生き残りかけ再開発に挑む銀座商店街

 郊外の大型商業施設に押され衰退している旭川市内の商店街。その中で、銀座商店街が生き残りをかけて再開発に向け動き出した。まだ再開発を支援するコーディネーターを招いた勉強会を2度行なったに過ぎないが、ほとんどの地権者は前向きな姿勢で、活力ある商店街の構築を模索している。

明治末期から栄えた老舗の商店街
 銀座商店街がある場所は、明治末期にはすでに街が形成され、1909年(明治42年)に現在、銀ビルがある場所に大黒座(後に錦座、松竹座、銀映座と改称)が建設された。18年には、市内で初となる市場、第一市場が開設され、市民の台所として親しまれてきた。都会性を強調する買物公園がある平和通商店街とは一線を画し、下町情緒を売り物として、鮮魚や青果を中心に新鮮な食材を求め、年末には買物客でごった返す。ただ、全国の商店街同様、近年は人通りが少なくなり、今では高齢者が利用者のほとんどを占める商店街となっている。
そこで、市内のある設計会社と建設業者が、同商店街の地権者を対象に全国組織の再開発コーディネーターを呼んで、今年3、5月の2度にわたり「3条・4条14丁目、15丁目周辺再開発計画勉強会」と銘打ったセミナーを開催した。3月25日に行われた1回目の勉強会には10人程度の参加だったが、地権者側からリクエストがあり、5月21日の2回目は50人余りの地権者のうち、31人が勉強会に参加する熱の入りようだった。
「すぐに再開発に取りかかるために行なったわけではないが、地権者の気持ちは前向きで、現状を何とかして変えたいという意気込みが伝わってきた」(市内のある設計会社幹部)という。

(この続きは月刊北海道経済8月号でご覧ください)

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