旭川市神居町台場の元「旭川ジャンボプール」跡地に、複合施設「旭川ホースランド」(仮称)を建設する計画が水面下で進んでいる。場外馬券場をはじめ、乗馬体験施設、各種飲食店や物産コーナーを兼ね備えたもので、地元市民委員会では、かつて札幌方面からの旭川の〝玄関口〟として栄えた台場地区再生の起爆剤になればと期待の声が上がっている。
一大レジャースポット
かつて夏の行楽スポットとして市民に親しまれた「旭川ジャンボプール」。その建設構想が浮上したのは1982年、「海のない旭川に海をつくろう」との思いからだった。再選を目指した当時の坂東徹市長(故人)が、同年11月の市長選に公約の目玉として掲げたものでもある。
同じ時期に行われた北海道知事選では、革新の横路孝弘知事が旭川に「北の子供の国」構想を打ち出していたのに対し、保守が擁立した三上顕一郎氏は坂東市長とタッグを組んでジャンボプール構想を推した。
しかし、坂東市長は再選されたものの、三上氏は横路氏に敗れて落選。三上知事が誕生していれば、83年度の道の予算にジャンボプールの建設費が組み込まれるはずだったが、結局、計上されることはなかった。
それでも、この構想は、公約を何とか実現させようと意気込む坂東市長の熱意によって実を結ぶ。84年7月14日に晴れてオープン。北海道を代表するリゾート運営会社「加森観光㈱」の手によって、道立ではなく、民営で運営されることになった。総面積は2万平方㍍。波打ち際が全長60㍍で、当時としては道内最大規模を誇る造波プール、長さ35㍍と15㍍のスライダー(すべり台)プール、1周200㍍の流水プールとサイクルモノレールなどを設備した一大レジャースポットとして華々しく誕生した。
以来、18シーズン、旭川市民のみならず、道東、道北各地区から利用客がつめかけ、夏の人気レジャー施設として稼働。だが、営業期間が7月中旬から8月のお盆過ぎまでと短かかったことに加え、基本的には屋外施設だったため天候にも左右され、なかなか採算が取れなかった。学校やスポーツ団体、町内会の利用などの面で開拓しようと営業努力を重ねたが、しばしば冷夏に泣かされ、最終的には閉鎖に踏み切ることになった。
(この続きは月刊北海道経済2014年4月号でお読みください)