デザイン思考どこへ? 米国「総本山」が縮小

 「デザイン思考」─旭川市がこの新しい手法の導入を目指していると知ってから、記者はいろいろ調べてみたが、わかったようなわからないような…。一方、先進国であるはずの米国で、デザイン思考をめぐる環境が厳しさを増し、専門家の間でも懐疑的な見方が広がっていることだけははっきりとわかった。このまちでデザイン思考が能書き通り「社会に存在する問題を解決する」ツールとして威力を発揮する日は来るのだろうか。

問題解決の手法
 現在の旭川市政のキーワードのひとつが「デザイン」。「デザインによる産業振興や人材育成、文化振興などがうたわれているが、もう一つのキーワードが「デザイン思考」。モノのかたちや色、部品の形を考えるという意味ではない。デザイナーの思考プロセスを広く活用して、社会に存在する問題に対して解決策を見出したり、イノベーションを推進したりする際の「考え方」を指す。旭川市に限らず、日本では政府が2017年にデザイン思考を行政サービス改革の基本思想として位置づけるなど、大きな関心を集めている。
 この種の概念の大半がそうであるように、デザイン思考もまた、アメリカ発祥。それまで直観的、抽象的ととらえられていたデザイナーの思考様式をナイジェル・クロス氏が1982年に概念化したのが出発点だ。この手法はパッケージ化、つまり誰でも問題発見・解決、新たなアイディアの考案に使える一連のプロセスとしてまとめられた。
 繰り返すが、デザインが絵、商品、ウェブページなど具体的な製品のかたちや使い勝手を考える営みであるのに対し、デザイン思考は問題解決の方法、思いを実現するまでの取り組み方を指す。企業の経営戦略、公共政策などに活用が可能とされている。両者は根源こそつながっているとはいえ、まったくの別物だ。

現場、モノ、試行錯誤
 経済産業省がまとめた映像「デザイン思考によるサービス構築」(Youtubeで公開中)をもとにデザイン思考の主要なポイントを挙げれば…
①現場から考える=現場を観察し、分析し、アイディアを作る。現場から評価を受ける。このプロセスを何度も繰り返す。
②モノを使って考える=抽象的な説明だけでは理解が難しいため、具体的なモノを介在させてわかりやすく説明することで、多くの人からフィードバックをもらう。
③「抽象と具象」で考える=本質をとらえて抽象化し、目に見えるかたちで具体化する。フィードバックで得られたものを再び抽象化。その繰り返しが重要。
④試行錯誤で考える=何度も試行錯誤を繰り返し、ニーズの強さ、実現性、持続性を確認する。
 同じ映像はさらに、デザイン思考の基本的なプロセスとして「共感」「定義」「発想」「試作」「試行」の5段階があり、これらを素早く何度も繰り返すことが重視されると説明している。
 経産省の映像は、行政サービスの改善にデザイン思考がどう適用できるのかを例として挙げている。現状の行政手続きは用紙を受け取る→書類を準備→役所に提出→審査結果を待つ→審査結果の受領、といった流れが一般的だが、ユーザーの立場から見れば申請用紙を取りに行く、必要事項を書類に転記する、別の役所を訪れ添付書類を用意するなど、多くの手間がかかる。
 現行の手続きが備えているこうした問題を、行政側がユーザーの立場で観察すれば、「ネットで完結する1日24時間の申請受付」「入力フォームのサジェスト機能」「民間サービスとのデータ連携」といった解決策が思い浮かぶはずだ。
 こうした方向で行政手続きが簡便化、迅速化するなら多いに結構なことだが、そんなに簡単な話なのかとの疑問も浮かぶ。行政はプライバシーに関わる膨大な情報を握っている。それが悪用されないように、窓口に行って身分を証明するなどの手続きを義務付けている。「ITに不慣れな高齢者はどうなるのか」「新しいシステムの導入に必要な費用はねん出できるのか」など、いくらでも疑問が出てくる。デザイン思考の価値を完全に否定するわけではないが、「デザイン思考さえ導入すればこれまでは難しかった課題解決がスイスイと進む」といった単純なものではなさそうだ。

社会は複雑なもの
 デザイン思考への疑問が、総本山の米国でも出てきている。昨年の冬、米国のウェブサイト「スタンフォード・ソーシャル・イノベーション・レビュー」に、「Design Thinking Misses the Mark」(デザイン思考は期待外れ)なる記事が掲載された(同じ記事の日本語版は「デザイン思考は期待外れだったのか」で検索)。このなかで著者のアンヌ=ロール・フェイヤード氏と、サラ・ファサラー氏は、社会問題は本質的に複雑であり、こうした問題を簡単に解決しようとする手法は、事態を単純化してとらえがちで、効率が悪いと指摘している。
 著者らはデザイン思考を全面的に否定するのではなく、批判的なスタンスも保ちつつ、デザイン思考を単一のツールとしてではなく、繊細かつ長い目で用いるべきと提言している。
 この記事の妥当性はともかく、日本政府や旭川市が活用を目指すデザイン思考が曲がり角を迎えていることは確か。米のデザイン・コンサルタント会社で、デザイン思考の「総本山」ともいえるIDEOが昨年秋、社員の3分の1をレイオフ、オフィスの規模も縮小したのだ。これを受け米国では「デザイン思考の終焉」さえささやかれる事態となっている。

デザインかデザイン思考か
 では、旭川市の取り組みはどうか。昨年4月には石川俊祐氏を日本初の「CDP」(チーフデザインプロデューサー)に任命。さまざまな取り組みを行っているが、素人の市民にもわかる成果はまだ見えてきていない。
 これまでの市の取り組みを見て目立つのは、モノやアートを設計する「デザイン」と、課題解決手法としての「デザイン思考」の混在だ。これには旭川市が2019年にユネスコ創造都市ネットワークにデザイン分野で加盟したことも影響している模様。たとえば、同年に旭川市の掲げた「デザインを生かした持続可能な都市創出プロジェクト」。デザインに強い家具のまち旭川の特徴を生かした構想だが、デザイン経営セミナー、デザイン思考による子どもの創造性の育みなど、雑多な内容が詰め込まれていた。
 二つの概念の混在に戸惑う声もある。第8次旭川市総合計画基本計画改定案のデザイン思考についての注釈に関し、旭川市総合計画審議会から「分かりづらい。デザインという言葉自体が難しいと思う。『問題解決を目指す方法論を導き出すときに用いられる思考のプロセス』にしては」とのもっともな注文が付いた。
 モノづくりに直接かかわる「デザイン」が重要なのは明らか。では「デザイン思考」はどうなのか。まずは両者をしっかりと区別したうえで、過大な期待をせずに冷静に課題解決に取り組むべきではないだろうか。
 旭川市では1月15、16日に「旭川の未来を考えるワークショップ」をデザインギャラリーで開催する。「こんなまちになってほしい」という、まちの未来のイメージづくりのため、デザイン思考を使い、意見やアイデアを共有する催しだ。このような「思考」に寄せた活動ならわかりやすい。

次の「ドラッカー」?
 デザイン思考の現状から思い出すのは、ドラッカーの一時的な流行だ。ユダヤ人経営学者、ピーター・ドラッカーの難解な著書は欧米、日本で広く読まれ、累計販売数は数百万部に達するとの指摘がある。2009年にはその思想をわかりやすく若年層向けの小説に仕立てた『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』なる入門書(ダイヤモンド社、岩崎夏海著)が280万部の大ヒット。ドラッカー自身の著書も売れ、経営者による勉強会も増えた。が、ドラッカーの教えを経営に活用して実際に成功した企業はごく少数。道内クリーニング大手の北海道健誠社は例外的な存在だ。ブームはすぐに下火になり、いま、ドラッカーの名前を口にする人はほとんどいない。なお、「もしドラ」のブームがなかった米国で、2000年代以降、ドラッカーはほとんど顧みられない存在となっている。
 デザイン思考が日本の社会に広く定着して、さまざまな課題解決に活躍するようになるのか、ドラッカーと同様に忘れられるのか、数年後にははっきりするはずだ。

この記事は月刊北海道経済2024年02月号に掲載されています。
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