コロナ禍に加え燃料や電気料金の高騰で銭湯が危機的状況で、旭川市浴場組合トップとして奮闘してきた熊谷清志さん経営の「菊の湯」も閉店に追い込まれた。神楽エリアのスーパー銭湯も苦渋の閉店。
神楽エリアの銭湯
3月末日でまた一つ、旭川から公衆浴場が消えていく。神楽5条14丁目にある、創業46年の「菊の湯」だ。
経営するのは旭川浴場組合の組合長を務める熊谷清志さん。「組合長の任期途中で辞めるのは心苦しいが、入浴客減による売り上げ減少が続いており、これに最近は燃料費や電気代の高騰が加わった。情けないが、営業を続けていけばいくだけ赤字が膨らんでいくのが実情だ。悩んだ末、閉店を決意した。6月の改選まで組合長は続け、閉店後もできるだけ組合には協力していきたいと考えている」と無念そうに話す。菊の湯の廃業で、近郊も合わせ旭川市のお風呂屋さんはピーク時の10分の1の13軒となってしまう。
同じ神楽エリアにあるスーパー銭湯「御料乃湯」(西御料5の1)も3月31日で営業を終了する。新型コロナウイルス感染拡大の影響で利用客が減り、それに追い打ちをかけるように燃料費や電気代が高騰したことで撤退を決断した。
令和に再び
日本人の生活の一部として馴染みが深かった銭湯は、60年代から70年初めにかけてが最盛期で、旭川市と周辺8町のお風呂屋さんが加盟する「旭川浴場組合」の組合員は129を数えた。
しかしその後、廃業が続いて90年には71件にまで減り、東川、当麻、愛別、比布などでは町から銭湯が姿を消した。
旭川市内での銭湯はさらに減り続け、組合員数が60、40、30と減少。それでも平成の終盤にはいったん歯止めがかかりしばらく20軒台をキープしていたが、平成最後の2018年に2軒が相次いで廃業すると、年号が令和と改まった翌19年には末広の「亀之湯」と8条21丁目の「福の湯」、そして上川町の「鶴の湯」の3軒が相次いで営業を辞めた。さらに翌20年には、東1の2の「亀の湯」、8条8丁目の「八条プレジャー 旭鉱泉湯」も廃業。令和に入ってまたまた廃業の流れが〝再燃〟した格好となった。
銭湯が次々に廃業に追い込まれた第一の要因は一般住宅での内風呂の普及と言われている。
国の住宅統計にかつて「内風呂率」という項目があったが、それによると、戦後になって住宅に浴室が設けられるようになり、50年代に入って内風呂普及率が上昇。60年代に5割を超えた。今では信じられないような話だが、60年代より以前は大半の家庭に風呂がなかったのである。
内風呂普及率は2008年に95・1%に達し、そして17年にはほぼ全世帯に行きわたったものとして住宅統計から浴室の有無─内風呂率の項目は除外された。
風呂文化
「体を洗って清潔を保つ」ための入浴であれば、家庭内で事足りるようになったのだが、しかし大きな風呂にゆったりつかる日本の文化は健在で、国の「衛生行政報告書」によると、銭湯の数が減少を続ける一方で「その他の公衆浴場」は増加し、公衆浴場の総数は2万5000強で維持されている。
その他の公衆浴場とは、様々な風呂を組み合わせて楽しめる「スーパー銭湯」や日帰りスパなどの「大型温浴施設」などで、各都道府県の条例によって料金の上限が決められている銭湯と異なり自由料金、自由競争。館内でのイベントや飲食部門に工夫を凝らして集客に力を入れている。
80年代に入って、旭川市内に大型温浴施設─「その他の公衆浴場」が次々と登場する。
第一号は神居にできた「すみれ湯」で、そのあと台場に「励明薬湯」、春光に「健康ランド」、豊岡に「E湯」、東1の3に「ビスポ」と、いずれもレジャー要素の強い施設で、さらに当麻、比布などには公共温泉ができていった。
内風呂普及が銭湯廃業の第一要因とされるが、それ以上に大型化・レジャー化した浴場の相次ぐ登場が、銭湯から入浴客を奪った要因のようでもある。
ただ、2000年代になるとまた図式が変わる。過当競争から大型浴場も経営が厳しくなり、すみれ湯が廃業、E湯はデイサービス施設に衣替えし、励明薬湯は地場の経営からナショナルチェーンへと経営が移譲された。入れ替わるように登場するのがスーパー銭湯で、永山にできた「大雪乃湯」などが営業エリアの銭湯の経営に大きな打撃を与えた。
また、旭町にオープンした「コナミ」、ビスポから替わった「ジョイフィット」など大きな風呂を備えたフィットネスクラブの登場も銭湯には痛かった。ジムでのトレーニングより風呂を目的として会員となり通う高齢者が増えたのだ。現在の銭湯料金大人480円で計算すると、毎日通ったとして1万4000円を超えるが、銭湯がわりに毎日ジムに通えば1万円前後ですむ計算になる。
スーパー銭湯とフィットネスクラブの挟撃(きょうげき)─令和に入って再び銭湯の廃業が続く一因だ。
後継者難
19年7月に廃業した「亀の湯」は「銭湯を引き継いでくれる人を募集したが、話がまとまらなかった。後継者のことなども含め様々な事情から廃業を決めた」と話していた。
市内のどの銭湯経営者に聞いても、同じように、後継者難とボイラー更新が大きな問題だと口をそろえる。
「息子に銭湯を継げとはなかなか言えない。午前中から深夜までの長時間労働で、それだけ働いても儲かるわけでもないし、利用者は年々減っている。ボイラーや水周りのトラブルはしょっちゅうあり、毎月のようにかなりの額の改修費ががかかる。ボイラー更新となれば500万円を超える。銭湯をやめる経営者は、巨額の設備投資でボイラーを新しくするかどうか悩み、後継者がいない現実を考えてやむなく廃業を選択するのだと思う」
旭川の銭湯は平成に入って間もなく建て替えや改築をしたところが多く、ボイラー更新時期を次々と迎えている。「改修」と「後継者」の問題にどこも悩まされているに残るのが実情だ。
物価高廃業
それでも、旭川の銭湯は全国的に見ると健闘している。銭湯が減り過ぎて組合がなくなった市や町は数多く、山形や宮城、島根、高知などは県内で営業する銭湯の数がわずか一ケタだ。
利用者増につなげようと、試行錯誤しながら旭川浴場組合はこれまでさまざまな事業に取り組んできていることが、組合維持につながっている。
地域の高齢者が集まる「ふれあいサロン」の実施。旭川市の「見守り強化事業」への参画。毎年実施している「スタンプラリー」。スマートフォンによる決済「PayPay」も導入した。そうした事業を先頭に立って取り組んできたのが熊谷組合長だけに、菊の湯の廃業と組合長辞任に同業者は衝撃を受けている。
「首都圏で働いていた私は、父親に呼び戻されて銭湯を継いだ。以来、朝9時過ぎから風呂掃除をし、機械のセッティング、客を迎え入れ、閉店後は始末をし深夜に就寝。そうな毎日を母と妻の3人で46年間続けてきた。休みもとれない長時間労働を息子には継がせられない。
2つのスーパー銭湯にはさまれ入浴客は減少しており、設備もそろそろ更新時期だが、赤字経営では設備投資もできない。
致命的なのは電気代の高騰、廃プラスチックと木材でつくるペレット燃料の高騰だ。電気は6月から再び値上がりするそうで、もうお手上げ状態だ。祖父、父、私と3代続いた菊の湯をたたむのは忍びないが、結婚以来一度も旅行をしていないので、落ち着いたら妻と旅行に行きたいと考えている」と熊谷さんは語る。
後継者と設備更新の問題を抱えていたが、直接的には電気や資材などの高騰、物価高が廃業決断の理由だ。
スーパー銭湯も
旭川にスーパー銭湯が登場したのは2003年。函館市でビジネスホテルや温浴施設を経営する「大館観光」が永山2条7丁目に「大雪乃湯」を開業した。同社は3年後の06年には西御料に旭川2店舗目となる「御料乃湯」もオープンさせた。公衆浴場側からみると〝経営難の元凶〟だが、その御料乃湯が皮肉なことに菊の湯と同じ3月31日で閉店となる。
大館観光によると、コロナ禍で利用客が2割ほど減少したという。スタッフを減らすなどして運営を続けてきたが、燃料費や電気料金の高騰で経営継続が困難になった。別の企業への経営移譲を模索したが実現せず、苦渋の撤退となった。コロナ禍で21年1月には、旭川のスーパー銭湯の先駆けとなった同社経営の永山の大雪乃湯も閉めている。食材・資材、電気料金などの高騰で家庭、企業の〝資金繰り〟は厳しくなっている。全国的に〝物価高倒産〟も急増している。菊の湯、御料乃湯の廃業は、一般企業にとっても他人事ではない。