今津vs笠木 保革伯仲の旭川市長選

 保革が拮抗する旭川の選挙情勢が、慌ただしくなってきた。現職市長の西川将人(52)氏の国政転出に伴う繰り上げ市長選では、後継笠木薫(64)元旭川市議会議長・前道議と、元衆院議員秘書の今津寛介氏(44)による一騎打ちの公算が濃厚だ。秋までに行われる衆院選からの玉突きで、市長選、道議補選、市議補選へと連なる前代未聞の「四重選挙」。その第一弾選挙が市長選で、笠木が「旭商OB3代目市長」誕生となるか。新生・自公で今津の保守市政奪還が実現するのか。(文中敬称略)

日本一「緑の回廊」構想
 「政治は動いている。しかも、生き物」。立憲民主党北海道第6区総支部の旭川ブロック定期大会(8月2日)の終了後、旭川市長選対策本部発足総会で支部代表を務める佐々木隆博衆議が語った。事に臨み、千変万化する政治情勢を実感を込めて、こう形容。西川の後継になることを決断した笠木薫に謝辞を送り、「現時点で最良最強の候補を選定した自負があり、新たなリーダーとして政治空白をつくることなく行政の長になってほしい」とも述べた。

笠木氏(左)と今津氏
 これを受け、勝負ネクタイを身につけた笠木は、「困った人を助けるのが、私の政治の原点」と襟元を正し、コロナに終止符を打ち、日常を取り戻さなければならないという気持ちの強さから出馬に至った経緯を説明した。約33万人の旭川市民には「33万通りの生き方があり、その全てが街の宝」。来年は市制施行100年の記念すべき年を迎え、攻めの市政をモットーに、旭川の新時代を切り開く。
 笠木の口癖は「旭川をいい街にしたい」。公立化される旭川大学の開学と運営、優佳良織工芸館の再活用、市立児童相談所の設置ほか、旭川空港の国際化といった西川市政が積み残した課題を継承する決意を示す。守りの市政にとどまらず、「緑の回廊・さんぽ道」と名づけた日本一の空間創造に思いをはせる。
 この「緑の回廊」とは、北海道遺産外国種見本林から旭橋まで5㌔ほどのベルト地帯を緑でつなぐチャレンジプロジェクト。見本林から愛の道(三浦綾子文学関連)、氷点通り、北彩都を経て、緑橋ななかまど通りや買物公園、さらに7条緑道から常磐公園、そして旭橋を結ぶ〝緑のシルクロード〟を構築しようというものだ。笠木は「この空間を散歩しながら、彫刻や文化に触れ心や体を癒し、地元ならではの美味しい食を味わうことができる空間を創造していきたい」。
 市役所の大胆な改革を進め、女性活躍の促進にも力を入れ、女性管理職の割合を増やし、象徴的な存在として旭川で初の女性副市長を実現させる考え。国政をめざす西川とスクラムを組み、市民目線で描く旭川の新たな未来図の合言葉は「ワンチーム旭川」。母校の旭川商業高校時代にハマったサッカーや、国鉄時代に培った「一人はみんなのために、みんなは一人のために」の精神で挑む。

政権与党と直結する政治
 これに対し、前回2018(平成30)年市長選に立候補し、現職の西川を相手に5万5302票を獲得したものの、善戦及ばず苦杯をなめたのが、今津寛介。敗戦後、ひたすら市民の声を聞くため、街頭に立つこと600回を超え、その間、「旭川を何とかしてほしい」との要望を受け止め継続中だ。
 防衛庁副長官を務めた父の今津寛元衆議、経済産業副大臣経験者の西銘恒三郎衆議(沖縄4区)の秘書をトータル20年にわたり携わってきた。地元有権者と国政をつなぐ窓口として奔走しながら、国会議員をはじめ、中央省庁、道内各首長などと直接やり取りできる人脈を築いてきたことは、大きな糧になっている。現在、まちづくり団体の一般社団法人「旭川ひとまちコミュニティ」代表理事。自民党旭川支部内の選考作業、党員投票を経て推薦候補に決まった。
 「今度こそ、保守市政を奪還させようじゃありませんか」。今津ひろすけ後援会事務所開き(7月27日)の席上、岩田谷隆会長(元旭川歯科医師会長)が支援者約250人に対し呼びかけた。公明党旭川総支部の寺島信寿支部長(道議)は「地域をつぶさに回れば回るほど今、コロナ禍で本当に政権与党と直結する政治の力が必要と実感」。さらに力を込めたのが、「旭川市が道北地域のリーダーとして新しい時代の新しいリーダーシップのため、保守市政を奪還する重要な選挙」との位置づけだ。
 経済界からの強い推薦で選対本部長に就任した荒井保明旭川商工会議所副会頭は、コロナ禍での選挙戦ならではの工夫の必要性を指摘。それでも、実効性ある方法の第一は〝お声がけ〟で「思いをしっかり伝えて下さい」と支援者らに諭すように告げた。かつて加藤礼一が西川に市長選で敗れた(2006年)際、選対の幹事長を務めた荒井の言葉には実感がにじむ。
 今津は街頭演説を通じて受けた声を市政に反映すべく、市民や専門家と話し合い政策をまとめる「旭川未来会議」の設置を公約に盛り込む。政策実現のため「国と歩調を合わせ地方創生交付金や補助金を獲得し、旭川を活性化したい」との思いからだ。国政、道政との情報共有や連携強化には、市役所内に「市政補佐官」(部課長級)を新設する考え。国や道から人材を受け入れる案も模索する。

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旭川に熱波「アサヒサウナ」

 サウナをこよなく愛する市民グループ「アサヒサウナ」(桐原和弘代表)。2019年に放送され、サウナブームの火付け役になった人気TVドラマ「サ道」(テレビ東京)には、この旭川市がサウナシティとして登場し話題となった。そんな時代の追い風を受け〝サウナ道〟をブームにとどまらず、サウナ文化として確立し、温浴施設の底上げやマチおこしにまで発展させたい思いを抱くのがアサヒサウナプロジェクトだ。

「蒸し風呂の日」に発足〝旭川の下町〟活性化へ
 サウナ好きを一般公募し、サウナに関する情報を共有したり、その魅力を普及する市民グループ「アサヒサウナ」。旭川を中心に帯広、札幌のほか、東京、長野など道内外にメンバーが点在し、増加傾向にある。昨年の6月4日、語呂合わせにちなんだ「蒸し風呂の日」に発足。買物公園通りに面した十字屋ビルの屋上、十勝岳温泉郷などでフィンランド式テントサウナで「ロウリュ」(フィンランド語で「蒸気」)を体験できる期間限定イベントを随時行ってきた。

桐原代表(右)と田中さん
 イベントでは「#ソラトサウナ」と称し、テント式のサウナを楽しんだり、旭川市内の寺院とのコラボ「#テラトサウナ」など、開催場所ごとに好評を得た。そんな取り組みが一つの形に結実したのが、6月に銀座商店街にオープンした「銀座サウナ」(3条通14丁目)。空き店舗を活用しマチおこしも兼ねた試みで、施設整備費はクラウドファンディングを通じて集まった金額(325万円)で賄った。
 その運営を担うのが、アサヒサウナのメンバー、田中朗嗣さんだ。7月に行われた北海道を元気にする粋な男子「エゾメン」を発掘するイベントの「エゾメンコンテスト」ヤング部門のグランプリ受賞者。アサヒサウナとしては銀座サウナを起点とし、銀座商店街だけでなく、周辺の高砂酒造や、旭川ラーメンの元祖ともされる蜂屋などの老舗、高架下の四条駅界隈などレトロで魅力的な場所が近隣に点在することから、これらを〝旭川の下町〟ととらえ、エリア一帯の活性化も目指している。
 田中さんは元々、八条プレジャー(昨年廃業)の常連だったが、馴染みの温浴施設への喪失感は大きく、その思いが銀座サウナ誕生の原動力にもなった。ドラマの「サ道」からは、「サウナと水風呂に繰り返し入るだけではなく、途中で休憩することで、よりサウナを楽しめることも知った」と実感を込める。「目標としているところは、サウナというキーワードを通じて好きな人はもちろん、サウナに興味がない人に向けて熱波を送りたい」。熱波師(日本サウナ熱波アウフグース協会公認)の資格も持ち、一過性で飽きられてしまいがちなブームに終わらせず日常の中に溶け込み定着する文化として、サウナ道の追求に意欲を燃やす。

旭山動物園にラーメン、これにサウナどころ?
 そんな熱波師のそばで、サウナ道の奥義を語ったのが、アサヒサウナ代表の桐原さんだ。「水風呂が苦手な方は多いですが、サウナで芯まで温めた後に水風呂に入ると、温度の膜が生成されて意外に入れますよ。たとえるなら〝水の羽衣〟を着たかのような感覚。これが出来れば、『ととのう』(神経が研ぎ澄まされた状態)は、すぐそこに。ストレスから解放され、頭がすっきりしますよ」。
 そもそも、桐原さんがサウナ道に開眼したのが、「ととのえ親方」と呼ばれサウナタレントとして名をはせるサウナ好きとの出会いから。桐原さんは元々水風呂も苦手だったが、ととのえ親方からサウナの入り方を伝授され、「こんな気持ち良くいいものがあるなら、この魅力を広げたい」と一念発起。アサヒサウナを設立することになった。
 昨年10月にはサウナ行脚とばかりに田中さんと5泊6日の日程で1都5県(東京、埼玉、千葉、神奈川、静岡、愛知)にまたがる名物施設めぐりを決行。途中〝サウナ界のゴッドファーザー〟が造る施設などをめぐりながら、サウナ親交を深めた。サウナ通の間では、サウナに目覚めるきっかけとなった最初の施設のことを「産湯」といった表現を用いているが、田中さんにとってサウナ行脚は、産湯の連続体験になったという。
 ちなみに、札幌には〝北の絶対王者〟とサウナーの間で呼ばれる名物サウナがあるそうだ。それぞれ熟練の熱波師が客のリクエストに応じ、「1、2、サウナー!」とタオルを使って」熱波を送る。
追加の〝おかわり熱波〟も、サウナーにとっては無上の一撃。その後の水風呂で体感する水の羽衣は、やがて「天使の羽衣」へとサウナーの間で称される至福の装備になる。
 血行がよくなり、全身に酸素と栄養が行き渡り、身体の細胞を元気づける日本由来の温泉とフィンランドが由来のサウナ。こうした至福のひとときを桐原さんは「ヒュッゲ」(デンマーク語で「自分を見つめ直す時間」)ともとらえ、観光面で「旭山動物園にラーメン、これにサウナを加え、認知をはかるための取り組みを進めていきたい」と語る。
 リラックスした状態で仲間と語り合うことも、サウナの楽しみ。フィンランド式のサウナハットをかぶり、サウナマットをお尻に敷き「ととのう」気分を満喫してみるのも、サウナどころならではの味わいだ。十勝岳温泉郷の白銀荘は〝北の聖地〟。旭岳や層雲峡の伸びしろも大で、アサヒサウナは旭川の温浴施設をめぐるサウナパスポートを近く作成する見通しだという。

表紙2109
この記事は月刊北海道経済2021年09月号に掲載されています。

仰天情報 「北大が旭川医大を吸収」

 テレビや週刊誌でも盛んに報道された旭川医大の騒動。しかし全国的にみれば、すべての大学が直面するより深刻な問題は資金の不足。少子化のために学生の確保もままならず、私学に続いて国公立でも統合の動きが加速している。そんな中、「文部科学省には旭川医科大学の立て直しを図るつもりなどなく、北海道大学との統合を画策している」との驚きの情報が本誌にもたらされた。俄かには信じがたい内容だが、ある旭川医大関係者も「かなり前のことだが、確かに耳にしたことがある」と証言する。

「予算増やしてやる」
 本誌前号に掲載した記事「吉田学長支えた陰の実力者 太田貢学長政策推進室長の果たした役割」に関し、国立大学の事情に詳しいとみられる人物からの投書が本誌に寄せられた。その要点を紹介しよう。

  • 当該記事の結論に「旭川医大の立て直しは難しい仕事になりそう」と書かれているが、ピントがずれている。文科省は立て直しなどまったく考えていない。旭川医大は取り潰しあるのみ。
  • いまや国の金庫は空っぽ。国立大学のうち「雑魚」は統合・縮小・廃止。道内の国立大学のうち小樽商大、帯広畜産大、北見工大が集まって北海道国立大学機構となったのも文科省が「統合すれば予算を増やしてやる」との甘言を弄した結果。
  • 文科省が国際競争力を強化しようとしているのは旧帝大など指定国立大だけ。前総長をめぐるイザコザのため北大は蚊帳の外。文科省は指定をエサに旭川医大の吸収・合併を働きかけていくはず。
  • 旭川医大病院は「北大第2病院」となり、教育・研究機能は縮小・廃止されるだろう─。

 旭川医大が北大に吸収されるという、にわかには信じがたい話だが、本誌が取材した医大関係者は、淡々と次のように語った。
 「そういった話を私も聞いたことがある。八竹学長の時代だった。北大に吸収されるのを阻止しようと立ち上がり、八竹学長の再選を阻止したのが吉田学長。経営を立て直し、資金集めでも実績を上げた吉田学長の在任中は文科省としても統合を強いる理由がなかったが、今後、再び同様の要求を突き付けられる可能性がある」

残りわずか3校
 国立大学はいくつかの種類に分類できる。旭川医科大学は1970年代に全国各地で発足した「新設医科大学」のひとつだ。国立の新設医科大学は旭川医大を含めて17大学(既存大学の医学部として設置されたものを含む)。このうち単科の医科大学として現在も存続しているのは旭川のほか、浜松と滋賀の各医科大学だけだ。島根医科大学は島根医大医学部、山梨医大は山梨大学医学部になるなど、すでに多くが他の大学に吸収されてしまった。
 注目すべきはこのうち、浜松医大の動きだ。浜松医大は2019年に同じ県内にある国立静岡大学と統合に向けた合意書を交わした。浜松市と静岡市は約70㌔離れているが、静岡大学は静岡市内だけでなく、浜松市内にもキャンパス(2学部)を置いており、もともと統合が容易な状況にあった。構想によれば、静岡市内のキャンパスをひとつの大学に、浜松医大と静岡大学浜松キャンパスを別の大学にまとめ、2大学がひとつの国立大学法人に所するかたちに再編し、2021年の新法人発足、22年からの学生募集を予定していた。ところが静岡大学静岡キャンパスを中心に反対論が強まり、再編の延期が今年4月に発表されている。
 この再編が実現すれば、残る国立新設医科大学は旭川医大と滋賀医大の2校だけということになる。その滋賀医大についても、過去に滋賀大学、京都教育大学、京都工芸繊維大学との統合が検討されたことがあり、今後の状況次第では再編論が活発になりかねない。つまり、単科・国立の新設医科大学というジャンルの存在意義が問われているのだ。

国内では多くの前例
 道内の状況はどうか。医科大学について再編の動きはないが、冒頭に紹介した投書にもあったように、小樽商大・帯広畜大・北見工大が経営を統合し、国立大学法人北海道国立大学機構が2022年4月1日に発足することになった。機構本部は帯広に置かれる。これらの大学は少子高齢化などの社会変化に対応した統合の検討を2018年から続けており、それがようやく形になった。なお、この機構の初代理事長は公募で選ばれ、3大学の学長が理事として経営に参加する。今年の10月ごろには理事長が発表される見通しだ。
 こうした改革の狙いは、経営統合による効率化で、財源を研究・教育に重点配分することにある。しかし北海道は広大なだけに、3つのキャンパスの間で教員・学生が移動するのが難しい。同機構ではネットを使った遠隔教育にも力を入れる予定だ。
 3つの国立大学による経営統合はこれが全国で初めてのケースとなる。道内の国立大学では他に統合の前例はないが、実は全国的にみれば、そう珍しいことではない。2002年から翌年にかけて単科の医科大学が多数、同じ都道府県にある国立大学に統合されたのに続き、2003年には九州芸術工科大学が九州大学に統合され、東京商船大と東京水産大が統合して東京海洋大が誕生、07年には大阪外国語大学が大阪大学に統合されている。2020年4月には国立大学法人東海国立大学機構が発足して、名古屋大学と岐阜大学の統合が実現した。

市民には影響なし
 少子高齢化に対応して、私大についてはさらに多くの再編のケースがあり、今年は大阪医科大学と大阪薬科大学が統合して大阪医科薬科大学になった。来年は兵庫医療大学が兵庫医科大学に吸収されることになっている。少子化と国の教育予算の減少という大きな流れのなかで、大学の統合が時代のトレンドになっているというわけだ。旭川医大だけがこうした時代環境の外で安穏としているわけにはいかない。
 仮に旭川医大が北大に統合されれば、状況はどう変化するのだろうか。一般市民の立場から言えば、「第2病院」などのかたちで大学病院がここに残る限り、大きな違いはないはず。旭川医大から医師の派遣を受けている道北・道東一円の医療機関やその患者にとっても事情は同じだが、地元の受験生にとっては医学部進学のハードルが上がるかもしれない。一方、旭川医大に勤務する医師や研究者にとっては一大事となる。
 旭川医大と北大医学部の研究分野はほぼ重複しており、よほど独創性のあるものではければ統合後に並存するとは考えにくい。ポストは減らされ、研究職を得るのがいま以上に難しくなる。管理部門も札幌に統合される。文科省の最大の狙いは、まさにこうした大学間の統合を通じたコスト削減にある。
 もちろん、新しい旭川医大の学長が強力なリーダーシップで大学を立て直し、十分な研究資金を獲得できれば、これまでと同様、独力で存続することも可能なはずだ。
 なお、北大でパワハラを理由に解任された前学長の後任として昨年10月に就任した寳金清博総長は医学部出身。他学部出身の総長より医学部や大学病院の状況に詳しい。文科省から見ればいまが北大と旭川医大の統合を推進する好機ということになる。

次の学長は誰に?
 8月3日、旭川医大で学長選考会議の西川祐司議長が、集まった記者たちに対して学長選考規程を変更し、学長の任期を最長6年(1期4年プラス再選2年)、つまり以前の内容に戻すことを明らかにした。同時に西川氏は今後のスケジュールについて、8月12日に新学長の募集を公示、10人以上の推薦者を集めた人について9月13、14日に申し込みを受け付け、大学関係者に対する意向調査を経て、11月中には新しい学長が決まるとの見通しを示した。
 新学長にふさわしい人物として、西川氏(教授)や、今年3月末に病院長の任期が切れたあとも旭川市内に残っている古川博之名誉教授(前病院長)、長谷部直幸特任教授など複数の人物の名が取りざたされているが、具体的な動きは見えてこない。
 コンプライアンスの観点から言って、吉田学長が大学トップのイスにこれ以上座り続けることは不可能だった。しかし、吉田学長が文部省からの統合要求を押しとどめる役割を担っていたとすれば、新しい学長には、ガバナンスの立て直し、研究や教育のレベルアップ、研究資金の獲得に加えて、統合の構想を再浮上させないだけの実績を示す手腕が求められることになる。

表紙2109
この記事は月刊北海道経済2021年09月号に掲載されています。

神居山で土地取得中国系企業にコロナの打撃

 ニセコでの外国人による土地取得は、周辺地域の地価を押し上げている。富良野でも外国人向け高級コンドミニアム販売が続き、コロナ禍にも関わらず需要は旺盛。まだ件数は少ないが、旭川の周辺の農村でも外国人による土地購入の動きがある。中でも規模が大きいのは、札幌の中国系企業による神居山ふもとでの土地約4万平方メートルの取得。いまこの土地はどうなっているのか。本誌は当事者への接触を試みた。

自衛隊の通信網
 6月16日未明、参議院本会議で与党の賛成で「土地利用規制法」が成立した。自衛隊基地や原子力発電所など国防上重要な場所について所有者の調査や妨害行為の中止勧告・命令を可能にするなどの内容だ。そもそも、この法案が制定されたきっかけは、外国人(個人・法人)による土地買収が安全保障に影響を及ぼすとの懸念。新型コロナウイルスが上陸する前、多くの自衛隊基地がある道内には多くの外国人が訪れていたこともあり、法律の内容や国会審議の行方に注目が集まった。野党の大半は私権に不当な制限が加えられると反対したが、異例の真夜中の審議を経て、会期切れ直前に可決された。
 旭川市内の自衛隊関連施設といえば、真っ先に思い浮かぶのは春光にある旭川駐屯地。陸上自衛隊第2師団の本拠地だ。ほかにも近文台の弾薬庫が存在する。世界情勢の変化で道内の自衛隊の重要性が米ソ冷戦期より相対的に低下しているとはいえ、それでも多くの施設が残っている。
 ほとんど市民が意識することのないもう一つの施設が、神居山(標高799メートル)の山頂付近にある「神居山無線中継所」だ。
 有事の際には情報伝達の速さと正確さが極めて重要。このため防衛省は全国の自衛隊施設を結ぶ自前の通信網を整備しているが、神居古潭付近の山に遮られないよう、神居山の山頂に設けられているのが神居山無線中継所。道北では他に紋穂内(美深)、宗谷などにも同様の施設がある。

神居山ふもとの土地
 なお、神居山無線中継所の存在は機密情報ではない。ネットで「自衛隊 北海道 中継所」と検索すると、すぐに道内各地の無線中継所のリストが出てくる。
 通信会社も自衛隊も、こうした通信網の整備にはマイクロ波通信を活用している。一度に大量の情報を送れるマイクロ波通信は、極めて指向性が強いのが特徴。山やビルを迂回できないためさえぎられると電波が伝えられない反面、送信・受信アンテナを結ぶ直線の外には電波が漏れない。ふもとに傍受用のアンテナを作ったとしても「盗聴」される恐れはまずないのだが、それでも神居山無線中継所が注目を集めたのは、2016年8月、神居山のふもとで4万平方メートル近い広大な土地を、中国と関わりの深い札幌の企業が取得したためだ。

中華食堂店員が社長
 本誌が以前にも伝えた通り、土地を取得したのは、札幌市内に本社を置く基泰株式会社(李薪社長)。登記簿によれば、李氏は在日中国人ではなく、北京市内に居を構えている。一部の人が懸念するように、彼らは軍事的な狙いがあって神居山のふもとで広大な土地を取得したのだろうか。
 結論から言えば、国防上の不安があるとは考えにくい。マイクロ波通信を麓で傍受するのは技術的に不可能。また、土地利用規制法も、国防上重要な場所から1㌔以内の土地について所有者の調査などを行うことをうたっているが、この土地から神居山の山頂までは3㌔以上離れており、法律の規制の対象外だ。
 また、現在、土地を所有する中国系企業の経営状態も、土地の軍事利用には程遠い状態だとみられる。基泰は、Webで公開されている情報や役員構成などから判断して、同じく札幌に本社を置く富威通商㈱のグループ企業。このグループは、札幌市内で中国料理のチェーンを経営し、道内を訪れる中国人向けの日本料理店も開いていたほか、貿易、不動産、旅行事業も営んでいた。しかし、昨年からのコロナ禍で中国からのインバウンド客が完全に途絶えたため、中国料理店は狸小路、桑園など4店のうち2店を閉店。ウェブページによれば日本料理店も休業中で、貿易・不動産・旅行部門はいつ電話をかけても不通の状態となっている。
 本誌が注目したのは、富威通商のウェブページによれば社長を務めているはずのW氏(女性)。名前から判断して蒙古系の中国人とみられる。過去に日本のテレビ番組で、「腕にはロレックスの時計、眼鏡はシャネル」の社長として中国人富裕層をターゲットにしたビジネスを札幌で展開している様子が紹介されたこともある。本誌は何度か電話で連絡を試みたが、通じない。コロナ禍のために母国に戻ったのかと考えてあきらめかけたところ、札幌で活動する別の中国系ビジネスマンからこんな情報を得た。「富威はコロナの影響を受けたが、Wさんは夜になると桑園の中国料理店に勤務している」。
 開店直前の時間帯を狙って、記者はその中国料理店に電話をかけた。
「Wさんと話がしたい」
「私です」
「いままで何度電話をしても通じなかった」
「コロナでオフィスは休業している」
「神居山付近の土地の話だが」
「それは私には答えられない。別に責任者がいる。まずは質問を送ってほしい」
 記者は取得の経緯、今後の開発の予定などを尋ねる文書をメールしたが、締め切りまでに反応はなかった。
 ちなみに、W氏が働いている桑園の中華料理店は、高級店ではなくリーズナブルな価格設定がウリの大衆的な店だ。巨額の資金を動かして道内の土地を買い漁る中国の資産家、というイメージには程遠い。

農業委員会に接触
 なお、基泰による神居山ふもとの土地取得も完全なかたちではない。登記を見ると、行われたのはあくまでも「所有権移転の仮登記」であり、農地法第5条に基づく許可を得ることとの条件がついている。農地以外の目的に供するため転用する場合、道知事の許可を得なければならないということだ。仮登記から約5年が経過したいまも、正式な登記は行われていない。
 記者は、基泰にこの土地を売却した旧所有者にも電話で話を聞いたが、この人物は売買が成立したと考えており、取引のあと、基泰からは何ら連絡がないという。土地の現状はどうなっているのか。「私たちはその土地を果樹園として使っていた。いまも木は残っている。買った人たちがときどき訪れて、楽しみでサクランボを収穫しているようだ」。
 サクランボ収穫という娯楽のために広大な土地を取得したとは考えられない。何らかの方法で開発を計画する予定があったと考えられるが、ネックとなるのは、農地法と北海道水資源の保全に関する条例の規制だ。
 農地法については、基泰の関係者が旭川市農業委員会に接触し、手続きについて問い合わせたことがわかっている。しかし、その後、実際に申請を提出した形跡はない。
 問題の土地は北海道水資源保全条例に基づく「水資源保全地域」に指定されており、売買・土地利用に規制が加えられるが、道内の別の場所で水資源保全地域の開発を行っている業者は、「大量の水を使うホテルやスパなどは難しいが、行政から許可を得た上で住宅などを建設するのは可能なはず」と指摘する。
 富良野の例を見れば、スキー場から至近距離の住宅には数千万円の値段が付いている。基泰は、カムイスキーリンクスの真下という立地条件に注目して、農地、水資源関連の規制をよく調べないまま土地を購入し、これらの規制やコロナ禍の影響のために土地活用に向けた動きが前進していないと考えられる。
 ただ、いつかはコロナ禍が世界的に収束し、インバウンド客が復活、さらにはこの土地の開発が本格化する可能性もある。広大なスキー場は旭川市にとり重要な観光資源で、市内への経済効果も大きい。前述したように自衛隊の通信が傍受される可能性や安全保障への悪影響はなく、地域経済へのプラスの影響にも注目して冷静に対応する必要がありそうだ。

表紙2108
この記事は月刊北海道経済2021年08月号に掲載されています。

旧第一中が道産ブランド発信拠点に

 東旭川米原の旭川第一中学校の跡地を購入した京都グレインシステム(本社・京都市 田宮尚一社長)が今年4月、食品加工工場を稼働させた。体育館や校舎を大いに活用した工場には、米や大豆、ハトムギなど北海道で収穫された穀物が次々と運び込まれ、焙煎や蒸し乾燥、微粉砕、パフ化など様々な熱処理加工が行われている。国内にとどまらず、米国や中国、タイなど東南アジアの飲料・食品メーカーとも実績がある同社では、幅広いネットワークを活かし、北海道の食材を旭川から世界に発信していく計画だ。

9校舎が未定
 少子化が進む中、旭川では過去50年間で27もの小中高等学校が統廃合などで廃校となった。校舎が解体されて更地になっているものもあれば、地域の公民館の分館として使われているもの、社会福祉法人など民間に無償で貸し付けられて就労継続支援の事業所として活用されているものもある。その一方で、再活用のめどがつかずに放置されたものもあるのが実情だ。
 旭川市教育委員会によると、現在、活用のめどが立っていない学校は(カッコ内は廃校年)、神居古潭小・中学校(2007年)、千代ヶ岡中(08年)、雨紛中(09年)、北都商業高校(11年)、北都中(15年)、千代ヶ岡小(19年)、旭川第二小学校(20年)、旭川第二中学校(20年)の9校舎となっている。
 学校教育部教育政策課によると、利用者募集に関して毎年20件以上の問い合わせがあるものの、市の「校舎、体育館及び土地利用については一括売り払い、貸付を原則とし、3年以上事業を実施できる企業」という条件に見合うケースは少ないという。「施設の一部だけ活用を希望するケースや、予算面で折り合いがつかないこともある」と担当者は説明する。

モデルケース
 全国の自治体では、空き校舎を植物園や美術館として転換するなどユニークな手法が話題となっており、旭川でも廃校舎の有効活用は市が抱える課題の一つだ。
 市が空き校舎再活用のモデルケースとして期待するのが、旭川第一中学校跡地に誕生した食品加工工場。飲料や食品メーカー向けに、道内で収穫したハトムギや大豆、大麦、米など様々な穀物を飲料原料や食品原料へと加工するという、道内では珍しい中間加工の工場だ。
 運営するのは、飲料や食料などの素材を生産してメーカーに販売する「京都グレインシステム」(田宮尚一社長)。18年12月に旭川市と売買契約を締結し、改修工事を終わらせて、今年4月に稼働した。
 同社の創業は1991年。当初は山間で栽培した原料を使い、玄米や大麦を焙煎し、家庭で消費される玄米茶や麦茶の原料に加工するのが事業の柱だった。
 コンビニの普及とともに、ペットボトル入りのお茶の需要が高まることを予測した田宮社長は、茶葉の販売から、飲料メーカー向けに玄米茶や麦茶、ほうじ茶などの原料を提供するビジネスに大きくシフトすることを決断。米や麦、大豆などの穀物素材に焙煎や乾燥、微粉砕、パフ化などの熱処理加工を行い、飲料メーカーに提供を始めた。
 2000年代に入ると、きな粉や発芽玄米、雑穀パフなどを食品業界に提供し、さらに健康食品や漢方・医薬品メーカーとも取引を開始するなど事業を拡大。現在は、米加工品で200種類、大麦加工品は100種類以上を受注生産している。
 海外進出も積極的だ。海外事業部を開設し、中国に合弁会社や協力会社を持ち、中国や東南アジアにおけるネットワークも構築。烏龍茶やジャスミン茶などの中国茶の輸入だけではなく、その販路を活かして原料供給も積極的に行っている。

北海道ブランド発信
 旭川工場は、奈良、石川に続く国内3番目の食品加工施設。同社ではこれまで、北海道産の米を玄米茶の焙煎米へ加工したり、北海道大豆をきな粉に加工するなど多くの北海道産原料を扱ってきた。また、国内外で北海道ブランドの高い人気が続く中、原料供給の拠点として北海道での工場開設を検討。穀倉地帯でありながら交通インフラが整備され、また長年にわたる取り引きの実績がある食品メーカーが旭川に本社を構えていたことから、旭川を中心に上川エリアでの物件を探していた。
 田宮社長が着目したのが、市が18年6月に売却公募を始めた第一中学校跡地。敷地面積が1万3平方㍍、2階建て鉄筋コンクリートの建物は田園地帯の中に建てられ、豊かな自然の中に工場を開設してきた同社にとって、あらたな北の拠点として条件をクリアしたようで、取得のための手続きを進めた。同年8月29日に選定が行われ、12月に正式契約に至った。
 当初は20年4月の稼働を目指して、電気や水道などの整備をはじめ教室の内装などの改修工事に着手。しかし、新型コロナの感染が拡大したことで開設の時期をずらし、十分な準備期間を経て今年4月のスタートとなった。

食品加工工場に生まれ変わった旧第一中
 中学校の校舎がどのように食品加工の工場として活用されているのだろうか。見学をさせてもらうことにした。
 工場を案内してくれたのは田宮尚典専務。取材した日は外気温が30度という真夏日だったが、工場内は冷房設備はないものの、室温24度、湿度60%に保たれて快適だ。
 最初に案内されたのが体育館を改装した大型倉庫。18年のペーパン川の決壊で床下まで浸水したことから、木造の床をはがしてコンクリートに改装。穀物をスムーズに運び込むことができるように搬入口も新たに設置されている。
 倉庫の中には、JAたいせつが昨年度に収穫したハトムギ30トンを保管。さらに、脱皮機や集塵機、粉砕機、粉粒体を搬送する空気搬送機など、様々な機械が所狭しと並んでいる。試作中の機械も多く、床の上に部品が並んでいるものもある。
 田宮専務によると、別の穀物の加工のために使用していた機械をハトムギの加工用に転換するために試作をしている段階で、完成した機械は、空き教室に移動し、順次稼働をさせていくそうだ。
 「焙煎室」を見せてもらった。もともとは「美術・技術室」だったスペースで、今は焙煎機や乾燥機、蒸し器が設置されている。コーヒー豆を洗う洗浄機も設置されており、中国の消費者へ付加価値をアピールするため、大雪山の伏流水を使用してコーヒー豆を洗浄するそうだ。
 「理科室」を改装した「選別室」も案内してもらった。同社では工場稼働に伴い5名を現地採用しており、そのうち2名のスタッフが作業を行っていた。ハトムギは黒い皮に覆われており、原料として加工する前に選別作業が必要となる。
 選別室には「色彩選別機」と「もみすり機」という2台の機械が設置されていた。最初に「色彩選別機」にハトムギを投入し、白い粒子と黒い粒子に選別する。この段階では白い粒子の中に異物が混じることもあり、女性スタッフが手作業で取り除いている。
 しっかりと選別されたハトムギを男性スタッフが籾摺り用の機械に投入すると、研磨されて白くなったハトムギと、ヌカに選り分けられた。同社では4年前からJAたいせつや地元の食品メーカーと連携し、寒冷地では難しいと言われてきたハトムギの栽培に取り組んできた。昨年は30トンが収穫でき、今後の安定供給が見込めることから、旭川工場のメイン事業の一つとして取り組み、飲料や食品、化粧品メーカーに提案していく考えだという。
 「視聴覚室」を改装した商談室には、麦をはじめハトムギ、ビーツ、小豆など北海道の作物を加工したサンプルが用意されていた。工場開設以来、北海道産の原材料に関心を持つメーカーをはじめ、道内で穀物を手がける生産者からも問い合わせが相次いでいる。「農作物はその年の気候などによってタンパク質や水分値などが異なりますが、高い制御能力で均一で高品質な商品を提供できることが我々の強みです」(田宮専務)

小ロットも対応
 旭川工場では、北海道で生産された穀物を熱加工処理し、飲料や食品メーカー、さらには健康食品や化粧品メーカーにも商品を提供する事業を行っているが、加工品の開発に関心を抱く生産者もビジネスの対象としている。新規に参入する場合にも負担がかからないように100キログラムという小口の受注にも対応し、小ロット用の機械も揃える。
 また、食品ロス削減を目指す取り組みにも積極的だ。商談室のサンプルのひとつに、煮汁をとった後の小豆を乾燥させたものが並んでいる。本州のメーカーから煮汁をとった後のバイプロダクト(副産物)の有効活用について相談されて開発に取り組んだもので、現在は焙煎やパウダー状に粉砕し、飲料メーカーに提案しているという。
 さらに、コロナ禍で原材料の過剰在庫を抱える生産者や法人にも対応する考え。上の写真で田宮専務が手にしているのは中国・上海のコンビニエンスストアで販売されている麦茶。こちらは、コロナの影響で在庫過多になった道産二条大麦を麦茶加工し、上海へ輸出。現地で評判となり、今年は40トンの原料を販売する予定だ。
 「地元の生産者や企業が在庫として抱えている素材を加工して海外市場に持っていきます。北海道の原材料は日本だけではなく、海外でも高い人気を集めています。コロナの影響で外国人観光客が大幅に減少しました。インバウンドの購買力に期待はできず、売り方を変えていかなくてはなりません。北海道ブランドを海外市場に提案することで国内市場が活性化すると期待しています」と田宮専務は話す。
 元の教室の用途をいかして改修し、旭川第一中学校の面影を強く残している京都グレインシステムの旭川工場。北海道ブランドがここから国内はもちろん世界市場に発信されることで、地域経済が活性化されていくことを期待したい。

表紙2106
この記事は月刊北海道経済2021年08月号に掲載されています。

旭川医大 「生え抜き学長」の暴走なぜ?

旭川医科大学の学長選考会議が6月24日、吉田晃敏学長の解任を文部科学大臣に申し出た。同会議や、調査委員会が指摘した数々の不正が事実だとすれば吉田氏本人の責任は重いが、教授陣や役員など周囲の人物がもっと早く行動していれば、ここまでの事態にはならなかったはずだとの見方がある。旭川医大に異常な長期独裁を招いた要因を探った。

昔から本質変わらず
 6月28日夜、旭川市内のホテルで旭川医大学長選考会議の西川祐司議長(副学長)らが記者会見を開き、吉田学長の解任を文部科学省に申し出たことを明らかにし、決定に至った理由を説明した。
 質疑応答で記者から、14年間の長期にわたり吉田学長の任期が続いたことがガバナンスの崩壊につながったと思うかと問われた西川議長は、はっきりと答えた。
 「はい。私はそう思っています」
 しかし、本誌が話を聞いた旭川医大の元教員は、長期のうちにガバナンスが少しずつ歪められたとの見方を否定する。「吉田学長の本質は昔も今も何ら変わっていない。変化があったとすれば、それを表に出すようになったこと。もうひとつ変わったものがあるとすれば、長い間、吉田学長に異を唱えずに黙々と従い、いまになって反旗を翻した医大の教授たちだ。一度でも吉田学長の『毒まんじゅう』を食べた人たちの罪は重い」
 吉田学長本人は文科省宛に辞表を送付したが、まだ受理はされておらず、吉田氏の立場は今も「学長」。だが、理事の松野丈夫氏が学長職務代理に任命され、吉田学長の職権は停止された。

多数派工作を経験
 学長の「長期独裁」は一夜にして成ったわけではない。開学以来のさまざまな要因が、〝モンスター〟が誕生する素地を作った。
 1992年、旭川医大眼科学講座の教授となった吉田氏は当時まだ40歳の若さ。自ら学長の座を狙う力はなく、清水哲也学長(1991~97年)に近い教授グループの一員として、多数派工作を担った。この時の経験が、自らが学長となり、権力を一手に握る過程で役立ったとみられる。
 2007年、吉田氏は学長選挙に出馬して、現職の八竹直氏を含む2人の先輩教授を破って学長に就任した。その背景には「旭医ナショナリズム」の勃興があった。開学以来、旭川医大の教授ポストは、北大医学部と札幌医大の出身者が分け合い、一部を他の旧帝大の出身者が占めていた。学長ポストは一貫して北大OBの間で受け継がれてきたが、大阪大学出身の八竹氏が2003年に初めて学長に就任したことで独占が打破された。1973年の大学設立から30年が経過したころから、旭川医大OBの中で「いつまでも外部の人材が幅を利かせているために、我々は肩身が狭い」といった不満が漏れるようになった。「次は旭川医大卒業者を学長に」との期待を一身に受けて学長に当選したのが、旭医一期生の吉田氏だった。
 ただ、一部ではあったが、吉田氏が国立医大学長になるのに十分な資質を備えているのか疑問視するむきもあった。ある人物が当時を振り返る。「当時の彼が十分な研究の実績を積み重ねていたとも、立派な人材を育てていたとも思えない。もっぱら学内の政治に熱中していた彼は、ポリティシャン(政治家)だった」。そのような批判を、吉田氏は意に介さなかった。

世間知らずの教授たち
 学長になった吉田氏が医大を掌握する上で巧みに使ったのが人事だった。まず、重要な講座の教授には自分の眼鏡にかなう人物を起用した。国立大学の教授は公募が原則だが、「旭川医科大学教授選考細則」によれば、学長は①公募方法を決定し②教授候補を推薦することができ③選考委員会の議長を務めることになっている。公募に有望な人材が手を挙げても学長の気に入らなければ迎えられず、逆に吉田学長が「余人をもって代えがたい」などの抽象的な理由で後押しすれば提案がそのまま通った(吉田学長があまり関心を持たない領域の教授は公募ですんなり選ばれることもあった)。
 こうした教授選びを、吉田学長が始めたわけではないとの指摘がある。「八竹学長の時代、教授が次々とやめて人手が足りなくなったことがあり、現在のようなしくみに変更された。一部の教授や事務方から反対の声が上がったが、結局は八竹学長の意向通りとなった。それをうまく活用したのが後任の吉田学長だった」と、当時の事情をよく知る人物は語る。
 吉田学長は、副学長や理事などの人事もフルに活用した。これらの役職には手当が付き、退職金の金額も増える。お金が欲しいのは庶民も大学教授も一緒。要職に就いた人はほとんどが吉田学長の「イエスマン」となった。
 しかし、大学教授といえば秀才ぞろいのはずだ。そんなに簡単に吉田学長に操られてしまうものなのか─そんな疑問を抱く記者に、ある人物が明快な答えを示した。「大学教授は社会の厳しさを知らない温室育ちばかり。策略に長けた吉田学長に簡単に洗脳されてしまった。本来、大学の教員は学生や研究のために何をすべきなのか、何をしてはいけないのかをベースに考えるものであり、実際、他の大学ではそうした原則に従って活発なディスカッションが行われるが、旭川医大では他の大学に人脈がない人も多く、そうした原則がわからないままに操られてしまった」。
 ある現役教授も、一部の教授が吉田学長を公然と非難するようになるまで、教授会は学長の考えに追従する機関となっており、実りのある議論が行われたことはほとんどなかったと指摘する。

個人PRのページ
 コロナ禍で「吉田学長」が全国的に知られるようになるまで、旭川医大のポジティブな情報は「吉田学長」という名前とともに報じられることが多かった。本誌も何度か、吉田学長による遠隔医療や医療ツーリズムへの取り組みを記事の中で紹介してきた。
 7月1日現在、旭川医大眼科学講座の公式ページに、もう「吉田晃敏」の名前はなく、過去の歴史にも触れていない。しかし、吉田氏のこれまでの業績をアピールするウェブページ「吉田晃敏 未来の展望鏡」(www.pr-yoshida.com)が学外に残っている。トップページには「皇室行事『講書始の儀』に陪席させていただきました」(2019年1月11日)など、吉田氏個人の活躍をアピールするような情報が写真付きで並んでいる。8Kハイビジョンを使った網膜の3D撮影機器の検証が始まったことを紹介する文章には、えんじ色のチョッキを着て機器を操作し、網膜の拡大画像に見入る吉田氏の画像が4枚並ぶ。最終更新は昨年2月。昨年冬からの旭川医大の騒動は掲載されていない。
 このページのアドレスは、札幌に本社を置くS社が登録していることがわかった。S社はソフトウェア開発、ネットサーバーの管理などを手掛ける企業。遠隔医療用のネットワークシステムも販売している。つまり、吉田氏が盛んに実績をアピールしている「遠隔医療」関連の企業ということになる。本誌はS社に、旭川医大との取引の有無、ページの開設費用を誰が負担したのかなどを質問したが、「当時の担当者が数年前に辞めているため、まったくわからない」とのことだった。

学長解任の申し出を明らかにした記者会見

 サイトが開設されたのは2003年で、吉田学長の誕生よりも早い。しかし、インターネットやマスメディアを通じて実績をアピールする手法に対し、冷ややかな視線を向ける研究者もいる。「遠隔医療のほとんどは民間の企業が作った機器を活用しているだけ。吉田氏の研究室が特許を取得したわけでもなく、実質的な意義は乏しい」
 なお、このサイトには吉田氏が世耕弘成経済産業大臣(当時)や橋本聖子参院議員(現在は東京五輪組織委会長を兼任)と一緒に収まった写真も掲載されている。政界とのパイプを物語る一枚だが、昨年冬からの騒動で、こうした人脈は効果を発揮しなかったようだ。

今も返り咲き狙う?
 旭川医大の学長選考会議が吉田学長の解任を文科省に申し出たことで、焦点は文科省がいつどのような判断を下すのかに移った。当面は学長職務代理が日々の学長職務を代行するが、いつかは次の学長を決める選挙が行われることになる。
 現時点で「吉田学長の時代は完全に終わった」との見方が支配的だが、吉田学長の性格をよく知る人物は「そう簡単には終わらない」と語る。「吉田氏はこれまで一貫して攻撃的だった人。反省したり退却したりしたことがない。調査委や学長選考会議が指摘した一連の問題行動を、吉田氏が認めたわけではなく、次の学長を決める選挙に吉田氏が出馬する可能性さえある。スキャンダルにまみれて辞任した政治家が、『有権者の信を問う』として再出馬に挑戦するのと同じだ」
 実際、旭川医大の現在の役員の中には、学長職務代行に選ばれた松野氏をはじめ、長年にわたり吉田学長を支えてきた人物が数多く残っている(松野氏は昨年、古川病院長の解任に賛成した人物)。学長選考会議が結論を出した後もこの問題について口をつぐんでいる人が多いのは〝復活〟の可能性を危惧しているからなのかもしれない。

空席教授ポスト多数
 吉田氏に代わる学長が選ばれるとすれば、その人物はいくつもの課題に直面することになる。
 まず、空席となっている教授ポストの補充。基礎医学では微生物学、臨床医学では内科学の多くの分野や精神医学、小児科学、眼科学、麻酔・蘇生学、救急医学などの講座でトップの教授が空席となっているのだが、吉田学長の下での旭川医大の実態が全国の研究者の間で広く知られるようになり、優秀な人材に敬遠されているとの指摘がある。ただし、吉田学長の下で選ばれた旭川医大教授による不祥事が相次ぎ、解雇、停職などの処分が下されたことを考えれば、拙速な選考は危険だ。
 もう一つは研究資金の獲得。中でも重要なのが文科省から支給される科研費だが、2020年度の国立大学別科研費新規採択件数ランキングで、旭川医大は合計47件で56位。内訳をみると基礎研究A(3~5年、2000~5000万円)の採択はひとつもなく、基礎研究B(3~5年、500~2000万円)が2件、基礎研究C(3~5年、500万円以下)が25件。残りの大半が若手研究となっている。旭川医大とほぼ同時期に設立され、その後他の総合大学に吸収されていない単科の医科大学と比較すると、浜松医科大学は採択件数合計100で33位、滋賀医科大学は63件で46位と、いずれも旭川医大を上回っている。
 次の学長に誰が選ばれるのか、現時点ではまったく見通しが立たないが、誰になるにせよ旭川医大の立て直しは難しい仕事になりそうだ。

表紙2106
この記事は月刊北海道経済2021年08月号に掲載されています。

老人ホームめぐり実質代表とオーナーが訴訟

旭川市内の春光と豊岡で二つの有料老人ホームを経営する合同会社グッドライフの実質的代表者川越博氏と、資金的なオーナーである高嶋雅文氏(音更町、医療法人社団駒草会理事長)の裁判闘争が旭川地裁で1年にわたって続いている。訴えているのは高嶋氏で、川越氏に対し「有印私文書偽造罪・公正証書原本不実記載罪」を申し立てている。高嶋氏は「川越さんは自分の息子を勝手に役員に入れ、会社を乗っ取ろうとした」と主張、川越氏は「高嶋さんも了解の上でやったことだ」と反論。提訴と同時に裁判所は、役員となった息子の職務執行停止の仮処分を出したが、本訴訟はいまも続いている。裁判では争いの背景にある川越氏の様々な不正疑惑も争点になっているようだ。

本誌に持ち込まれた川越氏へのうっぷん
 この記事は合同会社グッドライフ(本社・旭川市春光町12番地)の役員登記をめぐる争いが本論だが、その根幹となるものは別のところにある。先にそのことから触れてみる。
 今年5月中旬、本誌に「グッドライフが運営する有料老人ホームの川越施設長のことで話を聞いてほしい」と同社従業員から電話があり、2日後に本社を訪ねてきた。電話では「3人で行く」と聞いていたが集まったのは9人。グッドライフの現役職員や退職者、川越氏のこれまでのことをよく知る関係者らだった。電話をくれた人によると「北海道経済に行って川越さんの話をするとLINEで流したら、これだけ集まった」ということだった。
 その時の話の内容は全員が川越氏に対する〝悪口〟だった。その中で、当日聞いた話、後日メールで送ってくれた話などをいくつか紹介してみる。初めに断っておくが、指摘される不正内容について川越氏は、後述する本誌の取材においてすべてを否定している。

不当行為にまつわる生々しい証言の数々
 サービス提供責任者Aさんの話。
 「川越施設長は昨年、処遇改善加算を申請し202万円を得た。それは介護職員に渡さなければならないお金なのだが、全部を息子の友博さんが札幌に店を出す資金に使った。市にはウソの報告書を出していたが、指導監査でバレそうになったので、つじつまあわせのために報告書を作り変え、私が202万円を手当てとしてもらったとする領収書を作った。
 施設長と二人だけの時に、『職員の給料を払うのに使ってしまったので領収書を書いてくれないか、書いてくれないと会社が立ち行かなくなる』と強引に頼まれ、断り切れずに私が202万円を受け取ったとする領収書を書いてしまった。このことは昨年12月に市の指導監査課にも伝えている」
 最近まで管理者をやっていたBさんの話。
 「一昨年の11月に、Mさんからの入居一時金200万円を施設長が自分の懐に入れ、グッドライフの通帳には入金しなかった。同時期、夜勤の職員に手を出してセクハラで労働基準監督署に通報され、監督署の指導を受けた。昨年12月には指導監査課の監査があり、管理者がいなかったことで改善勧告書を書かされた。
 12月から1月にかけては介護職員が足りず、
(いつも豊岡にいる)施設長が春光にいたことにして介護保険の架空請求をした。このことには証拠もある。豊岡の入居一時金については10万円を預かっているにもかかわらず通帳に入金していない。わかっているだけで80万円になる」
 以前、川越氏と一緒に有料老人ホームを経営していたCさんの話。
 「川越さんとは4年ほど前に声を掛けられ一緒に㈱つくしんぼの代表を務めました。川越さんは名前ばかりで実務は全て私に押し付け、役員報酬を当たり前に取っていました。会社の業績は受け継いだ時からマイナスでした。それを知っていながら私に、一緒に経営をやろうと強制的にしつこく迫り、断わることもできない状況でした。
 いざ経営を始めるとマイナス分のお金は全て私に出させ、私の預金分も全て使い、借金までさせられました。川越さんは一切お金を出していません。毎月手渡しで入居費を支払いに来る利用者さんのお金にも手を付け、知らない振りをしていました。
 私と一緒に経営を始めて1年が経とうとする頃(3年ほど前)、施設(住宅型有料老人ホームねりね)に入居していた利用者のおばあちゃんを、私にも家族にも伝えず、勝手に豊岡にあるフラワーという他の有料老人ホームへ連れ出しました。川越さんはフラワーの社長とつながりがあったらしく、ねりねの代表・施設長の籍がありながら、ねりねの運営が続かないことを知っていたかのように、次の金銭目的のためにねりねの負債等を私に押し付け、職場には一切来なくなりフラワーへ逃げ込む始末。その後フラワーでもうまくいかなくなり、もめて高嶋先生の施設へと逃げたようです」

介護業界を転々としてきた川越氏
 すでに70歳を超えている川越氏が介護業界に参入したのは5年ほど前から。以前は肉屋を経営していたというが、詳しいことは関係者もよくわかっていない。川越氏のこの5年ほどの介護業界での動きをたどると、初めは前記したCさんの証言に出てくる「ねりね」、次に「かるむ」、そして「フラワー」。代表者になっていたのは「ねりね」だけ。
 それぞれ事情があって転々としたようだが、この間に業界の仕組みをいろいろ学んだようだ。ちなみに「介護付き有料老人ホームフラワー」は昨年3月、18年6月から同年11月まで看護や介護の職員の人員基準を満たしていないにもかかわらず介護報酬を不正に請求していたとして、3ヵ月間の指定停止処分を受けている。この不正時期は川越氏が関わっていた頃とも一致する。
 そうして川越氏は独立を考えるようになり、現在裁判沙汰になっている音更町の病院理事長・高嶋雅文氏とつながり、合同会社グッドライフを立ち上げ、「グッドライフ春光」、少し遅れて「セラヴィ豊岡」の経営を始めたのが一昨年2月からということになる。
 これから先は川越氏と高嶋氏の争いに話を移す。

会社登記簿から読み取れること
 合同会社グッドライフの法人登記簿によると、会社設立は2019(令和元)年2月13日で資本金は320万円。業務執行社員としては川越博、川越裕二、高嶋裕紀、高嶋衣舞の名前があり、代表社員は川越裕二になっている。
 手元にある登記簿は今年5月下旬にとったもので、設立時の半年後には業務執行社員として川越友博が加わり、同時に代表社員となった記述もみられる。しかしその友博氏は昨年7月31日に業務執行社員、代表社員ともに職務執行停止となっている。ここには高嶋雅文氏が「有印私文書偽造・公正証書原本不実記載」で旭川地裁に訴え、友博氏の代表社員就任は認められないとする仮処分の出た形跡が認められる。
 登記簿にある川越博はこの記事で川越氏として取り上げている人物。川越裕二は川越氏の二男、高嶋裕紀は高嶋氏の息子、高嶋衣舞氏は娘。そして川越友博は川越氏の長男である。会社設立の実質的なオーナーでもある高嶋氏の名前は登記簿には出てこない。
 その代わりが高嶋裕紀、高嶋衣舞で、ともに150万円ずつ出資している形になっている。もちろんこれは名前だけで実際の出資者は高嶋氏である。川越氏と二男の裕二氏はともに10万円ずつの出資で、合わせて320万円の資本金となる。後に川越氏が長男の友博氏を代表社員として登記した時は、川越氏の10万円の半分を友博氏の名義にしたようだ。

表紙2107
この続きは月刊北海道経済2021年07月号でお読み下さい。

駅前イオンから一挙11店撤退

イオンモール旭川駅前に異変が起きている。5月に11店が撤退し、館内のあちこちが白い板で囲まれた。契約期間の満了が重なっただけでなく、コロナ禍、とくに外国人旅行者の減少が影響したとの影響がある。消費者の流れを変えた「駅前イオン」での相次ぐテナント撤退、そして新しい店の登場は、中心街の人の流れをどう変えるのか─。

開店時からの店も消えた
 イオンモール旭川駅前(駅前イオン)が2015年3月にオープンしてからしばらく、旭川の中心街である平和通買物公園では暗い話題が多かった。真新しいモールに消費者が集中した結果、最後の百貨店・西武は旭川から撤退、残った商業施設からも相次いでテナントが去り。空きスペースが広がった。
 あれから6年余り。この5月末から6月上旬にかけて駅前イオンを訪れた人は異様な光景に驚いたかもしれない。付近の店に空きスペースを広げた一因であるはずの駅前イオンでも、売り場のあちこちが壁で囲まれ、最近まで営業していたはずの店舗の閉鎖と連絡先を告げる張り紙が張られていたからだ。1階駐車場の奥、忠別川河川敷に近いエリアは囲まれ、店から運び出されたとみられる商品棚などが積まれている。
 駅前イオンのウェブページにある「閉店のお知らせ」によれば、5月に撤退したのは「クラフトハートトーカイ」(手芸用品、3階)、「ビレッジ」(アパレル、2階)、「Bou Jeloud」(アパレル、2階)、「QBハウス」(理髪、3階)、「宗家 源吉兆庵/日本橋屋長兵衛」(和菓子、1階)、「ケンタッキーフライドチキン」(1階)、「エアウィーブ」(寝具、3階)、「ドコモショップ」(携帯電話、3階)、「そば処花の家」(そば、1階)、「ハーモニカ」(アパレル、2階)、「ABCクッキングスタジオ」(料理教室、3階)の11店に達する。

介護看護人材の紹介 マシンフィットネス
 去っていく店もあれば、新たに進出する店もある。最近、登場した店は3つ。いずれも旭川市内の企業が経営している店だ(うち2つは本州のフランチャイズに加盟)。
 3階で5月1日にオープンしたのは、「介護・看護求人支援センター旭川」。市内の企業、㈱ネクストライト(平澤幸憲社長)がFC加盟して道内初出店する。コロナの影響で全国的に外出している人は減っているにも関わらず、5月中に100人の求職者が訪れ、求人企業(施設や医療機関含む)が20社に達するなど出足は好調だという。
 介護と看護、いずれの分野でも人手不足は著しい。求職者と求人企業の間をとりもつのが求人広告媒体や、東京などの人材仲介業者。求人企業の側には、高額な仲介料や広告料を負担してようやく人材を見つけたのに短期のうちに離職してしまう、求職者の側には思っていた職場や雇用条件と違うといった不満があった。平澤社長も自ら各種の介護事業を展開する過程で、人材探しの難しさを痛感していた。
 そこで同センターでは従来にないかたちの仲介で双方が満足できるサービスを提供することを目指す。
 「たとえば介護職の場合、施設に就職した人が短期間のうちに辞めてしまうことがあるのは『介護観』が違うのが大きな理由。このため当センターでは、求職者との面接を経て、条件に合う施設が見つかれば、介護業界を熟知したスタッフも同行して施設を見学します。求職者が物怖じして聞けないような重要な質問もスタッフが代わりにして、求職者の疑問や不安をできるだけ減らすようにします」
 旭川市内や道北地方ではいまも次々と各種の介護施設が新設されているが、人手不足のためにフル稼働できていないところも多い。「旭川生まれの旭川育ちなので微力ながらお役に立ちたい」と、事業経営に乗り出す前に看護師として働いていた経験を持つ平澤氏は語る。
 駅前イオンの3階、介護・看護求人支援センター旭川のすぐ近くでは、平澤氏のもう一つの店「スマートスタジオ」が7月1日のオープン予定に向けて準備中。こちらは都心部型のフィットネス施設だ。
 スタジオ内部には「パワープレート」と名付けられた機器が10台備え付けられている。この機器にはハンドル部分と、振動する部分があり、機器の上で立ったり、座って足を上げる姿勢を取ったりして筋力を強化することができる。使い方は目の前のモニターに表示される他、そばに付き添うスタッフが教えてくれる。運動に必要な時間は1セット20分。
 「これまでの仕事で、まだ若いのに介護が必要な状態になった人を見てきたことが、今回、健康に役立つフィットネス事業に進出する理由になりました」(平澤社長)
 なお月額料金は通い放題でも6578円(税込み)。駅前イオンの家賃はそれほど安価ではないはずで、採算は取れるのかとの疑問が湧くが、平澤社長は「それなりのコストにはなりますが、それ以上に収益を確保できると期待しています」と説明する。

リユース品販売店 外国人復活にも期待
 同じ3階で5月15日にオープンしたのが「愛情買取リング」。ハンドバッグ、宝飾品、時計のリユース品(中古品)を販売する店だ。同じ店舗で買取も行っている(高級アパレル品は買取のみ)。
 リングはイトーヨーカドーの地下で店を営んでいたが、今年5月のヨーカドー閉店を受けて駅前イオンで新しい店を構えることにした。買物公園では他にマルカツ1階でも店を持つ。マルカツ店は高齢の人に親しまれ、「昔買ったものをもう使わなくなったので買い取ってほしい」と足を運ぶ人が多いが、マルカツ内での相次ぐテナント撤退で建物としての集客力に陰りが出てきたことから駅前イオン進出を決めた。デパートが相次いで撤退したいま、駅前イオンは旭川を代表する商業施設。そこにリユース品の店が進出したことは、この業界の認知度が社会で高まったことを示していると言えそうだ。
 駅前イオン内でのリングの開店はコロナ禍と重なり、緊急事態宣言下では土曜日曜の営業ができない(1階の食品フロアーや食堂街は営業)不利な状況でのスタートとなった。それでも電話やDMによる営業活動の成果もあり、開店から約3週間で手ごたえを感じている。
 実は、リングは買い取った品を自らの店舗で消費者に売るだけでなく、海外販路の開拓にも力を入れている。モノを大切にする日本のリユース品の品質の高さは海外でも広く知られている。いまは駅前イオンからはインバウンド客が消えているが、コロナ禍が収まり、外国人旅行者が直接リングに来店してくれることを、平島社長は心待ちにしているという。
 「高級品も使わずにただ眠らせておくだけでは、徐々に価値を失ってしまいます。使わないものがあったら、ぜひお持ちください」と平島社長は呼びかける。

フードコートに長期の「空き家」
 冒頭で紹介した通り、駅前イオンの公式ホームページには撤退した11店が掲載されているが、他にも店舗撤退後、封鎖されたままのスペースがある。たとえば1階のイートインスペースの一番奥、「はなまるうどん」と「無印良品」にはさまれた一角からオムライスなど洋食の店「ポムの樹Jr」が昨年5月末に撤退してから1年以上、後継の店が進出していない。宮下通に面した入り口から少し入ったところにある一角(駅前イオンが開店した直後にはもりもとが入居していた場所)も、現在は無人ゾーンとなっている。
 イオンモール㈱本社は本誌の取材に対し、次のように説明する。「大規模リニューアルではもっと多くの店が入れ替わる。今回が大規模だとは考えていない。個別の店の撤退理由については契約上の問題もあり、説明できない。空き店舗となった部分については、それぞれ新たに出店していただけるところを探しているが、現時点で明らかにできる店はない」。
 現在も営業を継続しているテナントの関係者は「多くの店が5月末に閉鎖したのは、たまたま契約期限切れの時期が重なったためだろう」と見る。別の人物によれば、当初の契約期間は6年間。駅前イオンのオープンは2015年3月27日。それから6年余が経過したことになる。
 建物が大きい以上、一部が空き店舗となるのは自然な現象。しかし、1年も有効に活用されない部分があるのは、開店から6年が経過した駅前イオンの集客力に変化が起きたためなのか、コロナのあおりで一時的に人の出足が鈍っただけなのか。
 よく駅前イオンの1階フードコートで食事をする人物はこんな見方を示す。
 「コロナ上陸前、JR旭川駅からすぐアクセスできるフードコートでは、とくに外国人の姿が目立った。他の客が食べているものを見てから各自利用する店を選べるフードコートは、家族連れの外国人観光客に便利なのだろう。中国語、韓国語、東南アジア系の言語が飛び交っていた。それだけ物販店の外国人向け売り上げの比率も高かったはず。コロナのために外国人の姿が北海道からほぼ消えて、一部の店は収束まで待たずに撤退する道を選んだのではないか。イオン旭川西もコロナの影響は受けているはずだが、あまり外国人がいないので、打撃は駅前イオンより軽いはずだ」
 流通業界関係者は、外国人の北海道旅行ブーム、駅直結という条件が重なる旭川の駅前イオンの外国人向け売り上げ比率は、日本全国のイオンの中で有数の高さだったはずとの考えを示す。だとすれば打撃はそれだけ深刻だったことになる。
 本州以南の地方都市の中には中心街からイオンが撤退して地域経済が打撃を受けたこともある。いま旭川駅前ではツルハビルが完成間近となり、高層マンション建設に向けた既存建物の解体も進んでいるが、これらの施設の影響もあわせ、駅前イオンの集客力がどう変化するのかに関心が集まりそうだ。

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この記事は月刊北海道経済2021年07月号に掲載されています。

旭川医大人事めぐり疑問の声

旭川医大の医師が学外の医療機関で無届けのアルバイトをしていれば明白なルール違反。では、親族が経営する医療機関や介護施設から、勤務実態がないのに報酬を受け取っていたとしたら?─ある人事をめぐり医大内部でいま問題が持ちあがっている。兼業をめぐる問題は過去にもくり返し批判されてきたが、コンプライアンスが徹底されているとは必ずしも言えないようだ。

医大医師の兼業は基本的役割だが…
 道北、道東で医師が不足しているのはまぎれもない事実であり、旭川医大が1973年に設置されたのも、この地域で働く医師を養成すると同時に、医療機関に医師を派遣するのが主な目的だった。現在、旭川医大はこの地域にとり不可欠な「医師供給源」となっている。道北、道東は面積が広く、交通機関が大都市圏ほどには発達していないために、行くのに数時間、帰りにまた数時間を費やすケースも少なくない。
 医科大学はもともと、医師派遣という役割を担っていることから、週1日(8時間)学外の医療機関で勤務して報酬を得ることが認められている(大学から見ればその分、人件費を削減できる)。医師の側から見れば、日ごろの研鑽の成果を第一線の医療で生かすことができ、患者の側から見れば、単純に医師が増えるだけでなく、最新の知見を活用した治療を受けられるとの期待がある。
 しかし、この兼業がこれまで何度も疑惑を招いてきたのも事実。過去には、医療機関が医者の数を書類上充足させるために勤務実態のない医者の名前だけを借りる名義貸しが横行していた。兼業とはやや異なるが、旭川医大では一昨年11月、麻酔科教授が医局からの医師派遣先から多額の謝礼を受け取っていたことが問題視されて懲戒解雇され、同12月には製薬会社などから不正な報酬を受けていたことを理由に別の教授が停職1年の処分を受けている。
 医療の現場では多額のカネが動くために、誘惑に駆られ、本業そっちのけでアルバイトに励む人も出てくる。このため、旭川医大の医師が兼業する場合には、事前に届け出て許可を得ることが義務付けられている。なお吉田晃敏学長については今年、滝川市立病院とアドバイザー契約を結んで月40万円の報酬を長年受け取っていたことが問題となったが、医大関係者によれば、この報酬については学長が自ら大学に事前に報告しており、教授たちの間でも情報が共有されていた。社会的に許されるかどうかや金額の多寡はともかく、ルール違反ではなかったことになる。

勤務実態なくても由々しき問題
 一部の医大関係者の中で、従来のイメージとは異なる「兼業」に絡む問題が最近話題になった。登場するのは第三内科(消化器内科/血液・腫瘍内科)の最高責任者である科長(医学部では 内科学講座《病態代謝・消化器・血液腫瘍制御内科学分野》教授)、外来医長にこの春、昇進したとみられる若手医師だ。なお、各診療科にはトップの科長、ナンバー2の副科長、病棟部門を統括する病棟医長、外来部門を統括する外来医長などのポストがある。
 第三内科の人事異動に絡んで、昨年度、新しい外来医長の人選が行われた。本誌が取材して集めた情報を総合すれば、審査の時点で特任助教を務めていた若手医師が候補に登ったが、教授は履歴書やさまざまな書類を見ていて気が付いた。兼業についての報告が空白で、学外でアルバイト(兼業)して収入を得た形跡がないのだ。教授は若手医師に尋ねた。「これまでバイトをしていないようだが、それでは生活できないのではないか」。若手医師は答えた。「私は親族の経営している医療機関から収入を得ているので、バイトする必要がありません」。なお、若手医師の父親は、旭川市内で長年、医療機関や介護施設を経営している。
 焦点は、若手医師に父親の経営する医療機関や介護施設での勤務実態があったのかどうか。あったとすれば、事前の報告をせずに兼業していたことになり、明白なルール違反となる。一方、勤務実態はなく、いわば「お小遣い」として親から金銭を受け取っていたとすればどうか。ある医大関係者は、それも深刻なルール違反だと指摘する。
 「市内の開業医の中には、子息が旭川医大で学び、医大病院で医師として勤務している人もいる。勤務実態がないのに金を与えていたとすれば、本来は医大が負担するべき人件費を、親が負担していたようなもの。医師派遣先の決定などに関して、親の関与する医療機関が優先されないよう、不明朗な金銭のやりとりは厳に慎むべきなのに…」

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この続きは月刊北海道経済2021年07月号でお読み下さい。

ヨーカドー後継にトライアル

「盛者必衰」─かつては小売業界の「主役」のひとつだった総合スーパーだが、近年は苦戦を強いられている。その一つ、イトーヨーカドー旭川店がついに閉店した。道内各地で閉店が相次ぎ、過去十数年、何度もうわさされてきた店舗の閉鎖がついに現実のものになった。その一方で、24時間型のスーパー「トライアル」が後継テナントに決定。来年3月末に耐震補強工事が完了した後でオープンする見通しとなった。

強みだったはずの駐車場が欠点に
 1980年にオープンしたイトーヨーカドー旭川店が、40年余りにおよぶ営業を終え、最終営業日となった5月9日にシャッターを下した。店員らは外から姿が見えなくなるその瞬間まで、深々と頭を下げていた。
 オープン時、イトーヨーカドーは旭川小売業界の「ガリバー」だった。当時は個人営業の八百屋、肉屋、魚屋などがまだ数多く残っていた時代。市内各地にあった市民生協やフードセンター、農協系の小売店でも十分に大型だった。それをはるかに上回る規模のヨーカドーの上陸に不安を抱く小売り・卸売業界の関係者が多かった一方で、新しい雰囲気の売り場に目を見張った消費者もいた。当時の興奮を知る70代の男性は語る。
 「開店間もないヨーカドーに行ってみた。印象的だったのは、レジ係の人が、お客一人ひとりに順番が回ってくるたびにきちんと会釈していたということ。地場のスーパーとはスタッフの教育が違うと思った」。
 建物内部に大型の駐車場を備えていることも、マイカーでの外出が当たり前になりつつあった地域社会に支持された。近所の店に徒歩や自転車で行くよりも、少し離れたヨーカドーに車で行く人が増えた。
 しかしその後、旭川市内のあちこちに同様の形態の総合スーパー(GMS)が次々と登場した。ニチイ(1981年開店、現イオン春光)、ダイエー(1984年開店)、同じくニチイ系の永山サティ(1990年開店、現イオン永山)などが次々とオープン。生協なども既存の小型店を統合して大型店に転換し、大手に対抗した。
 これによりヨーカドーが抱えた悩みが、開店当初は強みだったはずの駐車場の問題。豊岡、東光、永山、春光、旭神など市の中心部からやや離れた場所に進出した競合店は広大な敷地を生かして、店舗建物の屋上だけでなく、店舗の周囲の野外に駐車場を確保した。車庫入れがあまり得意でない人、とくにGMSの主要な顧客である主婦層の中には、ヨーカドー2階、3階の駐車場に上がっていく狭くて急なスロープを嫌う人が多かった。ある男性は語る。「妻にヨーカドーで買い物しようと提案しても、あなたが運転していくならいい、自分で運転して行くのは絶対にいやと言われた」

建物オーナーは否定していたが…
 完成当時は真新しかった建物も、次第に当時の魅力を失っていく。イオン旭川西や同旭川駅前をはじめ、この十数年の間に登場した大型店に比べれば、ヨーカドーの陳腐化は否定しがたく、次第に客足が遠のいていった。そしてついに、開店から41年後の閉店の日を迎えた。
 この建物では今後、従来からの予定に沿って耐震補強工事が行われる。完了は来年3月末。隣接する大成市民センターの体育館、住民会館も当面は休館となる。
 これまでヨーカドーで買い物していた人にとり気になるのは、耐震強化工事完了後に後継テナントが入居するかどうかだ。
 本誌はまず、建物を現在所有している北洋銀行系の交洋不動産(本社=札幌)に電話取材した。「今年3月、旭川市と大成ファミリープラザに関して連携協定を締結したが、その際に旭川市に伝えた通り、後継テナントについては商業施設を中心に交渉を進めている。まだ相手が確定しておらず、交渉対象が1社なのか複数なのかを含めて、話せることは現時点で何もない」。
 前号でも紹介した通り、本誌は旭川に展開する有力な小売業者に取材をしたが、いずれも出店には慎重。既存店とのバッティングや、大きすぎる建物などが懸念材料になっている様子だった。
 ところがその後、本誌に「トライアルが後継テナントに決まった」との未確認情報がもたらされた。トライアルは24時間営業のスーパーで、2009年11月、旭友ストアーが撤退した店舗に進出するかたちで国道237号に面した「スーパーセンタートライアル神楽店」をオープン。翌年10月にはドン・キホーテの店舗跡を改装して国道39号に面した同永山店を開いている。消費者の安売り志向の強まりで、2つの店舗は好調とみられ、また小売店だった建物に「居抜き」で進出することが基本的な手法であるトライアルがヨーカドー旭川店の後継に選ばれたとしても、決して意外な話ではない。

入居は地下だけ? 1階2階どうなる
 そこで本誌は、全国にトライアルを展開する㈱トライアルカンパニー(本社=福岡市)に電話取材をしたが、「今回に限らず、今後の出店予定については一切取材に応じていない」とのことだった。
 しかし、それからしばらくして、当初の情報とは違うソースから本誌に確実な情報がもたらされた。トライアルの進出が決まったというのだ。すでに市内の関係者へのあいさつも済ませているという。ただ、建物オーナーの交洋不動産では、大規模な耐震強化工事を行う方針を明らかにしており、工事には少なくとも数ヵ月が必要。開店はその先のことになりそうだ。なお、前出の通り、この建物では駐車場へのアクセスの難しさが消費者にとってのネックとなっているが、交洋不動産では、駐車場の配置など大規模な構造の変更は考えていないと説明している。
 開店時期は不明だが、耐震補強工事が完了するのは来年3月末。早くてもそのころのオープンとなるはずだ。
 ただし、トライアルの商品は食品や飲料が中心。日用品や衣類もあるが、種類は限定的。ヨーカドーの後継店として入居するとしても、これまで食品売り場とレストランコーナー、ダイソー、専門店などがあった地下以外を活用するとは考えにくい。売り場全体を埋めるためには、他にも後継テナント探す必要がある。
 とはいえ、トライアル進出で旭川市中心部での買物難民発生は回避された。安堵している住民も多いのではないか。

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この記事は月刊北海道経済2021年06月号に掲載されています。