怒りを上手にコントロール

 数年前に本誌で記事化したある職場でのトラブル。被害者が録音していた加害者の声を聞けば、一度火がつくと制御不能に陥る加害者の怒りの感情が最大の原因であることは明らかだった。昨年春には中小企業もパワハラ防止法の対象に加わり、怒りのコントロールがこの地域の企業にとっても重要な課題となっている。市内で活動する「アンガーマネジメント」の専門家に話を聞いた。

怒りで一生をフイに
 人間の基本的な感情である「喜怒哀楽」のうち、インターネットの普及で可視化されるようになったのが「怒り」。動画サイトやテレビのニュースを見ると、運転中に些細なことで他のドライバーに対して激昂した人物があおり運転を始めたり、相手のクルマを無理矢理停車させて暴言を浴びせたり暴力をふるう様子が頻繁に登場する。悪質な場合には、こうした行為が刑事罰に問われ、人生をフイにしてしまうことさえある。この時代、喜怒哀楽のうちリスクが最も高い感情が「怒」と言えそうだ。
 それほど極端な状況ではないとしても、言うことを聞かない我が子や部下に対して冷静さを失うほど怒った経験のある人は少なくないはず。それで効果が上がるならともかく、相手がさらに反抗的になったり、関係が修復不可能なほど悪化してしまうこともある。

アメリカ発祥の手法
 いまでは「パワハラ」の概念が広く知られており、昨年春には中小企業もパワハラ防止法の対象に加わった。下手に怒れば、怒った当人にとっては愛情表現のつもりでも、訴えられて損害賠償の支払いを命じられることもある。
 英語が上手に話せない人には英語の学習法が、痩せられず苦労している人には専門的なダイエットの手法があるように、怒りをコントロールできない人のために考案された体系的な手法が「アンガーマネジメント」(以下、AMと略す)。アメリカ発祥のこの考え方はいま世界各国に広がっている。日本で普及活動に従事しているのが一般社団法人日本アンガーマネジメント協会。この協会から「アンガーマネジメントシニアファシリテーター」などの資格を取り、叱り方トレーナーとして活動しているのが岡澤史子さんだ。
 「私は学習塾の経営と並行して、筑波大学大学院名誉教授の下で心理学の研究を続けていました。児童や生徒の親からよく寄せられたのが『反抗期の子への怒りが収まらない。どうコミュニケーションを図ればいいのか』との悩み。そこでAMに関心を持ち、講習を受けてスキルを磨き、資格をとってからはAMについて教えています。現在の受講者は企業関係者の方(経営者と管理職)、親御さんが半数ずつです」
 AMについて、記者にとって意外だったことが2つある。まず、「怒らないよう我慢する手法」ではないということ。怒りは努力の原動力になることもあり、それ自体が悪い感情とは言い切れない。問題は、怒りをどう表現するのかだ。
 もう一つは、誰かに対して怒ったところで、相手を変えることはできないとの「割り切り」だ。

6つ数える
 「怒らないで、相手と冷静に話しあう」と決心するのは簡単だが、実行するのは簡単ではない。そのためAMでは、怒りを制御するためのわかりやすい手法を提唱している。
 例えば「6秒ルール」。誰かの言動に「売り言葉に買い言葉」で反応してもロクなことはない。腹が立ったらまずは6秒数えて感情のたかぶりを抑える。6秒の「猶予」があれば、少なくとも衝動は収まり、怒りに脳がハイジャックされることもない。
 しかし、怒りの感情がすっかり消えるわけではない。6秒が過ぎた次の段階では、そもそもなぜ怒る必要があるのかを冷静に思考する。
 最後は行動。もちろん怒りの感情を爆発させるのでも、頭ごなしに命令するのでもなく、自分の考えを相手に伝えられるよう、努めて冷静に話しかける。
 怒りのコントロールに苦労している人に岡澤さんが勧めているのが「アンガーログ」の習慣づけ。毎日、どんな場面で怒りを感じたのかを振り返る「怒りの日記」だ。岡澤さんの過去の日記には、交差点での右折時に感じた怒りが記されている。
 通勤途中にある五叉路の信号。直進車が赤信号になっても交差点に突っ込んでくるためなかなか右折できない。毎朝のようにここで怒りを感じていたが、相手のドライバーに怒りを伝える方法はなく、変化を促すこともできない。そこで岡澤さんが選んだ解決策は「その交差点では直進し、次で右折する」だった。
 日常生活で感じる怒りの中には、自分の行動を少し変えるだけで消えてしまうものも多い。どこの誰かもわからない相手への怒りにさいなまれないことも、AMには大切なようだ。

米では司法に導入
・夕食の量をめぐる口論から夫が食器を投げつけて妻にけがをさせた疑いで逮捕。
・農場の社員が牛に蹴られて怒り、その牛の顔や首を蹴る動画がSNSで拡散して「炎上」。
・関東の高校バレー強豪校の顧問が練習中に部員の髪をわしづかみにして引きずり暴行容疑で逮捕。
 以上は、ある日ニュースサイトで「カッとして」をキーワードに検索した結果のごく一部。一時の怒りから大きな問題を引き起こしている人の多さと、衝動的な行動で周囲に迷惑をかける人物に厳しくなった社会の変化がよくわかる。
 アメリカ社会の状況はもっと深刻。銃社会のアメリカでは「カッとしてつい」相手を射殺してしまうことがよくある。AMの取り組みがまずアメリカで始まったのも、怒りと死が隣り合わせだからだ。「アメリカ社会ではAMが司法システムの中で一定の役割を担っており、有罪判決を受けた被告に、裁判所がAMの講習を受けるよう命じることもあります」(岡澤さん)
 岡澤さんは中小企業家同友会の要請を受けて会員向けに講演したり、ココデを会場に定期的にAM叱り方入門講座などを開いている。子供を対象にした講座もある。詳しくは日本アンガーマネジメント協会北海道支部のウェブページまで。
 怒ってばかりの人は、自分ではAMの必要性に気が付かないかもしれない。そんな人が家庭や職場にいるなら、受講を勧めてみてはどうだろう。「そんなもの必要ない。ほっといてくれ」などと激怒したら、専門家の介入が必要な証拠。取り返しのつかないトラブルを引き起こす前に受講させたほうがいい。

この記事は月刊北海道経済2023年10月号に掲載されています。
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