この先どうする東国幹 「今津後継」に浮上?

衆院選_今津後継 旭川市長選で無念の敗北を喫した前道議の東国幹氏。当面は選挙に協力してもらった今津寛氏や加藤礼一氏、さらに保守系市議の次期市議選の応援に回るほか、支持者らへの〝おわび行脚〟に専念する考えだ。その一方で、今回はからずも衆院選の比例名簿に登載されたことから、周辺からは「衆院選立起の実績ができたことで、今津後継の筆頭になる」との説が浮上してきている。

東には予想外だった名簿記載
11月9日夜、市長選敗北を覚悟した東は、選対事務所で「すべての敗因は私の不徳の致すところ」などと敗戦の弁を語り、立起表明から84日間、ともに汗を流した支持者らの労をねぎらった。やがて支持者の姿がなくなり、閑散とした事務所で激闘の余韻にひたっていた東だったが、翌日からさっそく〝おわび行脚〟に励むことになった。
訪問先は、旭川市内30地区の地域後援会関係者宅と企業後援会約千社。東は「いろんな人に支えてもらって散らかしたものを、片づけておかなければならない」と選挙戦の時と同じ気概を持って一軒一軒、あいさつ回りに余念がない。
そうした矢先、突然決まったのが今回の解散・総選挙だった。失意の底に沈んでいたはずの東にも想定外の白羽の矢が立ち、自民党北海道ブロックの比例代表名簿の「15位」に登載されることになった。
これは11月21日に開かれた自民党道連役員会で、東を比例名簿に登載する案が出たもので、その日のうちに伊東良孝道連会長から東に電話で打診があった。東は翌日すぐに今津に電話で相談したが、伊東会長から話を聞いていたという今津は「明日、加藤礼一と3人で集まって話をしよう」ということになり、今津選対の事務所開きがあった23日に話し合いが持たれた。
今津と加藤は「自分自身の問題だから、東が自分で決めればいい」と東に判断を任せるとして別れた。思案した東は、それから6時間ほど後に今津に「名簿登載を了解することにする」と電話を入れた。衆院選を共に闘い、少しでも今津の集票に貢献できればという思いだったようだ。
自民党道連では、前回の衆院選から比例名簿登載者については、人数合わせで道連の事務職員を名簿に載せるなどの安易なことをせず、政治経験のある人物を名簿に載せることにしたが、今回の東のケースもそれにならったものだという。
しかし、東の比例名簿登載については「市長選に敗れたばかりで衆院選に立候補するなんて、支持者たちにどう説明するのか」といった批判的な声が、自民党内の一部で広がったことも確か。
こうしたこともあって東は、比例名簿登載に至った経緯について、11月28日にロワジールホテル旭川で開いた「あづま国幹連合後援会」役員会や記者会見で、事の真相を説明し理解を求めることになった。
ただ、東のこの時の説明が、今津選対関係者すべての理解を得たとは言い難い。市長選で東を支えたある人物はこう語る。「今津選対内で、比例代表名簿の15位にある『東国幹』の3文字を見るたび、興醒めした気持ちになる」。

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この続きは月刊北海道経済2015年1月号でお読みください。
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