転作交付金見直し 上川農業大打撃!

 昨年12月に農水省が方針を示したコメの転作助成金の見直し、厳格化で、北海道の農家が大慌てしている。とりわけ米どころ上川、空知では影響が大きく、農業関係者は将来への不安を隠しきれない。これまで年間2~300万円はあったとされる交付金がゼロになる可能性もあり、農業経営を極端に圧迫するばかりか、「究極的には農協の死活問題にも発展してく」と指摘する人もいる。いったい何がどうなっていくというのか─。

交付金の〝厳格化〟 つまるところ削減
 50年ほど前から始まったコメの生産調整は、初めはもっぱら稲作を休む「休耕」だったが、その後、コメ以外のものをつくる「転作」に重点が置かれるようになり、かつて田んぼだったところは畑となり、主に麦や大豆、飼料用作物、野菜などがつくられるようになっている。
 「転作」に伴う国からの助成は手厚く、さまざまな制度が設けられているが、その中でも代表的なのが「水田活用の直接支払交付金」(通称・水活)である。農業関係者以外は耳にする機会も少ない制度だが、高齢化する稲作農家にとっては農地を維持するための命綱のようなものでもあった。
 ところがこの「水活」の内容が来年度から大きく見直される方針が農林水産省から示されている。転作でつくる作物によって見直し幅は違ってくるが、一番深刻な打撃を受けるのが牧草をつくっている農家だという。農水省は、交付金の支払い条件を厳格化すると言っているが、厳格化とは交付金の削減を意味する。
 酪農業が多い北海道では飼料用作物である牧草の需要が多い。このため、コメからの転作を迫られた農家では、野菜類より比較的手軽に作れて販売先も安定している牧草づくりを始めた。稲作が主流の上川、空知管内では特にこうしたケースが多いのだという。

3万5000円がたったの1万円に
 では、転作農家の収入のよりどころとなっていた「水活」がどう厳格化されるというのか。農水省の案や各種報道によると、これまでは「水張りができない農地(あぜや用水路がない農地)は交付金の対象外」とされていた取り決めに、「今後5年間に一度も水張りが行われない農地は交付対象水田としない」という明確な条件が加えられる。
 「水張り」とは水稲の作付けを行うこと、つまりコメをつくるということなのだが、これから5年の間に〝水田〟で一度もコメをつくらなければ交付金は一切出さないということである。これまでも同様の趣旨ではあったが厳格なものではなく、あぜや用水路がなくなっていても牧草をつくってさえいれば交付金を受け取ることができた。ある種の温情的な〝見逃し〟だったのだろうが、明文化されてしまうとこれからはそういうわけにいかなくなる。
 実際、牧草をつくるようになってから必要のないあぜを取り壊したり用水路を使わなくなった農家は結構な数に及んでいるようだ。こうした農家にとっては、いまさらコメをつくれと言われても簡単に対応できるものではない。あぜや用水路が残っていたとしても、これまで牧草だけつくっていた農家にしてみれば、機械や設備も不十分で、コメづくりは容易なことではない。
 さらに、厳格化される「水活」では、牧草そのものがターゲットにされている。これまでは、毎年種をまかずとも5年~10年は収穫できていた再生能力の強い多年生牧草の場合、収穫さえしていれば交付金が出ていたが、これが「種をまかない年は単価を見直す」と変わってしまう。
 牧草の単価、つまり農家に入るお金は種をまいてもまかなくとも10アール(1反・300坪)あたり3万5000円だったが、これが、種をまかずに収穫だけする年は1万円と極端に下がってしまう。
 これまで3万5000円だったものがたったの1万円に。農地の規模によって違うが、多年生牧草をつくってきた農家にとって、この影響は限りなく大きい。

いまさら言われても手の打ちようがない

 農家の事情に詳しい人たちに話を聞くとこぞって、上川農業界の先行きを危ぶむ声が聞こえてくる。「5年に1度はコメをつくる、牧草は種をまかなければダメといっても、できる農家とできない農家が出てくる。できない農家は農業をやめなければならない」というのである。拾い集めた声を紹介すると……。
 「広い水田を持っていて水稲と転作作物をつくっているところは、ブロックを変えていくことで5年に1度はコメをつくるという条件をクリアできるだろうが、水稲を一切やめ、もっぱら転作作物をつくっているところは大変だ。しかもあぜも壊し、用水路もなくなっているところは手の打ちようもない」
 「牧草で3万5000円もらっていたのが1万円になると、とてもやっていけるものではない。3万5000円と言っても、種や肥料の仕入れ、刈り取り、土地改良区の賦課金(水利権)、農協の賦課金などの経費を払っていたら1万5000円くらいしか残らない。どうしても反(10アール)あたり2万円の経費はかかるのにそれが1万円となると、農家をやめるしかない」
 「稲作も転作もやらないとなると水田は荒れ、使い物にならなくなる。いざ売ろうとしても買ってくれるところもなく、たとえ売れたとしても安い値段しかつかない。農地の格が下がるわけで資産価値の問題も出てくる。農地を担保に取っている農協だって苦しくなるだろう。上川地域の中でも塩狩峠を越えた宗谷沿線は特に大変だと思う」誰に話を向けても、聞こえてくるのは嘆き節ばかりだ。

「見直し」を見直すことはできないのか
 そもそもこの転作交付金の見直しが政府案として出てきたのは昨年12月。農水大臣が国会で答弁したり、記者会見で「見直し」を言明している。ある農家の人は「政府内では昨年夏ごろから考えられていたことのようだが、われわれが知ったのは12月に入ってから。しかも今年から見直しが始まるという。一方的なうえに話が急すぎる」と戸惑いと怒りをあらわにする。
 今は、各地の農協で組合員との営農懇談会が開かれているところだが、農家が質問しても農協は何も答えられない状況のようだ。それもそのはず農協だって寝耳に水のような話なのである。
 国がすでに決めたこととはいえ、見直しをさらに見直すことはできないのか。問題の大きさに比べ、なぜか農業関係者の動きは鈍いような気がする。

表紙2203
この記事は月刊北海道経済2022年03月号に掲載されています。

副市長辞任の表氏「公約実現の道筋付けた」

 道新が「表、赤岡副市長退任へ」と伝えたのは1月30日の朝刊紙面でのこと。13年間にわたり副市長を務めた表憲章氏からは2月1日付けの退職届が提出され、そのまま市役所に姿を見せなくなった。予算案の編成は終わったが、市議会での審議はこれからというタイミングの辞任に衝撃が走った。花束贈呈も引き継ぎもない異例の状況だが、本人は本誌の電話取材に対し、辞任に至る経緯を粛々と説明する。

今津市長も「わかりました」
 2月1日以降、記者は詳しい経緯を聞くために表氏にくり返し連絡したが、反応はなし。表氏に近い人物には「しばらく誰の電話にも出ないのではないか」と言われたが、2月3日、記者の携帯電話が鳴った。以下は電話によるインタビューの内容だ。
 ─大変な騒ぎになっている。今津寛介市長と表氏の間で何があったのか。
 表 なにもない。昨年9月の市長選で当選した今津市長が初登庁した際、私は「辞めさせてください」と言って正式に辞表を出した。今津市長は「これは受け取れません。引き取ってください。これからも支えてください」と言ったので、私は「辞任の時期は、市長の指示に従います」と伝えた。
しかし、現在に至るまで私の辞任時期についていろいろ言われてきた。「あいつを早くやめさせろ」とある人物が言っているという話も耳に入っていた。とはいえ、12月から予算編成がある。今津市長にとり予算編成は初めて。公約を予算に溶け込ませて、市長の実現公約に協力しなければならないという思いがあった。市長には「こういう方針で予算を組み立てますから」と伝え、1月のうちに市長も交えて全公約を点検し、実施、調査費用をつけるなど、すべてやった。
 その作業が終わった1月末、今津市長から「3月末で辞めていただきたい」と言われた。私は「わかりました。やめます」と言った。私と赤岡副市長が次の定例会に臨めば、予算は私達が通したことになり、4月1日に新しい人事でスタートするのに、予算を通した私達がそこにいないのはまずいと思った。そこで「2月中に副市長を交代させて、2月21日からの議会に新しい副市長2人とともに臨まれてはどうですか」と市長に提案した。
 市長は「わかりました。そういう方向で検討してみます」と言った。その時点では副市長が2人同時に辞めるはずだったのだが、それから赤岡さんとシミュレーションしたところ、副市長2人が同時に交代し、後任に部長を2人昇格させるとすると、空いたポストに別の人を当て、さらにそのポストに…と、最低でも10人くらいを動かす必要が出ることがわかった。2月中にそんなことをするのは無理なので、まずは私が辞めて、今津市長が自ら選んだ副市長で定例会に臨んだというスタイルを見せ、3月には赤岡さんも交代、というかたちにしてはどうかと市長に提案した。市長は『それでいきましょう』と言い、2月1日に辞表を出した。市長からは「長い間、本当にありがとうございました」と言われた。

本誌報道への批判も
 ─「不信感」「不満」を抱いているとの新聞報道もあった。
 そんなことはない。私が辞めても、2月21日からの市議会第1回定例会の冒頭で副市長などの人事案を出せば通るはず。ただ、北海道経済が繰り返した(表氏の辞任説をめぐる)報道や、私をやめさせようとする周囲の動きにはうんざりしていた。市長から言われたのは「3月末まで」だったが、そういう声もある以上、そこまでいてはダメだと思った。それが私の判断だ。
 ─年度末まで残り、議会で予算案を通すのに協力してほしいという考えも市長にはあったはず。
 いま、予算について大きな争点はなく、予算を通す通さないといった対立も、不正疑惑もない。市議会で民主(・市民連合)が今津市長の公約実現性を問いただすかもしれないが、新しい事業を組み立てたり、調査費用をつけるなどして、公約についてはすべて着手している。赤岡さんが残るわけだし、次の副市長も出てくる。市職員は優秀なので、「大黒柱が抜けて屋根が落ちる」といった状況にはならない。
 ─自身の心の中には、辞任時期はあったのか。
 常識的には年末や年度末に辞めるものだが、年末に辞める状況にはなく、3月末には辞めるつもりで、親しい数人にはそう伝えていたが、3月末にやめるとしても、その通告は3月1日でいいはず。早めの通知には「念を押されているのか」と感じた。ただ、私は市長に対してなんの恨みもない。自ら選んだ副市長と一緒に市議会に臨むのも、リーダーシップの一つの「見せ方」だと思っている。

「28日は平行線」(市長)
 本誌は表氏辞任の経緯について今津寛介市長にも取材した。市長からは以下のような説明があった。
 「私から表さんに辞任について話をしたのは1月28日の夕方。『やめていただきたい』といった表現は使っていない。『人事の件でお話があります。若輩者が恐縮ですが予算の審議を終える3月いっぱいまでという事でご理解頂き、それまでお力添えをお願いしたい。新しい旭川を創るために、このまま表さんのお力に甘え続けるわけにはいかない』とお話をさせていただいた」
 なお、副市長の交代について、今津市長は「誰かに指示されたりアドバイスされたりしたわけでなく、旭川市政の将来を考えて自分で判断したもの」と強調する。
 予算を審議する市議会に新しい副市長2人とともに臨むべきとの提案が表氏からあったことを、今津市長は認めるが、その場で受け入れてはいないという。「そのような考え方は手法としてあるのは理解できなくはないが、大幅な人事になり、コロナ禍で現実的には難しいと思ったので、私はあくまでも3月まで何とかお力をお借りしたいという考えを伝えた。28日の話は平行線のまま終わったと認識している」
 まず表氏が辞めることにしたと伝えたところ、今津市長から「長い間ありがとうございました」との言葉があったとの表氏の説明も、今津市長の認識とは異なっている。「そのようなことは言っていない。31日にお話がしたいと言ったが、翌1日の朝に時間を取ると秘書課を通じて返答があり、会えなかった」。
 ただし、今津市長が表氏に感謝の気持ちを持っているのは確かだ。「4ヵ月という僅かな期間とはいえ、ご指導いただいたことに心から感謝している。また、私自身の未熟さゆえにこのような退職の形になり大変申し訳なく思っている。表副市長の仕事ぶりを間近で拝見することができたのは私の大きな財産。直接申し上げたことだが、想いを受け継ぎ次代の旭川のためにしっかり取り組んでいきたい」
 市長の言う通り「28日の話が平行線」だったとすれば、週末をはさんで31日朝には両者の間で辞任の時期についてもう一度話し合う余地が残っていたのかもしれない。だとしても30日の道新が「表、赤岡副市長退任へ」と報道した時点で、急ぎ足の辞任は事実上確定してしまった。
 なお、後任の人選に関する質問に、今津市長は「コロナ対応の真っただ中であり、予算審議もある。議会の先生方のご理解を頂き後任の選任を進めたい」とだけ回答。具体的な人選については触れなかった。
 本誌は赤岡副市長にも取材したが、市長と表氏の28日夕方の会話の内容は、その場にいたわけではないのでわからないとのことだった。

古本屋の夢 望み薄
 1月初旬、記者は自民党系市議に、副市長交代のタイミングについての見方を尋ねた。「それは表氏本人しかわからない。実績のある人だから、この日に辞めてくださいと周囲が言うべきではない。ただ、これは私見だが、本人から3月末には辞めるというのではないか」
 表氏本人も実際、そのつもりだった。今津市長からの提案も同じ3月末。両者の考えは一致していたはずだが、打診が早かったために、辞任も早まった。いずれにせよ、今津市長は後任の副市長とともに、予算案の成立に全力を挙げるしかないが、市議会の野党会派は納得しておらず、まずは表氏の辞任に至る経緯について明確に説明するよう求めている。
 表氏への電話によるインタビューの最後に、記者はもう一つ質問した。「今から10年以上前のことだが、表さんは私に『引退したら古本屋を開いて、中国の古典を読む生活をしたい』と語ったことがある。その夢は変わっていないのか」。表氏は答えた。「本だけは売れるくらいの量があるが、体力の問題もあり、無理ではないか」。
 おそらく古本屋の夢はかなわない。電話の声を聴く限り表氏は気力十分。次の表舞台をすぐに得るだろう。

表紙2203
この記事は月刊北海道経済2022年03月号に掲載されています。

学長選考会議議長が選挙活動か

 旭川医大のある教授が、公益通報制度に沿って、昨年11月に行われた学長選考についての問題行為について通報を行った模様。学長予定者に選ばれた西川祐司氏の正式就任のメドは立っていないが、西川氏を含む現在の大学執行部が対応を誤れば大学は「再スタート」でつまづきかねず、調査が行われるのかどうか、どんな結論に達するのかが注目される。(記事は2月5日現在)

最大勢力率いる
 複数の医大関係者から集めた情報を総合すれば、公益通報の対象になった行為は、学長選考会議で議長を務めている奥村利勝教授の、意向調査(投票)期間中のいわば「選挙活動」だとみられる。
 学長選考会議は大学関係者と行政や企業など学外の関係者からなる組織で、最も重要な役割は新しい学長の選出。現役の学長が不正行為や学長として不適切な行為を行った場合には、文科省に解任を申し出るというもう一つの重要な役割もある。
 選出に向けた手続きの正当性を担保するため、学長選考会議に中立公正であることが求められるのは言うまでもない。野球の審判がどちらかのチームをひいきすればゲームは成立せず、議員や首長の選挙で選挙管理員会が特定の人物に投票するよう呼びかければ、公正な選挙など不可能だ。こうした中立を破っても許されるのは、圧政国家におけるうわべだけの民主選挙か、昭和の女子プロレスの「悪徳レフェリー」くらいのものだろう。
 旭川医大では、副学長の西川祐司氏が学長選考会議の議長を務めており、吉田晃敏学長の職務を停止し、辞任届を出した吉田氏の解任申し出に向けた動きの中で中心的な役割を果たした。その後、西川氏が自ら後任の学長に名乗りを上げ、議長を辞任したのは当たり前の話。選考する側と選考される側を兼ねることはできないからだ。後任として学長選考会議の議長に選ばれたのが、奥村氏だった。
 奥村氏は内科学講座(病態代謝・消化器・血液腫瘍制御内科学分野)の教授。昔なら第三内科と呼ばれた領域のトップだ。吉田時代に進められた講座の再編の結果、「病態代謝・消化器・血液腫瘍制御内科学分野」は旭川医大の最大勢力となっている。
 学長選考に向けた投票が行われたのは昨年11月15日のことで、8~12日には不在者投票の期間も設けられた。その前から本誌には医大関係者から、奥村教授が「西川氏への投票を呼び掛けている」との情報が寄せられていた。このため本誌は旭川医大事務局を通じて以下の質問を送付した。
 「本誌には、奥村教授が学長選考会議委員を務めながら、内科系教職員からの集票を目指して活動を行っているとの情報が寄せられているが、学長選考会議の中立性の観点からみて問題があるのではないか」
 11月9日、事務局から回答があった。
「奥村教授へのご質問については、ご質問の前提の事実は確認できませんでした」
 11月15日の記者会見で奥村氏が議長として発表した投票結果は、165票を西川氏が獲得。151票の山本明美教授、45票の長谷部直幸名誉教授を上回って1位となった。投票結果判明後の学長選考会議では一部の出席者から、西川氏と山本氏の差が小さいことから決選投票を行うべきではないかとの意見も出たが、これは採用されず、投票の結果に沿って西川氏が学長予定者に決定した、と奥村氏は淡々と説明した。
 いまも学内の一部には、決選投票が行われなかったのはおかしいという声がある。しかし、決選投票しなければならないとの明確なルールはなく、学長選考会議の決定を誤りだと断定することはできない。また、「誰と誰が旭川医大の同期だから」といった癒着を指摘する声もあるが、旭川医大は規模が小さく、現在の大学幹部は多かれ少なかれ個人的なつながりで結ばれており、こうした関係を問題視することにも無理がある。
 が、学長選考会議のトップが中立を守っていなかったとすれば、まったく別次元の話だ。

有力証拠出るのか
 旭川医大の公益通報制度とは、どんなしくみなのだろうか。「国立大学法人旭川医科大学公益通報者保護規程」によれば、「公益通報者保護法に則り、本学に対する本学職員からの組織的又は個人的な法令違反行為等の事実が生じ、又は生じようとしている旨の通報若しくは相談に関する適正な処理の仕組みを定めることにより、不正行為の早期発見と是正を図るとともに、通報者又は相談者を保護することを目的とする」とある。通報者は問題の行為が組織的又は個人的な法令違反行為に該当すると考えているということだろう。
 この規程は、学長が予備調査を行って調査を実施するかどうか決定し、調査する場合には副学長のうち1人、教授から3人、事務局から1人などからなる調査委員会を設置すること、公益通報等がされた事項に関して協力を求められた者は、当該調査に協力しなければならないことなどが盛り込まれている。
 規程が定める調査委のメンバーを見れば、公益通報を受けて、松野丈夫学長職務職務代理や事務局が徹底的な調査に乗り出すとは考えにくい。が、公益通報に具体的な内容や証拠が含まれていれば、あるいは証言者が現れれば、調査委もなにもしないわけにはいかないのではないか。

西川学長就任はいつ?
 1月中旬、医大関係者から「公益通報が行われたらしい」との情報をつかんだ本誌は、通報者である可能性が高い教授に取材を申し込んだが、取材には応えられられないとだけ連絡があった。なお、誤解を避けるため記しておくが、本誌が通報者だと考えている人物は、学長選に立候補した長谷部名誉教授、山本教授ではない。
 1月下旬に本誌が取材した医大関係者は「奥村教授が学長選考会議議長でありながら西川氏への投票を呼び掛けているという話は、私も聞いていた。前回、投票で学長が選ばれたのは2007年(この時は吉田氏が初めて学長に選ばれた)。当時の学長選考会議は完全な中立を守ったと記憶している」と語る。
 組織である以上、新しい学長を選ぶ際に医局が投票権を持つ個々の教員の自主的な判断に完全に任せるとは考えにくい。医局トップが特定の人物を応援したとしても、批判はされないはずだ。しかし、学長選考という重要な手続きを進める立場にあった人物が、仮に、自らの指揮下にある人物に誰に投票すべきかを指示したり、集票活動に関わったりしたとすれば、学長選考の結果に一部の医大関係者が強い疑念を抱くのもやむを得ないのではないか。また、こうした疑念は本誌が1月号で紹介した投票直前に学内でまかれた怪文書や、教授会での「火のないところに煙は立たず」とのヤジに象徴される姿勢によって一段と深まっている。
 また本誌には、今回公益通報を行った可能性が高い教授が最近の教授会で一連の問題を指摘したところ、逆に激しい批判にさらされてしまい、大学の正常化のためには最後の手段を選ぶしかないと覚悟を決めて通報に至ったようだとの情報も寄せられている。
 「学長予定者」に選ばれてから3ヵ月近くが経っても、西川氏の肩書からは「予定者」が取れない。吉田氏の扱いを文部科学省が決めかねている現状では、そのメドも立たない(「日大理事長をめぐる騒動に忙殺されている文科省には、田舎の小さな医大にかまっているヒマなどないだろう」との見方もある)。
 が、調査の争点は吉田氏の自発的辞任を認めるか、解任するかであり、西川氏の学長就任は時間の問題だ。コロナへの対応以外にも、研究レベルの引き上げ、空席だらけとなっている教授の選考、予算の獲得など課題が山積している西川体制だが、公益通報への対応を間違えれば、もう一つ大きな課題を抱え込むことになる。

表紙2203
この記事は月刊北海道経済2022年03月号に掲載されています。