増毛の海に日本製鉄が養分補給

 日本の漁獲高は長期的な減少傾向にある。長年指摘されていた乱獲、気候変動などの要因に加えて、近年注目されているのが陸から海に流れ込む養分の減少。砂防事業や護岸事業で水害は減ったが、海藻の生育に欠かせない鉄分をはじめとする養分が海で不足しているというのだ。こうした問題を解決する取り組みの先進地となったのが留萌管内増毛町の海岸だった。

増毛の海の成功体験が日本全国に広がる?

栄華今に伝える
 増毛町の市街地の一角にそびえる石造りの建物が「旧商家丸一本間家」。1881(明治14)年から建設された町家造りは、当時のこのあたりの繁栄ぶりを今に伝える。
 本間家の隆盛の礎となったのが呉服商、海運、酒造、そしてニシン漁。増毛に限らず、北海道の日本海岸は明治時代にニシン景気に湧き、各地から一攫千金を求めて多くの人がやってきて労働力となった。いまも多くの街には「ニシン御殿」が残っている。
 ニシンはそのまま焼いたり、干してから食用とされただけでなく、化学肥料が登場する前は鰊粕に加工され、日本各地の農業を支える重要物資だった。
 が、ニシンの漁獲高のピークは1987(明治30)年。それからは減少の一途をたどり、かつての繁栄はいま道内日本海岸のどこにも残っていない。ニシンだけではなく、他の種類の魚も減少、小型化が著しい。消費者がスーパーで買う魚は一昔よりも小ぶりで、しかも遠く離れた国からの輸入品であることが多い。
 遠洋、沖合漁業、養殖業などを合わせた日本の漁業の生産量ピークは1984年の1282万トン。それが2018年には442万トンまで減ってしまった。原因については乱獲、中国をはじめとする外国で漁業が盛んになったこと、気候変動などさまざまな要素が指摘されている。増毛漁業協同組合が注目したのは、海水に含まれる養分の減少だった。

海の生物のゆりかご
 日本各地の海岸を蝕んでいる現象が「磯焼け」。浅い海の岩場に繁茂していたコンブやワカメといった海藻類が消え、海底の岩が露わになる現象だ。海藻は海の生物の栄養源になるほか、産卵場所、外敵から身を隠す場所にもなる。海の中の森が消えれば、魚だけでなくウニ、タコなど多くの海の生物が住み家を失う。こうした現象が、一説によれば総延長にして5000㌔もの日本の海岸で発生している。
 ではなぜ海藻類は消えたのか。注目を集めた要因が、陸から流れ込む養分の減少だった。かつては大雨が降るたびに氾濫していた川の両岸に堤防が作られ、ダムで土砂の流出も抑制されるようになった。海岸もコンクリートの壁やテトラポットで固められ、土が削られる場所が減った。水害は減少したが、一方で陸から土砂とともに海に流れ込む養分は減った。
 海の豊かさと陸から流れ出る養分の関係が関心を集めるようになったきっかけは、北海道大学名誉教授、松永勝彦氏の研究だった。元来、土壌中の鉄イオンは腐食酸と結合して、河川を通じて沿岸域に供給されていたが、陸域の開発とダム建設で供給量が減少したために沿岸域は栄養不足となり磯焼けに至ったと、松永氏は論文や著書のなかで指摘した。
 松永理論については当時、懐疑的な見方もあったが、これに注目した増毛漁協は、1998年から水産加工場から出る残渣を発酵させて海の肥料を作り、波打ち際に埋設する活動を展開。翌年からは少しずつ海藻が増加していた。

製鉄所の副産物活用
 こうした活動に注目したのが新日鉄(現在の日本製鉄)。鉄鋼スラグと腐植土を混ぜた施肥材「ビバリーユニット」を活用して海藻を増やすことを増毛漁協に提案した。ここでいう鉄鋼スラグとは、鉄鋼を作る際に生じる副産物のこと。製鉄は経済全体を下支えする主要な産業であり、毎年生じる鉄鋼スラグの量も膨大。日本国内の高炉から生じるものだけで年間2165万㌧(2021年度)に達することから、鉄鋼業界にとってはスラグをどう処理するのかが重要課題となっている。これまではセメント用が約8割を占めていた。
 また、鉄鋼スラグには鉄分も含まれている。新日鉄は磯焼けで失われた海藻を、鉄鋼スラグを海に埋設することで復活させることができると考え、鉄鋼スラグと腐食物質を組み合わせた施肥材を、東京大学などと共同開発していた。
 新日鉄と増毛漁協はまず町内のアワビ中間育成施設の水槽で実験し、施肥材の効果を確認。上々の結果が出たため、2004年秋に増毛町舎熊海岸で、重機を使って実際にビバリーユニットを埋設した。翌年春、埋設場所から沖合い30㍍ほどの海域で大量のコンブが繁茂しているのを確認した。
 2014年秋からは国の環境生態系事業も活用しながら、新日鉄が中心となり大規模な事業を展開。増毛町別苅の約300㍍の海岸に6つの穴を25㍍の間隔で掘り、ひとつの穴に7・5㌧の施肥材を埋設。ホソメコンブの藻場面積を測定したところ、1年後の2015年の0・6㌶から8年目の2022年には3・3㌶と5・5倍に拡大していることが確認できた。松永理論の正しさが裏付けられた。
 海藻が生い茂ったためか、ウニ、アワビの身入りが良くなるとの効果もあった。海藻が増えるとウニ、アワビが隠れる場所が増えて漁が難しくなり、単純に漁獲量が増えるわけではない。しかし、海藻は多くの魚種の産卵場所や住み家となり、付近に住む魚を狙ってより大型の魚も集まるとみられることから、増毛漁協は今後に期待する。
第三者が効果を認証
 新日鉄が住友金属と合併して誕生した日本製鉄にとっても、この事業は大きな意味を持つ。製鉄産業は大量の二酸化炭素を空気中に排出しているが、日本政府が2050年のカーボンニュートラルを目標に掲げたことから、製鉄所からの排出量減少に取り組むだけでなく、製鉄とは直接関係のない場所でCO2削減策に取り組む必要がある。新たに造成された海藻藻場は大気中のCO2を長期間貯留することがわかっており、これを「ブルーカーボン」と呼ぶ。日本製鉄が海藻を増やせば増やすほど、ブルーカーボンも増加し、カーボンニュートラルに近づくことになる。
 日本製鉄と増毛漁協は共同で、Jブルークレジットに申請し、直近5年間の2018~22年に吸収・固定化されたブルーカーボンとして、49・5㌧の認証を受けた。海藻の育成によるCO2の固定が、初めて第三者の評価を受けた。漁協と民間企業のJブルークレジットへの申請はこれが初めてのケースだ。2月10日にはJブルークレジットの交付式が行われた。
 日本製鉄は本誌の取材に対して「クレジットの転売などは考えていない」と説明する。ただ、日本製鉄では、増毛の海での成功を足掛かりに、同様の取り組みを日本全国の海に広げていく考え。道内では増毛のほか、泊村、古平町、鹿部町、本州では宮城県女川町、三重県志摩市など、合計全国44ヵ所で同様の事業を展開している。増毛漁協も、増毛での成功体験が全国の海で再現されることに期待している。
他の海藻も必要
 増毛漁協が目指すのは、海岸から近くで、一人乗りの小型船を操りながら魚を獲る「浅海漁業」の漁獲量の増加だ。浅い海で取れるウニやアワビなどは単価が張る高級品だけに、実現すれば経済効果は大きい。
 仮にかつてのようなニシン漁が復活すれば、増毛だけでなく、北海道全体の経済にも大きな影響を及ぼすことになる。ただ、ニシンの卵は受精後、これまでの事業で主に増加していたホソメコンブではなく、ホンダワラという別の種類の海藻に付着することが多く、ニシンの群れを呼び戻すためには、ホソメコンブを起点に他の海藻も繁茂することが条件となりそうだ。
 ビバリーユニットが埋設された場所に近い別苅の海では2021年の4月17日朝、ニシンのメスが産卵し、オスが放精して海が濁る「群来」(くき)と呼ばれる現象が観測された。増毛の他の海域に続く群来に漁業関係者の期待は高まる。
 磯焼けに苦しんでいた日本中の海で再び海藻が生い茂るようになれば、ニシンをはじめとする魚が戻り、魚売り場でも近海で獲れたものが再び「主役」に返り咲くかもしれない。

この記事は2023年03月号に掲載されています。
この記事をシェアする
  • URLをコピーしました!