ジャズマンス 20年の活動にピリオド

 20年続いた音楽イベント『ジャズマンス・イン・旭川』が幕を閉じる。チック・コリアやゲイリー・バートンなど超大物ミュージシャンの招聘(しょうへい)、国内では珍しい子どものジャズグループ旗揚げ、障害を持つ子どもたちの音楽教育など功績は大きい。「札幌の『シティジャズ』のように行政がバックアップして続けることはできなかったのか。音楽の街なのに寂しい」と、市民から惜しむ声が上がっている。

ジャズの魅力を発信
 開基100年事業の一環として建設された旭川大雪クリスタルホール。音楽専用ホールを求めていた市民団体『ぬくもりホールの会』などの運動から、音響の美しさにこだわり、壁や床に木をふんだんに使った音楽堂もつくられた。オープンしたのは1993年で、「音響は国内一」と高く評価された。

jazz 以来、室内楽中心のホールとして使われてきているが、音楽堂がオープンした翌年、ぬくもりホールの会で中心的な活動をしていた村田和子さんが、ヴィブラフォン奏者のゲイリー・バートンとジャズピアニストのチック・コリアを招聘し、音楽堂でデュオ演奏が実現した。

 共にグラミー賞受賞者の2人の巨匠のデュオ演奏が実現したのは実に14年ぶりのこと。それがニューヨークでも東京でもなく、日本の地方都市旭川で行われたことは音楽界にとって衝撃的なことで、大きな反響を呼んだ。公演は大成功を収め、2人の巨匠は音響だけでなく規模や客席との距離感も気に入り音楽堂を絶賛。これが『ジャズマンス・イン・旭川』の生まれるきっかけとなった。村田さんが音楽家の佐々木義生さんらと「旭川からアコースティックジャズを発信しよう」と、ジャズのイベントを企画したのだ。

 ゲイリー・バートンとチック・コリアの2巨匠は翌年再び来旭し、チック・コリアはソロコンサートを開催し、ゲイリー・バートンは村田さん・佐々木さんが企画したジャズマンス・イン・旭川のメインメンバーとなった。

 28日間にわたって開催された第一回のジャズマンスの出演者はゲイリー・バートンのほかタイガー大越、小曾根真らそうそうたるメンバーで、佐々木さんもベーシストとして参加、出演した。音楽堂でのコンサートを2回、富良野や東川での5回の地方公演、7回の学校訪問と2回のライブハウスコンサートを繰り広げた。

ジュニアバンドも

 翌年もゲイリー・バートンらをメインメンバーにコンサートや学校訪問を行ったほか、障害のある子どもたちを招いたコンサートや情緒障害の子どもたちを対象とする音楽教室も9回実施された。

 障害のある子どもたちを招いたコンサートと音楽教室を発展させて、音楽療法を行う『スモールワールド』もこの年、旗揚げした。障害のある子どもたちに潜在する音楽の才能を発掘しているボストン・バークリー音楽大学の自閉症児ジャズバンドに倣ったものだ。

 3年目の年、97年には、日本ではおそらく初と思われる子どもたちのジャズバンド『ジュニア・ジャズオーケストラ』を発足させた。小学4年生から中学3年生までが対象で、日本のジャズ界トップクラスの奏者が直接指導し、キャンプ(合宿練習)も実施された。

 この年からは開催時期が秋に変更となったが、音楽堂でのコンサート、地方公演、学校訪問、障害児音楽教室といったプログラムで開催が続いていく。

 ジュニア・ジャズオーケストラは発足して7年目の2003年に国際ジャズ教育協会の招きでニューヨークでの国際大会に出場。「本物を聞き、体験し、知る」をモットーにした旭川の指導で獲得した技術や演奏姿勢がニューヨークで高く評価された。

 11回目となった2005年には、カウント・ベーシー・オーケストラで作曲・編曲を担当し数々の歴史的名曲を発表した大御所・サミー・ネスティコも参加して大きな話題となった。

 06年から3年間は「アジアのジャズ」を追求。モンゴルの伝統音楽を学ぶ子どもたちを招待し交流、ウズベキスタン、バリの子どもたちと続けた。

 クリスタルホール開館20周年となった13年にはチック・コリアとスタンリー・クラークのデュオコンサートを実現。チック・コリアは5度目の来旭となった。

 そして21回目のジャズマンスが11月22日、23日に開催されるが、今年がフィナーレとなる。

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この続きは月刊北海道経済2015年10月号でお読みください。
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