小麦王国 ハルさんの本格コーヒー

 旭川市2条通9丁目でNPO法人asatanサポートが2023年秋にオープンさせた就労支援B型事業所『小麦王国』。午前11~午後3時は本格的な筑豊豚骨ラーメンが楽しめ、営業時間中は手作りパンも購入できる。午後2時から4時まで味わうことのできるのが、この店の「バリスタ」、ハルさんこと大山晴久さん(45歳)が淹れるハンドドリップコーヒー。いきいきと働くハルさんや、この店の取り組みについて取材した。

雑味や苦み、渋み、出さない工夫
 記者が訪れた日の豆は「ケニアレッドマウンテンAAの浅め」と「深め」。ケニアの高原地帯の肥沃な赤土の恵みを凝縮した豆には、ケニアならではの柑橘系の酸味やしっかりとした質感が備わっているとされる。
 記者が一口飲んで感じたのは雑味のなさ。焙煎が「浅め」ということもあるが、すっきりしている。一杯300円(他のメニューと一緒に注文した場合200円)という低価格で飲めるコーヒーとは思えない。
 ハルさんにコーヒーをおいしく淹れる秘訣を聞いた。
 「ネガティブな抽出をしないこと。ドリップ後半は、雑味や苦み、渋みが出てくるので、それが始まる前にやめます」。その後もドリッパーからはコーヒーの水滴がポタリポタリと落ちてくるが、それは再利用することなく、捨てるのだという。ドリップ前半の良質なコーヒーは、ポジティブな要素ばかりだが、量は少ない。そこでお湯を足している。もちろん、コーヒー豆の選択、お湯の温度管理、お湯の注ぎ方などにもそれぞれこだわりがある。
 訪れる客の多くは、予想もしていなかったおいしさに驚く。「コーヒーの味と香りを楽しんでいただきたいので、できるだけブラックで飲んでください」とハルさんは呼びかける。

同じ建物の事業所 別法人で再出発
 正式にはハルさんの立場は事業所の「利用者」だが、事実上の店員として接客に当たっている。ラーメンの注文を聞き、併設されているパンの販売店でも接客し、コーヒーも淹れる。
 以前は同じ建物で別の法人が福祉事業所を営み、パンの製造と販売を行っていた。訳あってその施設は閉鎖されたが、健康食品のエイペックスジャパンや情報媒体のasatanを経営する大野謹慶氏がNPO法人asatanサポートを設立して理事長に就任、就労継続支援B型事業所「小麦王国」を運営することになった。副理事長・施設長として施設の経営にあたるのが北島誠さん。前身の施設にも勤務していた。
 ハルさんがコーヒーの奥深い世界にどっぷりとのめり込んだのは、いまから約1年半前、前身の施設でパンを販売していたころのこと。「コーヒーを淹れて、うんちくを語ることが大好きな大叔父の影響」だという。「いまはコーヒーに全振りしています」と本人が語るほどの熱中ぶりをみた北島さんが、ラーメン店としての忙しさがピークを過ぎる時間帯、商品としてコーヒーを出すよう提案し、「バリスタ」の仕事が始まった。
 ハルさんの人生は、旭川東高校2年生のある日、交通事故のために大きく変わった。脳挫傷を負い、1ヵ月間昏睡状態が続いた。意識は取り戻したが、高次機能障害と左手足の軽度の障害が残った。
 記者の質問にはよどみなく答えるものの、障害のため、企業などで一般的な仕事に就くのは難しい。それだけに、特技を生かせるコーヒーの〝仕事〟に、ハルさんは張り切って取り組んでいる。

貴重なまちなかの就労支援事業所
 小麦王国の利用者の状況は人によって千差万別で、誰でもハルさんと同様に働けるというわけではない。北島さんは、ハルさんは論理的に考えることができ、また見知らぬ人と話すことも苦にしないため、バリスタの仕事を任せることができると説明する。
 小麦王国では他の商品にもこだわりがある。ラーメンは豚骨ラーメンの本場、九州筑豊地方で愛されている「山小屋」からレシピを導入した。山小屋は、南は鹿児島県から関東エリアまで国内89店舗を展開する有力チェーン。九州から訪れた人が「旭川で山小屋が食べられるのか」と驚くこともある。タイとのつながりが深い大野理事長がバンコクの山小屋の店で食べた味が忘れられず、フランチャイズ本部に接触したことが、コラボ実現のきっかけとなった。主力の「ラーメン」が600円と、リーズナブルな価格設定も人気だ。
 パンは道産小麦にこだわった。定番のバゲット、食パンのほか、ヴィエノアサンド、くるみとレーズンのフランスパンなど豊富な商品がそろう。玉子不使用でアレルギーの心配がないことを評価した市内の幼稚園・保育園からも注文が来ている。
 これらの商品を作り、売るのはさまざまな障がいを持つ事業所の利用者たち。それぞれが能力を活かしながら、小麦王国での活動を通じて社会に参加している。
 北島さんが強調するのは、「2の9」という立地の魅力だ。「郊外の施設では、自宅と施設の間の往復だけになりがち。ここなら、事業所を出た後で中心街に立ち寄ってから帰ることもできます」。貴重なまちなかの事業所が新しい体制の下で存続したのは、自宅から毎日ここまでバスで通うハルさんをはじめ、利用者にとっては幸いだった。

地域社会に広がる支援の輪
 「就労継続支援B型」は、一般就労が困難な人に就労機会や生産活動などの機会の提供するサービス。時にはスムーズな接客ができないこともある。ラーメンもパンもコーヒーも、この店にやってくる顧客の理解と協力がなければ成り立たない。
 実際、理解と協力は順調に地域社会に広がっており、近所にあるホテルが朝食用のパンの購入と、利用者の少ない時間帯のホテル駐車場の提供を申し出た。他にも市内の1軒のホテルが、小麦王国からパンを仕入れている。
 北島さんは、B型とはいえ利用者の能力を高め、一般就労を後押ししたいと語る。ハルさんが語る「コーヒーインストラクター2級の資格を取り、いつかは自分の店も開きたい」という目標も、周囲の理解と協力があればいつか実現するかもしれない。

この記事は月刊北海道経済2024年01月号に掲載されています。
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