道内7空港民営化 あいまいな根拠

 8月9日、道内7空港一括民営化について、国土交通省が公表した北海道空港(HKK)を代表とする「北海道エアポートグループ」の事業計画。30年後の姿として7空港合わせて約4300億円を投じて、路線を今より倍以上の142に拡大し、旅客数は今より1.6倍の4500万人あまりに増やす構想を打ち出した。新千歳以外の6空港では赤字経営が続いており、各自治体は、「公的負担を大幅に削減できて空港の基盤強化ができる」などとこの事業計画を歓迎するが、いかにして路線を増やし人を呼び込むのかといった具体的根拠が見えず、根拠があいまいである点を不安視する向きもある。

心地よい言葉を並べた事業計画
 すでに発表されているように、北海道エアポートGは道内7空港の一括運営委託の二次審査で、ライバルだった東京建物㈱を代表とする「SkySeven」グループに約40ポイント差で勝利した。今後は、10月に運営権の設定や実施契約が締結され、年明け早々には7空港一体のビル経営が開始される。その後は、6月に新千歳空港、10月に旭川空港、再来年3月に残る5空港の運営事業が、北海道エアポートG により開始される予定になっている。
 運営会社が決定したことを受け、国交省では8月9日、北海道エアポートGの事業計画を公表した。ところが、30年後という長いスパンで計画が練られているためなのか内容は前向きだが、路線数と旅客数を見てみると、何を根拠に目標値を算出しているのか理解できない内容となっている。
 まず路線数から見てみる。7空港全体で2017年度の60路線を今から30年後の49年度には142路線まで拡大することとなっている。内訳は新千歳が41→80、残る6空港が19→62。国際線と国内線別に見ると、国際線が19→79、国内線は46→68(道内便で重複する分含む)。
 これを各空港別に見ると、新千歳が国際線17→52、国内線28→32。函館が国際線1→7、国内線6→10、旭川が国際線1→8、国内線2→6。釧路が国際線0→4、国内線4→7。帯広が国際線0→4、国内線1→5。女満別が国際線0→3、国内線3→5。稚内が国際線0→1、国内線2→3となっている。

実現できる数字なのか?
 国内線はすでに国内全域に路線が広がっている新千歳を除き、残る6空港を大幅に増やす方針。国際線は新千歳を含む7空港全体がアジア全域をターゲットにした路線拡大を目標に置いている。
 次に空港の旅客数を見てみる。7空港全体では現状(2017年度)の年間2846万人から30年後の49年度に1.6倍の4584万人を目指す。新千歳(2309万人→3537万人)以外の6空港は、同537万人から倍増の1048万人まで拡大する目標を立てている。新千歳以外の6空港ごとの数字を旅客数が多い順に見てみると、函館が179万人→331万人、旭川113万人→238万人、釧路75万人→162万人、帯広67万人133万人、女満別83万人→153万人、稚内20万人→30万人となっている。

表紙1910
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北海道開発名誉作業班の足跡

 「名誉作業班」という言葉を聞いたことがあるだろうか。正確には「北海道開発名誉作業班」と呼ばれ、第二次大戦後の1948(昭和23)年から3年間、道内の開発事業に携わるため全国の刑務所から集められた受刑者たちのことを言う。本道開拓期の囚人労働は監獄部屋、タコ部屋といった過酷な環境を想像しがちだが、この名誉作業班は開放的な手厚い保護のもとに動員された受刑者たちだった。上川管内でも各地の労務作業に関わったが、旭川市内の近文地区では石狩川治水工事に携わり、住民たちとの交流もあった。

厳選された優秀受刑者
 札幌刑務所看守長で法務事務官を務めた日本の法制史研究の第一人者である重松一義氏が1970年に発刊した「北海道行刑史」の第三節に「北海道開発名誉作業班の活躍とその功績」という記述がある。
 そこでは「昭和23年から3年間にわたり大活躍した北海道開発名誉作業班は、戦前戦後を通じ、その名のごとく北海道に不滅の栄誉を残している」との書き出しで、北海道開発の一翼を担った名誉作業班の仕事ぶりが回顧されている。
 「北海道開拓に多くの功績を残しながら、脱獄逃走で住民の恐怖をあおった集治監時代の悪弊残影を払拭、本当に北海道の町や村に奉仕しようとする体制と教育方式ができあがったのである」
 北海道の住民にとって「集治監」、「監獄」という言葉には馴染み深いものがある。明治時代には樺戸(月形町)、空知(三笠市)、釧路(標茶町)網走、帯広に集治監があり、それらが監獄と呼ばれるようになってからも道内の各要所に存在し、受刑者はそこで開拓のための労働に従事した。
 身近なところでは、樺戸集治監や空知集治監の受刑者たちによって上川道路(現在の国道12号)の建設が進められたことは、今でもよく知られている。そしてまた、その時の過酷な労働が原因で多くの受刑者が命を落としたことも、北海道開拓に関する様々な歴史の中に刻まれている。
 ある時期から「集治監」「監獄」という言葉は消え、戦後はGHQの勧告もあり、受刑者労務を北海道開発事業に活用するという国の方針から、成績優秀な受刑者を中心に全国の刑務所から約3000人が北海道に集まってきた。
 この時の受刑者選抜にあたっては「厳選した優秀受刑者を派遣する」とし、「派遣する受刑者には名誉と誇りを持たせる」「処遇は中間刑務所的な要素をもたせる」「労務成績により刑期を短縮し、元の刑務所に戻った時に仮釈放する」など、ある意味〝恩赦〟のような含みを持たせていた。
 まさに「北海道開発名誉作業班」という言葉がぴったりの受刑者労務だったのである。

作業日数2日で刑期4日に換算
 名誉作業班は道内の札幌、旭川、帯広、網走、釧路、函館の6刑務所に振り分けられ、各地で河川改修、道路や土地の改良工事などにあたった。
処遇規定もあり「累進処遇(処遇の段階)の第1級に編入する」「作業賞与金は特別の基準で支給する」「作業日数2日を刑期の3日に換算する(顕著な功労があった者は4日に換算)」など、受刑者にとっては魅力的な〝特典〟もあったため、労働に対するまじめな取り組みは相当のものだったと推察できる。
 市内北門町の秋葉みどりさん(81)は、昭和23年当時、小学校3年生だった。家は農家で、自宅は曙町にあったが、農作業の期間中は家族そろって現在の近文町13丁目(近文清掃工場付近)にあった畑のそばに建てた小屋で生活した。秋葉さんはここで、石狩川堤防で工事に携わる名誉作業班の姿を毎日見ていた。
 秋葉さんが15年前に、この当時の記憶を書き残したものがあるので、その中から抜粋して紹介してみる。

「スイカやトマトを差し入れした」
 「昭和21年と22年に近文地区は台風による大洪水に見舞われました。その頃は川に堤防はなく、野菜畑と松岡木材新社宅が全滅しました。畑を失った親は収入もなくなり大変だったと思います。
 今は高い本堤防になり、清掃工場、プールなどがあり当時の面影はありませんが、水害の翌年、昭和23年には旭川刑務所が受け入れた北海道名誉作業班受刑者の人たちが苦労して仮堤防を作ってくれました。
 畑のそばに、受刑者が休憩したり食事をとる作業小屋と事務官の小屋がありました。私の家から食事用の水を汲んでいきましたので仲良くなりました。兄は受刑者に床屋をしてもらい、私は事務官に絵を描いてもらったり、兄妹とも話をしたり、作業現場へ遊びに行った妹はトロッコにも乗せてもらったそうです。
 刑務官が屋根のない高いやぐらの上で、手ぬぐいでほおかぶりした上から帽子をかぶり、見張っていましたが、暑いときは大変辛かったことと思います。時々、軍用犬として活躍し、凱旋後に旭川刑務所へ移管させられたシェパード犬も一緒でした。
 受刑者は朝、トラックに乗ってやってきます。近文小学校の前が道路でしたので、トラックが通ると生徒たちは手を振りました。校長先生は手を振ってはだめと反対しましたが、女性の先生は子供達には何も言いませんでした。
 受刑者たちが仮堤防を作ってくれたおかげで、家の畑は水害から守られるようになりました。畑では野菜を作っていましたのでよく、スイカやトマトを作業班へ差し入れしていました。
 堤防の外の河川敷地にも畑を作っていたのですが、工事の完了後に、この畑にも水が入らないよう仮堤防から川側への別口堤防を作ってくれました。受刑者たちが、食事用の水やスイカ、トマトなどを差し入れた両親への恩返しだったのではないかと思います。
 一切の工事を終え、引き上げていく受刑者の列が終わるまで、祖父、祖母、父、母は何度も何度も頭を下げ、お礼を言っていました。見送る家族の前にはリンゴ箱が3箱置いてありましたが、それは受刑者からの感謝の気持ちだったと思います。作業班の中には、出所後訪ねてきてくれた人もいました。翌年、父は法務大臣から感謝状をいただき、大変喜んでいたことを思い出します」

旭川刑務所西神楽 農場から通う毎日
 秋葉さんの記憶にある名誉作業班による近文地区の石狩川治水工事は1948(昭和23)年7月から10月にかけて、50名の受刑者たちによって行われた。
 全国から選りすぐられた数百人の受刑者は、当時市内8条13丁目にあった旭川刑務所(1968年12月東鷹栖3線12号に移転)に収監されたが、実際に寝泊まりしたのは現在も西神楽南16号にある「旭川刑務所西神楽農場」だった。
 ここは、元第7師団の演習地で、広大な山林と農地を持っていたことから刑務所が借り受け、受刑者の泊まり込み農作業場となった。事務所や食堂、浴場、倉庫、雑居舎房、味噌・醤油工場、畜舎などを備えていたため、多くの受刑者を収監するのに適した場所だった。
受刑者たちは夏場の約4ヵ月間、毎朝ここからトラックに乗せられ、近文地区の治水工事現場まで運ばれていた。小学3年生だった秋葉さんも、校舎の窓からこの光景を見ていたのだろう。
 記事の冒頭に書いた重松氏の著書によると、当時、旭川刑務所から作業に出ていた受刑者は、もともと旭川刑務所に収監されていた人を含めて延べ600名に及ぶ。工事の現場は旭川の近文はじめ和寒、東川村、美瑛、宗谷の声問など5ヵ所。それぞれの地域で土地改良、水温上昇工事、道路工事などに携わった。
 旭川で受刑者が作った仮堤防は、1992年から96年にかけて行われた近文清掃工場の新設工事にあわせて本堤防が作られたことから、今ではその痕跡もないが、70年前に、全国から集まった受刑者たちが住民と交流しながら成し遂げた仕事が、いまも川のまち旭川に息づいていることを忘れたくない。

表紙1909
この記事は月刊北海道経済2019年09月号に掲載されています。

高齢者免許更新の盲点

 2009年の改正道路交通法施行以来、75歳以上のシニアドライバーに対して免許更新時の認知機能検査が義務付けられている。結果次第で免許が更新できないこともあるが、その一方で、3人一組で教習コースを回る「実車指導」では、ミスを重ねても免許更新には何の影響もない。このスタイルに異義を唱えるのが、本誌読者で運転歴60年以上というベテランドライバーのAさん(83)。実車指導で同乗したシニアドライバーがミスを連発する姿を目の当たりにし、「高齢者による事故を防ぐためには運転技能で判断すべき」と強く訴えている。

クランクは脱輪 ペダルを踏み違え
 Aさんは市内西エリアに住む元団体職員。23歳の時に免許を取得し、83歳になる現在に至るまで60年間、無事故無違反を守り続けている。普通免許に加えて大型免許や大型特殊免許などの資格も有するほどのクルマ好き。ただ、最近は買物や通院のための必要な運転にとどめているそうだ。
 直近の免許更新は17年5月。その際、一緒に実車指導を受けたシニアドライバーのおぼつかない運転に唖然としたという。
 「車庫入れが出来ず、クランク(直角の右折と左折の幅が狭い道路)では脱輪する。中にはブレーキとアクセルを踏み間違える人もいて、思わず身構えてしまった」と振り返る。
 Aさんの友人で同じ年齢のBさんは今年6月に免許更新を終えたばかり。実車指導で同乗したシニアドライバーの運転技術にAさん同様に唖然、危機感すら抱いたという。「カーブは大回りし、センターライン上を走るなど交通ルールを無視した運転が目立った。一時停止のラインを超えて停まるので、実際の道路だったら絶対に事故になっていた。おそらく普段、ほとんど運転をしていない人だと思うが、クラッチ操作が出来ず、何度もエンストをして発車できない女性ドライバーもいた」

認知機能テストと高齢者講習
 75歳以上のシニアドライバーの免許更新講習は2段階になっている。最初に行われるのが「認知機能検査」。判断力や記憶力の状態を評価するための目安として実施されるもので、受講者はその結果を伝える通知書が届いてから、あらためて「高齢者講習」を申し込んで受講するという流れだ。
 認知機能検査の所要時間は30分程度。楽器や動物、機械など16枚のイラストを見て、一定時間を経過した後にどの程度を記憶できているのか確認するテストや、指定された時刻の時計の絵を描くものなどの検査項目に挑戦する。
 このテストの点数に基づき、受講者は第1分類から第3分類までの3つのカテゴリーに分けられる。テストで76点以上を取得した人は「第3分類」となり、記憶力や判断力に問題がないとみなされる。49点以上76点未満の場合は「第2分類」となり、記憶力、判断力ともに少し低下しているとの判断。そして49点以下になると両方の能力が低下していると見なされる「第1分類」となる。
 なお、第1分類と判定された人は医師の診察を受けることが義務づけられており、そこで認知症との診断がされた場合には免許の停止、または取り消しとなる。
 続く高齢者講習は、認知機能検査結果によって講習の時間が異なり、第1分類と第2分類の人は「高度化講習」という3時間講習を受け、第3分類の人は「合理化講習」という2時間の講習を受けることになる。
 講習では、交通ルールを再確認するためにビデオを観たり、機械を使って動体視力や静体視力、夜間視力、視野を測定。その後は他の受講者や教官と一緒に車に乗り、指定されたコースを順番に運転する実車体験が行われる。一般走行に加えて、S字やクランクでの走行、車庫入れなどを行い、指導員から助言を受けるというもので、教習所ごとに実施内容は少し異なるようだ。
 高齢者講習を終了すると証明書が交付され、免許センターで所定の手続きを終えると新しい免許証が交付される。

専門家の団体も実車テストを提言
 前出のAさんは、連日のように報道される高齢者ドライバーによる事故のニュースを見て心を痛めていたが、免許更新を終えたばかりのBさんから、実車指導でミスを繰り返す受講者が依然として多いこと、また、ミスに関わらず受講者全員に証明書が発行される現状を憂慮し、「免許更新の際には運転技能で判断をすべきだ」という考えを強くしたという。
 Aさんは次のように訴える。「認知機能検査の重要性ばかりが強調されていて、肝心の運転技術が軽視されているとしか思えない。実車体験では、担当教官からアドバイスが与えられるものの、運転免許を取得する時のように不合格になることはない。道路を走る以上、技術が伴わなければ事故につながるリスクは否めない。不幸な事故を防ぐためにも、実車で運転技術の衰えが顕著な場合には、再試験をするなど運転技能面での審査を強化した方が良い」
 意外にもAさんのように技術面の重視を望む高齢ドライバーは少なくないようだ。今年、免許更新を終えたばかりの80代男性ドライバーもまた「技術の未熟なドライバーは再試験をした方がいい」と提案する。
 「実車指導では自信がないせいかノロノロ運転で走り、ウィンカーと逆の方向に曲がるなどひどい運転をしていた。講習後にマイカーを運転している姿を見たが、こんなドライバーが街中を運転していると思うと恐ろしくてたまらない。路上実施研修を一通り済ませてから、技術面の再試験をした方がいい」。
 実際、専門家の間でも技術面の強化を求める声は挙がっており、17年1月には日本神経学会をはじめ日本神経治療学会、日本認知症学会、日本老年医学会が合同で提言。初期の認知症の人の運転免許証取り消しについて「運転不適格者かどうかの判断は、医学的な『認知症の診断』に基づくのではなく、実際の運転技能を実車テスト等により運転の専門家が判断する必要がある」との見解を示した。

75歳以上の免許保有者数は一層増加
 高齢ドライバーによる事故は相次ぎ、今年4月19日に東京都池袋で87歳の高齢者が運転する車が暴走し、12人が死傷した事故は世間に衝撃を与えた。7月24日には、70代半ばの高齢ドライバーが池袋で交差点に乗り上げ、信号機をなぎ倒しにするという事故が起きたばかりだ。
 警察庁のデータによると、75歳以上のドライバーが過失の最も重い「第一当事者」になった交通死亡事故は18年は460件となり、全体の14・8%を占めて割合として過去最高となった。死亡事故の種類別では、最も多いのが電柱などに衝突する「工作物衝突」(94件)で、続いて「出合い頭衝突」(85件)、「正面衝突」(70件)、「路外逸脱」(58件)という結果となった。
 今回、苦言を呈したAさんは来年5月に免許更新を迎えるが、自主返納をする考えだという。「年齢相応に、運転技術も動作も衰えを感じ始めたので、事故無き交通安全歴で終わるためにも返上をする予定です」。
 Aさんが指摘するように、高齢者講習で行われている実車指導は、運転適性能力を検査するためのものではなく、あくまでも講習の一環として実施されているもの。基本的な交通ルールを守らず、また基礎的な運転技術が備わっていないドライバーが路上で実際に運転をするのはいかがなものだろうか。
 75歳以上の免許保有者は増加傾向にあり、今後はさらに他の世代に比べて免許保有者が多い団塊の世代が高齢者層に突入するために対策強化が求められている。そうなるとやはり、Aさんが指摘するように技術面での判断を強化し、一定の基準に達したドライバーが運転することが望まれる。

表紙1909
この記事は月刊北海道経済2019年09月号に掲載されています。

一部のこども園が「2号」→「1号」で荒稼ぎ

 今年10月からの幼児教育・保育(3〜5歳)の無償化を前に、子育て支援に力を入れる旭川市が頭を痛めている問題がある。現在市内に35ヵ所ある認定こども園の一部に、2号認定より4倍も高い1号認定の給付金を当て込み、年度途中で2号認定の子どもを1号認定に〝誘導〟している事業所がいくつかあるというのだ。この決して適正とは言えない行為により、国や道、市などが事業所へ支払う給付金は年間約1億5000万円も余計に膨らんでいる。市は「定員を順守して」と是正を呼びかけているのだが強制力はない。事業の公平性を保つために、何よりもまず、一部事業所側の自粛が求められている。

幼稚園と保育園が一体化したこども園
 就学前の幼児教育・保育施設はかつて「幼稚園」「保育所」の2種類だけだったが、2006年に国が新しい保育形態を法制化したことで、近年は全国の自治体で幼稚園と保育所の両方の機能を併せ持つ「認定こども園」が増えてきている。

 認定こども園の入所規定は地域や施設によって違うが、基本的には3つの認定区分があり、1号認定は3歳以上で教育を希望する場合、2号認定は3歳以上で保育が必要な場合、3号認定は3歳未満で保育が必要な場合。

旭川の認定こども園の費用
〈保護者の負担〉
 1号認定保育料上限 21,900円
 2号認定保育料上限 42,100円
〈事業者の収入〉
 1号認定給付費1人21~23万円
 2号認定給付費1人6~7万円

 簡単に言うと1号は従来の幼稚園、2号・3号は保育所という位置づけになる。教育(幼稚園)と保育(保育園)を一体的に行う施設が認定こども園ということなのだ。
 3〜5歳の1号認定の子どもは、午前9時から午後2時くらいまでの4〜6時間を従来の幼稚園のように過ごし、それ以降は幼稚園型一時預かり事業を利用して保育所のように過ごす。2号認定、3号認定の子どもは共働きしている保護者の労働時間によって保育短時間認定と保育標準認定の違いはあるが、1日いっぱい保育所として過ごす。
 つまり、同じ園、同じ教室通っていながら、1号認定の子どもは従来の「幼稚園児」で、2号・3号は親が就労し保育が必要とされる「保育園児」なのである。もちろん子どもたちの間には〝号認定〟の意識などない。意識を持っているのは事業所である園と、子どもを預ける保護者である。

認定変更で給付金1億5千万円超過
 7月30日、市内の幼稚園・保育園・認定こども園などを管轄する市役所の子育て支援部が主催して、今年10月1日からスタートする「幼児教育・保育の無償化」についての説明会が勤労者福祉会館2階大会議室で開かれた。午前中は幼稚園、保育所を対象に午後は認定こども園を対象に制度の改定に伴う具体的な説明が行われ、午後は市内35ヵ所の認定こども園を対象に行った。
 午後の部では各事業所から2人ずつ出席し、会場には約70名が集まっていた。保育給付係やこども事業係からひと通りの説明があり閉会となった後、こども育成課の担当者から予定にはなかった発言があった。出席者によると、この中で担当者は次のような話をしたという。
 「今から1号認定の考え方をお話しします」と切り出した後、定員は4月1日時点ではおおむね守られているが、それ以降に増えている。1号の認定は園と保護者との直接契約なので市には実態が見えていなかった。
 1号認定の定員を大きく超えている園の保護者に電話による聞き取り調査をしたところ、就労状況に変化がないものの「保育料が安くなるから」とか「自分の子どもがなぜ1号なのかよく分からない」といった回答が多かった。
 そして「現在定員を超えて1号認定になっている子どもを、本来の2号認定に置き換えると給付金に1億5000万円の差額が出ている。市の財政面からも、2号認定で保育所を利用している人との公平性の面からも看過できない」と暗に、不適正な認定変更を行っている事業所に苦言を呈したという。

子ども1人につき給付費15万円増額
 子ども育成課が年度途中で2号から1号に変更するケースが多くみられる事業所に注意を促した背景には、保護者が支払う保育料の違い以上に、事業所に入ってくる給付金が2号と1号では実に4倍も違っていることがありそうだ。
 保護者の経済・生活状況や定員数によって違いはあるが現在の旭川市の場合、1号認定の保育料は上限で2万1900円、2号認定は高い人で4万2100円。一方、事業者に入る行政からの給付費は、定員にもよるが、2号認定(4〜5歳の場合)の子どもが1人6万円強、1号認定(4〜5歳の場合)の子どもが1人21万円強。約15万円近くもの差がつく。
 つまり、2号から1号へ変更すると、保護者にとっては保育料が2万円ほど安くなり、事業者にとっては15万円も多い給付金が得られるわけである。これは定員79人(1号9名、2号45名、3号25名)の一般的な認定こども園をシミュレーションした数字だが、2号から1号へ変更した場合には保護者、事業所の双方にざっとこれだけのメリットがあるのだ。
 市内の一部事業所で、4月時点ではほぼ定員数なのに5月になると2号から1号へ大量に移行している実態を、そのつど変更届を受理する市はつかんでいたようだが、制度的には「災害や虐待、保護者の就労状況の変化など、やむを得ない事情がある場合は認定変更できる」となっており、また1号認定は園と保護者の契約になるので行政として口出しはできない仕組み。問題は本来の2号ニーズの子どもを施設の中から意図的に1号を作り出すことにある。
 市が行った保護者への聞き取り調査でも、「保育料が安くなる」として園に誘導された実態が見えているが、確かに保護者にしてみれば1号認定となれば一日の預かり保育料数百円の延長保育料を加えても2号認定の時よりかなり安くなる。
 園が勧めてくれば断る理由もない。しかし、そのことにより事業者である園が2号認定の時より4倍近い給付費を受け取ることまでは聞かされていないようだ。

市だけで3750万円の余計な負担
 認定こども園の一部に、増額される給付費を目当てに2号認定の子どもを1号認定に誘導しているという話は、昨年あたりから事業者間でうわさになっていた。
 園同士は横のつながりもあり、同業者の足を引っ張ることに遠慮があるため大きな騒ぎにはならなかったが、そのうち、他都市でも制度の隙間をついて収益を上げている不適正な行為があることを情報として得た市は、財政難の折、歳出増を抑えるためにあえて一部事業者に対して苦言を呈することにした。それが7月30日に開かれた「幼児教育・保育の無償化」についての説明会の際に飛び出したこども育成課担当者の番外発言だった。
 同担当者の発言を聞いていた事業者たちからは一切質問が出なかったが、これはその場に参加していた全員が気づいていた問題だったためと思われる。しかし、この時担当者が話した「給付金に1億5000万円の差額が出ている」という実態には誰もが驚きを隠せなかったようだ。
 給付金の増額分1億5000万円を負担するのは国が半分、道と市が4分の1ずつで、市の財政負担は3750万円という計算になる。このことが表面化したのは年度途中だが、放っておくと来年3月までこの不適切な状況が続くことになる。 国や自治体が負担する財源は国民や市民の税金であり、この支出は公益ではなく一部の事業者と利用者の私益にすぎない。無駄な負担と言い切れるものでもないが、余計な負担であることは間違いない。
 幼児教育の無償化が始まると行政の財政負担はさらに増える。税金の使われ方の公平性、効率性の観点からも、認定こども園の一部に見られる不適正事業者の自粛が求められる。

表紙1909
この記事は月刊北海道経済2019年09月号に掲載されています。

美瑛中心部に観光型ホテル

 美瑛町の中心部で、白金温泉へ向かう道道966号沿いに、大阪の不動産業、豊臣商事㈱(西園寺優真社長)が観光型ホテルの建設を計画している。すでに土地、約420坪を取得し、2020年夏に工事着工、21年春開業を目指す。昨年度、同町白金地区に2ヵ所目の道の駅「びえい白金ビルケ」が完成したことや、青い池に駐車場が整備されたことで観光客の入り込み数が急増している美瑛町では、中心部にホテルが少なく、相当の需要が見込めそうだ。

観光客の入り込み数が急増
 6月21日、上川総合振興局が発表した2018年度(18年4月〜19年3月)における上川管内の観光客入り込み数は、胆振東部地震の影響から一時的に落ち込んだことなどから、前年比0・7%の1976万1000人と微増に止まった。
 そんな中、美瑛町の観光客入り込み数は226万1700人(速報値)で、前年度の170万人に比べ35%と急増。同局が1997年に統計を開始して以来、上川管内で上位の常連だった富良野市や上川町を抜き、旭川市の527万人に次いで初の2位となった。なお、200万人を超えたのも初めての快挙で、改めて道内でも有数の観光地に成長したことを証明した。
 急増の主な要因としては、町内有数の観光地、白金地区にある青い池の駐車場が整備されたことで道道966号の渋滞が緩和されたことや、近くにある白金インフォメーションセンターが道の駅「びえい白金ビルケ」に改修されたことが挙げられる。道の駅から青い池へは、車や徒歩で行くことができる町道も整備された。
 これだけの観光客を取り込んではいるものの、その1割以上は宿泊で他の自治体へと移動している。同局の資料によると、美瑛町は観光客の入り込み数が大幅に増加したのに比べ、宿泊客数は前年度194万人に対して1.2%減の192万人、宿泊客延数は同272万人に対して1.1%減の269万人に止まっている。前述した胆振東部地震の影響はあったものの、上川管内全体では宿泊客数が前年比1.5%減だったものの、宿泊客延数は同1.8%増と健闘している中で、やや寂しい結果となっている。
宿泊数は思ったほど伸びていない
 これらの数字を見る限り、美瑛町はやや「通過型観光地」との印象を受ける。その原因の一つとして、「町内に宿泊施設の絶対数が少ない。中でも町の中心部に宿泊施設が少なく規模も小さい」(町内の観光業者)と、以前から指摘があった。郊外にはオーベルジュやペンション、コテージなどの宿泊施設があるものの、大型の宿泊施設は白金地区の数軒に限られるなど、「観光客にとって不便さを感じる」(同)との厳しい声もある。
 町の中心部にホテルが建設されれば、観光客にとって利便性が増すことは十分に考えられる。中心部には現在、道の駅「びえい丘のくら」に隣接した㈲美瑛物産公社が運営するホテル「ラヴニール」(21室)と10室程度の宿泊施設がわずかにあるほどで、今回のホテル計画(中町1丁目)が実現すれば、JR美瑛駅まで徒歩5分程度、車なら町内を周遊するにも便利な場所にホテルが誕生することとなる。

国内外に顧客を持つ豊臣HD
 ホテル建設が計画されている場所は、白金に向かう道道966号とJR美瑛駅に向かう町道の交差点にある。2軒の住宅兼店舗があったが、現在はいずれも空き家になっている。7月に入り、建物を解体する工事が始まろうとしている。
 2軒を合わせた土地の面積は約420坪。町の景観条例により3階建てまでの建物という制限はある。土地を取得した豊臣商事によると、「周辺は低層の建築物が多く、3階から美瑛の美しい景色が見えるため、低層階にはバックパッカーなどから需要があるドミトリー、最上階はヴィラをイメージしたロフトテラスから個室の露天風呂があるような部屋も考えている」と語る。
 同社は2013年設立と社歴は浅いものの、海外の投資家向けの不動産投資コンサルタントや不動産仲介・売買を中心に、旅行業や三重県伊賀市の高級リゾートホテル「青山ガーデンリゾートホテル ローザブランカ」を買収してリゾートホテルの運営も行っている。そのほかの宿泊事業として、ホテルや民泊を大阪市に20棟以上、今後は大阪を中心に名古屋や福岡、岐阜県高山、道内では旭川と今回の美瑛にそれぞれ宿泊施設を計画している。
 17年には事業拡大により、各部門を分社化して、豊臣商事を核に豊臣不動産㈱、豊臣トラベル㈱、㈱豊臣リゾート&ホテル、豊臣地所㈱、19年設立の豊臣建設㈱を傘下に置く豊臣ホールディングスを設立した。

地元住民も楽しめるホテルを目指す
 美瑛のホテル建設に向けて同社は3月28日、旭川市2条通8丁目の旭川二条通ビルに新会社、㈱「TOYOTOMI NORTHLAND」(資本金900万円、西園寺優真社長)を設立して、着々と準備を進めている。
 業態として、同社幹部は次のような見解を示す。
 「今回の美瑛では、リーズナブルなドミトリー、アッパー層向けのオーベルジュ、もしくは混合タイプの3案で考えている。観光客はもちろん、地元の方々も利用できるレストランやベーカリーも誘致して、バースデイパーティーができるようなイメージの業態にしたい」
 駐車場は10台から15台を確保する。工事着工は2020年夏からを予定し、21年春の開業を目指す。建物のデザインは、「1960年代から70年代のアメリカ郊外をイメージしたクラッシックモダンな雰囲気をイメージしているが、変更する可能性もある」(同社幹部)と説明する。
 美瑛に限らず、富良野沿線は富良野市北の峰町が「第2のニセコ」といわれるまでに人気が高まり、海外資本もどんどん入り込んでいる。富良野沿線は、道内のみならず日本国内でも有数の観光地だけに、好景気を背景に今後も国内外を問わず開発業者が参入する可能性は高いのではないかと見られている。

表紙1908
この記事は月刊北海道経済2019年08月号に掲載されています。

ツルハの牙城崩せないサツドラ

 ドラッグストアーナンバー1のツルハにナンバー2のサツドラが挑戦状をつきつけて展開されている旭川でのドラッグストア戦争は、どうやらツルハが牙城を守り抜くようだ。今年に入ってサツドラが相次いで3店舗を閉めたのと対照的に、ツルハは7月、創業店に近い4条16丁目に4条店をオープンさせる。

王者にリベンジ
 1972年に札幌市で創業した㈱サッポロドラッグストアー(サツドラ)は、2017年11月時点でドラッグストアー187店、調剤薬局10店、その他2店を展開。年間売上高784億円(18年5月期)を超え、㈱ツルハに次ぐ道内ナンバー2のドラッグストアーチェーンに成長した。
 01年に、当時国内トップの㈱マツモトキヨシと業務提携した後、05年に旭川へ進出し、ツルハ発祥の地4条17丁目に隣接する3条17丁目に旭川1号店を出店した。道内ナンバー2の王者ツルハへの挑戦だった。
 しかしこの時はツルハの牙城に爪痕を残すこともできず業績不振のため5年で撤退するという屈辱を経験した。
 旭川エリアでの戦略を練り直し、撤退から3年後の13年6月に大町2条7丁目に「メガドラッグ旭川大町2条店」をオープンさせた。薬や化粧品だけでなく、酒類や冷凍食品、生活雑貨なども扱う大型店で、この形態の店舗を主力にサツドラは大町に続き「豊岡4条店」「旭川4条店」「花咲町店」「プラタナス通店」(神楽岡)と、次々に新店をオープンさせた。16年12月には「旭川緑町店」をオープンさせ、アッシュ1階の小規模店なども含めて旭川の店舗数を一挙に8とした。
 メガドラッグ形態でのリベンジで、サツドラはあえてツルハ既存店に近い立地に次々と新店をオープンさせ対抗意識むき出し。極めつけは緑町店で、嵐山通線をはさんで「ツルハ緑町店」の真向かいへの出店。住所(緑町18丁目)は同じで番地だけが違うという、まさにガチンコ対決の立地となった。

メガドラッグ
 さて、サツドラが王者ツルハに挑んで繰り広げられている〝ドラッグストアー戦争〟だが、どうやらツルハに軍配が上がりつつあるようだ。サツドラは今年3月に花咲町店を閉店したのに続いて、6月に入って緑町店、永山3条店と、相次いで3店舗を閉じた。
 サツドラ花咲町店は、ホクレンショップ北部店閉店のあとに、旭川市農協が所有する店舗を借りて15年にオープンしたもので、いわば「中古物件」への出店。このためレイアウトに制約があり、不本意な店舗づくりで、集客・売り上げは低調なままに推移した。開店4年で閉店に追い込まれたのも止むをえなかったとも言えそうだが、しかしその3ヵ月後、6月7日に閉じた緑町店は鳴り物入りの大型店メガドラックだった。
 ツルハ緑町店は、小規模店舗で老朽化も進んでいる。その目の前へのライバルの大型店オープンは、長年ツルハをひいきにしていた地域の消費者の目に「食品スーパー並みの品揃えのサツドラ新店にツルハはかなわないだろう」と映った。しかし予想に反して、ツルハが善戦し、サツドラの集客は伸びなかった。
 ツルハ善戦の要因の一つは、シニア世代、とくに女性層の〝ツルハファン〟の多さ。「ツルハの店舗は接客も含め温かい感じがする。長年利用しているので親しみがある」(60代女性)。シニアの下の世代が「品揃え豊富で通路が広く清潔なサツドラが好き」「酒やスポーツドリンクなど薬以外の買物がしやすい」と、新しい店舗形態を受け入れているのと対照的だ。
 商品の価格に大きな違いがないこともあって、サツドラは決定的な集客力を見せ付けるまでに至らなかった。

ドミナント戦略
 また、小売業界にはこんな見方もある。「ライバルが出店しても客を奪われなくするために、ツルハは同一地域に複数の店舗を構える〝ドミナント戦略〟をとっている。近文地区では、緑町店に加え直線距離で500㍍の錦町15丁目に錦町店、同じく700㍍の北門町14丁目に近文店を配置しドミナント方式が出来上がっている。サツドラの新店が目の前のツルハ緑町店をおびやかしたとしても、近文エリアで見るとツルハに致命的なダメージを負わせることはできなかった」
 ツルハ緑町店の客は減ったが、サツドラ緑町店の集客も目標には遠く及ばなかった。開店から2年半、業績不振を挽回できず閉店となったという経緯。
 緑町閉店の9日後、今度はサツドラ永山3条店が閉店した。同店は緑町店同様、ツルハ永山3条西店に隣接しての立地(住所はともに永山3条8丁目)。ツルハ3条西店の顧客をそれなりに奪いダメージを与えたようだが、永山エリアは強力なドミナント方式でツルハ店舗がずらりとそろう。永山3条4丁目に永山3条店、7条5丁目に環状通店、7条4丁目に永山7条店、8条4丁目に永山南店、2条19丁目に永山店、6条13丁目に永山6条店と、3条西店も含めて7店舗の配置だ。
 ツルハの分厚い多店化展開の前に衆寡敵せず。サツドラ永山3条店も業績不振で閉店に追い込まれたようだ。
 札幌と旭川の消費者の〝嗜好〟の違いも、サツドラ苦戦の要因の一つだとする業界人もいる。「店舗が大きく、酒や食品など幅広い品揃えのメガドラッグは札幌の消費者には歓迎されているが、旭川ではクール過ぎる店舗と受け止められるようだ。サツドラよりは雑然としたツルハの店舗に旭川市民は親しみを感じている」との解説だ。

食品スーパー化
 業界内には「サツドラの大町店とプラタナス通店の閉店・撤退もありえる」との不穏なウワサも流れているが、サツドラ店舗開発の幹部は「数ヵ月の間に3店舗が閉じれば〝旭川撤退か〟といわれてもしかたがないが、しかし、これ以上の撤退はない」と、きっぱりと否定する。店舗戦略としては前向き姿勢は変わらないそうで「周辺8町も含め、新店舗出店の気持ちは十分にある」と付け加える。
 サツドラは昨年師走、札幌市内に実験店舗「東雁来11条店」をオープンさせた。食品スーパー、惣菜メーカー、精肉メーカーの3社がコンセッショナリー方式(売り場を借りて出店する専門店)で出店。青果、鮮魚、惣菜、精肉の生鮮売り場が広さ約60坪と充実している=左の写真=。通常のドラッグストアーにはないバックヤードも設けて生鮮食品の調理スペースも確保されている。
 2007年に5兆円だったドラッグストアー業界の市場規模はこの10年で1・5倍に拡大した。食品の品ぞろえを増やしスーパーマーケットやコンビニから顧客を奪ってきたのが拡大の要因で、小売業界の王者イオンの業績さえも脅かす存在となってきている。。サツドラの実験店はドラッグストアーの〝食品スーパ化〟を一段と加速させたもので、各方面から動向が注目されている。
 ツルハの多店化の前に旭川で苦戦を強いられているサツドラだが、食品スーパーなどとタイアップした新戦略で再度、ツルハに挑む可能性もある。

4の16に新店
 一方、創業の地旭川でサツドラの挑戦を再び退けつつあるツルハは絶好調。
 昨年7月、JR旭川駅前に地下1階地上12階建ての「ツルハBLDG」を開業し、1階フロアの9割にあたる約1000平方㍍を売り場とする「旭川駅前店」をオープンさせた。2階にエステと語学教室を、3階から上には「長谷川ホテル&リゾート」(東京)が経営する「ワイズホテル」を入れた。
 同じく旭川駅前、西武旭川店A館跡地にも、複合商業施設を建設し、1階にツルハ、2階に商業テナントを入れ、3階から上層階にホテルを迎え入れる。年内着工、21年秋ごろの開業見込み。旭川生まれの上場企業として、駅前ゾーン、中心部活性化に極めて大きな貢献を果たしている。
 そして、老朽化し手狭な4条17丁目の創業店を移転新築。4条16丁目に市内50店目となる新店をこの7月にオープンさせる。ライバル進出を阻止する店舗展開の確立だ。

表紙1908
この記事は月刊北海道経済2019年08月号に掲載されています。

公証人相手に異例のセクハラ訴訟

 公正証書の作成など重要な役割を担う旭川公証人合同役場。その代表である公証人が、女性職員から今年5月に訴えられた。女性職員はセクハラが原因で提出せざるを得なかった退職届は無効と主張し、損害賠償を求めている。公証人はセクハラを否定して退職届は有効と主張。女性職員側は証拠として公証人からスマートフォンに送られてきた大量のハート付きメッセージを提出した。今後の裁判の行方が注目される。

全国ニュースに登場
 全国に約500人いる公証人。公正証書の作成という重要な役割を担い、遺言や任意後見など暮らしに近い分野での活動も多い。公証人には高度な法律の知識、実務経験が求められることから、判事、検事、法務局長などを務めた人物から選ばれ、公証人倫理要綱には「公証人は、その職務の内外を問わず、その信用を傷つけ、又は公証人全体の品位を害する行為をしてはならない」との文言もある。
 公証人は広義の公務員だが、各公証人役場は独立採算制であり、それぞれが書記(職員)を雇用し、人件費や諸経費は利用者から徴収する手数料でまかなっている。旭川市内にも6条通8丁目、市役所のそばに「旭川公証人合同役場」がある。
 その名称が今年5月、意外なかたちで全国ニュースやネットニュースに登場した。代表である公証人(男性)が、女性職員に訴えられたのだ。公証人から繰り返し、執拗な身体の接触、スマホでのメッセージなどのセクハラ行為を受けて、拒んだところ、意に沿わない退職届の提出を強いられたと女性職員は主張し、休業による損害の補償、慰謝料など合計約578万円の損害賠償を求めている。
 訴状の提出は5月20日。6月25日には旭川地裁で第一回口頭弁論があったが、被告となった公証人はセクハラ行為を否定、退職は有効であると主張し、女性職員と真っ向から対立している。

大量のSMSが…
 女性職員が旭川公証人合同役場に書記として就職したのは2010年のこと。当時は現在の2代前の人物が公証人を務めていた。次の公証人が赴任した後も、女性職員はその下で勤務を継続した(本誌は過去、同役場に取材した記事を掲載しているが、当時の公証人は前々任者と前任者であり、現在の公証人ではないことを明記しておく)。女性職員は「二人の元上司は尊敬できる人たちだった」と振り返る。
 そして昨年7月、横浜地方法務局長だった公証人が赴任してきた。当初は新しい上司の下で継続して働こうと考えていたが、思わぬ事態の端緒が7月20日に起きた。女性職員のスマホに公証人から「若干遅くなりそうです。」とのショートメッセージ(SMS)が入った。昼食からの帰りが遅れるのはよくあること。なぜ事務所の番号に電話しないのかとの違和感を抱いた。この違和感は日が経つにつれて不安、さらには恐怖へと変わっていくことになる。
 公証人からはSMSを通じて業務連絡だけでなく「神楽の花火、大きく見えてます」といった私的内容も多く届くようになった。8月16日には公証人から「+メッセージ」なるアプリのインストールを求めるメッセージが届いた。+メッセージとは携帯大手各社が展開するSMSの機能拡大版で、女性職員はその理由に疑問を抱きつつも、メッセージアプリのインストールは上司からの指示であったために従った。しかし、公証人は他の書記には同じ指示を出しておらず、届いたメッセージはその日の昼食の内容で、女性職員はこうしたメッセージが送られてくることに抵抗感を感じたという。
 8月28日、公証人から女性職員に(別の書記について)「業後にご意見をうかがいたい」との連絡があった。不安を感じつつも、公証人が予約した飲食店で二人で食事をした。その席上で出たのは仕事の話ばかりだったが、帰宅後、ハートマークの画像がスマホに送られてきたため、女性職員の不安はさらに深まった。その後も、休日を含め、公証人からのメッセージ攻勢は続き、9月18日夜の食事会の誘いがあった。不安を感じながらも女性職員は、その前に仕事でミスがあったことから従った。食事会の最中の話は仕事の話が中心だったが、気になったのは、問題のメッセージアプリについて妻に言っていないと公証人が自ら明かしたこと。女性職員は嫌悪感を覚えた。

「退職勧奨」との記載ある離職票に署名
 食事を終え、店を出たあと、やや酒に酔った様子の公証人が言った。「手相を見せて」。この後の状況と女性職員の心情が、訴状に添付された資料に記されている。「手を握られ、しつこく撫でまわされる。気持ち悪いなと思い、とっさに手を引いたところ、もう片方も見せてと言われ、また握られ、抱きつかれそうになった。慌ててかわし、手を離した。信じられない気持ちと、かなりの嫌悪感と、ショックと恐怖感があった。あまりにも怖かったので、今後の業務も不安になった」
 女性職員によれば、公証人は勤務時間中にも、同じ事務所に勤務する公証人の妻の目を盗んでは、不必要な近さまで体の距離を詰めて接触しようとしたこともあった。
 公証人の行動がピークに達したのは11月27日。女性職員が男子トイレを清掃していると、入ってきた公証人に「いてもいいよ」と言われ、困惑しながら退出した。女性職員が狭い給湯室の中でお茶の用意をしていると公証人が無理やり入り込んできたり、書類の説明の際にも公証人が肩を密着させてきたりした。これまで重ねてきた我慢が限界に達した女性職員は強い調子で拒絶した。
 直後に公証人の態度が一変した。昼休み、事務室が公証人と女性職員の二人だけになった際、公証人は「将来のこと考えているの?」「辞めるんだったら早く言ってもらわないと。こっちの準備もあるからね」と言った。それまでに女性職員が退職を考えたり伝えたりしたことはなく、だからこそ一連の言動にも我慢を重ねてきたのだが、このまま働き続ければ二人きりで会うことや身体的な接触を強いられるとの絶望から、翌々日、退職届を提出した。
 数日後、女性職員がハローワークに相談の上、雇用保険の離職証明書の具体的事情欄に「退職勧奨」と記入して公証人に提出したところ、事業主である公証人はこれに記名押印した。ここでいう「退職勧奨」とは、俗にいう「肩たたき」のこと。雇用者の側から被雇用者に退職を求めたのであり、被雇用者が自発的に辞めたのではないという意味だ。

団体交渉は平行線 決着は法廷へ
 しかし、女性職員には納得がいかなかった。「公証人からの一方的なセクハラ行為のために、なぜ自分が辞めなければならないのか。このまま泣き寝入りするわけにはいかない」。そう考えた女性職員は、弁護士事務所など法律関連の組織の職員が加入する旭川地方法律関連労働組合と、旭川労働組合総連合の支援を得て、公証人に団体交渉を申し入れた。
 2月から5月にかけて5回にわたり交渉が行われ、女性職員側は「退職届は瑕疵ある意思表示なので取り消す」と伝えたうえで、セクハラ行為を認めた上で謝罪すること、関係機関にセクハラ行為についてありのままに報告すること、再発防止策を講じること、被害者である女性職員へ慰謝料を払うこと、公証人を別の職場に配置換えしたうえで女性職員の復職を認めることなどを要求した。これに対し、弁護士同席で団体交渉に臨んだ公証人はセクハラ行為を認めず、退職届は有効であると主張し、団体交渉は平行線をたどった。こうして女性職員は5月20日の提訴へと至った。
 なお、ここまでは訴状や本誌が取材した女性職員側の主張をもとに記事を構成した。本誌は一方の当事者である公証人にも取材を申し込んだが、拒否された。

民間は敏感になっているが…
 団体交渉を通じて公証人が行った主張の一部を紹介すれば、「手相を見せて」と言われて差し出した手を撫でまわしたという女性職員の主張に、公証人は「指で手相の線をなぞっただけ」などと反論したという。しかし、仮に公証人の主張する通りだったとしても、多くの女性社員を抱える保険会社が、激励の意味で握手することを含めて身体的接触を厳しく禁止しているこの時代、指で女性職員の手をなぞったこと自体、批判を集めるのではないか。
 読者の中には、女性職員がなぜ最初からもっと毅然とした態度をとらなかったのか、最初からメッセージの私的なやり取りを拒否しなかったのか疑問に感じる人がいるかもしれない。女性職員が心配したのは、上司である公証人に冷たい態度を示せば、仕事に悪影響が及び、定年まで書記として働くという希望がかなわなくなる恐れだった。実際、初めて毅然とした態度を示したその日に女性職員は「辞めるんだったら早く言ってもらわないと」と公証人に告げられている。女性職員の心配が「考えすぎ」ではなかったことがわかる。
 なお、前述したとおり、旭川公証人合同役場では公証人の妻も一緒に働いている。法務大臣に任命される公務員であり、同業他社との競争にもさらされていない公証人が、(各役場が独立採算制であるとはいえ)妻を独自の判断で雇用することができるというのは不思議な話だが、日本公証人連合会によれば、こうした配偶者の採用に問題はなく、他の地域でも同様の例があるという。公証人は民間からの公募制度も存在するのだが、実際に民間から採用されたのは昨年までの16年間でわずか4人。事実上、裁判官、検察官、法務局長などの天下り先として活用されてきた。本人の天下り先に妻の就職先もセットで付いてくるというのだから、民間人としてはうらやましい限りだ。

横浜の法務局ではセクハラ防止講習も
 公証人が旭川に赴任する前に局長として勤務していた横浜地方法務局は、全国各地の法務局と同様、不動産登記、法人登記、成年後見などと並んで、人権擁護に関する業務も行っている。そのウェブページに「セクハラ・パワハラ防止研修 無料で実施します」とのチラシが掲載されているのはなんとも皮肉だ。
 この記事で紹介した女性職員の主張のうち、身体の接触に関するものなど一部は物的、直接的な証拠がなく、訴訟でどこまで認められるかは裁判官の判断次第だが、公証人から女性職員の送られたメッセージは明確に残っている。このなかでかなりの分量を占めているのは、ハートマークやカップルを模したキャラクターが身体を寄せ合っているイラスト。法務局のセクハラ防止研修ではこうした行為は「アウト」とは見なされないのだろうか。
 「男女共同参画社会」とのスローガンが約20年前から掲げられ、社会で活躍する女性も増えている。一方で、男性が上司、女性が部下という関係性の下、女性が理不尽なかたちで苦しめられている現実がある。深刻な事態に職場で直面しながら、声を上げられないでいる女性がまだまだいるのかもしれない。

表紙1908
この記事は月刊北海道経済2019年08月号に掲載されています。

コープさっぽろ旭川2店撤退

 人口減やドラッグストアなどとの競争激化に加え、昨年9月の胆振東部地震も影響して道内主要スーパーの苦戦が続いている。宅配事業が好調なものの店舗事業が振るわないコープさっぽろは営業利益が大幅に減。不採算店4店舗を閉店する方針だが、そのうち2店は旭川のアモール店と4条通店だ。

宅配事業を強化
 道内スーパー業界は、アークス、イオン、コープさっぽろの3グループがしのぎを削っているが、2018年度は人口減に加えドラッグストアとの競合が激化し、さらに胆振東部地震が影響して業績は総体的に振るわなかった。
 アークスは商号変更後、初の減収となり、17年度比0・3%減の5122億4600万円の売上高にとどまった。ただし、営業利益は2・6%増加した。イオンは、マックスバリュ北海道が2・6%の増収となったもののイオン北海道が0・5%の減収で、トータルでは1・3%の減収となった。
 コープさっぽろの売上高は前年比0・5%増の2834億円となったが、営業利益は29%の大幅減だった。宅配事業「トドック」が好調だったが、店舗事業が振るわず、売上高・客数ともに減となっている。
 売上高の約3分の1を占めるようになった宅配事業「トドック」が好調なことから、札幌市内に新たな拠点として、西岡センター、石山センターなどを新設し、取扱品目を増やし注文用スマートフォンアプリも新たに導入する計画。一方で、不採算店4店を閉店する予定だ。
 閉店する4店舗は公表されていないが、本誌が得た情報によると、旭川市内の2店舗「アモール店」「4条通り店」も閉店の対象となっている。

8店舗継承
 コープさっぽろは、旭川市内で現在8店舗を展開しているが、そのうち3店舗─アモール店、4条通り店、ツインハープ店(旭神3の5)は、旧「旭友ストアー」の店舗だった。
 旭友ストアーは旭川電気軌道のスーパー事業部で、最盛期に店舗数は15に達したが、ふじスーパーやアークス、コープさっぽろなどとの競争に敗れ、10年にスーパー事業からの撤退となった。前年に神楽の店は福岡から進出してきたディスカウント「トライアル」に賃貸されていたので、スーパー事業撤退時の旭友の店舗数は14。そのうち、アモール店とツインハープ店、西店(現・4条通り店)、旭町店、それに道南の登別店、萩野店(白老町)、木古内店、福島店の合わせて8店が賃貸され、コープさっぽろの店舗に衣替えした。
 当時、アークスが急成長していた旭川市内では、アークス傘下のふじが17店、道北ラルズが5店を展開。これに対してコープさっぽろは5店だけで、商品調達力で水をあけられつつあった。アークスに対抗し、旭川での勢力拡大のための、旭友ストアーの店舗継承だった。

老朽化の2店舗
 店舗数を増やしたコープさっぽろとアークスの争いは、ダイイチも巻き込んで熾烈になり、そこにイオンも〝参戦〟して今に至るが、「最近勢いがあるのいはイオン系のザ・ビッグだ」と、流通大手の幹部が解説する。
 この幹部によると、現在の食品スーパーの旭川での勢力図は─「宮前の1店舗だけのときは存在感が薄かったザ・ビッグだが、17年11月に旭川2店舗目の緑が丘店を開業してから、EDLP(エブリデー・ロープライス)の手法が旭川市民に認知されるようになり集客好調。アークスやダイイチ、コープさっぽろの既存店を脅かす存在となっている。旭友ストアーから継承したコープさっぽろのツインハープ店とアモール店はザ・ビッグの影響を受けており、アモール店と4条通り店は店舗の老朽化もあって不採算の状態から抜け出せないでいる」。
 コープさっぽろが閉店する4店舗に、アモール店と4条通り店が入っているのは老朽化が理由のようだ。

後継はどこか
 アモール店は1983年(昭和58年)に建った建物で、今年で築36年になる。前述のように2010年に破綻するまで旭友ストアーの店舗だった。店舗面積は4830平方メートル。一方、4条通り店は1976年竣工で、築43年を経ている。コープさっぽろの店舗面積は3300平方メートル。
 コープさっぽろは、アモール店を今年11月30日で、4条通り店を10月31日で閉店すると、大家である旭川電気軌道に通達している。
 賃貸借契約期間は7年余り残っているため撤退時期などについて現在、双方の話し合いが行われているが、今秋で閉店のスケジュールは変わらないと思われる。
 食品スーパー業界は生き残りをかけた激しい競争が繰り返されており、前述したようにイオン系のザ・ビッグがいま台風の目となっている。業界内では「マルカツ地下にあったラルズマートが撤退し市の中心部は食品スーパーが過疎の状態。コープ4条通り店の立地は極めて良い。4500平方メートルという敷地面積も手ごろで、コープさっぽろの後にザ・ビッグ出店という可能性も十分ありえる」と見られている。
 またアモール店の後継テナントとして、ディスカウントの「トライアル」の名前が早くも浮上しているとの情報もある。
 旭友ストアーからコープさっぽろへと引き継がれてきた2店舗の去就に注目が集まっている。

表紙1907
この記事は月刊北海道経済2019年07月号に掲載されています。

田園の雑貨店に本場のこけし

 5月18日、19日の両日、雑貨販売店のsimple(鷹栖町19線13号5)を会場に、こけしの展示即売イベント「ナマラコケシ」が開催され、町内や旭川市、遠くは本州から多くのこけしファンが訪れた。

 加藤美希さんが旭川市内で営んでいたsimpleは、2015年に田園風景に囲まれた現住所に移転し、現在は不定期でイベントを開催している。「ナマラコケシ」は、東日本大震災の復興支援活動をきっかけに東北地方とのつながりができた加藤さんが2015年に第1回を開催、今回が5回目となった。

 かつて農家の住まいだった建物を改装した店舗内には、津軽系、南部系、蔵王系、弥次郎系など様々な系統に属するこけしが陳列された。オーソドックスな作品のほか、ずんぐりとした作品、リンゴのような帽子をかぶったユニーク作品なども出展されていた。会場でろくろ(旋盤)を回しながらこけし作りを披露した津軽の工人、阿保正文さんによれば、こけし産地では伝統的なこけしだけでなく、工人の若い感性が反映された新しいタイプも作られるようになっているという。阿保さんもクラーク博士をモチーフに、右手を伸ばしたこけしを出品した。

 来場者は数々の作品に見入り、じっくりと品定めしていた。

表紙1907
この記事は月刊北海道経済2019年07月号に掲載されています。

優佳良織をハスコムが買収か

 2016年12月に破たんした㈱北海道伝統美術工芸村(以下、工芸村)が所有していた優佳良織工芸館など3施設(旭川市南が丘)を、旭川市内の大手不動産業者、㈱ハスコムを中心とする数社が買収する方向で検討している。買収額は1億1000万円。諸経費などを含むと2億円規模となる。6月以降、ハスコムや同業の㈱ホッポウ、旭川市と周辺7町で構成される大雪カムイミンタラDMO(観光地域づくり推進法人)などが合同会社を設立する予定で、将来的には旭川市が所有する東海大学旭川校跡地など優佳良織周辺も含めた場所でリゾート開発の構想もある。近年、旭川ではなかった大規模なプロジェクトだけに、今後が注目される。

ピーク時は年間100万人超の入館者
 ハスコムなど数社が優佳良織3施設を買収する方向で検討していることを報じる前に、同施設のこれまでの経緯を簡単に振り返ってみる。
 1980年に開業した優佳良織工芸館を皮切りに、86年の国際染織美術館、91年の雪の美術館と次々と開業したこれら3施設は、旭川を代表する観光施設として人気を集めた。91年のピーク時には年間100万人を超える入館者で賑わった。
 ところが、90年に道央自動車道深川─旭川鷹栖間が開通し、その直後に旭川新道も全線開通したことで、車の流れの変化から観光バスの運行ルートも変わってしまった。91年にはバブルが崩壊したことで買い控えが広がり、高価な商品の優佳良織には大きなダメージとなった。
 2000年代に入ると売り上げはさらに減少し、年間数億円規模の赤字が続く状態に陥った。施設の建設費などを融資していた複数の金融機関の中で、新生銀行(旧日本長期信用銀行)が、長銀時代の債権回収を急いだため、債権の価値が2割劣化すれば預金保険機構に売却できる「瑕疵担保」の取り決め実施を狙い、04年3月に優佳良織工芸館などの施設売却を申請した。
 それにより、当時施設を運営していた㈱エルム(木内和博社長)は60億円の負債を抱え実質的な経営破たんに追い込まれた。競売にかけられた施設は、05年2月の2度目の競売で、休眠法人の名称を変更して設立した工芸村(木内氏の妻が代表)が1億3000万円で買収するという奇策で取得した。結局、実質的な経営者は木内氏のままで、旭川市内の企業らが支援する形で再開することとなった。

経営好転せず11年後にまた破たん
 ただし、依然として苦しい経営状態は改善しなかった。16年11月に木内氏が死去したことでかじ取り役がいなくなり、同年12月12日、工芸村はやむなく旭川地裁へ破産申請して即日開始決定を受けた。破産管財人は旭川市の成川毅弁護士が引き受け、17年3月21日に第1回の債権者集会が開かれた。
 破産管財人は席上、「施設と工芸品を差し押さえている旭川市の同意を得て一括で売却したい」と説明した。2回目の債権者集会は同年7月に行なわれ、「施設売却先を探しているが、企業との売買契約に向けた実際の手続きは進んでいない」とした上で、「第一債権者である旭川市が所有して活用を考えるのが最適だ」と付け加えた。要は買い手が見つからず、旭川市に丸投げするしかない状態だったわけだ。
 同年10月の3回目の債権者集会になると、出席者は20人足らずとなり、債権回収のメドが立たないことでさじを投げた格好になった。破産管財人は、「施設の買収に向けて民間の3社が関心を示しているものの、契約までに至らない」と報告した。結局、第一債権者である旭川市の西川将人市長が18年1月、施設の存続支援を決定して旭川市と周辺7町が加盟する「大雪カムイミンタラDMO」(以下、大雪DMO)が運営主体となるプランを提案した。
 これには旭川市議会や大雪DMOに加盟する周辺7町からは反発の声が挙がった。
 ある市議は「3施設の土地と建物を取得するに1億円超、建物の改修や耐震補強などでさらに1億円超。3館の再生には少なくとも3億円が必要だ。この資金を大雪DMOが金融機関から借り入れ、営業再開にこぎつけたとしても、将来的に安定した経営が続けられるかはなはだ疑問」と、市の姿勢を批判した。
 7町の面々も「優佳良織の3施設合わせて、年間100万人を超えていた入園者も10分の1程度の約10万人に減少し、経営が悪化した。そんな施設をなぜDMOで抱えなければいけないのか。今後かかる経費も莫大でメリットがない」と切り捨てた。別のある町幹部は、「旭川にある施設だから、旭川市が面倒を見ればいいのではないか」と、いらぬ騒動に巻き込まれることに不快感を示した。

6月以降に合同会社を設立
 このような経緯を経て旭川市が考えたのが、滞納分を含めた固定資産税約5億4000万円を棒引きする代わりに、旭川市や周辺地域も協力して観光文化拠点へと再生するプランだった。
 この提案に対して昨年来、水面下で市内不動産業大手のハスコムや同業のホッポウが旭川市と協議を重ね、滞納分を含めた固定資産税をゼロにし、その上で買収することが決定的となった。買収額は1億1000万円。手続きにかかる諸経費を含め2億円近い投資となる。
 6月以降、ハスコムやホッポウなど民間企業と大雪DMOが新たに設立する予定の合同会社へ3施設を売却して、ひとまず管理を大雪DMOに任せる。具体的な施設の改修や活用方法は今後詰める。合同会社へは、ハスコムの山下潔会長が3000万円、ホッポウとほか数社が2000万円、大雪DMOが10万円を出資する予定。
 正式な契約は6月下旬から7月になりそうだが、大雪DMOで作成した「優佳良織工芸館等の活用に係る総括資料」によると、概要は以下の通り。

観光・文化・健康をテーマに掲げる
 事業名は、「大雪カムイミンタラ観光文化拠点商業複合施設整備」。事業概要は、今後の観光客増加を見据えた圏域の観光振興を一層充実するため、新たにマウンテンシティリゾートを当DMOの活動コンセプトとする中で、圏域の独自性や優位性が高い観光施設案内や文化、健康をテーマに掲げ、情報発信できるシンボル的施設を整備する。
 これにより、周辺の多様な観光や文化資源、施設などと調和した新たな滞在エリアの造成を図るとともに、圏域内さらには道内各地への周遊ゲートウェイ機能を構築する。
 主な施設は、観光に関する情報提供や各種周遊商品の手配や販売を担当する観光文化センターや、優佳良織やアイヌなど北の文化を展示販売、発信する芸術館。健康を意識したスポーツ施設としては、スパやe─sports、フィットネス、キッズパークなどを設ける。そのほか、地元食材を使用した飲食や物販、リゾートホテルなどを整備する計画だ。

「個人で支援する」
 優佳良織3施設を買収する方向で検討を進めているハスコムの山下会長は、次のように今後の展望を語った。
 「まだ決定したわけではないが、旭川市が主導的な立場で公共的なもの、例えば博物館のような施設を運営するというのであれば企業(ハスコム)としてではなく、市民の一人として(個人的に)応援したい。ただし、あくまで具体的な計画が見えてきた段階での話で、市の動きを見守っているところだ」
 一方、運営者の一つとして名前が挙がっている大雪DMOの林良和専務理事は、は次のような見解を示す。
 「合同会社を設立して、ハスコムの山下会長やホッポウの渡邊一憲社長らに協力していただく方向で進めている。買収後は、クラウドファンディングやファンド、専門性が高く高度な開発ができる企業に資金提供を依頼する予定だが、そのためにも買収した施設の中身をより濃くする必要がある。それは大雪DMOを含めた合同会社の使命で、この機を逃さず1市7町の観光振興など地域の活性化を目指すものにしたい」
 また林専務は、「観光施設一つ一つを見るだけでなく、訪れる人たちが自分に見合うものをプランニングして非日常感を味わえリフレッシュできる空間をつくりたい」とも語る。

広域で観光と文化を発信する
 ところで、気になる買収後の展望だが、優佳良織3施設がある場所は、背後に東海大学旭川校の跡地が控えている。土地と建物は東海大から旭川市が譲り受けたものの、具体的な活用法は何も決まっていない。そこで、合同会社の一員となる予定のホッポウの渡邊社長は次のような構想を披露する。
 「旭川を中心に広域で見ると、上川管内はスキーやゴルフ、釣りに温泉など観光資源が豊富で、最近の健康志向を後押しする医療機関も充実している。さらに、外国人に大人気のニセコにはない都市機能(旭川)も備えている。さらに、食材で見ると旭川は海や山のものが集まる都市でレベルが高い。やり方次第では、観光都市として世界に誇れるものを造ることができるはずだ。
 場所としては、優佳良織だけでなく遊休地となっている東海大跡地などを含めた広大な土地に国内外から人を集めることができる施設を考えている。大雪DMOが示した資料にあるように、この構想は好景気が持続している今の時期に始めないともうチャンスはやってこない」
 渡邊社長が力説するように、旭川を中心とした上川管内は自然と食べ物の宝庫で、これまで生かしきれてない部分が多かった。受身で積極的に前へ出ようとしない住民性が邪魔をしてきたこともあるが、ニセコに続き富良野が海外から注目され開発されようとしている。その線上にある旭川市や周辺8町も十分価値のある地域で、優佳良織の施設を地元企業が買収するすることをテコに、広域的な観光と文化の発信地を目指すべきだ。

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この記事は月刊北海道経済2019年07月号に掲載されています。