「花月会館」再生計画スタート

 1907(明治40)年創業の老舗料亭だった花月会館(旭川市3条7丁目)の灯が消えてから2年半近くが過ぎた。この間、建物を取得した荒井建設(荒井保明社長)の系列会社アライ地所が入念な再生計画を練っていたが、3月中にプランがまとまり、4月1日から改修工事に入った。完成オープンは今年12月中旬の予定。「花月」の名を引き継ぎ、中心市街地活性化と原点回帰をコンセプトに掲げる旭川市民待望の復活劇である。

花月再興で地域の再生めざす
 アライ地所による再生計画で、最も基本となったのが「花月」の名前を残すことだった。白抜き文字でデザイン化された「花月」の文字は、現代書道の祖と称され日本の書道界に君臨した比田井天来氏が旭川を訪ねた昭和初期に、2代目渡部顕康氏に求められ揮毫したとされ、登録商標になっている。
 「花月」の名前を残すとともに「料亭花月」にもこだわった。大正7年発行の「料理店番附」では有力料理店が目白押しの旭川で上位にランクされ、格式高くおもてなしの精神が息づいていた。当時の精神を引き継ぎ、日本料理による原点回帰を目指すのが、花月とともに旭川の歴史を生き抜いてきた荒井建設グループの強い思いだった。
 社内議論を積み重ね、新生花月の事業理念として掲げたのは、駅中心市街地に空きビル・空き店舗が増える中、雇用と賑わいの創出で地域再生に取り組み、次の200年企業を目指すこと。また会館の経営では①クオリティの高い日本料理を提供する②「旭川でお客様を接待するなら花月」と言われる店③旭川一の料理と旭川一のおもてなしを提供する④お客様に感動を与えるサービスを提供する⑤最高の笑顔で接客する⑥お客様の心理を常に意識する─などであった。

宴会・会議・会合 人が集う多彩な用途
 発表された再生計画によると、地下1階、地上5階だった建物の1〜4階を大幅改修する。設計は一昨年12月に系列会社「アライホテルズ」(奥村章一社長)が経営に乗り出した「9C(ナインシー)ホテル旭川」を手がけた愛知県豊橋市の㈱レシピが担った。工事は荒井建設。
 1階はエントランスロビー、割烹カウンター(42席)、茶バー(6席)&レストランバー(4席)と186平方㍍の広い厨房。2階が舞台を備えた88畳の大広間で大名膳(座式)と高座膳(テーブル式)の和宴会ができる、広間はA(36名収容)、B(48名収容)と仕切って使うこともできる。このほか21畳の個室(20名収容)が2部屋。
 3〜4階は会議室で両階とも200名以上収容でき、収容数の違う部屋(36名〜63名)を4室ずつ取ることができる。3階天井はスケルトン、4階は高い天井と雰囲気が違う。会議室では弁当を取れるほかビュッフェ形式の宴会もできる。
 地下1階は事務室や従業員の休憩室、ロッカー室、倉庫などに使用し、従業員の賄い用キッチンも備える。5階部分は利用しない。
 割烹や宴会料理は、京都祇園にある板前割烹の老舗「浜作」の指導を受け、新生花月の調理長にも浜作の紹介を受けた料理人が就く。1階のカウンターや2階広間では、昼はお膳料理、割烹料理、夜は割烹料理、会席料理、単品料理など季節の味わいを感じる日本料理が楽しめる。
 再生される「花月」の運営は今のところアライホテルズが行う予定だが、新会社を設立する可能性もあるようだ。
 同社の奥村社長は「新生花月では従来の花月に欠けていたものも織り込んでいきたい。レンタルオフィスや旭川の若い経営者らが会合などで集まりやすいサロン的要素も盛り込み、会合の後には1階で料理を楽しんでいただきたい。ホテルとのすみわけを図りながら、市民に愛されてきた花月会館を復活させたい」と話している。

表紙2005
この記事は月刊北海道経済2020年05月号に掲載されています。
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