旭川・上川中部エリアの新築注文住宅シェア15年連続No1を誇る㈱石山工務店(旭川市東4条8丁目、石山実社長)の大工総棟梁・鎌田正教さん(82)は、齢(よわい)を重ねた今も自転車で自社の製材作業場に定期的に通い、後進の指導にあたる。ハンチング(鳥打帽)を被り、製材作業に取り組む姿は今も精悍だ。「お客さんに喜んでもらえる家を一軒一軒建ててきただけだよ」。創業者で、大工でもあった先代社長とともに現場に立ち、一人前の大工の象徴でもある墨打ちを磨いてきた。石山工務店の礎を築いた男である。
22歳で入社以来 石山工務店一筋
上川管内幌加内町添牛内で育った鎌田さんは、地元の中学校を卒業すると旭川市内の建設会社に就職した。「小さいころから物を作るのが好きだったからね」。22歳のとき、当時旭川市旭町にあった石山工務店に入社する。「社長さんも大工で、自分を入れて6人の大工がいました」
石山工務店は、現在の石山実社長の父・直一さん(故人)が創業した。
「職人気質ですごかったんです。基礎工事も社長(直一さん)一人でやっていた。墨打ちもほとんど間違えなかった」。鎌田さんは、当時の社長・直一さんの職人魂にあふれた姿を鮮明に記憶している。
営業もやって基礎工事も墨打ちも一人でやる直一さんの仕事ぶりに鎌田さんは触発される。
「職人気質だけどね、それが全然口うるさくないの。会長(直一・社長勇退後に就任)さんは、おとなしい人でした。文句を言われたことは一度もなかった」
石山工務店に連綿として引き継がれる愚直なほどの丁寧な仕事は創業者・直一さんの人柄が反映されたものらしい。丁寧な仕事は必然的に信頼を得る。石山工務店の仕事ぶりは口コミで広がる。オーナーが次のオーナーを紹介してくれる好循環を生んだ。
修得苦労した墨打ち 50歳ごろ棟梁に
「図面を見て墨を打つ所をひろっていく、それを覚えるのが大変だった」。創業者・直一さんが一人黙々と墨打つ姿を見ていた。「5年以上かかったな」。図面をパッと見て墨を打つ箇所を理解し、頭の中で家の構造をイメージする。鎌田さんは直一さんが墨を打つ背中をじっと見続けてきた。
「お前がやれ」。直一さんは墨打ちから手を引く。「会長(直一)さんから任されました」。鎌田さんが墨を打ち、棟梁になった。50歳を超えていた。
大病もなく健康に恵まれた。40代のころ脚立から落ち、左のくるぶしを傷めたが大事には至らなかった。製材にぶつけて左腕を折ったこともあったが、「片腕で仕事をした」。鎌田さんは、右手で鋸をひく動作をして口元を広げた。大工の仕事が大好きだった。
「とにかく会長(直一)さんがやさしかったからね、だから長く続けてこられた。石山工務店に入ってほんとうに良かった。若いころは、他所(よそ)から声がかかったこともあったけど、ここで良かった」。鎌田さんは相好を崩した。
単価の安い家も 高い家もしっかり
「どんなに単価の安い家でも高い家でもしっかりやる」。それが石山工務店のモットーであり、創業者・直一さんの教えだった。心と身体に沁みついている。鎌田さんは直一さんの教えを連綿と後進に伝え続けてきた。
直一さんの教えを胸に一棟、また一棟……。丁寧に家を建ててきた。気づけば石山工務店は大きな組織となった。
「入ったときは、こんなに大きな工務店になるとは思わなかった」。鎌田さんは顔をほころばせ、現在の2代目・石山実さんが社長に就いて以降、石山工務店は飛躍した、と語る。
「『お客さんから具合が悪いって連絡がきたら、すぐに見に行ってほしい。アフターは徹底してやってくれ』って、2代目の社長さんから、それはそれはきつく言われている」。基本的にアフターケアは、採算性・経済効率性から見て利益・メリットは施工会社にとって少ない。だからこそ、心を込めてやる─。そこで芽生える信頼は無形財産となる。鎌田さんが言うように創業者・直一さんの志は、息子である2代目社長に確かに引き継がれているようだ。
「私が石山工務店に入ったころ2代目は伝い歩きをしていてかわいかった。みんなに『ミイ』って呼んでかわいがられていました」。2代目が小中学生のころキャッチボールをして遊んだこともある。高校生になってアルバイトで現場に来たときは一緒に汗を流した。
石山工務店に入り、大工として60年歩んできた。「数えたことがないから分からない」。鎌田さんが手がけた住宅は数百を超える。「家を造ってお客さんから『良かった』と言われるのがうれしかった。お客さんが満足してくれることが一番だな」
一昨年、鎌田さんは退職した。妻の幸子さん(82)と二人暮らしで、これといってすることはない。夏に家の敷地で野菜を作ることぐらいだ。そう思っていた。2代目から声をかけられた。「家に居るばかりじゃ駄目だ。ちょこちょこでいいから作業場に顔を出して若い者の面倒を見てほしい」。鎌田さんは、2代目の温かな心遣いがうれしかった。
「手抜きをしない。〝まていに、まていに〟(こころを込めて丁寧に)やる。それだけだった」。創業者・直一さんを慕い石山工務店一道に愚直に歩んできた。
鎌田正教さんの愚直なまでの大工魂を称える歌を一つ。
《かにかくに/物は思はじ/飛騨人の/打つ墨縄の/ただ一道に》(万葉集、作者不詳)。あれこれとつまらない能書きを思いわずることなく飛騨の匠がパーンと打ちつける墨線のように真っ直ぐに生きてきた─と。