旭川フィルハーモニー管弦楽団(吉田英次団長、団員62人)=旭フィル=が来年、設立から節目の50年を迎える。国内最北のオーケストラとして旭川市民に愛されてきた。長年、公的機関からの補助を一切もらわず、手弁当でやりくりしながら年1回の定期公演と名曲コンサートを続ける。アマチュアオーケストラには難曲とも思える重厚・長大な作品に果敢にチャレンジし、モーツァルト、ベートーベン、ブラームス、シューマンといった古典からロマン派の作品を中心に生演奏の素晴らしさを伝え続けてきた。楽団員にアンサンブルの喜びや演奏秘話などを聞いた。

アマ演奏家が集まり1976年に発足
旭川市内の医者仲間4人でカルテット(弦楽四重奏団)をやり始めたのがきっかけだった。世界最古とも称される超一流の弦楽四重奏団の名称をもじり、「アンサンブル・ヘボ」を名乗り、緩く楽しく始めた。
「アンサンブル・ヘボ」の活動をするうちに楽友が増え、1976(昭和51)年、アマチュア演奏家が集う「旭川室内楽愛好会」が発足した。翌年、「旭川室内合奏団」と改称し、記念すべき第1回定期演奏会を旭川市民文化会館で開く。曲目は、バッハのカンタータ第147番から「主よ、人の望みの喜びよ」、コレルリの「合奏協奏曲第3番 ハ短調」、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K525などだった。心のひだを慰撫するかのようなバッハの調べ、アレグロが駆け抜ける軽快なモーツアルト晩年の名作を旭川市民らに披露した。
翌年6月には第2回定期演奏会を開き、バロック期の精華の一人であるビバルディの「調和の霊感 作品3の第8番」やモーツァルトのディベルティメント(喜遊曲)、バッハの「管弦楽組曲第2番 ロ短調」BWV1067などバロックからロマン派の作品を演奏した。
1982年、第6回定期演奏会から旭川フィルハーモニー管弦楽団に改称した。念願の市民オーケストラの誕生だった。複数の楽団員が、「忘れられない」と口そろえる演奏会がある。旭フィルの転機となった公演であった。
1986年11月30日 ベートーベンの第九
「もうもう夢中でしたね。音程は良かったな。(楽団員)みんな緊張しているんじゃなくて夢中という感じでしたね」。旭フィルの常任指揮者・村田紘監さん(77)は、往時を振り返る。
1986年11月30日、旭川市民文化会館大ホール─。旭フィルはベートーベンの交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付き」を演奏する。合唱団もソリストも旭川・道北ゆかりの人ばかりで、総勢550人ほどがステージに上がった。
「あー、ここまできたか……」。第4楽章の歓喜の歌の合唱が始まる直前、金管群の咆哮を聴いたとき、村田さんの胸奥に深く落ちる感慨があった。「バイオリン奏者ら多くの団員、合唱団員が涙を浮かべていました」。ビオラを担当する阿部英昭さん(75)は、そう振り返った。
人と人をつなぐ音楽の素晴らしさをステージ上の奏者・団員と聴衆がわかちあう記憶に残る演奏会となった。
音楽が好きで好きでたまらない─。楽団員一人ひとりのたぎる思いがこれほどの演奏会を成し得た要因の一つだったに違いない。旭フィルの楽団員としての活動のバックボーンは、金持ちになるとか、名誉ある地位に就けるとかという眼前の世俗的な利得からは遠くにある。
何が楽しくてやっているのか?
最高齢78歳の男性 団費払い練習に通う
「まとまっていく過程だね」。チェロを担当する吉田団長(70)は、オーケストラの一員として演奏する喜びを語る。ひきとるかのように、常任指揮者の村田さんは「とにかく一生懸命に練習をやらなければならないんです。だから、本番でお客さんから拍手をいただくとすごくうれしい」。さらに、ビオラを担う阿部さんは「響きをみんなで共有して、この響きの中に身を置ける喜び」とも。
ライブである。その場限りの一瞬一瞬の調和の喜悦を味わいたくて楽団員は練習を重ねる。
旭フィルの編成規模は2管編成で、最高齢は78歳の喜多佳璋さん(バイオリン)=旭川市在住=だ。旭川居住者が中心だが、名寄・北見・札幌などに居住する楽団員も。毎月団費2000円を納め、毎週土曜日、遠方から車を走らせ練習会場の神居公民館上雨紛分館(旧・上雨紛小学校)にやって来る。次の演奏会に合わせ2時間半ほど練習を重ねる。
「あれは、すごい演奏会だった」。常任指揮者・村田さんが記憶をたぐる。
辻団長に捧ぐアダージョ ドボ8の憂愁の名旋律
コロナ禍で練習もできない。公演も控える。世界的にそうであったように旭フィルもつらい2年間の活動休止を余儀なくされた。《昨年11月(2021年11月)、ようやく練習を再開した時のこと、忘れかけていたオケの響きが身体に染み込むように蘇り、団員一同こぞって再会を喜び合いました》。コロナ禍明けの最初の定期となった第43回演奏会のプログラムに当時副団長だった阿部さんはそう記している。
半年ほど前に団長・辻直昭さんが72歳で旅立った。突然の訃報だった。チェロパートリーダーとして活躍し、機転の利いたユーモアで、いつも団員を和ませてくれる存在だった。
演奏会の冒頭は、辻団長が生前好んでいたラフマニノフの交響曲第2番 ホ短調 作品27からアダージョを演奏し、捧げた。回顧するかのような憂愁を帯びる深々とした旋律がホールを満たし、聴衆と楽団員をくるむ。コロナ禍から解き放たれたかのように無我夢中に演奏する楽団員には「私もそうですが音楽をする喜びに溢れていました」(常任指揮者・村田さん)。旭フィルのホルンを担い事務局長でもある近藤耕介さん(40)は、「辻団長に対するみんなの思いがのり移ったかのような演奏でした」。
後半の最後に演奏されたのはドボルザークの交響曲第8番ト長調 作品88で、第三楽章グラツィオーソのやわらかにうねるような優雅な名旋律が聴衆を包んだ。「この演奏会は、私の記憶に鮮明に残っています。演奏後に知人から電話をいただきました。『感動的だった』と」。
50周年に向けプランを練る
「いろいろなプランがあってこれから団員にはかっていきます。シナリオは幾つかあります」(事務局長・近藤さん)。来年の旭フィル設立50周年に向け、団に企画グループを設けて今後どのような内容にするか検討を重ねる、という。
常任指揮者の村田さんは「マーラーの交響曲第1番をもう一度やりたい。5番もいいけど、ちょっと難しすぎる」、チェロを担う吉田団長は「ベートーベンの(交響曲)1番、2番をやってみたい。若々しいからね!」とそれぞれ夢を膨らませる。事務局長の近藤さんは、「旭川ゆかりの人と演奏したいですね。歌でも協奏曲でもいい」と。
ビオラを担う阿部さんは「バイオリンやピアノの協奏曲を堪能させていただきたい。ベートーベンのピアノ協奏曲の第4番なんかいいよね」と第1楽章冒頭のピアノソロをハミングした。
国内最北のオーケストラ・旭川フィルハーモニー管弦楽団は、半世紀にわたり生演奏の良さを旭川市民らに伝え続けてきた。「生演奏は、ベートーベンなど偉大な作曲家の作品と演奏者と聴衆の三者が同じ時間と場所を共有することができる経験の場です」。吉田団長は、こうした一回限りの得難い経験が心を豊かにしてくれると信じ、その一翼を旭フィルが担っている、と自負する。
旭フィルは、生演奏の素晴らしさをこれからも伝え続けていく。

