糸の油絵「文化刺繍」

 昭和の初めに、新たな時代の刺繍としての地位を確立した「文化刺繍」。その魅力に惹かれ、長年、制作の担い手として作品を展示発表し好評を得てきた旭川市の佐々木幸子さん(83)。今や文化芸術界の〝絶滅危惧種〟ともされる希少な存在になりつつあるジャンルの一つだが、「糸の油絵」と呼ばれる文化刺繍は、質感とともに、独特な世界観を紡ぎ出す。その醍醐味を積極的に追求してきた佐々木さんの多彩な作品にスポットを当ててみる。

一針一針ごと、味な〝糸加減〟でグラデーション
 被り物をした異国情緒漂う女性の横顔を描いた聖画「祈り」。敬虔そうな彼女の首元には十字架のペンダントがさりげなく光っている。その画面は金ラメ入りの金紗織地で覆われ、ひときわ上質感を醸し出している。18色の糸を用いて詰めて刺しながら、全体として立体的に表現したという。
 「自分の顔と長く付き合っているから、自分に似る?」と美術仲間から冷やかされるが、確かに作者自身の心のありようは作品に映し出される。そのせいか、楚々とした作者のたたずまいが女性モデルの表情に投影されている。かといって作業を振り返ると「目と口に工夫をした。怖い目にならないよう、あまり口を大きくしないように一針一針、神経を使いました」。
 瞳には茶色を施したが、「多く糸を使ってもダメだし、少なくとも微妙」。目元に用いたブルーにも「たくさん糸を入れると、隈になっちゃうから」と佐々木さんならではの味な〝糸加減〟でグラデーションを表現している。口にはサーモンピンク、唇の横と下に金系、頬はピンク、頭巾にはレンガ系の色合いの糸を使った。
 講師の資格を取得する際に挑んだ作品で「糸のつながりが難しかった」。顔は、先に刺した色の中へ次の色を割り込ませながら刺す「ボカシ繍」と呼ばれる技法を駆使。鼻から文化刺繍針で糸を刺し始め、しだいに下部へ針を進めた。「繊細な仕事。唇の出来しだいで年齢が出るし、すっきりしたものこそ粗が出る。人物画よりも、かえって風景のほうが誤魔化しがきく」。
 そう本音をのぞかせる佐々木さんだが、作品を収める額の重要性も指摘。額は人でいえば、ヘアースタイルに当たるそうだ。
 これに対し「高千穂峡」は50代後半の作品。立体と遠近法を意識した力作で、遠くにあるものから先に糸を刺し、岩は左側から刺し、次に葉っぱ、力強い滝は最後に手がけ、白い流れは厚く糸を重ねて刺していった。全体的には金ラメ地を生かし、奥行きを出しながら、光が反射するニュアンスを取り込み、水面の濃淡にもひと工夫。「単なる写実ではない、古典的な表現に努めた」と佐々木さん。

ヨーロッパを起源に持つ文化に日本の美意識紡ぐ
 ヨーロッパで20世紀初頭に誕生した文化刺繍。これが日本にもたらされたのは1928(昭和3)年、チェコスロバキアで行われた第6回国際美術教育会議に、日本代表として出席した美術教育家で手工芸家の岡登貞治が、そのとき催された「美術工芸の用具材料展」から材料等を持ち帰ったことが、きっかけだという。
 それでも当初日本では、ほとんど浸透しなかった。糸を使って絵画をつくる技法を日本で初めて成功させたのが、後に佐々木さんが講師と師範の資格を取得することになる「松鳩文化刺繍」。そして日本における文化刺繍が一定の地位を確立できた時期は、文化刺繍に関連した書物の著者でもある藤崎豊治らが改良を加えた30~35年にかけてだ。ちなみに、新しい時代の刺繍という意味で「文化刺繍」と名づけられた。
 45~55年に至るまで最も研究が進み、裏刺しの技法を応用した起毛法が考案され、より精緻な刺繍制作が可能になった。虎をモチーフに日本画風に仕上げる作品も生まれ〝糸の油絵〟と呼ばれるようになり、ヨーロッパを起源に持つ文化刺繍が日本でも徐々に普及する。
 50~60年にかけては刺繍しやすい生地を生産し、糸の多色染色も行われた。その後、糸はリリアン(手芸用のヒモ)をほぐしたものを用いて、用具が単純で技法も比較的難しくないため、一般の愛好者にも喜ばれた。さらには家紋や山水画が発表されると、掛け軸も市販されるようになる。
 こうした変遷をたどりながらも、現在は絶滅危惧種的に希少価値の高い文化となりつつある日本の文化刺繍。道内でも風前の灯火となっているが、その魅力は作り手たちが最も実感してきた。手間のかかる作業ではあるが、基本技法の「ランニング刺し」や、糸と糸を割り込ませる「ボカシ刺し」、斜めに刺す「コード刺し」を通じ紡がれていく作品には、質感とともに独特な味わいと趣がある。
 白と黒のモノトーンを基調とする山水、幸運を招く「開運招福の赤富士」、日本人ならではの美意識〝侘び寂び〟に裏付けられた家紋や各種縁起物。毛立ての手法で仕上げた虎をモチーフにした作品。「夕景」「牡丹」「紫陽花」といった日本の風景を題材にした佳作にも佐々木さんの創作に費やしてきた情熱をうかがい知ることができる。

表紙2007
この記事は月刊北海道経済2020年07月号に掲載されています。

西尾林業工場跡地にコープ宅配センター

 西尾林業㈱(遠軽町)旭川工場跡(旭川市北門町19丁目)の一部に、コープさっぽろの宅配事業「トドック」の配送センターが新築される。すでに工事は始まっており、10月完工、11月上旬稼働予定になっている。コープの宅配事業は年々伸長しており、新型コロナの影響で「家庭内消費」が好調なことを追い風に、さらなる売り上げ増を狙っている。

コープだからできた宅配事業
 コープさっぽろ(札幌市)は、売上高において道内でアークスグループ、イオン北海道に次いで3位。2019年3月期でみると、民間企業の売上高にあたる事業高は、2834億3516万円。内訳は、店舗が1889億3583万円(66・7%)、宅配事業867億3610万円(30・6%)、共済事業18億5118万円(0・6%)、その他59億1204万円(2・1%)となっている。実に全体の3割余りを宅配事業で稼いでいることになるが、同業他社でこれだけの比率で宅配事業で稼いでいるところはほとんどない。
 高齢化が進み買い物に出かけることが難しい人が増えていることや、買い物の時間がとれない共働き世帯が増え、宅配事業はどの食品スーパーも注目しているが、これまでなかなか実現することができなかった。その大きな要因として挙げられるのは、専用の宅配センターやトラックなどの初期投資、人員(ドライバー)確保や会員募集の手間や手続きなどの煩雑さ。
 コープさっぽろで宅配事業がスムーズに進んだのは、組織形態が一般的な民間企業とは違い、組合員からの出資金で成り立っていることも要因の一つ。宅配事業は、組合員からの要望で進められてきた経緯があったからだ。
 過去にコープさっぽろは、存続の危機にさらされた時期があり、それを乗り越えることができたのは、無農薬やオーガニックなどといった品質の高い品ぞろえを重点的に行い組合員の支持を得たことが大きい。薄利多売と言われる食品スーパー業界において、初期投資と手間のかかる宅配事業には挑戦しにくい。それでも敢えて組合員の要望に応えることができたのは、コープさっぽろならではのことだ。
 しかし、最近はインターネット通販が盛んになり、店舗販売を脅かしている。危機感を持った小売業は、店舗で購入された商品を自宅まで配送してくれるサービスを含め、宅配事業に力を入れるようになってきた。

配達量の増加でセンターを新設
 現在、順調に業績を伸ばしているコープの宅配事業だが、旭川地区に目を向けると、市内東光にある南センターと永山にある北センターは、宅配する量が年々増加して施設が手狭になっている。
 宅配事業本部旭川地区によると、「商品の供給がここ20年で1・7倍に伸長している。それにつれて商品の積み込みは車両を2回転するなど施設が手狭になっている」。センター新設の必要に迫られていたというわけだ。
 新たなセンター建設は、市内北門町18丁目と19丁目に跨る西尾林業旭川工場跡の約4割の土地を賃借する。土地の面積は約1800坪。センターの延床面積は約400坪。すでに工事は始まっており、10月完工、11月上旬の稼働を目指している。施工業者は帯広市に本社がある宮坂建設工業㈱。
 この場所には以前、イオン北海道のディスカウントスーパー「ザ・ビッグ」が進出するのではないという噂が業界内であったが、近くにイオンモール旭川西店がドンと構えていることから、この情報は実現することなく単なる噂に終わった。
 今年に入ってから、全国大手の旅行代理店がホテルを建設するのではないかという噂もあった。実際、旅行代理店の社員が同地を制服姿で視察に訪れている光景を見た市民がおり、信ぴょう性が高いのではないかと見られていた。ところが、新型コロナウイルスの影響なのかは不明だが、この計画も立ち消えになってしまった。

成長する宅配市場でさらにシェア拡大
 そうこうしているうちに3月に入り、ある食品スーパー大手幹部から「コープさっぽろが新たに宅配事業のセンターを建設する」という情報が寄せられた。5月中旬、現地を視察したところ、北門町18丁目側の土地の整備が進み、古くなって使われていない倉庫も解体されようとした。
 現場にいた施工業者、宮坂建設工業の社員は「近々建物の工事が始まる。10月末までに完成させて、センターの稼働は11月に入ってからと聞いている」と明かしてくれた。
 センター新設について、コープ旭川地区の担当者は次のように目標を説明する。
 「コープさっぽろの2020年3月期は、宅配事業が前年比102・7%の約890億円だった。事業高に対する宅配のシェアは3割を超えている。一方、旭川市内において事業高に占める宅配事業のシェアは現在16・7%。それを23年度に20%まで引き上げる目標を掲げている。宅配事業は今後も伸長すると想定して事業を進めていく。また、配送センターに『トドックステーション』を併設し、コミュニティスペースを提供することで地域に根差した施設を目指している」

新幹線の旭川延伸さらに困難に

 2017年末から18年初めにかけて道内経済界の関心事だった札幌駅新幹線ホームの設置場所の問題。現在の札幌駅の内部でホームをやりくりする「現駅案」と、東側に新幹線ホームだけをずらして新設する「大東案」が検討された。前者が選ばれれば2線以上のホームを確保することが事実上不可能となり、旭川延伸の可能性はなくなっていたが、幸い後者が採用された。ところがその新幹線ホームのすぐ横で高層ビルを建設する構想が浮上。札幌の経済界は大型プロジェクトに沸くが、旭川延伸を望む道北住民にとっては夢の終わりを告げる内容だ。

最悪の「現駅案」免れたのも束の間
 2016年3月に新函館北斗までの延伸が実現し、満を持して北海道に上陸した新幹線。道民の長年の夢が、青函トンネルの完成から28年後にようやく実現した。もちろん、新函館北斗は一時的な終着駅に過ぎない。2030年度末の札幌乗り入れに向けた工事が道南から道央にかけての地域で順調に進んでいる。新函館北斗から小樽を経由して札幌に至るまでには38本のトンネルが作られることになっているが、全体の掘削率は4月1日時点で25%だ。
 新小樽(仮称)を通過した新幹線はいったん地下トンネルに潜り、再び地上に現れて札幌駅に到着する。使用するのは札幌駅から、創成川通りをまたぐように東側にずらして新設される新幹線専用のホーム。当初は地下に設ける構想もあったが莫大な費用がかかるため断念。現在の駅の最も南側のホームを新幹線に割り当てる現駅案も浮上したが、在来線の列車に悪影響が及ぶことが問題となった。このため新たに浮上したのが「大東案」で、乗り換え客の歩く距離が延びるなどの欠点が指摘されながらも、結局はこれが採用された。
 まだ旭川を含む道北地域に一部、期待が残っている新幹線の旭川延伸は、もしも現駅案が採用されていれば、その瞬間に不可能になっていた。現駅案ではただでさえ2線のホームの幅が狭く、すぐそばに札幌ステラプレイスやJRタワーが迫っており、新幹線ホーム増加の余地がない。
 北海道新幹線が旭川まで延伸する状況を仮定すれば、その場合でもほとんどの列車は札幌発着となる。列車が到着し、乗客が大きな荷物を抱えて降り、車内清掃を行い、別の乗客が乗り込むまでにはある程度の時間的余裕が必要。函館方面から到着した列車の一部が札幌での一時停止の後で旭川方面(またその逆方向)に向かうためには、追い越し用のホームを確保しなければらなない。
 このため主要な新幹線駅には少なくとも4線のホームがある。もう延伸の可能性が残っていない鹿児島中央駅も、新幹線だけで4本のホームがある。北海道新幹線の列車が通る新青森、仙台は、それぞれが始発駅、終着駅となる列車が設定されているため、4線のホームがある。
 2線しか作れない現駅案が退けられたのは、新幹線の延伸を願う道北の住民にとっては幸いだった。ところが、ここにきて再び2線以上の確保が難しい状況となっている。新幹線ホームのすぐそばで高層ビルの建設が始まろうとしているのだ。

40階建て以上の高層ビル建設へ
 札幌駅に直結した商業施設「エスタ」の東側に「北5条西1丁目」の広大な敷地があり、現在は平面駐車場として活用されている。隣の「北5西2」(現在のエスタ)と合わせた合計2・2㌶を再開発する計画が、いま浮上している。北5西1には現在のJRタワー(38階建て)よりも高いビルが建つ。事業主体は街区地権者のJR北海道と札幌市を核とする準備組合で、昨年秋には準備組合が正式に発足した。完成予定は新幹線札幌延伸より少し前、2029年を見込む。
 JR北海道が用意した新幹線駅と駅前再開発のイメージ図がある。それによれば構想ビルと新幹線ホームの間には巨大なアトリウム空間が広がり、再開発ビル2階と、改札のある新幹線駅3階がエスカレーターで行き来できる。ホームの数は2線。これを3~4線に増やすためには、アトリウムを縮小するしかないように見える。なお、イメージ図には「新幹線駅の設計は今後行われるため図は設計を反映したものではない」との但し書きもついているが、アトリウムは設置に向けて動いている模様だ。
 そもそも、JR北海道が札幌駅での新幹線ホーム設置に苦労しているのは、そのために確保していたはずの広大な敷地をステラプレイスとして再開発してしまったから。そしていま、北5西1、北5西2の再開発で札幌の新幹線駅からホーム増設の余地が再び奪われようとしている。
 かつて、国が描いた新幹線網の青写真には、しっかりと「旭川延伸」のビジョンが描かれていた。全国新幹線鉄道整備法にもとづき1972年に行われた運輸省告示(いわゆる基本計画)によれば、北海道新幹線は青森を起点とし、函館や札幌を経由して旭川を終点にすると明記されている。
 旭川延伸ははるか昔のおとぎ話ではない。函館延伸が実現した2016年3月、当時の高橋はるみ北海道知事は「新幹線を旭川まで延伸したい」との考えを示した。旭川商工会議所も昨年、北大名誉教授を招いて旭川延伸に向けた「勉強会」を開いている。
 しかし、実際には札幌駅前で旭川延伸の障がいとなりそうな高層ビル建設が始まろうとしている。待ったをかける力を持った経済人も政治家もいない。これから語られる新幹線旭川延伸は、ファンタジーとして聞いたほうがよさそうだ。

表紙2006
この記事は月刊北海道経済2020年06月号に掲載されています。

返済義務無い給付型奨学金スタート

 西川将人市長4期目の公約に盛り込まれている、道内初の試みである成績選考と返済義務の無い「給付型奨学金制度」。予算枠に制限があり混乱も予想されたが、10億円を突破したふるさと納税寄付金効果もあって財源確保にメドがついた。

道の制度をカバー
 市が創設を目指していたのは、今年度から入学した高校1年生を持つ保護者に対し、返済不要の奨学金を給付する新たな制度。西川市長が1年半前の市長選で、4期目の公約に盛り込んだ目玉政策の一つだ。
 市が行った「旭川市子どもの生活実態調査」によると、「高校・大学の進学費用の負担軽減」を求める声が最も多く93・9%と断トツだった。また、学年別では「中学2年生」の子どもを持つ親から負担軽減を求める声が最も多く寄せられていた。
 このため市では、高校に入学した子どもを持つ世帯が最も財政支援を求めていると分析。高校1年生のいる世帯を対象に返済不要の給付型奨学金制度の創設に向けて準備を進めていた。ただ、生活保護世帯や年収がおおむね250万円以下の非課税世帯については、道から返還不要の約9万円の給付金を受け取ることができる。市が新たに対象と考えているのは、保護者の令和2年度の道民税と市民税の所得割額の合計が100円以上8万5500円未満の世帯。市の推計では年収がおおむね250万円から350万円の中間層の低所得者世帯ということになる。
 つまり、道の制度では対象にならない世帯を市が新たに対象にするという考えだ。

道内初の試み
 給付額は国公立の高校、高等専門学校が6万円、私立が7万円で定時制課程なども含む。通信制課程は3万円になる。使い道は高校などへの入学準備で多くの出費をした世帯が対象ということで、教科書費、学用品費、体育用品費、教科外活動費、通学費などが考えられている。
 この奨学金制度は返済義務がないということで、一定の基準を定めて支給するのが一般的だ。
 国では2017年度から独立行政法人・日本学生支援機構が、生活保護世帯や非課税世帯に対し、月額2万円から4万円の給付を行っているが、「十分に満足できる高い学習成績を収めていること」、「教科以外で大変優れた成績を収め、おおむね満足できる学習成績を収めていること」などの推薦基準を設けて支給している。道内でも札幌市、北見市、小樽市、苫小牧市が給付型の奨学金を支給しているが、国の推薦基準を参考に学校の成績による選考が行われている。
 しかし、旭川市については、世帯の所得だけで成績には関係なく支給する。道内では初の試みで、「教育機会の均等に寄与する新たな制度なので、成績に関係なく支給することにした」(子育て支援部)という。

表紙2006
この続きは月刊北海道経済2020年06月号でお読み下さい。

北海道ベースボールリーグ発足

 選手の育成と地域おこしを大きな目標に掲げる北海道ベールボールリーグ(HBL)が正式に発足し、5月8日にリーグ代表、2つのチームの代表らが記者会見を開いた。人手不足に悩む地域社会で働きながら練習を積んで、NPBなどより高い活躍の場に進むことを目指す。新型コロナウイルスの影響は避けられないが、既存のプロ野球ともアマチュア野球とも異なる独自のスタイルが地域社会に根づくかどうかが注目される。

新しい「プロ」の姿
 日本におけるスポーツの王様はなんといっても野球。サッカーやラグビーも人気だが、シーズンを通しての観客動員数は野球が圧倒的に多い。今季は新型コロナウイルスの影響で日本プロ野球機構(NPB=セ・リーグとパ・リーグ)の開幕が遅れているが、それでも道内のマスコミは北海道日本ハムファイターズの選手の動向を事細かに伝えている。
 アマチュア野球も依然として盛ん。コロナ禍さえ収束すれば、あらゆる球場やグラウンドに、小学生から大学に至るまで、さまざまな年齢、レベルのチームが再び登場し、選手たちがボールを追って躍動するはずだ。
 プロ球団ではあるが、従来のプロ野球にはない新しい野球のかたちを追求するのが北海道ベースボールリーグ(HBL)。5月8日に本拠地の一つである美唄市で記者会見を開き、リーグ設立を宣言した。
 HBLの最大の特徴は、選手の育成と地域への人材供給を大きな目標に掲げているということ。入場料で儲けることを追求するわけでも、何が何でもゲームで対戦相手に勝利することをめざすわけでもない。
 初シーズンの今季はレラハンクス富良野BC(レラ=アイヌ語で風、ハンク=へその意)と美唄ブラックダイアモンズ(黒いダイヤ=石炭の意)の2チームが参加し、それぞれ17人、14人の選手を集めた。選手は寮で共同生活し、1日4時間程度、地元の農家や店舗、企業で働いて、生活とチーム活動に必要な資金を稼ぐ。今季は相互の本拠地と準本拠地(レラハンクスは芦別市、ブラックダイアモンズは砂川市)を訪れて70試合を開催するのが、「コロナ前」の構想だった。

育成アカデミー
 HBLの代表を務める出合祐太さん(35歳)は2013年から富良野で選手たちの育成に取り組んできた。
 幼いころから高いレベルで野球に取り組んできた人材のうち、NPBに進めるのは頂点に君臨するごく一部。四国や関西の独立リーグやノンプロで野球を続ける人もいるものの、大半は高校や大学など学校を卒業した時点で他の進路を見つけなければならない。彼らに練習の機会さえ提供すれば、プロ野球など高いレベルで活躍できる人がいるはずと考えた出合さんは、13年に富良野市で北海道ベースボールアカデミー(HBA)を設立、全国から野球を続けたいと願う若者たちを集めた。
 HBAは選手たちは午前は地域で働き、午後を練習に充てるしくみ。選手の側には、セ・パ両リーグのような報酬は得られないものの、毎日まとまった時間を練習に当て、同じような目標を持つ仲間と切磋琢磨できるという魅力があった。人手不足に悩む地域の農家や企業、店舗にとっては、半日とはいえ貴重な人材の供給源となり、両者の利益が一致した。
 7季にわたるHBAの活動から自信を得た出合さんらは今季、富良野のほか美唄でも同様のチームを新たにに設置し、新たな独立リーグとなるHBL設立に踏み切った。HBA時代と同様、地域社会で働きながら野球の練習にも取り組み、さらにはリーグ戦も開く予定だったのだが、新型コロナウイルスによる肺炎の流行で、予想外の荒波の中での船出となった。
 とくに大きな影響を受けたのがレラハンクス。ホテルなどが休業や営業の縮小を余儀なくされ、観光分野で働く予定だった一部の選手について雇用先を確保できなくなった。5月8日の記者会見の時点でも3~4人の仕事が見つかっておらず、チームにとっての最優先課題となっている。
 5月11日のはずだった開幕は当面未定と発表された。経済活動や暮らしが正常化する見通しが立たず、試合の日程も組めない状態だ。また、当初は外国人選手も参加する予定だったが、コロナの影響でまだ実現していない。
 チームの練習にも影響が及ぶ。屋内の練習場やその2階にあるウェイトトレーニング設備は使えない。それでも野外でソーシャルディスタンスを保ちながら、週6日の練習に取り組む。

表紙2006
この続きは月刊北海道経済2020年06月号でお読み下さい。

「花月会館」再生計画スタート

 1907(明治40)年創業の老舗料亭だった花月会館(旭川市3条7丁目)の灯が消えてから2年半近くが過ぎた。この間、建物を取得した荒井建設(荒井保明社長)の系列会社アライ地所が入念な再生計画を練っていたが、3月中にプランがまとまり、4月1日から改修工事に入った。完成オープンは今年12月中旬の予定。「花月」の名を引き継ぎ、中心市街地活性化と原点回帰をコンセプトに掲げる旭川市民待望の復活劇である。

花月再興で地域の再生めざす
 アライ地所による再生計画で、最も基本となったのが「花月」の名前を残すことだった。白抜き文字でデザイン化された「花月」の文字は、現代書道の祖と称され日本の書道界に君臨した比田井天来氏が旭川を訪ねた昭和初期に、2代目渡部顕康氏に求められ揮毫したとされ、登録商標になっている。
 「花月」の名前を残すとともに「料亭花月」にもこだわった。大正7年発行の「料理店番附」では有力料理店が目白押しの旭川で上位にランクされ、格式高くおもてなしの精神が息づいていた。当時の精神を引き継ぎ、日本料理による原点回帰を目指すのが、花月とともに旭川の歴史を生き抜いてきた荒井建設グループの強い思いだった。
 社内議論を積み重ね、新生花月の事業理念として掲げたのは、駅中心市街地に空きビル・空き店舗が増える中、雇用と賑わいの創出で地域再生に取り組み、次の200年企業を目指すこと。また会館の経営では①クオリティの高い日本料理を提供する②「旭川でお客様を接待するなら花月」と言われる店③旭川一の料理と旭川一のおもてなしを提供する④お客様に感動を与えるサービスを提供する⑤最高の笑顔で接客する⑥お客様の心理を常に意識する─などであった。

宴会・会議・会合 人が集う多彩な用途
 発表された再生計画によると、地下1階、地上5階だった建物の1〜4階を大幅改修する。設計は一昨年12月に系列会社「アライホテルズ」(奥村章一社長)が経営に乗り出した「9C(ナインシー)ホテル旭川」を手がけた愛知県豊橋市の㈱レシピが担った。工事は荒井建設。
 1階はエントランスロビー、割烹カウンター(42席)、茶バー(6席)&レストランバー(4席)と186平方㍍の広い厨房。2階が舞台を備えた88畳の大広間で大名膳(座式)と高座膳(テーブル式)の和宴会ができる、広間はA(36名収容)、B(48名収容)と仕切って使うこともできる。このほか21畳の個室(20名収容)が2部屋。
 3〜4階は会議室で両階とも200名以上収容でき、収容数の違う部屋(36名〜63名)を4室ずつ取ることができる。3階天井はスケルトン、4階は高い天井と雰囲気が違う。会議室では弁当を取れるほかビュッフェ形式の宴会もできる。
 地下1階は事務室や従業員の休憩室、ロッカー室、倉庫などに使用し、従業員の賄い用キッチンも備える。5階部分は利用しない。
 割烹や宴会料理は、京都祇園にある板前割烹の老舗「浜作」の指導を受け、新生花月の調理長にも浜作の紹介を受けた料理人が就く。1階のカウンターや2階広間では、昼はお膳料理、割烹料理、夜は割烹料理、会席料理、単品料理など季節の味わいを感じる日本料理が楽しめる。
 再生される「花月」の運営は今のところアライホテルズが行う予定だが、新会社を設立する可能性もあるようだ。
 同社の奥村社長は「新生花月では従来の花月に欠けていたものも織り込んでいきたい。レンタルオフィスや旭川の若い経営者らが会合などで集まりやすいサロン的要素も盛り込み、会合の後には1階で料理を楽しんでいただきたい。ホテルとのすみわけを図りながら、市民に愛されてきた花月会館を復活させたい」と話している。

表紙2005
この記事は月刊北海道経済2020年05月号に掲載されています。

旧エクス再開発 政府から「ゴーサイン」の予算

 本誌2019年6月号が伝えた、1条通買物公園旧エクス跡での高層マンション建設計画。その後はこれといった情報がなく、経済界の関係者から本誌には「あのプロジェクトはどうなったのか」といった問い合わせや「結局は消滅してしまったのでは?」といった悲観的な予測が寄せられていた。しかしこの1年、水面下では着実にプロジェクトの実現に向けた作業が進められていた。関係者の口は依然として堅いが、国土交通省の発表を見る限り、唯一残っていた補助金という課題がクリアーされ、事実上の「ゴーサイン」が出たのは確実だ。

国と旭川市から総額4億円余り?
 国土交通省が3月末、ウェブページ上で発表した分厚い資料がある。令和2年度の予算概要から北海道関連分のみを抜粋した128㌻分の資料のうち「社会資本整備総合交付金」の項に、次のような記載を見つけた。「旭川市中心市街地における都市機能や交通結節機能の充実」。その右側には計画策定主体として「旭川市」、配分国費として「5500万円」の記載がある。見逃しそうになる小さな記述だが、これが高層マンション計画の事実上のゴーサインだ。
 前回、この構想について報じた時点で、建設費用は総額70億円前後とみられていた。補助金が5500万円だとすれば少なすぎるが、実際には国と同額の補助金が旭川市から提供されるため、合計1億1000万円。こうした補助金は一括して支給されるわけではなく、工事期間中に分割して支給されることから、工期が仮に4年だとして合計4億円余りに達する計算になる。
 昨年の時点で、プロジェクトの成否を左右するのは4億円程度の補助金が国と旭川市に認められるかどうかとの情報があった。その後、市の幹部からは「あとは国の判断次第」との情報も漏れ伝わってきていた。つまり、市としては補助金の支給に前向きだった。初年度となる2020年度の予算が国土交通省からついたことで、資金面の課題をクリアーすることが確実になったわけだ。

大手開発業者と地元5社が協力
 もう一度、昨年の本誌記事を振り返れば、この計画に参加するのは土地の権利を持つ地元企業5社と全国的なデベロッパー1社。構想では建物は地上25階建てで、3階または4階までの低層部分は商業施設として賃貸される。上層階のマンションの部屋構成は1LDKから4LDKまで合計110戸程度。最上階とその下の階は4LDKが中心、一部が3LDKとなる。最上階の4LDKの場合、分譲価格は数千万円を見込む。旭川の集合住宅としては過去に例のない高価格帯となるのは確実だ。
 本誌には最近、このプロジェクトに関して、「旧エクス建物の1階で現在も営業しているツルハが5月末までに撤退、8月から建物の解体工事が始まり、その完了後、来年8月または9月に新たな建物の工事が始まる」、「1階は地元企業の運営する商業施設、2~6階にホテル、7階から上がマンションになる」といった、昨年の記事の内容とは若干異なる情報も持ち込まれた。その真偽を確かめるべく、本誌は関係者にコンタクトしたが、いずれもノーコメント。ただ、冒頭で紹介した国交省の資料から、少なくともゴーサインが出たことは確実だ。
 タワーマンションの完成後は幅広い販売網を持つ大手デベロッパーが中心となって営業活動を展開する見通し。主な売り込み先としては、市内の高齢者を中心とする富裕層、そして外国人を含む市外の富裕層を想定しているとみられる。現時点では世界のどの国もコロナウイルスの騒動からの出口が見えない状態だが、一つ確実なのは建物が完成するころには騒ぎが収束しているということ。このタワーマンションも富裕層の投資対象となる可能性がある。

函館の開発ラッシュ 旭川でも再現か
 旭川市民が注目すべきはかつての30万都市・函館市(現在の人口は25万人)の駅前の変化だ。昨年1月、道内の老舗百貨店・棒二森屋が閉店したものの、道路を挟んで向かい合う場所にあるWAKO跡地では、2016年にマンションと複合施設を組み合わせた「キラリス函館」がオープンした。建物は地下1階、地上16階建てで、マンションは84戸。低層部分のうち地下1~地上2階は飲食店、物販店、コンビニ、銀行など、3階にVRなど先進技術を使って観光を楽しめる「はこだてみらい館」、4階に「キッズプラザ」が入居している。
 このほか、函館駅に近い一角では昨年12月、ホテルや高級賃貸マンション、昭和の雰囲気を再現した「函館駅前横丁」、スポーツジムなどが入居する11階建ての複合施設「ハコビバ」がオープンした。道内各地にパチンコホールを展開する太陽グループは大門地区で約6700平方㍍の土地を取得し再開発の意向だとも伝えられている。他にも複数のホテル新設計画が同時進行で進んでいる。
 函館では駅前から五稜郭地区に人の流れがシフトしてしまったと指摘されて久しいが、この数年目立つのは観光客の増加による駅前エリアの活性化だ。
 旭川でも中心部の人口減少、イオン旭川西をはじめとする郊外での大型店舗増加で中心街の「地盤沈下」が長年指摘されてきたが、今回事実上のゴーサインが出た駅前の高層マンション・ホテルの計画、そして3月1日に西武A館跡地で着工したツルハの複合商業ビルが、駅前エリアの「反撃ののろし」となるかもしれない。

表紙2005
この記事は月刊北海道経済2020年05月号に掲載されています。

学童保育でシダックスと29億独占契約

 西川将人旭川市長が就任以来、市政の目玉に掲げてきた子育て支援。その中核である放課後児童クラブの運営がこの4月1日からシダックス系の企業に委託されている。大型施設の管理、情報システムの保守運用など、行政が担う仕事の一部を民間に委託する場面が増えているが、今回は5年間で総額約29億円という「大型契約」。サービス品質の低下やスタッフの雇用不安を懸念する声もあるが、新年度から約3100人の子供にどんなサービスが提供されるのかが注目される。

共働き両親に不可欠のしくみ
 市内の企業に勤める40代の男性は、3人の子供のうち小学生の1人を、その子が通う小学校と同じ敷地内にある放課後児童クラブに預けている。「うちは共働き。2人の兄が中学校から下校する際、末っ子も迎えに行ってくれるので放課後児童クラブへの依存度はそれほど高くはないが、それでも不可欠。放課後児童クラブがなければ、夫婦のどちらかが学校まで迎えに行かなければならず、共働きは難しい」。
 子育て支援といえば、対象年齢がより低い保育園やこども園に注目が集まりがちだが、親の働いている小学生を受け入れる放課後児童クラブも重要な柱だ。2020年度は市内80ヵ所に設置され、その定員枠は3103人に達する。旭川市では2016年度まで「留守家庭児童会」と呼んでいた。自治体ごとに呼び方はまちまちだが、一般的な通称は「学童保育」となっている。
 旭川市の場合、対象は小学生1~6年で、労働、妊娠、出産、疾病、同居親族の介護などの理由で保護者が不在であることが条件。学校の授業がある日は下校時から18時30分まで、土曜日や夏休みなど長期休業期間などは朝8時から18時30分まで子を預かる(日・祝、年末年始などは休み)。保護者が払う運営負担金は月4000円で、減免制度がある。
 放課後児童クラブは、小学校の建物の内部や校外にある付近の建物に設置される。希望者が多い小学校については複数設置され、最も多い永山南小学校ではその数は4つに達する。4月1日現在、定員が最も多いのは66人、最も少ないのは20人となっている。
 各クラブの指導者は4人以上。主事と主事補が各1人で支援員(旭川市の嘱託職員)が2人以上となっている。ただし、主事は対象校(子供が通う小学校)の校長、主事補は教頭が兼任することから、実質的に子どもと向き合うのは支援員ということになる。

量的拡充から質的向上に
 なぜ、これまで市が嘱託職員を派遣して直接運営してきた放課後児童クラブを、民間企業に委託しなければならないのか。「公募型プロポーザル」の実施要領には、その理由が記されている。要約するなら「従来量的拡充に取り組んできた結果、待機児童ゼロを実現し、支援員の拡充も進めてきたが、近年は現場への指導や研修などで十分な対応が難しくなり、良質なサービスの向上、支援員の資質向上が困難になっているから」ということになる。
 そこで市は放課後児童クラブの運営を民間に委託する公募型プロポーザルを実施。市内の放課後児童クラブのうち、すでに社会福祉法人に運営を委託していた所を除く76ヵ所を東部・南西部・北西部・北東部の4ブロックに分割し、それぞれについて受託業者を募集した。昨年10月21日に審査会を開催したところ4ブロックすべてについてシダックスの子会社であるシダックス大新東ヒューマンサービス㈱が最も高い評価を獲得。11月6日に旭川市子育て支援部こども育成課とシ社の間で見積もり合わせを行い、北西部7億261万円、北東部7億9501万円、東部7億5143万円、南西部6億7478万円(いずれも5年間の総額)で随意契約を結んだ。総額は29億2200万円。総額を5年間で割れば年間6億円近く。委託する業務の質が異なることから単純比較はできないが、大雪アリーナの旭川振興公社に対する業務委託料も年間1億5700万円に過ぎない。放課後児童クラブの運営業務委託が旭川市にとり極めて規模が大きいものであることは確かだ。
 なお、プロポーザルにはシ社だけでなく、北東部でもう1社、北西部で1社、南西部で2社、東部で3社が参加して競合するかたちとなったが、評価点でシ社とはかなりの差があり、4ブロックともにシ社が独占することになった。

カラオケ事業からすでに撤退
 さて、シダックスと言えば市民の間ではカラオケ店の運営業者として有名。旭川市内でもかつては3条通7丁目と永山2条7丁目でも店舗を経営していた(いずれも撤退し、現在は別の業者がカラオケ店を経営している)。
 シダックスのもともとの本業は社員食堂の受託運営だが、2000年代初頭には野球部の活動で知名度を急激に高めた。先日他界した野村克也氏をゼネラルマネージャー兼監督に招へいし、都市対抗野球で準優勝を果たした実績もある。カラオケ事業には90年代に参入して全国展開したものの、業界の競争激化で赤字が膨らみ、18年にカラオケ事業を丸ごとライバルのB&V(カラオケ館)に売却した。野球部も廃部されて久しい。
 シダックスがカラオケに代わる新しい事業の柱として力を入れるのが、行政関連のサービス。学校給食業務は出発点となった社員食堂の受託運営と共通点も多い。もう一つが、約15年前から手掛けている放課後児童クラブ、児童館、子育て支援センターなどの運営受託。道内では他に苫小牧市、小清水町、本州以南では東京都練馬区、横浜市、千葉市、新潟市、東大阪市など各地で同業務を請け負っている。
 シダックスの子会社である大新東ヒューマンサービスは北海道支店の下に旭川営業所を設置。所長の下にエリアマネージャー1人、その下に各ブロックの統括責任者を1人ずつ置く。当面は混乱を避けるために、従来のそれぞれの放課後児童クラブの活動を継続していくが、市とも協議しながら新しいプログラムを取り入れていくという。

市職員減らしが本当の狙い?
 一般的に、市が手掛けてきた事業を民間に委託する際、最大の狙いはコスト削減にある。しかし、放課後児童クラブに関する限り、その効果は短期的には薄い。市こども育成係では、従来の体制を続けた場合と民間委託した場合の出費を比較して、当面は委託の方がコストがかさみ、契約期間の最終年度(2024年度)で、委託したほうが500万円割安になると試算している。もっとも、その後も民間委託を続ける場合には、長期的なコスト削減効果が期待できる。
 しかし、市には別の狙いがあるのではないかとの疑問を示すのは、旭川市議の石川厚子氏(日本共産党)。昨年6月の市議会定例会で石川氏は、「会計年度任用職員制度の適用となる前に民間委託をしてしまおうという魂胆が透けて見える」と指摘した。
 会計年度任用職員制度とは、この4月1日から導入された自治体職員の新しい制度。地方自治体で非正規職員が増加を続け、正規職員との賃金面などの格差が拡大、「官製ワーキングプア」の増加を招いているとの批判を受け、地方公務員法、地方自治法の改正を経てスタートした新しいしくみだ。これまで臨時職任用、一般職非常勤だった職員は、多くが「会計年度任用職員」となり、一定の条件の下で、期末手当、退職金などの支給対象に組み入れられることになる。約360人に達する放課後児童クラブの支援員を、新制度発足の前に市の常勤職員から外すことが狙いだったのではないかとの疑問を石川氏は抱く。
 市はこうした指摘を否定。支援員の今後の雇用についても、「本人が希望すれば全員がシ社に雇用される」と説明する。
 利用者の親にとっての関心事はコストや雇用継続よりも、新体制の下で子供たちにどんなサービスが提供されるのかだ。シダックス大新東ヒューマンサービスの旭川営業所では今後の新たな取り組みの例について「各現場で遊べるスポーツ鬼ごっこのレクチャーを行いたい。このほか全国的な人形劇団による訪問も計画している」などと説明する。
 シダックスの参入で放課後児童クラブは変わるのか、変わらないのか。多くの親たちが「5年で29億円の大型契約」の効果に注目している。

表紙2005
この記事は月刊北海道経済2020年05月号に掲載されています。

天人閣改修にやっと動き

 休館後1年半が経過し、廃墟同然になっている東川町天人峡温泉のホテル「天人閣」にかすかな動きが現れてきた。建物を所有する東京の㈱カラーズ・インターナショナルが、とりあえず日帰り温泉と土産品売り場をリニューアルし、部分的に営業を再開する意向を示したからである。地元東川町の関係者は「信用できる話なのか?」と半信半疑ながらも、静まり返る温泉街の再生に期待感をにじませている。

2度目の冬 依然放置状態続く
 創業120年を超える老舗ホテル。明治の時代から旭川の名門「明治屋」が経営してきた天人閣が8億4000万円もの負債を抱えて民事再生、自己破産の道をたどるようになったのが12年前。
 その後二転三転し、一昨年4月に、天人閣の従業員らによって設立されていた地元資本の㈱松山温泉(藤田幸雄社長)から、全国でホテルを展開する㈱カラーズ・インターナショナル(本社・東京港区、松本義弘社長)に事業譲渡された。
 しかしこの時の事業譲渡では、建物の所有権はカラーズ社に移ったものの、国有地や温泉の使用権、実際の運営などは㈱松山温泉が担うという変則的なものであったとされ、周囲からは「経営実態が見えてこない。この態勢でうまくやっていけるのか」といった、先行きへの不安の声も上がっていた。
 実際のところ事業譲渡が成立した一昨年4月にはカラーズ社の松本社長が、かつて日本ホテル協会会長を務めたこともある同社の中村裕会長とともに東川町を訪れ、松岡市郎町長や取引業者らに「地域とともに歩む天人閣の運営を目指す」などと話し、10億円以上を投じて施設の改装を行うことを言明した。
 しかしその後、具体的な動きが何一つないまま、その年の冬に入った頃には屋根からの雨漏りが目立ち始めたため、建物の改修を名目に休館となってしまった。
 給排水の配管設備も限界だったようで、屋根の改修と合わせ、客足の落ちる冬期間を利用して大がかりな改修工事が行われるものと思っていた東川町の観光関係者の期待をよそに、その後2度目の冬を迎えながらも建物は誰かに管理される気配もなくずっと放置されたままだった。

経営破たん後 再建の道模索
 旭川の名門「佐藤家」によって、100年間にわたり安定経営を続けていたはずの天人閣だったが、08年当時には約3億円にものぼる金融機関からの借金、数千万円にも及ぶ取引業者への未払い、さらに各種税金、負担金の滞納、そのうえ従業員給料や退職金未払い問題などを抱え、もはや自力では打つ手のない状況に陥っていた。
 そんな中で新たな経営企業も現れたが、引継ぎ時は予想もしてなかった多額の負債が出てきたため、やむなく自己破産の道を選ぶことになったが、その処理をする経過の中でスポンサー企業として名乗りをあげたのが登別に本社を持つ企業グループだった。
 同社は新たに東川町に本社を置く㈱松山温泉を設立し、天人閣のホテルの建物や営業権を5000万円で取得し、天人閣で宿泊担当として勤務していた藤田幸雄氏を社長に据えて、老舗旅館の再生に乗り出した。これが11年4月のことだった。
 しかしその年の夏には東川町が集中豪雨に襲われ、天人峡温泉に通じる道路が遮断され、天人閣も道路復旧まで休業を余儀なくされるなど、業績に影響が及ぶ事態となり、また東日本大震災で観光客の減少も重なり、かつての好調時にはほど遠い状況が続いていた。
 このため藤田社長は天人閣を守るために事業譲渡先を探し、各方面と交渉を重ね、苦労の末に見つけてきたのが㈱カラーズインターナショナルだった。

カラーズ社から本誌にメール届く
 カラーズ社は2013年の設立。首都圏を中心に「イーホテル」のブランドでビジネスホテルやリゾートホテルを展開し、コンサルティング・プランニング事業も行なっている。天人閣の行く末を案じていた地元関係者も「いい企業とめぐり会った」と、カラーズ社の支援体制に大きな期待を寄せることになった。
 しかし、その後は大きな変化は見られなかったものの観光客の入込みも前年並みを維持しつつ、松本社長が言明した「10億円を投じて施設の改修を行う」の実行を見守る事態が続いた。
 だが事業譲渡から半年間、内部的にはカラーズ社と松山温泉との間で様々な確執が生じていたようだ。事業譲渡の際の契約がどうなっていたのか外部には詳しく伝わってこないが、所有権や経営権、国有地の使用権など大きな部分で食い違いが生じていたようだ。
 天人閣が休館に入って以降、何がどうなっているのか情報は極めて不足している。松山温泉の藤田社長が「まだ(カラーズ社との間で)決着がついていない」といった状況にあることを行政関係に話しているとの情報はあるが、何がどう決着していないのか詳しいことはわからない。
 天人閣が〝休館〟を続けている間、本誌は2度にわたって同施設が廃墟同然になっている状況を報道してきた。また、北海道新聞でも「譲渡トラブルで休業」「再開のめど立たず」といった見出しで天人峡温泉が苦境に立つ姿を取り上げた。
 そうして休館から1年3ヵ月が過ぎた今年2月下旬、本誌にカラーズ社の松本社長から突然、メールが入った。内容は「カラーズ社の代表取締役の松本です。天人閣の計画ですが、自己資金で、まずは日帰り温泉と、お土産売り場を改装して、リニューアルオープンすることになりました。よろしくお願いします」。

今回は第1段階 図面もできている
 突然のメールに意外な感じを抱きながらも、何はともあれ松本社長に電話を入れ、詳しく聞いてみることにした。
 松本社長は、松山温泉から天人閣の事業譲渡を受けた後、改修計画がなかなか進まなかったことについて、「安かったので買ったが、間もなく、会社の金が横領されていることがわかり、改装計画どころでなくなった」と藤田社長との間で容易ならざるトラブルが生じていたと語った。
 また、トラブル発生後には「東川町の有力者5人くらいに来てもらい、とりあえず今の従業員らを辞めさせてほしい」と頼んだこともあるが、何も変わらなかったとも語り、その後は、カラーズ社が経営に乗り出した3つの新しいビジネスホテルの開業準備などで天人閣に手が回らなかったと、建物改修など事業計画の遅れを弁明した。
 そして、今回突然のように本誌に連絡が入った天人閣のリニューアル計画については次のように話した。
 「しばらくモメゴトが続いていたが、藤田氏抜きで松山温泉の株主らと話がついたので、計画に着手することにした。東川町からは建物を一度スクラップして新しく建てたらどうかという話もあったが、天人峡にとっても町にとっても貴重な観光資源である〝羽衣の滝〟を生かすために、とりあえず1億円くらいかけて日帰り温泉、休憩所、土産物などをリニューアルオープンすることにした。図面もできており、時期を見て工事に入る予定だ」
 さらに「今回は借金しないで自己資金でやるが、お金がかかるホテル部門の改修は金融機関からの借り入れをしなければならないので、第2段階で考える」と、今回があくまでも第1段階であることを強調した。

実現できるのか 予断は許さない
 こうしたカラーズ社の意向を東川の観光関係者はどう受け止めているのか。役場関係者は「カラーズ社からそんな話はまだ何も聞いていない。本当にやってくれるならありがたいことだが、これまでのこともあるのでまともに信じていい話なのかどうか」と半信半疑の様子。
 実際のところ、まだ契約が成立していない国有地の借り上げや固定資産税等、諸税の未納、旧従業員への給料未払いなど、クリアーしなければならない課題が山積している。
 「羽衣の滝を何とかしたい」というカラーズ社の思いがこの先、実現するかどうか、期待を込めて見守りたいが、カラーズ社としては持て余し物件であることは確か。予断は許さないというのが現実かもしれない。

表紙2004
この記事は月刊北海道経済2020年04月号に掲載されています。

旭川赤十字病院医師のあきれた言い草

 ケガをした患者は痛みを感じるもの。大ケガした患部を動かされれば声を上げるのが当然だ。ところが旭川赤十字病院(日赤)では、柔道の練習中に負傷して受診のため訪れた女子中学生の患者が「痛い」と叫んだ直後、担当した医師が「痛いんだったら見れないわ。帰ってもらいな」と告げてどこかに消えてしまったという。いったいどうなっているのか──。

呆然とする患者と看護師
 優しい医者、厳しい医者。「腕」が変わらないなら、誰でも優しい医者を選ぶはずだ。一方、不愛想で時に患者を叱る医者が多くの患者を集めていれば、それは信頼の証だとも言える。ただ、患者に無意味なほど厳しく、すでに負傷している患者の体をさらに傷つけそうな医師や、そんな医師が勤務している医療機関があるとすれば、敬遠したほうが良さそうだ。
 1月29日の夜、旭川市内に住む中2の女子、Aさんが母親に伴われて旭川赤十字病院を訪れた。通常の診療時間はとうに過ぎていたため、救急センターに向かい、受付を済ませた。
 Aさんはその直前、柔道を練習している最中に右肩に強い痛みを感じた。日赤でまず対応したのは研修医らしき若手の医師と看護師が1人ずつ。担当の医師が来るまでしばらくかかるので、待っているよう告げられたが、その間、研修医と看護師は痛みに表情をゆがめるAさんに優しく声をかけ続けた。
 約15分後、ようやくK医師がやってきた。その表情や歩き方から、母親は「ドラマで観るような虚栄を張った医師のよう」と瞬間的に感じたという。
 K医師は、Aさんの腫れあがった肩を見ず、イスにも座らずに決めつけるように言った。「骨折れてないから大丈夫だわ」。次の瞬間、Aさんの右手をつかみ、「上がらないのかい」と尋ねた。Aさんが驚いて答えられないでいると、いきなりAさんの腕を上に引っ張った。激痛を感じたAさんが「痛い痛い」と叫ぶと、医師はAさんの手首を放し、「痛いんだったら見れないわ。帰ってもらいな」と看護師たちに指示し、茫然とするAさん親子を残してどこかに消えてしまった。周囲には研修医や看護師など数人がいたが、いずれも唖然とした様子で、異口同音に「ありえない」と語っていたという。同時にAさん親子には平謝り。しかし母親は「あなたたちは悪くない。あの医師をここに呼んできて」と求めた。男性の看護師が追いかけるように走って行ったが、結局、K医師は戻ってこなかった。母親がその場に残った看護師らに「いつもこうなんですか」と尋ねたところ、うなずく人もいたという。
 実は、Aさんの母親も旭川市内の医療機関に勤務している。勤務先の医師の中には患者に対してこのような態度をとる人はおらず、だからこそK医師の行動を許すことができなかった。

「副院長から注意させます」
 Aさんはその後、当直ではないがたまたま院内にいた別の医師の診察を受けて、痛み止めを投与され、点滴も受けてから帰宅した。翌日、別の医療機関に行き、「右肩関節亜脱臼」と「腋窩神経麻痺」で全治3ヵ月との診断を受けた。2月19日現在も腕が上がらない状態が続いている。
 母親は日赤の医師への怒りがまだ収まらない様子。本誌の取材に対して、「私が付き添っていてもK医師はあんな態度だった。もしも娘が一人だけ受診していたら何も言えなかったはず。あんな医師が一人いるだけで日赤のイメージが下がってしまう」と語る。
 後日、母親が日赤に電話を入れたところ、総務課から「報告は受けている。副院長から注意させます」との説明があった。母親は内々で済ませるのではなく、この事案について全職員で情報を共有するよう求めたが、総務課から前向きな答えは得られなかったという。
 昔ながらの怖い「先生」は少数ながら今も残っているが、それは「先生の言うことを聞いていれば治してくれる」と患者が信じているからこそ。Aさんの母親が語る経緯からは、医師のプロとしての技量も意識も感じられない。
 Aさんが強い痛みを感じていたこと、右肩が大きく腫れていたことから考えて、医師には大けがを予測できたはずだ。にも関わらず、「持ち上げますからね」「痛かったら言ってくださいね」といった言葉をかけることなく、いきなり痛みのある方の腕を持ち上げようとするとは、いったいどういうことなのか。挙句の果てに「痛いなら診れない 帰ってもらいな」と告げたとすれば、常識では理解できない。

「個人情報保護」理由に取材を拒否
 以上は、Aさんの母親が本誌に語った経緯。日赤ではこの問題についてどう考えているかを尋ねるために取材を申し込んだが、「問題の医師には厳重注意処分を行った。それ以上は患者の個人情報に関することなので取材には応じられない」(総務課)。本誌は「その患者の母親が取材に応じている。個人情報保護を名目に取材を拒否するのは不当なのではないか」と尋ねたが、日赤の姿勢は変わらなかった。

表紙2004
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