江丹別の里山をキャンプ場に

 過疎で人口が250人ほどに減り、域内の高齢者(65歳以上)が6割に迫る限界集落・旭川市江丹別町地区。若者たちが乗った2台のピックアップトラックが幌加内線を北上し、伊勢ファームを越えたあたりで右手に入り、北の里山に吸い込まれた。自らの手で木を間引き、草を刈り、道をつくり、整地する。若者たちは、キャンプ場を手造りしていた。

江丹別に魅せられ
 森に入ると、雪解け水のせせらぎを伴奏に野鳥が美しい〝ソプラノ〟を聴かせてくれた。漂って来る森の匂い。この素晴らしい空間を「仕事場」とする野良着姿の女性2人と男性2人の顔に自然と笑みが浮かぶ。
 野中瑠馬さん(27)、野中えりさん(28)、鈴木愛(まな)さん(25)、小館佑太さん(27)。4人は、札幌の医療関係の専門学校で学んだ仲間だった。卒業後、理学療法士として仕事に就き、それぞれの道を歩んできたが、江丹別の森が4人をリボンのように結び付けてくれた。
 瑠馬さんは、4年ほど前にキコリに転身し、江丹別の山を3年ほど前に購入した。この山の森を散策し、豊かな自然を感じてもらう瑠馬さんのイベントに参加したのが愛さんだった。
 そのころ、愛さんは心身共に疲れていた。森の匂い、広葉樹の葉のざわめき、鳥の声に癒された。「森の中で何も考えずにボーッとしているだけで良かった。ただただ、森に居たいと思った」
 江丹別の森に魅せられた愛さんの熱い思いに応えるかのように、佑太さんは、愛さんとともに江丹別町に移住した。

森の姿を生かしたキャンプ場造り
 愛さんを魅了した里山は、キコリの瑠馬さんが所有する。「森の素晴らしさをたくさんの人に知ってほしい」。愛さんのそんな思いを叶えてあげようと、専門学校の同窓生らで構成し、瑠馬さんが代表を務める森を生かした地域おこし団体「モリノワ」がキャンプ場を造ることを計画。瑠馬さんの指導の下、モリノワのメンバーの協力も得ながら、4人は昨春からキャンプ場造りに汗を流してきた。
 自らの手でササを刈り、瑠馬さんの手ほどきを受けながら木を間引く。間引いた木を利用し、階段を造る。整地し、道路を造る。4人は力を合わせコツコツ、一つひとつの作業にいまも丁寧に取り組んでいる。
 「野中さんの弟子です」。愛さんは、弾けるような笑顔を記者に向けた。森の中で仕事をすること自体を4人は楽しんでいるようだ。
 山仕事に従事する瑠馬さんは、キャンプ場造りで愛さんが次第に変わっていく様子を見ていた。「最初はまったく重たい物は持てなかったけど今は握力もつき、自在にチェンソーを操る。以前は自分のことばかりに目が向いていたけど、人に与えたい、何かを伝えたいと考えて行動しているうちに別人になった」
 愛さんだけではない。愛さんのパートナーの佑太さんは、「お金の価値が自分のなかで低くなり、モノのありがたみが腹に入った」と照れたように笑う。
 手造りキャンプ場のコンセプトは、「五感で森を感じられる空間」だ。森の姿を極力生かし、自然に配慮した癒しの空間を目指す。
 アスファルトに白線を引いた駐車場、水洗トイレ、シャワー、炊事場……。そんな昨今のキャンプ場と趣を異にするスタイルは、環境へのローインパクトを指標に掲げ、近年世界的な潮流となっているSDGsの理念に合致した試みでもある。「火をおこすことが『大変だな』って実感するでしょう。ここに来たら不便を楽しめるようになるはず」(瑠馬さん)

森のまんまの姿でキャンプ場
 森がキャンプ場なのか? キャンプ場が森なのか、という記者の問いに、愛さんと野中さんは答えた。「森そのまんまの姿でキャンプ場がある。そんな感じにしたい」
 名前は「coco moriキャンプ場」。愛さんが代表だ。場内およそ1㌶の敷地を4区画に分け、木を素材に自由にモノづくりが楽しめるクラフトゾーンやテント泊ゾーンなどに分けた。
 中でもハンの木を利用したツリーテラスはこのキャンプ場のシンボルだ。大人が8人ほど乗っても大丈夫な設計で、上に立てば森の住人になったかのような気分を味わえる。
 年輪をイメージした直径2㍍ほどの六角形のウッドデッキもある。周囲の広葉樹を枝払いしたことで、仰向けに寝転んで星空を眺めることができる空間が広がった。立木を利用したブランコや、専用のひも状のものを2点間に張り渡し綱渡りが楽しめるスラックラインで遊ぶことも可能だ。空中ハンモックに身を委ね、ゆったりとした時間を過ごすこともできる。生物に配慮し、テント内の照明を除き、場内は原則灯り禁止となっている。
 これまで公的助成も受けず造成費用は4人の持ち出して頑張ってきたが、受付小屋の資材調達のため昨秋ネットで資金を募るクラウドファンディングを実施し、67万6500円を獲得した。4人のキャンプ場造りの共感の輪が広がりつつある。

江丹別と都会 結ぶ架け橋に
 見知らぬ4人が江丹別市街地の北に広がる森で、もぞもぞやっているのを、江丹別の古老らが見にやって来る。瑠馬さんのパートナーのえりさんは、「気持ちのいい人ばかり。遊びに来てくれて、私たちの車のタイヤの空気が抜けたり、車がはまったりしたら助けてくれた」。古老らは、やって来ては「(オープンしたら)遊びに行くね」「長いこと頑張っとる」などと声を掛けてくれるようになった。4人の若者が汗する姿を江丹別住民は見ていたのだ。
 「恩返しをしたい」。4人は、今年4月に理学療法士の資格・ノウハウを生かし、江丹別のおじいちゃん・おばあちゃんに恩返しをしようと地元の公民館で健康増進のささやかな教室を開いた。8人ほどのお年寄りが集まった。「腰イターイ!」「膝イターイ!」「肩こるー」というお年寄りの声に耳を傾け、どうしてその症状が起きるのかという座学をしたほか、痛みの解消や悪化しないための体操・ストレッチを教えた。要所の筋などを伸ばすと、お年寄りからは、「これいいね」といった喜びの声が上がった。
 「江丹別のおじいちゃん、おばあちゃんとお話しをしてふれあう機会になる。仲良くなれる。これからも理学療法士の資格を生かして江丹別のお年寄りの体を診てあげたい」。4人は、そう考えている。温かなムーブメントが、この限界集落の地に芽吹き始めた。
 4人は、「coco mori キャンプ場」が、過疎にあえぐ江丹別町と都会を結ぶ架け橋になればと夢を抱く。

地域の姿が変わる?
 かつて3000人以上が暮らしていた江丹別村が旭川市と合併したのは1955年のこと。以来、地域住民の願いと裏腹に、人口の流出が続く。旭川市営牧場や若者の郷といった施設は作られたが、大きな雇用機会の創造にはつながらず、自慢のそば畑も若者を引き寄せる効果は乏しかった。この地域の景観を守るための土地利用規制も、本格的な開発の足かせとなっている。豊かな自然という江丹別の特徴を活かした活動に取り組む4人の若者が、江丹別の運命を大きく変えるかもしれない。
 江丹別で暮らす愛さんとパートナーの佑太さんに続き、これまでは旭川市内から通っていた瑠馬さん・えりさん夫妻も近く江丹別に居を構える。「すでに自分たちで伐った木の皮をむき、乾燥を待つだけ。自分たちの手で家を造る」(瑠馬さん)
 オープンを控え、愛さんの心は期待とともに揺れる。「お客さん、ちゃんと来てくれるかな? ちょっと不安。リピータを増やさないと、イベントもやって……」。愛さんを中心に4人の夢を乗せた「coco moriキャンプ場」は、6月下旬オープン予定だ。

表紙2207
この記事は月刊北海道経済2022年07月号に掲載されています。

あさひかわ乗馬クラブ 百年の歴史

 「クラブの歴史を知るほどに、馬に対する先人たちの思いには、とても熱いものがあったと感じます」。今年、あさひかわ乗馬クラブ結成100年。女性初、最年少で理事長となった山崎明日香さん(37)は、この100年の節目にクラブを背負えることに大きな意味を実感し、さらに100年後の姿にも思いをはせる。(文中敬称略)

師団におんぶにだっこ
 新旭川市史(第三巻)によると、旭川でも祭典興行の一つとして、競馬は早くから盛んだった。しかし、馬術となると、「馬の飼育や調教など、直ちに民間に普及するには至らなかった」とある。当時、旭川中学校(現在の旭川東高校)の生徒が1916(大正5)年に陸軍第七師団騎兵隊で乗馬の練習を行った記録が残るが、正式に同校で乗馬部が発足したのは1930(昭和5)年。これとは別に、地域の乗馬愛好家20人ほどが意気投合し1922(大正11)年に産声を上げたのが、「旭川乗馬倶楽部」だ。
 その初代会長を務めたのが、退役軍人で当時の旭川市長、岩田恒。名誉会長には内野辰次郎第七師団長、顧問として複数の陸軍少将と警察署長、地裁所長らが名を連ねた。旭川市役所内の畜産課に倶楽部事務所を置き会員は当初50人程度だった。
 乗馬の練習は第七師団の騎兵第七連隊の覆馬場で日曜日ごとに行われた。騎兵連隊から手ほどきを受け、旭川体育協会創立30周年の記念誌には厳粛な中にも親切かつ熱心な指導を受けたことが「非常に楽しかった」と記述されている。
 記念すべき乗馬楽部第一回練習会(1922年4月16日)の様子は、「怖気立ちながらも落馬した者は無かった」などと写真付きで新聞各紙に報道された。続いて行われた第一回遠乗会(同年9月17日)は、騎兵第七連隊を午前7時に出発し、師団通、一条通、神楽岡を経て上川神社、旭山を150頭からなる隊列をつくって師団の騎兵連隊まで戻る約五里(20㌔)の道のりが行程だった。途中、東旭川の果樹園主からは果物が饗応(差し入れ)された。これ以後、遠乗会は戦前まで毎年春と秋に開催され約80人が参加し東神楽の義経台、東旭川の旭山公園を経て、比布にある蘭留、東鷹栖の突哨山など行程40㌔程度を行進したという。
 旭川乗馬楽部が結成されると、学生の間にも乗馬が普及し、旭川中学校だけでなく、旭川師範学校(現・北海道教育大学旭川校)、今の旭川商業高校や旭川農業高校等に馬術部が設置され、各30人ほどの部員が在籍していた。ちなみに道内には札幌、小樽をはじめ美唄、砂川、士別、新十津川、白老、広尾などの地域に合わせて24団体あった。
 北海道乗馬大会は旭川乗馬楽部が主催し1923年から毎年7月ごろに第七師団練兵場で開かれ、道内のほか東北各地、首都圏や名古屋などからも多数参加した。「北海道乗馬というより、むしろ全日本馬術大会と言いたい盛況であった」と旭川体育協会記念誌にはある。29(昭和4)年の北海道乗馬大会には、世界的に有名な馬術家、遊佐幸平をはじめ、騎兵学校の馬術教官が一堂に会した。31年大会には女流選手の参加でとりわけ華やぎと活況を呈し、団体組では旭川乗馬楽部が優勝。35年には第七師団凱旋記念遠乗会が開催され、金星橋や師団通、三条通を経由し東旭川地域まで行進し師団に帰着した。
 軍馬2頭の払い下げを受け、貸付細則を定めて会員に貸し付けも始めたが、「第七師団にはおんぶにだっこ。強力なバックアップや指導を受けた」と元旭川市史編集課職員であさひかわ乗馬クラブ会員の斉藤真理子は話す。

表紙2207
この続きは月刊北海道経済2022年07月号でお読み下さい。

軟投派アンダースローは44歳

 昨年士別に誕生した「士別サムライブレイズ」(北海道フロンティアリーグ)の選手は若手が中心。一人だけ異彩を放つ超ベテラン選手が安井大介だ。異例ずくめの野球人生、北米・中米などのチームを渡り歩いた十数年間、日本最北の野球チームにたどり着いた経緯、そしてアンダースローならではの投球術などを尋ねた。(文中敬称略)

ずば抜けた実績
 4月25日夜、士別市朝日町のあさひサンライズホールで、独立リーグ「北海道フロンティアリーグ」に所属する球団「士別サムライブレイズ」が2022年シーズンの「新チームお披露目会」を開いた。ネット中継される中、壇上に立った選手のほとんどは20代前半の若手。一人だけ、大ベテラン投手が混じっていた。安井大介投手(44歳)。他の選手たちの父親にあたる年代で、身長も170㌢とチームメイトと並べば比較的小柄だが、立派な現役選手だ。実績ではずば抜けている。何しろ他の選手がヨチヨチ歩きのろからアメリカ、カナダ、ニカラグア、ベルギー、グアテマラなどで転戦を続けてきたのだから。
 安井はサムライブレイズが北海道ベースボールリーグ(HBL)に所属していた2021年シーズンの途中、7月1日に入団。3試合に先発、中継ぎでも起用され、16試合、27と3分の2イニングを投げた。1勝1敗で防御率は5・20。久しぶりに対戦する日本の野球の器用さに戸惑った。初のフルシーズンとなる今季は先発で一つでも多く勝ち星を積み上げることが目標だ。
 5月5日、ホーム開幕戦(今季2戦目)となる対美唄ブラックダイアモンズ戦で出番が回ってきた。打ち込まれた若手の先発をロングリリーフ。立ち上がりで失点したものの、その後のイニングでは1失点に抑え、大味になりかけたゲームをベテランらしく引き締めた。
 異例の野球人生が始まったのは小学校2年生のとき。当時住んでいた東京都足立区の町内会で運営されていた「綾瀬東ガッツ」に入団した。中学校に進学してからは、その学校に野球部がなかったため大人に混じって草野球でプレーを続けた。歯車がいったん狂うのは高校進学後。卒業生から首相も輩出している東京都心の私立高校で野球部に入ったが、鼓膜が破れるほどの教師の暴力に耐えかねて1年で退部した。「理事長が教員を殴る異常な学校で、野球部員は教員の不満のはけ口にされた」。なお、この学校は約3年前、長年の慣例となっていた朝7時前からの理事長へのあいさつに不満を持った一部の教員がストライキを決行して全国ニュースに登場している。

移籍2試合目の試練

 野球を諦めきれなかった安井は、専門学校のチームで野球を続け、さくら銀行(現在の三井住友銀行)が母体の社会人チームに進んだ。それから2年余りが経った2003年、スポーツ新聞の記事で北米独立リーグでのトライアウト(複数のチームが実際にプレーさせて選手を募集するオーディション)開催を知った。当時、野茂英雄やイチローをはじめとする日本人メジャーリーガーの活躍がすでに始まっており、安井も自分の可能性を信じて渡米、トライアウトを受けた。米国内のチームには入れなかったが、カナディアン・ベースボールリーグのビクトリア・キャピタルズと契約した。
 しかし野球選手にとり現実は厳しい。開幕2試合目で登板した安井は満塁ホームランを打たれ、次の試合ではリリーフで無失点に抑えたものの、3カードが終了した次の試合の練習の前、監督に呼ばれて解雇を言い渡された。「野球はハードなスポーツだ。今までありがとう」。球団にとっても現実は厳しかった。安井の退団から7ヵ月後、キャピタルズは経営難で解散した。
 翌04年は米で春季キャンプに参加し、所属先の球団も見つかったが、プレー可能なビザへの切り替えができずにまたも解雇。北米では実力を備えていることはもちろん、ビザを得られるかどうかが外国人野球選手の運命を左右する。ビザ取得にはチームの協力が不可欠だが、チームは活躍の期待が大きい選手のビザ取得を優先する。当時はビザ発行量にも上限があり、なかなか順番が巡ってこなかった。
 それでも05年には米国のセミプロリーグ「ゴールデンジャイアンツ」と契約した。セミプロとは、春と秋の大学野球リーグの中間となる夏休みに、全米各地の大学野球部から集めた選手を中心に運営されるリーグのこと。優秀な選手には給料も出るが、開催期間は短い。これ以降2020年まで、安井は米国、カナダ、メキシコ、ニカラグア、グアテマラ、そして欧州のベルギーで、14チームを渡り歩いた。

年3ヵ月は海外で野球
 巨額の年俸が出るメジャーリーグと異なり、これらのリーグで選手に支払われる報酬はわずか。「試合のない日に皿洗いなどのバイトをこなし、苦しさに耐えて野球を続けていたのか」と記者が尋ねると、安井は笑って否定した。「年に約3ヵ月は北米や中米などで野球をプレー。残りの期間は千葉県で親の営む貸家業を手伝っていた。切れた照明を取り替えたり、掃除したり、壊れたところを修繕したり…。親も応援してくれている。貧しい生活に耐えながら野球を続けたわけじゃない」。
 海外で苦しさを感じるのは単調な食生活だった。米国内では、夜の試合が終わるころ、食事ができる店はファストフードのチェーン店しかなく、マクドナルド、ケンタッキー、ドミノピザの「不動のローテーション」が続いた。中米の国ではゲーム終了後、店がすべて閉店しており、空腹に耐えなければならないこともあった。
 海外でのプレーを始めたころは言葉にも苦労した。当初は英語の契約書の内容を理解しないままサインしていた。スペイン語はまったくちんぷんかんぷん。英語とスペイン語を両方理解する選手のそばにいるうちに、少しずつ話せるようになった。「彼女ができてコミュニケーションを図るようになってからは上達も早かった」。
 野球選手にケガはつきもの。しかし、チームが結ぶ健康保険のおかげで、治療費はかからなかった。唯一、保険でカバーされないのが「歯」。チームメイトに歯の痛みを訴えると「大丈夫か」ではなく、「お前、金はあるのか」と心配された。シーズン中に歯が痛くなっても、痛み止めを飲んでひたすら我慢するしかなかった。

アンダーだから長寿
 野球のピッチャーは、まず右手で投げるか、左手で投げるかによって二分され、投げるときにどの方向から手を振るかによってさらに分類される。上から振り下ろすのがオーバースロー、横から投げるのがサイドスロー、両者の中間がスリークォーター、そして下から投げるのがアンダースローだ。日本でも北米でも中米でも、アンダースローは少数派で、近年その数はさらに減っているが、下から上に向けて投じられた球が、重力に引かれて落ちるため、球の軌道は独特。対戦機会の少ないアンダースローの投手に苦戦する打者も多い。
 安井は右投げのアンダースローだ。もともとはサイドスローだった。専門学校時代にアンダースローを試したことがあるが、この時は脚が痛くなった。社会人時代、居並ぶチーム内のライバルと比較して劣る球速を見かねたコーチが「下から投げてみろ」と命じた。今度はうまく投げることができ、その時点では体もできていたのか痛みもなかった。
 アンダースローは体への負担が重いと考えられることもあったが(マンガ「巨人の星」では主人公の星飛雄馬が大リーグボール3号をアンダースローで投げ続け、結末で左手が崩壊した)、安井は「時々腰が重たくなる」以外は故障らしい故障がなく、「アンダースローだからこそ野球を続けてこれた」と考えている。
 決め球はシンカー。ただし、安井の言うシンカーは日本式の(右投手なら)右側に曲がりながら落ちるボールではなく、アメリカ式の高速ボールで、右バッターの手元に食い込んでくる。安井が投げる球の7割はシンカー。残り3割が直球だ。どちらも球速は125㌔前後であるため、打者には見極めが難しい。
 通常であれば多くの野球選手が衰えを感じる30代中盤から、安井は逆に手応えをつかむようになっていった。「イニング数が増えるにしたがって自分の長所と短所がわかってきた。コーチから『右バッターは抑えろ、左バッターはシングルヒットならOKだ』といった的確なアドバイスをもらい、肩の力も抜けた」。最後に外国でプレーした2019~20年のグアテマラ・ウィンターリーグでは最多セーブ(5セーブ)に輝き、翌シーズンに向けて米国内のチームから数件の引き合いが来た。今後も海外で野球が続けられると考えていた。
 2020年春に帰国した直後、安井の野球人生を変えたのは、新型コロナウイルスだった。

コロナで海外断念

 すぐにおさまると楽観視していたパンデミックは世界中に広がり、安井は再渡米することができなくなった。まだまだ正常化までには時間がかかるとみて、国内での所属チームを探しているうちに、北海道の独立リーグの存在を知り、昨年7月1日に入団した。
 2020年に活動を開始したHBLは、野球の練習や試合をする傍ら、地元の農家、商店などに勤務することで、スポーツ振興や地域おこし、不足する労働力の供給などの目標を同時に追求している。HBLに昨季加盟した士別サムライブレイズも同様の活動を展開している。昨年11月にはHBLからの脱退を発表、22年シーズンから美唄ブラックダイヤモンズ、石狩レッドフェニックスとともに北海道フロンティアリーグを構成している(HBLは2022年、富良野ブルーリッジ、すながわリバーズ、奈井江・空知ストレーツの3球団で活動)。野球と勤労を両立する活動はHBLでもフロンティアでも変わらない。安井は野球選手として活動しながら、地元のゴルフ場などで働くことになっている。
 チームには専業の英語・スペイン語通訳がいるが、安井も補助的に通訳を務める予定。もう一つ、夢がある。「米国などで観てきた試合では、開始前やイニングの合間などに、音楽を流したり、ショーの要素を加えたりして観客を楽しませている。これまでの経験を活かしてそうした要素を日本の野球に加えるために働きたい」
 もちろん本業は野球。昨季は、前の打席で抑えたはずのバッターが、スイングやタイミングを器用に調整してくることに戸惑った。「アメリカのバッターは自らのスイングにこだわりがあるため、調整はあまりしないもの。いい所に球が行けばそんなには打たれなかったのだが…」。器用な日本のバッターに合わせて、今度は自分が投球内容を調整できるかどうかが問われている。
 いま44歳。現役生活の残りがそれほど長くないことはわかっている。「自分と同じ年齢でいまも現役のプロ野球選手は福留孝介(中日→メジャーリーグ→阪神→中日)だけ。福留より1年でも長くプレーがしたい」と語る安井。北の最果ての地で「第2幕」が上がった。

表紙2206
この記事は月刊北海道経済2022年06月号に掲載されています。

実現するか マルカツ跡タワマン構想

 旧エクス跡に建設が進むタワマン(高層マンション)に次ぐ、旭川2番目のタワマンが実現するのか?閉店、解体が報道された「マルカツデパート」のオーナー・遠藤管財(札幌)の遠藤大介氏は、マルカツの名を残す25階建超の壮大なプランを描いているようだ。

HIRから遠藤管財
 旭川平和通買物公園2条にある「マルカツデパート」が閉店、解体されることになった。営業から100年になる商業施設だけに「地域を支えてきた老舗が姿を消すのは残念だ」と惜しむ声がやまない。
 マルカツの歴史は波乱に富む。始まりは松村勝次郎氏が創業した呉服店で、1924年に現在地の2条7丁目に移転し、36年に丸勝百貨店が設立された。丸井今井と激しい競争を繰り広げ71年には地下1階地上3階のビルに生まれ変わり、道内大手繊維卸の東栄㈱の傘下入りし店名をマルカツデパートとした。その後、増築を重ねて73年に現在の地下1階地上8階となった。その後も5階と7階部分を増築している。
 2001年東栄が破綻し外資系ファンドのローンスターに売却されたが、店名やテナントはそのまま残った。11年には居酒屋やカラオケボックスなどを展開していた㈱海晃(名寄市)へ約3億円で売却された。
 マルカツの再生を目指した海晃だったが、15年に旭川駅前イオンが開業した以降は集客力が落ち、テナントの撤退も目立つようになった。海晃は経営状態が悪化し社名をHIRホールディングスと変更。マルカツ売却は難航したが、昨年21年に、ようやく札幌の不動産グループとの間で話がまとまった。
 遠藤管財合同会社などで構成するグループ代表の遠藤大介氏は購入直後の本誌取材に対し「当面、再生再建の考えで、テナント商業施設として運営し、新設開発も将来の視野」と語っていた。
 遠藤管財所有となってほぼ1年だが、3月に入ってテナント関係者などから「オーナーが、10月末で閉店するとの方針を主要テナントに告げてまわっている」との情報が本誌を含め報道各社に寄せられるようになった。そして4月下旬、「マルカツ閉店、建物は老朽化で解体」との一部報道となった。

マルカツの名残す
 再び、遠藤氏に話を聞くと、
 「以前話したように、しばらくの間は商業施設として運営する予定だった。しかし、設備が老朽化しテナントに水漏れの損害が発生してしまった。再発の恐れもあり、また、1店にとどまらずほかのテナントでも同様の事故が予想される。コロナ感染拡大が長引き、客は戻らず空いたフロアーへのテナント誘致も進んでいない。当初の計画よりも閉店を前倒しすることにした。10月末閉店と決まっているわけではない。閉店時期は流動的」との答えが返ってきた。
 現在、マルカツには100円ショップなど38の店舗と旭川市の職業相談窓口が入居しているが、6階フロアなど空き店舗も目立つ。商業ビルと呼ぶには厳しい状況で、コロナ下で施設運営する遠藤管財は毎月、相当額の赤字が連続している模様。「閉店は未定」とのことだが、年内には閉じ、その後解体されるものと思われる。
 さて、気になるのが解体後の跡地活用だが、遠藤氏は「新たに商業施設とマンションの複合高層ビルを建設する」と話す。
 「再開発し街づくりに貢献するとの思いでマルカツを買った。高層ビルの下層階には商業テナントを入れマルカツデパートという名を引き続き使う考えだ。中層階・上層階がマンションで、25階建てを超えるタワーマンションとなる」と、話は大きい。
 1条買物公園の旧エクス跡は、「1・7地区優良建築物等整備事業」として、高層マンションの建設が進んでいる(本誌20年8月号で詳報)。
 昨年10月に旭川市に提出された「建築計画概要書」によると、建築主は大和ハウス工業㈱北海道支社で、設計・施工は三井住友建設㈱北海道支店。敷地面積2138平方㍍25階建て戸数は157戸。旭川初のタワーマンションとなり、高さ87・2㍍。旭川で最も高い建築物となる。工期は24年10月までとなっている。
 マルカツの敷地面積は2677平方㍍あり、エクス跡地よりも2割以上大きい。遠藤氏によると「当然、エクス跡地のマンションよりも規模が大きいものとなる」

ツインのタワマン
 旭川駅前にあった西武、丸井今井、長崎屋はいずれも撤退し、西武跡地には、低層階にツルハなどが入り中・高層階がホテルの「ツルハ旭川中央ビル」がオープンした。買物公園をはさんで建っていた長崎屋はエクスを経てタワマンに生まれ変わりつつある。さらにマルカツが高層ビルとして再生すれば、買物公園に面してツインのタワマンがそびえ立つことになる。
 旭川は人口33万人の街として一定の都市機能を備え、地震などの災害が稀で安全、ゴルフ場やスキー場なども充実している。中心部にタワマンがそろえば「住み良い地方都市」として本州の富裕層の注目も増す。マルカツ跡地の再開発実現を期待を込めて見守っていきたいが、市内のある不動産業者はこんな懸念も示す。
 「エクス跡のタワマンの総工費は当初額で約85億円。いま建設資材、輸送コストがうなぎのぼりで増額は避けられない。マルカツ跡にそれ以上の規模のビルを建てるとなれば事業費は100億に達する。失礼だが、知名度も大きくない札幌の不動産グループにそんな大事業は無理ではないだろうか?」。遠藤氏自身は「信頼関係の深い事業パートナーが数多くいる。マルカツの後に購入した中川ビル(4条7丁目)はテナントビルとして運営していく」。買物公園での事業推進にあくまでも強気の姿勢だ。

表紙2206
この記事は月刊北海道経済2022年06月号に掲載されています。

旭川医大西川新学長の〝不条理〟人事

 前学長が辞任届を提出し、旭川医大のトップが事実上不在となってから290日間。「すったもんだ」を経て西川祐司氏が4月1日、正式に旭川医大の新しい学長に就任した。空席が目立つ教授の選出、新型コロナへの対応、研究資金の確保など課題は山積しているが、その前に課題として突き付けられたのが、学長選挙で西川氏を支えた現副学長2人に関して調査委員会が認定した「不適切行為」への対応だ。ガバナンス回復を掲げる新学長の〝本気度〟が問われる。

打診後途絶えた連絡
 4月1日、旭川医科大学で開かれた記者会見。この日、学長に正式就任した西川祐司氏は力強く語った。「開学以来、多くの教職員、同窓生のたゆまぬ努力によって、本学は歩んできたが、来年の開学50周年を目前に本学のガバナンスが著しく退行してしまったのは誠に残念。私たちには原点に回帰して本学を復興させる義務がある」。
 注目は、大学の立て直しで中心的な役割を果たす執行部人事だった。病院長には、コロナ患者の受け入れを巡って当時の吉田晃敏学長と激しく対立して解任された古川博之氏が「復活」した(古川病院長は4月4日に記者会見を開催)。
 一方、執行部入りが予測されていたのにリストに名前がなかったのが皮膚科講座の山本明美教授。昨年11月15日に次期学長を選ぶために行われた意向調査(投票)では、西川氏に14票差まで迫った(西川氏165票、山本氏151票、もう一人の候補、長谷川直幸氏が45票)。学内の融和のためには広く支持を得た山本氏を執行部に迎えるのが常識的な方法であり、山本教授も執行部の一員として西川体制を支えることに前向きな姿勢を示していた。
 それなのになぜ、山本教授の名前がないのか。1日の記者会見で本誌記者が質問すると、西川学長はこう説明した。
「(山本教授に執行部入りを)打診したことはある。山本教授からは協力してやっていきましょうと言われたが、執行部に対する基本的な考え方が違っていた」。
 記者は「山本教授とディスカッションして違いがわかったのか」と尋ねたが、西川学長は「必ずしも、直接のディスカッションではない」とだけ述べ、詳細な方針変更の理由は語らなかった。
 関係者の証言を総合すれば、学長予定者となった西川氏が山本教授に執行部入りを打診したのは昨年末のこと。ところが、その後は何ら連絡がなかった。打診を行ったのが西川学長である以上、どんな理由があるにせよ、方針を撤回したことを事前に山本教授に説明するのが社会常識であるように思えるが、山本教授には昨年末の打診の後、人事について連絡がなく、3月31日に教職員に一斉送信された執行部の名簿を読んで、打診がなかったことにされたことを初めて知ったようだ。

調査委が不適切認定
 新執行部のリスト上で、学内関係者が山本教授の「不在」と並んで注目した名前がある。奥村利勝副学長(教育、評価担当、理事を兼任)と川辺淳一副学長(研究担当)だ。奥村氏は学長選考会議の議長、川辺氏は同委員でもある。学内で新執行部の顔ぶれが明らかになったのと同じ3月31日、2人が登場する「報告」に関する情報が医大関係者の間に波紋を広げた。
 本誌3月号で既報の通り、ある教員が、昨年11月に行われた学長選出のための意向調査(投票)に向けて、奥村氏と川辺氏がそれぞれ学長選考会議議長、委員として意向調査を管理する立場にあるにも関わらず、西川氏に投票するよう働きかけていたことを問題視、学内の公益通報制度に沿って届け出を提出した。学内の教職員、学外の弁護士からなる調査委員会が設置され、調査が行われてきたのだが、調査の結論である「報告」が3月31日にまとまったのだ。
 その内容は公表されていないが、本誌が集めた情報を総合すれば、結論は2点に集約できる。
①奥村氏・川辺氏は意向調査対象者、つまり投票権を持つ人に対して、特定の候補者への投票を促していた。法令や旭川医大の規定に違反するものではないが、調査委はこうした行為について「不適切」との見解を示したようだ。
②通報者は、2人が山本教授に対する虚偽の情報を吹聴したとして調査を求めていたが、これについては2人がパソコンの提出を拒否したことから、また防犯カメラの記録データが消去され復元が困難であることから、客観的な情報を集めることができず、調査委としては結論を出すに至らなかった。
 なお、①については本誌も奥村氏が西川氏への投票を周囲に働きかけているとの情報を得て、投票前に旭川医大に取材を申し込んでいる。11月9日、事務局から「奥村教授へのご質問については、ご質問の前提の事実は確認できませんでした」との回答があったが、調査委はこうした「事実」があったと認定したことになる。
 調査委がどこまで踏み込んだ調査を行うのかについては、あまり期待していない人も多かった。事なかれ主義で「なあなあ」の結論で済ませ、新執行部は何事もなかったかのように新体制をスタートさせるだろうとの無力感も一部では漂っていた。フタを開けてみれば、調査委は2人の行為について「不適切」だと結論づけた模様。
 しかし、調査委員会にできる仕事はここまで。不適切な行為や不正行為が判明したとしても、調査委員会に処分を決める権限はない。ましてや、証拠となるパソコンの提出を強制する権限もない。
 「国立大学法人旭川医科大学公益通報者保護規程」には以下の条文がある。
 「第11条 学長は、調査の結果、通報対象事実が明らかになったときは、直ちに是正及び再発防止のための必要な措置を講じなければならない。2 学長は、調査の結果、法令又は本学規則等に違反するなどの不正が明らかになったときは、当該不正に関与した本学の職員に対し、当該職員に適用される就業規則に基づく懲戒処分等を課すことができる」
 つまり、調査委の結論を受けて是正や処分を行うのは学長の仕事。一連の行為が、ただちに法令や学内の規程に違反するものではないとはいえ、このまま放置していては次回以降の学長選考で学長選考会議委員による集票活動が「野放し」になってしまう。何らかの対応が必要だが、不適切な行為を認定されたのは自らの選挙を支え、これからも執行部を支えていくはずだった2人。西川学長が難しい判断を迫られるのは想像に難くない。

会見ではコメント拒否
 本誌は4月1日の記者会見で、調査委の報告についても尋ねた。西川学長の答えは「公益通報の性格上、私は公益通報に関してはなにも答えられない。通報者を保護するということもある。私はコメントしない。どのような報告がされているかについても存じ上げない」というものだった。
 記者は4月4日に書面で、旭川医大の広報担当者を通じて、奥村副学長、川辺副学長、西川学長について以下の質問を送付した。(奥村・川辺副学長に対して)①報告の結論への見解②なぜ調査委からのパソコン提出要請を拒否したのか、(西川学長に対して)③改めて報告についてどう思うか、④調査結果を知っていて奥村氏、川辺氏を副学長に任命したのか⑤規程に基づく処分、再発防止策の考えはあるか⑥山本教授を起用しなかったことと公益通報は関連しているのか。
 4月7日、質問のうち①②③⑤については「通報者や通報の対象となった者の個人情報等を取り扱うことになるため、情報を共有する者の範囲を限定するなど、 通報対応に従事する者に通報に関する秘密保持や個人情報保護を徹底させることが必要であることが消費者庁から公開されている公益通報者保護法を踏まえた各ガイドライン等でも明記されている。したがって、本件についての内容をお知らせすることはふさわしくないと考えている」、④に対しては「お二人とも高い見識をお持ちであり、教育の質保証およびレベル向上を目指すために奥村利勝先生に理事兼教育評価担当副学長を、研究を戦略的に推進するために川辺淳一先生に研究担当副学長をお願いした」、⑥については「記者会見で答えた通り」との回答が送られてきた。

問われるガバナンス
 3月号の本誌記事でも触れたが、学長選考会議の議長や委員が特定の候補に投票するよう働きかけたとすれば、野球の審判が片方のチームを手助けするようなものであり、学長選出手続きの公平性が損なわれてしまう。投票前にまかれた怪文書の影響と合わせ、「完全に公正なかたちで投票が行われていれば、また違った結果が出ていたのではないか」という思いを抱く人がいるとしても、不思議ではない。
 西川学長は記者会見で「私は公益通報に関してはなにも答えられない」と答えたが、調査委が「不適切」と指摘した人物をおとがめなしで副学長に起用しつづけるとすれば、西川学長自らが、学長選考会議が特定候補を応援する行為に「お墨付き」を与えたに等しい。調査委での調査の過程が学長に知らされていなかったにせよ、この情報は本誌が繰り返し報じており、知らなかったで済まされるはずもない。
 奥村副学長は、新学長選考に手を挙げて学長選考会議議長を辞任した西川氏の後任として、議長に就任した。新学長から見れば側近中の側近だ。その人物が新学長を選ぶ意向調査の前、西川氏に投票するよう呼びかけていたことを、当の西川氏は知っていたのか、知らなかったのか。知っていたとすればどう行動したのか、行動しなかったのか。学長に就任した西川氏は自身の言葉で教職員や学生に対して明確に説明する必要がありそうだ。
 医大の関係者が注目するのは、西川氏の学長就任を文部科学省に申請した際、公益通報に基づく調査が行われていることを、文科省に報告していたのかどうか。学長選考の過程で不適切な行為があったことを文科省が知っていたら、違う結論が出たのではないか、または、西川氏の学長就任に条件がついたのではないかというのだ。
 なお、公益通報を行った人物は事態が長期化することは本意ではないとして、「山本氏を副学長に起用すれば公益通報は取り下げる」との提案を自らの弁護士を通じて西川学長に行ったのだが、西川学長は提案があった事実を公益通報の調査委に連絡。調査委は、こうした提案は公益通報の目的の健全性を損なうとの見解も示した模様。この提案に、西川学長ら新執行部が態度を硬化させ、山本氏の執行部入りを撤回した可能性もあるが、西川学長は詳細な経緯について説明を拒否しており、真相は謎のままだ。
 学長就任記者会見での様子をテレビのニュースで見た人は、西川氏の実直な語り口が印象に残ったはずだ。記者も昨年の投票前に行った取材から同様の感想を抱いた。通報者からの提案をはねつけたのも、西川学長なりの清廉さや道徳観の表れなのかもしれない。注目は、公益通報調査委員会が指摘した「不適切」な行為にも、同じ基準で対応するかどうかだ。
 就任記者会見の冒頭、(吉田学長時代に)「本学のガバナンスが著しく退行してしまったのは誠に残念。私たちには原点に回帰して本学を復興させる義務がある」と語った西川新学長。ガバナンスに対する自身の姿勢が、いま問われている。

表紙2205
この記事は月刊北海道経済2022年05月号に掲載されています。

次期最終処分場は春志内

 旭川市の次期一般廃棄物最終処分場(通称ごみ処分場)の建設候補地が市内神居町春志内地区に決まった。3月8日に市が正式発表したもので、そう聞かされれば「なるほど、そんな場所があったのか」とうなずく市民も多いのではないか。迷惑施設の代表格でもあるごみ処分場は、その新設をめぐり江丹別地域に大混乱を巻き起こした歴史的経緯もある。市がそんな過去の反省の上に立って選んだ場所が春志内だった。

基本構想見直すアクシデントも
 現在稼働中の江丹別芳野のごみ処分場の使用期限が2030(令和12)年3月で切れるため、市は11年6月に市長の私的諮問機関「次期廃棄物最終処分場検討委員会」を立ち上げた。江丹別の後のごみ処分場をどこにするか、手順を踏んだ場所探しが市民に見える形で動き出したのはこの時からだった。
 その後市は、市内にある12ヵ所の造成可能地エリアを示しながら建設候補地の比較評価、パブリックコメントの実施、整備基本構想を基にした市民説明会の開催、さらには附属機関の「最終処分場整備検討委員会」を立ち上げるなど、市民とていねいな協議を重ねてきた。しかし昨年、順調に進んできたはずの場所探しが思わぬ展開を迎えることになった。
 2017年に策定した基本構想では、今後の埋め立て量の減少を見越し、処分場施設は覆蓋型(屋根付き)のコンパクトなものとし、必要な用地の広さも現在の芳野処分場の4分の1程度と見込んでいた。しかし資材の高騰で覆蓋型では建設コストが高くなり、しかも近文清掃工場の焼却機能充実が見送られ、埋め立て量の減少も見込めなくなったため、容量の大きい従来のオープン型へ舵を切らざるを得なくなった。昨年7月には新たな基本方針を策定し、出直しをはかることにした。
 この時、市環境部では「早い時期に場所を決め、地域協議を開始したい」としていた。7月に基本方針を立てたばかりなのに、早い時期に場所を決めたいと言い切ったことは、場所探しがまったく新しい取り組みというわけではなく、ある程度、いやすでにかなりの見込みがあったからにほかならない。

実らなかった公募だが、手際よかった市の対応
 次期ごみ処分場の候補地探しを進める旭川市環境部清掃施設整備課は、昨年10月11日から12月29日まで一般廃棄物最終処分場の建設候補地の公募に踏み切った。一見、自分たちでは決めかねるので地域の声を反映した候補地を公募という手段で求めようという算段のようにも見えたが、締め切りまでに名乗りを上げる地域は1件もなかった。
 しかし市は、応募ゼロも想定内だったのか、特段の焦りを見せることもなく「年明けの2月上旬までには市独自の選考で候補地を絞りこむ」と言い切った。
 その自信ありげな言葉からは、すでにメドがついていると言わんばかりの様子も読み取れた。案の定、実際にそうだったのである。あえて迷惑施設の公募という手段に出たのも、「手を尽くした」というアリバイづくりのようなものだったのかもしれない。
 「市が独自に2月上旬までには絞り込む」と言った通り、清掃施設整備課では今年に入ってから市内5ヵ所にまで候補地を絞り込み、2月中旬には庁内会議にかけた。会議には当時の赤岡昌弘副市長や関係部長が出席したが、清掃施設整備課が示した5ヵ所について順位付けを行い、結果、1番となった「神居町春志内」に決まった。同課ではすでに春志内の予定地となる地権者2人から、候補地とすることに同意が得られる感触を持っていたことが決め手となったようだ。
 清掃施設整備課では「立地環境の評価や数値では表せない定性評価も行ったうえで春志内地区が1番という結果になった」と万全の選考だったことを強調し、ひと安心した表情だが、一方では「本当に気を抜けないのはこれから」と気持ちを引き締める。

住民説明会は3市民委が対象
 かつての江丹別芳野の例を出すまでもなく、迷惑施設の建設場所を見つけたとしても、肝心なのは地権者だけでなく地域住民との交渉。合意を得るためには十分な説明、話し合いが欠かせない。
 市が描いている場所は、市街地から国道12号で台場を抜け、観魚橋を過ぎたあたりの左側一帯。山とも丘とも言えない規模の丘陵地帯で、今は雪があって現場の確認はできないがグーグルアースで上から見ると原野のような状態。かつてはこの辺に住宅を建て生活していた人もいたようだが、今はまったくの無人地帯。
 清掃施設整備課によると石狩川をはさんで対岸に1軒住宅があるだけで、少なくとも建設予定地周辺に民家はない。しかし迷惑施設ができることによる環境等への影響はさらに広範囲に及ぶことになり、市では今後、市民委員会を通じて各地で住民説明会を行うことにしている。
 対象となる地域を市民委員会単位で言うと石狩川対岸の嵐山(江丹別町嵐山・春日・共和)、台場(神居町台場・台場東)、西神居(神居町神居古潭・西岡・豊里)の3市民委員会。市は、2030年からの供用開始を目指して近々に地域住民との話し合いに入っていく。

利権絡む要素は見当たらない
 建設を予定する17・4㌶の地域の大半は民間人2人の所有で、一部市有地もある。市は今後、現地で正確な測量を行い、2026(令和8)年までには買収用地を確定し、正式に売買契約を交わすことにしている。
 ごみ処分場は今でも「迷惑施設」としてとらえられているが、実際に迷惑極まりなかったのは江丹別の共和地区や中園地区にあった20年以上も前の話。当時、水質汚染やカラス被害が著しく住民生活が脅かされていたことは間違いないが、芳野に移ってからは見違えるほどに施設整備がなされ、ごみ分別が進むようになってからは被害が激減した。
 また、考え方によってはこの迷惑施設も、地域おこしに活用できる有形の財産というとらえ方ができなくもない。かつて江丹別ではこの有形財産を、地域振興のためという不文律を破り、個人や企業の利得に活用しようとする不届きな事例も見受けられたが、春志内ではそのような利権が絡んでくる要素は今のところ見受けられない。
 今後予定される市の説明会でも住民の声を2分するような大きな波乱は予測できない。順調に進めば、住民合意を得た後に測量を行い、処分場用地を確定し、2026年には地権者と正式契約して実施設計に入り、翌年から建設工事に取りかかる段取り。供用開始は今から8年後の2030年4月が見込まれる。

次期産廃処理施設どうする振興公社
 次期一般廃棄物最終処分場の建設候補地が春志内地区で一定のめどがついた一方、産業廃棄物(産廃)を処理する旭川廃棄物処理センター(江丹別共和)の次期建設予定地はなかなか適地が見つからず、管理する㈱旭川振興公社(赤岡昌弘社長)が苦労している。
 同センターの埋め立て終了期間は当初予定では2028年度末だったが、それより早くに容量オーバーすることがわかり、ここ4~5年のうちに次の処分場を建設しなければならない切羽詰まった状況に立たされている。
 建設に必要な用地は、春志内に決まった面積よりさらに大きなものが想定されており、昨年来、振興公社の役員、職員らが懸命に適地を探している。しかし今現在、これといった見通しは立っていない。
 第三セクターである振興公社の仕事には市も無関心ではないが、いかんせん市は一般廃棄物の処分場探しに集中していたため、「振興公社のことは振興公社で」といった感じだった。市民的には「産廃も一般廃棄物も同じエリアに造ればいい」と思ってしまうのだが、何か問題でもあるのか、その発想は両者とも薄いようだ。
 市が次期一般廃棄物最終処分場のために長い時間をかけて作った環境調査のデータもあるわけだから、振興公社もその気になれば適地探しにさほど腐心しなくともよいと思うのだが。なにか妨げとなるものでもあるのだろうか。今後の旭川振興公社の動向が関心事となっていく。

表紙2205
この記事は月刊北海道経済2022年05月号に掲載されています。

受験生必読「英単語 記憶のためにまず忘れる」

 「うちの子は何も苦労せずにスラスラと英単語を覚えている」─そんな家庭はまずない。ほぼすべての児童や生徒が英単語の暗記に苦労し、挫折し、ラクな方法を探している。加齢とともに思い出す力が弱まっている記者は、北海道教育大学旭川校に英単語の記憶法をテーマにしている研究者を訪ねた。

小→高で5000語
 英語で日常会話をするには単語を2000~3000語覚える必要があると言われている。学校での英語の授業でも単語を大量に暗記しなければならない。新学習指導要領によれば小学校では600~700語、中学校では1600~1800語、高校では履修する科目により異なるが1800~2500語を覚えることが求められる。小中高を合計すれば最大5000語に達する。単純比較はできないが、小学校、中学校までに学ぶことになっている常用漢字は合計2136字。英単語学習の負担の重さがわかる。
 それだけに、大量の英単語を効率よく暗記する方法を探し求める人は多い。インターネットで「英単語 暗記」を検索すると、怪しげな記憶術や書籍の情報がいくつも表示される。結論から言えば、魔法のような方法は存在しない。多かれ少なかれ、苦労をしなければ英単語は頭の中に残らない。ただ、英単語の学習方法の中には、効率が比較的良いものもある。意外なことに、ある事情から効率が悪い手法を選ぶ教育者や学習者が多いという。

忘れてから覚える
 効率的に英単語を覚える方法を研究している研究者が旭川市内にいる。北海道教育大学旭川校の教員養成課程英語教育専攻で講師を務める金山幸平さんだ。金山さんは英単語を覚えるのに役立つ4つの工夫を提案する。

1 想起練習
 「apple=りんご」と書かれた紙を漫然と眺めているだけでは、記憶はなかなか定着しない。思い出すための努力が必要な状況を作ると脳に「学習負荷」がかかり、記憶が残りやすくなる。具体的には暗記シート(覚えたい部分を赤のペンで塗り、緑のシートをかぶせるとその部分が黒く隠れる文具)や単語帳などを活用して「apple」の意味を思いだそうとすれば(想起練習)、または逆に「りんご」を意味する英単語を思いだそうとすれば、学習負荷が発生する。英単語、日本語訳のどちらかを指先で隠すだけでも、効果がある。
 こうした方法で英単語を覚えたら、その効果を計るために単語テストを行うが、テストを解くために考えることもまた想起練習になる。「テストは成績を付けるためだけでなく、それ自体が学習ツールとして機能します」(金山さん)

2 テスト直後の学習
 テストは重要だが、もっと大切なのはその直後。答え合わせをして、どの単語が正解で、どの単語が不正解だったのかを区別した上で、不正解の単語を中心に再び想起練習を行うのが効果的だ。「多くの研究から、学習が最も効果的になるのはテストを受けた直後であることが判明しています」。逆に、学習→テストの順番だと、テストの点数は高くなるものの、間違った単語を意識して想起する機会がないと長期記憶には貢献しない。テスト→学習という順番が重要だ。

3 分散学習
 英単語の記憶に限らず、学習には集中学習と分散学習の2タイプがある。集中学習の典型は試験前の一夜漬け。短期的にはある程度の効果を発揮するものの、時間が経てば見事に忘れてしまうことは、多くの人が実際に体験しているはずだ。分散学習はある程度の間隔を空けてくり返し学ぶスタイル。数多くの研究から、長期記憶には集中学習よりも分散学習のほうが圧倒的に効果的との結論が出ている。注目すべきはその理由だ。「分散学習では間隔を空けることで、学習した英単語をある程度忘れる時間を作ることができます。忘れるという経験を得た上で復習を行うと学習がより効率的になります。一方、集中学習だと短期間で英単語を詰め込んだとしても、学習者が『もう完璧に覚えた』との錯覚を起こして、負荷を伴う学習をしなくなり、結果的に非効率になるわけです」。覚えるためにいったん忘れる時間が必要というのは逆説的な話だが、多くの研究結果から実証されている。

4 累積テスト
 50語の英単語を5日間で記憶し、毎日テストを行うとする(図)。学習方法Aでは1日目に単語1~10、2日目に単語11~20、最終の5日目に41~50という順番で範囲の重複なしに出題する。学習方法Bでは1日目に単語1~10、2日目に単語1~20、最終の5日目に1~50と、出題範囲を累積しながら出題する。効率が良いのはB。Aではその日に学んだ範囲だけがテストで問われるのに対して、Bでは前日までの内容も復習する分散学習が必要となり、長期記憶に貢献するためだ。
 こうした累積テストの効果を知っていれば、単語帳を使って学習する際、「今日は新出の10語を完璧に、集中的に覚えよう」よりも、「昨日と一昨日の単語も一緒に復習しよう」といったアプローチのほうが望ましいことがわかる。

即効性か長期的効果か
 こうした学習方法の効果の違いを調べる学問が認知心理学。長期記憶に貢献する学習方法については、世界中の認知心理学者が検証を行い、前述した4つの方法が望ましいことを裏付けている。ところが、教育現場では逆の手法が取り入れられる傾向がある。たとえば「学習→テスト」という順番が一般的で、テスト後の復習はなおざり、累積テストではなく、出題範囲が限定された非累積テストが行われるといった具合だ。学習者の側にも、分散学習ではなく集中学習を好む傾向がある。
 それには理由があると、金山さんは指摘する。「学習→テストという順番、集中学習、非累積テスト。いずれも早く英単語を覚えることができた、勉強したという達成感を得ることができます。教育現場で、学習効果の実感は重要です」。しかし、こうした学習では、テストが終わればあとは忘れていくだけ。効果は長続きしない。対照的にテスト→学習、分散学習、累積テストといった方法は、すぐには勉強の成果を実感できないものの、長い目で見れば効果的だ。英語学習の最終的な目標が「学んだぞ」という満足感に浸ることではなく、将来外国人とコミュニケーションを図ることだとすれば、英単語を長期的に覚えておいて、必要時に思い出し、活用することができなければ意味は乏しい。英単語を覚えるため、すぐ得られる達成感と長期的な効果のうちどちらに注目すべきなのかはいうまでもない。
 次に、前述した知見を踏まえて、金山さんが提案する英単語学習法を紹介する(例として100語の記憶を想定している)。
①100語の英単語についてテストをして(想起練習)、その都度答え合わせをしながら、間違った問題に印をつける。知らない英単語ばかりなので最初は間違えるのが当たり前。多くの人はあきらめて学習をやめてしまったり、10語に限定して完璧に覚えるなど方法を変えてしまう。あきらめず、方法を変えずに継続することが大切だ。
②間違った問題を中心に、再度想起練習(復習)を行う。
③確保できる学習時間を考えながら②を継続する。
④ある程度忘れる時間を作るため、あえて間隔を空ける。
⑤その後、もう一度①の100語のテストを行う。成績が悪いと「非効率な学習法なのではないか」と不安になることがあるが、長期的にはこの方法のほうが効率的だと信じることが重要。
⑥以上のステップを納得するまで繰り返す。
 こうした方法は英単語に限らず、他の分野の記憶にも活用できる。学校で英語を学んでいる子のいる家庭や、独学で外国語の習得や資格取得のため勉強している人の参考にもなるだろう。
 なお、④について補足すれば、どれくらいの間隔を空ければ最も効率的に記憶できるのかについてはいろいろな学説がある。その一つ「エビングハウスの忘却曲線」と呼ばれる理論に基づくスマホの暗記補助アプリ「Anki」が世界的に普及しているが、その後の研究で、こうした忘却曲線理論は根拠が薄いことがわかっている。
 最後にこの記事の内容を復習してみる。大切なのは想起練習で脳に学習負荷をかけること、分散学習で忘れる時間をあえて作ること、テスト→学習という順番を守ること、(1日100語など)大量の英単語を覚えようとするほうが(1日10語など)限られた英単語を完璧に覚えようとするより効率的だということだ。
 1週間後、この記事の内容をすっかり忘れていたとしても、気にする必要はないが、再読はしてほしい。

表紙2205
この記事は月刊北海道経済2022年05月号に掲載されています。