フラワーランドかみふらの再生へ

 富良野盆地開拓の発祥の地とされる上富良野町草分地区。そのエリアを見渡せる小高い丘に開設された観光農園フラワーランドかみふらの(西5線北27号)が新たに生まれ変わる。外国人富裕層をターゲットに〝ミュージアムホテル〟と称したコンドミニアムを敷地内に建設する見通し。開発を手がけるのは小樽市の不動産開発「日本信達㈱」を中心とするフラワーランド再生チームで、世界的に活動する環境アーティストも顔をそろえる。(文中敬称略)

「絶望」を「希望」に変えた先人たちに敬意
 季節ごとにジャーマンアイリスをはじめ、ラベンダー、マリーゴールドやサルビア、ルピナス、ヒマワリ、金魚草などの花が彩るフラワーランド。その10万平方メートルに及ぶ広大な花畑の傍らに立つシンボルツリーが1本のニレの木モニュメントだ。「太陽」と「輝き」をコンセプトテーマとし、「太陽が輝き広がる輪」をイメージ。上富良野の開拓に尽くした先人たちの故郷である三重県をはじめ、上富良野とフラワーランドの未来を象徴していたり、富良野盆地開拓発祥の地である草分地区を表しているという。
 1897(明治30)年の4月、田中常次郎を団長とする三重県人団体が入植して第一夜を過ごした場所がニレの木の下だった。以来この場を拠点とし昼夜を問わず、開拓の作業に明け暮れた。しかし開拓が進み生活ができるようになったはずの1926(大正15)年5月に十勝岳が大噴火を起こし、ニレの木も枯れ、水田は500ヘクタール、畑は300ヘクタール、その上144人の尊い命を失う大惨事となった。
 これら甚大な被害を前に絶望を禁じ得なかった先人たちではあったが、一人が鍬を振るい瓦礫を取り除けば、別の一人が泥の土を運び出し始めた。機械など無かった時代だ。それでも諦めることなく、長い歳月をかけて復興をとげた上富良野。「絶望」を「希望」に変えた先人たちに敬意を表し、伊藤孝司が「この物語の地である草分地区を見渡せるこの地に先人たちの魂が愛でる花を咲かせ、シンボルとして楡の木を植栽した」のが観光農園フラワーランドの始まりだ。
 1本の木が悠然と立つ「楡の広場」の記念碑に伊藤はこうも綴っている。「そして何よりも自らの胸に開拓者精神を新たにし、先人が選んだ豊かな大地、上富良野をわが国農業の発信基地として、役割を果たすことを最大の使命と考え、わが心に刻むものとする」。理念的に「現在を生きる者が何をなすべきか考え、農の世界を通して人間としての在り方を問いたい」と綴った志にも含蓄がある。ちなみに伊藤は2003年、「観光カリスマ100選」(国土交通省と内閣府主催)に選ばれている。

「これからは『洗肺』」キーワードに再生環境
 「これからは『洗肺』、中国語で『シー・フェイ』って言うんですが、新型コロナウイルスによって肺も汚れてしまったので、北海道のきれいな空気で肺を洗うことが再生医療にもつながり、これからのキーワードなんです」。こう語るのが日本信達㈱代表取締役の石井秀幸で、「お金があれば高層ビルを建てることはできますが、きれいな空気は買えません。だからこそ価値があるんです」と続ける。
 そんな小樽に生まれた石井を中心に事業譲渡を受けたフラワーランドの再生チームとして、これから敷地内に建設しようとしているのが〝ミュージアムホテル〟と称するコンドミニアム。「北海道の真ん中で住む人自身が自分を見つめ再生できるような環境をトータル的に考え、ここから世界につなげていきたい。ここを日本の拠点にしながら、ハイテクだけではなく、食を含めて広大な風景をバックに点から線、面へとつなげていきたい」
 リビングやキッチンが備えられ生活できるように過ごせる宿泊施設でもあり、長期滞在の賃貸型リゾートマンションでもある「コンドミニアム」。北海道を代表する観光地、富良野地方でキーワードのような存在だが、小樽の先駆的企業「日本信達グループ」が富良野盆地開拓発祥の地ともされる、この上富良野でコンドミニアムを手がけることに意味がある。ターゲットは外国人富裕層。アジアを中心にスキー客が急増しているタイ、ベトナム、カンボジア、マレーシアやシンガポール、香港や台湾などの需要も見込む。とりわけタイは親日的で、経済成長も著しいという。
 「ニセコのホテルですと繁忙期が冬しかありませんが、富良野エリアは夏にも集客力があります。総合的に見ると富良野のほうが稼働率が高く水道などのインフラが整っているのも強み」と石井。コロナの影響などで経営が悪化して存続の危機に陥ったフラワーランドを買収し、シンガポールの投資家と共同事業を行う。150室規模を想定しているが、建設資材の高騰や不安定な世界情勢にも注視しながら、建設時期や建設規模を見極める。
 現時点で具体的な設計にまで至ってはいないが、〝ミュージアムホテル〟のイメージを描くのが、国連環境アーティストのサイ・ヒロコ。フラワーランドに対し「社長さんが今までやってきた思いに愛を感じます。今あるものをより美しく見せることができるものを建てていきたい」。そのうえで花とアートを融合させ、ガラスの質感を活かした四次元的なミュージアムを構成する青写真を描く。「全てのハイテクをみ込んだようなアートで、自分の健康状態が分かるミュージアムというのもいいかもしれません」。
 彼女は、国連ユネスコ本部(パリ)に永久保存される500メートルにも及ぶ大作のメッセージアート、国連メインロビーに「21世紀平和の文化のシンボル」として永久展示されるアートも制作。色や光、音、映像等を駆使し、「アートで不可能に突破口をあける」をキャッチフレーズに人間の五感を開く環境アートは真骨頂でもある。アート思考で地域課題の解決策を探る自治体主体の企画にも携わってきた。

ハイテクみ込むアート 富良野のステイタス?
 「四季を感じるコンドミニアム」。こう銘打ち、貸し出すコンドミニアムも富良野圏域に複数ある。周囲の自然環境と調和し、ライフスタイルを提案したり、単なる観光にとどまらず拠点化し新たな宿泊スタイルをコンセプトにするものも登場。「富良野旅行はコンドミニアムで!」と銘打ったサイトまであり、バーベキューが楽しめセカンドハウス感覚で過ごすことが出来るケースも増えた。「ここにしかないリラックス」を売りに滞在スタイルに合わせ気軽に利用できるコンドミニアムも富良野ならではと言えそうだ。プライベートな庭が付き、乳幼児や子連れにも空間を確保でき、田園風景の中に建ち冬は薪ストーブを焚いてくつろげ、高級貸別荘としても使える。
 ニセコに比べて富良野は単価が3割くらい安く、それに伸びしろがある。不動産マーケットとして成熟したニセコとの比較で、「富良野のマーケットには『本来の日本らしさ』がある」と指摘する声もある。スキーリゾートとしての魅力、季節ごとの花や景観観光、ラフティングやサイクリング等の各種アウトドアレジャー、温泉などの四季を問わず、幅広く楽しめる多様さ。隣接する丘のまち美瑛と併せて一大観光エリアを形成しているのも様々な相乗効果につながる。
 バブル期のニセコでは、消費の傾向自体、「ステイタスの世界」とも呼ばれたが、富良野ならではのステイタスもありそうだ。それが石井が言う「洗肺」であり、サイ・ヒロコが目指す「全てのハイテクを呑み込んだアート」でもあるのかもしれない。「フラワーランドをブラッシュアップさせて地元に根づき、地元のためになることにつながれば」とは、伊藤孝司の後継者、仁敏の願いだ。代表権は石井に譲ったものの同じ再生チームのメンバーとして先行きを見据える。
 日本信達グループにはインバウンドに特化した旅行会社として旅行業とコンサルティングを担う「北海道信達㈱」(小樽)、土地開発行為のコンサルティングなどを手がける「合同会社ニセコ地建」(同)、カニなどの水産物や道産農産物の販売輸出ほかコンサル事業を展開する「㈱北海道スタイル」(同)がある。音楽イベントや映画の撮影を事業の柱にしているのも日本信達グループならではだ。
 石井と二人三脚で事業展開しているのがシンガポールが拠点の投資家、リム・キアホン。ITや不動産事業を行う実業家で2012年には大阪の「りんくうゲートタワービル」を買収したことで知られるようになった。これら再生チームが共にアイデアを出し合い築く〝ミュージアムホテル〟コンドミニアムとは一体、どういったものなのか。どこか世界文化遺産「ルドゥの理想都市」とも重なるフラワーランドの将来が、富良野エリアのランドマークにもなりうるのか真価が問われている。

この記事は月刊北海道経済2023年11月号に掲載されています。
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