ついに浮上した〝銀座商店街再開発〟

この区画にビルが建設される見通し

 明治時代から続く「旭川銀座商店街」。誕生時から昭和にかけては連日多くの買い物客でにぎわったが、時代の変化の影響で徐々に客足が遠のいた。いまも三番舘をはじめとする個性的な人気店はあるものの、「新陳代謝」が進む買物公園と比較すれば銀座商店街の近況は市民にとり寂しい限り。しかしその銀座でようやく再開発計画が具体化した。三番舘・第一市場・銀ビル、そしてモダグループの所有する区画を合わせて活用する大規模なプロジェクトだ。狙い通り宿泊観光客を増やし、「旭川経済の起爆剤」になれるかどうかに注目が集まる。

にぎわった芝居小屋
 「旭川銀座商店街」の歴史は明治時代までさかのぼる。今年は旭川市の市制施行100周年の節目だが、百年前から令和の現在に至るまで、店構えや商品を時代に合わせて変えながらも、一貫して商いを続けている商店が少なくない。
 現在銀座センタービル(銀ビル)が建つあたりにはかつて芝居小屋の「大黒座」があり、大変なにぎわいぶりだったと言われている。なお、「銀座」の名前の由来には諸説あるが、大黒座が一時名乗った「銀映座」からとったとの説が有力だ。
 銀座でいまも商いをする店舗の関係者は、「とても忙しかった。庶民だけでなく、富裕層相手によく売れた」「人が多くて進むのにも苦労するほどだった」とかつての繁栄ぶりを異口同音に振り返るが、現在の銀座からかつての栄華は感じられない。三番舘をはじめ人気の店、個性的な店はあるものの、エリアというよりも個々の店の魅力や熱心な営業活動で客を集めている。「もう銀座商店街の名前ではなく、独力で勝負している」と直言する経営者もいる。
 追い打ちをかけたのが昨年のイトーヨーカドー撤退。後継店のトライアルは安売り型の24時間営業店と、性格がすっかり変わり、銀座エリアのために客を集める役割は果たしていないように見える。

買物公園では新たな動き続々
 銀座商店街も衰退をただ指をくわえて見ていたわけではない。吹き流しが涼しげな夏の風物詩が「七夕祭り」。他にも様々な取り組みを展開してきたが、いまから10年ほど前、商店街の役員が本誌記者に語った言葉が印象に残る。「人は集まったが、売り上げアップにつなげることはできなかった」
 この数年間も、銀座センタービル(銀ビル)内部での「あさひかわ福祉生活協同組合 銀座通内科クリニック」のオープン、モダ石油グループによる4条通15丁目の一角の買収と老朽化した建物の取り壊し、サウナの進出などの動きがあったものの、多くの店で経営者が高齢化したことにコロナ禍も重なり、新機軸を打ち出すことが難しくなっていた。
 こうした状況は、長年のライバルとも言える平和通買物公園とは対照的だ。買物公園からはデパートが次々に撤退したが、丸井今井に替わるフィール旭川、旭川駅直結のイオン、ツルハの新しいビルとホテルなどの進出があり、現在はエクス跡で大和ハウス工業によるタワマンの建設も進む。5条では旭川出身のタレント、杉村太蔵氏が中心となり開発した「旭川はれて」の営業もこの夏スタートした。こうした買物公園の新陳代謝と比較すれば、銀座の状況は一層深刻だ。そこにようやく、大規模な再開発の計画が持ち上がった。

面積約2000坪
 旭川中心部でこれまでに実現した再開発は、一つの大規模な建物を新しい建物に建て替えるのが一般的だったが、いま銀座で浮上している構想には、(南側から順に)三番舘、第一市場、銀ビル、そしてモダグループが所有する4の15の土地が関係する。業者として参加するのは市内の複数企業だ。
 開発の対象となる敷地の面積は2000坪以上に及ぶ。これらの土地は3条通、3・4仲通り、4条通という3本の道路によって3つのエリアに分かれているが、構想ではまず、その中央に位置する、現在は第一市場と銀ビルが建っている区画に5階建て以上のビルを建設する。
 ビルの1階は道産の生鮮食料品を中心に扱う市場とし、市民の台所として大繁盛としていた第一市場の再現を目指す。2階は1階で取り扱っているような食材を用いた料理が朝食の時間帯から楽しめるフードコート。3階以上には三番舘が入居する。なお、現在のプランでは建物は5階建てだが、容積率の上限までにはまだかなりの余裕があり、6階以上に集合住宅が設けられる可能性もある。この場合、一戸建てへの居住が何かと不便になる高齢者向けの賃貸住宅となる可能性が高い。
 現在の三番舘が建っている土地は駐車場として活用する。モダグループの所有地は駐車場として使うだけでなく、外食店を誘致することを検討している。
 もちろん、以上の概要は現時点での構想。今後の関係者間の交渉で変更される可能性は十分にある。
 こうした大がかりなプロジェクトの成否を左右するのが、地権者の意向だ。三番舘は㈱丸善三番舘が所有しており、1968(昭和43)年から段階的に建てられた社屋が更新のタイミングを迎えていることから、再開発に賛成している。銀ビルも同名のオーナー企業が所有しており、前向きに検討している。モダグループの所有地は、この数年をかけて買い集められ、賃借人などと交渉を進めながら段階的に老朽化した建物を取り壊して更地にしていたことから、すぐにでも再開発をスタートできる状況にある(4の15のうち4条通南側の土地については一部、他の地権者の所有地も残っている)。
 問題は第一市場。こうした施設ではよくあることだが、1918年に開場したこの市場では、区画ごとに所有者が異なり、104年におよぶ歴史の中で相続や分割、転売を繰り返したため、現在は所有権が多くの人物に分かれている。交渉は現在も続けられているが、これまで接触した権利者からは概ね前向きな反応が得られている。
 第一市場は建物の老朽化が、雪の重みでさらに加速しそう。今回の再開発構想が再生の最後のチャンスになる可能性が高く、最終的にはすべての権利者が第一市場を価値のない廃墟にするのではなく、再開発に賛同する道を選ぶと思われる。

三番舘も再開発構想の対象

宿泊観光客数 函館の4分の1
 活気を失った都市中心部の再開発にはさまざまな手法があるが、今回の構想の重要なポイントは「朝食」だ。
 道内を見回した時、札幌は別格として、ほぼ同じ規模のライバル都市は函館市。旭川と函館の経済を比較すれば、最も大きな差が出るのが観光業だ。観光客の入込数は旭川が507万人、函館が536万人(コロナ前の2019年度)と大きくは変わらないが、宿泊客は旭川がのべ90万泊なのに対して函館は382万泊。4倍以上の差がある。観光客が地域経済に落としてくれるお金は数百億円違ってくる。
 では、旭川市内に泊まってもらうにはどうすればいいのか。その答えが「朝食」だった。実際、函館では朝市の近くに、朝から営業している観光客向けの食堂が並び、活イカをはじめとする新鮮な海の幸を食べることができる。
 内陸都市の旭川もポテンシャルでは負けていない。オホーツク海、日本海、太平洋の漁港からぼぼ高速道路でアクセスでき、新鮮な魚介類を仕入れることができる。野菜、コメ、果物、食肉といった食材もそろう。朝食で函館と勝負し、宿泊客を増やすのは十分に可能だ。
 建物の1階に生鮮食料品の市場、2階は料理を楽しむフードコート。こうした組み合わせは、函館だけでなく、少し前までの東京築地、そして世界各地にある。コロナ禍が鎮静化し、インバウンド客が本格的に戻ってくれば、旭山動物園と並ぶ有力な観光スポットに育つことが予想される。3階以上に入居する三番舘も、ハイブランドやファストファッションとは違う、日本の普段着の魅力を発信しそうだ。なお、現在の第一市場は残りの店が数少ないことから、意欲に満ちた新しい店を募集する見通し。
 構想の実現までには資金確保という課題もある。大規模な計画だけに、既存の建物を取り壊すだけでも多額の費用が必要になり、公的な補助金の導入が不可欠。そのためには行政からのバックアップが望まれる。
 現時点でプロジェクトの対象となるのは前述した約2000坪のエリアだが、集客力が高まったあと、プロジェクトの第2期、第3期では銀座通を挟んだ向かい側(14丁目)にも協力を呼び掛ける方針だ。
 記者はいまから数年前、いまもプロジェクトに関わる関係者が第一市場の多くの権利者とコンタクトを取っているとの情報をつかんだ。その後の動きについては何ら情報がなく、とうにこの話は消えたと考えていた。水面下で動きが継続していたことを知り、関係者の粘り腰に驚くばかりだ。
 現在50代以上の市民なら、連日多くの買い物客でにぎわっていた銀座商店街の姿を覚えている。あの景色が戻って来ることを、市民のひとりとして願わずにはいられない。

この記事は月刊北海道経済2022年11月号に掲載されています
この記事をシェアする
  • URLをコピーしました!