公証人セクハラ裁判 被害者が一部勝訴

旭川市公証人役場の公証人が、セクシャルハラスメント(セクハラ)を職員だった女性に加えたなどとして、損害賠償と地位確認を求められていた民事訴訟の判決が3月30日に旭川地裁で下された。裁判官は、スマホに記録が残っている公証人のメッセージが一部セクハラに当たるとの判断を下して22万円の支払いを命じたものの、原告が主張していた身体的な動作について認めず、また地位確認の請求も退けた。被害者の証言以外には証拠の乏しいセクハラを裁判で立証することの難しさが改めて浮き彫りとなった。

提訴から約2年
 全国に約500人いる公証人。公正証書の作成という重要な役割を担い、遺言や任意後見など庶民の暮らしに関わりの深い活動も多い。高度な法律の知識、実務経験が求められることから、判事、検事、法務局長などを務めた人物から選ばれ、公証人倫理要綱には「公証人は、その使命に鑑み、品位を保持するとともに、社会的信用の向上に努めなければならない」(第3条)との文言がある。
 旭川公証人合同役場(旭川市6条通8丁目)の代表を務めているA氏が、高橋康子氏に損害賠償、地位確認を求める裁判を旭川地裁で起こされたのは2019年5月のこと。2019年8月号の本誌でも紹介した事態の概要は以下の通りだ。
 高橋氏は2010年に旭川公証人合同役場に書記として就職。A氏の前任者である2代の公証人の下で勤務してきた。18年7月にA氏が着任。高橋氏によれば、それから間もなく、高橋氏はさまざまなセクハラ行為に悩まされるようになった。
 高橋氏が裁判で主張したセクハラ被害は2つに大別できる。まず、スマートフォンのアプリによる、ハートマークや動物を模したキャラクターが抱き合う画像などを含む大量のメッセージ。次に、会食の際や役場での勤務中に、A氏が手相を見るとして高橋氏の手を触ったり、勤務時間中に体を密着させてくるなどの身体的接触だ。セクハラを受けて将来に絶望した高橋氏は、A氏の「やめるんだったら早く言ってもらわないと」との言葉に、退職届を提出してしまった。
 高橋氏は、セクハラと「違法な退職勧奨行為」でPTSDを発症した、退職の意思表示は無効、などと主張し①約668万円の損害賠償②労働契約上の地位確認と賃金と賞与の未払い分の支払いを求めた。
 これに対しA氏は、「スマホのメッセージは性的なものではなく、常軌も逸していない」「不必要な身体接触行為は一切していない」「原告の退職の意思表示は効力を有する」などと反論し、法廷での争いが続いていた。

「多いに不満」
 提訴から2年近くにわたる裁判を経て、この3月30日、旭川地裁で剱持亮裁判長ら3人の裁判官の名で言い渡された判決は、裁判における立証の難しさを改めて印象付ける内容となった。
 原告の主張のうち、スマホでのメッセージ送信については、約2ヵ月間にわたりA氏が高橋氏に大量のメッセージを送信、平日にはその大部分が業務時間外に送信され、休日には午前4時台に送信されたこともあった点に注目し、「業務上の必要性のみから行われたとは到底認めがたく、職場内の親睦を図るという趣旨があるとしても、社会通念上、相当な範囲を逸脱していると評価せざるを得ない」とした。また「被告の言動が原告にとって迷惑であり、性的な嫌悪感を含む精神的苦痛を生じさせるものもあることを認識しえたといえ、これを認識し、業務上の必要性に乏しいメッセージの送信を控えるべき注意義務を負っていた」とも指摘した。
 しかし、高橋氏の主張が認められたのはここまで。手相を見るとして手に触れたことについては、「当事者間で従前から手相の話があったことなどに照らし、このことが、社会通念上、許容される限度を超える行為であったとまでは評価され」ない、身体的接触については「認めるに足りる証拠がない」と結論付けた。退職の意思表示についても有効であり、退職合意は成立していると指摘した。
 その結果、裁判所はA氏にスマホでのメッセージ受信で被った精神的苦痛の慰謝料20万円に弁護士費用を加えた22万円の支払いを命じた。
 この判決について原告代理人の畑地雅之弁護士(あかつき法律事務所)は、「一部勝訴ではあるものの、全体として、セクハラ被害に対する無理解、不見識が目立ち、セクハラ加害者である被告公証人に過度に寄り添う姿勢も見え隠れする内容であるため、原告としては不満が大いに残る」とコメントしている。
 高橋氏も「ここまで被告に忖度するのかと驚いた。例えば手相について、私は『手を触っていいか』と被告に訊かれていないし、触ってもいいと私から言ったわけでもない。飲酒を伴う席で上司に体を触られていやな思いをする女性はとても多い。そういうセクハラ被害者の気持ちがまったく理解されていない」などと語る。一方で、メッセージ送信がセクハラ行為だと認められたことについては、「上司からの不愉快なメッセージを拒否できないまま返信している人が多いと思うので、その点は良かった」との評価を示す。

業界団体は説明拒否
 本誌は被告のA氏にも、今回の判決内容についての見解などを尋ねたが「弁護士に対応を一任している」とだけ連絡があった。弁護士からは「話すことはとくにない」。
 本誌は日本公証人連合会にも、今回の判決への見解や対応を尋ねた。同連合会のウェブページには「公証人は、公証人倫理要綱が定める指針に沿って日々の業務に励み、品位の保持に努めており、万一これにもとると認められる行為があった場合には、日本公証人連合会公証倫理委員会において、厳正、適切な対応を図ることとなっております」との記載があるのだが、担当者は「個別の事案については説明できない」と述べるだけだった。
 こうした事案では異例のことだが、高橋氏は今回、実名で取材に応じた。その理由について高橋氏はこう説明する。
 「私が名前を出すことで、社会が少しでもセクハラ問題に関心を持ってくれればと考えた。セクハラという言葉が登場してから30年が経つのに、まだ被害がなくならず、多くの被害者が『私さえ我慢すれば』と耐え忍んでいる。そんな状態は私たちの世代で終わりにしたい。子どもたちには、セクハラのない社会で働いてほしいと願っている」
 高橋氏は4月9日に開いた記者会見で、札幌高裁に控訴することを明らかにした。

表紙2105
この記事は月刊北海道経済2021年05月号に掲載されています。

道北口腔センターで内部対立

旭川歯科医師会が運営する道北口腔健康センター(旭川市金星町)で、若手の所長(歯科医師)とベテラン歯科衛生士の間で起きたトラブルが原因で、所長と数人の歯科衛生士が退職した。同センターは一般的な歯科診療施設と違い、心身障がい者を主な患者として、休日診療や在宅訪問診療も手掛けているため、今後の運営がどうなるのか注目されている。

心身障がい者向けの歯科診療施設
 1975年頃、旭川市内に心身障がい者への歯科診療を本格的に行うところがなかったため、旭川歯科医師会はたびたび旭川市から対応できる体制の要望を受けていた。そこで80年、歯科医師会設立30周年を機に、地域社会への貢献を目的に道北口腔健康センターが設立された。道北圏の障がい者向け歯科診療機関としているが、道内全域から患者を受け入れている。
 心身障がい者は健常者と違い感情をセーブすることが難しい場合があるため、診察中にじっとすることができず、歯科衛生士が体を抑えたりしなければスムーズに診療ができないことがある。
 また、障がい者向けの休日診療や在宅訪問診療も、一般的な歯科医院では十分に行われていないことから、口腔センターの役割は極めて大きい。月・火曜日を休診としているが、それ以外の日祝日や年末年始、ゴールデンウィーク期間中なども休まず開院している。
 スタッフの負担が大きいことから、平日は基本的にすべて予約制とし、休日だけは飛び込みの診察も受けている。在宅訪問診療は、基本的に木曜日の午前9時から午後4時半に行っている。
 スタッフは、所長(歯科医師)1人と歯科衛生士が7人(常勤3人、パート4人)で構成されており、ほかにも歯科医師会の会員(開業医)が当番制を敷き、所長を補佐する形で診察を行っている。

もめごとを嫌って所長が退職
 このような体制でこれまで運営してきたが、昨年秋ごろから1人の患者にかける診察時間や完治するまでの診察回数、診察中の患者への接し方など治療の進め方で、若手の所長とベテランの歯科衛生士の間で意見が食い違う事態がたびたび起きた。その状況が歯科衛生士から年下の所長に対する「いじめ行為」だとの情報が外部に広まってしまった。
 さらに、ツイッターなどで情報が拡散してしまい、収拾がつかなくなった。いじめを受けたとされる所長は、このような状況を嫌い、同センターに勤めて1年2ヵ月足らずの今年1月20日付で退職した。
 口腔センターを運営する歯科医師会では、当時の状況を次のように説明する。
 「確かに2人の間で意見の食い違いがあり、関係が悪化していたことに間違いはない。ただ、それがいじめ行為だと断定することはできず、外部に話が漏れていらぬ方向に話が歪められてしまったことに困惑している」
 歯科医師会はコロナ禍も影響したとの見方を示す。
 「患者数が激減し、診察時間の短縮など診療体制を見直さなければならなくなり、スタッフ全員を集めて協議したことがあった。スタッフの中からは、それにより給与が減少することを嫌い退職したいという声もあった。結局、衛生士7人のうち常勤とパート各1人を除いた5人が退職した。その中には歯科医師と対立していた歯科衛生士も含まれている。スタッフにしてみれば、患者数の減少が将来的な仕事に対する不安と相まって、職場での意見の食い違いなど不満が積もり積もってぶつかり合ったのかもしれない。狭い組織で人間関係がうまくいかず、かといって人事異動することもできなかった」

求められる組織の再構築
 ところで、前述したように口腔センターは、特殊な医療機関ということで診療費も低く抑えられている。徴収する診療費には一定の規定があり、患者によって無料から多くても1割負担になっている。そうなると、運営する上でかなりの負担になることから、市から年間3000万円を超える委託料を受けている。地域貢献のための補助として意義があると思えるが、現状のまま少人数のスタッフでは運営は厳しくなり、将来的にセンターを継続するための打開策が必要になってくる。
 市も今回の出来事を踏まえた上で、歯科医師会へしっかりとした診療体制を維持することを要望している。
 歯科医師会は、「現在、歯科衛生士を募集しているところだ。患者の減少を受けて、4月1日からいったん規模を縮小して診療を行っているが、今後患者がどれだけ戻ってくるのか、現状では判断しにくい。それでも、コロナ終息後に元通りの診療体制へ立て直せるように努力する」としている。
 常勤の歯科医師が退職したため、当分の間は当番制で会員の開業医が診察を受け持つことになる。所長と歯科衛生士の間でどんな対立があったのかは闇の中だが、今後は使命感を持って心身障がい者のため頑張ってほしいというのが地域住民の思いではないだろうか。

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上川中部5農協が合併検討委

上川管内には13農協、そのうち上川中部には9農協が集中しているが、今年2月、あさひかわ、東旭川、東神楽、比布、上川中央の5農協が合併に向けた検討委員会(大西勝視委員長=比布町農協組合長)を設立した。農協は1980年代から始まった金融自由化に対応するための広域合併や、2000年代の市町村合併「平成の大合併」を受けて合併が繰り返されてきた。しかし金融事業の経営がより厳しくなると同時に、組合員の減少による取扱高の減少、コメ余りによる相場の下落などが重なり、農協の前途は依然として厳しい。5農協の合併が成立した場合、単純計算で取扱高は201億円、貯金残高は1876億円(2019年度実績)となり、スケールメリットの発揮が期待される。

2000年代に入り合併が加速
 上川中部5農協の合併検討委について触れる前に、これまで繰り広げられてきた農協の合併を振り返ってみる。農協の合併は、全国的な動きとして2000年に入り本格化した。市町村合併が加速した「平成の大合併」と並行するように農協の合併も進んでいった。
 農協の数は農協合併助成法が施行された1961年から70年代後半にかけて急減し、50年に1万3314あった農協は5000弱まで減少した。さらに、80年代に入り金融自由化が進み、その対応が求められる中で広域合併が進んだ。
 JAグループの資料によると、市町村の平成の大合併が一段落した2005年には、全国で865組合(うち道内123組合)。その15年後の20年4月になると、全国で584組合(05年比33%減)、道内105組合(同15%)までに減少している。
 当然面積が広く、専業農家が多い北海道の組合数は断トツ。道外では新潟県が23組合と最も多い。逆に都府県にわずか1組合というところは奈良県、島根県、香川県、山口県、沖縄県。都道府県単位で見た平均組合数は10となっている。
 このように農協の合併は進んできたわけだが、農協以外でも官民問わず組織の合併は、その歴史や文化、社風の違い、資産や負債の大小などで合併後もまとまりがつかず、一筋縄でいかないのが現実だ。

上川管内は中部を除いて合併が完了
 話を上川管内の農協に戻すが、管内を3分割してみると、上川北部は2003年、下川と美深、中川の3農協が合併して北はるか農協(美深町)が誕生した。翌04年には、士別を中心として剣淵と和寒、朝日町、多寄の5農協が合併して北ひびき農協(士別市)となった。さらに05年になると、名寄市を中心に風連、智恵文が合併して道北なよろ農協(名寄市)となった。いずれの農協も取扱高が100億円を超える大規模な組織となり、現在も堅調に推移している。
 上川中部に目を向けると、02年に旭川市農協と旭正、旭川市神居、鷹栖町北野が合併してあさひかわ農協(旭川市)が誕生した。03年には旭川市の東鷹栖と鷹栖が合併してたいせつ農協(鷹栖町)となった。翌04年には、旭川市の西神楽と東神楽が合併して東神楽農協(東神楽町)となった。
 上川南部は02年、上富良野、東中(中富良野町)、中富良野、富良野、東山地区(富良野市)、山部町(富良野市)、南富良野(99年に占冠と合併)の1市3町1村をまたぐ大合併が成立し、ふらの農協(富良野市)となった。
 こうしてみると、北部と南部は100億円を超える取扱高と大規模な農協組織として落ち着いたようだが、中部の9農協は、取扱高が100億円を超えるびえい農協と60億円台の上川中央を除くと、東旭川と比布の17億円、50億円前後のたいせつや東神楽、あさひかわ、東川、当麻と、その規模は小さいままだ。
 ここにきて再び合併論が持ち上がったのは、農協の経営を苦しめている金融自由化の加速による金融事業(信用事業、共済事業)の大幅減収だ。これは、農協が貯金を集めるインセンティブとして農林中央金庫(農中)から得ていた奨励金が削減され、共済連からの付加収入も減っているのが原因。
 農家が離農する場合、農協から離脱してしまうのは不可避だが、一方で熱心に経営してきた大規模農家の農協離れも経営を圧迫している。ある農協幹部は、「農協を利用して、転作などによる奨励金の手続きのためだけに組合員として残っているが、生産した農産物は独自で販売しているので農協側にはメリットがない。いいように利用されているだけだ」と嘆く。

合併に向けた検討 4月中旬から開始
 このような状況を打破するための対策として19年9月、上川中部9農協の間で将来的な事業連携を模索する委員会が発足した。それ以前から9農協の間では、組合長や幹部らが定期的に勉強会を開き、さまざまな課題について対策を練っていた。
 さらに、20年8月、組織再編研究会が設けられ、今年2月には合併に向けた検討会に参加するかどうかの是非が問われ、びえいと当麻、東川、たいせつ以外の5農協(比布、上川中央、東神楽、東旭川、あさひかわ)が手を挙げて合併検討委員会(大西勝視委員長=比布農協組合長)が設立された。
 同委員会では、真っ先に総会が開催される比布農協(3月26日)を皮切りに、4月上旬まで続く総会の中で組合員らに合併に向けた説明を行い、4月中旬以降、各組合の組合長ら幹部が集まり初会合を開催する予定になっている。

表紙2105
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近文「瀬川商店」37年前の決断

年中無休、長時間営業のコンビニエンスストアは今の時代に欠かせぬ存在となっている。旭川市内ではセブンイレブン、ローソン、セイコーマートの大手3社だけで約200店が軒を並べる。そのコンビニ旋風の先陣を切ったのが近文地区を拠点にスタートを切ったセブンイレブン旭川近文店の㈲瀬川商店だ。コンビニ草創期から成熟期を駆け抜けてきた同商店のあゆみを振り返りながら、市民とコンビニの〝身近な関係〟を探ってみる。

業界席捲する大手3強
 旭川市内におけるコンビニ(CVS・コンビニエンスストア)は、西武、イトーヨーカドー、ダイエー、ニチイなどの大型店進出が沈静化した1983(昭和58)年4月、ダイエー系のサンチェーンが5条7丁目に24時間営業の直営店舗を開店した時から本格的な店舗展開が始まった。
 サンチェーンはその後1年半の間に相次ぎ直営6店舗を開店したが、それが一服した状態の中、すさまじい勢いで進出攻勢をかけたのがヨーカ堂系列のセブンイレブン。1年もたたぬ間に15店舗ほどが市内全域で立て続けにオープンした。
 さらにその後、道内資本のセイコーマートも加わり、地元で健闘していたボランタリーチェーン(VC)の道北サンマート、ボックス、丸ヨ岡田のOGCなどとの攻防戦が激化し、市内ではそのころ80店舗ほどのFC、VCチェーン店であふれかえった。
 しかし、平成の時代に入ってくるとサンチェーンが現在のローソンに移行し、地元VCも大手FCの勢いに対抗できず、消滅あるいは方向転換へと進み、次第にセブンイレブン、ローソン、セイコーマートの3強が旭川のコンビニ市場を席捲することになり、大型スーパーとコンビニの二極分化が加速度的に進んでいった。

セブンイレブンと初めてのFC契約
 旭川においてセブンイレブンのFC店として最初に本部と加盟店契約を結んだのが市内緑町15丁目にある「旭川近文店」(瀬川商店)。セブンイレブンの旭川1号店は記録としては1984(昭和59)年5月23日に開店した「新富店」で、2号店が同月26日の「東旭川店」、3番目が「近文店」の6月1日となっているが、事実上の1号店は「近文店」なのである。
 同店は開店時には現在の店舗と道路を挟んで向かい側にあったが、その後広い敷地を求めて新築移転した。また2号店として「北門19丁目店」を出店(現在は移転して「豊岡1条店」)、さらに「旭川東警察署前店」を開店して市内3店舗を経営するまでとなり、現在に至っている。
 旭川におけるセブンイレブンの歴史をたどるため、「近文店」の瀬川オーナーを訪ね、開店当時から今日に至るまでの出来事や思い出の数々を聞いてみた。

福岡で見て歩いたセブンイレブン
 瀬川明男さん(69)は戦後の混乱期から近文地区で瀬川商店を営む瀬川秀一さん、みつ子さん(ともに故人)の間に生まれた5人きょうだいの末っ子。
 近文小、北門中、旭川北高から東京経済大学へ進み、1974(昭和49)年に卒業してカーテンレールメーカーの大手、トーソー㈱の東京本社に入社し、社会人としての第一歩を踏み出した。その後まもなく会社から「西の経済も覚えてくれ」と言われ福岡支社に派遣されることになった。
 大学時代は経営学部でマーケティングを学んだが、その頃、イトーヨーカ堂が米国セブンイレブンと契約し、日本全国にコンビニを進出させる計画がスタートしていた。瀬川さんが日本経済新聞の一面に「セブンイレブン・オーナー募集」の広告を見たのは大学4年の時だった。
 そのセブンイレブンが福岡で一気に10店舗ほどをオープンさせる計画が進んでいたが、新店舗のマジックポールというブラインド(現在はロールスクリーン)は全国全店でトーソーの新製品が採用されることになっていた。瀬川さんはさっそく建築の現場を見て歩いたが、そのほとんどが酒屋、八百屋、魚屋、雑貨屋などの改造店で、立地場所も様々だった。
 福岡でコンビニエンスストアの形態や仕組みを知ることになった瀬川さんは、旭川の実家で父親が経営する雑貨店(瀬川商店、緑町15丁目)を思い起こした。そして「これからはミニスーパーや酒専門店は無理。だがコンビニならやれる!。あの緑町の立地ならコンビニとしてやっていけるのではないか」と確信することになった。

表紙2104
この続きは月刊北海道経済2021年04月号でお読み下さい。

最終処分場計画振り出しに?

 現在の江丹別から他の場所に移転し、新設を考えていた旭川市の最終処分場計画が、ここ数年の整備費高騰を理由に、振り出しに近い状態に戻ってしまった。場所の選定は順調に進んでいたのだが、予定していた覆蓋型(屋根付き)では建設コストが高くなるため、従来のオープン型へ舵を切り、それにより敷地も4倍程度の広さが必要となってきた。市環境部では「今年の早い時期に場所を決め、地域協議を開始したい」としているが、計画の遅れは否めない。

覆蓋型計画で進んでいたが
 現在使用している旭川市廃棄物処分場(江丹別町芳野、03年7月開設)は当初、埋立期限を18年3月までの15年間としていた。しかしその後、ごみの減量化や資源化に取り組んだ結果、埋立量が最大期の約4分の1に減少し、埋立期限まで使用を続けてもなお12年間分の容量が余る見込みとなった。このため旭川市は、同処分場の継続的な使用について江丹別地域と協議を重ね、13年11月に、埋立期間を12年間延長し30年3月までとする変更協定を締結した。
 延長が決まったとはいえ、最終処分場の建設には江丹別で思い知らされたように長い道のりが必要。市は処分場が閉鎖される30年3月を見据え、17年6月には次期最終処分場の整備基本構想を策定した。
 その後は市の付属機関である検討委員会を公募委員らによって立ち上げ、その一方でパブリックコメント(意見募集)や市民説明会を実施。万全を期す形で市内数ヵ所に絞り込んだ建設候補地の比較評価を行ってきた。
 そうした中で市は、新しい最終処分場は基本施設が覆蓋型(屋根付き)構造で、埋立期間は30年度から44年度までの15年間。埋立量は17万8440㌧(約12万8700立法㍍)を見込み、施設整備に必要な面積は4万平方㍍(約1万2千坪)程度とする構想をまとめた。
 クローズド型と呼ばれる覆蓋型処分場は近年全国的に増えているタイプで、従来旭川市が採用してきたオープン型に比べ建設コストはかかるが、天候に左右されず埋立作業ができ、臭気の拡散、廃棄物の飛散、鳥獣類の飛来など周辺環境への影響を回避でき、維持管理費の低減もはかれる。
 また、屋根付き施設であることから、15年の使用期間が終わった後にはテニスコートやイベント会場など様々な用途の屋内施設として利用することが考えられ、クリーンなイメージのため、設置にあたって住民理解が得られやすいという優位性もあった。
 そして何よりも、現在の江丹別芳野の敷地約18万平方㍍に比べ断然コンパクトな面積で済むため、用地交渉もしやすいという利点があった。しかしこうした皮算用にも大きな方向転換が迫られる事態になってしまった。

オープン型だと広い敷地が必要
 市は2月中旬に開かれた市議会民生委員会で、建て直し計画のあった可燃ごみ焼却施設「近文清掃工場」の新設を断念し、延命化策に切り替えるとともに、不燃ごみを埋め立てる最終処分場の新設計画を見直すことを表明した。
 理由はともに、当初見積もりより施設整備費が高くなったため。市は東日本大震災の復興需要や東京五輪の建設ラッシュで建設資材などの工事費が高騰したことを上げており、最終処分場については当初予定の約50億円から約100億円に膨らんでしまったという。
 2倍もの狂いが生じてしまったとすれば、計画を見直すのもやむを得ない。市は処分場施設について、用地を取得しやすい覆蓋型のコンパクトなものを考えていたが、その建物施設が想定した金額を大きく上回るとなれば、費用が安く済むオープン型に方針を変えてしまいたくなる。
 しかしそれだと、これまで入念に比較評価を進めて候補地を絞り込み、あとは地元住民の理解を得るだけだった建設場所がまったく違ったものになってくる。現在の江丹別のようなオープン型だと、覆蓋型で想定していた用地約4㌶の4倍程度の広さが必要となる。
 つまり、何年もかけてきた候補地選定作業は振り出しに戻ったようなものなのである。新しい処分場はどんなに遅くとも9年後にはオープンさせなければならないわけで、計画では22年度中に用地選定、地域協議を終えることになっている。

今年の早い時期に候補地
 かつて江丹別芳野に造った時は、候補地の選定作業に着手してから供用開始にまで13年という時間を要している。今回の場合、すでに用地選定作業は進んでいるが、予定していた用地より広い場所となると、さかのぼってまた選定作業をやり直さなければならない。
 市環境部はまだ、覆蓋型からオープン型への方向転換をはっきりは表明していないが、すでに既成事実に近いものと思われる。西川市長も現在開催中の市議会で「候補地選定はこれまで積み重ねてきたデータを生かし、予定通り終わらすようにしたいが、大変厳しいスケジュールではある」と答弁しており、市環境部も「今年の早い時期に建設候補地を決めたい」(渡辺顕久次長)と、作業に遅れを出さない構え。
 ことを急ぐあまり江丹別芳野で経験したような〝住民闘争〟にならないことを願うばかりだ。

表紙2104
この記事は月刊北海道経済2021年04月号に掲載されています。

コンサート会場で「ワクチン危険」の荒唐無稽ビラ

旭川市内でも3月のうちに医療従事者への新型コロナワクチンの接種が始まる見通し。高齢者を対象にした接種も順次始まることになっている。一方で少数ながらワクチンの安全性に不安を抱く人も存在し、中にはワクチンの危険性を訴える「実力行使」に訴えた人もいる。新型コロナの犠牲者増加を抑えるためには、ワクチン以外に方法がないのも事実。科学者や医師だけでなく、感染のリスクがあるすべての人が合理的な判断が求められていると言えそうだ。

科学的な知見は無視
 2月20日夜、市内の音楽家が大雪クリスタルホールでコンサートを開いた。入場制限で感染リスクを最小限に抑えた上での開催だったが、思わぬ乱入者が現れた。ロビーに主催者でも観客でもない人物が入り、「コロナのワクチンは危険!」などと書かれたA4サイズのビラを配ったのだ。そばにいた人には困惑の空気が広がったものの、この人物は気にする様子もなくビラを配り続けたという。
 問題のチラシはパソコンとプリンタで作成したものとみられ、「どうか、打たないで!特に医療従事者の方!!」との見出しも踊る。常識では理解不能な内容も多く、「ウィルスが『感染する』唯一の方法がワクチンなのです」との記載もある。
 チラシには作成した人、配った人の名前は書いていないが「このチラシは社会貢献のため無償で作成しました」とある。本人は善意のつもりでも、「地獄への道は善意で舗装されている」との格言を思い出さずにはいられない。

トランプ氏も懐疑派
 新型コロナに限らず、ワクチンの危険性をことさらに強調して接種を受けないよう呼びかけるワクチン反対派は世界中にいるが、彼らは大きな矛盾を抱えている。ワクチンがなければ、いま生きている人のうちかなりの部分が病気で早死にしていたはずで、ワクチン反対派やその家族もワクチンの恩恵に与っているということだ。
 今野大力(詩人)、新美南吉(作家、「ごん狐」)、樋口一葉(作家、「たけくらべ」)、高村智恵子(彫刻家・高村光太郎の妻)、竹久夢二(画家)、正岡子規(俳人)…。彼らには、肺結核で死亡したという共通点がある。BCGワクチンが発明されるまで、肺結核による死亡はありふれた死のかたちだった。いま肺結核で他界する人はほとんどいなくなったのは、ワクチンのおかげだ。ポリオ、天然痘、日本脳炎など、ワクチン接種で脅威が小さくなった病気はいくらでもある。これらの病気にかかる人が激減し、ワクチンの社会的な意義が見かけ上小さくなり、「ワクチンは危険だから打たないで」といった主張が一部で支持を集めるという皮肉な現象が起きている。
 ワクチン反対派は有名人の中にもいる。たとえば米国のトランプ前大統領。ツイッターなどで「接種を受けた子供が自閉症になっている」といった科学的根拠のない主張を展開した(にも関わらず、退任直前に新型コロナワクチンの接種を受けていたことが最近になり報じられた)。
 ワクチンに関する根拠のない情報が広がる背景にはネットの普及がある。1995年ごろまで、新聞や雑誌、テレビ、ラジオなど既存媒体を通じて情報を発信するのは敷居が高かったが、ネットの普及で「参入障壁」がなくなった。いまではスマホ一つでSNSに参加して誰でも世界に向けて独自の見解をアピールできる。大衆の恐怖心をあおるような過激な内容なら、一晩のうちに数万人、数十万人の読者や聴衆を集めることも珍しくない。
 ネットでは読む側、見る側が自分と同じ意見のコンテンツを選択することができる。ワクチンの危険性を指摘する情報には信奉者が群がり、彼らはますます深みにはまっていく。
 有名人の言説やネットを通じて流布する情報も影響しているのか、本誌が1月末に行ったアンケート調査でも新型コロナワクチンを打たないと答えた人は約15%、複数回答方式でその理由を尋ねたところ、62%が「効果があるかわからない」、76%が「副作用が怖い」を挙げた。

表紙2104
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吉田学長に薬物依存症の疑い

 全国ニュースに「旭川医大」が連日登場している。パワハラ発言疑惑、医師派遣先病院からの「アドバイス料」約7000万円…。多くは吉田晃敏学長個人にまつわるものだ。さらに、本誌に寄せられた情報をもとに調査を進めたところ、旭川医大病院で吉田学長を患者とする向精神薬の処方箋が大量に発行されていた疑いが浮上した。担当した医師の多くが、吉田学長の「牙城」である眼科に所属している若手であることから判断して、学長本人が医師に圧力をかけて処方させた可能性もある。学長の飲酒問題はもはや医大関係者の多くが認めるところだが、同時に吉田学長は向精神薬の依存症にも陥っていたのではないか。大量の処方箋が誰の手でどのように発行されたのか、旭川医大病院や学長選考会議は本格的な調査を行う必要がある。

頻繁に向精神薬 適正量の4倍以上
 本誌の調査結果によれば、吉田晃敏旭川医科大学学長は、少なくとも2019年の秋ごろまで、旭川医科大学病院で患者として診察を受け、向精神薬の処方を受けていた。もうすぐ69歳となる吉田学長は「立派」な高齢者。体にさまざまなトラブルが生じて受診するのは自然なことだが、奇妙なことがある。
 本誌が注目したのは「ベンゾジアゼピン系向精神薬」にグループ分けされる2種類の薬。どちらも同様の仕組みで体に作用し、不眠症の治療薬として使われることが多い。以下、問題の2種類の薬をA、Bとするが、Aは超短時間型、Bが短時間型と、効果を発揮する時間に違いがある。
 薬品にはそれぞれ「最大内服量」が定められている。患者としては苦痛から脱するために多く服用したくなることもあるが、一定以上の量を摂取すると副作用が発生し、病気を治すどころか健康を害してしまう。A、Bについても最大内服量が定められており、メーカーが発行する添付文書、つまり薬品の取扱説明書に明記されている。この最大内服量の範囲内で処方するのは、医師にとっては常識中の常識だ。
 なぜかこの常識が、吉田学長に対しては守られなかった。2019年の7~10月、Aについては4.5倍。Bについても2倍近くが処方されていた。この状況についてある医師は、「吉田学長は依存症だったのだろう」との見方を示す。
 しかし、旭川医大病院では、こうした過剰投与に二重三重のチェックがかかる。まず、規定の量を上回る処方には、薬剤部から注意が入る。これは医療事故を防ぐのが目的。また、向精神薬のような依存症や中毒の恐れがある薬品については、一度に30日分を超える処方ができないしくみになっている。さらに、規定を上回る量の投薬を行っても患者の健康状態が改善するとは期待できないため、レセプト審査ではねられる。担当医からきちんと説明が行われない限り、この投薬については健康保険からの支払いが行われない。
 にも関わらず、二つの薬品の処方は続けられた。「30日」の制限は、「30日分」の処方箋を短期間のうちに何度も発行することで回避された。患者の「学長」という立場が影響したのだろうか。

後任眼科教授 突然退任の謎
 とくに注目すべきは、投与されたのが「ベンゾジアゼピン系」の向精神薬だということだ。ベンゾジアゼピン系は取り扱いが難しい薬。Aの添付文書の冒頭には「本剤の服用後に、もうろう状態、睡眠随伴症状(夢遊症状等)があらわれることがある。また、入眠までの、あるいは中途覚醒時の出来事を記憶していないことがあるので注意すること」と赤字で記載されている。さらに、「本剤に対する反応には個人差があり、また、もうろう状態、睡眠随伴症状(夢遊症状等)は用量依存的にあらわれるので、本剤を投与する場合には少量から投与を開始すること。やむを得ず増量する場合は観察を十分に行いながら慎重に投与すること。ただし、「最大内服量」を超えないこととし、症状の改善に伴って減量に努めること」とある。にもかかわらず、吉田学長には大量のAが処方されていた。添付文書の警告する通り、もうろう状態などの副作用が「用量依存的」にあらわれていた可能性があるし、こうしたリスクを、処方した医師が知らなかったはずはない。

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この続きは月刊北海道経済2021年03月号でお読み下さい。

立ち上がった「旭川医大正常化求める会」

 全国的な注目を集めている旭川医科大学の混乱が新たな局面を迎えた。附属病院長の解任を言い渡され、その撤回を求めている古川博之教授を含む合計22人の教授・名誉教授を発起人とする「旭川医科大学の正常化を求める会」が立ち上げられたのだ。まだ教授会の過半数を占めるには至っていないが、今後、さらに勢力が拡大する可能性もある。

「大学をこのままにしておけない」
 2月1日午後、旭川市役所4階の市政記者クラブに、全国的な関心を反映して「密」が心配になるほど多くの記者やテレビ局のクルーが集まった。落ち着いた口調で語り始めたのは、旭川医大から病院長解任を通告された古川博之教授。処分撤回を求めるとともに、昨年11月の時点で吉田病院からの患者を旭川医大病院で受け入れる準備はできていたなどと主張した。
 記者会見に出席したのは古川氏一人。まったく孤独な戦いを強いられているようにも見えた。しかし、この時点で吉田学長に「ノー」を突き付ける動きは水面下で慎重に進められていた。多くの医大関係者は以前から心の奥底に学長への不信感を秘めていたようだ。1月下旬の時点で、ある教授は本誌にこう語っている。
 「吉田学長にはもう正常な判断力が残っていない。大学をこのままにしておいてはいけないという思いがある」

部下の生活にも大きな影響
 当初、この教授は迷っていた。その時点で、吉田学長に反旗を翻したところでトップ交代に追い込める確信はまるでなかった。反学長派が負けた場合、自分たちは旭川医科大学を追放される。そんな前歴を持つ人材に新しい活躍の場を与える研究機関はない。学者人生は終わり。家族の運命も激変する。

記者会見を開いた古川氏
 部下の将来ものしかかる。医局トップの教授が交代した医局に後任が部下と一緒に乗り込めば、前任者の下で研究していた人は他に働き口を探さなければならないかもしれない。
 旭川医大では近年、教授や、教授への出世を確実視されていた人物が突然大学を去る事態が相次いだ。中には金銭をめぐる不正など、本人の行状が原因のケースもあるが、吉田学長の不興を買って旭川にいられなくなった人物もいる。
 耳をふさぎ、自分の研究と日々の医療に没頭するという選択肢もあった。「騒動と距離を置き、吉田学長と関係を良好にしておいたほうが、自分の医局の予算と人員は増えるかもしれない。しかし、もう座視しているわけにはいかない」と、この教授は覚悟を決めた様子で本誌に心情を語った。

中立守った大学の役員
 反学長派にとり明るい兆しもある。吉田学長が記者会見を開き、古川病院長の解任を発表したのは1月26日のこと。古川氏が反論のため記者会見を開いたのは2月1日だった。同日には旭川医大で学長選考会議が開かれ、病院長解任が適切だったかどうかを調べる調査委員会を、外部有識者も交えて開くことが全会一致で決まった。早急な結論を避けた形だ。「学長選考会議は学長に近い人物で固められている。早々に学長の主張に沿った決定が行われる」との一部関係者の予想は外れた。
 調査委がどんな結論を出すのか予想するのは難しいが、ひとつ確かなのは、反学長派が仲間を増やすための時間的猶予を獲得したということだ。1月末の時点で片手にも満たなかった賛同者は急増し、2月10日に会の公式サイトが開かれた時点では発起人は古川氏を含む22人となっていた。教授会で過半数を占めるには至っていないが、学長選考会議も無視できない勢力にはなった(すべての発起人は横並びで、代表は決められていない)。
 なお、今回「正常化を求める会」に加わった現役教授の中には、かつて学長の手腕を高く評価していた人や、学長に評価されてポストを得た人も含まれているが、彼らもどうしても黙っているわけにはいかなくなったということだろう。そもそも、古川氏も1年前までは吉田学長と蜜月関係にあった。

さらなる賛同募る
 「正常化を求める会」は吉田学長の何を問題視しているのか。趣意書には、①新型コロナウイルス医療の中で起きた学長の不適切発言②古川病院長に対する不当な解任ならびにパワハラ③滝川市立病院からの勤務実態を伴わない不適切な収入④長期政権と大学の私物化、ガバナンスの崩壊、教職員に対するパワハラ、が列挙されている。
 趣意書は最後にこう呼びかけている。「私たち教職員は建学の精神に立ち返り、力を合わせて旭川医科大学をもう一度立て直さなければいけません。そのための第一歩は、現学長にただちに辞任していただくか、解任することです。本学を開学以来最大の危機から救い、再び自由で希望に満ちた大学にするため、今こそ皆で声を上げるべき時です。署名活動へのご協力をお願いいたします」
 旭川医大で積極的に吉田体制の継続を求めている人はいまや少数派。今回「決起」した人以外も、学長の怒りを買わないよう、様子見を決め込んでいる人が大半だ。今後、彼らが雪崩を打つように反学長派に加わる可能性もある。

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この記事は月刊北海道経済2021年03月号に掲載されています。