と、旭川経済界の保守一丸体制を実現させた陣営がつかみ取った大勝利だったといえるのではないか。
 「解散のある衆議院はいつ選挙があるかわからない。常在戦場のつもりで活動していく」─東の選挙戦は果てしなく続いていきそうだ。

表紙2112
この記事は月刊北海道経済2021年12月号に掲載されています。