暖簾下ろす八条プレジャー旭鉱泉湯

 今年3月に「亀の湯」(旭川市東1の2)が62年の歴史に幕を閉じたが、同じく老舗の銭湯「八条プレジャー 旭鉱泉湯」(旭川市8の9)も創業63年で暖簾を下ろす。経営者の杉尾昇さん(83)は、悲運の名投手・スタルヒンの功績を語り継ぐ「旭川市八条スタルヒン通り会」を立ち上げるなど、街づくり、地域振興でも活動してきた。歴史ある銭湯の相次ぐ廃業は、昭和も遠くなったとの思いを抱かせる。

コロナが追い打ち
 60年代から70年代初めにかけてが銭湯の最盛期。旭川市と周辺8町のお風呂屋さんが加盟する「旭川浴場組合」の加盟数は71年に129を数えた。
 しかしその後、廃業が続いて90年には71軒にまで減り、東川、当麻、愛別、比布などでは町から銭湯が消えた。旭川市内の銭湯も減り続け、浴場組合の加盟数は50、40、30と減少していった。
 近年はしばらく20軒台をキープしたが、18年に2軒、19年夏に3軒が相次いで廃業。そして今年3月に旭川市東1の2の「亀の湯」が63年続いた暖簾を下ろし組合員は15軒となった。そして来月8月いっぱいで、旭川市8条9丁目の「八条プレジャー 旭鉱泉湯」の廃業が決まった。
 八条プレジャーは1957(昭和32)年に、北竜町の篤農家の杉尾正男さんが開業した。正男さんは浴場組合の組合長を13年余り務め、2代目で現在の経営者・杉尾昇さんも組合長を16年務めた。旭川を代表する老舗銭湯であり、親子2代で業界を支えてきた
 銭湯の廃業が続いている大きな原因は改修費負担と後継者難。「長時間労働で、それだけ働いても大きくは儲からない。水周りのトラブルはしょうちゅうあり毎月かなりの改修費がかかる。ボイラー更新となれば500万円を超える。息子に銭湯を継げとはなかなか言えない」と、多くの経営者は苦境を語る。風呂を目的にフィットネスジムに通う高齢者が増えていることも銭湯の経営を厳しくしている一つの要因。
 八条プレジャーも年々利用者が減少して経費を賄いきれなくなり、ウイルス騒動がさらに入浴客減を引き起こした。80代となり自身の健康問題もあって杉尾さんは廃業を決断したようだ。

スタルヒン通り
 銭湯経営の一方で杉尾さんは街づくりでも貢献し、2011年に「旭川市八条スタルヒン通り会」を旗揚げしている。
 日本プロ野球史上初の300勝記録を達成した元プロ野球投手ビクトル・スタルヒン投手は、旭川で少年時代を過ごした。ロシアから移り住んだ住居は8条8丁目界隈にあった。杉尾さんが中心になって立ち上げたスタルヒン会は、市に働きかけて8丁目から9丁目の間を「八条スタルヒン通り」とする名称の認定を受け、生誕100周年の2016年には多彩なイベントを開催した。
 杉尾さんは町内の先輩たちから「草野球でスタルヒンと投げ合った」といった自慢話を聞かされたそうだ。「気づけば、スタルヒンを実際に知る人がいなくなった。市民の間でもスタルヒンに対する関心が薄まってきているような印象があります。スタルヒンの存在は大きく、今一度興味を持ってもらいたい」との思いからのスタルヒン会旗揚げだった。
 八条プレジャーと経営者の杉尾さんは地域の〝核〟の存在だけに、関係者から廃業を惜しむ声は続いている。

表紙2008
この記事は月刊北海道経済2020年08月号に掲載されています。