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半世紀前の「道北経済」誌面作り
1966(昭和41)年に『道北経済』として創刊した本誌は、650号を迎えた。創刊時の関係者はほとんど鬼籍に入ったが、「創成期」の誌面づくりの様子を今も記憶するのが、長年本誌の編集長を務め、昨年の10月号を最後に引退した村上史生氏だ。半世紀以上の記者人生の中で数え切れないほどの政治家、経営者、市井の人々を取材してきた村上氏に本誌が初めて取材。1970年代の誌面づくりの様子を振り返ってもらった。 最初の仕事は所得番付 本誌を創刊したのは初代の編集人であり、経営のトップでもあった伊勢常雄氏。戦前から新聞記者として働き、新北海や北海道新聞に勤務していた。昭和40年代に入ってから、道央圏に負けじと道北に根ざした政治経済誌の発行を志すことになる。当時はキャリ... -
札幌新幹線ホーム不足 旭川市の「本気度」に疑問符
新幹線札幌駅の構造のために旭川延伸が極めて困難になるのではないかとの懸念を、本誌は過去にも取り上げてきた。一部読者からは「政界経済界が団結して努力しているのに冷や水をかけるような真似はするな」との批判もいただいた。最近、旭川市が、そういった問題がないことを確認したとの情報を得たため、改めて取材したところ、市の担当者は新幹線の線路が札幌で「どんづまり」にさえならなければ問題ないとの認識で、ホームの数には関心がない様子。当然、十分なホームの数を確保するための働きかけも行われていない。選挙のたびに公約に登場する新幹線旭川延伸の前に数々のハードルが立ちはだかっているのは周知の事実だが、これでは旭川市や政治家たちの「本気度」が疑われる。 ... -
山が動いた 深川市長選挙
一言で表現するなら〝山が動いた〟選挙だった。師走にあった任期満了に伴う深川市長選で、労組を支持基盤に初当選を果たした田中昌幸氏(61)=前市議会副議長=は、1892(明治25)年に屯田兵が入植し深川村が設置されて以来初のリベラル系首長となる。農村社会に培われたある意味保守的な風土性の変化の兆しを象徴する選挙戦でもあった。「変えよう!」のアプローチは、市井で子育て中のママや若者らを突き動かしたようだ。 当選祝いの花束を手にする田中氏(左から2人目) 屯田兵培う風土性 今も色濃く残る「田中は、組合ときっぱり手を切らんと市長にはなれん」。もう16年ほど前になるだろうか、田中氏の市長選出馬の可能性の有無を問うと、深川市内で長く土建業を営んだ社長が当然のご... -
落語家に弟子入り 笑いで免疫高める院長
クリニック内に常設の演芸場を開設した「旭川キュアメディクス」の松田年(みのる)院長(64)。親交がある噺家・橘家富蔵師匠を招きこけら落としを行ったが、師匠がすっかり気に入り、松田院長に「橘家師ん蔵」の名をおくって弟子とした。富蔵の師匠は一時代を築いた人気者の「円蔵」で、松田院長は〝孫弟子〟にあたることになる。 旭川キュアメディクス キュアメデ寄席 「医者とかけて何ととく」、「パーキングとときます」。そのこころは「チュウシャできます」。いきなりの謎かけで恐縮だが、4回5回と続くコロナワクチンも、ジョークが飛び出しそうなリラックスムードのクリニックなら億劫(おっくう)でなくなるというもの。 40代の時、松田医師は東京の大学病院に勤務していた。巨大... -
上川で地熱発電「三度目の正直」なるか
1966(昭和41)年創刊の本誌には、過去何度か登場した夢の話題がある。何度も登場したということは、夢がすんなりとは実現しなかったということだ。例えば、上川町における地熱発電の話題。1990年には一般市民が、地熱発電を通じた地域おこしを誌面上で提言している。いまから10年前には国立公園内での開発規制緩和を見越した上川町白水沢で地熱発電の機運が高まったことを伝えた。結局、この構想はしぼんでしまうのだが、それから12年が経過した22年、上川町内の別の場所で再び調査が行われた。結果は発表されていないものの、気候変動が世界的な規模で人類に脅威をもたらしていること、原子力発電になおも厳しい規制がかかっていることから、クリーンな地熱発電への注目は以前にも増... -
再調査委設置にいじめと死亡の因果関係諮問
旭川市内の公園で昨年3月、凍死体で見つかった市立中学2年の広瀬爽彩(さあや)さん(当時14)がいじめを受けていたとされる問題で、遺族の意向を受け今津寛介市長が設置する再調査委が12月22日、初会合を開く。いじめと死亡の因果関係などを諮問し、2023年内を目途に答申したい考えだ。冷たい雪の上に身を横たえた少女の思いを掬(すく)い、旭川市・社会全体で共有すべき課題を掘り起こすことができるか否かが焦点で、真相解明をいじめと自死の因果関係の有無に収れんした調査では、不十分な成果となりかねない。(記事は2022年12月12日現在) 尾木氏ら5人で構成 旭川市は当初、再調査委を11月中に設置・初会合を開く予定だったが、委員の選任が難航した。再調査委は発達教育学や児童の精神... -
コロナ借金〟反動で倒産急増の恐怖
新型コロナの感染拡大で厳しくなった中小企業の資金繰りを支えた無利子、無担保「ゼロゼロ融資」の返済が始まった。企業倒産を歴史的低水準に抑える効果はあったが「倒産は免れたけれど、返済資金がない」と道北の企業がいま頭を抱えており、一転、倒産増加の懸念が出てきた。生活福祉資金の返済も始まり個人破産多発も心配される。 歴史的低水準 新型コロナウイルスが〝襲来〟した2020年は国内の企業倒産が、30年ぶりに8000件を下回った。毎年200件台だった北海道の企業倒産も175件と、低水準。道北地区(上川、宗谷、空知の奈井江以北)も24件にとどまり、1971年に東京商工リサーチ旭川支店が調査を開始して以来、最少となった。 20年2月以降の感染拡大に対応して、急速に悪化した... -
629ぺーパン川氾濫 人災認めた道
工事現場付近のぺーパン川(早苗橋から)=10月中旬 今年6月下旬の大雨に伴い旭川市東旭川町で河川改修中のぺーパン川の工事箇所から水があふれ、近くの民家2戸に床上浸水などの被害が出た問題で、事業主体の道は工事施工に伴う人災だったと認め、被災した2世帯に対する補償を決めた。被害発生から3ヵ月後にようやく下った補償の判断を遅きに失したと見る住民は少なくなく、家が水浸しとなった被災者の男性は、説明に来た道職員に「『ちょっと遅いんでないか』って言ってやった」との不満を口にする。道は依然として「ミス」や「瑕疵」を認めておらず、水があふれた詳細な経緯は明らかにされていない。 床・壁・戸に残る被害の痕 6月28日から29日にかけ、前線を伴った低気圧の影響で... -
ついに浮上した〝銀座商店街再開発〟
この区画にビルが建設される見通し 明治時代から続く「旭川銀座商店街」。誕生時から昭和にかけては連日多くの買い物客でにぎわったが、時代の変化の影響で徐々に客足が遠のいた。いまも三番舘をはじめとする個性的な人気店はあるものの、「新陳代謝」が進む買物公園と比較すれば銀座商店街の近況は市民にとり寂しい限り。しかしその銀座でようやく再開発計画が具体化した。三番舘・第一市場・銀ビル、そしてモダグループの所有する区画を合わせて活用する大規模なプロジェクトだ。狙い通り宿泊観光客を増やし、「旭川経済の起爆剤」になれるかどうかに注目が集まる。 にぎわった芝居小屋 「旭川銀座商店街」の歴史は明治時代までさかのぼる。今年は旭川市の市制施行100周年の節目だ... -
特別栽培米でせんべいを共同開発
写真左から茂木浩介社長、島山守穗組合長、村本暁宣社長 北海道を代表する米どころとして知られる旭川。その魅力を全国にアピールしようと、特別栽培米「ゆめぴりか」を原材料としたせんべいをJAあさひかわと壺屋総本店、日本醤油工業が3社で共同開発した。こだわりの特別栽培米を壺屋総本店の協力工場が独自の技術で加工し、厳選生産された生しょうゆで味を付けた逸品は、市民はもちろん観光客向けのギフト商品として広く全国にPRしていく考えだ。 地元企業とコラボ 旭川で生産された特別栽培米を使った米菓のコラボ企画を提案したのは、壺屋総本店の村本暁宣社長。親交のある米農家から、「北海道は米どころでありながら、新米の時期にイベントや祭りが少なく、なかなかアピールす...