今津vs笠木 保革伯仲の旭川市長選

 保革が拮抗する旭川の選挙情勢が、慌ただしくなってきた。現職市長の西川将人(52)氏の国政転出に伴う繰り上げ市長選では、後継笠木薫(64)元旭川市議会議長・前道議と、元衆院議員秘書の今津寛介氏(44)による一騎打ちの公算が濃厚だ。秋までに行われる衆院選からの玉突きで、市長選、道議補選、市議補選へと連なる前代未聞の「四重選挙」。その第一弾選挙が市長選で、笠木が「旭商OB3代目市長」誕生となるか。新生・自公で今津の保守市政奪還が実現するのか。(文中敬称略)

日本一「緑の回廊」構想
 「政治は動いている。しかも、生き物」。立憲民主党北海道第6区総支部の旭川ブロック定期大会(8月2日)の終了後、旭川市長選対策本部発足総会で支部代表を務める佐々木隆博衆議が語った。事に臨み、千変万化する政治情勢を実感を込めて、こう形容。西川の後継になることを決断した笠木薫に謝辞を送り、「現時点で最良最強の候補を選定した自負があり、新たなリーダーとして政治空白をつくることなく行政の長になってほしい」とも述べた。

笠木氏(左)と今津氏
 これを受け、勝負ネクタイを身につけた笠木は、「困った人を助けるのが、私の政治の原点」と襟元を正し、コロナに終止符を打ち、日常を取り戻さなければならないという気持ちの強さから出馬に至った経緯を説明した。約33万人の旭川市民には「33万通りの生き方があり、その全てが街の宝」。来年は市制施行100年の記念すべき年を迎え、攻めの市政をモットーに、旭川の新時代を切り開く。
 笠木の口癖は「旭川をいい街にしたい」。公立化される旭川大学の開学と運営、優佳良織工芸館の再活用、市立児童相談所の設置ほか、旭川空港の国際化といった西川市政が積み残した課題を継承する決意を示す。守りの市政にとどまらず、「緑の回廊・さんぽ道」と名づけた日本一の空間創造に思いをはせる。
 この「緑の回廊」とは、北海道遺産外国種見本林から旭橋まで5㌔ほどのベルト地帯を緑でつなぐチャレンジプロジェクト。見本林から愛の道(三浦綾子文学関連)、氷点通り、北彩都を経て、緑橋ななかまど通りや買物公園、さらに7条緑道から常磐公園、そして旭橋を結ぶ〝緑のシルクロード〟を構築しようというものだ。笠木は「この空間を散歩しながら、彫刻や文化に触れ心や体を癒し、地元ならではの美味しい食を味わうことができる空間を創造していきたい」。
 市役所の大胆な改革を進め、女性活躍の促進にも力を入れ、女性管理職の割合を増やし、象徴的な存在として旭川で初の女性副市長を実現させる考え。国政をめざす西川とスクラムを組み、市民目線で描く旭川の新たな未来図の合言葉は「ワンチーム旭川」。母校の旭川商業高校時代にハマったサッカーや、国鉄時代に培った「一人はみんなのために、みんなは一人のために」の精神で挑む。

政権与党と直結する政治
 これに対し、前回2018(平成30)年市長選に立候補し、現職の西川を相手に5万5302票を獲得したものの、善戦及ばず苦杯をなめたのが、今津寛介。敗戦後、ひたすら市民の声を聞くため、街頭に立つこと600回を超え、その間、「旭川を何とかしてほしい」との要望を受け止め継続中だ。
 防衛庁副長官を務めた父の今津寛元衆議、経済産業副大臣経験者の西銘恒三郎衆議(沖縄4区)の秘書をトータル20年にわたり携わってきた。地元有権者と国政をつなぐ窓口として奔走しながら、国会議員をはじめ、中央省庁、道内各首長などと直接やり取りできる人脈を築いてきたことは、大きな糧になっている。現在、まちづくり団体の一般社団法人「旭川ひとまちコミュニティ」代表理事。自民党旭川支部内の選考作業、党員投票を経て推薦候補に決まった。
 「今度こそ、保守市政を奪還させようじゃありませんか」。今津ひろすけ後援会事務所開き(7月27日)の席上、岩田谷隆会長(元旭川歯科医師会長)が支援者約250人に対し呼びかけた。公明党旭川総支部の寺島信寿支部長(道議)は「地域をつぶさに回れば回るほど今、コロナ禍で本当に政権与党と直結する政治の力が必要と実感」。さらに力を込めたのが、「旭川市が道北地域のリーダーとして新しい時代の新しいリーダーシップのため、保守市政を奪還する重要な選挙」との位置づけだ。
 経済界からの強い推薦で選対本部長に就任した荒井保明旭川商工会議所副会頭は、コロナ禍での選挙戦ならではの工夫の必要性を指摘。それでも、実効性ある方法の第一は〝お声がけ〟で「思いをしっかり伝えて下さい」と支援者らに諭すように告げた。かつて加藤礼一が西川に市長選で敗れた(2006年)際、選対の幹事長を務めた荒井の言葉には実感がにじむ。
 今津は街頭演説を通じて受けた声を市政に反映すべく、市民や専門家と話し合い政策をまとめる「旭川未来会議」の設置を公約に盛り込む。政策実現のため「国と歩調を合わせ地方創生交付金や補助金を獲得し、旭川を活性化したい」との思いからだ。国政、道政との情報共有や連携強化には、市役所内に「市政補佐官」(部課長級)を新設する考え。国や道から人材を受け入れる案も模索する。

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この続きは月刊北海道経済2021年09月号でお読み下さい。

旭川に熱波「アサヒサウナ」

 サウナをこよなく愛する市民グループ「アサヒサウナ」(桐原和弘代表)。2019年に放送され、サウナブームの火付け役になった人気TVドラマ「サ道」(テレビ東京)には、この旭川市がサウナシティとして登場し話題となった。そんな時代の追い風を受け〝サウナ道〟をブームにとどまらず、サウナ文化として確立し、温浴施設の底上げやマチおこしにまで発展させたい思いを抱くのがアサヒサウナプロジェクトだ。

「蒸し風呂の日」に発足〝旭川の下町〟活性化へ
 サウナ好きを一般公募し、サウナに関する情報を共有したり、その魅力を普及する市民グループ「アサヒサウナ」。旭川を中心に帯広、札幌のほか、東京、長野など道内外にメンバーが点在し、増加傾向にある。昨年の6月4日、語呂合わせにちなんだ「蒸し風呂の日」に発足。買物公園通りに面した十字屋ビルの屋上、十勝岳温泉郷などでフィンランド式テントサウナで「ロウリュ」(フィンランド語で「蒸気」)を体験できる期間限定イベントを随時行ってきた。

桐原代表(右)と田中さん
 イベントでは「#ソラトサウナ」と称し、テント式のサウナを楽しんだり、旭川市内の寺院とのコラボ「#テラトサウナ」など、開催場所ごとに好評を得た。そんな取り組みが一つの形に結実したのが、6月に銀座商店街にオープンした「銀座サウナ」(3条通14丁目)。空き店舗を活用しマチおこしも兼ねた試みで、施設整備費はクラウドファンディングを通じて集まった金額(325万円)で賄った。
 その運営を担うのが、アサヒサウナのメンバー、田中朗嗣さんだ。7月に行われた北海道を元気にする粋な男子「エゾメン」を発掘するイベントの「エゾメンコンテスト」ヤング部門のグランプリ受賞者。アサヒサウナとしては銀座サウナを起点とし、銀座商店街だけでなく、周辺の高砂酒造や、旭川ラーメンの元祖ともされる蜂屋などの老舗、高架下の四条駅界隈などレトロで魅力的な場所が近隣に点在することから、これらを〝旭川の下町〟ととらえ、エリア一帯の活性化も目指している。
 田中さんは元々、八条プレジャー(昨年廃業)の常連だったが、馴染みの温浴施設への喪失感は大きく、その思いが銀座サウナ誕生の原動力にもなった。ドラマの「サ道」からは、「サウナと水風呂に繰り返し入るだけではなく、途中で休憩することで、よりサウナを楽しめることも知った」と実感を込める。「目標としているところは、サウナというキーワードを通じて好きな人はもちろん、サウナに興味がない人に向けて熱波を送りたい」。熱波師(日本サウナ熱波アウフグース協会公認)の資格も持ち、一過性で飽きられてしまいがちなブームに終わらせず日常の中に溶け込み定着する文化として、サウナ道の追求に意欲を燃やす。

旭山動物園にラーメン、これにサウナどころ?
 そんな熱波師のそばで、サウナ道の奥義を語ったのが、アサヒサウナ代表の桐原さんだ。「水風呂が苦手な方は多いですが、サウナで芯まで温めた後に水風呂に入ると、温度の膜が生成されて意外に入れますよ。たとえるなら〝水の羽衣〟を着たかのような感覚。これが出来れば、『ととのう』(神経が研ぎ澄まされた状態)は、すぐそこに。ストレスから解放され、頭がすっきりしますよ」。
 そもそも、桐原さんがサウナ道に開眼したのが、「ととのえ親方」と呼ばれサウナタレントとして名をはせるサウナ好きとの出会いから。桐原さんは元々水風呂も苦手だったが、ととのえ親方からサウナの入り方を伝授され、「こんな気持ち良くいいものがあるなら、この魅力を広げたい」と一念発起。アサヒサウナを設立することになった。
 昨年10月にはサウナ行脚とばかりに田中さんと5泊6日の日程で1都5県(東京、埼玉、千葉、神奈川、静岡、愛知)にまたがる名物施設めぐりを決行。途中〝サウナ界のゴッドファーザー〟が造る施設などをめぐりながら、サウナ親交を深めた。サウナ通の間では、サウナに目覚めるきっかけとなった最初の施設のことを「産湯」といった表現を用いているが、田中さんにとってサウナ行脚は、産湯の連続体験になったという。
 ちなみに、札幌には〝北の絶対王者〟とサウナーの間で呼ばれる名物サウナがあるそうだ。それぞれ熟練の熱波師が客のリクエストに応じ、「1、2、サウナー!」とタオルを使って」熱波を送る。
追加の〝おかわり熱波〟も、サウナーにとっては無上の一撃。その後の水風呂で体感する水の羽衣は、やがて「天使の羽衣」へとサウナーの間で称される至福の装備になる。
 血行がよくなり、全身に酸素と栄養が行き渡り、身体の細胞を元気づける日本由来の温泉とフィンランドが由来のサウナ。こうした至福のひとときを桐原さんは「ヒュッゲ」(デンマーク語で「自分を見つめ直す時間」)ともとらえ、観光面で「旭山動物園にラーメン、これにサウナを加え、認知をはかるための取り組みを進めていきたい」と語る。
 リラックスした状態で仲間と語り合うことも、サウナの楽しみ。フィンランド式のサウナハットをかぶり、サウナマットをお尻に敷き「ととのう」気分を満喫してみるのも、サウナどころならではの味わいだ。十勝岳温泉郷の白銀荘は〝北の聖地〟。旭岳や層雲峡の伸びしろも大で、アサヒサウナは旭川の温浴施設をめぐるサウナパスポートを近く作成する見通しだという。

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この記事は月刊北海道経済2021年09月号に掲載されています。

仰天情報 「北大が旭川医大を吸収」

 テレビや週刊誌でも盛んに報道された旭川医大の騒動。しかし全国的にみれば、すべての大学が直面するより深刻な問題は資金の不足。少子化のために学生の確保もままならず、私学に続いて国公立でも統合の動きが加速している。そんな中、「文部科学省には旭川医科大学の立て直しを図るつもりなどなく、北海道大学との統合を画策している」との驚きの情報が本誌にもたらされた。俄かには信じがたい内容だが、ある旭川医大関係者も「かなり前のことだが、確かに耳にしたことがある」と証言する。

「予算増やしてやる」
 本誌前号に掲載した記事「吉田学長支えた陰の実力者 太田貢学長政策推進室長の果たした役割」に関し、国立大学の事情に詳しいとみられる人物からの投書が本誌に寄せられた。その要点を紹介しよう。

  • 当該記事の結論に「旭川医大の立て直しは難しい仕事になりそう」と書かれているが、ピントがずれている。文科省は立て直しなどまったく考えていない。旭川医大は取り潰しあるのみ。
  • いまや国の金庫は空っぽ。国立大学のうち「雑魚」は統合・縮小・廃止。道内の国立大学のうち小樽商大、帯広畜産大、北見工大が集まって北海道国立大学機構となったのも文科省が「統合すれば予算を増やしてやる」との甘言を弄した結果。
  • 文科省が国際競争力を強化しようとしているのは旧帝大など指定国立大だけ。前総長をめぐるイザコザのため北大は蚊帳の外。文科省は指定をエサに旭川医大の吸収・合併を働きかけていくはず。
  • 旭川医大病院は「北大第2病院」となり、教育・研究機能は縮小・廃止されるだろう─。

 旭川医大が北大に吸収されるという、にわかには信じがたい話だが、本誌が取材した医大関係者は、淡々と次のように語った。
 「そういった話を私も聞いたことがある。八竹学長の時代だった。北大に吸収されるのを阻止しようと立ち上がり、八竹学長の再選を阻止したのが吉田学長。経営を立て直し、資金集めでも実績を上げた吉田学長の在任中は文科省としても統合を強いる理由がなかったが、今後、再び同様の要求を突き付けられる可能性がある」

残りわずか3校
 国立大学はいくつかの種類に分類できる。旭川医科大学は1970年代に全国各地で発足した「新設医科大学」のひとつだ。国立の新設医科大学は旭川医大を含めて17大学(既存大学の医学部として設置されたものを含む)。このうち単科の医科大学として現在も存続しているのは旭川のほか、浜松と滋賀の各医科大学だけだ。島根医科大学は島根医大医学部、山梨医大は山梨大学医学部になるなど、すでに多くが他の大学に吸収されてしまった。
 注目すべきはこのうち、浜松医大の動きだ。浜松医大は2019年に同じ県内にある国立静岡大学と統合に向けた合意書を交わした。浜松市と静岡市は約70㌔離れているが、静岡大学は静岡市内だけでなく、浜松市内にもキャンパス(2学部)を置いており、もともと統合が容易な状況にあった。構想によれば、静岡市内のキャンパスをひとつの大学に、浜松医大と静岡大学浜松キャンパスを別の大学にまとめ、2大学がひとつの国立大学法人に所するかたちに再編し、2021年の新法人発足、22年からの学生募集を予定していた。ところが静岡大学静岡キャンパスを中心に反対論が強まり、再編の延期が今年4月に発表されている。
 この再編が実現すれば、残る国立新設医科大学は旭川医大と滋賀医大の2校だけということになる。その滋賀医大についても、過去に滋賀大学、京都教育大学、京都工芸繊維大学との統合が検討されたことがあり、今後の状況次第では再編論が活発になりかねない。つまり、単科・国立の新設医科大学というジャンルの存在意義が問われているのだ。

国内では多くの前例
 道内の状況はどうか。医科大学について再編の動きはないが、冒頭に紹介した投書にもあったように、小樽商大・帯広畜大・北見工大が経営を統合し、国立大学法人北海道国立大学機構が2022年4月1日に発足することになった。機構本部は帯広に置かれる。これらの大学は少子高齢化などの社会変化に対応した統合の検討を2018年から続けており、それがようやく形になった。なお、この機構の初代理事長は公募で選ばれ、3大学の学長が理事として経営に参加する。今年の10月ごろには理事長が発表される見通しだ。
 こうした改革の狙いは、経営統合による効率化で、財源を研究・教育に重点配分することにある。しかし北海道は広大なだけに、3つのキャンパスの間で教員・学生が移動するのが難しい。同機構ではネットを使った遠隔教育にも力を入れる予定だ。
 3つの国立大学による経営統合はこれが全国で初めてのケースとなる。道内の国立大学では他に統合の前例はないが、実は全国的にみれば、そう珍しいことではない。2002年から翌年にかけて単科の医科大学が多数、同じ都道府県にある国立大学に統合されたのに続き、2003年には九州芸術工科大学が九州大学に統合され、東京商船大と東京水産大が統合して東京海洋大が誕生、07年には大阪外国語大学が大阪大学に統合されている。2020年4月には国立大学法人東海国立大学機構が発足して、名古屋大学と岐阜大学の統合が実現した。

市民には影響なし
 少子高齢化に対応して、私大についてはさらに多くの再編のケースがあり、今年は大阪医科大学と大阪薬科大学が統合して大阪医科薬科大学になった。来年は兵庫医療大学が兵庫医科大学に吸収されることになっている。少子化と国の教育予算の減少という大きな流れのなかで、大学の統合が時代のトレンドになっているというわけだ。旭川医大だけがこうした時代環境の外で安穏としているわけにはいかない。
 仮に旭川医大が北大に統合されれば、状況はどう変化するのだろうか。一般市民の立場から言えば、「第2病院」などのかたちで大学病院がここに残る限り、大きな違いはないはず。旭川医大から医師の派遣を受けている道北・道東一円の医療機関やその患者にとっても事情は同じだが、地元の受験生にとっては医学部進学のハードルが上がるかもしれない。一方、旭川医大に勤務する医師や研究者にとっては一大事となる。
 旭川医大と北大医学部の研究分野はほぼ重複しており、よほど独創性のあるものではければ統合後に並存するとは考えにくい。ポストは減らされ、研究職を得るのがいま以上に難しくなる。管理部門も札幌に統合される。文科省の最大の狙いは、まさにこうした大学間の統合を通じたコスト削減にある。
 もちろん、新しい旭川医大の学長が強力なリーダーシップで大学を立て直し、十分な研究資金を獲得できれば、これまでと同様、独力で存続することも可能なはずだ。
 なお、北大でパワハラを理由に解任された前学長の後任として昨年10月に就任した寳金清博総長は医学部出身。他学部出身の総長より医学部や大学病院の状況に詳しい。文科省から見ればいまが北大と旭川医大の統合を推進する好機ということになる。

次の学長は誰に?
 8月3日、旭川医大で学長選考会議の西川祐司議長が、集まった記者たちに対して学長選考規程を変更し、学長の任期を最長6年(1期4年プラス再選2年)、つまり以前の内容に戻すことを明らかにした。同時に西川氏は今後のスケジュールについて、8月12日に新学長の募集を公示、10人以上の推薦者を集めた人について9月13、14日に申し込みを受け付け、大学関係者に対する意向調査を経て、11月中には新しい学長が決まるとの見通しを示した。
 新学長にふさわしい人物として、西川氏(教授)や、今年3月末に病院長の任期が切れたあとも旭川市内に残っている古川博之名誉教授(前病院長)、長谷部直幸特任教授など複数の人物の名が取りざたされているが、具体的な動きは見えてこない。
 コンプライアンスの観点から言って、吉田学長が大学トップのイスにこれ以上座り続けることは不可能だった。しかし、吉田学長が文部省からの統合要求を押しとどめる役割を担っていたとすれば、新しい学長には、ガバナンスの立て直し、研究や教育のレベルアップ、研究資金の獲得に加えて、統合の構想を再浮上させないだけの実績を示す手腕が求められることになる。

表紙2109
この記事は月刊北海道経済2021年09月号に掲載されています。