ルートインが富良野北の峰に土地取得

 全国大手のホテルチェーン、ルートインジャパン㈱(東京)は2月22日、富良野市北の峰町の北の峰環状線沿いの土地、約5000平方㍍を取得した。隣接する土地の取得も視野に入れ、2020年10月をメドに同社のリゾートホテルブランド「グランヴィリオホテル富良野」を開業する予定になっている。北の峰地区はワールドカップが開催された世界的にも有名な富良野スキー場があり、数年前から中国資本の参入を契機に次々土地が買い占められ、開発が進められようとしている。

躍進するルートイン
 本誌でもたびたび富良野市北の峰地区の再開発について伝えてきたが、今年2月22日、全国大手のホテルチェーン、ルートインジャパンが北の峰町から山部に向かう北の峰環状線沿いの土地、約5000平方㍍を取得した。さらに、隣接する土地の取得も視野に入れており、最大で1万平方㍍を超える土地にリゾートホテルやレストラン、従業員宿舎などを建設する計画がある。
 同社のホームページには、「今後のオープン情報一覧」と題したページに、「2020年10月、グランヴィリオ富良野、客室数202」と記されている。道内では、そのほかに函館(グランヴィリオ函館250室)や網走(ホテルルートイン網走180室)が、開業時期は明記していないが計画に入っている。
 同社のホテル形態は、ビジネスホテルの「ホテルルートイン」をはじめ、都市型の「アークホテル」、観光やリゾート向けの「ルートイングランティア」「グランヴィリオホテル」の4種類のタイプがある。同社は3月1日現在、海外を含め330施設(ホテル300、飲食店21、ゴルフ場5、温浴施設10、スキー場1)を運営している。直近の売上高(18年3月期)は1153億7200万円で、ここ数年はホテルの新築により増収となっている。今年1月には、ホテル300軒を達成した。

スキー場をメインにしたリゾートホテル
 今回、北の峰に計画しているのはリゾートタイプの「グランヴィリオ」。同形態は国内に6軒、海外に3軒運営しており、道内では幕別町で「十勝幕別温泉グランヴィリオ」1軒を運営している。コンセプトは、雄大な自然を背景にゴルフやハイキングなどのレジャーと、疲れた体を癒す天然温泉をセットにしたゆったりした空間。
 富良野の場合は、過去にワールドカップが開催され世界的に著名な富良野スキー場をメインに、温浴施設などを融合したリゾートホテルになりそうだ。この計画は、3年ほど前から温められていたが、ようやく土地を取得することができたことから動き始めた。建物の詳細は明らかになっていないが、雪解けを期に土地の造成が開始される見込み。
 旭川市内の同業他社のある幹部は、「ルートインのリゾートホテルの歴史は浅い。だが最近はこの形態に力を入れており、富良野は以前から狙っていた地区だ」と、ルートインの富良野に対する熱い思いを代弁する。

表紙1905
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平成に半減、旭川エリアのGS

 人口減少に伴う需要の落ち込みと後継者難、2010年の改正消防法も追い討ちをかけてGS(ガソリンスタンド)が減り続けている。旭川エリアでは平成年間で半減。鷹栖、比布など周辺5町が経産省の分類で「給油所過疎地」となっている。過疎が進む道北では今後「公営GS」も増えていきそうだ。(経産省などではSSと表記しているが、記事では従来どおりGS表記)

GS難民もうすぐ出現?
 旭川市豊岡に住む男性会社員からこんな意見が本誌に寄せられた。
 「人手不足から営業時間を短縮するガソリンスタンドが増えているのではないか。GSの数自体、年々減ってきている。本州の山間部では最寄りのスタンドまで10㌔以上というところは珍しくなく、給油するのに往復30分以上かかかるという話を聞くが、旭川エリアでも周辺の町では近い将来〝GS難民〟が出現しかねない。昨年10月の胆振東部地震ではブラックアウトで給油所の重要性が再認識された。国や道にはGSを減らさない政策をしっかり打ち出してもらいたい」。「仕事で帰宅が遅くなった際、残量が少なくなったガソリンを補給しようと、GSを探す場面が最近たびたびあった」という経験からの意見だ。

給油所過疎地
 資源エネルギー庁のデータによると、1994(平成6)年時点の全国のGSの数は6万ヵ所を超えていた。その後減り続け、2017年度末で3万747ヵ所と、23年間でほぼ半減となっている。
 広大な北海道では自動車は〝生活の足〟として不可欠な存在だが、全国の傾向と同様、GSは減り続けている。経産省北海道経済産業局のデータでは、2002年の道内GSの数は2572ヵ所だったが、次ページのグラフが示すように、12年に2000の大台を割り込み直近データの17年度末では1819ヵ所となっている。
 旭川ではどうか。
 旭川市と周辺町の業者で構成する「旭川地方石油販売業㈿」のエリアでは、1989(平成元)年に154ヵ所あったGSが2018年度末で67ヵ所にまで減っている。実際のGSの数は、組合に加盟していない業者のGSも加わるので、89年時点では約160ヵ所、18年度末では80ヵ所強と推測されるが、いずれにしても平成年間で旭川エリアのGSも半減している計算。
 GSが減り続ける要因の一つはガソリン需要の落ち込み。ハイブリッドなど燃費の良いエコカーが普及しEV車も登場し、また若者を中心とした自動車離れが進んでガソリン販売量は平成に入ってから減り続けている。
 過疎化と高齢化が急速に進む町村でとくに需要減が顕著となっている。経産省の推計では、ガソリンの平均販売量は、都市部のGS1ヵ所あたり月間530㌔㍑に対し過疎の町村は同34㌔㍑と都市部の10%にも満たないのが実情で、過疎地ほど給油所運営は厳しい。
 このため過疎地から次々にGSが消え、経産省はその実態を調査し17年3月末の集計で、自治体内に3ヵ所以下しかGSがないところを「給油所過疎地」として発表した。それによると、全国で給油所過疎地の数は302市町村。内訳は、給油所ゼロが12町村。1ヵ所だけが75町村、2ヵ所が101市町村、3ヵ所にとどまるのが114市町村となっている。
 旭川エリアでも、鷹栖町と比布町が2ヵ所の過疎地、東神楽町、愛別町、東川町が3ヵ所の過疎地に分類されている。

公営給油所
 市内GS経営者がこう話す。
 「6年前に占冠村トマムにあった地元石油販売会社のGSが閉店した。商圏人口が1000人以上でなければGSの営業は継続できないとされるが、トマム地区は過疎が進み定住人口が400人ほどになって、経営が立ちゆかなくなった。
 旭川近郊では愛別町が人口約2700人、比布町が約3700人。今は2ヵ所、3カ所の給油所があるが、人口減が加速すれば〝GSゼロ〟となりかねない」
 地域からGSが消えた占冠村トマムでは「給油所は絶対必要だ」との住民要望から、村は公営の営業形態で給油所を再開した。危険物取扱資格を持つ住民らで一般社団法人トマムスタンドを設立し、2017年秋から週3日、1日3時間の日時限定で営業を再開している。経営的には年間500万円程度の赤字で、その分を村が委託費として補填している。
 道内では伊達市大滝地区でも農協が運営していた地区唯一の給油所が2年前に撤退した。古い地下タンク更新に1000万円以上が必要なため事業継続を断念したものだが、伊達市は地区住民の利便性を考え、施設を無償で引き取り経産省から補助金を受けて地下タンクを更新。また、事務所や給油設備も更新して指定管理者制度で営業を再開させている。
 「公営給油所」は、旭川エリアの町にとっても他人事ではなくなっているのだ。

表紙1905
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赤岡副市長は旭大公立化の布石?!

 岡田政勝副市長退任による後継人事は、本命視された黒蕨真一総合政策部長、菅野直行地域振興部長、大家教正総務部長らを抑えて、赤岡昌弘教育長(写真)が昇格した。旭川大学公立化へ取り組む西川将人市長の〝布石人事〟と言われ、担当部署の総合政策部長も差し替えられた。

大家、黒蕨、菅野
 今回の人事は、来年12月まで任期がある岡田政勝副市長(66)が、体調不良を理由に今年3月末で辞任する意向を示したことで、通常の定期異動とは違う検討が必要になり行われた。つまり、いつもは部長職の異動と昇格がメインとなるが、今回は副市長という特別職人事を含めた新たな人員配置が求められた。
 また、同じ3月末で60歳の定年退職を迎えた大家教正・総務部長、石川秀世・防災安全部長、永田哲夫・地域保健担当部長の今後の処遇を含めた検討も必要となった。
 そんな状況の中、市役所内や議会内で、岡田副市長の後任「第一候補」としてささやかれたのが、大家総務部長。同じ定年退職組でも、石川防災安全部長は消防本部の職員、また永田部長は、臨時的に配置される担当部長だった。これに対し、大家総務部長は市役所全般にわたる幅広い知識を持っているほか、市政が抱える多くの課題も熟知している。退職者から副市長を選ぶとすれば大家部長しかいないという声が強かった。
 一方、現職部長の中で以前から議会内で「副市長候補」として名前が挙がっていたのが、黒蕨真一・総合政策部長(57)と菅野直行・地域振興部長(57)の〝室工コンビ〟だった。
 黒蕨部長は、西川市長が初当選を果たした時から秘書課長を務めていた市長の側近中の側近。環境部長や総合計画担当部長などを経て、筆頭部長の総合政策部長にまで上り詰めている。
 また、菅野部長も技術畑の出身ということで、土木部長、都市建築部長を経験した後、まちづくりの主要政策を担う地域振興部長に就任。部長としてはナンバー2の位置付けながら、旭川空港の活性化や国際化、そしてJR北海道の路線維持など市の将来に関わる重要施策を受け持っており、対外的に見ても重要なポストだ。「どちらが副市長になっても、重責をこなす力量を持っている」(議会筋)と高く評価されている。

表紙1905
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高砂が作る〝ネコ酒〟で世界市場開拓

 日本人でさえ若者には日本酒が強すぎる、重すぎるとして敬遠されがちなこの時代、日本酒で海外市場を本格的に開拓するには、もっと敷居が低い商品が必要なのではないか─こうしたアイディアに基づき㈱Kカンパニー(本社札幌)が開発、高砂酒造㈱が受託生産しているのが「ネコ酒」だ。すでにブラジル向けに本格的に輸出しているほか、欧州、アジア市場の開拓も目指している。

酒離れ進み国内シェアも低下
 日本酒ブームの盛り上がりを感じる機会が増えている。全国各地で関連イベントが開催され、ドラマやマンガの題材として登場することも多い。ネットを活用して、知る人ぞ知る銘酒を取り寄せて楽しんでいるマニアが読者の中にもいるかもしれない。
 ところが、いま日本酒業界は需要の減少という厳しい現実に直面している。かつて酒の王者だった日本酒は、いまではビール、発泡酒、ウイスキー、酎ハイ、ワインなどと並ぶジャンルの一つでしかない。
 国内で日本酒(清酒)を製造している事業者の数は1405(2016年10月、国税庁による調査)。10年前と比較して約300も減少した。すべての酒の国内消費量に占める清酒の比率は1989年の15・7%から、2016年には6・4%まで低下した。従来は低価格品だった焼酎の高級化が進み、一部の清酒ファンが焼酎に流れたことも影響している。しかも、同じ期間に酒離れが進んだ結果、酒全体の成人1人あたりの消費量は95・7㍑から80・9㍑まで減少している。
 国内需要の減少に対応して、日本酒業界は早くから「SAKE」の輸出に取り組んできた。道内の酒蔵も、海外市場の開拓を目指している。これまでにない新しい取り組みが、Kカンパニーの中嶋圭さんが中心となって進めている「ネコ酒」の海外市場での販売。中嶋さんは10年前から日本国内の酒蔵の海外市場進出を支援するコンサルティング業務を展開しているのだが、そのためのツールの一つが、自社ブランドの日本酒「ネコ酒」だ。
 ビンには猫をモチーフにした、従来の酒瓶のイメージとは一線を画したシンプルなイラストが描かれている。2016年にブラジルに16㌧を出荷。現地でビール用のガラス瓶に詰めて、代理店を通じてサンパウロ州、リオ州を中心とする地域で発売した。その後も1㌧単位でブラジル向け輸出を継続している。昨年からは酒質を高めた「ネコ酒プレミアム」を国内で製造・瓶詰して輸出。イギリス、シンガポール、マレーシア、台湾、タイでも市場開拓を目指している。

表紙1904
この続きは月刊北海道経済2019年04月号でお読み下さい。

上川小豆産地消滅の危機?

 本誌2月号記事「道産小豆不足 菓子業界を直撃」を読んだ小豆生産者から切実な声が寄せられた。上富良野町で40年以上にわたって小豆栽培を手掛けている60代の男性・Aさん。「富良野エリアでは、小豆から大豆に作付転換する農家が急激に増えており、このままでは〝上川小豆〟が消滅してしまう」と危機感を強めてのことだ。

台風が直撃
 本誌2月号では、道産小豆不足の現状と、旭川の菓子業界への影響について報じた。記事の内容をおさらいするとこうだ。
 国内で消費される小豆は、3分の2が国内産で、そのうち9割を北海道産が占める。2012年から15年まで豊作が続いたために在庫が膨らみ、需給調整のために作付け面積の削減が行われて、16年の作付面積は前年の約3割減となる1万6200㌶となった。
 しかし皮肉にもこの年、道内小豆の主要産地である十勝地方を台風が直撃。収穫量は前年比55%減の2万7100㌧にまで落ち込み、在庫過多の状況が一転、小豆不足が深刻となった。
 再び増産が進められ、翌年の17年には作付け面積は1万7900㌶にまで増えたものの収穫量はふるわず4万9800㌧。16年を除いて過去10年間で最も収穫量が少なかった09年の4万650㌧をかろうじて上回るにとどまった。さらに18年には初夏に低温と日照不足、長雨が続き、収穫量は前年を下回る見込みだ。
 ただでさえ在庫が不足しているところに、菓子業者や食品メーカーが在庫確保に奔走したことで品薄に拍車がかかり、道産小豆の価格は前年比2割近く高騰。全国の製餡や菓子メーカーでは十分な量を確保できず値上げに踏み切る店舗が相次ぎ、旭川市内でも老舗菓子店が一部商品を値上げし、人気商品の一時的な販売中止を検討するなど影響が広がっている。

生産者の高齢化
 上富良野の生産者・Aさんから電話を受けたのは3月号の発行から一週間後。「このままでは上川から小豆が無くなってしまう。産地を守るためにも周りの生産者に少しでも小豆を作ってもらう必要がある」という切実な声だった。
 Aさんの農園は上富良野から美瑛町白金に向かう道道353号沿いにある。小豆をはじめアスパラ、馬鈴薯、かぼちゃ、スイートコーンを栽培し、稲作も行っている。40年ほど前から小豆を栽培し、複数の品種を手がけていた時期もあったが、富良野エリアが三重県の老舗菓子店と小豆の契約栽培をしていたこともあり、現在は「しゅまり」に特化している。
 小豆は、他の農作物に比べて使用する肥料が少ない低コストの作物だが、作業には手間がかかる。上川地方では、5月から6月上旬にかけて播種し、発芽後は中耕除草機による作業を2度ほど行う。開花から収穫まで3度ほど防除が必要だ。
 完熟して葉が落ちるまで畑で育て、収穫時にはまずはビンカッターという機械で刈り取る作業が行われる。サヤが乾燥していると機械に当たってはじけてしまうため、朝露が残る早朝しか行うことができない。まさに時間との勝負だ。それからコンバインで刈りとった豆を集めて収穫するという流れで行われる。
 これに対し、大豆は刈り取りの作業をせずに汎用コンバインで収穫できる。また単価は小豆とほぼ同じで、国の保証もある。そのため、小豆から大豆に転換する生産者は後を絶たない。
 富良野エリアでも小豆の栽培をやめる生産者が相次ぎ、現在では最盛期の8割程度にまで減少したが、Aさんは、「小豆不足は農家の高齢化が根底にある」と語る。
 「農家の高齢化が進み、後継者がいない場合には離農せざるを得ない。離農者から畑を譲り受けた農家の耕地面積は必然的に大きくなるので、手間のかかる小豆ではなく、機械で効率よく作業が出来る大豆に転換する農家が増えている。これまでは小豆の価格が上がれば生産者も栽培したが、今は価格が4万円台と高騰しているが積極的に作ろうという人はいない」。
 さらに富良野エリアでは、3年ほど前に大手食品メーカーと契約栽培を始めたことで黒大豆の作付が一挙に広がり、小豆の作付面積の減少に拍車がかかった。

十勝の代替産地
 上川エリアは十勝に次ぐ小豆の産地だ。たびたび台風の被害に遭ってきた十勝に比べて、気候の変動が少なく、十勝が天候不順で不作にあえいだ年でも安定した量を収穫することができ、食品業界からは十勝のいわば〝代替産地〟として認識されてきた歴史がある。
 Aさんは上川エリアを小豆の主産地として存続させようと必死だ。そのためにも、昨年十勝で開催された生産者と和菓子業界の〝サミット〟のような場が効果的だと提案する。「小豆不足が続き、規模の小さな和菓子店が一度竈の火を消すと再起できないと思う。今のように組織に小豆を納めて終わりというのではなくて、生産者と菓子メーカーが交流する場を設け、生産者が自分たちが手がけた豆がどのような製品になり、消費者からどんな反響があるのか知ることで、小さな規模ならば作ってみようかということにもなる」。
 またAさんは、小豆栽培が産地の「地力」維持にもつながると訴える。「産地を維持するためには地力が大切になる。小麦や大豆ばかりでは地力が落ちるが、亜鉛を豊富に含む小豆は土中にミネラルなどを残して地力を高めてくれる。小豆を輪作に組み込み、畑の地力が落ちても復活するような形をとっていく必要がある」。
 富良野エリアでは幸い、今年度の小豆の作付けは少しだけ増える見通しだが、Aさんの地元上富良野では作付けが増加する見込みはない。Aさんは「十勝エリアで唯一作られていない品種が『しゅまり』。この品種を生産者に少しずつでも手がけてもらうことで、上川エリアで守っていきたい」と強く訴えた。

表紙1904
この記事は月刊北海道経済2019年04月号に掲載されています。

グリーンホテル 富良野土地7500坪取得

今や〝第二のニセコ〟と呼ばれている富良野市北の峰地区で、繊維卸、山室繊維㈱のグループ会社、㈱グリーンホテル(旭川市1条通6、山室淳三社長)が昨年11月、約2万5000平方㍍(7500坪)の農地(一部宅地)を取得した。同社では「まだ農地転用ができておらず使い道は未定」と説明するが、日に日に地価が高騰している注目の地区だけにその行方が注目されている。北の峰で不動産バブルの兆しが見えていることをきっかけに、上川管内一体の一大リゾート構想も再浮上している。

〝脱繊維〟を目指す山室繊維グループ
 グリーンホテルの親会社に当たる山室繊維は、低迷する繊維卸業から脱却するため、早くから全国チェーンの飲食店や書籍販売のフランチャイズ(FC)に加盟して、旭川市内を中心に店舗展開してきた。手始めに1986年、モスバーガーを旭川市内1号店としてオープンした。2000年代に入ると、02年にドトールコーヒー、06年にはブックネットワンと次々にオープンした。直近では15年11月、市内忠和にベビーフェイスプラネットをオープンした。これら繊維卸以外の売上高は全体の半分近くを占めるようになり、利益率も繊維卸部門より高い。
 新たな業態に進出して成功した山室繊維だが、グリーンホテルも一時期、旭川市内でホテルを経営していたものの、宿泊業から脱皮し不動産業を中心に変貌を遂げようとしている。その一つが今回の土地の取得だった。

「外国資本ばかりが買収するのはまずい」
 グリーンホテルが買収した土地は、富良野市北の峰町から同市山部方面へ走る道道沿いから富良野プリンスホテルの敷地に向かった一画。総面積は2万4927平方㍍(7554坪)で、地目は2万2228平方㍍が畑、残る2699平方㍍が宅地となっている。
 何らかの用途に再開発するとなれば、全体の約90%を占める畑を地目変更する必要がある。本誌1月号の現地ルポ「富良野が第2のニセコに」で指摘した㈱レックスコーポレーション(札幌市)が買収した約7000坪も土地の大半が畑で、同社では「転売する可能性もあるが、周りの状況を見ながら5年をメドに用途を考える」と、長期的な視野で再開発を検討している。これは簡単に農地を転用できない現状を指しており、比較的柔軟な姿勢を見せている富良野市、しかも再開発が進んでいる北の峰地区とはいえ、再開発の開始までには時間を要する。
 今回の主役、グリーンホテルの山室社長も、レックス社とよく似たコメントを残している。
 「周りの状況を見てみると、中国人など外国資本ばかりが土地を買い漁っている。それはまずいのではないかと考え取得した。決して転売が目的ではなく、ましてや誰かの代行として取得したわけではない」と前置きし、次のような見解を示す。
「地目がほとんど畑のため再開発をする場合は、地目変更が必要になる。すぐさま変更できるわけではないが、将来的にレストランなどの商業施設を考えている。需要があるといわれているホテルなどの宿泊施設は考えていない。地目変更ができなかった場合は、そのまま農地として活用することも考えている」

全国大手のホテルが狙っていた土地
 地目変更に時間がかかるという事情のために、グリーンホテルが取得する以前、別の企業がこの土地の取得を断念したという情報もある。この企業をよく知る旭川のある不動産業者は次のように解説してくれた。
 「具体的な企業名は言えないが、旭川市内でもホテルを運営している全国大手のホテル業者で、富良野にリゾートホテルを建設する計画があった。どちらかといえばビジネスホテルを主体にしていた企業だが、数年前にリゾート部門を新設してからは全国的にリゾートホテルを建設している。ところが、地目変更に時間がかかるため断念したようだ。その代わり、中富良野町に土地を物色しているようで、すでに取得したという情報も伝わっている」
 このホテル業者はそれほど富良野に執着していたようだが、その背景には富良野が道内有数のリゾート地として、ニセコに代わる人気の場所になるという期待感があるのかもしれない。

高騰する地価 「安い買物」
 グリーンホテルが取得した土地は、日に日に上昇している地価と比較すれば、相対的に〝割安〟だったようだ。地元の不動産業者は「地目が畑ということで、坪単価はせいぜい2〜3万円程度でなかったか。それでもグリーンホテルより前に取得を考えていたホテル業者よりも、総額で1000万円ほど高い金額で取得したようだ」と見ている。
 北の峰地区では、用途が幅広く好立地の土地であれば現在、坪当たり70万円という情報もある中で、地元では「地目変更に時間はかかるかもしれないが、急いで開発しないのであれば、安く取得できたのではないか」との声が囁かれている。
 ところで、北の峰地区は、現状でもう手一杯という情報もある。その理由として、同地区の山手側にある富良野スキー場や富良野プリンスホテルの敷地が一つの境目となり、それらの裾野に当たる土地が売買の対象になっていることが挙げられる。
 旭川のある不動産業者は、「その境目を外れると一気に価値が下がり、売買の対象にならない。ニセコも同様の動きだった」と解説する。
 ニセコ地区で一時期、坪当たり140万円という破格の値段が付いた土地は、同地区の比羅夫(ヒラフ)など限られた場所で、それ以外はたとえ交通の便が良い国道沿いの土地であっても「ひと山いくらといった価格にまで下がってしまう」(札幌市のデベロッパー)。

表紙1904
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平成の旭川「重大ニュース」 政治・選挙編

 今年4月30日。平成時代の終わりが近づいてきている。昭和から移り変わって30年余。あっという間の30年ではあったが、激動した世界同様、ここ旭川でも歴史に残しておきたい様々な出来事があった。本誌が記事でとらえてきた「重大ニュース」のうち、「政治・選挙編」をお届けする。

平成2年1月 旭川経済人会議 市長候補を公募
 平成2年1月15日付け北海道新聞朝刊に、新春のうかれ気分を吹き飛ばすショッキングな広告が掲載された。「二十世紀最後の10年─世界が変わる、東京が進む、札幌が走る」「さあ、みんなでエネルギッシュに旭川を変えよう」とうたい、紙面中央に大きな活字で「ぜひ市長になってもらいたい!そんな方を推薦ください」と呼びかける内容。旭川市の現状を憂いながらの「旭川市長候補の募集広告」だった。
 広告を出したのは、前年10月に発足していた「旭川経済人会議」。メンバーは9割が保守系の経済人だったため、秋には3選立起が確実視されていた坂東徹市長に保守陣営の一部が退陣要求をつきつけた形となり、この奇策は全国的なニュースにもなった。
 仕掛け人は革新系の各種選挙で参謀役だった優佳良織工芸館館長で当時43歳の木内和博。保守系にも太い人脈を持っていたため、木内の呼びかけに多くの企業人が集まってきた。
 「市長公募の新聞広告は旭川の恥だ」と手厳しい批判もあったが、そうした批判に木内は「自分たちが言わなければという仲間が一人集まり二人集まって話し合っているうちに、何かアクションを起こそうとなった。今までの市長というのは、保・革両陣営が決めた人を市民が見比べて決めるという枠組みの中で選ばれていた。そうした枠組みを超え、多くの市民が主張できる場をつくりたかった。旭川は黙っていると議論しない。市長候補公募の広告をドンと出して問題提起を行い、突破口をまず開いた」
 この時の公募では当時NHK旭川放送局長だった今基芳氏が複数の応募者の中から選ばれ選挙準備に入っていたが、途中で病気を理由にリタイヤしたため、急きょ木内が出馬することになった。
 戦いは実らなかったが旭川経済人会議の活動は続けられ、4年後の菅原功一市長誕生に大きな力を発揮した。保守陣営のねじれはその後しばらく続き、旭川の選挙史を大きく変えた。

平成3年4月 道議の議席獲得 共産萩原の奇跡
 平成に入って最初の旭川市道議選は「共産党候補が議席獲得」という衝撃的な出来事で幕を開けた。
 旭川の道議選は当時、定数6のうち自民党が3、社会党が2、公明党が1というのが指定席だった。共産党候補は毎回1人立起していたが、当選ラインの2万票前後には遥かに及ばない得票ばかりで、それまでは宮越弘一氏が12年前に集めた1万7千票余が最高だった。
 共産候補が当選ラインである1万8000票を取ることなどあり得ないとされていた状況の中で道北勤医協理事長の萩原信宏(当時50歳)は何と2万5千を超える票を集め、社会・公明の候補を抑え3位で当選を果たした。マスコミは「奇跡が起きた」と報じ、本誌も「共産党の怪物」と書いた。
 旭川における共産党の基礎票は1万2〜3千が限度。実に1万票以上も上乗せした要因は紛れもなく、日常の診療で多くの市民と触れ合っていた萩原氏の個人票だった。
 萩原はその後の選挙でも2万5千票前後の安定した票を獲得し、道議選における〝共産ワク〟を不動のものとし、3期12年後に真下紀子にバトンを渡した。さすがに真下の票は平成の怪物萩原の票には及ばないが、その後も安定した順位で当選回数を重ねてきている。

平成5年・6年 五十嵐広三 建設大臣・官房長官
 旭川市長を3期務めた五十嵐広三は2度の北海道知事選出馬を経て、中選挙区制時代の本道2区から衆議院議員に当選、5期目の時には細川護熙内閣で建設大臣(平成5年8月〜6年4月)、村山富市内閣で官房長官(平成6年6月〜7年8月)を務めた。
 五十嵐建設大臣は旭川(旧2区)選出の代議士としては石橋湛山内閣で労働大臣、池田勇人内閣で運輸大臣を務めた松浦周太郎、田中角栄内閣で運輸大臣を務めた佐々木秀世に次ぐ3人目の大臣に就任、引き続き自社さ連立政権では内閣官房長官にまでのぼり詰め、次の選挙には出馬せず「十分に燃焼し尽くした」と69歳であっさりと政界を引退した。
 国会進出時から「社会党が政権を取れば間違いなく大臣、総理大臣候補」と言われていたが、まさにその通りとなり、中央政界とは縁遠かった旭川市民にとっては保革の枠を超える感激的な一大事だった。
 旭川において長年の課題だった駅周辺開発に現実的な光を差し込ませたのが五十嵐建設大臣だった。駅周辺の広大な旧国鉄用地に転用の可能性が出てきた状況のなかで、旭川市に対し再開発の都市計画決定申請の提出を勧め、事業認可までの道筋をつけた。
 旭川市長として旭山動物園開園、買物公園造成、旭川医大誘致などなど、将来を見据えた数々の事業を実践した五十嵐が、建設大臣という立場を地元のために有効に活用した。五十嵐建設大臣が誕生していなければ、今日ここまで変貌した「北彩都」の姿は見られなかったかもしれない。

表紙1903
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エアアジア道内就航で急増するタイ人観光客

 旭川を訪れる外国人観光客が順調に増加し、年間宿泊数が延べで21万泊を超えそうだ。旭川市が設定した2018年度目標値を軽々とクリアする好調ぶり。新千歳のエアアジアバンコク直行便就航効果でタイ観光客増加が顕著で、韓国、香港を抜いて宿泊数で三番手になっている。

目標値の3倍強
 東日本大震災の影響から2011年度こそ低迷したものの、翌12年度以降、北海道の観光客は5千万人台をキープしている。最新の17年度の実績は5610万人で過去最高を更新した。84%を道内客が占めて4725万人、道外客が11%の606万人、外国人客が5%の279万人となっている。
 人口減などから増加が見込めない道内客に対して、著しく伸びているのが外国人観光客で、自然景観や温泉、食、冬場の雪やレジャーに魅了されて、北海道を訪れる外国人客は6年連続で過去最多を記録している。
 道内の市や町で集計・公表しているのは「外国人宿泊延数」だが、旭川市のこの数値も全道的な外国人観光客増を反映して、東日本大震災の落ち込みから回復した12年度以降増加が続いており、この4年間は過去最高を更新している。
 上に過去10年の旭川市の外国人宿泊延数総計をグラフで示したが、15年度に15万泊を超えた後、2年後の17年度には20万泊をクリアした。市は14年度にまとめた「観光基本方針」の中で、18年度までの「外国人宿泊延数」の目標を「6万泊」と設定したが、これを早々に超えている。今年度(18年度)は上半期4~9月の集計しか出ていないが、その6カ月分だけで外国人宿泊延数は13万6604泊に達しており、前年同期比を約2万1000泊上回っており、下期とのトータルでは21万泊超えは確実な情勢だ。

ビザ緩和が追い風に
 外国人来道者の飛躍的な増加は、国の訪日キャンペーンや官民一体となったプロモーション活動の成果で、大きなイベントを通じて北海道の自然や観光施設、物産などがPRされ、現地の旅行雑誌やテレビで紹介される機会も増えて「北海道観光ブーム」が起きた。
 最初に火が付いたのは台湾で、98年頃に急増し、道内への外国人観光客の入り込みは年間10万人に達し、旭川の宿泊者数も1万人台となった。
 ところが台湾からの旅行者は05年から06年にかけて頭打ちの感が表れ、これに対して確実に増加してきたのが香港。雪や氷に対する関心が高く、訪日ビザ免除や円安香港ドル高が後押しして冬季イベント開催期間中の来道者が増加し、旭川での宿泊数も07年に台湾を追い抜いてトップとなる。
 旭川─ソウルを定期便が就航して06年頃からは韓国旅行者も増える。また04年頃からはシンガポールも驚異的に伸びてくる。一年中高温多湿なモンスーン地帯ということで、四季のある国に大きな憧れがあり、もともと日本と友好的な関係にあったことで、日本の中でもとくに四季が明確な北海道が旅行先として選ばれた。
 先陣を切った台湾、その後の香港、韓国などを一気に追い抜いて旭川の外国人宿泊者でトップとなるのは中国だ。下に、国(地域)別の宿泊延数をグラフにしたが、08年度にはまだ1944泊にとどまっていたが、14年度に2万7610泊をカウントしてトップとなると、15年度は2・3倍の6万3506泊、翌16年度は7万4190泊を記録した。17年度は2割減の5万9330泊となるが、それでも、他国(他地域)に大きな水をあけて宿泊数でトップを維持している。
 中国人観光客急増の最大の要因は、観光ビザ発給条件の緩和。2000年に団体旅行者へのビザ発給が解禁され、09年には富裕層への個人ビザ発給が始まり、以降、発給条件の緩和が進められ、訪日客が増大する。

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この続きは月刊北海道経済2019年03月号でお読み下さい。

あなたも市議選に出てみませんか

市議会議員選挙で新人候補がなかなか出てこない理由の一つに「選挙にはお金がかかる」ことがあるのではないか。しかし候補者には様々な公的資金援助がある。これを知っておけば「よし、私も出てみようか」という気持ちになる人がいるかもしれない。近づく旭川市議選は今のところ定数(34人)をどうにか満たす程度の立起予定者しかいない。「市議選に出てみようか」と考えている人たちのために「候補者となるための手引き」を紹介する。これを読んで、あなたも立起してみませんか?

出馬は25歳以上 供託金は30万円
 旭川市議選に出馬するためには市内に3ヵ月以上在住し、投票日までに満25歳に達しているという、最低2つの条件を満たしていなければならない。これをクリアーできれば、年齢に上限はないし、身体的障害があっても大丈夫。
 ただし、何らかの刑の執行中の人や、公務員は現職のままでは立候補できないなどといった、いくつかの〝欠格事項〟もある。しかし一般的にはこれらに該当する人は少ないので、25歳以上の旭川市民なら誰でも候補者になれると考えてもいいだろう。
 立候補の届出を行うためには各種書類が必要となるが(後述する)、それ以前にまずは何を置いてもお金を用意しなければならない。いわゆる「供託金」と呼ばれるもので、市議選の場合は30万円(道議は60万円、市長は100万円)。
 この30万円は〝冷やかし立候補〟を自重させる意味合いを持つもので、旭川市議選の場合、有効投票者数を定数(34)で割り、その10分の1に満たない得票だと没収され、それを超えると返還される。例えば当日の有効投票者数が前回並みの約13万人だったとすれば、約380票以上取っていなければ没収される。ちなみに前回は40人の候補者全員が供託金を返還されている。
 さて、候補者となるためには選挙の告示日(午前8時半~午後5時)に文書で選挙管理委員会(選挙長)に届け出ることが必要。届出会場は前回の場合、午前9時半までは市民文化会館大会議室、それ以降は選管事務局。また、届出の前に午前7時40分から届出順位の抽選がある。
 届け出に必要な書類がいくつかあり、政党など政治団体の推薦(公認)を受けないで出馬する「本人届出」と、推薦などを受けて出馬する「推薦届出」とでは用意するものは若干違うが、どちらにも必ず必要なのは戸籍謄本(抄本)、宣誓書、経歴書、それに供託証明書。推薦届出の場合はこのほかに「所属党派証明書」などが必要となる。
 これらのことは事前に行われる候補者説明会で詳しく説明される。今回の市議選・道議選の説明会は2月26日開催が予定されている。

クルマ・ハガキ・ポスターは公費負担
 届出を済ませ立候補者になると、いわゆる選挙の7つ道具と言われる物品や書類を受け取る。選挙カーや拡声器の表示板、運動員の腕章、街頭演説用の標旗など選挙運動をする際に必ず携帯しなければならないもので、このほかハガキや新聞広告を出すときに必要な証明書などももらう。
 候補者が選挙運動を行う際には、その経費を公費で負担する仕組みもあり、例えば選挙カーを使った場合には告示後7日間の運動期間中に限り、1日につき1万5300円のクルマ代、7560円の燃料代、1万2500円の運転手代(合計24万7520円)が市から支払われることになる。
 また支持者などに出すハガキについても2000枚分(道議は8000枚)の郵送費用は公費負担で、金額にすると12万4000円。さらにポスター掲示板に貼る候補者ポスター制作費用も400枚分の52万800円を上限に市が負担してくれる。選挙カーの費用など合わせると、市は候補者1人につき89万円以上の負担をしていることになる。従って、例えば40人が立起したとすれば市にとっては3560万円以上の負担が伴うことになる。
 1回の選挙にはこれだけの公費負担があるということを、候補者も市民も知っておく必要があるだろう。中にはこれらの公費負担の権利を行使しないで選挙を行う候補者もおり、そうした心意気は大切にしたい。
 このほか選挙中に個人演説会などで使用する町内会館や公民館などの公営施設は、2日前までに選挙管理員会へ申し込めば、同一会場で火曜~土曜の4日間で1回だけは無料で借りられる。

新人は1年前からの準備が理想的だが…
 では、実際に立候補するためにはまず何をすればよいのか。自分自身で決意した人、周囲から薦められて決意した人など、立起に至るケースは様々あるだろうが、いずれにしてもまずやるべきことは、身近な範囲で理解者や協力者を増やす努力をすること。
 中には「誰の応援もいらない。自分ひとりでやってみる」という強い信念の人もいるだろうが、当選するのに2500票は必要とされる現在の市議選で、何ひとつ組織や地盤を持たない人が当選できる可能性はほとんどない。
 理想的なのは、選挙実施日の1年ほど前から準備を進めることだが、実際には新人の場合は過去の例をみても、半年前に決意表明すれば早い方で、年が明けて2~3ヵ月前からというケースが多いようだ。
 また、知名度の高い新人なら、地道な選挙運動を行わなくても、ムードや勢いだけで当選するということもあるが、無名の新人ではやはりしっかりした政策を持ち、組織づくりに努力していくことが肝心。
 質素に選挙運動を行っても200万円程度は必要とされる市議選。準備期間が長ければ長いほどその経費はかさむ。かつて市議選に銀行から借金して選挙に立ち、落選した後10年間も返済に苦労したという人もいる。
 しかしこれまでには、公費負担分だけで費用の大半を賄ったという候補者も多く、借家やプレハブを建てたりしないで、自宅を選挙事務所にして戦い、当選したというケースもないわけではない。
 市議会議員への門戸は、想像以上に開かれている。意欲のある人は4月21日投開票の市議選に立起してみてはいかが?今ならまだ間に合う。

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この記事は月刊北海道経済2019年03月号に掲載されています。

東川の田んぼからコーヒーの香り

 道外や海外から東川を訪れる動機は人によってさまざま。雄大な風景、温泉、スキー、日本語学習…。最近増えているのが「おいしいコーヒー豆が買いたくて」遠くから東川まで足を運ぶ人たちだ。「ヨシノリコーヒー」の向こうに広がるスペシャルティコーヒーの奥深い世界を、少しだけのぞいてみた。

東川に新しい魅力
 雄大な大雪山の風景、天人峡・旭岳の温泉、コメ、湧水…。人口約8000人の町なのに、東川町には魅力がいくつもある。約4年前、このまちに加わった新しい魅力が「コーヒー」だ。冬は厳しい寒さに包まれる東川に、もちろんコーヒー畑はないが、腕を高く評価される焙煎職人がいて、焙煎機がある。芳香を放つ豆を求めて、全国はもとより、海外からも客が訪れる。
 それが「ヨシノリコーヒー」(東川町北町12丁目11─1)。轡田芳範さん(48歳)、紗世さん(36歳)夫婦が、道道からやや入ったところに開いたビーンズ・ショップ(自家焙煎店)だ。冬には一面の雪景色となる農地に囲まれ、店内では黒い鋳物の焙煎機が存在感を放つ。店の奥には自宅のスペースを改造して設置したドリンクスペースが設けられており、景色を眺めながら煎れたてのコーヒーを味わうこともできる。
 記者が訪れた年末の夕方、芳範さんは若手のスタッフに手本を見せながら焙煎している最中だった。温度計を注視し、炉の内部で加熱された豆が立てる小さな音に耳を傾ける。内部の豆を少量抜き取って香りをチェックしながら、注意深く焙煎する。ここぞというタイミングで炉から豆を出し、撹拌しながら冷却する。余熱で焙煎が必要以上に進まないようにするためだ。
 焙煎機はドイツの老舗、プロバット社の商品。芳範さんは複数のメーカーの商品を試用してからこの機械を選んだ。大型で鋳鉄製であるため、温度が安定しているのが強み。値段は「高級自動車が1台買えるくらい」だという。
 焙煎が終わった豆でコーヒーを作り試飲する。このとき必要な技術が「カッピング」。あえて音を立てるようにして吸い込むことで、鼻腔内部にコーヒーの霧を広げて香りをチェックする。
 芳範さんが焙煎について強く心がけているのは、豆が秘めているポテンシャル(可能性)を殺さず、最大限に引き出すということ。「焙煎の腕で豆をもっと美味しくすることなんてできません」。

表紙1902
この続きは月刊北海道経済2019年2月号でお読み下さい。