落語家に弟子入り 笑いで免疫高める院長

クリニック内に常設の演芸場を開設した「旭川キュアメディクス」の松田年(みのる)院長(64)。親交がある噺家・橘家富蔵師匠を招きこけら落としを行ったが、師匠がすっかり気に入り、松田院長に「橘家師ん蔵」の名をおくって弟子とした。富蔵の師匠は一時代を築いた人気者の「円蔵」で、松田院長は〝孫弟子〟にあたることになる。

旭川キュアメディクス

キュアメデ寄席
 「医者とかけて何ととく」、「パーキングとときます」。そのこころは「チュウシャできます」。いきなりの謎かけで恐縮だが、4回5回と続くコロナワクチンも、ジョークが飛び出しそうなリラックスムードのクリニックなら億劫(おっくう)でなくなるというもの。
 40代の時、松田医師は東京の大学病院に勤務していた。巨大都市東京を知るにはどうしたらいいか?「江戸を知るなら落語だ!」と、休日に上野鈴本、浅草演芸ホールと寄席巡りを始めた。落語のDVDも取り寄せて、すっかり落語ファンになってしまった。
 「笑いの医学」という考え方がある。笑うことで免疫力が高まりガンや感染症治療にも有効という医療法で、勤務医の松田医師は「病院に寄席のコーナーをつくりたい」と真剣に考えた。さすがに大学病院では無理だったが、旭川に帰省し旭川市6条15丁目にクリニックを開院すると、さっそくロビーを特設会場として2018年に「キュアメディクス寄席」を開催した。クリニック開業の改修工事で知り合った中川校一さんが、アマチュア落語家集団「旭笑長屋」の旗揚げメンバーだったことで松田院長は長屋のメンバーとなり、クリニック寄席開催もスムーズにいった。

弟子・師ん蔵
 翌19年に2回目のクリニック寄席。この時は橘家富蔵師匠を招き、旭笑長屋立ち上げメンバーの一人で、もう一つの落語ファンの集り「旭川落語芸術協会」を主宰する中村幸一さん(旭笑亭幻太)も共演した。
 その後2年間はコロナのためクリニック寄席は休んだが、今年7月に旭笑長屋主催の「寿芸無寄席」が公会堂で行われ、「きくだけではつまらない、先生も高座にあがった方がいい」と中川さんにすすめられて松田院長が初めて聴衆の前で一席かたった。医療を題材とした小ネタを集めたオリジナルの「医ノススメ」。 「自分の語り、ネタで笑いがとれるのは気持ちがいいものですね。症状が改善した患者さんに〝先生ありがとう〟と言われるのと似ています」と松田院長。前身の産婦人科病院の食堂だった4階フロアーを常設の演芸場に衣替えして11月6日に富蔵師匠を招いてこけら落としの落語会を開いたが、自身もオリジナル2作目「プーチン裁き」を披露した。
 常呂町出身の富蔵師匠は79年に5代目月の家円鏡(のちの橘家円蔵)に入門し、83年に2ツ目に昇進し橘家舛蔵に改名。95年に真打ちとなり富蔵となった。旭笑長屋や旭川落語芸術協会が舛蔵時代からひいきにして毎年のように招いており、旭川の落語ファンにとっては身近な落語家だ。来旭するたびに、中川さん、中村さん、松田院長との落語談義は絶えない。

こけら落としの高座

「笑いと健康を」
 その富蔵師匠からこけら落としの落語会の後、松田院長宛てに落語家名「師ん蔵」がおくられてきた。富蔵の弟子として認めるとのお墨付きだ。
「落語ファンが集まってできた旭笑長屋ですが、みんな話す魅力にとりつかれてそれぞれ落語家名を持っています。私は〝ナナカマド紅丸〟、中村さんは〝旭笑亭幻太〟といった具合。頭を捻って好きな落語家名としています。今回のように真打ちの落語家から弟子として名を与えられるのはきわめて珍しい。キュアメディクス寄席で披露した天狗裁きを改作したオリジナルの〝プーチン裁き〟はタイムリーでおもしろかった。富蔵師匠は先生の才能を評価したのでしょう」とは、中川さん。
 「素人弟子」として有名なのはフランキー堺や篠山紀信。篠山は8代目桂文楽の孫弟子にあたる。
師ん蔵こと松田院長はラジオ、テレビの人気者だった円鏡師匠の孫弟子にあたることになる。しきりに恐縮しながら松田院長は「汗顔の至り。精進して、患者さんや近隣の方々に笑いと健康を提供できるよう努めます」と話している。

この記事は月刊北海道経済2023年1月号に掲載されています
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