道議会のウルトラマン 真下紀子団長奮戦記

 4月の統一地方選で日本共産党は4人の道議会議員を誕生させた。そのうちの一人が旭川市選出の真下紀子氏(58)。4期目となる真下氏は、要件を満たし〝会派〟となった共産党道議会議員団の団長となり、3人の共産党新人道議を引っ張る。道議会で女性議員が会派の代表になるのは議会史上初。6年前には「道議会の仕事人ランキング」(NPO法人リンカーンフォーラム北海道発表)で第1位に選ばれ、道議会の質問回数も2期連続第1位の真下氏の仕事ぶりを追ってみた。

衆院選道6区立起後萩原道議の後継者に
真下氏は、3期務めて勇退した共産党の萩原信宏氏の後継者として2003年4月の道議選に初挑戦。定数6に対し7人が立起する無風に近い選挙戦だったが、自民、民主、公明の強敵を相手に堂々の5位で当選を果たした。
mashita萩原氏は、1万5千票が限界とされていた道議選における共産候補の得票を毎回1万票も上積みし〝共産党の怪物〟と評されたが、その後継者として登場した真下氏もまた、共産の基礎票をはるかに上回る得票で3期連続当選を重ね、4期目は第4位当選と安定感を見せつけた。
道議選初挑戦の3年前、2000年には共産党公認で衆院選北海道6区にも挑戦している。この時は、民主党の佐々木秀典氏、自民党の今津寛氏、自由党から出た西川将人氏(現旭川市長)を相手に戦い、落選はしたものの旭川市内では西川氏を上回る2万1376票を集めている。
「あの時は勢いだけで出た」と振り返る真下氏だが、この選挙経験がきっかけで怪物・萩原氏の後継者に選ばれることになり、「政治家になるつもりなど全くなかった」という真下氏の人生を大きく変えることになる。
1956年8月7日生まれ、十勝管内豊頃町出身。帯広三条高校、北大医学部付属看護学校卒業後、旭川医大病院・小児科クリニック・保育園などに看護師として勤務、97年に新日本婦人の会旭川支部常任委員、99年に共産党国会議員団旭川事務所長、日本共産党地区道政事務所長を務めている。

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この続きは月刊北海道経済2015年7月号でお読みください。

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