ウクライナ侵攻 旭川経済に影響じわり

 ロシア軍がウクライナに攻め入った。世界的な批判の声や厳しい経済制裁にもかかわらず、プーチン政権は攻勢を緩めておらず、死傷者の数は増える一方。和平への道筋はまったく見えない。北海道にとりロシアは「最も近い外国」だが、旭川市内の企業や経済活動にも影響が及び始めている。(記事は3月3日現在)

隠れた輸出品
 あまり知られていない旭川市の「輸出品」が自動車部品。整備のレベルが高い日本の中古車や中古部品は海外で人気があり、海のない旭川でも複数の企業が仕入れた中古車を分解、コンテナに積み込んで船で輸出してきた。かつてはマレーシア、ドバイ、極東ロシア(ウラジオストクとサハリン)が三大輸出先だったが、マレーシアとは価格交渉が折り合わず取引の規模が縮小し、ドバイと極東ロシアが主要輸出先となっていた。
 ウクライナへの軍事侵攻が始まったのは2月24日。それからしばらくは輸出継続の見通しが立っていて、コンテナへの積み込み作業を続けていた。ところが3月に入ると状況が一転して悪化。先行きがまったく見えないことから、すでにコンテナに積み込んでいた商品を外に出し、コンテナを返却することになった。
 輸出を妨げている要因は、苫小牧─横浜─ウラジオストクの航路の維持が難しくなっているということだ。いまのところ日本政府から部品輸出が経済制裁の対象に指定されているわけではないのだが、商品を顧客のいる国まで運ぶ手段がなければ、取引は成立しない。
 ある業界関係者は、取引のため日常的にウラジオストクやサハリンの取引相手と連絡しており、極東ロシアの経済の混乱ぶりを聞いている。ルーブルの急落の影響で部品は少なくとも30%値上がりする見通し。経済制裁で収入が減少すれば買い手がつかない恐れもあり、現地の商社の中には仕入れの中止を検討しているところもある。
 売り手側から見れば、商品代金が回収できるかどうか、不透明感が強まっている。代金前請けでリスクを回避したいところだが、輸出入の手続き上、それは難しいという。
 「先行きが読めない。良くなるにせよ、悪くなるにせよ、一日も早く状況がはっきりすることを望んでいる」とは業界関係者の弁。

当面ガスに影響なし
 北海道がまとめた道とロシアの貿易状況(2020年)によれば、道からロシアの輸出のうちかなりの部分を占めるのが中古車や自動車の部品。一方、輸入は海産物と鉱物資源がほとんど。より具体的な品目に注目すれば、鉱物資源は天然ガス、石炭、海産物はウニ、イクラ、冷凍エビ、冷凍カニ、冷凍イカなどが多い。
 ㈱キョクイチに電話取材したところ「扱っている海産物の大半は国産であり、影響は限定的」とのこと。しかし、日本全体でみれば2019年の日本のカニ輸入額649億円のうちロシア産は59・8%を占めていた。飲食店や一般家庭向けのカニの販売への影響が懸念される。
 ロシア産天然ガスの北海道への輸入額(2020年)は197億円で、石狩港にある北海道ガスのLNG陸揚げ施設ではサハリンで産出された天然ガスが陸揚げされている。サハリンのガス事業「サハリン2」には、日本から三井物産や三菱商事が参加しているが、英ロイヤルダッチシェルはすでに撤退を発表しており、三井・三菱も撤退を検討中と伝えられている。サハリンからのLNG輸入がストップしたり、値上がりしたりすれば、道央地区を中心に影響が広がるのは確実だ。なお、旭川ガスでは「ガス供給元との契約で仕入れ先などについては明らかにできない部分があるが、短期的な影響はない」と説明している。
 情勢の変化のおかげで大きな影響を受けずに済んだのが木材だ。厳寒の地で育つ極東ロシアの木は木目の狂いが少なく、高く評価されており、ロシアにとり日本はソ連時代から有力な原木の輸出先だった。しかし、中国企業の参入で乱伐と森林荒廃が進んだころから、ロシアで森林伐採が厳しく規制されるようになり、輸入量は大幅に減少。2020年の木材(木材製品・木炭含む)の輸入額は14億円あまりと、天然ガスや海産物に比べればごくわずかで、今後輸入が滞るとしても影響はほとんどないと予想される。

現地の情報錯綜
 サハリン最大の都市、ユジノサハリンスクは旭川市の友好都市。1967年に提携が実現し、2017年には提携50周年を迎え、さまざまな記念事業が行われた。それ以降も代表団の受け入れ、青少年交流が続けられ、2020年1月には青少年交流訪問団13人が派遣されている。一時期、旭川市にはロシア人職員も勤務し、交流に関する仕事を担当していた。コロナの影響で人的な交流はこの2年間、ほぼ休止状態となっているが、ウクライナ軍事侵攻が都市間交流にも影響を及ぼすのは避けられそうもない。また、稚内市はサハリン事務所を持っているが、ロシアの大手銀行が国際金融システムから排除されたことを受け、事務所維持の費用が送金できなくなり、事務所維持が困難になっている。
 極東ロシアとの関わりが深い人物によれば、現地のロシア人の中には電話で軍事侵攻を痛烈に批判する人もいれば、厳しく統制された現地での報道を信じられず、ただただ困惑している人も。経済制裁の打撃を最初に受けるのは一般庶民だ。
 日ロ交流に関わるすべての人が、犠牲がこれ以上増えず、事態が平和的解決に向かうことを切望している。

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この記事は月刊北海道経済2022年04月号に掲載されています。

巨額工事めぐり南富良野町長逮捕

 2016年の台風被害に見舞われた南富良野町にとって復興のシンボルでもある「道の駅」。その大型工事をめぐり現職の池部彰町長(72)が官製談合防止法違反の疑いで逮捕された。池部容疑者のカネにまつわる風評は以前からくすぶっていたが、道警の執念の捜査がようやく実を結んだ。(記事は3月10日現在)

カネにまつわるウワサ
2015年10月頃から

 池部容疑者に関しカネにまつわる風評が現実味をおびて語られるようになったのは、2015年10月ごろから。具体的なカネの受け渡し等の証人や決め手には欠けたものの、その内容は道警関係者の知るところともなり、確度の高い情報提供者も複数存在した。当初贈賄の疑いが持たれたのは、道北管内ではその名を知られたX建設会社だ。
 道警関係者によると、「池部容疑者は国庫など補助金を持ってくるのが非常にうまい。小中学校や特別養護老人ホームなど、推定50億円程度補助金を得て、そのうち30億円程度の仕事をX社に受注させワイロを得ていたようだ」と振り返る。
 金山地区の特老ホームなどは募集しても職員が集まらず、入居者が減り、その赤字を埋めるのに町の財政で数千万円以上も補てんしていた。町内では「町関係の仕事に依存する体質の中、池部容疑者は町内の建設関連業者を使わず、町外の業者にカネが回り、企業や雇用が衰退するばかりでなく、将来にわたり莫大な負債が町民に残ると揶揄されていた」と道警関係者。
 2015年当時の池部容疑者について、道警では「官主導の入札、周りはイエスマンで固めている」との風評に加えて、以下のような情報も町民から収集していた。「町内の大型建築物は5億円程度でX社に受注させている。なぜ町民を雇用している町内の建設関連会社を使わないのかという議会質問にも、町内に支店や事業所を置く町外企業も町内企業とするとの答弁で交わしている」
 真相は定かではないが、池部容疑者に対する疑惑はこのほか、農林水産省の木質バイオマスボイラー事業、民間業者のアパート建築に関して便宜をはかった件が挙げられる。しかも、これらの疑惑は今でも払拭されず、くすぶったまま。そして再び池部容疑者のカネにまつわるキナ臭い疑惑が噴出したのが今回の南富良野町官製談合事件だ。
 事件の舞台は南富良野町発注「道の駅を核とした町の賑わい拠点施設」工事。総事業費約11億円。人口2300人の町にとっては大きな規模の公共工事だ。南富良野町では長きにわたり、業者間の互選で工事業者を選ぶのが慣例で、疑惑の矛先となった機械設備工事でも、3つのJV(共同企業体)が組まれた。ところが、こうした慣例を破るように業界の意向を無視して南富良野町に対し「談合があるのではないか?」と申し立て、入札に加わったのが上富良野町に本社を置く設備会社のA工業所が代表を務める給排水のJV(ほかに旭川のI設備会社が参加)だった。

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「無罪請負人」登場で医大学長の解任撤回

 旭川医科大学が文部科学省に昨年6月に行った、吉田晃敏氏を学長から解任すべきとの申し出を、2月25日に取り下げた。文科省による審査の終わりが見えず、このままでは学長不在の状態で新年度を迎えることが確実であるため、学長選考会議が「断腸の思い」で取り下げを決めた。これを受けて吉田氏が提出していた辞表が文科省に受理され、3月3日付けで吉田氏は正式に学長を辞任した。旭川医大は西川祐司氏の4月1日の学長就任に向け文科省に申請を提出したが、これで「旭川医大VS吉田晃敏」の対決が終わるとは限らない。(記事は3月8日現在)

捜査レベルの厳密性
 旭川医大にとっては誤算がいくつかあった。3月3日夜の記者会見で経緯を説明した学長選考会議の奥村利勝議長(教授)によれば、大学が申し出の中で挙げた解任相当理由34項目について、吉田氏とその弁護士が逐一反論し、文科省からすべてについて再反論を求められるとは想定していなかった。大学側は、34項目は教育者に不適であることを示すには十分な内容であり、教育行政を統括し、教育現場におけるパワハラにも対応してきた文科省なら、大学側の言い分を理解してくれるはずと思っていた。
 象徴的なのが、飲酒問題の取り扱いだ。大学側は複数の大学関係者の目撃談を根拠に、吉田氏が飲酒問題で執務が困難な状態にあると主張したが、吉田氏側は個人的な問題で深酒をしたことはあったもののそれほど深刻なものではなく、目撃者以外の証拠もないと反論。こうした主張に対抗するには呼気のアルコール検査の結果が必要だが、そういった材料があるわけもなかった。
 2番目の誤算は、吉田氏に強力な助っ人がついたということだ。昨年春ごろ、旭川市内の法曹界でこんな情報が流れた。「吉田学長が市内で弁護士を探しているが、引き受ける人がいない」。結局、市内の弁護士が名乗りを上げ、辞任届の提出時には本人に代わってマスコミに登場したが、選考会議は文科省に解任を申し出た。この時点で大学関係者の多くは解任濃厚と感じていた。

面倒避けた文科省
 絶体絶命となった吉田氏が手紙で助けを求めた相手が弘中惇一郎弁護士だった。ロス疑惑事件の三浦和義氏から始まって、薬害エイズ事件の安部英一氏(一審)、障害者郵便事件制度悪用事件で村木厚子氏などの代理人となり、数々の裁判で無罪判決を勝ち取った著名な弁護士であり、「無罪請負人」の異名で知られる。日産経営陣の不正をめぐる裁判では弁護を担当していたカルロス・ゴーン被告が保釈中に海外に逃亡したことでも話題になった。弘中氏は吉田氏に協力を快諾し、弁明書の作成に協力するようになった。文科省の担当者が、裁判並みに厳密な審査を行わなければ、次は文科省が訴えられると心配したのは想像に難くない。
 第3に、吉田氏の精神的な状態だ。辞任届を提出した時期、吉田氏はマスコミ対応を当時の弁護士に任せており、周囲の問い合わせにも応じていなかった。選考会議としては、解任の申し出に吉田氏がここまで強力に旭川医大に対抗できるほどに気力が回復するとは予想していなかったのではないか。なお、吉田氏は本誌の取材に対して「辞任届を出した日からストレスから解放されて眠れるようになった」と語っている。
 想定外の要素があったとはいえ、選考会議が甘かったのは確かだ。選考会議による大学トップ解任の申し出には一つだけ前例がある。北海道大学ではパワハラを理由に総長選考会議が総長解任を文科省に申し出て、文科省が解任の決定を下したが、その間に1年近くの時間がかかっており、吉田氏についても審査の長期化は十分に予想できた。記者会見で奥村議長は文科省の対応が想定外だったと繰り返したが、ある医大教授は本誌に対して次のように語る。
 「昨年のうちに、文科省が解任ではなく辞任に傾いているとの情報は私の耳にも入っていた。解任を本気で求めるつもりなら、書類を出すだけでなく、政治家を通じて情報収集するなど、他に方法があったはず。それを今になって『文科省の対応が想定外で』などと言うのを聞くと、旭川医大の執行部や選考会議は生徒会レベルではないかという気がしてくる」
 昨年6月の時点で選考会議には、吉田氏の辞任を認めれば早期に医大の立て直しに着手できることはわかっていた。そもそも、選考会議が「解任」に向けて動き出したのは、「正常化する会」の発足後、教授会で吉田氏に自ら辞任するよう求める意見が出たにも関わらず、吉田氏が明確に拒否したことが大きな理由だった。辞職届の提出で目標は達成されたが、選考会議は解任にこだわった。今になって選考会議は、早期に西川体制を発足させ医大を正常化させるために、辞任を認めるという方針に転換したが、結果的に8ヵ月以上も回り道をしたことになる。

法廷で戦い続く?
 急変した事態について、吉田氏はどう考えているのか。3月3日、本誌が取材したところ、吉田氏に今後の行動について「弘中弁護士とも相談した上で、名誉毀損で大学を訴えることも検討する」と述べていた。しかし、3月8日に開かれ、ウェブ中継された吉田氏の記者会見で、同席した弘中弁護士は、医大を提訴することは考えていないと明言した。
 ただし、旭川医大が解任の申し出を取り下げたのは、あくまでも西川体制への早期移行が目的であり、解任相当との見解を撤回したわけではなく、文科省による審査の結論も出ていない。従来は文科省による審査が行われていることを理由に、34項目の解任事由の詳細を外部に明らかにしてこなかったが、3日に開かれた全学説明会で、出席者から今後の訴訟の可能性について問われた選考会議委員の川辺淳一氏(教授)は、「34項目は、解任申し出の取り下げで無になったわけではない。我々は吉田氏を解任できなかったが、金銭問題などについて、新執行部は悪いものは悪いと主張していくこともできるのではないか」と語った模様。仮に新執行部の下で法廷での「第2ラウンド」が始まれば、手間とカネはかかるものの、時間切れを気にせずに決着をつけることができ、旭川医大にとってはリベンジの機会になるかもしれない。
 もう一つの焦点が吉田氏に対する退職金の取り扱い。退職金は支払われるが、今後大学内外の委員から構成される経営協議会が減額すべきかどうかを検討することになっている。記者会見で弘中氏は「普通にいただきたい。こちらに非があったシンボルとして減額されるのは了承できない」と語っており、これも火種になる可能性がある。

「公益通報」調査 着々と進む
 本誌が前号で伝えたように、旭川医大では昨年11月の次期学長選考に向けた動きの中で、選考会議の奥村議長が、自らが率いる医局の医師・研究者らに西川祐司副学長への投票を依頼していたことをある教授が問題視、公益通報制度に基づく通報を行った。
 この記事について読者から本誌に情報提供があった。「通報が行われたのは最近ではなく、次期学長を選ぶ投票から間もない昨年11月のこと。また、奥村氏だけでなく、川辺氏も同様の集票活動を行っていたと通報者は主張している」。
 調査委員を務める学外の弁護士はすでに投票依頼を受けたとする人物を含む関係者からの聞き取りを行ったが、いつ結果が出るのかは未定。公益通報にどう対応するかも、西川体制のスタートに影響しそうだ。(西田)

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この記事は月刊北海道経済2022年04月号に掲載されています。

転作交付金見直し 上川農業大打撃!

 昨年12月に農水省が方針を示したコメの転作助成金の見直し、厳格化で、北海道の農家が大慌てしている。とりわけ米どころ上川、空知では影響が大きく、農業関係者は将来への不安を隠しきれない。これまで年間2~300万円はあったとされる交付金がゼロになる可能性もあり、農業経営を極端に圧迫するばかりか、「究極的には農協の死活問題にも発展してく」と指摘する人もいる。いったい何がどうなっていくというのか─。

交付金の〝厳格化〟 つまるところ削減
 50年ほど前から始まったコメの生産調整は、初めはもっぱら稲作を休む「休耕」だったが、その後、コメ以外のものをつくる「転作」に重点が置かれるようになり、かつて田んぼだったところは畑となり、主に麦や大豆、飼料用作物、野菜などがつくられるようになっている。
 「転作」に伴う国からの助成は手厚く、さまざまな制度が設けられているが、その中でも代表的なのが「水田活用の直接支払交付金」(通称・水活)である。農業関係者以外は耳にする機会も少ない制度だが、高齢化する稲作農家にとっては農地を維持するための命綱のようなものでもあった。
 ところがこの「水活」の内容が来年度から大きく見直される方針が農林水産省から示されている。転作でつくる作物によって見直し幅は違ってくるが、一番深刻な打撃を受けるのが牧草をつくっている農家だという。農水省は、交付金の支払い条件を厳格化すると言っているが、厳格化とは交付金の削減を意味する。
 酪農業が多い北海道では飼料用作物である牧草の需要が多い。このため、コメからの転作を迫られた農家では、野菜類より比較的手軽に作れて販売先も安定している牧草づくりを始めた。稲作が主流の上川、空知管内では特にこうしたケースが多いのだという。

3万5000円がたったの1万円に
 では、転作農家の収入のよりどころとなっていた「水活」がどう厳格化されるというのか。農水省の案や各種報道によると、これまでは「水張りができない農地(あぜや用水路がない農地)は交付金の対象外」とされていた取り決めに、「今後5年間に一度も水張りが行われない農地は交付対象水田としない」という明確な条件が加えられる。
 「水張り」とは水稲の作付けを行うこと、つまりコメをつくるということなのだが、これから5年の間に〝水田〟で一度もコメをつくらなければ交付金は一切出さないということである。これまでも同様の趣旨ではあったが厳格なものではなく、あぜや用水路がなくなっていても牧草をつくってさえいれば交付金を受け取ることができた。ある種の温情的な〝見逃し〟だったのだろうが、明文化されてしまうとこれからはそういうわけにいかなくなる。
 実際、牧草をつくるようになってから必要のないあぜを取り壊したり用水路を使わなくなった農家は結構な数に及んでいるようだ。こうした農家にとっては、いまさらコメをつくれと言われても簡単に対応できるものではない。あぜや用水路が残っていたとしても、これまで牧草だけつくっていた農家にしてみれば、機械や設備も不十分で、コメづくりは容易なことではない。
 さらに、厳格化される「水活」では、牧草そのものがターゲットにされている。これまでは、毎年種をまかずとも5年~10年は収穫できていた再生能力の強い多年生牧草の場合、収穫さえしていれば交付金が出ていたが、これが「種をまかない年は単価を見直す」と変わってしまう。
 牧草の単価、つまり農家に入るお金は種をまいてもまかなくとも10アール(1反・300坪)あたり3万5000円だったが、これが、種をまかずに収穫だけする年は1万円と極端に下がってしまう。
 これまで3万5000円だったものがたったの1万円に。農地の規模によって違うが、多年生牧草をつくってきた農家にとって、この影響は限りなく大きい。

いまさら言われても手の打ちようがない

 農家の事情に詳しい人たちに話を聞くとこぞって、上川農業界の先行きを危ぶむ声が聞こえてくる。「5年に1度はコメをつくる、牧草は種をまかなければダメといっても、できる農家とできない農家が出てくる。できない農家は農業をやめなければならない」というのである。拾い集めた声を紹介すると……。
 「広い水田を持っていて水稲と転作作物をつくっているところは、ブロックを変えていくことで5年に1度はコメをつくるという条件をクリアできるだろうが、水稲を一切やめ、もっぱら転作作物をつくっているところは大変だ。しかもあぜも壊し、用水路もなくなっているところは手の打ちようもない」
 「牧草で3万5000円もらっていたのが1万円になると、とてもやっていけるものではない。3万5000円と言っても、種や肥料の仕入れ、刈り取り、土地改良区の賦課金(水利権)、農協の賦課金などの経費を払っていたら1万5000円くらいしか残らない。どうしても反(10アール)あたり2万円の経費はかかるのにそれが1万円となると、農家をやめるしかない」
 「稲作も転作もやらないとなると水田は荒れ、使い物にならなくなる。いざ売ろうとしても買ってくれるところもなく、たとえ売れたとしても安い値段しかつかない。農地の格が下がるわけで資産価値の問題も出てくる。農地を担保に取っている農協だって苦しくなるだろう。上川地域の中でも塩狩峠を越えた宗谷沿線は特に大変だと思う」誰に話を向けても、聞こえてくるのは嘆き節ばかりだ。

「見直し」を見直すことはできないのか
 そもそもこの転作交付金の見直しが政府案として出てきたのは昨年12月。農水大臣が国会で答弁したり、記者会見で「見直し」を言明している。ある農家の人は「政府内では昨年夏ごろから考えられていたことのようだが、われわれが知ったのは12月に入ってから。しかも今年から見直しが始まるという。一方的なうえに話が急すぎる」と戸惑いと怒りをあらわにする。
 今は、各地の農協で組合員との営農懇談会が開かれているところだが、農家が質問しても農協は何も答えられない状況のようだ。それもそのはず農協だって寝耳に水のような話なのである。
 国がすでに決めたこととはいえ、見直しをさらに見直すことはできないのか。問題の大きさに比べ、なぜか農業関係者の動きは鈍いような気がする。

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この記事は月刊北海道経済2022年03月号に掲載されています。

副市長辞任の表氏「公約実現の道筋付けた」

 道新が「表、赤岡副市長退任へ」と伝えたのは1月30日の朝刊紙面でのこと。13年間にわたり副市長を務めた表憲章氏からは2月1日付けの退職届が提出され、そのまま市役所に姿を見せなくなった。予算案の編成は終わったが、市議会での審議はこれからというタイミングの辞任に衝撃が走った。花束贈呈も引き継ぎもない異例の状況だが、本人は本誌の電話取材に対し、辞任に至る経緯を粛々と説明する。

今津市長も「わかりました」
 2月1日以降、記者は詳しい経緯を聞くために表氏にくり返し連絡したが、反応はなし。表氏に近い人物には「しばらく誰の電話にも出ないのではないか」と言われたが、2月3日、記者の携帯電話が鳴った。以下は電話によるインタビューの内容だ。
 ─大変な騒ぎになっている。今津寛介市長と表氏の間で何があったのか。
 表 なにもない。昨年9月の市長選で当選した今津市長が初登庁した際、私は「辞めさせてください」と言って正式に辞表を出した。今津市長は「これは受け取れません。引き取ってください。これからも支えてください」と言ったので、私は「辞任の時期は、市長の指示に従います」と伝えた。
しかし、現在に至るまで私の辞任時期についていろいろ言われてきた。「あいつを早くやめさせろ」とある人物が言っているという話も耳に入っていた。とはいえ、12月から予算編成がある。今津市長にとり予算編成は初めて。公約を予算に溶け込ませて、市長の実現公約に協力しなければならないという思いがあった。市長には「こういう方針で予算を組み立てますから」と伝え、1月のうちに市長も交えて全公約を点検し、実施、調査費用をつけるなど、すべてやった。
 その作業が終わった1月末、今津市長から「3月末で辞めていただきたい」と言われた。私は「わかりました。やめます」と言った。私と赤岡副市長が次の定例会に臨めば、予算は私達が通したことになり、4月1日に新しい人事でスタートするのに、予算を通した私達がそこにいないのはまずいと思った。そこで「2月中に副市長を交代させて、2月21日からの議会に新しい副市長2人とともに臨まれてはどうですか」と市長に提案した。
 市長は「わかりました。そういう方向で検討してみます」と言った。その時点では副市長が2人同時に辞めるはずだったのだが、それから赤岡さんとシミュレーションしたところ、副市長2人が同時に交代し、後任に部長を2人昇格させるとすると、空いたポストに別の人を当て、さらにそのポストに…と、最低でも10人くらいを動かす必要が出ることがわかった。2月中にそんなことをするのは無理なので、まずは私が辞めて、今津市長が自ら選んだ副市長で定例会に臨んだというスタイルを見せ、3月には赤岡さんも交代、というかたちにしてはどうかと市長に提案した。市長は『それでいきましょう』と言い、2月1日に辞表を出した。市長からは「長い間、本当にありがとうございました」と言われた。

本誌報道への批判も
 ─「不信感」「不満」を抱いているとの新聞報道もあった。
 そんなことはない。私が辞めても、2月21日からの市議会第1回定例会の冒頭で副市長などの人事案を出せば通るはず。ただ、北海道経済が繰り返した(表氏の辞任説をめぐる)報道や、私をやめさせようとする周囲の動きにはうんざりしていた。市長から言われたのは「3月末まで」だったが、そういう声もある以上、そこまでいてはダメだと思った。それが私の判断だ。
 ─年度末まで残り、議会で予算案を通すのに協力してほしいという考えも市長にはあったはず。
 いま、予算について大きな争点はなく、予算を通す通さないといった対立も、不正疑惑もない。市議会で民主(・市民連合)が今津市長の公約実現性を問いただすかもしれないが、新しい事業を組み立てたり、調査費用をつけるなどして、公約についてはすべて着手している。赤岡さんが残るわけだし、次の副市長も出てくる。市職員は優秀なので、「大黒柱が抜けて屋根が落ちる」といった状況にはならない。
 ─自身の心の中には、辞任時期はあったのか。
 常識的には年末や年度末に辞めるものだが、年末に辞める状況にはなく、3月末には辞めるつもりで、親しい数人にはそう伝えていたが、3月末にやめるとしても、その通告は3月1日でいいはず。早めの通知には「念を押されているのか」と感じた。ただ、私は市長に対してなんの恨みもない。自ら選んだ副市長と一緒に市議会に臨むのも、リーダーシップの一つの「見せ方」だと思っている。

「28日は平行線」(市長)
 本誌は表氏辞任の経緯について今津寛介市長にも取材した。市長からは以下のような説明があった。
 「私から表さんに辞任について話をしたのは1月28日の夕方。『やめていただきたい』といった表現は使っていない。『人事の件でお話があります。若輩者が恐縮ですが予算の審議を終える3月いっぱいまでという事でご理解頂き、それまでお力添えをお願いしたい。新しい旭川を創るために、このまま表さんのお力に甘え続けるわけにはいかない』とお話をさせていただいた」
 なお、副市長の交代について、今津市長は「誰かに指示されたりアドバイスされたりしたわけでなく、旭川市政の将来を考えて自分で判断したもの」と強調する。
 予算を審議する市議会に新しい副市長2人とともに臨むべきとの提案が表氏からあったことを、今津市長は認めるが、その場で受け入れてはいないという。「そのような考え方は手法としてあるのは理解できなくはないが、大幅な人事になり、コロナ禍で現実的には難しいと思ったので、私はあくまでも3月まで何とかお力をお借りしたいという考えを伝えた。28日の話は平行線のまま終わったと認識している」
 まず表氏が辞めることにしたと伝えたところ、今津市長から「長い間ありがとうございました」との言葉があったとの表氏の説明も、今津市長の認識とは異なっている。「そのようなことは言っていない。31日にお話がしたいと言ったが、翌1日の朝に時間を取ると秘書課を通じて返答があり、会えなかった」。
 ただし、今津市長が表氏に感謝の気持ちを持っているのは確かだ。「4ヵ月という僅かな期間とはいえ、ご指導いただいたことに心から感謝している。また、私自身の未熟さゆえにこのような退職の形になり大変申し訳なく思っている。表副市長の仕事ぶりを間近で拝見することができたのは私の大きな財産。直接申し上げたことだが、想いを受け継ぎ次代の旭川のためにしっかり取り組んでいきたい」
 市長の言う通り「28日の話が平行線」だったとすれば、週末をはさんで31日朝には両者の間で辞任の時期についてもう一度話し合う余地が残っていたのかもしれない。だとしても30日の道新が「表、赤岡副市長退任へ」と報道した時点で、急ぎ足の辞任は事実上確定してしまった。
 なお、後任の人選に関する質問に、今津市長は「コロナ対応の真っただ中であり、予算審議もある。議会の先生方のご理解を頂き後任の選任を進めたい」とだけ回答。具体的な人選については触れなかった。
 本誌は赤岡副市長にも取材したが、市長と表氏の28日夕方の会話の内容は、その場にいたわけではないのでわからないとのことだった。

古本屋の夢 望み薄
 1月初旬、記者は自民党系市議に、副市長交代のタイミングについての見方を尋ねた。「それは表氏本人しかわからない。実績のある人だから、この日に辞めてくださいと周囲が言うべきではない。ただ、これは私見だが、本人から3月末には辞めるというのではないか」
 表氏本人も実際、そのつもりだった。今津市長からの提案も同じ3月末。両者の考えは一致していたはずだが、打診が早かったために、辞任も早まった。いずれにせよ、今津市長は後任の副市長とともに、予算案の成立に全力を挙げるしかないが、市議会の野党会派は納得しておらず、まずは表氏の辞任に至る経緯について明確に説明するよう求めている。
 表氏への電話によるインタビューの最後に、記者はもう一つ質問した。「今から10年以上前のことだが、表さんは私に『引退したら古本屋を開いて、中国の古典を読む生活をしたい』と語ったことがある。その夢は変わっていないのか」。表氏は答えた。「本だけは売れるくらいの量があるが、体力の問題もあり、無理ではないか」。
 おそらく古本屋の夢はかなわない。電話の声を聴く限り表氏は気力十分。次の表舞台をすぐに得るだろう。

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この記事は月刊北海道経済2022年03月号に掲載されています。

学長選考会議議長が選挙活動か

 旭川医大のある教授が、公益通報制度に沿って、昨年11月に行われた学長選考についての問題行為について通報を行った模様。学長予定者に選ばれた西川祐司氏の正式就任のメドは立っていないが、西川氏を含む現在の大学執行部が対応を誤れば大学は「再スタート」でつまづきかねず、調査が行われるのかどうか、どんな結論に達するのかが注目される。(記事は2月5日現在)

最大勢力率いる
 複数の医大関係者から集めた情報を総合すれば、公益通報の対象になった行為は、学長選考会議で議長を務めている奥村利勝教授の、意向調査(投票)期間中のいわば「選挙活動」だとみられる。
 学長選考会議は大学関係者と行政や企業など学外の関係者からなる組織で、最も重要な役割は新しい学長の選出。現役の学長が不正行為や学長として不適切な行為を行った場合には、文科省に解任を申し出るというもう一つの重要な役割もある。
 選出に向けた手続きの正当性を担保するため、学長選考会議に中立公正であることが求められるのは言うまでもない。野球の審判がどちらかのチームをひいきすればゲームは成立せず、議員や首長の選挙で選挙管理員会が特定の人物に投票するよう呼びかければ、公正な選挙など不可能だ。こうした中立を破っても許されるのは、圧政国家におけるうわべだけの民主選挙か、昭和の女子プロレスの「悪徳レフェリー」くらいのものだろう。
 旭川医大では、副学長の西川祐司氏が学長選考会議の議長を務めており、吉田晃敏学長の職務を停止し、辞任届を出した吉田氏の解任申し出に向けた動きの中で中心的な役割を果たした。その後、西川氏が自ら後任の学長に名乗りを上げ、議長を辞任したのは当たり前の話。選考する側と選考される側を兼ねることはできないからだ。後任として学長選考会議の議長に選ばれたのが、奥村氏だった。
 奥村氏は内科学講座(病態代謝・消化器・血液腫瘍制御内科学分野)の教授。昔なら第三内科と呼ばれた領域のトップだ。吉田時代に進められた講座の再編の結果、「病態代謝・消化器・血液腫瘍制御内科学分野」は旭川医大の最大勢力となっている。
 学長選考に向けた投票が行われたのは昨年11月15日のことで、8~12日には不在者投票の期間も設けられた。その前から本誌には医大関係者から、奥村教授が「西川氏への投票を呼び掛けている」との情報が寄せられていた。このため本誌は旭川医大事務局を通じて以下の質問を送付した。
 「本誌には、奥村教授が学長選考会議委員を務めながら、内科系教職員からの集票を目指して活動を行っているとの情報が寄せられているが、学長選考会議の中立性の観点からみて問題があるのではないか」
 11月9日、事務局から回答があった。
「奥村教授へのご質問については、ご質問の前提の事実は確認できませんでした」
 11月15日の記者会見で奥村氏が議長として発表した投票結果は、165票を西川氏が獲得。151票の山本明美教授、45票の長谷部直幸名誉教授を上回って1位となった。投票結果判明後の学長選考会議では一部の出席者から、西川氏と山本氏の差が小さいことから決選投票を行うべきではないかとの意見も出たが、これは採用されず、投票の結果に沿って西川氏が学長予定者に決定した、と奥村氏は淡々と説明した。
 いまも学内の一部には、決選投票が行われなかったのはおかしいという声がある。しかし、決選投票しなければならないとの明確なルールはなく、学長選考会議の決定を誤りだと断定することはできない。また、「誰と誰が旭川医大の同期だから」といった癒着を指摘する声もあるが、旭川医大は規模が小さく、現在の大学幹部は多かれ少なかれ個人的なつながりで結ばれており、こうした関係を問題視することにも無理がある。
 が、学長選考会議のトップが中立を守っていなかったとすれば、まったく別次元の話だ。

有力証拠出るのか
 旭川医大の公益通報制度とは、どんなしくみなのだろうか。「国立大学法人旭川医科大学公益通報者保護規程」によれば、「公益通報者保護法に則り、本学に対する本学職員からの組織的又は個人的な法令違反行為等の事実が生じ、又は生じようとしている旨の通報若しくは相談に関する適正な処理の仕組みを定めることにより、不正行為の早期発見と是正を図るとともに、通報者又は相談者を保護することを目的とする」とある。通報者は問題の行為が組織的又は個人的な法令違反行為に該当すると考えているということだろう。
 この規程は、学長が予備調査を行って調査を実施するかどうか決定し、調査する場合には副学長のうち1人、教授から3人、事務局から1人などからなる調査委員会を設置すること、公益通報等がされた事項に関して協力を求められた者は、当該調査に協力しなければならないことなどが盛り込まれている。
 規程が定める調査委のメンバーを見れば、公益通報を受けて、松野丈夫学長職務職務代理や事務局が徹底的な調査に乗り出すとは考えにくい。が、公益通報に具体的な内容や証拠が含まれていれば、あるいは証言者が現れれば、調査委もなにもしないわけにはいかないのではないか。

西川学長就任はいつ?
 1月中旬、医大関係者から「公益通報が行われたらしい」との情報をつかんだ本誌は、通報者である可能性が高い教授に取材を申し込んだが、取材には応えられられないとだけ連絡があった。なお、誤解を避けるため記しておくが、本誌が通報者だと考えている人物は、学長選に立候補した長谷部名誉教授、山本教授ではない。
 1月下旬に本誌が取材した医大関係者は「奥村教授が学長選考会議議長でありながら西川氏への投票を呼び掛けているという話は、私も聞いていた。前回、投票で学長が選ばれたのは2007年(この時は吉田氏が初めて学長に選ばれた)。当時の学長選考会議は完全な中立を守ったと記憶している」と語る。
 組織である以上、新しい学長を選ぶ際に医局が投票権を持つ個々の教員の自主的な判断に完全に任せるとは考えにくい。医局トップが特定の人物を応援したとしても、批判はされないはずだ。しかし、学長選考という重要な手続きを進める立場にあった人物が、仮に、自らの指揮下にある人物に誰に投票すべきかを指示したり、集票活動に関わったりしたとすれば、学長選考の結果に一部の医大関係者が強い疑念を抱くのもやむを得ないのではないか。また、こうした疑念は本誌が1月号で紹介した投票直前に学内でまかれた怪文書や、教授会での「火のないところに煙は立たず」とのヤジに象徴される姿勢によって一段と深まっている。
 また本誌には、今回公益通報を行った可能性が高い教授が最近の教授会で一連の問題を指摘したところ、逆に激しい批判にさらされてしまい、大学の正常化のためには最後の手段を選ぶしかないと覚悟を決めて通報に至ったようだとの情報も寄せられている。
 「学長予定者」に選ばれてから3ヵ月近くが経っても、西川氏の肩書からは「予定者」が取れない。吉田氏の扱いを文部科学省が決めかねている現状では、そのメドも立たない(「日大理事長をめぐる騒動に忙殺されている文科省には、田舎の小さな医大にかまっているヒマなどないだろう」との見方もある)。
 が、調査の争点は吉田氏の自発的辞任を認めるか、解任するかであり、西川氏の学長就任は時間の問題だ。コロナへの対応以外にも、研究レベルの引き上げ、空席だらけとなっている教授の選考、予算の獲得など課題が山積している西川体制だが、公益通報への対応を間違えれば、もう一つ大きな課題を抱え込むことになる。

表紙2203
この記事は月刊北海道経済2022年03月号に掲載されています。

売上高ランキングで見る道北経済30年の盛衰

 高速道路(道央道)が北へ延伸され旭川鷹栖までつながって30年余り。期待された経済効果は小さく、逆に高速道路の負の作用「ストロー効果」で道北経済ははかり知れないダメージを受けた。30年前の本誌に掲載された「1991年道北企業売上高ランキング」の上位20社は次ページのとおりだが、流通激変で統合・合併、経営破綻が続き、この30年の間に実に20社中11社が経済界から退場した。いま直面する問題は人口減と少子高齢化。今後10年、20年を生き残るには企業の変革が必要だ。

卸し業退場
 91年の道北地区企業売上高トップは医薬品卸しのモロオだった。この年、初めてキョクイチ(当時の社名は旭一旭川地方卸売市場)を抜き1位となった。計上売上高は725億円。医療業界全般の伸びに伴い前年売上高を大幅に増額させた。
 その後もしばらくの間キョクイチとのトップ争いが続くが、86年に札幌中央店、88年に大谷地物流センターを開設し営業エリアを道央圏中心にシフト。2000年代に入ると札幌に本社機能を移し、創業の地旭川のオフィスは営業所となった。
 売上高3位、食品卸しの杉野商事もモロオと同様、88年にドライ物流の拠点を江別に開設した後、最大の仕入れ先であった雪印乳業の合併提案を受け入れ杉野雪印アクセスとなり、その後社名を日本アクセス北海道に変更した。
 20位までのランキングには入っていないが、旭川本社の眞鍋薬品もまた、道内医薬品卸し5社合併で誕生したパレオに参画した。
 個人営業からスタートし、道北・道東をカバーする社歴の長い優良な卸し業者は旭川に数多くあったが、90年代から2000年代にかけて本社機能移転、あるいは吸収・合併で次々に道北経済界から退場していったのだった。
 卸業退場の一番の要因は高速道路の延伸だ。

ストロー効果
 90年10月、高速道路が2車線で旭川鷹栖までつながった。その後4車線化工事が行われ2003年に全線4車線となった。
 経済界や市民からは「物の流れが一層、盛んになる。旭川は名実ともに道北の物流基地となる」「農業と観光を結びつけた街づくりを」と経済振興への期待を込めた意見が多数出た。一方で、「大手の進出、競争激化、顧客流出によって小売業を主に競争激化時代が始まる」との厳しい見方をする経済人もいた。
 結果は、「高速道路のストロー効果」により流通が激変し、卸売り業は再編の嵐、小売は大競争時代を迎えることとなった。
 ストロー効果とは高速道路の負の要素。開通によって、大都市圏(札幌圏)に直結する便利なアクセス手段を持つことで農産物などをすばやく輸送できるようになり、また企業誘致もしやすくなる反面、高速道路がストローのような役割を果たし、旭川の消費を札幌圏が吸い上げるというものだ。
 道央道整備が進んだ80年代後半(昭和時代末)から流通激変は始まっていたが、旭川鷹栖延伸以降、ストロー効果が働き、戦後培ってきた旭川の問屋機能─旭川にストックを確保し地方に商品を卸すシステム─そのものが必要でなくなった。
 薬品、食品を襲った荒波は繊維卸しにも波及し、16位、売上高150億円の東栄は2003年に民事再生法を申請。その2年後には松岡繊維が経営破たんし繊維卸しの凋落を印象付けた。

勝ち組合併
 小売業界でも淘汰・再編の嵐が吹き荒れる。業界激変を象徴するのが、ランキング8位の食品スーパー三島の破綻。士別、名寄地区で地盤を固め、旭川と北見に進出し業績を伸ばしたが、スーパーふじとの激しい商戦に破れ転落。店舗拡大を急ぎすぎたことが破綻の主因だが、90年代に入って大きく変貌した小売業の環境に三島が対応できなったことも業績を急速に悪化させた。
 旭川永山パワーズが代表するように、90年代以降、小売業が複合的にショッピングゾーンを形成するようになっていった。三島の地元である士別にはマックスバリュー、ツルハ、ホーマックの強力なゾーンが誕生した。
 三島が旭川で展開していた店舗は、スーパーラルズが引き継ぎ、そのラルズはアークスに商号変更し道内各地のスーパーを次々と傘下に収め、2004年にはスーパーふじも子会社となった。その後、ふじを存続会社として道北アークスが誕生。
 近年、キョクイチと売上高ランキングでしのぎを削り昨年も2位につけている道北アークスは勝ち組合併企業だ。ここ数年、売上高トップの日専連旭川も、大が小を飲み込む吸収合併の荒波を乗り越えた信販会社。


 30年でランキング上位の顔ぶれはガラリと変わった。流通変革で始まり、近年は人口減と少子高齢化が企業経営の壁となっている。
 30年前のトップ企業の売上高は725億円、20位で135億円。対して昨年トップは482億円、20位73億円。3割以上減額している。旭川を中心とする道北経済圏はそれだけ縮小したともいえる。
 アフターコロナを見据えて2022年以降の経済予測は楽観的なものも多いが、人口減から市場は縮小しており、道北企業の試練は続きそうだ。

表紙2202
この記事は月刊北海道経済2022年02月号に掲載されています。

旭川市廃棄物処分場 応募ゼロの背景

 2030年3月までに閉鎖されるごみ最終処分場(江丹別芳野)の移転・新設計画を進めている旭川市は、昨年10月11日から次期候補地の公募を行っていたが、締め切りの12月29日までに応募はなく、改めて市が独自に選定する作業に入っている。応募に意欲的だった西神楽地区も「もうしばらく様子を見る」との判断で応募を取りやめたが、その背景にはさらに壮大な地元の構想もあるようだ。

なぜ応募が一件もなかったのか?
 市が当初建設を予定していたコンパクトな覆蓋型(屋根付き)の埋め立て施設は、可燃ごみ焼却施設「近文清掃工場」の建て直しを断念して延命化策に切り替えたことから、焼却量の増加に伴う埋め立て量の減少が見込めなくなったため、より多くの容量を処理できるオープン型に変更せざるを得なくなった。

美瑛町にある「しらかば清掃センター」
 このため、候補地には予定の4倍の広さが必要となり、市は改めて建設予定地の選定をしなければならなくなった。そのために全国的にも例が少ない公募という形をとることになったのだが、結果は応募ゼロ。市にとって想定内だったのか想定外だったのかはなんとも言えないが、年明けから、2月上旬の候補地絞り込みを目標に粛々と選定作業に入っている。
 昨年、市が「一般廃棄物最終処分場建設候補地を募集しています」として市民に呼び掛けたチラシによると、応募できるのは①応募地の土地所有者②応募地の位置する市民委員会または町内会の長のどちらかに該当する人。
 そして応募の際には①旭川市内の土地②10万平方㍍(10㌶)から20万平方㍍(20㌶)③市街化区域以外に位置する土地④各種規制を受けていない土地⑤新処分場として土地利用及び売却することについて、土地所有者の同意またはその見込みがあること⑥応募の意向について、応募地の位置する市民委員会及び町内会に伝えていること─などの要件を満たしていることとしていた。
 この公募に踏み切る前、市内では西神楽地区のまちづくりに取り組むNPO法人が「ぜひ西神楽を最終処分場の候補地に」と市に要望書を提出する動きがあった。正式に公募することが決まった段階でも当然、名乗りを上げるものとみられていたが、なぜか応募には至らなかった。
 詳しい経緯はわからないが、市民委員会などから「もう少し様子を見よう」という声が上がり、とりあえず今回の公募には応じないことにしたようだ。同じく、隣接する神居地区でも応募の動きはあったが、こちらも今回は見合わせたようだ。

表紙2202
この続きは月刊北海道経済2022年02月号でお読み下さい。