美瑛町長選 現職角和に軍配 怪情報で墓穴掘った?佐藤陣営

 一進一退、激しい攻防を繰り広げた美瑛町長選(4月23日に投開票)。最終的には現職角和浩幸氏(55)が元町議会議長佐藤晴観氏(49)に大差で勝利した。道議選上川地域選挙区に美瑛町から出馬した自民党公認今津寛史氏(49)の選挙戦とも連動し、町を二分する緊迫感のある選挙戦でもあった。

背景に様々な対立構図
 町政史上最多の4人が出馬した前回2019年町長選は5期務めた浜田哲の勇退に伴い、元町議の角和浩幸、浜田の実質的後継で元町職員の嵯城和彦、元町職員後藤秀俊に加え、会社役員の武田信玄による乱戦となった。この時のしこりとも思われる形で2007年以来5回連続となった今回の選挙戦は、前回の覇者で現職の角和に新人の佐藤晴観が挑んだ構図だった。
 角和陣営は、道議選で勝利した今津寛史の連合後援会長でJA美瑛組合長の熊谷留夫が後援会長、美瑛町観光協会長の西海正博が幹事長として選対を仕切った。一方の佐藤陣営は、美瑛町商工会長の瀧田勝彦を会長とする佐藤後援会を軸に、浜田後援会と嵯城後援会メンバー、今津後援会の実働部隊などで構成する勢いのある布陣で臨んだ。
 「農協VS商工会」と一面的にとらえる見方もあるが、血縁や県人会に代表される出身県など、美瑛ならではの人間関係も背景にあり様々な対立構図が潜む。訴える政策にさほど違いはなく角和町政1期目に対する評価が最大の争点となった。浜田町政に代わり新たな行政の流れを築いてきた角和がリーダーに選ばれるのか。それとも浜田町政を何らかの形で継承することになる佐藤町政が誕生するのか。観光や農業などの面で全国的に知られる町の将来を左右する一大決戦となった。
 そして迎えた投開票日。
 角和選対事務所では開票時間に先立ち、念入りに〝最後の神頼み〟と称し、「むてき」(無敵)の文字が背中に刻まれた縁起のいい愛用のジャンパーに身を包んだ熊谷らが当選祈願祭を執り行った。開票が始まると、事務所に駆けつけた支持者らが途中経過に身を乗り出し、午後9時4分に角和2100、佐藤1900票と差が開いた時点で拍手が起きた。9時9分に当確が出ると相次いで近郊の首長ら来賓が姿を見せ、たちまち歓喜に包まれた。
 後援会長の熊谷は緊張気味に「おかげ様で勝ち取ることができました」と勝利の挨拶。角和には「新しい美瑛をつくってほしい」と期待を込めた。衆院議員東国幹は「角和さんの4年間の実績や、取り組みを多くの町民が認めた結果」と祝福し、道議の今津からは「お互いに美瑛町の両輪になり頑張って参りましょう」。旭川市長の今津寛介が「兄弟で失礼致しております」と開口一番話すと、その場は爆笑。角和自身は「様々な攻撃もありましたが、一貫して政策を訴える王道の選挙を戦い、非常に大きな重責を感じ、身の引き締まる思い」と選挙戦を振り返り、これからの町政を見据えた。

一時は佐藤優勢 「6対4で分がいい」
 選挙戦では、佐藤陣営の方が「墓穴を掘った?」との指摘もある。角和が昨年12月出馬表明したことを受け、今年1月に佐藤も立候補。大義名分としては役場組織が十分に機能せず、「今の状態で、あと4年という訳にいかない」との思いからだ。複数の役場職員から不平不満を聞かされ、それらの代弁者として名乗りを上げたのが佐藤だった。商工会青年部で約30年、町づくり活動に携わり、今津が道議選で実質的な後任となった故竹内英順との出会いも大きかった。これらの機会が佐藤自身を育ててくれた恩返しの意味も込めて臨んだのが、今回の町長選だ。佐藤の恩師で議長経験者の齊藤正が「今、役場は大変な状況にある」と共通した認識を持っていたことも佐藤の背中を押した。
 地元商工業者や旧来の仲間をはじめ、有力者の支援を受け後援会活動は日増しに活発になり勢いが加速。一時は佐藤優勢、「6対4で分がいい」との見方が広がったほどだ。「町民一人一人の意見が大きな岩を動かす原動力となる」と町民から意見収集に余念がない後援会に寄せられた意見の中には、次のような気になる内容も寄せられた。「最近、役場では若い職員や中堅の早期退職が目立つけど、何かあったの?」「移住を促進する住宅補助はあるのに、元々美瑛に住んでいる私たちには何の補助もないんですね」と複数。これらの意見も佐藤には力強い後押しとなった。
 そして迎えた告示の日。
 役場近くに構えた事務所前には、多くの支援者が詰めかけ佐藤は「庁舎内のことが一番心配。連携が行き届かず職員が働きやすい環境にするため、副町長を(従来の)二人にすることが急務」などと第一声を上げた。佐藤陣営が選挙戦のポイントに挙げ、最終日に行った「宇野商店」(美瑛駅前)前での街頭演説は、目を見張るものがあった。
 宇野商店といえば恩情の深い人柄で長らく商工会長を務めた宇野松吉が創業。宇野は消防・神社総代、初代選挙管理委員長などを歴任し「言葉は少ないが、重みがあって、誠実性が行きわたり相手を魅了」(美瑛町商工史)とも伝わる名士でもある。そんな老舗の商店に隣接する場所に町議時代から事務所を設けたのが佐藤。その佐藤は「美瑛愛」の文字を刻んだ鉢巻き姿で登場したが、「この美瑛の底力を出してくれる人が、この人」と語気を強めたのが美瑛町議青田知史だ。応援演説を終え、多くの聴衆が見守る中で青田が土下座して、支援を呼びかけた際には、一時唖然とした雰囲気に包まれた。

波紋広がる「身売り計画」
 対する角和陣営では、角和の地元旭・北西地区を中心とする〝岩盤票〟を強みに、各種農業団体、佐藤と一線を画す一部の建設業者(中には佐藤と角和双方支援者も)、観光業者らで支持層を固めた。総決起大会で後援会長の熊谷が、角和町政を1期だけで評価するのでなく、町長自身を育てる大切さを強調して理解を求めた場面は印象的だった。「聞いて、聞いて」をスローガンに、献身的に町民の声を聞く角和が、「持ち前のセンスを発揮し、美瑛の価値を押し上げてくれた」(JA美瑛青年部長坂田敬太)。こうした支援者の激励が、陣営内のモチベーション向上にもつながった。
 旭・北西地区連絡協議会長の浦島規生が「美瑛生まれでなくても今までの美瑛を変えてくれる」と地域をまとめ上げたことも奏功。今津寛史美瑛後援会の遊説隊として今津勝利に大きく貢献した本山忠寛も角和陣営のムードメーカーとして一躍〝話題の人〟に。この本山の明るいキャラクターが選挙戦そのものを盛り上げ、総決起以降、とりわけ存在感を増した。
 角和町政には当初から一部で厳しい批判が寄せられ、角和陣営としては向かい風を受けながらの選挙戦ともなった。その一つが告示直前に町内で出回った怪情報だ。その内容は出所不明だったが、美瑛物産公社をめぐり、町外事業者への不透明な経営権譲渡疑惑が浮上し、「身売り計画が秘密裏に進行?」と指摘したもの。しかも、こうした計画が「町役場の上層部だけで話しが進められている」と具体的な町外事業者名も挙げ、角和町政に疑問を投げかけた内容だった。
 告示直前のタイミングということもあり、この怪情報を受け角和陣営に衝撃が走った。情報源は特定できなくても自ずと佐藤陣営には疑問の矛先が向かい、これらの真偽も含め政策について意見交換する場を設けようと、角和陣営から佐藤陣営に公開討論会の開催を求めたが、これに佐藤陣営は応じず。怪情報の発信元が佐藤陣営でないことも公然と主張したものの、町民の多くが佐藤陣営に疑念を抱いたことは否定しきれず、これが「墓穴を掘った」という見方につながったとみられる。
 選挙戦でも格好の話題になったため角和はJA美瑛の屋外で行った街頭演説で、「物産公社が東京の会社に売却されるかもしれないという情報は、全く根も葉もないこと」と完全否定し、その上でこう呼びかけた。「選挙の直前にこうした怪文書が出ること自体陰湿なこと。これからの美瑛は温かい太陽の下で、公明正大に意見が言える町に変えていかなければなりません。この美瑛の町をいい方向に変革していくため時間を私に与えて下さい」
 こうした角和の姿勢に共感した浦島が彼と重ね合わせた人物が、かつて5期町長を務め名誉町民となった安藤友之輔だ。角和と同様に北西地区を地盤とする〝岩盤票〟を確立して、語り継がれる名士でもある。この安藤の実績を手本にしながら、改めて「改革者」として美瑛の町づくりを進めていくことに多くの町民が期待している。

この記事は月刊北海道経済2023年06月号に掲載されています。
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