大町の神社存廃めぐり町内会紛糾

歴史を感じさせる大町の金刀比羅神社

 軍都としての面影を残す第2師団旭川駐屯地近くの商業・住宅地の奥まった所にひっそりとたたずむ社(やしろ)がある。この社と、併設する域内住民が集う会館の存廃をめぐり地元町内会が紛糾している。核家族化・人間関係の希薄化の進展とともに会員数が減り、町内会というシステムが大きな曲がり角を迎えていることを象徴する事案だ。廃止方針について「相談もなしに一方的」(地域住民)、「町内会は衰退の一途」(町内会役員)と意見は割れる。このままでは、この土地を守護する氏神様はたいそう居心地が悪かろう。

神社を返して会館を片づける

 旭川市大町2条10丁目にある「金刀比羅神社」は、建立から121年の歴史を刻む。長年、域内住民の氏神様として慕われ、社のある大町北鎮公園を会場に毎年9月に地域の町内会や幼稚園・小中学校・各種団体が協力し、鼓笛隊パレード、子どものど自慢、カラオケ大会、子ども相撲などを繰り広げる「金刀比羅ふれあい祭り」を催してきた。会場には飲食模擬店が軒を連ね、過ぎゆく夏を惜しむ地域の風物詩的なイベントとして親しまれている。
 大町の金刀比羅神社は、国内の多くの社がそうであるように、域内住民のコミュニティーをはぐくむ礎としてあった。現在、社と、併設された「大町北鎮会館」は大町北鎮町内会(105戸)が主体となって管理し、ふれあい祭りも核として担っている。
 コロナ禍でふれあい祭りは途絶えていたが、地域住民の多くが「今年こそは!」と考えていた矢先だった。
 今年2月、A4判15ページほどの文書が町内会員全戸にポスティングされた。言葉を失う方針が記されていた。《金刀比羅神社を上川神社にお返しし、会館を片付ける》

会員数の減少で事業をスリム化

 ポスティングされた文書の冒頭に会長のあいさつ文がある。そこには、会長の考え・思いが記されている。少々長いが一部を引用する。
 《近年よく聞く言葉に「SDGs」があります。意味は「持続可能な〇〇」とでもいうのでしょうか? 私が会長として今進めようとしていることがまさにこの「SDGs」「持続可能な町内会組織と運営」なのです》。会員数・会費収入が減少していることに加え、高齢化に伴う担い手不足の現状に鑑み、SDGsの視点から事業のスリム化を図る必要性を訴えている。
 具体的なスリム化として金刀比羅神社を上川神社に返し、隣りの会館を解体することを挙げ、《「プロの仕事(神社祭祀)はプロに任せる」そして「身の丈に合った(素人でもできる)事業に専念すべき」と考えるのです》としている。
 もってまわらずシンプルに言えば、人もいなくなったし、高齢化も進み役員を引き受ける人がいなくなったから、社の護りと会館を維持管理することはもうできないという趣旨のあいさつであった。
 全国的に町内会というシステムは曲がり角にある。それは、地方都市・旭川でも同様だ。

町内会会長 8割が66歳以上

 旭川市の公式ホームページによると、2022(令和4)年の市内の町内会数は1227で、9万9584世帯が加入している。加入率は56%にとどまる。2018(平成30)年1月にまとめた「平成29年度 旭川市町内会・自治会調査報告」によると、町内会長は98・1%が男性で、66歳以上が82・7%を占める。高齢化は顕著だ。この報告書にある町内会からの意見・提言を見るとこんな言葉が並ぶ。《会長・役員のなり手がいなく成り立たない》《町内会の存続を危ぶんでいる》《役員と会員の意識の差がありすぎる》《町内会は行政の下請けじゃない》。「会長さん、役員さんのなり手がいないため、町内会が成り立たないという声を聞きます。このため町内会として休止したり、あるいはごみステーションや街路灯の管理に限るといった事業のスリム化を図る町内会も少なくありません」(旭川市)
 核家族化が進展するとともに2005年に施行された個人情報保護法が地域社会にも浸透する中で、第三者がプライバシーに介入することに委縮する空気がコミュニティーの育成や町内会活動を難しくしている側面もあるとみられる。
 こうした社会的状況を背景に大町北鎮町内会の会長は苦渋の判断をした。だが、地域住民からは、憤りや戸惑いの声が聞こえてくる。

紅が鮮やかな鳥居

相談なしに一方的 こんなことあるか!

 「疑問の声や反対の声を発する機会もない。なんの相談もなしに一方的にこんな重大なことを決めていいのか!」。長年にわたり、地域住民の心の拠り所として護り続けてきた金刀比羅神社の返納と、住民が集う大町北鎮会館の解体・撤去を町内会役員だけの狭い合意形成で決めることに異議を唱える地域住民の憤りはおさまらない。
 布石は昨夏に打たれていた。町内会に会長名で、役員会の開催結果と書面による臨時総会の回覧板が2022年8月3日付で出されていた。内容は、7月19日に役員会を開催した協議結果を町内会全体の方針として決定したいとの趣旨で、書面による臨時総会として回覧してほしい、とあった。
 次のような中身が記されていた。▽町内会館は翌年3月をもって閉鎖し、解体撤去に向け市の補助金の活用について検討を進める▽金刀比羅神社の神殿の管理について上川神社側と相談する▽あわせて町内会の総会において協議し、最終的な意思決定を行う。
 《御質問や御意見がある場合には下記に御連絡ください。特に御意見等がなければ8月13日付で決定といたしますので、よろしくご了承願います》とあり、会長の自宅の電話番号が記されていた。
 社と会館の存廃という重大事案を回覧板で伝えたことに対しても、域内住民から〝一方的〟との不満の声が出ている。

住民の心の拠り所 大切にしていた社

 大町の金刀比羅神社は、北海道開拓と上川開発に功労のあった鍋島直正・黒田清隆・永山武四郎が尽力し、1902(明治35)年に御祭神を天照皇大神(太陽の神様)にし、近文神社として建立されたのが始まりだ。その後、近文神社は廃社となり、神社建物・敷地は上川神社に属することになるが、合祀後の神社建物は、荒れるにまかせ放置される状態へとなったとされる。
 そうした状態が続く中、100年前の1923(大正12)年7月、大町地域で40戸が消失する大火があった。住民たちは、氏子としての務めをないがしろにしていた災いと思い、再度お祀りすることを決め、3年後の1926年に、「火」と対極にある「水」と縁が深い金刀比羅宮(香川県)から御分神を受け、社名を金刀比羅神社として今日まで護ってきた。
 現在神社は、旭星地区・旭星西地区の両市民委員会と大町北鎮町内会を核に35町内会で護持されている。これまでに、老朽化の著しい本殿の内装改修をしたり、腐食する鳥居の全面塗装・本殿屋根の塗装をなどをしてきたほか、町内会の女性部が、神社と隣接する会館を大掃除したりするなどして大切に〝かわいがってきた〟。「今年の元日の初詣にも人が来ていましたよ」。住民の高年女性は、そう教えてくれた。お参りに来る人がいるということは、立派な住民の心の拠り所の役割を果たしていることになる。

役員だけで決める? それはおかしい!

 「町内会員の疑問の声や反対する意見を聞いてくれない。役員だけで決めるのはおかしい。このままなくなるのであれば、これまで神社を護ってきた先輩方に対し、申し訳ない」。住民の男性は語気を強めた。
 本誌の取材に会長は、「会員数の減少、高齢化も進んで世の中も変わってきていますよね。このまま神社と会館を我々が担うことはできないと伝えている」と話し、まだ正式に決まったことではないとした。会員数の減少・高齢化に加え、神社と会館の修繕費用が莫大にかかることや管理する人がいないことも理由に挙げた。
 会長は、回覧板伝達・書面総会の事実を認めた上で、「(町内会が担う事業の)スリム化をして後任に引き継ぐことが私の役目」とも話した。「会員の一部から意見を聞いてほしいという声はあるが」と会長に聞くと、「(昨年8月の)役員会の開催内容を記した書面による臨時総会の回覧板でも、今年2月の(令和)5年度の書面総会でもご質問・ご意見は一つもいただいていない」と寝耳に水との反応を示す。
 一方で、「話し合いをしようとしない」との声を聞く。昨年9月、「ふれあい祭り」・神社の祭典・初詣・どんど焼きなどの事業からの完全撤退と会館の今年3月の閉鎖・5年度中の解体撤去に向けて検討するとの書面の情報提供を受けた旭星地区市民委員会は慌てた。「お話を聞きたい」。市民委の役員は会長に電話したが、「話し合いには応じてもらえず、聞く耳を持っていただけなかった」。町内会長は、「文書の通りです」と繰り返すばかりだったという。「あの金刀比羅神社は長い歴史のあるものですが、3地区の市民委員会はあくまでオブザーバーですから。我々役員で集まって話し合いましたが、『大町北鎮町内会の意思を尊重するしかない』とまとめざるを得なかった。今の北鎮さんには『困ったことをする』としか言いようがない」(旭星地区市民委役員)

話し合う機会創出を 氏神様にどう申開き

 住民の高齢女性は「周りでも『どうして壊すんだろう』って話していますよ。役員だけで決めるのはおかしい。『みんなで集まって話し合いをしましょう』なんて呼びかけもないです。会館も神社も私は残してもらいたい」。回覧板や書面総会で、意見があれば電話してほしいという呼びかけについて、「わざわざ電話してあーだ、こーだと言うことなんかできないですよ」と訝る。役員会の決定事項の追認を求める昨夏の回覧板による臨時総会と今年2月の書面の通常総会の意見・質問の受付期間は共に10日間。その日に目を通すことが適わなかった会員もいることから、実日数はもっと少ないと見るのが自然だ。
 役員会の決定内容を記したものを回覧板として一巡させることそのものを書面による総会とみなし、特段の意見・反対がなければ追認したと判断し、コンセンサスを得たとする合意形成の仕方は、今回の重い事案を鑑みれば一般社会常識からみて疑問と言わざるを得ず、町内会員から怒りの声が上がるのも当然だろう。
 「会館の閉鎖は総会で決まったことです。神社をお返しするかどうかについては、今後対面でお話する機会を持ちたい」(大町北鎮町内会長)
 いずれにしても、このようなすったもんだでは、121年にわたり、この地域を護り続けた氏神様に申し開きが立たない。

この記事は月刊北海道経済2023年05月号に掲載されています。
この記事をシェアする
  • URLをコピーしました!