5月に発生した交通事故で小学校教員の女性が死亡した。加害者の男が大量の酒を飲んでいたにも関わらず、旭川地検が起訴の際に選んだ訴因は「過失運転致死」。遺族が変更を求め地検への働きかけを行った結果、再捜査を経て訴因は「危険運転致死」に変更された。
あなただったかも
日記やスケジュール帳を開いて、今年5月4日の行動を思い出して欲しい。連休も終盤を迎え、道北には時折雨が降ったこの日、一瞬でも自動車のハンドルを握ったのに、いまも普通に生活している人は幸いだ。この日の朝からビールを飲み続けた男が、旭川市内の道路を酒に酔った状態で運転し続けていたのに、事故に巻き込まれることなく無事に帰宅することができたのだから。
すべての人が幸運なわけではない。旭川市内の小学校に勤務し、教え子たちに慕われていた中島朱希さん(38)は5月4日の夜、ワゴン車を運転して旭川市末広1条13丁目の国道12号(旭川新道)を自宅に向けて走っていた。酒に酔った男が運転し、対向車線を時速118㌔で走っていた車が約100㍍先の交差点で中央分離帯に激突。制御が効かなくなった状態で進み、中央分離帯を乗り越えて中島さんのワゴン車に向けて突っ込んできた。中島さんは搬送された病院で死亡が確認された。中島さんの家族や小学校の教え子たちにとっては、予想もしなかった悪夢の連休となった。
暴走車を運転していたのは東川町内の農業・石崎勝彦容疑者(51)。自動車運転死傷行為処罰法違反(過失運転致傷)の疑いで現行犯逮捕された。その後、中島さんが死亡したことを踏まえて、旭川地検は5月25日に同法違反(過失致死)で石崎容疑者を起訴した。
しかし、「過失致死」の4文字に遺族は納得しなかった。過失運転致死が適用されれば、酒気帯び運転と合算しても懲役は最長10年。何の罪もない中島さんの命を奪った男が、裁判で有罪判決が出ても、最長でも10年で社会復帰してしまうのだ。
石崎容疑者については取り調べで、事故を起こした日の朝に酒に酔った状態で農作業をし、その後、旭川市内を運転しながら酒を飲んでいたことが明らかになっていた。遺族の独自調査で、恒常的に酒に酔っていたとの証言も得られた。そんな状態で暴走し、実際に死亡事故を起こした容疑者の行動を「過失」の一言で片付けるのは、一般人が考える言葉の定義からかけ離れている。
このため遺族らは交通事故被害に詳しい青野渉弁護士(青野・広田法律事務所、札幌)に相談。青野氏の支援を受けてより刑罰の重い自動車運転死傷行為処罰法違反(危険運転致死)への訴因変更を求める要請書をまとめ、6月16日に旭川地検に提出した。
なお、酒酔いに伴う危険運転致死の刑罰は最長で20年と、過失致死の倍に達する。
小樽の事件は訴因変更
遺族たちが訴因変更を地検に求めたのは、裁判所には変更ができないためだ。「過失致死」のままでは、裁判で石崎被告が危険運転を認め、証拠がそろったとしても、刑事訴訟法の規定により、裁判官は過失致死よりも刑罰の重い危険運転致死で判決を下すことができない。
遺族が注目したのは、14年7月に小樽の海水浴場で女性4人が後ろから来た車にはねられて死傷し、車を運転していた男が逃げた事件。起訴のさいの訴因は過失致死傷罪と道交法違反などだったが、被害者遺族が危険運転致死傷罪の適用を求めて7万筆以上の署名を集め、札幌地裁が同罪への訴因変更を認めた。一審判決は求刑通り懲役22年。二審も一審判決を支持した(被告側が上告中)。
法律に危険運転致死に関する規定が明記されているのに、検察があえて刑罰の軽い過失運転致死を適用することがあるのは、法律の条文が曖昧なためだ。自動車運転死傷行為処罰法には「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為」との文言があるが、たとえば小樽の事件で被告側は、うつむいてスマホを見ていたのが原因で、飲酒はしていたが事故はアルコールの影響ではないと主張した。
呼気濃度基準の3倍
一方、危険運転致死での起訴を求める被害者側は、裁判でそれを立証することは十分に可能だと主張していた。青野弁護士らがまとめたメモの中で、被害者側は、正常な運転が困難だったことは、一般道を時速100~120㌔で走っていたこと、被告人自身が取り調べに対して「朝から飲んでいたお酒が影響して何も考えず、真面目な考え方ができなかった」などと供述していることから明らかだと指摘。事故の42分後に行われた呼気中のアルコール濃度検査の数値が、飲酒運転取締りの基準値である1㍑あたり0・15㍉㌘の約3倍に達していたことなどから、「危険運転」の立証は十分に可能であるとして、検察に訴因変更を強く求めた。
遺族の一人は、6月16日、最初に旭川地検に訴因変更を求めた際には、相手がどう考えているのか、まったく伝わってこなかったと振り返る。その後、この問題が繰り返しテレビなどで報道されるにつれて、再捜査を行うなど地検の態度も柔軟になり、担当の検察官も交代。6月30日に新しい検察官に会った遺族の一人は、その態度から一定の手応えを感じていた。
そして7月7日、訴因が過失致死から危険運転致死に変更されることが、遺族側に伝えられた。「過失ではなく危険運転」という遺族の主張は認められたことになる。旭川地検は裁判で「危険運転」を立証することは可能と自信を持っている模様だが、裁判官がどのような判断を示すかが注目される(なお、訴因変更に伴い7月19日に予定されていた初公判は延期された)。
石崎容疑者が危険運転致死で裁かれたとしても、中島さんが生きて帰ってくるわけではない。遺族の一人は訴因変更を評価しながらも「二度とこういうことが起きないようにするのが私たちの目的。うやむやにして軽い罪を適用し、犯人に真の裁きを受けさせないのは、司法の怠慢」と語る。
この記事は月刊北海道経済2016年08月号に掲載されています。