ギリヤーク尼ケ崎 執念の旭川公演

 2023年3月、腸の病気で手術を施し心臓にペースメーカーを入れた函館市出身の舞踊家ギリヤーク尼ヶ崎さん(92)。昨年に続いて、この7月に行われた旭川公演には車いすで登場し、執念の舞台を繰り広げた。会場に詰めかけた観衆の声援はいつにも増して活気をおびた。

車いすで介添役と登場 一挙手一投足に観衆注目
 買物公園アッシュアトリウム(1条通7丁目)前で7月17日行われた青空舞踊公演「魂の踊り」。パーキンソン病を患い、今年3月に手術したギリヤーク尼ヶ崎は体調が悪いにもかかわらず、車いすで登場した。会場を埋めた観衆は、ざっと500人。大きな拍手に包まれ「伝説の大道芸人」による舞台が始まった。
 ところが、ギリヤークの健康状態は想像以上に思わしくなかった。この日の公演に備えて行った練習でも、突然ひっくり返る状況。本番は付き人で手回しオルガン奏者の紀あさが介添役を務めた。会場の端には親交のある俳優近藤正臣から寄贈されたノボリが掲げられた。車座になった観衆の目は一斉にギリヤークに注がれたが、今までと違って自由に身動きができない。

 しばらく車いすに身を預けたまま時が経過した。それでも観衆が見守っていると、やがて「立った」。沈黙を破って観衆の一人が言葉を発した次の瞬間、別の一人が「日本一!」と合いの手を入れると、会場は一気に活気づいた。するとギリヤークが口を開いて、「今年で92歳になります」と自己紹介。続いて、「映画俳優に憧れ映画の勉強を始めて」と話し出すと「分かったよ」と声がかかり、水を飲み干すと「よし!」と再び観衆から歓声が上がった。
 それでも普段の調子は一向に戻らなかったが、「ギリヤークさん踊って。待ってるから、踊って」と観衆から温かい声援が送られると、ギリヤークは必死に動こうとした。代表作「念仏じょんがら」を演じようと口を動かし始めると、ギリヤークの一挙手一投足を見守っていた観衆からは「いま、念仏を言ってるよ」とも。首をもたげたまま身動きが取れない状態が続き、さかんに観衆から声援が送られた。胸元に付けた母の遺影を手にして祈るような姿も印象的だった。
 やがて介添役を務めた紀がギリヤークの車いすを車座に沿って動かすと、至る所から〝おひねり〟が投げ入れられた。折りたたんだ紙幣は手渡され、ギリヤークが水をかぶった後の空になったバケツにも投げ銭の山ができた。この日に予定していた3つの演目は十分には披露されなかったものの、伝説の大道芸人の執念の舞台に観衆は感動し、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。

芸能の原点が〝大道芸〟鬼から「祈りの踊り」へ
 ギリヤークの生家は、函館で当時よく知られた菓子屋「紅屋」。土方歳三最期の地記念碑の近くで育った。物心ついたころから、紋付芸人や角兵衛獅子などの大道芸に触れ、これらの芸は子供心にも強く印象に残った。「それは芸を通じて見物人との間に人間的な触れ合いがあったからだと思います。今日ではそのような生き生きとした光景にはなかなかお目にかかれなくなりました。私は、このことを自覚し、もう一度、芸能の原点に返り、自分の芸や人間的な生き方を見つめていきたく思い、昭和43年から日本の街頭で踊ってきました」
 フランスやアメリカで街頭公演を行った理由については、ギリヤークは次のように語っている。「日本の芸能の原点とも言うべき大道芸を現代に生かした、私の芸を見ていただきたく思ったから。私が演じている盲人芸人の芸は青森県の津軽民謡を素材にしたオリジナル作品。しかしながらその作品の中には、名もなく貧しく消えていった大道芸人達の心情が表現されており私の演ずる芸の中に、ささやかでも日本人の心の一面を汲み取っていただければ幸いです」
 走り、叫び、身をよじりながら踊るギリヤークの舞台には、人生の哀感が凝縮された。水を浴び、転げ回り、地に身と数珠を叩きつけた激しいパフォーマンスは「鬼の踊り」とも呼ばれた。ところが、阪神淡路大震災の犠牲者を供養するために訪れた神戸公演で初めて踊りを間違え、亡くなった人々の無念の叫びを肌で実感したギリヤークは、芸の無力さを知る。それ以来、鬼の踊りは「祈りの踊り」へと変貌をとげ、東日本大震災の被災地、宮城県気仙沼市では3年続けて、ガレキに埋もれて踊った。
 買物公園開設50周年を記念して昨年行われた津軽三味線の音色に合わせた情念あふれる踊り。旭川公演は反響が大きく、ギリヤーク自身が熱望し実現したのが今回の旭川青空舞踊公演「魂の踊り」だった。「ようやく最近、芸というものが分かってきたよ」。そんな大道芸人の達観した心持ちを知りたくて伺ってみると─。「踊りそのものが生き様。それが言葉で話せてたら、踊ってませんよ」。

この記事は月刊北海道経済2023年9月号に掲載されています。
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